製造した意図が謎な車両
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キハ53-100番台
長大編成対応だが一度も長大編成を組んだ事が無い 交直切替SWが無く九州から出られないのに485を名乗った先頭車 >>102
久里浜駅構内に、73系の上等な車が大量に留置してあり、転用先も決まっていた。そこに七夕台風(下)が襲い、久里浜駅が水浸しになって廃車になる。
仕方なく、旧63系を穴埋めに。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0520/emaki/shouwa/shouwa_data7.html
当然ながら京急も甚大な被害を被り、減車等も行なった上に、12連化が半年遅れに。 東急デハ6991・6992
2017年、7両化により6301・2として落成したが、2年でQシートを付けた6301・2が登場してニートに。
総車に送られて、帳簿上付けられた現番号を付けて放置中。 >>5
ヒント;900番台。
厳しい国鉄財政に対し、試作車として会計検査院をスルーさせた。しかし2連✖4本の試作車はあり得ない両数なんだが… 西鉄7000
製造自体は間違っていないと思うがなぜ4扉で作られたのかが謎
後年に3扉の7050が作られたからなおさら >>107
63出自と72出自。
72970は、72系ばかりだし… 名鉄1000系の一般席車
5700系とそろえて2扉ではいけなかったのか >>105
東急お得意の無計画の仕業だろう
5000系列だって無計画に組み替えしまくってたし
東横の元田都車とかも >>112
あれはてっきり2両新造→抜いた2両をQシート化改造して別の編成に組み込む→抜かれた2両を改造してさらに別の編成に組み込む…ってやるのかと思ってたんだけどな
まあどっちにしても2両余るから5080系の8連化に活用するんだろうけどさ 東急は仕様を変えまくってるせいで組み替えると気持ち悪く見えるが、
車両なりパーツなり使い回して上手くケチっている感はある >>110
はっきりラッシュ時対応だろうに。
19m車で2扉は「滞留してください」って
言っているような物だし、
3扉でも転換クロスシートなら
充分な対JR競争力を持っているとされたんだろうよ。 >>5
717系は足まわり流用だからね。
車体構造よりサイリスター位相制御の試作という側面が強いかと。
阿武隈急行8100型やJR九州783系、787系、811系、JR北海道721系、更には新幹線100系の礎にちゃんとなってる。 >>108
四扉の6000&6050に合わせて増結運用を計画していたのかも。
しかし結局西鉄は異種併結をしませんね。 >>71
廃車するぐらいなら2600系で挿し込むかもっと古いTと交換する訳にはいかなかったのかな? >>118
廃車時はとっくに支線運用は13000系・10000系で置き換えられていて、
一般車8連は6000系+9005Fで事足りていて、
2600系30番台を8連や5連にする必要などなかったんだろう。 >>108,117
天神駅の改築工事期間中、線路を一本使えなくなるので、折り返し時間短縮の
ために4扉車を入れて、混雑ピーク時間帯の列車に使う
って理由だった。
工事完了後、増備車を3ドアに戻したのはちょっと理解出来ない。
ドアを埋め立てる前提で5ドア車にすればよかったと思うんだけど
整列乗車の概念が当時の西鉄になかったんだろうな 大阪市交通局だった頃の新30系にも、車齢10年未満で潰された車がいる。
そもそもあの30系が、ステンレスとアルミ同時新製かつ連番って思想が不明。
入札の公平化とかだったら、分からん訳じゃ無いが…そこまでメーカーに忖度するのもおかしい。 >>120
7000作った時点で天神の工事は終わってますよ
ついでに言うと西鉄は2.3.4扉を運用してたけど足元乗車位置案内は扉別(1両辺り端から順に2.3.4/4/3/4/2.3.4)に表記して列車案内も両数+扉数(ex.7両3扉、6両2扉)で案内してるから整列乗車させる気はあるんじゃない? >>121
一気に製造しなきゃいけないからどちらかしか製造できないメーカーでも対応できるように二種類用意したんじゃなかった? 301系
製造費が高すぎて途中で挫折
最初から103系1200番台にしておけばよかったのに 側面に「ドアもどき」がある125系。
と書いて125ゲットしようと思ったが、間に合わなかった。 >>124
それを言ったら201だって高コストだったから結局205になったと思うので、最初から史実205的なもので良かったと思ったが当時添加励磁が開発されてなかったから仕方ないか >>127
電機子チョッパ制御は高いから、私鉄では回生ブレーキ付けるのに界磁チョッパを採用していた。
国鉄が界磁チョッパ車を入れなかったのは、界磁チョッパ車で使う複巻電動機が直巻電動機に比べて
メンテナンスの手間がかかるから。 >>127
201系は101系と違って一応の成功作だからなぁ…
101系と違って、中央快速線において所期の目的を超える改善を達成した。
高コストに見合うだけの成果は十分すぎるほど得られているし。 201系も何だかんだ言って1000両造ってるからねえ 阪急8200系
落成が震災後で真っ先に復旧したJRに旅客を奪われてて時すでに遅し 阪急8200系はニートレインになっちゃってるよねぇ・・・
ニートレインつながりのJR東の215系やE331系(とっくにスクラップ済)と違い、
支線や能勢電に転用が効くのが幸いか。 >>131-132
その普及版(通常座席版)的な8040も8040ベースの基本編成は製造されずじまいになってるから仕方ない
(逆に8030は8000ベースの増結車) >>17-19
単に6扉と同じでホームドア設置に方針を変更したからというのもあるんじゃないかな
>>21
あれはメトロ8000の中間増結車と同じで車体のみ同時期の新車に近い意匠になっただけであり、機器類は旧世代に合わせてたからね >>120
ワンマン運用時は中間扉を閉め切りますよね。
その際、立ち区画になるより座席の方が
サービス向上になるからじゃないかな。
その当時に「将来、ホームドアで扉数を
統一しなくては」という先見の目があったのかは不明。 >>120
2000年頃までは4ドアで全部置き換えていくつもりだったんだろうよ
ところが実際は4ドアを増やしたところでメンテナンス箇所が増えたりとデメリットの方が目立ってきて
結局は2002年の7050で3ドアに戻したというのが真相じゃないか >>108
6000/6050が4扉だったからそれに合わせただけでは?
7050が3扉になったのは方針転換したためと思う 南海1051F
量産前提で作られたが当時の南海の財政難により1本のみで断念 >>138
もともと試作の意味で1050という中途半端な形式名なんだろ。もともと量産する気はなかった。 >>135-137
7000に関しては当社から甘木線投入を想定してたのかが謎
もしそれなら最初から4扉で作らないだろうし >>129
制御装置の回路の構成の関係で
勾配区間に必須のノッチ戻しと抑速ブレーキが使えることがわかり
高尾以西に乗り入れた結果、115系を若干削減できたという想定外の合理化にも貢献した。 >>141
最初から甘木線〜本線南部ワンマン用に作られてますよ 西鉄7000形登場時の6000形は確か4連と
2連だったと思う。
当時の西鉄はイケイケドンドンだった
ので目指せ最大8連!!ってノリで増結
運用も計画されていた。
しかしその後の計画変更で最大7連=
増結運用中止になり、ローカル運用なら
3扉でいいんじゃね?ってことで
7050に方針転換したと。。。 西鉄で8連は2000年代後半まで走ってたでしょ
時系列の認識おかしいよ >>118
残ってる2200系の古い付随車と交換することは改造等をせずにできただろうけど
それをしなかったということはほかの2200系と異なる部分が多く扱いにくかったとかの
事情があるんじゃないかな >>71
車体は2630と同一だけど、機器は従来2200に合わせてるとか? >>146
8両から7両に減らした時はまだ新しかったから古い付随車を引き抜いて7両にした
抵抗制御車編成が置き換えられて2380形だけはしばらく保留になったけど
結局差し替えたところで長く使わないから廃車したんだろうよ クハ103-500番台
クモハの対になる片渡り車を作ってみたが偶数専用で扱いにくかった?
0番台も冷房車は向きが固定 >>131
阪急は8040だって登場から約20年間は朝にしか使われていなかったからね
まぁ8040を日中運用に投入したから8200だってどうなるか分からないけど
ただ阪急の少数ロットは早々に整理されやすいから
(3000/3100/5000より先に廃車になった5200、早々に電装解除された2200等) >>29 >>149
史実103作らず101をそのままMT54にした(史実の111と113みたいな関係の)史実とは違う103では駄目だったのかとは思ったことあるけど
クハ103-500もクハ102では駄目だったのかと思ったが
(ただ僕は素人なので詳しくは知らないうえに当時の状況もよく知らないが) >>151
MT54はMT55と比べると出力が大きいわりにトルクが足りない
101系のモーターをMT54にした車両は必要な加速性能を得るために大電流を流さなくてはならず101系の問題点が解決できてない >>152
つまり天下の国鉄が、当時の大手私鉄の中では比較的しょぼかった西武にさえ、電力事情で劣ってたという事か。
西武はMT54互換のモーターでMT比1:1での通勤車両(国鉄で言う101系にMT54を乗せたようなもの)を大量に投入していたし。
(6年間で合計240両=60編成×4連) キワ90
本当に使えると思って製造したのだろうか、はなはだ疑問。
貨物が積めて貨車が牽引できる、当時のローカル私鉄によくあった電動貨車の
気動車版的な発想と思われるのだが、実際は、
・本線の貨物列車とキワとの間で貨物の積み替えが必要。
・積み替えせずに空車のキワで貨車を引こうとすると、自重不足で空転して
全く走行できず。
と散々な結果で、直ぐに試行が中止されてしまった。 101と103の違いが分からない人間には説明するだけ無駄でしょ >>150
2200系が早々に電装解除されたのは理解できる。非採用に終わった装置を積んで
いたのだから長期使用など面倒でしかない。
一方、5200系の短命の理由がわからん。冷房試作車と呼ぶべき車両だが、
他は全高がやや大きかった程度でほぼ5000系と同じ車両だったらしいし。
廃車が始まったのがバブル経済の頃だからかねえ。 MT54の通勤型は京阪神緩行線向けで検討したらしいけど103系で問題ないとの事になった。国鉄としたら線区別の適正性能を持った別形式よりは同一形式で標準化の方を取ったんでしょ。だからダイヤ改正の度に転用容易に出来たし。
京阪神緩行や常磐快速なんかはMT54の方が向いてたと思うけど。 >>91
補足
小田急1081は実質2600事故編成の補充
土砂崩れで2両廃車になった2600の残りの車両を極力有効活用するために別の1本とニコイチで組み換え8連化して
その足りない1本分を補充するために作られたのが1081のような感じ >>151
小田急も20m4ドア幅広車の導入に際し史実2600ではなく最初から史実旧5000的なもの(20m4ドア幅広車体に2400ベースの足回り)で良かったとは思ったが
ただそれを言ったら2400も何故あの変則車体長だったのかと思ってしまうけどね
(更にシステムとしては9000も大概だけど) >>52
それを言ったら07や東急2000も同じ
209‐1000は発足後初の常磐緩行増備だったから新形式にせざるを得なかったし、08も8000の編成増備終了から10年以上経ってたから仕方ないが
06/07や東急2000は同6000/7000や8500の増備終了から数年しか経っていなかったし、これらを継続増備でもよかったはず
(京王6000/7000/8000並行増備や西武3000/9000だって当初は疑問だったけど、理由を知って納得した) >>153
国鉄より遥かに輸送量が少なく、走行距離が短く、速度も出さないからね。
MT54でも余裕だわな。 技術は日々進歩してるのに数年前の型落ち品をまた作るメリットなんてないぞ あとアストラムラインも6000最終増備と1000は1年しか違わなかったか >>163
6135Fと06系、7134Fと07系は2年くらいしか違わなかった
6135Fは6101F登場から約20年後に、7134Fは7101F登場から約15年後にそれぞれ登場していたし、
6135F/7134F登場時点で既に他線では東西線に05系が登場していた
だから6000/7000増備でもよかったはず
東急は改めて調べたら9002F登場前に8000系列の編成単位としての増備は終了(後は8500増結中間車と8590先頭車のみ)してたことに気づいた
なら2000は仕方ないな >>165
その辺は最初からちょっとしか造る気がなかったのか、それとも増備するつもりでいたけど結果的に少数で終わったのかでだいぶ変わってくるからなあ
あとは編成単位での新造車はVVVF車に完全移行することになった都合上車体設計も見直す必要が生じた(からついでに新規に設計した)ってのもあるんじゃない?
ただ仮に6000系や7000系の増備で済ませたとしても置き換え時期は変わらなかっただろうし、それどころか7000系の方は東西線に転用されなかった分むしろ置き換えが早まったんじゃないかとは思うけどね モハ165
21両しか製造されず
153系と共通運用するためとしか思えず急行東海廃止でお払い箱に >>158
常磐快速線には、総武線などの101を転属させるって話もあったようだけど結局103に。
定格速度が低いってことはその速度以上では抵抗器に電気が流れないから
消費電力的には103って悪くないんだよな。
爆音と猛烈な振動で、客はもの凄いエネルギーを使ってるような錯覚に陥っていたけど。 まあ国鉄って所はお役所だし、特に昭和50年代は労使間が険悪で安定した車しか作れなかった。
185や117も、結局は目新しいものは何も無し。50系客車なんか先々の事考えたらもっと貧相で良かったんだけど。
結局201がしこたま作られた一方で、103が1984年迄作られた訳で…ただ最後の赤羽線用増備車の製造意図が謎。ほぼ同時期に、105系改造車や103-3000もあったし101系の下回り取り替えれば?と思った。 >>169
103系の本当の最終増備は山手線だったかな。新製費をとにかく最小限するための苦肉の策の結果。
カネに余裕あれば201系増備で玉突きしたはず。国鉄末期の超緊縮財政時代はタラレバ言ったらキリがないけどね。103系1000番代の105系改造も105系新製した方がよかったぐらい手間暇かけてるし(新車の金はダメでも人件費はいくらでも使えたのかな)。 会計的なやつかな。
新車はダメやけど改造なら予算出る的な >>139
1051F登場当時のニュース南海では「今後の標準」となるとあったみたいなんだが… 悪いが1000系自体が駄作の認識だよ
南海の中の人も内装や車体の塗装などあんな余計な部分に拘った車両は不要と失敗を反省していた
その反面教師として8000系以降では最も南海らしい6000~6200よりも南海らしさが戻って利用者も会社も歓喜の声 >>172
毎月見てるけどそんな記事見た覚えないなー。 103系1000番台が地下線内で抵抗器の熱が抜けない欠陥車で
新製から15年ほどしか保たなかった。
特殊なバーニア制御器も邪魔な存在だったし、
減価償却が終わったところで
傷んだ制御器を廃棄して体よく都落ち。
先頭車化改造すれば緊縮財政で瀕死の車両メーカーにも運転台ブロックを造る仕事を出せるし、
国鉄も貨物列車の大リストラであらゆる部門で
職員が余っていた。
だからあの頃は国鉄工場での大改造を厭わなかったのよ。 >>169‐170
それを言ったら福岡市営乗り入れ用だって201量産体制に入った後であったものの103-1500なので…
(財政難だったのと201が高コストだったので仕方ない) >>176
同じく抵抗制御だった営団5000は千代田線で問題発生しなかったんだろうか?
特に制御系で問題(過熱とか)あったなんて聞かないし、東西線転属後も長生きしているし。 >>177
筑肥線内での回生ブレーキ失効対策、って理由だったよな。
せめて空気ばね台車を履いた301-1000にしてあげれば良かったのに。
>>179
東西線と千代田線のトンネルの構造の違い。
町屋のあたりの単線シールド区間で熱の逃げ場がないから、103-1000が鉄板焼きになった。
千代田線開業当初使っていた営団5000が東西線に転属したのも、単線シールド区間対策。
東西線にはそんな区間がなく複線のトンネルだから、対向車線側に熱が逃げるので問題なし。
営団が車両冷房を導入したときに、103-1200や301が抵抗制御のまま冷房化したけど特に問題にならなかった。 福岡市営は103-1500と同時期の自局車両の機器は201世代なんだけどね 神戸電鉄1500形
1991年落成だが3000系と同い年で時代遅れ感半端ない >>182
間違えた
2000系と同い年だった
3000系も1991年落成がある >>160
小田急の場合は、新宿〜向ヶ丘遊園と向ヶ丘遊園以西で駅間距離に差があったから昔は各停用、急行用と割り切ったんだろうか >>181
というか福岡市交車に関しては"国鉄が造りたかった理想形"なんだよな
国鉄の車両設計事務所が国鉄という縛りから解放されればあそこまでできたって言うね >>180
>>179での質問が悪かった。
103-1000の鉄板焼きの問題が、同じ千代田線の問題のトンネルを走行している営団5000で特に聞かれなかったのは
なんでだろう、という話。
まあ抵抗制御が悪いなら営団5000でも当然同じ現象で有名になるはずなのに、なんで国鉄103-1000だけが殊更問題に
なったのかと。 営団車の方は分からんがMT55は発電ブレーキ時は端子電圧900Vを許容するとか
定格電流330Aで900Vだと一台当たりの出力は約300kW
地下トンネル内でこれ全部熱に変えるとか頭おかしいな 103-1000は地下鉄線内での電力消費が想像以上で営団が国鉄に電気代の負担を求めたんだよな >>188
半分合ってるけど、車両使用料をお互い乗り入れた距離を合わせて相殺する際に、6000系との電力使用量に差が有りすぎて会計検査院から指摘されて問題になったんだよ。 東西線の1200番台や301系が線路条件が千代田線と違うためか発熱が大して問題にならずJR化後の21世紀まで生き延びたのが意外だな
それこそJRに電気代ふっかけてもおかしくないレベルだったはず >>190
そりゃ東西線は営団側も長らく抵抗制御車しかいなかったし、回生車の登場以後も走行距離の調整ですむ程度だったんでしょ
ちなみに営団としては電気代の差額徴収は本意ではなくて監査で指摘が入ったから渋々やってたんだとか 単に発熱量だけの問題だったら地下鉄線内電制カットで済むが今度は制輪子の摩耗が早まったりゴムが焼けたような臭いがトンネル内に充満するか
配線が蒸し焼きになって検査のたびに交換する始末だった >>190
そもそも90年代のJR東日本でまとまった数の新車を入れたのは京浜東北209‐0と横須賀総武快速E217くらいで、
東西線は営団車両も05の増備が止まっていて約半数は5000のままだった時期もあったから… 国鉄103系と営団5000系の差は、ちょっとした重量の差のような気がする。一両あたり2tぐらいの差だけど、10両にしたら20t前後違うとか、じゃないかね。
非冷房の103系のデータがみつからなくて比較できんが…。冷房改造後でも、けっこう差があった気がする。
あとは、抵抗器周りの設計に差があるんじゃないかね。1000番台は、熱の行く方に電線ダクトがあったとか。 >>190
東西線は路線の半分近い距離で、尚且つ混雑する側が地上の高架を走行してるというのもあるんじゃないか? 専用設計で160両も作った新車が
問題起こしまくって13年で撤退って
今ならあり得ん失態よな。
DD54といいキハ181といい
この頃の国鉄の新設計車はこういうのが多い。 キハ181の屋根上ラジエーターは明らかにそっちでしょ 板谷とかみたいなので冷却効かなくなるのが問題なのであってそれ以外はまあ及第点だったでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています