もしも戦前…いやせめて昭和30年代後半までに富士南麓に遷都していたら、鉄道事情は?
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時は昭和30年代後半、ブラジルがリオデジャネイロからブラジリアに遷都した頃日本で検討されていた富士南麓遷都論
これがもし実現していたら東京の鉄道網は史実よりはマシになってたか そもそも地下鉄のどの路線も千代田皇居突っ切るのを避けて作られてるのが気に入らない そうすりゃ東海道新幹線の需要をある程度東北に流せたから
土人しか住んでないせいで収益性の低い東北新幹線を救済し史実よりも早く札幌到達したかもしれん
一方でのぞみの混雑も緩和できただろう 上り下りは富士駅を基準に決められていた
新幹線新富士駅はちゃんと東海道線との交点に作られてた そう言えばブラジリア遷都も急ピッチで進められわずか41ヶ月(3年5ヶ月)後の1960年4月21日に実現したんだってね 昭和39年10月に東京オリンピック
翌11月に富士南麓遷都
とかでも良かったのにね(新皇居での内閣認証式第一号は第一次佐藤栄作内閣) 半蔵門線は千代田皇居(跡地)直下を貫通していた
京葉線は二重橋前駅と直結していた(仙台のあおば通駅みたいなターミナルに) JR東海は誕生せず富士駅を境に東日本と西日本に分かれてた 首都圏ったって富士じゃなぁ
アメリカ合衆国のワシントンD.C.以下の田舎じゃん 何なら特急ふじかわを熊谷まで直通させるか
ただし塩山⇔御花畑はノンストップで
秩父鉄道は塩山まで延伸して大月まで直通すべし
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