【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】8 [無断転載禁止]©2ch.net
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手抜き云々はいい加減なウソで
江南からの長旅で船体が痛みまくってたからに他ならないだろ
南洋と違って玄界灘は波が高く船の消耗も早い そもそも台風シーズン真っただ中に渡海する第二回元寇の謎判断 漁民とか船乗りをまず供用だしなw
如何にも大陸嗜好で馬鹿っぽいw
季節無視w
昨今の相模然りw
台風で沈まない舟はねえよw >>564
嘘くさいと断じるなら、当時の船底の厚みがどの程度か知ってるのか?
通常の和弓で3センチを優に貫通するから、強弓ならどの程度まで貫通するだろうか。
これ、トリビアの種で実験してほしいな。 >>563
元寇の頃なら武士の近接武器は刀か薙刀やろ
槍が普及するのは南北朝時代以降だから時代が違う
向こうの資料にも杖矛無しとある >>575
東路軍が全く橋頭堡築けなかったから仕方ないだろ
東路軍は逆に追い回されて平戸あたりで合流になった >>577
>>杖矛 兵杖には弓刀甲あり、しかれども戈矛なし でした >台風で沈まない舟はねえよw
高麗船の被害が少なかったことは「汎海小録」や「高麗史」からわかるけどね >>566
でも槍で刺されても浅いから助かりそうだけど、
弓矢だと内蔵まで貫通するから助からなそうだなー。 名のある武将の討死・負傷例でも弓矢や銃ばかりだよね
まあ長島の戦いみたいな例外もあるけどさ 名のある武将の最期だと自害が一番多いイメージある
実際の同時代史料などに基づいたデータではどうなのかは知らん いや信長とかの大名クラスじゃなくて現場の武将とかも含んだ話か
勝手に勘違いしてた >>580
でも製作の過程でモンゴルの司令が早く作れたくさん作れと急かすから、安くて早い南宋式にして数合わせたとか、台風後に一番マシな船選んで幹部クラスだけ逃げてきたとかじゃなかったっけ? 台風では今のどんな船でも沈むおw
台風が近づき荒れて来たから船泊だが
まあコースが悪かったのか
全滅です!! セウォル号も船長だけは真っ先に逃げてお札乾かしてたし。 日本の置盾は和弓の改良とともに徐々に厚くなり、
元々3センチだった物が5センチまで厚くなっている。
ここで疑問なんだが、モンゴル軍の置盾は厚みがどの程度あり、
また日本の和弓を防ぐ事ができたのだろうか。
蒙古襲来絵詞を見ると軍船に供えつけられてる置盾は和弓の貫通を防いでるが、
上陸部隊が持ってる置盾は貫通して人が血を流して倒れてるように見える。 >元々3センチだった物が5センチまで厚くなっている。
これ初めて聞いたな
平安〜戦国あたりの時代の違う置き楯の遺物なんかがどこかに残ってるの? >>591
それwikiからそのまま引っ張ってないか、そこ信憑性低いと思うぞ?
例えば火縄銃やマスケットの運動エネルギーはロングボウどころか
クロスボウに対してすら5〜10倍もあったのに短距離なら銃に劣らないとか書いてるし
そもそもロングボウ/長弓は腕力によって引ける弓の強さは違うから威力は一定じゃないし その置盾ってのは当時でいう「掻楯」のこと?
搔楯の伝世品とか出土品とかってそんな豊富にあるのかな? 「掻楯の伝世品とか」と書いたつもりが謎の文字化けしてるな >>592
ロングボウも変なよいしょが多いってことか なんで和弓がここまで持ち上げられてるんだ
クロスボウより貫通力が上みたいな話は逆に笑っちゃうレベルだぞ
中国南部の狩猟用の弩とかと比べてるのかな? 和弓はよいしょというより過度に貶す奴が現れたからだろ
そんなに糞なら志賀島の合戦で弩兵配備してた元軍に撃退されてるでしょ 60 YO
2 か月前
私の先祖は瀬戸内の海賊で伝説が残っているのですが、明日嵐が来そうなので、
夜のうちに海に潜って元の船の底に錐で穴をあけておいたそうな。
この戦法は海賊としても最も卑怯な戦法とされていたようなのですが、
この際仕方がない、てなことでやっちゃったそうな。
わろた。
こんなことやられたらそりゃ沈むわな。 ゲリラ戦てそういうもんだろw
国が無くなる事態にw
とマジレスw >>603
これ本当にできるか実験してみる価値あると思うんだよな。
どっかのテレビ番組でやってくれないかな。
当時の軍船の図面が残ってて、さらに鎌倉時代の強弓を扱える人が現代に居ればの話だけど。 フライパンの話大好きだけどそれって和弓以外でも普通にできるってオチだったりしない? トルコ弓だと実戦用の矢を使用して射程400メートルだそうだけど
「遠く能ず」と元の人間に言われた和弓だと実戦用の矢でどのくらいなんだろうな? トルコ弓も言い伝えだけどな
言い伝えなら和弓も6町飛んだなんて話もある 先日の映画でも500mが限界とか
狙撃手がいうてはったw
弓厨wはまず実証再現しないとw ドヤ顔で400mとか書いたのお前だろ
出してみろよ 俺じゃないからね。
>>610に聞けよ、童貞ハゲ。 トルコ弓が実戦用の征矢だと400メートル以上、遠矢用だと600メートルって測定したのは
1910年代まで生きたとあるイギリス人だな。20世紀まで生きた人間が言い伝えを残したのかな? そのイギリス人なら昔ネットで見たな
なんたら卿って人だろ
確かロングボウや中国やモンゴルの弓も勿論和弓も測ってた人 >>621
弓やクロスボウの有名研究者で洋書なら今でも本買えるくらいの人だからね。
それが廻り巡って言い伝えにされてるのはちょっと笑った。 その人の記録ではモンゴルの弓は和弓に比べ射程では若干劣ってたな
うる覚えだが蒙古弓が109mで和弓が120m
中国の弓は90mだった、ロングボウは忘れた
トルコ弓の飛距離400mもその中の記録に書かれてたやつだ 出典無き記録は妄想幻聴扱いになるので
wiki wでもいいから挙げましょうねw
終わり だんだん w 具体例示せてやったじゃん
和弓最弱伝説信じてるお前よりはマシだし >>589
南宋の船は調達を急がせたあまり航洋船として建造したものではなく
有り物の長江の大型川船に外航用の艤装をする改造ででっち上げたのが
多かったという話を聞くな
錨とか帆だけが外航用で、船体は長江の川船に過ぎないから
喫水が浅く嵐で簡単に転覆するとか。 妄想幻聴w自慢w
最新学説は武器でさっぱりなので
夜間のゲリラ戦や屎尿で反撃
神風は避難中襲来で全滅
弓の話wとか皆無w 弓やクロスボウを研究し1910年代まで生きたイギリス人で卿(sir)の称号を持つ。
ここまでヒントが出てるのにまだ誰だかわからないってよっぽどこの分野に関心ないんだな。
情報源は日本語版wikipediaだけなのかな。 >>608
戦国時代の足軽の弓でも50キロあるで。
鎌倉時代の武士はもっと重かったらしい。 みんなあんまり読んでないようだから、もう一回貼っとく。
https://www.rekishiwales.com/entry/longbow
ロングボウ クロスボウ
張力 約422N 約2000N
弾くストローク 約64cm 約11cm
矢の重さ 45グラム 60グラム
矢のスピード 44.5m/s 42.4m/s
矢のエネルギー 45ジュール 54ジュール 肝心の和弓の射程が載ってないな
英語当たってもない うんこやおしっこの臭いが付いて臭いので退散てwwww 屎尿をどうやって投げたの?
何らかの方法で弓矢より遠くに飛ばせたなら別に屎尿じゃなくてもいいじゃん >>630
探しても見つからん
ソース持ってるならよろしく 苦しいも何も絵巻の分析で分かった事だし
これまで意味不な展開が解読された!(。+・`ω・´)キリッw
長崎から山口まで攻められたのに
よく頑張りました日本!!w ほんと神風やあw
あの日蓮像を拝んどこ
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 >>639
日本語だけで検索してるからわからないんだろうなw >>641
見つけたGallwey卿だろ
俺が以前見た数値もこの人のソースだわ 出処の原典は多分The History of Archery Seriesだろう 鴨長明「方丈記」は北条記のシャレ。
一遍上人の「時宗」は、北条時宗を暗示している。
元寇でモンゴルが襲来したため、北条時宗が忍術をはじめとする秘術を開いて、秘密結社を組織したのではないか。
1251年:北条時宗誕生。
1274年:モンゴル軍来襲。一遍上人遊行開始。
まちがいなく、一遍上人の時宗は北条時宗の秘密結社。一遍は、この年に九州に布教にいっている。
一遍の時宗は、日本軍人だ。
1275年:鴨長明が賀茂家の継承者争いに負ける。
鴨長明が「方丈記(北条記)」をいつ書いたかは謎。
日本の貴族でもかなり深いゆかりのある賀茂氏が北条氏を支持していることを示しているのだろう。
そして刹那主義の「方丈記」は、日本の行く末を川の流れの泡に例えて書いているのだ、おそらく。
1281年:モンゴル軍再来襲。
1284年:北条時宗死す。 同じ自治体内に時宗のお寺が有るお
今度行こうっと
近所の自治体には日蓮宗のお寺が有る
そこは行った
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
時宗いうたら箱根駅伝に
八王子のケミカル和尚w
真宗や浄土宗から分派とも >>598
なんでストロークが11センチしかない、クロスボウだけが強力って話になるの?
弓の中でもクロスボウだけが殺傷力があって危険な兵器とか言ってる人が必ず現れるんだよね。
てこを使って常人では引けない、重い重い重〜〜〜〜〜〜い!!弓を引いても、
ストロークが短ければエネルギーは増えない。
もう一度言うで?
てこを使って常人では引けない、重い重い重〜〜〜〜〜〜い!!弓を引いても、
ストロークが短ければエネルギーは増えない。 てこを使ってもエネルギー量は増えない。
学校で物理の時間にやっただろ? そういう嘲りは要らない。
批判するにしても普通に書こう。荒れる原因になるから。 最近水中調査があついとか聞くけど、元寇で何か発見あったりしないかな
まだ海の中に沈んでるんだよね? >>649
唐津の鷹島で舟が見付かってるだろ??w
実は兵站の失敗だと思うのw
日本もそうだがw >>651
陸ならともかく、あんな大海を隔ててるのに
戦争が長期になったら補給どうする予定だったんだろう
まあどうしても落とさないといけない国じゃないし
補給できなくなったら帰るつもりだったのかもしれないけど 補給は現地調達が基本、軍隊が自弁で賄うのなんてWW2の米軍から現代軍くらいだろう
だから緒戦で快進撃して、出来るだけ敵地を確保しないと後が続かない
海上だと飲料水が圧倒的に足らなくなるので、2ヶ月も海を漂ってたのはキツかったろう。 船を使う段階で兵力は船腹で制限される。
朝鮮半島から出せる兵力はそう変わらないだろうから、弘安の役以上の兵力を中国大陸から出す必要がある。
ほとんど無理ゲーと言っていいんじゃないの? だなw幾ら近いとはいえ大半は
所詮小舟サイズw
逆に秀吉は効率が良かったのね
もう一息だった!!w
ダナン会談が楽しみだ! >>657
クビライ何考えて攻めてきたんだろう
日本を見た使者が一応忠告してるのに 朝鮮出兵は渡航計画を策定した石田三成が非常に優秀だった 三成以前に、朝鮮がアレで容易に橋頭堡を確保できた事の方が大きいだろ 槍は馬に乗って速度をつけようが体重を乗せようが、それを支える瞬間的な腕の力でしかないのに対し、
弓は積分値でエネルギーを蓄積して放出できる。
つまり弓は槍や刀剣とは比較にならないほど殺傷力のある武器で、最強の矛である。
日本の武士、特に鎌倉時代以前の武士が弓をメインウェポンにしたのは、
リーチの点で有利だったからではなく、より大威力の武器を求めた結果だろう。 また和弓に対応して作られた大鎧はべらぼうに重くなり、
頭と胴体を重点的に守るわりきった設計となった。
(この辺は、プレートアーマーが鉄砲の発達に対抗する為、
厚みを増す一方で手足の防御を諦め徐々に面積を減らしていった経緯に似ている)
また和弓の進歩により盾は無力化され使われなくなり、より厚みを増した置盾のみが残る。 >>664
ちょっと変。
貫通力において、弓が槍を上回ることはないかと。
槍の貫通力はその積分の時間が無限大にできるので。 >>664
積分って何だよ、矢が放たれた瞬間以上のエネルギーは持ちようがないぞ クロスボウとか弓を満足に扱えないポンコツ農耕民族の道具だろ?
鉄砲の時代になるまで狩猟民族の優位は揺るがないね。 クロスボウがそんなに優れてるなら
クレシーも志賀島も弓装備の島国はチンチンに負けてただろう
朝鮮出兵における鉄砲を前にした朝鮮軍のように手も足も出ない事態に陥ってたね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています