【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】8 [無断転載禁止]©2ch.net
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先日の映画でも500mが限界とか
狙撃手がいうてはったw
弓厨wはまず実証再現しないとw ドヤ顔で400mとか書いたのお前だろ
出してみろよ 俺じゃないからね。
>>610に聞けよ、童貞ハゲ。 トルコ弓が実戦用の征矢だと400メートル以上、遠矢用だと600メートルって測定したのは
1910年代まで生きたとあるイギリス人だな。20世紀まで生きた人間が言い伝えを残したのかな? そのイギリス人なら昔ネットで見たな
なんたら卿って人だろ
確かロングボウや中国やモンゴルの弓も勿論和弓も測ってた人 >>621
弓やクロスボウの有名研究者で洋書なら今でも本買えるくらいの人だからね。
それが廻り巡って言い伝えにされてるのはちょっと笑った。 その人の記録ではモンゴルの弓は和弓に比べ射程では若干劣ってたな
うる覚えだが蒙古弓が109mで和弓が120m
中国の弓は90mだった、ロングボウは忘れた
トルコ弓の飛距離400mもその中の記録に書かれてたやつだ 出典無き記録は妄想幻聴扱いになるので
wiki wでもいいから挙げましょうねw
終わり だんだん w 具体例示せてやったじゃん
和弓最弱伝説信じてるお前よりはマシだし >>589
南宋の船は調達を急がせたあまり航洋船として建造したものではなく
有り物の長江の大型川船に外航用の艤装をする改造ででっち上げたのが
多かったという話を聞くな
錨とか帆だけが外航用で、船体は長江の川船に過ぎないから
喫水が浅く嵐で簡単に転覆するとか。 妄想幻聴w自慢w
最新学説は武器でさっぱりなので
夜間のゲリラ戦や屎尿で反撃
神風は避難中襲来で全滅
弓の話wとか皆無w 弓やクロスボウを研究し1910年代まで生きたイギリス人で卿(sir)の称号を持つ。
ここまでヒントが出てるのにまだ誰だかわからないってよっぽどこの分野に関心ないんだな。
情報源は日本語版wikipediaだけなのかな。 >>608
戦国時代の足軽の弓でも50キロあるで。
鎌倉時代の武士はもっと重かったらしい。 みんなあんまり読んでないようだから、もう一回貼っとく。
https://www.rekishiwales.com/entry/longbow
ロングボウ クロスボウ
張力 約422N 約2000N
弾くストローク 約64cm 約11cm
矢の重さ 45グラム 60グラム
矢のスピード 44.5m/s 42.4m/s
矢のエネルギー 45ジュール 54ジュール 肝心の和弓の射程が載ってないな
英語当たってもない うんこやおしっこの臭いが付いて臭いので退散てwwww 屎尿をどうやって投げたの?
何らかの方法で弓矢より遠くに飛ばせたなら別に屎尿じゃなくてもいいじゃん >>630
探しても見つからん
ソース持ってるならよろしく 苦しいも何も絵巻の分析で分かった事だし
これまで意味不な展開が解読された!(。+・`ω・´)キリッw
長崎から山口まで攻められたのに
よく頑張りました日本!!w ほんと神風やあw
あの日蓮像を拝んどこ
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 >>639
日本語だけで検索してるからわからないんだろうなw >>641
見つけたGallwey卿だろ
俺が以前見た数値もこの人のソースだわ 出処の原典は多分The History of Archery Seriesだろう 鴨長明「方丈記」は北条記のシャレ。
一遍上人の「時宗」は、北条時宗を暗示している。
元寇でモンゴルが襲来したため、北条時宗が忍術をはじめとする秘術を開いて、秘密結社を組織したのではないか。
1251年:北条時宗誕生。
1274年:モンゴル軍来襲。一遍上人遊行開始。
まちがいなく、一遍上人の時宗は北条時宗の秘密結社。一遍は、この年に九州に布教にいっている。
一遍の時宗は、日本軍人だ。
1275年:鴨長明が賀茂家の継承者争いに負ける。
鴨長明が「方丈記(北条記)」をいつ書いたかは謎。
日本の貴族でもかなり深いゆかりのある賀茂氏が北条氏を支持していることを示しているのだろう。
そして刹那主義の「方丈記」は、日本の行く末を川の流れの泡に例えて書いているのだ、おそらく。
1281年:モンゴル軍再来襲。
1284年:北条時宗死す。 同じ自治体内に時宗のお寺が有るお
今度行こうっと
近所の自治体には日蓮宗のお寺が有る
そこは行った
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
時宗いうたら箱根駅伝に
八王子のケミカル和尚w
真宗や浄土宗から分派とも >>598
なんでストロークが11センチしかない、クロスボウだけが強力って話になるの?
弓の中でもクロスボウだけが殺傷力があって危険な兵器とか言ってる人が必ず現れるんだよね。
てこを使って常人では引けない、重い重い重〜〜〜〜〜〜い!!弓を引いても、
ストロークが短ければエネルギーは増えない。
もう一度言うで?
てこを使って常人では引けない、重い重い重〜〜〜〜〜〜い!!弓を引いても、
ストロークが短ければエネルギーは増えない。 てこを使ってもエネルギー量は増えない。
学校で物理の時間にやっただろ? そういう嘲りは要らない。
批判するにしても普通に書こう。荒れる原因になるから。 最近水中調査があついとか聞くけど、元寇で何か発見あったりしないかな
まだ海の中に沈んでるんだよね? >>649
唐津の鷹島で舟が見付かってるだろ??w
実は兵站の失敗だと思うのw
日本もそうだがw >>651
陸ならともかく、あんな大海を隔ててるのに
戦争が長期になったら補給どうする予定だったんだろう
まあどうしても落とさないといけない国じゃないし
補給できなくなったら帰るつもりだったのかもしれないけど 補給は現地調達が基本、軍隊が自弁で賄うのなんてWW2の米軍から現代軍くらいだろう
だから緒戦で快進撃して、出来るだけ敵地を確保しないと後が続かない
海上だと飲料水が圧倒的に足らなくなるので、2ヶ月も海を漂ってたのはキツかったろう。 船を使う段階で兵力は船腹で制限される。
朝鮮半島から出せる兵力はそう変わらないだろうから、弘安の役以上の兵力を中国大陸から出す必要がある。
ほとんど無理ゲーと言っていいんじゃないの? だなw幾ら近いとはいえ大半は
所詮小舟サイズw
逆に秀吉は効率が良かったのね
もう一息だった!!w
ダナン会談が楽しみだ! >>657
クビライ何考えて攻めてきたんだろう
日本を見た使者が一応忠告してるのに 朝鮮出兵は渡航計画を策定した石田三成が非常に優秀だった 三成以前に、朝鮮がアレで容易に橋頭堡を確保できた事の方が大きいだろ 槍は馬に乗って速度をつけようが体重を乗せようが、それを支える瞬間的な腕の力でしかないのに対し、
弓は積分値でエネルギーを蓄積して放出できる。
つまり弓は槍や刀剣とは比較にならないほど殺傷力のある武器で、最強の矛である。
日本の武士、特に鎌倉時代以前の武士が弓をメインウェポンにしたのは、
リーチの点で有利だったからではなく、より大威力の武器を求めた結果だろう。 また和弓に対応して作られた大鎧はべらぼうに重くなり、
頭と胴体を重点的に守るわりきった設計となった。
(この辺は、プレートアーマーが鉄砲の発達に対抗する為、
厚みを増す一方で手足の防御を諦め徐々に面積を減らしていった経緯に似ている)
また和弓の進歩により盾は無力化され使われなくなり、より厚みを増した置盾のみが残る。 >>664
ちょっと変。
貫通力において、弓が槍を上回ることはないかと。
槍の貫通力はその積分の時間が無限大にできるので。 >>664
積分って何だよ、矢が放たれた瞬間以上のエネルギーは持ちようがないぞ クロスボウとか弓を満足に扱えないポンコツ農耕民族の道具だろ?
鉄砲の時代になるまで狩猟民族の優位は揺るがないね。 クロスボウがそんなに優れてるなら
クレシーも志賀島も弓装備の島国はチンチンに負けてただろう
朝鮮出兵における鉄砲を前にした朝鮮軍のように手も足も出ない事態に陥ってたね >>671
当然だ。
鉄砲以前は弓と馬が最強の兵器だから。
モンゴルは弓と馬で世界を制した。 ハンガリーまでだったかなあ
蒙古斑(赤ちゃんのお尻が青い時期が有る)出るの
チェコスロバキアはチェコがゲルマン?系??で
スロバキアはスラブ系だったかな?
謎が多い白いユダヤ教徒!w
(ユダヤ教徒はアラブ人だしw キリストもw)
そもそも聖書が原典の3大宗教w
(当然人間が考えたw) ハンガリー人の元であるマジャール族がモンゴロイドだからだよね。
混血してコーカソイド化したけど。 >>419
大鎧の実物見てきたんだが、
小札をよく見ると2枚の板を貼り合わせて(紐で繋いでると言ったほうがいいかも)1枚の小札になってる。
2枚の内、外側は厚さ1〜1.5ミリほど、内側は3ミリほどの厚み。
漆が塗ってあるからよく分からないけど、外側が鉄で内側が革で作られているのだろうか。
そうだとすれば小札は半分ずつ露出するように綴られているから、
鉄板の厚みが2〜3ミリ、革の厚みが6ミリという事になる。
草摺と大袖の部分は革主体と考える、
その上で鉄の比重が7.85(1 立方センチメートルあたり約 7.85g)、
革の比重が0.7と、、、考えれば合計30キロ弱になる。
どうよ? >>小札をよく見ると2枚の板を貼り合わせて1枚の小札になってる
これ分かるかなー?
ネットの画像とか見ても出てこないし。実物見ないと分からないんだよな。
実物の写真を撮れれば良かったんだけど・・・
1枚となった小札がそれぞれ綴られてる感じなんだよ。 >>677
身体にフィットするように作られている当世具足と比べると全体的に箱型の大鎧は
まだまだ古代からの流れを感じさせるね つまりモンゴル人や朝鮮人の弓は日本の武士様の鎧にはさしたる効果がなかったって事だな。 それは日本の弓も大差ないんじゃないか
騎射でも顔とか防備の薄いところを狙うのが基本だし 昔読んだ本に日本の弓は蒙古の鎧を貫通するが、蒙古の弓は日本の鎧を貫通しなかったと書いてあった。
あれ何だったかな。 と言って、毒矢被害が史書に記述されてる以上、撃たれて平気なワケじゃないのは明確だけどね >>682
その根拠となる史料でもわかればいいんだけど >>683
そりゃ顔とか首とか手足とか防備の薄いところを狙われればね。 狙うことは狙うんだろうが、狙って当たるとは限らないんで貫通力も大事かと。
なんで読んだか忘れたが、
戦闘用の和弓の矢は弓道の矢をイメージしたら間違える。
鑿(のみ)が飛んでくると思ったほうがいい。
っていうのがあった。 昔読んだ本だけどあれなんだったかなとかなんで読んだか忘れたがとか
うろ覚えが多いな… 和弓でフライパンを貫通する実験では、固定されたフライパンは容易く貫通できるが、
紐で宙に吊るしたフライパンは貫通させるのが難しいという実験結果がでている。
という事は同じ厚みなら板金鎧よりラメラーアーマーの方がタフなんだろうか。
当世具足の板札も小札に近い効果があるだろうね。
南蛮胴、これは駄目だな。 これが元側から長しといえども遠く能ずと言われた武士の矢か
確かに射程は短そう 紐で宙に吊るしたフライパンは貫通させるのが難しいという事は、
矢が着弾する瞬間にフライパンが後退し、単位時間あたりのエネルギー量が下がったという事なんだろうか。
だとすれば弓が槍より貫通力に勝るのは単位時間あたりのエネルギー量の違いからくるのだろう。 むしろ極力鏃の重量を抑えてアーマーピアッシングを高めた形状じゃないか
俺らが考える通常の征矢とは形状が異なる、ボヴォドキンアローそっくり。
>>693 長根のような巨大な鏃を使ってたなかったとしたら
短距離しか飛ばなかったって事はない >>697
元側の認識だからね
元の弓に比べてってことかもしれない >>676の見立てが正しければ、
外側の鉄板で鏃の先端を破砕し、内側の革板で勢いを殺すという事だろうか。
ちなみに鉄板だけを見ても、合わせ鍛造で外側は硬く内側は粘り強い、日本刀と同じ構造になっている。 こんな調子で武士たちは次第に押されはじめ、モンゴル軍が赤坂の松原に陣を張ったころには、
誰も敵に向かう者がいないありさまとなっていた。
そんななかで目立ったのは、肥後の菊地武房130騎、詫磨別当太郎100騎である。
かれらは激烈な戦闘をまじえ、家子カ党のほとんどをうしない、しかもなお敵の「首ども数多」を取った。
また、「屈強の馬乗り、弓の上手」小弐景資が、追撃してくる敵の軍将を疾駆する馬上から、
振り返りざまに射殺したのも人の目を引いた。
景資がみせた射方はパルティアンショットとよばれ、世界の他地域でもおこなわれ、
特に古代メソポタニアでさかんであった。
(近藤好和、1997)
日本の武士がパルティアンショットで敵将を射落としたとの記述が興味深いね。 >>698
歴史群像では推測としながらも逆の見解を述べてるよ >>679
これどうなんだろ。
箱形で鞍輪に重量を載せる大鎧は日本の甲冑の中では異端だと思う。世界中見ても異端だし。
この頃の鎧が一番装甲が分厚い。
日本刀は鎌倉時代に名刀が多いように、鎧もまた鎌倉時代が最も優れていたのではないかと思う。
当世具足も機能的でカッコいいと思うけどね。
何より実物が大量に残っているから、ガラス越しではなく直に見ることができるのがいい。 ラメラーアーマーの一種には違いない。芸術性の高さまで求めた辺り、イスラム圏の鎧に近似している。 イスラム騎兵のカイトシールドとか、西洋に影響受けてるとこはあるけどね。 とっても間違ったこと書くな
秘密に時々アクセスするのですか?
私は時々考えます侵略することを >>701
都合の悪い史料は無視する推測がアテになるのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています