【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
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■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ もう誰か話題に出してるとは思うが『知られざる本土決戦南樺太終戦史』って本に
待ち伏せと地の利さえあれば四一式山砲でもT-34を撃破できるもんなんだと驚いた
九六式十五榴とかならなんとなく納得はできたけれども 最前線に人力で持ち込める75mm直射砲の有用性ってのは相当なもんがあるよな >>9
山砲の徹甲弾でも近距離なら50mm位の貫通力がありますが、
T34の側面は45mm位ある筈なので同書は未読ですが条件に恵まれたのでしょうね。
或いはタ弾を持っていたのか。
樺太のソ連戦車部隊は恐らく第214戦車旅団がT26、
第178、第678独立戦車大隊がT34装備と思われます。(「関東軍壊滅す」マリノフスキー他)
合わせて95輌程度があったようです。
11日に北斗山の山砲が数輌を撃破したとされるのは恐らく第一梯団の戦車旅団のもの。
しかし装備戦車に多少疑問があるのは、13日に速射砲の命中弾は音を立てるだけで貫通せず、
とある点です。T26にそんな芸当が可能か?
15日には連隊砲1門で戦車7輌を擱座、16日にも1〜2輌を撃破又は擱座。
T34装備の独立戦車大隊は15日日没の時点では軍団予備として戦果拡張用に半田付近に集結したとされていますから、
本格的に戦闘参加したのはこれ以降と思われます。
(「一九四五年夏 最後の日ソ戦」他) >>12
タ弾だろ
そもそも鉄甲弾系の場合、弾道が綺麗に直進しない山砲だと基準値よりも威力削れる
まずタ弾だろうよ 日本軍の対戦車山砲、戦車砲のたぐいは信頼性、命中性、射程性に難があった
このためほとんどゼロ距離でなければ戦車を撃退できなかったが完全にm4、T34を撃ち抜ける能力はあった
逆にm4最大250-290メートル、t34最大200メートルで応戦する能力がある前提で射程が倍あってもほとんど意味がない
ほとんどの対戦車砲はさらに近いゼロ距離応戦が前提で500-800メートルくらいになると命中率が悪化して好ましくないんだよ
戦車において57-47mm砲は致命的にだめだが、短射程前提の歩兵対戦車隊なら問題ない。
これ現在無反動砲が500メートルのしゃていがあっても、平野なら100-200メートルのゼロ距離で応戦するのと同じ 四一式山砲用タ弾は梱包木箱に刻印あるやつがかなりの量米軍に鹵獲されてる
月刊沖縄社「サイパンの戦い」に写真あり
当時、最前線になるとは思ってなく、サイパンは南方各地に送る軍需品糧秣兵員のハブ港
だったから、ニューギニアかソロモンあたりの最前線に届けるつもりだったんだろうが >>10
徹甲弾で抜くのは無理。実戦で弾かれた記録がある。すくなくとも口径75mm初速で600m/S以上はないと
M4の主砲かPAK97/87で射程500mで命中角度よくてギリくらい。
マチルダ貫通は鹵獲砲のタ弾試験のデーターだ。 初速680m/sの九〇式野砲や改修戦車砲ですらM4の全面装甲貫徹を見込めるのは100mとかあるからな
冶金技術の遅れから、日本の徹甲弾だとこう。
ドイツ軍標準装備PAK40,KWK40だと、T34,M4の前面を1000m射程で抜ける。
T34/76とM4 75mmの主砲で四号の前面抜けるのは500mくらい。これは砲弾よりも初速の差。 ドイツ軍兵器局第一課はM4の75o戦車砲で4号戦車の正面に対する有効距離は100m以内と見積もっていたらしい
(飛翔する砲弾に対し30度傾斜してる場合)
ただし、この見積上の4号の正面装甲は砲塔車体ともに80mmということになってる
実際の砲塔正面は防楯ともに50mm程度しかなく1500mの距離でも貫通したと
逆に4号の7.5cmKWK40による射撃は上記と同じ条件を適用した場合の有効距離は
操縦席前面(車体正面上部)に対しては0m、防楯は100m、砲塔は1000m、車体正面下部は1300mということになっている 日本陸軍火砲の対戦車火力の低さは
冶金ではなく徹甲弾にレアメタルが含まれてないことが元凶
要は材料の差であって冶金をあげても良くなるのは砲身生産のコストや命数の方で貫通力自体は改善しない 特甲等の他国と比べられなくもない弾はあったわけだから
材料の問題とは言えなくもないが
日本はタングステンが比較的入手しやすい条件下だったことを思えば
タングステン鋼を大量生産する能力≒冶金に劣るのもまた事実ではないかな 日本が徹甲弾向けにタングステン鋼を量産しなかったのは
もったいない精神で使い捨ての砲弾に貴重なレアメタルを使いたくなかったからだろ レアメタルにもよるけど、タングステンだと当時から産出の大半中国なんだけどな
勿体無いとかじゃなくて正直製造能力の問題でねえの >>24
>レアメタルにもよるけど、タングステンだと当時から産出の大半中国なんだけどな
38式歩兵銃の銃剣は、中国人の腎臓を突き刺して、中国人は血小便を流して死んでいった。 第二次大戦時にはまだ中国でタングステン鉱脈って開発自体そこまで進んでないだろ 当時だと南方からが主だったはず
タイ・ミャンマー・ベトナム・マレーシアなどが軒並み産地
国内(朝鮮含む)でも取れてたけど南方占領してからはたしか国内は縮小して
他に資材振り向けたんじゃなかったかな・・ 日本はタングステンを砲弾に使わないんなら、当時何に使ってたんすか? >>22
当時の日本では大学の冶金学科卒業生の数が毎年6人(東北帝大)かな
冶金技術者が少なすぎ状態だったみだいですよ。 >>26
ハプロ条約での中国からドイツに物々交換で提供した物資の中心はタングステンなわけだが では当時の中国から産出されるタングステンの量で日本の国内需要を充分以上に満たせたのかはべつでしょ
銃砲身や工具鋼に使い潰されて徹甲弾には回ってこないってオチだろう
産出されるからといっても大量に本土に運べる訳でもなし
ただし、
これは陸軍の話であって日本海軍は装甲や艦載砲はもちろん、徹甲弾にもクロムやニッケル、タングステンを豊潤に使ってるのでもはやリソース配分の問題だと思う >>32
実用的なホローチャージ弾が戦前に入手出来てれば
下瀬火薬宜しくあっちこっちで活躍したんだろうか。
でも実践的になったのって1935-38年頃だから
かなり無理そうか?
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Shaped_charge#Munroe_effect 戦前日本軍の武装と対象を考えると
37mmじゃ成形炸薬弾にしてもあんまり意味がないし
75mm級山砲以上なら当面は普通に徹甲弾や破甲榴弾で大抵の戦車壊せるしで
57mm戦車砲や70mm大隊砲なら戦前にあったなら普及して有効活用されたんじゃないかな 過去ログにタ弾の生産数に関する話題あったんで探したらこれか
https://peace.5ch.net/test/read.cgi/army/1406686543/182
生産状況調査表綴(3) C14011034500
生産状況調査表綴(4) C14011034600
によれば下記の数値が正確のようです
三式地雷 1944年度:340,000発 1945年度:25,000発
三式手投爆雷(三式対戦車手榴弾) 1944年度:200,000発 1945年度:56,700発
四一式山砲 二式穿甲榴弾 1943年度:471,000発 1944年度:152,000発 1945年度:55,000発
九二式歩兵砲 三式穿甲榴弾 1943年度:50,000発 1944年度:130,000発 1945年度:35,000発
八八式七糎野戦高射砲 四式徹甲弾 1945年度:4000発
基筒七糎高射砲(四式七糎半高射砲) 四式徹甲弾 1945年度:7500発
一式機動四十七粍砲 四式徹甲弾 1945年度:38,000発
九○式野砲 四式徹甲弾 1945年度:3200発
(以下は個人的に気になったので追加)
九七式五糎七戦車砲 三式穿甲榴弾 1944年度:64,000発 1945年度:8000発
九四式山砲 二式穿甲榴弾 1944年度:37,000発 57mm砲用の三式穿孔榴弾がそこまで量産されてるのだから実戦に使用されてもおかしくない
がつかってみてどうとかは全く聞かないな 70ミリの大隊砲、戦車砲なら成形炸薬のご利益がある >>35
にもあるように昭和十九年度と二十年度の生産実績の差は八月に敗戦ってのもあるし、
サイパン陥落後の十九年後半から空襲による工場被災やら、シ−レーン破綻による占領地
からの資源輸送がはなはだ困難になって戦地の餓死はもちろん内地でも食糧事情が極端
にわるくなる。
明治維新から人口が激増した日本でも、実は国内でコメの需要量はかろうじて賄ってた。
輸出にまわしてたくらいでウクライナの飢餓輸出みたいなもんだね。
貧民は安い南京米や雑穀たべてたなんという歪な構造があったりする。
握り飯にすると粒がぽろぽろ…クソまずい外米食ってた兵隊も日本のコメ腹いっぱい食って死にたいとか言ってた。 脱線したので軌道修正すると、学研から「レアメタルの太平洋戦争」って本がある。
各国の冶金技術の差やら鉱物資源の世界的遍在が戦局にいかに反映したとか蘊蓄ふくんだ
書だ。 九一式十糎榴弾砲の総数は
1100門うち300門輸入)+αなのか
国産1100門+α+輸入300門なのか いちばん下段でなかったっけ?
いま手元に佐山本ないけど、三八式、改造三八式野砲の完成品輸入門数、半製品輸入、国内製造門数やら
改造三八式野砲のオリジナルからの改修製造ぶんと新造ぶん数量記述がかなりわかりにくかった
記憶がある
どう解釈もとれるような 航空優先であの体たらくだもんな、陸軍はどっかの時点で砲迫重視に切り替えるべきだった。 九一式十榴のwikiはな…
水平鎖栓式の閉鎖機とか、サンプルで輸入したシュナイダー試作砲はたしかにそうなんだが、
九一式では隔螺式だ
奉天で鹵獲、準制式十四年式十榴弾砲wikiも過去スレであったとおりSkoda100mm VZ14/19
の模造品と思われ、原型砲の特定が誤りのはず 四年式十五榴が最近の佐山本で製造414門だっけか?
90年代の丸別冊の巻頭の佐山さん監修火砲グラビアでは280門となってた
過去スレで奉天兵工廠接収して、四年式の修理で内地から半製品送ってもらい
加工修理したとかアジ歴で記録あるし、自緊砲身は無理だが従来工法の砲身製造能力
はあったから、一貫生産は無理だが新造砲をつくったかもしれんから、さらに門数ふえる
可能性はある
そもそも四年式は軍縮時に大陸の軍閥に何門か売却した模様
余剰兵器輸出目的だった泰平商会のカタログにもあるし、支那事変時で敵の砲と日本兵が取り巻いた鹵獲キャプション
の写真がある「日本の戦史」(毎日新聞社) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています