【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ それ、ふたつとも国産鋼使ってるんだけど、あとの時代のほうが材質改良されてるってだけ
なんでは?
いやね、航空機銃ドイツからライセンス生産しようとするんだけど、元設計の複座バネ
寸法だとまともに作動しない
仕方なくバネの寸法大きくしてドイツ製と同等の複座力獲得した、とか日本の冶金技術
の遅れ記述がいまでも散見されるもので
工作機械の国産ドリルやらバイスの切れ味は劣るやら、すぐ折れるやら
アメリカ製ドイツ製の刃物を爪に火を点すように大事に使ったとか
学研の「レアメタルの太平洋戦争」とか >>119
三八式歩兵銃の品質は奇跡でもなんでもなくて、中国地方で算出するのを使ったタングステン鋼を使っていた(と見た記憶がある)、というオチかもしれんな
冶金技術が劣っているから国産鋼の素材がアレだとして、九五式は他国の同級の火砲と比べてどうなん? >>118
これ、当時文章書いたやつ脳みそ溶けてるの?な感じだよね
戦局悪化でやけになってヒロポンでもキメてハイになってたのか?
実情から乖離しすぎ、これが実現できてれば実戦の苦労は史実の半分もない
まぁ頭の中で空想するのは自由だけど、この種の妄言に振り回される現場はたまらんよな >>120
戦間期の年産数千丁の時代、最高級のボーレル鋼輸入して銃工が余裕もって丁寧に仕上げた
三八式は最高の精度でしっとりした操作感触だったとか学研のレアメタル本にあったよ >>114
日本軍の場合は軍団を持たないから
軍団砲の仕事を師団砲と軍直轄でやるのもネックだよね
軍砲兵だとやっぱ大物になるし、師団砲だと前線の運動性もほしいし >>124
いやむしろ、代わりに日本の軍が諸外国の軍団に毛が生えた程度のが多くて、諸外国の軍に相当するの規模のケースが少ない気がする
ML-20は軍団砲兵も軍砲兵も行えるけど、諸外国の軍団直轄運用と日本の軍直轄運用とで、やはりどちらも大物寄りになるんではないの?
師団砲兵としては大物過ぎるのは同意 軽くて射程が長けりゃ良いんだがな…
いっそ単脚式もやむなしか? いや冗談、何でも無い笑
ソ連軍のD-1みたいなのが軽くて日本軍に合っていたと思うけど、射撃精度がよう分からなんなぁ〜… いや、単脚砲架もありかも。ドイツ21cm臼砲も17cm加農もそれで射界変換はターンテーブル
で廻す方式。ソ連30cmとか日本の九六式24cm榴弾砲もか
15cm以上の重砲は反動を二段階で吸収する機構設けなければ制御できんので、それを
組み込むには構造的に開脚式より適しているんだろうな。
極端な大口径砲で開脚式砲架は逆にめずらしいだろ?
あとボ式山砲とか、日本は九四式採用してしばらく経つのにボ式様の単脚砲架山砲
試製しているし。単脚なりのメリットもあるはず。おれは残念ながら理由はわからない。 単脚砲架ボックス兼トラス構造だったりするから方向射界振らずに砲架と砲身がほぼ正面に位置
して発砲するぶんには開脚式より射撃プラットフォームとして安定するような気はする。
射界の自由度もとめて開脚式採用されたわけで。一次大戦くらいからで採用遅すぎの感がある。
射撃時の安定性確保するのが難しかったのか?それで実用化が遅れたのか? 152mm ML-20が牽引常態で8t弱で重いな…思ってたらFLAK8.8cmもほとんどかわらんのな
15cm sFH18よりも重い
現代ならまだしもよく70年以上前そんな重量級を対戦車砲がわりに使ってたな〜感心するよ
8tハーフトラックでは荷が重いだろうよ12tのやつが牽引車に適してるんでは? >>113
>>114
そりゃあチハ造れるんだから、6t火砲を高速牽引するぐらいの牽引車技術開発能力はある
要は量産して数を揃える。それを扱い維持する兵員素養、カネ、生産設備がてんで揃っていない
のが問題であってね
リソース限られるうえ、それこそ当時の陸軍高官は縁の下の力持ち牽引車より目立つ戦車を生産したがるやつが多いんだろ? skoda 15cm K1
と検索したらおもしろいもんが複数でてくる 高性能牽引車作る技術あるなら自走砲作れるよなとなって時間切れw 別に、やろうと思えば出来ない事はないって話でしょ
実際に管轄は砲兵なんだから、砲兵がラ式クラスを高速牽引できるクルマにしろって言えば8トン級の新型牽引車とかになって九八式6トンよりでかくなるし
低速でも良いんだったらそのまま九八式6トンのまま使うか九二式8トンになる 大岡昇平のレイテ戦記では旧式化した九五式軽戦車を弾薬やらの物資輸送用でおもに夜間使用
してたとかあるね。明るくなるとまず米軍に破壊されるとか。
リヤカーみたいなの曳いてたのか?とか興味がある。鹵獲したM3ハーフトラックで九一式十榴ともども
撃破された写真まえにここでみたけど
ハ号で砲は牽引しなかったのか? >>83
第五師団への15榴の装備は知りませんでした。ありがとうございます。私からもわかる範囲で。
関特演師団では、
第1、第8、第10、第12、第14、第24師団が四年式15榴12、九一式10榴24、九五式野砲12(改造三八式で代用の可能性あり)
第23師団が九六式15榴12、機動九〇式野砲36
ですね。
第9、第11、第25、第29師団は九四式山砲36
第28師団は九九式山地10榴12、九四式山砲24
第51、第57師団は九一式10榴12、改造三八式野砲24
であることが判明しています。
その他の師団で15榴装備は
近衛第一師団が四年式15榴24
第107師団が四年式15榴9、九〇式野砲9、九四式山砲4
第119師団が九六式15榴12、機動九〇式野砲36 ※第23師団改編で異動
支那事変時の第27師団が九六式15榴12、九四式山砲24
レイテ時の第1師団と恐らくルソン時の第8師団が四年式15榴9、九一式10榴18、改造三八式野砲9 失礼>>137に少し訂正
レイテ時の第1師団と恐らくルソン時の第10師団が四年式15榴9、九一式10榴18、改造三八式野砲9
ルソン時の第8師団は関特演時と同じ。 >>136
単純に技術開発能力のほか、生産製造技術、多生産均質能力、とか部品精度精緻化、材質の良化
安定性品質管理とか
アメリカとドイツで実現できる十五榴40km/hできず、なんで日本陸軍は牽引速度半分
なんだ、て当時の技術畑の陸軍将校は憤ったはず
それは仕方ない 日本はそれぞれのハードル達成できる工業水準ではなかった
…おれ、高校生のときアメリカで戦前クラシックカーツーリング番組観たんだけど、経年劣化
はもちろんあるだろうけど、ダットサンがサスのバネ折れるとか、トラブル続きで
アメ車やブガッティやらシトロエン、ベンツはそれほどの支障はなかった覚えがある
メルセデスなんて戦前のレースカーで300km/h達成してたりする…
アノマリカリスに一方的に食われる情けない生物みるみたいで心が沈む 一次大戦で重砲バンバンぶっ放してた独仏英なんかは耐久性やら射程の伸長など砲の改良
ノウハウが蓄積されたはずだけど
実際の新式砲に反映されたかはまた別の話
戦間期のフランスは左翼政党の台頭で航空機、戦車、火砲の分野で混乱続いて30年代
のドイツ再軍備で完全に技術的に追い越された
個々の兵器性能とはべつにしてね
火砲はともかく航空機と装甲車両の30年代フランスの迷走ぶりはすごいぞ! とにかくフランスではメーカーが乱立して、おかしな製品を輩出
互いのメーカーどうしで体力奪った感じがする
ここのスレのやつも仏軍新型155加農とかなかなかだが製造状況とかちっとも振るってないぞ たまに航空技術者だった佐亦貫男さんの古本買うんだけど、30年代フランス機評価は
クソミソwww
西方戦役で圧勝したドイツ軍、巨大財閥クルップ顧問なんとか博士も「ドイツの科学は世界イチィ〜〜!!
」で調子こいて奢ってるんだろうが、鹵獲した英仏の砲は技術的になんらみるべきものはないとかのたまってる
彼が評価してるのはZIS-3だ
軽量で長射程で扱いやすい、かつ低コストの近代的量産野砲として優れてるって意味らしい 日本の戦前は運転免許が特殊技能で社会評価はともあれタクシー運転手なんて稼げた職業なわけだろう?
戦記で70人の兵隊がいたが運転免許もってるのが一人もいなかったとか読んだよ
一般よりモータリゼーション接する兵隊がそれでは5t以上の重量物を40km/hで曳くなんざ
想像するのもむずかしいと思われ
そのあとの思索まで達する人間はもっと稀 90式野砲で機動台車作ったり、試製97式47mmが高速牽引を求められて頓挫したように
他国より少し遅れてトレンドを後追いしてたからな
仮に戦争があと10年後だったら、それなりに機械化高速化した砲兵もそれなりの数が揃ったんじゃないかな
まあ日華事変やってなかったら開発費も装備更新費も出ただろうが 列強水準にかろうじて列強に追いつくほど日本国民所得が増えてればねぇ…
物価やら勘案して戦前の最高期水準までに回復したのがたしか1958年だったかな?
それで戦後しばらくたった当時でもカメラや自家用車どころかモーターサイクルも贅沢品だった
中流でようやく食うに困らなかった状態だね >>137
第一師団はやはり十五榴配備でしたか
ありがとうございます
関特演のうち7個師団は火力が充実していたのですね
そういえば第23師団の装備していた九六式は第27師団の山砲兵第27連隊第2大隊からのもので、その第27師団の山砲兵第27連隊はもとは支那駐屯砲兵連隊であり、九六式十五糎榴弾砲を始めて装備して実戦投入した部隊なんですよね
二個大隊編成の砲兵連隊で九四式山砲と九六式十五糎榴弾砲という異色の連隊でした
回り回ってノモンハン再建後の第23師団に行き着いて、結局ルソン島の戦いで戦没(あるいは参加出来ず)
ともあれ実戦部隊最古の九六式がたどったクロニクルは面白いです 1940年体制っていうのかな、お上主導の国家総動員メソッドが傾斜生産やら統制が戦中には実らず、戦後20年
くらいから成果あげてバブル崩壊まで日本経済の世界席捲謳歌の時代となるわけ
そのあと世界情勢に対応できなくて失われた20年に相成る ところでサラクサク峠の戦いにおけるホニの戦記ではしばしば
「3月31日の制圧射撃では15cm榴弾砲3門、機動九〇式野砲2門、ホニI4門が参加、一千発の砲弾を撃ち込んだ。この砲撃と歩兵の夜襲によって、米軍第32師団はサラクサク峠前面の天王山から退却を余儀なくされた。」
とされますが、ここでちょこっと出てくる15cm榴弾砲は目とすぐ近くのバレテ峠に陣取る関東軍から転出した第10師団のものだったのではないか?とも思います
第8師団の四年式十五糎榴弾砲一個中隊がイポ陣地にある掘り下げた砲兵掩体壕の中から射撃し大きな戦果を収めた事はルソン戦記にありますが、第10師団の砲兵の方も健闘していたのかもしれません
あるいはサラクサク峠なら戦車第二師団の機動砲兵第二連隊のものか?とも思いますが、戦車第二師団の方は未確認です 農発は戦前でも普及していたから、農村出身者でも内燃機関は見たり扱ったりはしていた。 >>148
アーマ―モデリングの記事でその内容はあったね
一式砲活躍エピソードを滝沢聖峰劇画、ファインモールド鈴木社長が文章と
何にしろ一晩で各種砲1000発越え射撃は大盤振る舞いといっていい
奮戦した一式砲は洞窟陣地に潜んでいるところを、米軍が目の敵にして砲撃
陣地が崩落
それを掘り出したのがアバディーン個体とか 註 もちろん日本軍としては、だな
夜間で千発射撃は決戦意図であらう
尋常ならぬ気合が入っていた >>140
同時期の3.7cm砲装備のV号E型とソミュアS35、重量と性能はほぼ同等
どちらがずっとまともな戦車かつうとなー
発展性とか足回りとか すくなくとも戦車兵で乗ったとして、技量おなじと仮定するとはるかに生存率高いのはV号だろう
装甲はソミュアより薄いが 大日本絵画のフランス戦車邦訳本があって、見てるぶんには野次馬根性で楽しい
深海生物やバーチェス頁岩のカンブリア紀生物みてるみたいで心が躍る
ガキの時分、昆虫博士に戻ったみたい
ただオトナの感覚で我に帰れば、「よく、こんなキテレツ車両つくったな…」な感じ
フランス人技師はマルヌ戦のドイツ兵みたく酒名産地シャンパニューで飲んだくれてたのか? フランスの潜水艦でドーム型砲塔載せた笑うしかないやつとかあったはず >>150
サラクサク峠に碑文があるけど、日本軍4600人の死者に対して米軍3200人死んだらしい
サラクサク峠は戦車第二師団の武装を下ろした徒歩編成部隊の戦闘だから一個師団弱の兵員が半数以上の死者を出したと仮定しては妥当
敵制空権下でここまで拮抗したのは善戦といえる
もちろんこの千発の制圧射撃がかなり効いたのかと
日本軍は一発が貴重だからよく狙ってうつが、その慎重さで千発だからな
ただの弾幕じゃない 物量差戦況勘案したキルレシオだと日本軍大善戦ですね
のちの硫黄島戦みたい
大概はワンサイドゲームになるものだけど >>148
バレテ峠を越えてサンタフェに向かう道の途中に九六式十五糎榴弾砲が置いてある(ゴムタイヤは戦後装着されたものらしい
URLはNGワードにひっかかって貼れなかったが
脱藩浪士の日々というほどブログのルソン島の旅(5)にある
なのでその十五榴とは戦車第二師団の九六式の可能性
バレテ峠を迂回して横から攻める米軍を止める為のサラクサク峠で、両峠の距離はそんなに離れていないしな いや砲身長と駐退機の長さのバランスからいって機動九一式十榴だった
第十師団は既に出港時点で編成が縮小され、更に一個連隊+捜索連隊+αなどを派遣していて、戦力がダウンしていたし、戦車第二師団の方に至っては既に半壊滅した後編成し直した師団だから、どちらとも不完全な一個師団程度の戦力で粘っているんだよね
リモン峠の第一師団といい、地形は大事って分かる 第十師団は歩兵第三十九連隊と野砲兵第10連隊第二大隊、捜索連隊を別に派遣していて、歩兵第十連隊は船が沈められて1200名戦死、装備や物資も全喪失
この時点でバレテ峠転進時点での実戦力は半分から3分の1(実際にはほかの部隊も加えてもっとあっただろうが)
鉄兵団は関東軍きっての精鋭だが戦況がこのザマでは玉砕やむなしだった
むしろバレテ峠も善戦した方か
バレテ峠にも少なからぬ十五糎榴弾砲が参加していただろう フィリピンは戦場として広すぎた。日本軍の貧弱な火力が広く薄く配備されて更に効果が小さく
なってしまった。 島嶼だから仕方がない
一つでも占拠を許せば、そこを梃子に拠点みんな無力化されるから、一つでも捨てるわけにいかんし
あんな守りにくいところいっそまるごと放棄しちゃいたいぐらいだが、資源地帯への経路でもあるんでそれもできない自縄自縛 ・パラオ諸島ではパラオ本島を飛び石してペリリュー島のみを攻撃、残りは制空権で遊兵化
・小笠原諸島も父島をスルーして硫黄島を攻撃、残りは(ry
・沖縄に至っては宮古島の精鋭関東軍第28師団が遊兵化、台湾にも精鋭第12や第9師団も遊兵化、最後にして史上最悪の大振りで空振りに終わる
こちらは全島をくまなく防御せねばならないのに対して、米軍は好きに選べる
大本営、無能海軍および陸軍航空隊の失態 >>148>>158
3/31の1000発の件、15榴は第十師団の野砲兵第十聯隊第四大隊が戦車第二師団に配属されていたものです。
ということは四年式15榴ということになりますね。
この第四大隊長石井少佐が戦車第二師団の砲兵一個大隊(自走砲、機動九〇式野砲)を統一指揮していました。
この砲撃は天王山奪回攻撃の準備射撃でしたが、米戦史(戦史叢書に抜粋)によれば
「三十一日夜、大量の砲撃に続き約一五〇名の日本兵が突撃してきて天王山の我が一個中隊を撃退した。
我が一個大隊が全力を挙げて四月一日朝逆襲し、同日天王山の北斜面と北東斜面の日本将兵を撃退した。」
とあります。 山本七平のフィリピン体験記で、第十師団が四年式十五榴を人力搬送させられているのに遭遇した話が出てたね >>166
コト······、コト······、コト······ >>164
海軍が陸軍に正確に伝えないのが悪い
栗林中将はマリアナの敗戦を知らず、硫黄島もあそこにひきつけて
海軍が反撃するというのが本人の最初の想定。決して死ぬ気じゃなかったんだよ
でも部下の参謀が個人的にマリアナの敗戦を知ってたから途中で変えたけどな
陸軍航空隊も、新藤常右衛門第16飛行団長は、ミッドウェー海戦の敗戦知ったの戦後だってさ
フィリピンの戦いも、自分たちが時間を稼げば海軍が大艦隊を率いて助けに来てくれる
実際、レイテ沖海戦の艦隊を目撃してるけど当時はあれが海軍の最後なんて考えもしてなかった
これで勝てるんだと思ってたそうだ。海軍がうそばかりついてればそりゃ陸軍もどうしようもねえよ >>168
フィールドオフィサーレベルで戦況知ってるザル情報管理体制ってのも問題だぞ
まあ海軍の秘密体質と隠蔽体質は弁護の余地ないけどな
基本脇が甘いくせに失態隠すことだけには異様に結束して口が堅いあの役人体質は始末が悪いわ 海軍の隠蔽は擁護の余地などないが
大本営には上がっているんだから陸軍が知らないなんてことはない・・はずなんだよ本来は
一定以上の地位や役職ならみんな知っていなきゃならんはずのものが
一部だけの独占となってしまっているのは海軍・陸軍共通の病気だよ >>166
馬なしで人力搬送してるエピね。ボルガの船曳き画まんまだったとか。
新米少尉の山本にあきらかに先任の中尉だかが「水牛が使えると聞きましたが…」
序列、部隊が異なると階級下のに敬語つかうんだな、めんどくせぇなと読んだとき思った。
星の数よりメンコの数で階級上なのが古兵にまともに命令できなくて組織がまともに
機能しない事態がしょっちゅうあったらしい。
序列、部隊が違っても区処権って命令まではいかないが、指導する権限が先任には表向き
はあったんだけどね。 ボルガの船曳は悲惨な絵だね。哀しさがひしひし伝わってくる。餓死まではいかなそうのが
救いではあるけれど。
もっと酷いのは大岡昇平著「野火」登場の日本兵だろう。最近二度目映画化されたやつ観たら
トラウマ必至ホラームービーといって差し支えない。夏観ると涼しくなるな。食欲失せるけど。 だから悪玉はあくまで「海軍と大本営」な
堀栄三も瀬島とかいう辻・服部のお友達みたいな参謀が台湾沖の件を握り潰したって言ってた
現地の第一師団や第十師団とか戦車第二師団とかは善戦している
司令部の頭と、協力すべき海軍に恵まれなかった陸軍、それが日本陸軍 >>170
海軍には、ミッドウェーの実情を大本営にも隠し通した殊勲というか前科があるからねえw
おかげで、MI作戦の推進者だった山本五十六の国葬の日がミッドウェイ敗退の一周年となる皮肉なおまけ付きw
東條内閣瓦解してるんだから流石にマリアナは隠しきれなかったはずなんだが、情報共有がどこまで進んでいたかというと…
マリアナ後は井上次官が辣腕奮ったから、何かとおかしなことになってそう
>>171
フィリピン戦はもう末期的な状況やから
もう帝国陸軍の体質が、平時の二十倍以上に組織拡大すること許容しなかったってのはあるが
組織力学と運用が組織の地位じゃなくて相互間の力関係によるってのはまあどんな組織でもままあることではあるが、
日本だとそれが露骨すぎではあるよね >>174
普通の軍隊でも起こりうる事
少尉とかでも方面軍直轄の将校と、現場の中隊長とだと、実は上級部隊の方に権限があるのだ
別に日本に限った話ではないが、これが極まったのが、「辻・瀬島・服部」の増長
大本営参謀であるが一介の佐官風情が、現場の師団長にでかい態度を取る
ビルマの辻は最悪だった
他にも、サイパン島では小畑軍司令官の代理として軍参謀長の井桁大佐が、斎藤中将の第四十三師団や戦車第九連隊など各部隊を統率する立場だった 脱線させてしまったので火砲の話に戻すと、精鋭の関東軍第二十三師団はヒ81船団で6200〜6700人近い死者を出し、更にマニラでも撃沈されて武器や物資は全損失
己の徒手空拳のみで上陸したそうだ
彼らが本来の完全な戦闘力を発揮できていればどんなに心強かったか
日本軍で火砲48門編成で戦車隊もあるというのは虎の子の師団だという事
少数ながら、関特演時代からの古参兵やノモンハン帰りの人もいただろうに フィリピンまで無傷でこれてもな。レイテならオルモック輸送作戦でレイテ島には
兵員しかたどりつけないだろうし、そのままマニラ防衛でもそのころになると
グラスホッパーとかバイバーとか観測機が多数飛んでて、ちょっとでも怪しいとおもうとすぐ
爆撃か砲撃が降ってきて吹き飛ばすだけで戦闘にもなんにもならなかったと生存者が言ってる 1年は暴れられるといいながら半年ちょっちしか持たなかった海軍が悪いんや 第23師団+重見旅団がリンガエン方面(ルソン島西部の沿岸部)の水際作戦で無謀な夜間突撃を反復した
この稚拙な作戦がまずかったと思う
ジャングルばかりと思われがちだが、ルソン島には意外と平野部が多い
ここで機甲部隊による決戦を挑もうというのだから、これでは我が方に地形や守備側の利はなく、塹壕から飛び出て身を晒して突撃すれば空爆や砲撃にやられて壊滅するのは必然
たしかに空爆を受けているが、しかしそれは遥かに少ない戦力で戦果を挙げた硫黄島の戦いや沖縄戦も同じ 山本七平曰く、第103師団が夜襲をかけた際には、対空自走砲(ミートチョッパー?)に手も足も出なかったそうだ
一個中隊が一瞬にして壊滅する様な戦闘
どうも山下大将やその幕僚にも問題意識が足らなかったんだと思う
あとガバルアン丘の戦いでは、丘だ、と言われて行ってみると丘とは名ばかりのただの平地だった
それでは大変だという事で、それを大隊長が陣地をかえるように参謀に言ってみると「まかりならん!」、と一蹴
こうして勇戦の後、第23師団71連隊第2大隊はことごとく戦死した、らしい 失礼、ガバルアン丘の戦いは参謀本部の派遣参謀の介入だったらしい
文字通り丸見えの陣地で、大隊の生存者は一人もいなかった
一方で砲兵隊はハナから敵砲兵には勝てないと分かっているので、念入りに陣地構築をしているから善戦した 参謀本部の参謀ってろくに部隊経験ないし、陸大の入試で試験官が演習もろくに出ずに勉強ばかりしててそれでも陸軍軍人かという
のが定番だったように演習もろくにやったことないから参謀って地図が読めなかったようだ
悪名高き辻はあれで危険な最前線までやってくるからまだましなほうってのがね 極端な例だと武藤章みたいに最初の指揮官職が師団長だったとかいうのが居るのがなんとも・・・
歳食ってからAGS行く米軍や陸自と違って、20代のうちに陸大出たらもう一生勉強しないキャリアシステムに問題があったような気がしないでもない 開戦時の比島戦では、バターン半島とコレヒドール島に立てこもり、マニラ港の使用を妨害。44年の
比島戦ではレイテ島に上陸して、太平洋〜南シナ海へ抜ける航路の入口を確保。フィリピンは戦略
資源も無く、航路のチョークポイントと南シナ海の港湾としてのマニラしか価値がない、と見抜いた
米軍の選択と集中は的確だった。 馬はもともと寒冷地帯の生き物、それで炎暑地で酷使すると熱射病で死んでしまう
フィリピンもスペイン統治時代は避暑地バギオとか観光馬車やら荷役で使ってたみたいだが
熱暑で役にたたないから最初から本土から馬送らなかったんだろう
それは人道ならぬ馬道からは合理的な判断
無駄な殺生することもないからね
勤勉な馬がいないから、かわりに水牛使って曳いてみるが、怠け者ですぐ水に入りたがり、ちっとも
牽引速度がまかりならん。あてにならん水牛だから、砲兵みずから曳く羽目となる
牽引車充足してない軍隊てのは大変だね
もっとも四年式十五榴は牽引車で馬匹運行以上のスピードだすと振動で砲が壊れてしまう。 水牛だけじゃなく牛も休息に入ると梃子でも動かない動物
力があって馬よりも食餌に苦労しないので役畜として優れそうなもんだが
世界中でウマ使えるならウマが選ばれるぐらいに使いにくいのだよな 未開未踏のガ島で四年式装備の十五榴装備部隊は伐採して九六式十五榴、九二式十加の部隊
から牽引車借りたのだろうな
はるかに軽い新式一式速射砲を二門揚陸したが、搬送あきらめ砂浜に埋めたとか、蘭印からもちこんだボ式山砲
そこらに放棄放棄したそうだし
ラ式37mm速射砲は内陸までもちこんだようだ、M3軽戦車を擱座させたのは九四式37mmらしい
けど
道路が下手すると日本より発達してるフィリピン(舗装普及率はたぶん日本より上)とちがい未開地ガ島で重砲の人力搬送はまず考えられないと思う
ボフォース製40mm高射機関砲は海岸地帯でインド兵が日本軍に協力対空布陣したそうだが
なんとか運べる状況だったんだろうね >>186
牟田口っあんのジンギスカン作戦も牛がいうことちっとも利かなくて、なだめすかしても川渡れないとか作戦発起そうそう頓挫したそうだし
潰して焼肉で腹満たすほかは輸送使役としてたいして役に立ってないみたいだよね なんでロバとかラマを使おうと言う話にならないんだろ 日本軍に必要なのはゴムタイヤ・サスペンション備える高速牽引火砲でも大型の牽引車でもなく、あくまで熱帯の気候や風土病にやられない馬引の代用としての牽引車ではなかろうか
一両で馬8頭分の仕事を長く休まずしてくれればいいわけである
どこかの大隊で機械化牽引三八式十五榴という隊があったそうだが、トレーラー長の関係で8頭では曲がれないカーブも難なく曲がれたそうでかなりの好評
ウィキペディアに3.7インチ榴弾砲を牽引するカーデンロイド豆戦車の写真があるが、あんなんでいいんだよ >>189
体重比の駄載、牽引能力は馬や牛より秀でてる。が、小柄
ラバは馬と驢馬を掛け合わせた一代かぎりではあるが、機械でいう性能効率では一番
恰好の山砲兵装備として珍重されてるんだが、残念ながら日本は益畜ノウハウが民族的経験から
乏しい
遊牧民でなかったり禽獣肉食主流でなかった歴史上経験でどうしようもないことであるが
支那、朝鮮よりずっと劣る水準
軍馬の扱いやら品種改良ノウハウは列強最低だしね
だから、そんな民族伝承頼みのローテクでなく日本軍こそ牽引車の充実なんだってば! 日本軍砲兵ね
三八式野砲とか四年式とかのサスペンションもないスポーク輪の第一次大戦期の火砲をゴトゴトひく
これならコストのかかる馬より全く高望みでは無い上にパフォーマンス的にもいいんじゃなかったか >>192
いくらラバが小柄のわりに力持ちでも20頭で四年式十五榴、道路上でもまともに曳けない
と思うぞwww 機械化牽引にしないと効率わるくても力のある重輓馬つかうしかないんだよ
日本は物価安い国だったからわからんけど、1930年代のほかの列強だと飼葉代より
牽引車の油代のほうが安かった
車両のメンテナンス費用とかふくめると総コストが当時でも砲一門あたりの馬数頭よりずっと高いのかもしれんけど >>189
なんで実績のないものをジャストインタイムで調達できると思うんだろう…? HoI2でよく歩兵や山岳兵、海兵や空挺兵に砲兵、対戦車砲を付属させる事が多いが
砲兵の牽引にも石油を消費すると考えた方が当時としては正しいか
ゲーム内では石油消費ではなくて物資消費増加で処理している事が多いから何とも思わなかったが実際となるとかなり違うんだな 二十世紀の軍隊、戦争、産業で石油は血液だよ
ジリ貧で大陸での戦争遂行でやむなく蘭印石油獲得で対米英蘭戦を惹起した
>>197
そんなアホみたいな悪夢が実際頻発したと思われ
日本軍だとよくてトラック、わるくて輜重車で燃料、潤滑油を人力搬送がほとんどのケースなはず 大戦中の中国軍だと、ジープとか車両まで分解して人力運搬してるぞw
ばらしたシャーシを櫓に乗せてお神輿のように運んでいるあまりに倒錯した光景の写真を見て、マジで気が遠くなった思い出w
また写真のキャプションが「こうすればジープはどんな地形へでも入って行けた」とかなんとかブラックすぎてユーモア飛び越えてた レイテ島にも馬送り込んだし
戦後、当時レイテで戦った米兵に暑いところに馬持ち込むなんてお前ら馬鹿だと言われたそうだが >>201
あ〜ワタミの渡邊社長みたいな人非人指揮官がいたのね?費用対効果とかはなっから無視
してる無茶ぶり上等の基地外が
日本軍だけでなく支那軍にもいたんだ…
おれが部下だったら、真っ平御免だよねぇ
>>202
無茶というか馬鹿というか、生物上体質的生理的にまるっきり風土があってないのに人間の戦争に無理に付き合わされる馬の
益畜運命が哀しいね 供出した馬は帰ってこなかったというしな。外地でならしかたなく食ってしまったんだろうが
内地で終戦迎えたのも持ち主にかえさず、たぶん食ってしまったんだろう おれのジィさんは馬wo
三頭供出したからと思うけど、役所で調べたら昭和十九年に招集されて
たったひと月で招集解除されてる。
インチキに近いかなりの優遇措置だろう。妻帯者子持ち32才のロートルのせいもあるが
、大岡昇平なんて京大出で一等兵でミンドロ島行かされてるからな。
家に出征前挨拶にきた若者数人は沖縄で戦死したそうだ。 そもそも牽引車が食う油って馬の餌に比べれば少ないんじゃね
馬は生きているだけで必要だが、牽引車は動かす時だけや
しかも馬は熱帯だとすぐ死ぬんだろ
ガーデンロイド豆戦車みたいなやつの方が、遥かにマシじゃないかと思える かーでんろいどってスマホでうつと意地でもガーデンロイドに変換しようとしやがる カーデンロド卿で高貴な生まれだからだろ?>誤変換
九七式装甲車のほうがよほど牽引車には向いてる。サスペンション改良かつ軽戦車ならぬ
ミニ戦車としての完成度からな。
エンジン出力up、低回転高トルクへのむけての変速機とギア変更。
あと小型すぎなので長さ幅ともストレッチボディオープントップ化で砲員も四人くらい乗れる。
6t牽引車のコンビでいいんじゃない? お馬さんは生き物だから頑張って働いたあとは疲れてしまう。ヒトでは大概無理だが、三日三晩寝ずに動く
耐久力はあった。
砲兵の連中はそんな疲労困憊の馬みて可愛がったんだろうな。 >>201
我が軍も昭和十八年にトラック分解山岳搬送の演習してるんで、そんなに珍しいことでは無いかと 前の大陸でのラインメタル、クルップ15榴だけど
すでに射程15、16km達成してるのにドイツ軍制式15cm sFH18であえて13kmに落としているのは
より短砲身にして初速を弱め砲身命数の延命を図ってると思われ
経済的な判断のはず
その決定で独ソ戦はじめてみれば、ソ連の15cm加農榴弾砲、12cm加農との対砲兵戦で
苦渋嘗める羽目となる
砲弾威力と射撃安定性で好評だったドイツ21cm 臼砲でさえ、射程で負けてソ連軍との砲戦で結構な
数失われたし
おなじ砲架で対砲兵戦に特化した17cm K18に生産主力をシフト
21cm 臼砲は17cm加農の生産で製造中止とかいわれてたけど、最近の研究では1942年
以降も終戦までほそぼそ造られていたとか ラ式とかすぐ焼蝕起こしてたんじゃないの
対戦車砲の様に針を通す様なものではなく、凄まじい弾幕を張る榴弾砲にとっては砲身寿命ってのは十分大事なファクターよね
九六式は発射弾数を考えた結果、装薬量を抑えてゆっくり発射する様にしたんだろう
おかげで、四年式と比べて命数がどうとかいう話は聞かない
むしろ四年式より壊れにくくなったろう(ノモンハンを除き) 技術敵には射程16kmも十分実用可能なんだけれども、じっさい師団砲兵として運用
するなら、むしろ射程を犠牲にしても砲身長持ちするほうが、勝ち戦でも補給が滞りがちな戦地での蛮用に適す、な
判断だと思う。
間違いではないし、ご説もっともなんだけど。実際、敵のより長射程の砲と撃ち合う事態
になると一方的にやられてえらいことになる。
15cm sFH18の長射程化の改良がことごとくうまくいかなかったのも、射撃精度と射程、経済
効率の落としどころがダメだったと思う。
ドイツ砲より設計年度のより新しいソ連砲は精度はともかく、射程と重量の落としどころ
はうまい具合にクリアしてる。
戦車砲で照準器性能差、兵員技量差も大なるが、ドイツ、ソ連では命中精度で三倍の開きがあったそうだ。 訂正 ソ連重砲は諸外国のより大概重い。マズルブレーキで極端に軽量化した15榴
もあるけど。
重量を許容して長射程砲を設計で無理することなく射撃時抗湛強度あるのを造ってる感じ。ドイツでもこの伝で
設計した砲は派手さこそないが、安定しておおよそ出来がいい。 その点、ソ連軍や日本軍の(機動)野砲は精度も射程も榴弾砲より大なるから、そこでは見るべきところはあった
米独では野砲廃して重・軽榴弾砲に統一したけど
精度で勝り、軽榴はアウトレンジでき、重榴弾砲も互角以上の射程な上に、機動力では上なんだから、対砲兵戦では代用版機動十加みたいなポジションを発揮できるんでは
ただし威力不足で暴露砲兵にしか効かんとは思うが >>216
ソ連軍の重砲はおそらく砲身命数を犠牲にしているんじゃないか
何かを得るには何かを捨てねばならんわけで、当然、性能を取るなら物量のソ連軍は火砲の使い捨てを選んだわけだ
ドイツの火砲は設計がまずかったんではなく、ソ連軍みたいな開き直りが出来なかっただけ
無理するのがアリならいくらでも射程延長出来る
装薬増して反動は増えた重量とマズルブレーキで対処する、大概これで長射程化はなんとかなる
安易な手に走れないのは日本やドイツとかが、砲身命数を気にせざるを得なかったからだと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています