【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ >>424
撃ってる間は移動できないから、曲射してると直射ポジに移動できないし
直射できる場所でのんびり曲射もしてられないんだよ >>427
無いもんは無いからしゃーない
陸軍は限られた予算の中でそういう何でも屋を求めたって事だ
実態としては機動力劣り大隊長の側近の砲としては適、という反対だから君の言う通りだよ
つまり部分的には弱体になった 大隊砲が平射曲射ともに不十分でも、部分的弱体化ではない。元々大隊に平射歩兵砲は無い
てか、わざわざ「だいたいほう」なんて名前がつくように、それまで大隊の砲は無かったんだ
あんなんでも無いよりは遥かにマシな万能武器だったわけだな
もちろん全方位で不十分だから
速射砲の大隊配備、中隊砲としての自動砲、97式曲射歩兵砲等で変化強化に進むわけだが
92式歩兵砲は「今まで無かった大隊用大砲」の第一世代であり、何かの後継かというとかなり違う
もちろん連隊火砲がそれで消滅するなら大隊砲は連隊砲後継だが
連隊は山砲や速射砲を備える方向に進んでるから、連隊直轄硬目標直射砲としての後継は94式速射砲になる >>431
もともとあった大隊の歩兵砲は十一年式平射歩兵砲と十一年式曲射歩兵砲なんだって
それが九二式歩兵砲に更新された
だから弱体になった部分もあるというのは>>427の君のいう「曲射と平射の切り替え」が咄嗟に出来ないという事を指しているんだけど
もともとあった十一年式平射歩兵砲も十一年式曲射歩兵砲もまとめて九二式歩兵砲になった
当然十一年式平射歩兵砲の後釜は兼用砲である九二式歩兵砲という事になる
連隊直轄配備の九四式速射砲こそもともと「存在しなかった」枠に増えたのだから何の後継でもない いやいや11年式の平射歩兵砲は元々連隊の砲なんだよ
そもそも生産数が300門前後しかないのに大隊砲にしたら全然足りないよ
歩兵連隊の数を数えてみればわかるよね? >>417
ドイツがV号の5cm砲、W号短7.5cm砲の二本建て編成で大戦前半なんとかやりくりしたの
を見て、一周遅れで日本も47mmと75mm短砲身にしようとしたが、実際は彼の兵器進歩が
顕著で九〇式野砲でも最低限搭載しないと有効な対抗策為さなかったでしょう?
本来の構想ではどちらか一方でなく混成配備のはず
低初速砲の挽回策成型炸薬弾だけど、どうも、当時の記録みると日本でタ弾用いたのは特殊な事例がちと思われ 長37mm+短57mmからの順当な進化じゃないのか? 主力たる一式中戦車とコンビ組むのは一式砲戦車であって、二式砲戦車は計画だけ引きずって宙に浮いた存在でしかない あるいは自走砲転用のホニ1ではなく本命のホニ3(三式砲戦車) その頃はチヘも陳腐化してチヌ主力に…
となるとホニVでさえも砲塔動かない馬力小さい劣化チヌでしかないから
砲戦車の火力というの存在意義が消滅したので全部チヌで良くね、となるんでは
引き縄はどーかとは思うが チヌはチヘ車台にチト砲塔載せてやっつけで戦力化したやつだし、ホニIIIはとりあえずM4抜ける砲積んどけっていうもっとやっつけだから違う見方したほうがいいと思う まー日本陸軍が有史いらい最大の組織だけあって、機甲も砲兵もけして一枚岩ではないんだよ
九五式九〇式野砲だって、九〇式に反対したの参謀本部がわだけでないだろうはず
実際、扱う用兵側にも射程劣ってもすこしでも軽い扱いが楽な九五式推した連中がすくなからずいた
だろうから
戦間期に長射程もとめるのと同時に以前の型より射程みじかくしてでも軽量にして運動性高める
トレンドが列強に確実に存在したし
7.5cm leFK18とかフランスの九一式十榴原型砲とか ここのやりとり見てるとおのおの意見に一理があって、完全な誤りというのはむしろ稀
それでいいと思いますよ
語るというスレの趣旨に合ってる
実際、兵器の試作や制式化なんてこんな感じで何人もが侃々諤々やってたんでしょうが?
あーでもないこーでもないって
ときに紛糾して殴り合ったりね… 一式中戦車と一式七糎半自走砲がセットだというけどさ
一式七糎半自走砲の砲戦車転用案だってどの程度進んでいたのか不明瞭で
公式的なものではなく、一式砲戦車という名称も含め機甲側の独断独自の面が大きい
増加装甲自体は砲兵側の判断だけど、対戦車戦闘用途のためでも砲戦車転用のためでもないし 昭和16年の段階でホイとホニ1の比較試験をやったそうだが
その後ホイは正式採用は見送られ研究続行
ホニ1は機動砲兵の装備として採用されているけど砲戦車としてじゃない
一式砲戦車としての再制式って話はここら辺を誤解したのではないのか >>443
どのみち三式砲戦車が一式や三式とセットで運用される腹積もりだった事には変わらんでしょ
二式なんて少数で打ち切ったわけで 三式砲と三式中はともかく自走砲の運用と人員は野砲兵が中心
旧依然としていた面のある国軍が連携取れたんか?
ホニ1っていうが生産量的にも大半はホニ2だろう 自走砲はともかく三式砲戦車が主力
二式(ホイ)は30両で生産終わり
対戦車戦闘には最低でも野砲級以上の高初速砲が必要というのがホイがこんな形で終了した理由 戦車に関しては戦車スレでやったほうが良いんじゃね? 和製RSOトラクターとか野砲や弾薬車の牽引に適した車両はなかったんでふか? >>448
搭載砲がらみや装備コンセプトはここで語ってもよかろう
回転砲塔のメリットで成型炸薬弾使うなら二式砲もアリなんだろうけど、いかんせん
日本軍では希少な特殊弾扱いなんでね
リソースかぎられるなかで生産中止もやむをえまい
自走砲、突撃砲の回転砲塔もたずゆえ駆動系に過負荷強いて、不利なことは自明
次善策でしかなく、できれば回転砲塔に高初速で貫徹能力秀でた大口径砲搭載すべく鎬削ってたのが列強の戦車開発競争だからな <<449
強いて言えば九五式軽戦車とか
末期のフィリピン戦では戦車として役にたたなくなったハ号を弾薬輸送や砲牽引に用いてた
夜間に国道走って、陸のネズミ輸送だね
旧軍戦車でいちばん信頼性あるし当時では、絶妙の配役な感じはする
武装もあるしね 夜間とはいえ、国道走るもんで隠密どころでなく多数が定位置に据えた米軍バズーガーに多数やられたとか、大岡昇平の
レイテ戦記にあるよ RSOてソ連のトラクターをドイツ風アレンジしたやつでなかったか?
コムソモレーッツだっけ?足回りがそっくりなやつがあるぞ
どんな悪路でも走破できる。廉価だけど速度は遅いやつ 18kmくらいだったか
日本で野砲牽引車というと九八式4t シケだろう
九〇式機動野砲を曳いてる
速度は38kmだから結構いい線いってる 性格は違うが豆タンクとして開発された九七式軽装甲車をベースに、装甲牽引車・弾薬運搬車に先祖帰りした九八式装甲運搬車が良いと思う
機動一式47mmをおそらく高速牽引でき、あるいは1トンの弾薬を積める
エンジンを前に移動させて後方にスペースを確保するという改良も良いものだった
これにより後方から物資を落とす事で安全に運搬を完了する
ワンチャン無印三八式も牽引できたかもしれない
敵弾が飛び交う中の前線機動力を与え日本軍砲兵の助けになったのでは というか九七式軽装甲車テケは派生型のうち一○○式観測挺進車と上記の九八式装甲運搬車という派生型が素体の優秀さを物語っていると思う
所詮非力な豆タンクでハ号に置換される面もあったが軽量でコスパよく、砲兵にはテケの車体ベースが相性良いかと
まぁ455で考えたがやはり旧式野砲の牽引云々は牽引力不足というより対戦車砲の牽引が理にかなっていただけかもしれんな
57mm砲も牽引試験したとあるし
いちおう搭載量1.5トンの九四式六輪自動貨車で馬力が大差ないのに機動九○式野砲を牽引して見せてるあたり、馬力や車重が足りないというわけではないのかもしれん
推測ばかりであるが、九八式装甲運搬車は優良な機械化野砲兵や対戦車砲部隊への配置に適したものだったと思う
どうも前線運用の火砲の運用に際しては、多少の被弾で牽引車がやられてしまっては後がない気がする(火砲が破損すればその限りではないが)
弾薬運搬に関しても然り
もちろん砲兵にとって安価なRSOトラクターの様なものの必要性は何ら変わらないのかもしれんが WW2砲兵は牽引速度向上による機動力という側面があるんだけど
RSOはそこはすっぱり諦めて、手間暇かかって泥濘にも弱いお馬さん代替に徹してる部分が特徴よな
ソダ車なんか高速+装甲で極めてアグレッシブな運用が可能な牽引車だけど
ぶっちゃけ、あそこまで車体も頑張るなら47mm砲積んだ和製マルダーにしちゃうほうが更に便利だよねぐらい 砲兵火力の生命線でもある馬が軒並み熱帯で死んだのは痛かった
本来ならあの様に軽く捻られる軍隊ではないのだがね…
例えば南晶攻略戦では四年式十五榴が72門出動して中国軍を生き埋めにしたとか
さながら空爆の様相を見せていたらしい 大岡昇平「レイテ戦記」で第一師団が馬450頭輸送船に積んで無事上陸、現地でトラック
120台配属されたとかある
馬はフィリピンの気候でことごとく斃死しただろうな
アメリカ西部や中央アジアや中東でも使ってるくらいだから、水ガブ飲みさせればなんとか使える
みたいだが、湿度に極端に弱いみたいね 人間の食べ物すらなく、食える動物があればどうなるかといえばねえ >>458
二線級の特設師団渡河作戦に不安感じて、これほど多くの砲集めたわけだが
砲弾威力もさることながらガス弾使った効果が大きかったそう
敵がガス弾炸裂で恐慌おこして潰走した模様
なんでも集積した何基数の砲弾半分もつかわず対岸陣地をほとんど無血占領みたいな
状況だったらしい いちおう十五榴の炸裂音は精神的な制圧効果も大きかったそうで、この世のものとは思えぬ凄惨さともある
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/05onketsu/O_05_339_1.pdf
みたいな事もあるから、半々ぐらいでねぇの(せめてそうであって欲しいという期待)
十五榴×72門+その他で計350門の火砲で2時間の急発射(短いが)
にしてもここまでの火力集中は当時ではかなりのものだろう
馬が熱帯気候で次々と斃れていく様な状態の日本軍一個軍はもはや軍隊というよりは軽武装した数万のジャングル・登山遭難者の群れみたいなもんで、本来の戦闘力を発揮できていない。
頻繁な機動を要さない狭い島嶼での善戦に反し、フィリピンやニューギニア、ビルマにおけるあまりの弱体さの裏にはこういった事情がある 訂正 重砲192門ね
修水河渡河作戦は日本軍の砲兵を語る上では沖縄戦やフィリピン攻略とともに一大イベントだよね
佐山本「日本陸軍の火砲 野戦重砲 騎砲 他」によれば、
昭和14年3月20日の中支修水河の渡河戦闘では
大小六十数中隊の砲兵および多数の迫撃砲を集め、
・攻撃正面8kmに対して194門、1kmあたり24門の火砲を集中
・動員された火砲は四一式山砲36門、改造三八式野砲66門、四年式十五糎榴弾砲72門、十四年式十糎加農16門、八九式十五糎加農4門
・弾薬は10基数を予定し、実際の使用弾数は3基数
一会戦での使用数が20基数だから半会戦分をここで撃つとかソンムの英軍みたいな第一次大戦型の火力戦闘のつもりだったんだろうね ここで毒ガス使った記述は少ないよね。もちろん戦時中は検閲対象だし。
この渡河作戦での使用はグランドパワー「日本陸軍の特種部隊」が商業誌でいちばん詳しいだろう。
第一次世界大戦から非道な兵器て印象が濃厚だからね。
日本も中華民国も毒ガス使用禁止条約なんて批准してなかったから非難されるいわれもないが。 フォロー手厚いな、な感じはする
反対事例でバターン半島では警備部隊の実力しかない65旅団とかその他もろもろ雑多な部隊に無茶ぶり
して緒戦そうそう全滅する部隊が続出したね。
それに懲りて重砲部隊を呼んで二次攻撃仕掛けるわけだが。
たしか序列でまー褒められた部隊ではない65旅団の下に第一砲兵団ではなかったか?
妙な戦闘序列と記憶してるが… >>464
戦間期の米軍は、毒ガスを人道的な兵器であるとして開発に積極的だったぞ。
人道的な根拠は廃疾率が低いから。
手足が飛んだりみたいに、残りの一生まともに生きられなくなる人率が低かったのだそうだ。 当時の毒ガスだと生き残る奴はだいたいピンピンしてるし死ぬ奴はサッサと死ぬからな シュコダの75mm山砲M1936みたいに、785kgでちと重いけど野砲並みに初速あって射程10kmで、しかも65度の高仰角取れる、野砲・榴弾砲との中間火砲って良かったと思うんだけど、日本には受け付けないかな
ソ連では自国製M1938の元にされるぐらい評価されたけど >>468
日本陸軍だと山砲は駄馬に載せるか、人力搬送で益畜技術なんて最低レベル
ラバか驢馬戦力化できれば小柄で力つよくて最適だったんだが
性能的に悪くないボフォースでさえ部品三分割にしかできなくて、個々パーツが重くて
ガ島やらで不評だった。蘭印から鹵獲砲もちこんで撃つことなくことごとく放棄とか
最大重量の砲身で100kg未満が屈強な山砲兵が担げる日本軍ギリセーフ値だよ
必ずしも射程や全体重量ではないね
全体コンプリートで軽く、射程そこそこ、パーツは細かく分割できて、かつ組んだ際の射撃精度のいい砲
これって設計難度きわめて高いはず そういや国共内戦で共産党軍が四一式だか九四式山砲を一個連(日本でいう中隊)に配備して全員で分解担送するってのを何かで見て、一個中隊につき山砲一門運用とかそりゃ国民党軍負けますわ、って思ったり あ、でも歩兵連隊単位で見ると
一個中隊1門なら一個連隊9門
日本は四一式×4門+大隊砲×2×3=10門
だから一個連隊につき配備される歩兵砲としてはおかしくないのか >>468
方向射界が狭くて高仰角長射程砲って使いみちが限られるんだよな あと、日本軍が戦う場所は未開地が多いからな。
小さい川にも大抵橋がかかっているヨーロッパみたいにはいかない。
幅数メートル以上の川に当たったら、車両や大型砲は渡二河に半端なく時間を取られる。
結果、人2〜3人と同じくらいの重さにまで分解できる山砲が重宝される。
ガ島でも一木支隊がラ式速射砲持ち込んでるけど、川越えられないので置き去りにした。 九四式山砲分解して兵隊が後ろ姿で部品背負ってる写真あるでしょ?
砲身担いでるやつ、160cm前後の当時の日本兵でおそらく身長180cm以上あるぞ
ルボン山だっけ?訓練用の土盛り
あれ、ひとりで砲身担いで踏破できるのひとりもいなかったはず >>473
昔の丸、ガダルカナル別冊でラ式に加え、一式47mm速射砲2門を海岸に埋めたという記述がある
おそらく最初の実戦投入だと思う(撃ってないけど) >>469
九四式は傑作砲だったんだよな
確か戦後中国軍生産型があるらしいし
>>470
歩兵砲なんだから歩兵全員で分かち合うべきというある意味で平等思想だね
戦闘で負傷者が生まれるたびに破棄する羽目になるけど
ところで九四式も四一式もほぼ砲身重量100kgだな
調べたところ九四式の方が砲身が一割長いが
薬室が伸びてるってのもあるんだろうが、どのみち自緊式法の導入で薄肉化に成功したのか
すると四一式だと更に軽量化の余地ありで、砲身がおそらく最大パーツだから、これが90kgとか何キロとかに軽くなるだけで、全備重量はそこまで大差無くても分解時の機動力は全然違うわけか
試製九七式歩兵連隊砲とか半端な出来だったらしいけど、曲射可能だけじゃなくて砲身重量軽減による分解時機動力の方を考えていたりするかもな ガダルカナル島の日本軍って四一式山砲らしきのを分解搬送してる写真が中学の日本史
に載ってたんだが検索ででてこない… 日本じゃないがこれはどうよ
https://youtu.be/hYKa01Q459c?t=202
ディエンビエンフーの戦いでスポーク転輪の旧式山砲を分解担送するベトミン軍 ごめん、たしか一式は海岸の砂浜で埋め、ラ式は引っ張ってった、だな
そのあと川で放棄か…
中公新書の児島さん「太平洋戦争」で熊大隊も奮戦、ラ式速射砲がM3軽戦車6輌中5輌擱座させたってのは、おそらく
誤りで、おそらく京都で編成、一木支隊に配属された独立速射砲部隊でなく、本隊の九四式速射砲の戦果だろう、とかかなり前スレであったな >>467
ヒトラーも毒ガスで目をやられ、入院中ドイツ敗戦の報を聞いて
さめざめと泣いたとか、水木しげるのマンガで読んだな 銀行問題業界ゴト潰レル?職員イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯薬害毒死多繋ガル看後死
100件以上介護保険税金ムダ泥棒マダ殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害林本モヤシテa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ爆発公害山口炉ウドモヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1442312377/ 靖国神社の四一式山砲は最近いい感じに色塗りなおされたけど、防衛大学校にある四一式山砲や九四式山砲はどんどん朽ちていってる…
数年前までは健在だった車輪がどっちも完全に崩壊しちゃってるんだよな
あと何故かあるボ式山砲 あのボ式は蘭印で分捕ったオランダ軍仕様でもともとゴムタイヤなのか、大陸で鹵獲したもともと木製スポーク個体を戦後
履き替えたものなのかは気になるね
オリジナルでゴムタイヤなら緩衝装置があろうはず 公共保有だろうが、屋外で風雨に晒されまともに維持行為さえされずに放置されるくらいなら
たとえ秘蔵されても大事にしてくれるマニアに相応の金額で売った方が良い…
実際に「大きな無可動実銃」みたいなもんで旧軍実物火砲を個人保有してるマニアは国内にいるんだし ちなバブル前後の好景気のころに金にあかせてずいぶんヒストリカルな実物が日本に輸入されて、
のちオーナーの金回りが悪くなったり飽きて放置されたりでそれらが次々と再生不能な無残な姿に
以降海外のコレクターネットワークでは、日本人にゃ貴重品は何一つ売るな、が常識化したとか
まあ高温多湿の気候という大敵がデンと鎮座してもいるわけだが 湿度の少ない北海道で屋内保管で陽にあてない、空気の循環してれば保存状態かなりいい
骨董品やらクラシックカメラ、旧車とか
バイクは冬季ガレージ保管だからいいが、車は冬季走ると除雪剤の塩分でシャーシー下が
錆びる
信号、渋滞ゴーストップの少ない機関に負担のかからない環境だから、距離は10万km越えてても
機関の程度は首都圏のと雲泥の差
日本国内で当時ものの軍刀とか軍装品探すならあちらを探すといい
空襲の被害がほとんどなかったし、大部隊が駐屯してたから新品デッドストックがめずらしくなかったき
昔はたいして高くなかったし
首都圏や関西の業者が大量仕入れで高騰した
本州は湿気で革の痛みが激しいな北海道だと通常保管でカビなど生えない 九二式歩兵砲だけど、射撃精度が悪い件は誰かが、あんなに低初速の砲で70mmの細長い砲弾使ったら横弾になるとか考察してたなぁ
跳弾不発は砲弾の肩部から着地するから先端を丸めればいいんだろうけど
そういえば初速264m/sの三一式速射山砲や本家ドイツの7.5cm歩兵砲(初速210m/s)とかの75mm歩兵砲はお世辞にも高初速なんて呼べたもんじゃないけど、命中精度悪いなんて話は聞かないし
もしかして日本軍が口径75mmの歩兵砲を研究しだしたのって、70mm砲弾の飛翔性や信管まわりの構造に問題があったからなのかな? ttp://militarymementos.co.uk/WW2-German-7.5cm-I-G-R-18-HE-Shell
ドイツのも十分クソ長いし
当たり前だが膨大な数撃って制式になってるんだから、長いから駄目とかじゃないだろう
それと歩兵砲の榴弾は肩は大して出てないし、信管はクソ長いので、肩が信管より先に当たって跳ねることは比較的少ないデザインになってる
なのに跳ねるのは信管か信管と弾丸のねじ込み部が弱くて着弾時に破損するからじゃないかな >>488
曲射平射の切り替えでクランク式の車軸の位置かえるじゃない?
あの機構が射撃安定性に悪影響与えてた気がする…
低初速もあるし>>489のいうように砲弾と信管の設計も練れてなかった、等の複合原因もありえる 新品砲でも設計上安定性で褒められたもんでないし、日本軍は可搬性追及で軽量を奨励した。
大概同クラス砲で他国のより軽いんだから、まず強度を犠牲にしてるはず
使い込んだ中古砲だったら、いくらメンテナンスで補修してたって車軸クランク廻りガタでてるよ
。
クランクのロック機構やらが構造的に弱かったんでは? >>489
確か九二式榴弾の砲弾は、75mm砲弾と比べてだけど割と広角だった様な…
長さは迫撃砲と比べて、って事かね
或いは現代のライフルでも問題になるライフリングのツイストレートと砲弾の相性がうまくマッチング出来ていなかったとかも考えられるね
いかんせん、新しい口径だしね
あとロック機構の欠陥は考えてもなかった 口径が75mmなら砲弾ちがっても製造冶具やら多くが共用できて生産コスト低減メリット
大なはずなんだけどね
わずか5mm差の口径採用する意味がわからん ジグなんか流用しないからね
歩兵砲・弾薬の製造工程は、砲兵用のとは別なんだよ
予算も工場も何もかも別、手が空いてるから砲兵のも作ろうかって申出たら
出来るわけねえだろとバカにされたと名古屋工廠史にあるぐらいでな
下手に75mmにしたら、歩兵のくせに領分侵すつもりかって噛みつかれるぜ
何しろ41式山砲を歩兵に提供するときも「いざってときは返せよ、いじるなよ」ていうぐらいだしな そーゆーセクショナリズムは感心しないなぁ
ただでさえ乏しいリソース配分をさらに非効率にしてるわけだろ?
30年代なら>>494のいう状況だったかと思うが、造兵廠以外の民間なら、山砲と歩兵砲同時に製造してる工場あったはずだぜ たしか佐山本で工場内写真で山砲と歩兵砲同時に集積してるのがあったと思う… きょうは広島被爆の日で亡くなった方を悼むほかないが、呉上空でロンサム・レディ号
を撃墜したのはやはり艦載25mm機銃なのであろうか?
広島に移送中に被爆死亡の搭乗員とほかにパラシュート降下して別口で捕まって生存した
米兵もいるんだったか、NHKアーカイブスで観たな 山砲は独立歩兵大隊配備されてるんだよな
九二式や九七式曲射に加えて連隊砲2門が追加される
独歩大隊は定数1233名(この通り充足される事はまずない)で、一般師団の歩兵大隊の四個中隊より一個中隊多いのも関係してる筈 防盾以外で山砲から歩兵連隊砲になった四一式の差異ってどこなの?
なんか細かいところが違うらしいけど 昔は「一億人の昭和史」写真、キスカで放棄された四一式の防盾を妙な形と思ってたが
あれが山砲本来の姿なんだな
いまだと検索で連隊砲写真がずっとヒットするんでは 戦前に耕運機やトラクターを補助金つけて地主や青年学校に普及させて
戦時には牽引車として徴用するのではいけなかったのだろうか? >>501
それここか別のスレか忘れたけど同じような主張あったけどね・・
まず畑を[耕運機やトラクター]を使えるようにするのに時間と金がかかるんですわ
満州みたく大規模で最初から整備したならともかくね・・
実際戦後に「農地整備」に費やした時間と金は凄いもの
今や目にするのは整備終わった田畑ばっかだから実感しにくいんだけどね アメのような超大規模農場ならともかく、当時の日本のような小さくて形も複雑な農地の場合、下手に機械入れるより人の手でやった方が速いんじゃないか そもそも村の有志がお金を出し合って〜てのは有ったけど、実際に買えたのは石油発動機だから軍用に使えるトラクターはとても… 最低でも2〜4トンを牽引できなくちゃいかんわけだから、相当でっかいトラクターで、それこそ北海道か満州でもないと 当時だと手押しの耕運機が一番有り難がれそうだ
(今でも趣味の家庭農園で愛用されている様な)
耕地整理が出来ないとすると、田植え、稲刈りの省力化って何が有効なのだろう? 火砲の牽引手段確保政策としてはまだ牽引車より海外馬の大型種の方が辛うじてまともそう
どこで使うんだって感じ
そもそも九四式六輪自動貨車の民間型みたいに、優秀車輌は牽引車としても戦時に使われるからなぁ…
後二軸駆動の九四式六輪自動貨車はよく八八式高射砲を牽引したと(ハーフトラックにも出来るらしい)
だから民間型(スミダUH型六輪)は保護六輪とされたんだと >>507
そんなものはない。耕地整理するすかないし
そのためには農地改革をやらねばならない まぁ導入できるとしたらケッテンクラートクラスかな。
田畑から収穫した農作物を運ぶ目的で。
問題は日本が作るとどうなるかだが・・
焼き玉エンジンにすりゃ扱いやすそうだが、幅が広がると昔の農道じゃ厳しい >>510
その用途にはオート三輪が結構な数あったわけであるのだが 不整地走れて山砲ぐらい楽勝で牽引できる四輪駆動車が欲しい
ジープお前のことだよ 解決しなきゃいけない問題は山ほどあるが、まずは運転手の問題があるな
〇の中に自と書かれた招集令状が着た三好捷三氏は、以前入隊した連隊とまるっきり違うところを指定されていた
間違いじゃないかと思って行ったら自動車を運転できる人間を特別に集めたのだとわかったという
またフィリピンであったことだが、トラックを手に入れたがいいが中隊の中で運転できる人間がだれもいなくて使えなかった
自動車を運転できるというだけで特殊技能者だったというのをまず変えなきゃ
そのためには自動車の普及だし、そのためにはやっぱり経済発展だな 「特殊技能」ってなんで言われてるか理解してないと515みたいな感想になる
ハンドル握って操れるだけじゃ駄目なんだよ
当時はある程度整備士の技能も持ってなけりゃ「車の運転」なんか出来んのだ(特に日本製は)
ハンドル握って走らせる事は出来ます!だけじゃ貴重な自動車を速攻で放棄する嵌めになる
後・・ジープなんか「自動車大国」アメリカの象徴みたいなもんだ。
戦後に乗る機会があったり整備したりした人の感想は
「工業製品として別次元の域だった」ってもんばっか 農作物を農村から鉄道の通じている地方都市に運ぶのに、軽便鉄道を敷設するとか請願があったりして
あまり道路をあてにしていない傾向はあるなぁ 山砲。大隊砲、37ミリ砲や弾薬を前線に運ぶのに耕運機はちょうど良さそうだがなぁ >>516
国産のダットサンなんてとても遠乗りに使える信頼性でなかったらしいね
故障だらけで
軍のトラックも大阪シボレーや横浜フォードが軽くて馬力があり故障しにくく評判よく
日産や豊田配備された部隊は落胆したとか
戦後に進駐してきたアメリカのエンジニアも「まったく勝負にまりまセンかラ―、日本で
造ろうと思ワズ素直にアメリカの買ったほうがイイデース!」とか馬鹿にするわけでなく
実直に言われたとか
もっとも当時は国道でも舗装が都市部以外はきわめて稀、字ちがい酷道であったから、さらに条件が悪い デフの傘型歯車切削加工できる工作機械が限られた輸入したアメリカかドイツ製のしかなく、国産はほとんどダメ
だったとか
航空優先で資源と生産設備が大部分そっちに振られたせいもあるが、戦中の日本車両製造が
あまりに低調なのはそれもあった ニッサンは最初の80がウンコだったのも痛いんだよな
でも大戦初期だと日本で一番生産力があったのが日産なんでもう・・・という それは国産国産日の丸と叫んで、結果的に自動車産業をぶっ潰した陸軍が悪い 戦後に豊田が世界の自動車を支配したのはなんというか…皮肉なもんだな >>522
でもアレ、たしかアメ車のライセンス製造のはず
グラハムだったか
かの国ではデリバリーサービスで多く使われた車両だったらしい
日本でも三越だかで使ってたと「横浜製フォード大阪製シボレー」て本にあるよ
持っててよく読んでないけど >>525
そうだよ、アメ車そのもの
工作機械もラインも全部アメリカから導入して、アメリカ人技術者の指導で製造開始
だけど当時の普通のシャシのままセミキャブオーバーにしたのが祟って
前車軸に負荷がかかり、悪路とあわさって前サスがボキボキ折れる
更に前が重すぎて走破性が悪い(後輪にトラクションがかかりにくい)
前輪を地雷に引っ掛けると運転席も吹っ飛ぶ
キャブオーバーなのでエンジンの整備性がクソ悪い(不調になりやすい
まあ国産トラックの中でも一番評判が悪かったのが日産80なのじゃ
だから普通のボンネット型に改めた180型が登場し、こっちは手直ししながら戦後も10年近く作られてる
グラハムが悪いんじゃなく、流行りだからと安易にキャブオーバー型を選択してしまった
日本側の自動車に対する理解力のなさが原因と考えるべきだろうね >>520
九四式六輪自動貨車甲/乙
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