【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ シュコダの75mm山砲M1936みたいに、785kgでちと重いけど野砲並みに初速あって射程10kmで、しかも65度の高仰角取れる、野砲・榴弾砲との中間火砲って良かったと思うんだけど、日本には受け付けないかな
ソ連では自国製M1938の元にされるぐらい評価されたけど >>468
日本陸軍だと山砲は駄馬に載せるか、人力搬送で益畜技術なんて最低レベル
ラバか驢馬戦力化できれば小柄で力つよくて最適だったんだが
性能的に悪くないボフォースでさえ部品三分割にしかできなくて、個々パーツが重くて
ガ島やらで不評だった。蘭印から鹵獲砲もちこんで撃つことなくことごとく放棄とか
最大重量の砲身で100kg未満が屈強な山砲兵が担げる日本軍ギリセーフ値だよ
必ずしも射程や全体重量ではないね
全体コンプリートで軽く、射程そこそこ、パーツは細かく分割できて、かつ組んだ際の射撃精度のいい砲
これって設計難度きわめて高いはず そういや国共内戦で共産党軍が四一式だか九四式山砲を一個連(日本でいう中隊)に配備して全員で分解担送するってのを何かで見て、一個中隊につき山砲一門運用とかそりゃ国民党軍負けますわ、って思ったり あ、でも歩兵連隊単位で見ると
一個中隊1門なら一個連隊9門
日本は四一式×4門+大隊砲×2×3=10門
だから一個連隊につき配備される歩兵砲としてはおかしくないのか >>468
方向射界が狭くて高仰角長射程砲って使いみちが限られるんだよな あと、日本軍が戦う場所は未開地が多いからな。
小さい川にも大抵橋がかかっているヨーロッパみたいにはいかない。
幅数メートル以上の川に当たったら、車両や大型砲は渡二河に半端なく時間を取られる。
結果、人2〜3人と同じくらいの重さにまで分解できる山砲が重宝される。
ガ島でも一木支隊がラ式速射砲持ち込んでるけど、川越えられないので置き去りにした。 九四式山砲分解して兵隊が後ろ姿で部品背負ってる写真あるでしょ?
砲身担いでるやつ、160cm前後の当時の日本兵でおそらく身長180cm以上あるぞ
ルボン山だっけ?訓練用の土盛り
あれ、ひとりで砲身担いで踏破できるのひとりもいなかったはず >>473
昔の丸、ガダルカナル別冊でラ式に加え、一式47mm速射砲2門を海岸に埋めたという記述がある
おそらく最初の実戦投入だと思う(撃ってないけど) >>469
九四式は傑作砲だったんだよな
確か戦後中国軍生産型があるらしいし
>>470
歩兵砲なんだから歩兵全員で分かち合うべきというある意味で平等思想だね
戦闘で負傷者が生まれるたびに破棄する羽目になるけど
ところで九四式も四一式もほぼ砲身重量100kgだな
調べたところ九四式の方が砲身が一割長いが
薬室が伸びてるってのもあるんだろうが、どのみち自緊式法の導入で薄肉化に成功したのか
すると四一式だと更に軽量化の余地ありで、砲身がおそらく最大パーツだから、これが90kgとか何キロとかに軽くなるだけで、全備重量はそこまで大差無くても分解時の機動力は全然違うわけか
試製九七式歩兵連隊砲とか半端な出来だったらしいけど、曲射可能だけじゃなくて砲身重量軽減による分解時機動力の方を考えていたりするかもな ガダルカナル島の日本軍って四一式山砲らしきのを分解搬送してる写真が中学の日本史
に載ってたんだが検索ででてこない… 日本じゃないがこれはどうよ
https://youtu.be/hYKa01Q459c?t=202
ディエンビエンフーの戦いでスポーク転輪の旧式山砲を分解担送するベトミン軍 ごめん、たしか一式は海岸の砂浜で埋め、ラ式は引っ張ってった、だな
そのあと川で放棄か…
中公新書の児島さん「太平洋戦争」で熊大隊も奮戦、ラ式速射砲がM3軽戦車6輌中5輌擱座させたってのは、おそらく
誤りで、おそらく京都で編成、一木支隊に配属された独立速射砲部隊でなく、本隊の九四式速射砲の戦果だろう、とかかなり前スレであったな >>467
ヒトラーも毒ガスで目をやられ、入院中ドイツ敗戦の報を聞いて
さめざめと泣いたとか、水木しげるのマンガで読んだな 銀行問題業界ゴト潰レル?職員イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯薬害毒死多繋ガル看後死
100件以上介護保険税金ムダ泥棒マダ殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害林本モヤシテa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ爆発公害山口炉ウドモヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1442312377/ 靖国神社の四一式山砲は最近いい感じに色塗りなおされたけど、防衛大学校にある四一式山砲や九四式山砲はどんどん朽ちていってる…
数年前までは健在だった車輪がどっちも完全に崩壊しちゃってるんだよな
あと何故かあるボ式山砲 あのボ式は蘭印で分捕ったオランダ軍仕様でもともとゴムタイヤなのか、大陸で鹵獲したもともと木製スポーク個体を戦後
履き替えたものなのかは気になるね
オリジナルでゴムタイヤなら緩衝装置があろうはず 公共保有だろうが、屋外で風雨に晒されまともに維持行為さえされずに放置されるくらいなら
たとえ秘蔵されても大事にしてくれるマニアに相応の金額で売った方が良い…
実際に「大きな無可動実銃」みたいなもんで旧軍実物火砲を個人保有してるマニアは国内にいるんだし ちなバブル前後の好景気のころに金にあかせてずいぶんヒストリカルな実物が日本に輸入されて、
のちオーナーの金回りが悪くなったり飽きて放置されたりでそれらが次々と再生不能な無残な姿に
以降海外のコレクターネットワークでは、日本人にゃ貴重品は何一つ売るな、が常識化したとか
まあ高温多湿の気候という大敵がデンと鎮座してもいるわけだが 湿度の少ない北海道で屋内保管で陽にあてない、空気の循環してれば保存状態かなりいい
骨董品やらクラシックカメラ、旧車とか
バイクは冬季ガレージ保管だからいいが、車は冬季走ると除雪剤の塩分でシャーシー下が
錆びる
信号、渋滞ゴーストップの少ない機関に負担のかからない環境だから、距離は10万km越えてても
機関の程度は首都圏のと雲泥の差
日本国内で当時ものの軍刀とか軍装品探すならあちらを探すといい
空襲の被害がほとんどなかったし、大部隊が駐屯してたから新品デッドストックがめずらしくなかったき
昔はたいして高くなかったし
首都圏や関西の業者が大量仕入れで高騰した
本州は湿気で革の痛みが激しいな北海道だと通常保管でカビなど生えない 九二式歩兵砲だけど、射撃精度が悪い件は誰かが、あんなに低初速の砲で70mmの細長い砲弾使ったら横弾になるとか考察してたなぁ
跳弾不発は砲弾の肩部から着地するから先端を丸めればいいんだろうけど
そういえば初速264m/sの三一式速射山砲や本家ドイツの7.5cm歩兵砲(初速210m/s)とかの75mm歩兵砲はお世辞にも高初速なんて呼べたもんじゃないけど、命中精度悪いなんて話は聞かないし
もしかして日本軍が口径75mmの歩兵砲を研究しだしたのって、70mm砲弾の飛翔性や信管まわりの構造に問題があったからなのかな? ttp://militarymementos.co.uk/WW2-German-7.5cm-I-G-R-18-HE-Shell
ドイツのも十分クソ長いし
当たり前だが膨大な数撃って制式になってるんだから、長いから駄目とかじゃないだろう
それと歩兵砲の榴弾は肩は大して出てないし、信管はクソ長いので、肩が信管より先に当たって跳ねることは比較的少ないデザインになってる
なのに跳ねるのは信管か信管と弾丸のねじ込み部が弱くて着弾時に破損するからじゃないかな >>488
曲射平射の切り替えでクランク式の車軸の位置かえるじゃない?
あの機構が射撃安定性に悪影響与えてた気がする…
低初速もあるし>>489のいうように砲弾と信管の設計も練れてなかった、等の複合原因もありえる 新品砲でも設計上安定性で褒められたもんでないし、日本軍は可搬性追及で軽量を奨励した。
大概同クラス砲で他国のより軽いんだから、まず強度を犠牲にしてるはず
使い込んだ中古砲だったら、いくらメンテナンスで補修してたって車軸クランク廻りガタでてるよ
。
クランクのロック機構やらが構造的に弱かったんでは? >>489
確か九二式榴弾の砲弾は、75mm砲弾と比べてだけど割と広角だった様な…
長さは迫撃砲と比べて、って事かね
或いは現代のライフルでも問題になるライフリングのツイストレートと砲弾の相性がうまくマッチング出来ていなかったとかも考えられるね
いかんせん、新しい口径だしね
あとロック機構の欠陥は考えてもなかった 口径が75mmなら砲弾ちがっても製造冶具やら多くが共用できて生産コスト低減メリット
大なはずなんだけどね
わずか5mm差の口径採用する意味がわからん ジグなんか流用しないからね
歩兵砲・弾薬の製造工程は、砲兵用のとは別なんだよ
予算も工場も何もかも別、手が空いてるから砲兵のも作ろうかって申出たら
出来るわけねえだろとバカにされたと名古屋工廠史にあるぐらいでな
下手に75mmにしたら、歩兵のくせに領分侵すつもりかって噛みつかれるぜ
何しろ41式山砲を歩兵に提供するときも「いざってときは返せよ、いじるなよ」ていうぐらいだしな そーゆーセクショナリズムは感心しないなぁ
ただでさえ乏しいリソース配分をさらに非効率にしてるわけだろ?
30年代なら>>494のいう状況だったかと思うが、造兵廠以外の民間なら、山砲と歩兵砲同時に製造してる工場あったはずだぜ たしか佐山本で工場内写真で山砲と歩兵砲同時に集積してるのがあったと思う… きょうは広島被爆の日で亡くなった方を悼むほかないが、呉上空でロンサム・レディ号
を撃墜したのはやはり艦載25mm機銃なのであろうか?
広島に移送中に被爆死亡の搭乗員とほかにパラシュート降下して別口で捕まって生存した
米兵もいるんだったか、NHKアーカイブスで観たな 山砲は独立歩兵大隊配備されてるんだよな
九二式や九七式曲射に加えて連隊砲2門が追加される
独歩大隊は定数1233名(この通り充足される事はまずない)で、一般師団の歩兵大隊の四個中隊より一個中隊多いのも関係してる筈 防盾以外で山砲から歩兵連隊砲になった四一式の差異ってどこなの?
なんか細かいところが違うらしいけど 昔は「一億人の昭和史」写真、キスカで放棄された四一式の防盾を妙な形と思ってたが
あれが山砲本来の姿なんだな
いまだと検索で連隊砲写真がずっとヒットするんでは 戦前に耕運機やトラクターを補助金つけて地主や青年学校に普及させて
戦時には牽引車として徴用するのではいけなかったのだろうか? >>501
それここか別のスレか忘れたけど同じような主張あったけどね・・
まず畑を[耕運機やトラクター]を使えるようにするのに時間と金がかかるんですわ
満州みたく大規模で最初から整備したならともかくね・・
実際戦後に「農地整備」に費やした時間と金は凄いもの
今や目にするのは整備終わった田畑ばっかだから実感しにくいんだけどね アメのような超大規模農場ならともかく、当時の日本のような小さくて形も複雑な農地の場合、下手に機械入れるより人の手でやった方が速いんじゃないか そもそも村の有志がお金を出し合って〜てのは有ったけど、実際に買えたのは石油発動機だから軍用に使えるトラクターはとても… 最低でも2〜4トンを牽引できなくちゃいかんわけだから、相当でっかいトラクターで、それこそ北海道か満州でもないと 当時だと手押しの耕運機が一番有り難がれそうだ
(今でも趣味の家庭農園で愛用されている様な)
耕地整理が出来ないとすると、田植え、稲刈りの省力化って何が有効なのだろう? 火砲の牽引手段確保政策としてはまだ牽引車より海外馬の大型種の方が辛うじてまともそう
どこで使うんだって感じ
そもそも九四式六輪自動貨車の民間型みたいに、優秀車輌は牽引車としても戦時に使われるからなぁ…
後二軸駆動の九四式六輪自動貨車はよく八八式高射砲を牽引したと(ハーフトラックにも出来るらしい)
だから民間型(スミダUH型六輪)は保護六輪とされたんだと >>507
そんなものはない。耕地整理するすかないし
そのためには農地改革をやらねばならない まぁ導入できるとしたらケッテンクラートクラスかな。
田畑から収穫した農作物を運ぶ目的で。
問題は日本が作るとどうなるかだが・・
焼き玉エンジンにすりゃ扱いやすそうだが、幅が広がると昔の農道じゃ厳しい >>510
その用途にはオート三輪が結構な数あったわけであるのだが 不整地走れて山砲ぐらい楽勝で牽引できる四輪駆動車が欲しい
ジープお前のことだよ 解決しなきゃいけない問題は山ほどあるが、まずは運転手の問題があるな
〇の中に自と書かれた招集令状が着た三好捷三氏は、以前入隊した連隊とまるっきり違うところを指定されていた
間違いじゃないかと思って行ったら自動車を運転できる人間を特別に集めたのだとわかったという
またフィリピンであったことだが、トラックを手に入れたがいいが中隊の中で運転できる人間がだれもいなくて使えなかった
自動車を運転できるというだけで特殊技能者だったというのをまず変えなきゃ
そのためには自動車の普及だし、そのためにはやっぱり経済発展だな 「特殊技能」ってなんで言われてるか理解してないと515みたいな感想になる
ハンドル握って操れるだけじゃ駄目なんだよ
当時はある程度整備士の技能も持ってなけりゃ「車の運転」なんか出来んのだ(特に日本製は)
ハンドル握って走らせる事は出来ます!だけじゃ貴重な自動車を速攻で放棄する嵌めになる
後・・ジープなんか「自動車大国」アメリカの象徴みたいなもんだ。
戦後に乗る機会があったり整備したりした人の感想は
「工業製品として別次元の域だった」ってもんばっか 農作物を農村から鉄道の通じている地方都市に運ぶのに、軽便鉄道を敷設するとか請願があったりして
あまり道路をあてにしていない傾向はあるなぁ 山砲。大隊砲、37ミリ砲や弾薬を前線に運ぶのに耕運機はちょうど良さそうだがなぁ >>516
国産のダットサンなんてとても遠乗りに使える信頼性でなかったらしいね
故障だらけで
軍のトラックも大阪シボレーや横浜フォードが軽くて馬力があり故障しにくく評判よく
日産や豊田配備された部隊は落胆したとか
戦後に進駐してきたアメリカのエンジニアも「まったく勝負にまりまセンかラ―、日本で
造ろうと思ワズ素直にアメリカの買ったほうがイイデース!」とか馬鹿にするわけでなく
実直に言われたとか
もっとも当時は国道でも舗装が都市部以外はきわめて稀、字ちがい酷道であったから、さらに条件が悪い デフの傘型歯車切削加工できる工作機械が限られた輸入したアメリカかドイツ製のしかなく、国産はほとんどダメ
だったとか
航空優先で資源と生産設備が大部分そっちに振られたせいもあるが、戦中の日本車両製造が
あまりに低調なのはそれもあった ニッサンは最初の80がウンコだったのも痛いんだよな
でも大戦初期だと日本で一番生産力があったのが日産なんでもう・・・という それは国産国産日の丸と叫んで、結果的に自動車産業をぶっ潰した陸軍が悪い 戦後に豊田が世界の自動車を支配したのはなんというか…皮肉なもんだな >>522
でもアレ、たしかアメ車のライセンス製造のはず
グラハムだったか
かの国ではデリバリーサービスで多く使われた車両だったらしい
日本でも三越だかで使ってたと「横浜製フォード大阪製シボレー」て本にあるよ
持っててよく読んでないけど >>525
そうだよ、アメ車そのもの
工作機械もラインも全部アメリカから導入して、アメリカ人技術者の指導で製造開始
だけど当時の普通のシャシのままセミキャブオーバーにしたのが祟って
前車軸に負荷がかかり、悪路とあわさって前サスがボキボキ折れる
更に前が重すぎて走破性が悪い(後輪にトラクションがかかりにくい)
前輪を地雷に引っ掛けると運転席も吹っ飛ぶ
キャブオーバーなのでエンジンの整備性がクソ悪い(不調になりやすい
まあ国産トラックの中でも一番評判が悪かったのが日産80なのじゃ
だから普通のボンネット型に改めた180型が登場し、こっちは手直ししながら戦後も10年近く作られてる
グラハムが悪いんじゃなく、流行りだからと安易にキャブオーバー型を選択してしまった
日本側の自動車に対する理解力のなさが原因と考えるべきだろうね >>520
九四式六輪自動貨車甲/乙
九七式四輪自動貨車 80型はトレッドが長いことも問題視されたらしいぬ
https://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview8.pdf 砲兵トラクターなんて
流石に日本軍だって持っていただろw
全部で3,069輌しか生産できんかったが
九八式六屯牽引車 ロケとか
重砲用のもある だが戦争後期になると、ディーゼル搭載の日産の乙型が好まれるようになる。
燃料が手に入りやすかったので。
松根油適正も高かったそうだ。 山砲を馬と人間で運ぶのが一番日本に合ってたんだろうな
馬二頭で引けるし、分解も出来る
トラクターは重砲兵に必須という認識だろうね >>520
軍の制式トラックは頑丈なんだが、エンジン出力のわりにかなり重いんだよ
出力重量比で民生用フォードやシボレーがずっと高い
おなじ兵站路で制式が二往復するところをアメ車は三往復とかできて燃料消費もすくない
仮におなじ時間、台数で輸送の実績がそれだけ変わって、上層の覚えもちがってくるんだから
当然部隊としてはフォード、シボレー使いたくなるよね 日本のはなんでも電装が駄目だからね。乾燥してる北支ならいいんだけど
多湿の南部になると電装原因の故障がでまくる がダル上陸一波の米軍が、まだ資材も装備も十分じゃなくて日本の設営隊から分捕った
トラックを使ってるけど、意外と高評価なんだよな。
本家のフォードと遜色ないと評価している。
不自由な時に役立った道具だから、評価甘めなのかもしれんけど。 >>535
ガ島艦砲射撃でタイヤ焼け落ちた設営隊トラック写真があるけど、キャブや荷台にかなり派手な迷彩塗装
してるよね
陸軍がチハに施してたみたいな海軍らしからくない
戦車や火砲ならともかく当時はトラックではけっこうめずらしい例だと思う 日本フォードはノックダウン生産だけしか国が認めなかったのが敗因
国内メーカー保護の法律が逆に足枷になっていた
ドイツ・ソ連みたいに
生産設備込々で、工場毎作らせて
戦争が始まったら、国内の工場接取が正解だった
ドイツもトラックのほとんどはフォード・GM製
ソ連なんかトラック・トラクターまでフォードがメインで
この一連のソ連でのライセンス生産をしてたのが、GAZで
戦中はシボレートラックやジープまで作ってた 所詮、日本は近代化に失敗した下流国家
素直に独立を返上して植民地になっておけばよかったのに >>532
具体的には?
軍用六輪の傑作として知られ戦後自衛隊もしばらく使うGMC CCKW(所謂2 1/2 トンの代名詞)は1941年から主に出回るけど
九四式は68hpだけど、第1種積載2.5トン、第2種積載1.5トンとあるけど、民間型は4トンの積載量だね
流石にオフロード2.5トン、舗装路4トンの↑には見劣りは否めないけど
そもそも時代が違う事を考慮すれば著しく劣るものなのかな?
取り敢えず性能が良いという評判しか、米製トラックの34年時点でのモノの具体的なスペックを俺が知らんのだけど >>537
大正末期から商工省がライセンス生産を求めてたのにフォードが日本じゃ無理とノックダウンしか認めなかったんだよ
その流れがあるから軍がもう我慢出来ないと締め出しを決定するわけで
そして外車締め出しを決めたら工場作るからライセンス生産するからとフォードが言い出したの
なお工場や下請も含めた一切合切の移植構築は日産がやって、素材生産は米国から人を雇って指導させてる
あのタイミングでフォードが生産に着手したとしても、史実の日産のそれと大差ないのな
結局時間が足りなさすぎるんだよ >>539
33〜35年ごろの小型トラック(1〜2トン商用)だと
シボレーが6気筒70〜79馬力、フォードが8気筒85馬力
もちろんもっと大きいモデルもあるが、まあ大体エンジンはこのぐらい。
毎年競争で馬力上がってるので5年後だと100馬力ぐらいになる
なお南方軍の通達に94式6輪はカタログ馬力発生回転数まで回すとエンジンが死ぬので回転数制限しろってある
当時の自動車技術の差は結構深刻なのは、戦後の自動車レースとかでもわかるでしょ? つまるところ
何もかも日中戦争が悪いでカタがつくのかねぇ… >>537
ドイツはフォードのおっさんがめいいっぱい好意的だったのが大きい。
あの人ガチの反ユダヤ主義者で、ドイツフォードの売り上げを
そっくりナチスに寄付するような人だから。
工場や技術の移転にも好意的だった。 このスレで話題だったから、九四式六輪自動貨車の同人誌買っちゃったよ
でもこの流れについて行ける知識は無いようだ… >>541
フォードはデカいエンジン積んでる分パワーに余裕があるのか
九四式はなまじ劣る出力だったから無理に全力運転続けたりしたんだろうか(虎でも似たような話が多い) >>543
失業者の雇用対策でアウトバーン建設で重機使用最小限でほぼ人力で達成したらしいのね
計画はともかく現場は当時の水準でも、およそ正気の沙汰プロジェクトでなかったらしい
まぁ鬼畜デタラメ作家の平山夢明が精神科医春日との対談本で内容が眉唾であるんだけど…
フォードがヒトラー評して「あいつは狂ってる、けどなんか違う…」とか
実行力のある基地外ってことか?
フォードがナチスに多大な献金してたのは事実 平山夢明は保土ヶ谷バイパスを手掘りで完成させるようなもん、とか書いてた >>541
エンジンのポイント性能で追い付くのが1980年代半ばでエンジン全体で見て1990年前後かね。
シャシー性能に至ってはもうね… フォードは日本でも、一貫生産する工場つくる、部品メーカーも全部指導するといって
その計画もできてたが、その計画が実行されるのを防ぐために、日本が法律つくった
アメリカ政府が妨害したならわかるんだが、日本がなんだよね
その後も、豊田と提携して豊田の人間アメリカに呼んで、エンジンのコア技術から
なにから全部教えるとこれまたすごい破格の条件出したけどこれも軍の横やりで白紙
戦前の自動車行政ってなにやりたいのか理解に苦しむ >>548
それはいくらなんでも日本の技術を過少評価しすぎ
戦前戦中、戦後しばらくはアメリカにくらべ技術的にクソだったかもしれんが、
70年代から価格と品質、性能で二輪四輪輸出で日本車は世界市場を席捲してる
オイル・ショックで低燃費でアメリカの厳しい排ガス規制クリアして高性能の
ホンダ シビックやら米メーカーが分解調査してみて、設計思想の進歩ぶりや加工
技術の高さに驚嘆してるよ 1969年のホンダCB750 738t68㏋
1972年カワサキZ1 903cc82㏋やら当時世界最先端の技術で最高出力、最高速誇ったわけだが
それで信頼性耐久性が半端ない
世界中で爆発的に売れたのはむべなるかな >>544
きょうのコミケ行ったの?人混みヤだから、おれは御免だけど
クソ暑いし
軍モノ同人誌は神保町の書泉グランデでも買えるよ >>549
1931年以降と以前で情勢が違うのな
商工省と軍が協同で標準車を作り、国産自動車を育成していこうとなるのがこの時期
有事に自動車製造ができないと困るから、ノックダウンや部品下請は駄目で、完成車が作れることが条件だった
33年に日産が提出したGMとの協業計画は部品の下請から初めて、完全国産自動車は20年後という計画で、勿論却下された
日本は3万台の市場に国産が500台とか1000台で(国が必死で金入れてこれである)
まずは国産車に万の市場を与えて、何とか自動車会社が成立する状況にすることが先決で
性能や価格面で優れてる外国車を廃除する必要があったのよ
だからアメリカ車の製造工場が進出するというのは30年代日本にしたら侵略されるのと同じことで
そりゃアメリカ政府は邪魔しないけど日本政府は邪魔するという >>553
その時代、自動車の製造ノウハウってアメリカの自動車会社しかないのよ
ドイツ、イギリス、ソ連とみんなフォードの指導うけて立ち上げた
フォードの支配人は、日本人は法律さえあれば自動車ができるとおもってるようだが
できるわけねえだろと捨てセリフ吐いたし、実際その通りだった。
だから戦後どこも指導仰いだわけで。
ドイツやソ連みたいに工場進出させて戦争になったら工場ごとぱくってもいいし、
それ以外の部品工業のすそ野もフォードの金で
やってくれるという損得を考えればどうみても得のほうが大きいのだが
高度国防国家とかいう理念だけで現実見てないなと思う 戦前日本が自動車の国産化にこだわったのは、当時莫大な額に上っていた
対米貿易赤字の縮小目的もある。
軍の介入ばっかり言われるが、大蔵省や商工省もかなり強く国産化を推進している。
なので予算がいっぱい付いた。 >>554
フォードの指導受けたのは量産化であって、車作り自体は
ダイムラー・モトローレンや、ルノーの方が古い。 >>550
>>541でレースを例に上げてたから。
トップカテゴリーで結果出せるようになったのがそれぐらい。
F1とかプロトのことね。 日本に似た状況だった戦前イタリアでフィアット500トポリーノなんて傑作車が造られてる
超小型車でありながら最高の技術成果のやつ
小粒だけどきびきび走る様子がトポリーノ(ハツカネズミ)の渾名由来
実際、可愛らしいデザインだしねフランスでライセンス生産されてシムカ
タミヤから模型で出てる
同時期のダットサンと比べると洗練度が段違いだ… イタリア製品は、昔からデザインは秀逸だよな。
デザインは……。 >>559
いや、メカニズム的にも当時のブレイクスルーだったとか
現代でも大排気量の高性能車より小排気量の高性能のほうが、技術難易度がずっと
高い
ここんところの戦前クルマ話題だが、二玄社の「世界の自動車」シリーズがいいよ
初版が1970年とかで古本で数百円程度で買える
おれはフォード、オペル、ベンツ、フィアットとか持ってて、もっと揃えたい 戦前の日本の自動貨車生産台数は民間合わせてトータル40万台で
実はソ連に送られたレンドリースのトラックに数だけなら良い勝負というね
質という面では欧米に対し二流だが、ロクでもないほどでもないまでには改善されている
むしろ、例えば大陸打通戦では12000輌の自動貨車が動員されたりと、燃料の方はどうなんだというぐらいでなぁ
それでも最前線を突破する第11軍は、中国軍の籠る内陸部に進撃したが、車が入っていけない様な所だからとひたすら山道を越えて徒歩進軍…とね
トラックは植生や気候からして熱帯地方に限り
馬の方を大量に飼育した方がいい
タネはなんとか揃えられない事はない
戦前の日本に必要だったのはそういう大量飼育ノウハウを持つ業者と史実以上の化学肥料を賄える化学工業ではないかと思う
第一次大戦は日本の年産の砲弾を一ヶ月で浪費する様な、スマートな機甲戦というより砲兵火力の戦いであったが、馬の飼育において勝る各国はその補給において(自動車もあるが)主力は馬匹でなんとか成り立っている 一次大戦(西部戦線)は塹壕のすぐ後ろまで鉄道が来てたから補給はまだしやすかったけど、
二次大戦の東部戦線は、ドイツ軍ですら後方における輸送の主力が馬車だもんな。
バルバロッサ作戦に投入されたのは、将兵300万人に戦車装甲車等3500台、7000門の火砲に
1800機の航空機。60万台の自動車と、75万頭の軍馬だった。 コストパフォーマンスという面ではむしろ馬の餌代の方がバカにならない時代だったから、コスパの良い自動車化は日本もトレンドだった、それは方向性としては間違いない
しかし実態として工業力上の問題があるのもまた現実
金を取るか実を取るかどうかという話である
馬は草食動物といっても、激しい運動量をこなすので人間以上に穀物系(炭水化物)を食ってないとやっていけないからな
農業国が必ずしも工業国に侵略占領されず存続し続けたのはひとえに兵站の強さ、馬の力のなせた結果だし
馬の餌はある意味ガソリンにも相当する >>554
1920年ならその理屈は通じるが
30年になってもノックダウンのままで、ノックダウン工場接収してどうするんだよって話で
ライセンス生産を10年間蹴り続けてきたからね
しかも製造事業に関する各社各省庁の会合が始まるのは1933年で、自動車製造法の時間切れは38年
フォードは5年間何やってたんだ?
接収すれば良いというなら、それこそさっさと進出すれば良いのにしてないんだぜ
この間に書類しか無かったトヨタや日産は曲がりなりにも数千から万規模の完成車を送り出すまでになった
同じことはフォードだって出来たのに、彼等はしなかったのさ
1945年になっても27年式40馬力を作り続けてるのがソ連フォードの実態
そりゃインターナショナルのトラックを絶賛するよなあというw
夢みたいな話は夢の中にしか無いのである いや、明治維新以降人口が倍増し国内で米の自給量は辛うじてペイしてたが、貧民は国産米
喰えず安くてまずい南京米を主食にしてた国だぜ?
口減らしで遊郭に娘を身売りやら、満州やブラジルに次男以下移民させてたくらい
人間がまともに喰ってくのに大変なんだから馬の頭数と飼葉増産もたやすいことでないよ
いざ、支那事変勃発して必要とかられても、おいおい駒補充できるもんかい! >>565
米の自給はペイしてないし、身売りや移民は昭和恐慌以降の事。
トドメになったのが世界恐慌。 そこらへんは工業傾斜方針の違いだと思う
工業において日本は造船や鉄道、そして昭和以降のトレンドとして自動車や航空機などの重工業化路線を取った
化学工業において十年単位で出遅れた感は否めないのではないかと思う
もちろん戦前の化学肥料史はちゃんと存在する
完全有機栽培の作物は現代でこそステータスで拘りはあるが、俺が当時に生きていれば何であろうと口に入れただろう
これもまた化学工業化の遅れによるものであるからな
重工業・兵器産業への傾斜を見直して、もうちょっと適当なバランスはあったのかどうか、など興味深いと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています