【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ >>590
売るんじゃなくて自社工場を作る計画だったんだろ?
生産設備が利益を生むのはちゃんと動いたらの話で、不景気で車売れなくなって
ラインが止まったら利益どころか赤字出すぞ。だから赤字なんだし。
設備の維持費って存外金がかかる。 >>591
日本は世界恐慌からいち早く立ち直り、満州事変以降好景気にわいて
主に軍需だが、車両需要も増えてたので本格的に進出してそれに食い込めれば金になるという
判断はなにもおかしくない。 >>592
それなんだけどさ。
世界恐慌っていわば市場の喪失な訳で、二次大戦の遠因にもなったブロック経済圏って
いわば市場の囲い込みな訳じゃん。
だったらなおさら、日本としては他国の企業に需用を食われたくないと思うもんじゃないの?
わざわざ満州事変案で起こして円ブロック圏の確保に走ってるわけだし。 >>593
だからこその現地生産拡充なわけよ。税収は日本政府にはいるし
なにより膨大な人数の日本人の雇用が生まれる。
イギリス、ドイツ、ソ連とアメリカを締め出した国々も
現地生産拡充しますは税収と雇用を生むから歓迎したので、日本もそうだろうと考えるさ >>594
世界恐慌で失われたのは消費・重要な訳で、ブロック経済圏はそれの奪い合いでしょ?
外資入れるの歓迎したのなんて、ソ連だけじゃないか?
あそこは計画経済で世界恐慌の外側にいたので。 >>595
イギリスにはイギリス最大の自動車工場たる
フォードの工場があって、そこから生産される自動車が
イギリスの市場を占めてたし、ドイツにはオペルを子会社にしてGMが進出してる
どこの企業かではなく、どこで作ってどこに金落とすかを重視してるのよ >>596
えー、世界恐慌期には英国もロールスやらローバーやらモーリスやらレイランドやらフォーデン保護してるべ。
元々生産過剰で需要が不足してるのに、外資の生産推奨するはずがない。
需用の枠が限られたものであるなら、どこの会社が作ったって同じだけの雇用な訳で、ならばできるだけ
自国企業のほうが良いに決まっている。
オタワ会議の決定を遵守するなら、イギリスの企業が車用に輸入するゴムにかかる関税と、
フォードが輸入するゴムにかかる関税は大きく違ってくる。 >>597
その恐慌期の1932年、ダーナムで生産されたフォードのモデルYが発売され
英国内で£120という安価で販売され1933年には3万台以上を売る大ヒット作になり
最盛期はイギリスの市場の4割を占めた。 >>597
またフォードモデルCはライバルのルーツ自動車のヒルマンミンクスが£159
だったのに対し£135と安い。このように外資の生産推奨するはずがないなんてことはない >>598
えー、1932年の英国の乗用車生産台数は17万台なのに、年3万台売って四割?
ちなみにイギリスは世界最大のブロック経済圏を構築できた国なので、一番国内産業の保護に成功した国でもある。
大恐慌前の1929年と32年比の乗用車生産台数で、
アメリカ 460万→110万
イギリス 18万→17万
フランス 21万→14万
ドイツ 12万→4万
イタリア 5万→3万
日本は1000の桁で四捨五入すると0万→0万である意味一番無敵とも言える(言えない) >>600
1933年の数字だもの。初期だけ売れて終わりなんてわけじゃないしな >>601
「最盛期はイギリスの市場の4割を占めた」って言うけど、その最盛期っていつ?
そしてその四割は、その年の販売台数? それとも保有台数に占めるシェア? 1936年から自動車製造事業法でバリバリ国産優遇した日本でさえ、
1937年は国産1.8万台に対して、輸入車と輸入組立車が3.2万台。
38年になっても2.4万台対2.1万台だしなぁ。
四割はアメ車が占めている。 >>593
ブロック経済圏がわかってねぇな
当時は不換紙幣で
国同士で適当にお金を刷りまくっていて
コンピューターの無い時代でそんな事やったから
交換レートが弾き出せなくなっただけだよ
だから外国から大事な物を購入する場合
ゴールドとかしか無理になっただけだ
こういう時、生産設備はゴールドと同じ働きをするし
車も同じだ
車も生産設備も輸出入はゴールドで取引になる
車の輸入が減れば、国のゴールド輸出は防げるし
車を輸出できればゴールドが手に入る >>602
Ford UKのHPによると1937年
1937 – At it's peak the Model Y captured 41% of its market sector. >>597
イギリス・フォードはトラクターも作ってるから
食料生産にもかなり貢献してるんだよ
しかもこの後、戦争が始まったら360,000台の各種車両と
34,000基のロールス・ロイス マーリンエンジンを生産したから、とんでもない貢献をする事になる
マーリンエンジンは週400基生産と言われ、これは元のロールス・ロイスの月単位の生産に匹敵するとか
しかも品質は本家ロールス以上の仕上がりで
この辺の生産お化けは、やはり車メーカーならでは >>604
日英が金本位制やめたの1931年だし。
アメリカは1933年で、世界恐慌のせいでだろ。
フランスは1936年まで粘った。 >>605
どっちかわからないけど、出荷に占める割合と仮定して。
1937年のイギリスの乗用車生産は39万台。
これの41%と言うと、16万台だ。
イギリスにおけるフォードY型の生産数は、1932年〜37年でダーナム工場とコーク工場計で16万台。
これ累計を一年に盛ってるよね? やっぱ高校、大学で乗馬部を補助金で支援するとか
主要観光地の巡回路線を馬車にするとかして馬に接する機会を増やすのが
豊かな国のあり方じゃないかな
タイの象に乗るアトラクションとか人気あるし、馬に接するのは情操教育に良いと思う 日本の馬術界ってどんなもんやろ
秋山好古と西竹一のお二方しか知らんわ 航空関係はグライダー部とか作って普及を図ってたな。
馬は……一部田舎だと家にいた勢もそこそこいた時代ではあるけど……。 家で馬飼ってた人は優先的に砲兵とか輜重、歩兵でも歩兵砲隊に回されるとかあったのかね?
シャバで土方だった人は優先的に工兵に回されたそうだけど。そのせいで工兵は気が荒いといわれていた。 自動車運転技術、料理人、医療薬学関係者辺りは入営前の職業が考慮された話を聞くけど
馬の扱いはどうだろうなぁ
20歳徴兵じゃなくて戦時の召集は社会人経験ある人多いから、色々考慮されたり
考慮されなくて不満覚えた回想記があったりするな 川と海でヨット部、ボート部を支援
現代日本がイマイチ幸福感や一流国としての豊かさが感じられないのは
アンティークな工業品の趣味、乗馬、ヨット辺りが弱いからかな
米国のクラッシック機やスポーツフィッシング、ヨット、カヌー、エクストリームスポーツとかアウトドアの多彩な趣味が裏山 戦中、早稲田に野砲班なるものあったごとく、大学に砲術部でも助成金でつくればいいんだよ!
夏休みに陸自に体験入隊とかな(笑)
ストレス発散で155mmぶっぱなしたくて勤め人の有志も殺到しそうだ
下っ端は当然撃たせてなんかもらえない。ひたすら砲弾を人力搬送と砲弾磨き、煙突掃除人よろしく
砲腔清掃だ
精神と肉体を鍛えたのを万人に認められて修了証が与えられる
資格ゲットのセレモニーは発砲時、紅白に綯った拉縄をひいて、さめざめと感涙に咽ぶつー
寸法だ >>607
幾らなんでもブロック経済知らなさ過ぎ
1929年から、通貨切り下げ競争が起きて
結果として金本位を維持できなくなったんだよ
何で金本位できなくなったかちょっとは考えろ >>600
そもそもイギリス フォードは国内生産だし
あと、フォードYってのはイギリスの馬力規制税制に合わせた
小型車で
当時の主力A型やB型の直4の3.3 Lでは大きすぎたので
1Lの直4にまで下げたもので
日本で言えば、フォードが軽自動車作って売った的なモデル
一つ上の1.2LのモデルCすらイギリスでは今一売れなかった >>616
むしろ最後まで金本位引っ張ったフランス・オランダ・ベルギーの一群は
ゴールドブロックって言われていたけどな。 >>617
むしろ工場名まで出てるのになんで国内生産じゃないと思ったの?
そもそも当時イギリスで販売台数的に主力だったのは小型車だからな。
29万台を売ったオースチン7なんて0.75Lだぞ。 >>608
日本なんか戦前でマックス合計10万両くらいしか車両作れん勝った
戦争計画の失敗は鉄鋼生産増強ー自動車製造増やすとかの措置が
海軍建設より後回しにされた。これが敗因
馬鹿海軍が暴れて軍拡するからアメリカに警戒されて競争不利になる
開戦や衝突が不可避なのはりかいできるが、海軍のミスが不利な驚異論と警戒包囲網を大きく誘発しつつ
工業近代化を事実上遅滞させてしまった
これ多大なミスなんだよな。海軍は幼稚に派閥×軍産複合体主義に走って結果ミスリードになった
もっと自動車×弾丸×製鉄にリソースさいてほしかった。 日本の自動車生産が少ないのはエンジンの供給が少ないからで、それは航空機と
被るからでもあるからなぁ。
鉄の問題じゃない気がする。鉄なんて輸送船一隻作るのやめたら何千トン単位で浮くんだし。 NHKでノモンハンやってるが当時の映像あったんだな。 俺も今見終わった。
しかし関東軍参謀連中や小松原師団長の稚拙な指揮はまだしも、対戦車戦闘において20mm自動砲が更なる集中配備されていれば歩兵の肉薄攻撃をゼロにして損害を千名減らす事も可能だったろう…
九x式徹甲弾の時代は破甲榴弾並みに炸薬が入っているものが多く、その時点での九四式速射砲の貫徹力は実は自動砲と大差ないため対戦車戦闘においては下位互換に過ぎなかった
後に一式徹甲弾で巻き返すが せやろか?
20ミリ自動砲が集中配備されていたら、壊滅が数日伸びただけで損害は変わらんのではあるまいか? 20mmって徹甲弾でBTの正面装甲抜けたっけ?
歩兵相手には牛刀をもって鶏を割くの類で、しかも破片威力には期待できんから、まあ中途半端よね
もそっと大口径の対戦車砲と92重機の充足をってことになると思うがねえ 自動車にリソース割きたくても
何十万台も保有するには国内産業と国内市場が必要だし
短期的には鉄道とかち合うんで、これまた政治や製鉄とぶつかるし
モータリゼーション化は国内土木産業ともぶつかるし、これまた人が余ってるから機械化とぶつかるしで
まあ一気にいろいろ塗り替えるには戦争に負けて全部パアになるぐらいの衝撃が必要だし
それがあっても未だにいろいろ身動き取れないものは多数あるしで
だいたい全部当時の人も思いつきはしたけど出来なかったことだよねえというオチである >>625
九四式速射砲と大差無いという日本軍の記録があるよ
その九四式が抜けたのだからやらないはずはないと思われる 火砲過去スレより
0479 名無し三等兵 2017/09/16 07:49:09
昭和十五年初め頃三十七粍砲廃止論が一部の人の話題となり、
その理由とする所は九四式の本砲の徹甲弾は、九七式二十粍自動砲の徹甲弾に比し鋼板貫通力大ならざる点に在りとす。
其の時私は三十七粍砲の九四式徹甲弾は名称は徹甲弾なるも実際は如何なる土地にても作用する如き大きな信管を有し、
相当の炸薬量を充填する破甲榴弾にして、之を鋼板貫通専用の徹甲弾とすれば貫通威力を増加し得るものなりとの説明を試みたり。
然るに廃止論者は「貫通威力を増加すると云ふが如き抽象論にては満足し得ず、幾程威力を増大するや」との質問をなし
私は「四十パーセント位は増加可能なり」と回答せるに「四十パーセントとは如何なる意味なりや」との再質問を受け、
「今射撃距離500米にて貫き得る鋼板を700米にて貫き得るものなり」と答ふ、「それだけの威力があれば三十七粍砲も棄てたものに非ず」との結論を得たるを憶ひ出す、
かくの如くにして、新に三十七粍徹甲弾の研究は熱心に開始せられたり。
此と併行して新火砲として現はれたる四十七粍砲の徹甲弾の研究をも実施す。
どうやら砲弾の方に問題があったというべきだね >>623
アスペ全開だなぁ
駐在武官がソ連内で戦車の大移動を見て報告したのに
対戦車兵器とか飛行機を寄こせって提案を
上層部が握りつぶした話だろ
何でいきなり20mm自動砲の話になるの
病院行けよ なんでそんな食ってかかる様な攻撃的態度しか取れないんだろうねぇ…心に余裕が無いのかな 20ミリ銃は単発でええやろ
15キロぐらいに収めろ 大学に火縄銃愛好会を立ち上げてガン愛好家を増やすのがよろしい >>499
実はね、連隊砲になった四一式山砲の砲身には「(歩)」って彫ってあるの…。 日本の山砲のスペックに慣れた軍オタからすると各国の山砲のコスパがうんこすぎる
そりゃ射程長いのはいいけどその為に増えた重量でかすぎでしょという
逆に野戦重砲とかは重量/スペックが諸外国に比べて微妙なのにね
日本は山砲だけ突出してる 他の国は山砲にリソース突っ込むぐらいなら迫撃砲にするからな いや81mmと120mmに関しては各国ストークブランのパクりみたいなもんしょ >>637
驢馬騾馬戦力化できなかったのが大きい
小柄の割に力持ちの家畜 車両通行できない急峻で山砲兵がつかうの他国では常識だったのに
仏教の日本は肉食文化が傍流でももんじとかいわれていたし、牛馬も妊娠中に酷使したりして
早産して産まれた子が小柄で虚弱とか益畜育成技術が西洋どころか支那、朝鮮にもずっと劣る水準だったからな
偏見なしにこれは事実 日本はそういった悪条件が重なって、驢馬騾馬のかわりに山砲兵が重量100kgの砲身やら担ぐ場面が他国にくらべやたら多かったわけ
山本七平は日本陸軍の山砲兵がもっとも辛酸嘗めた兵科とか書いてた 育成技術的にはそこそこ高かったと思うけどな。
日本は近代に至るまで、馬の去勢技術がなかったのが問題。
去勢していない馬は気が荒くて扱いにくい。
なので江戸時代までの日本では馬を扱えるのは一部の専門職だけだったし
それだけに扱う技術自体は高かった。 >>643
うーん、けして言いたくはないけど、優秀な雄馬だけ種にしなきゃダメでしょ的な
ナチスの優性思想みたいで、おれが人非人みたいでヤだけどさぁ…
たいしたことないオスの扱いで右往左往兵隊の時間と精神、労力を消耗してるのは
やはり国防的にはいかがなものか?てことだろうね
西竹一のウラヌス号ほどの逸材なら暴れ馬を御す甲斐あるだろうけど >>644
うん。だから馬の去勢技術がなかったのが問題だったって言ってるじゃない。 メッカチって徴用去勢雄馬の話は大陸の戦記でよくでてくるよ
椎名誠のモンゴルエッセイで馬の去勢の話あるし、大陸に浸透した1930年代には日本に普及
してた模様だ マレー作戦ではトラックに鶏積んで進撃
完全栄養食である卵を随時補給
もちろん鳥も食う
これは捕虜になった英軍兵士も感嘆してたぐらいだから、小さい生き物にはそれなりに理解があるんだろうな日本陸軍
基本的に大型・高額の生き物の扱いは二流になる >>641
小さく生んで大きく育てるのがいいという信仰があったからな 鶏は中世から飼ってて、ほっといてもミミズつついたり雑草ついばんでて、キツネやらイタチの害獣
対策してればほぼ放置プレイで殖える
犬や猫は大昔から日本人との親和性も半端ないんだが、たしかに牛馬は中世から関わり
あるんだけど扱いがめちゃくちゃ下手みたいだな
大名の馬なんか特別誂えで体格、見目麗しさやら扱い水準も半端なかったみたいだが、一般の水準はクソといって
よかろう ガダルカナルでめずらしく日本軍撮影四一式分解輸送してる写真があるね
車輪かついで丸太一本橋渡ってる
重いのもそうだしバランス感覚必要でまるでサーカス団だよ
オーストリアやイタリア軍はアルプス擁してた関係で山頂ワイヤーで繋いで砲移動とか
サーカスまがいのこと一次大戦で平気でやってたけどな… 当時は人が分解して担げる投射兵器では迫撃砲か山砲が射程と威力で最強だったと思う
ロケットや無反動砲が普及するのはそれよりあとの時代 日本のは本場ドイツ・オーストリアとかの山岳猟兵部隊には使役ノウハウの関係上実力としては敵わないんかね
実際に日本軍、そういう地形だと散々やし
野砲兵だけど長沙作戦とか苦戦したし、シンゼイワ包囲戦とかは山砲もあまり有効に活用できてないし
まあ戦国時代から山越えして攻めるってのは相当敵有利ってのが分かり切ってはいるんだけども オーストリア併合でのドイツ軍事上の最大メリットは有力な山岳部隊を自軍に編入できた
という話はあるね 山を超えて攻めるのはいくら人海戦術でカバーしようとしたソ連軍でも辛いものがあるんだろうか コサックはそういうのお家芸でソ連軍も斥候や山岳戦で重宝した
ドイツ軍も連中の能力評価してさかんに懐柔してたね
山岳少数民族以外の一般のソ連兵はそういうのは苦手
沼沢地徒歩浸透突破みたいなのは得意だったみたい そもそも日本軍は満州の広野でソ連軍と大規模会戦する気だったから比率としては貧弱な山岳師団より重砲を盛んに装備した野砲兵師団を志向したんだと思うけど
それが思わぬ地域に配置される事が多く、貧弱な補給力の方が耐えきれず、結果として実態は山岳師団並みに火力が落ち込む事になる(沖縄などを除く)
まあー、九四式山砲×24と九九式十糎山砲×12混成の36門編成の一般的な山岳師団を主力に据えて、大規模会戦では足りない火力は流動的な軍砲兵(十五糎榴弾砲、十糎加農)を逐次配備するじゃいかんのかね…
ちょうど宮古島の第28師団とかが近いね
歩兵隊は日露戦以来の精鋭だし、足りないとあらば軍砲兵の配属を受けてるしな >>641
国産馬がだいたいにしてラバみたいなもんだろ うーん
駄載に関していえば驢馬が国産の糞雑魚に負けるわけがない
元来ロバはパワー、馬はスピードだった
はるか後に人間が登場した重種の馬は別としてだが
日本は北海道を除いて重種があまり手に入れられないので、あまり縁が無い話だ
ただ小さいだけの馬より驢馬の方が駄獣としては上
日本は軽い馬車や農耕具を引かせる軽種ばかりだったので力もなかった
そのせいで三八式十五糎榴弾砲は事実上8頭ばんえいは不可能だった(10頭ばんえいでは大半のカーブを曲がりきれない)
山砲にも厳しい制限が課せられた(しかしこれはそれが転じて傑作砲を生む原動力となった筈) えー、パワーもスピードも馬のが断然上だろ。体格からして全然違う。
ロバの利点は、大人しくて従順で扱いやすい事と、粗食に耐える事。
あとは荒れた山道に強い事。
で、馬とロバを掛け合わせていい所取りしたのがラバ。
馬に迫るパワーがあって従順、粗食に耐えて山道にも強い。
ただし、完全な異種交配なので繁殖力はない。
ライオンとトラを掛け合わせたライガーとかと同じ。 すまん、小柄でパワーある、という意味だ
小さい国産馬はでかいロバよりちょっと重いぐらいだろうし、ロバの方が総合的に良かったと思う
そりゃ、でかい馬に比べれば遥かに貧弱 ロバでもラバでも駄載量は100kg前後で馬との差なんか無いも同然
それに駄載は毎日積み下ろししないといけないんで
結局人間側の腕力や作業力も問題になるのじゃな 駄載量は移動距離によるけど、陸軍の目安だと若い馬で
体重の30%、年行った馬で20%。時速四キロで四時間歩いて休憩。
当時使っていた軍馬は体重400〜450くらいのが多かったので、
80kg〜135kgが目安。
ロバやラバは中国現地で買ったり、御者ごと雇ったりして使うケースが多かったけど、
その駄載量の目安はロバが120斤、ラバが1.5倍の180斤。この斤は中国斤(市斤)で、
1斤=500gなので、60kg〜90kg。速度は馬より遅い。
ラバが馬に並ぶ性能を発揮できるのは、荷車を曳く場合。駄載よりこっちの方が得意らしい。 >>649
江戸時代中期までの人口大激増期に、農村で牛馬の数を減らしてそのためのリソースを耕作地化してるのよ
牛馬を食わすにゃ大量の草地が必要だが、灌漑の出来るところなら可耕地でもあるんでな
んでこれまで牛馬にやらせてた労働を二足歩行する生物が代替するブラック農業伝説、と
その過程で、それまで農村に保有されてた使役動物管理のノウハウも消失までいかないでも細っていったという
なんか何でも現状を民族性とか文化人類学的なものに求めるような風潮があるけど、実は歴史的選択の結果でもあるんだな >>663の指摘する通りなんだよな。
歴史人口学等によれば、江戸時代初期までは、それなりに農村に牛馬がいるのだが。
江戸時代中期以降になると平和に伴う人口増加を養うために牛馬の代わりに人間を使うという
ブラック農業が日本では当たり前になる。
諸外国ならその人口増が植民地開発に向かうのだが、日本の場合、鎖国したので植民地開発に
その人口を向けようがなかったという哀しい現実が。 植民地開発に向かうと言うか、隣国への進出に向かうパターンがほとんどだな。
明治以降の日本もそう。 あー和民屋ですかい。人口増加で蒙昧の民を低賃金タダ同然で牛馬以下コストで泥まみれ田んぼ、畑で
四つん這いに「死ぬまで働け!」でガツガツに働かせると…
陸軍でも将校 下士官 軍馬 兵隊の扱い序列差であったけど、けして笑えない事態だよねぇ なんだ、江戸時代の環境と西欧ではラバロバが担う山砲部品を日本軍では山砲兵がみずから
背負ってた、基本的な構図はなんらかわらんのな… それで九九式十糎山砲評判が極端に悪い 嫌いという当時の山砲兵が多いとか
戦車マガジン「知られざる日本の兵器」連載だが、竹内昭さん佐山さんやら後生の研究家以外に実際砲に接した
、とか本人に聞いた人が書いてる記事がある
分解重量では日本軍基準で駄載、人力搬送で限界値だったんだろう
シュナイダー製であるためか当時の兵隊の話で防盾形状が好きになれないとかも書いてる
配備状況本来の山砲兵装備というより、>>656の記述のように離島防衛用の軽榴弾砲
扱いとして使用用途変更されたものらしい
残念ながら、この記事はグランドパワー再録本に載っていない どのみち暑い南方ではお馬様は無駄に死ぬだけで、モーターリゼーションなにそれの
貧乏国は兵隊がかつぐしかねえんだよ。で結局最強火力は兵隊がかついて運べる92式重機に往々にしてなるのだ 十糎山砲は第一次大戦のやつをこちらでちょこまかと再設計したものだからなー…左右射界が狭い
最も重い砲身重量は119kgなので、100kgの壁を余裕オーバーしてしまい、とうとう一人で担げなくなってしまったし
しかし十糎榴弾の制圧力は十二迫が無い大概の日本軍にとっては有難いんじゃね
代用品的なものとして
しかし日本軍って75mm×24+105mm×12の編成が好きだよな野砲兵も山砲兵も
理想的な比率は十糎と逆にしてそこに十五榴加える48門だが 砲身重量100kgで1900年代四一式、1930年代九四式で射程2km伸びたのは自緊法の技術
革新だけど、人力ではこの100kg重量が越えられない壁なんだろうな
この砲身重量枷では当時の技術で究極の砲設計してる 九四式は20.8口径長、四一式は18.4口径長だけど両者ほぼ100kgなので、単位砲身長あたり1割以上軽く作れる計算になる
てことは四一式を自己緊縮法にすれば90kg未満に砲身重量を抑えられるのか
いやむしろ同じ砲身重量で砲身長一割強長く出来る出来ると考えるべきか
四年式十五糎榴弾砲の砲身を一割延長すれば、初速も上がって射程が延伸され、ブラストも低減されて砲架への衝撃荷重も和らぐ
改造四年式の装薬は非常に強力だったという事だし 自緊砲身造れる設備は日本の場合、とくに限られるんすよ
だから旧式砲の砲身改良より新式製造ラインにすべて投入したほうが吉という寸法
旧式設計だと性能は据え置きで従来ラインで焼き込めなり内管交換式砲身生産したほうがいいということになる
もちろん理想的な形でないのは自明だけど
旧式兵器をアップデートして戦力増強するのが王道であるね というか第一次大戦のドイツの15cm sFH 13を調べていたら17口径長で2.2トンか…異常なまでに軽いな
四年式は12.6口径で2.7トンだというのに
しかも射程は改造4年式と大差ないが砲弾重量42kgあるから、弾重を考えれば改造四年式より長射程の砲に相当する
36kgの九二式榴弾使えば射程は10km届くか届かないかのところまでいくだろう
分解結合機能が無いと、ここまで軽量長砲身化出来るのか…
自己緊縮砲身を使っていないのなら、そこで更に軽量化あるいは長砲身化できそうだし
ともあれこれを参考に2トンちょいで射程10kmの十五糎榴弾砲が達成出来そうな件
そしたら他国の同級榴弾砲のスペックは何なんだって話なのでやはり何かオチがあるのかな? sFH13はもともと短砲身だったんだけど、途中で「ランク」って英語でロングの長
バレルに換装してる
それが、結果的にもとの砲架のままで軽量て現象生んでるでは?
一次大戦のドイツ砲10.5cmカノン、21cm臼砲も長射程化でランクバレルに換装してるよ >>675
他国の十五糎を嗤うかの様な謎スペックこそ第一次大戦のドイツ軍重砲兵火力の一因といえるな…
いやマジでチタン合金使ってんのかってレベルで比重スッカスカやなぁ
命中精度を重視したドイツ軍だからロクに当たらんと言うことは特に聞かんし
砲身長いから却って砲架への衝撃荷重が減ったのかね?
あとドイツ語ウィキペディアだと39.17kgの砲弾だと8900mだった
36kgだと10キロは行かずともそこそこ行きそう 15cm K16が射程22km達成してたりね
当時としてはすごい値
GPF 155mmが19kmなのに
要塞攻略の立役者41cm榴弾砲、パリ砲が射程100km越えとか天本演じる死神博士みたいなすごい神エンジニアがクルップにいたらしい 馬は過重労働や過積載で直ぐ死ぬよ
日本軍のようなブラック企業軍隊は馬を
過重労働や過積載で無駄死にさせまくった無能軍隊で
インパール作戦でも軍票で集めた馬は平均以下しか持たなかった
・騾馬:73日
・中国馬:68日
・日本馬:55日
・ビルマポニー:43日
方やイギリス軍は
途中の目的地までは自動車で戦略物資を運搬し、軍馬は裸馬で連行
自動車の運用が困難な山岳地帯に入って初めて駄載に切り替え
日本軍のような馬の短命の無駄死にはさせず
高い継戦能力を支えた そういや第二次大戦でも17cm K17とかいう、何故かうちの九六式十五糎加農より射程長くて遥かに軽量な超火砲作ってたなクルップ
満州国皇帝にしてやるから日本来てくれよってレベルの火砲エンジニアだな 誤字った17cm K18ね
15cm sFH 13は評価に値すべき砲だと思う 第二次大戦の独師団砲兵は射程不足・数量欠如・運用稚拙の三重苦だったな >>680
目をつけられて戦後賠償でほとんど戦勝国にもってかれたらしい
臥薪嘗胆で再軍備にそなえて秘匿してたドイツ国内の砲をわざわざアルケット社がフランス軍の装軌車に架設して
ロレーヌ・シュレッパー自走砲となった それ考えると15cm歩兵砲(sIG 33)はドイツにしてはフツーの出来だな
500kg軽いだけで射程半分だし
やはりラインメタルだからか?
同じドイツの会社でもクルップとラインメタルで格が違うんだろうな 重砲得意なのは歴史あるクルップ、対戦車砲と高射機関砲で新機軸進取に富むラインメタル
とそれぞれ得意分野がある
ラインメタルの旧社名はエアーハルトか
砲架はクルップ、砲身はラインメタルの15cm sFH18とか
ブルムベアの砲はシュコダ製15cmやら ビスコンティ「地獄に墜ちた勇者」どもはクルップ財閥の人物をモデルにした映画だったり
したね 7.7cm FK 16で3020門以上、10.5cm le FH 16は知らんが15cm sFH 13の生産数3409門とある
これで全然足りて無い、というのだからまさに砲兵と馬の時代だったんだなぁと
ドイツ帝国軍主力と真っ向からやる羽目にならずつくづく良かった(あり得ない話だが)
日露戦期の日本陸軍を想起させる、(というと規模・時代からして語弊があるが、)かつての日本軍の考えるかくあるべき姿というのをつい投影してしまう
そういえば日本も日露戦で馬の貧弱さを痛感して、ペルシュロンとかいう普通の馬の倍の重さの重ばん馬を導入決定したんだよな
フランス原産でナポレオン軍も使ってた最大最強クラスの馬
ミニドイツ帝国軍みたいなのになりたかったのが、いつからか色んな国のインスパイアが混ざり過ぎてそこに国産オリジナルの思想も多分入って、色んな意味で個性的な所帯になったが >>678
インパールは馬も使い捨て前提で過積載して、潰れたら食料の
ジンギスカン作戦だから。 モンゴル人の方のジンギスカンが元ネタだからな。
ある意味馬は一番ピッタリ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています