【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ 神輿方式だね
航空爆弾を夜間搬送して地雷かわりに埋設するのによく使った
担ぎ方で効率的なんだが、南方の植生が密だときびしいね 担ぐ事、持ち上げる事、背負う事、これらは同じではない。
腕の力で持ち上げるのと、担ぐ、背負うのは違うというのは理解して欲しい。 >>755
棒に吊って二人で担いでる写真は見たことある。 いまホームセンターで売ってるやつでなく、現場の業務用セメント袋で25kg
ふつう建設作業員なら横曳きって横移動なら二袋平気で担ぐ
階段揚げだと二袋はキツイよねぇ
おれは一袋が40kg50kgの時代も知ってるけど、大学生アルバイトのとき若いとはいえ、よくあんなもん
持ってたもんだ
あまりに職人連中がギックリ腰頻発するものでお上の指導で20年以上前にいまの25kg仕様になった >>755
それまさに>>478で四一式山砲の砲身を使ってベトコンがやってる
一人に負担を集中させるよりこちらの方が遥かに合理的 佐々木さんの衝陽から桂林への追撃戦の話で、獣道を不眠不休で行軍中に
夜間居眠りしてた兵ごと砲身馬が谷底に落ちて引き揚げる話があったな。
佐々木さんの乗馬は中国馬で砲身乗せた馬は日本からの馬でなんとか号という名前がついてたが思い出せない。 ベトナムの連中は自転車に荷物50kgとか括り付けて二輪台車かわりに手押ししてるん
だよなぁ
これだと、徒歩踏破できる地形ならたいていクリアできるし、体力の消耗も手持ちより
かなり軽減される
やはり米軍、中共軍打ち負かしただけあるよ
貧乏人カネはなくとも知恵があるつうか、アリンコパワーつうか いや、ベトナムの場合は日本軍より一歩進んで補給手段として隘路の自転車物資輸送徹底してるんだ
単なる模倣にとどまらない学習能力が半端ない 中国軍自身、鹵獲品で米軍とやり合ってるからなぁ
朝鮮戦争時の小火器は7.92mm口径で、火砲は日本製山砲(四一式、九四式)と国民党軍の米製M116山砲(M1A1 75mm榴弾砲)やその他雑多な鹵獲砲メインでうまく戦い抜いた
陸戦に関して言えば投降した国民党軍・日本軍の兵器で善戦しており、意外にもソ連製兵器を纏った北朝鮮軍よりもどちらかというと旧態な装備である
どうも日本軍は機械化砲兵(自動車編成師団の機動砲兵や、軍砲兵用の野戦重砲)を除いて山砲を主力とすべきでは無かったかとさえ思える 損害もなにも顧みずに消耗させてるだけだろ。そもそも旧国民党の投降兵が主体で
兵器は鹵獲兵器と失っても痛くないものばかりというあたり露骨なまでの廃品処理だ 必ずしもそうとはいえない。
中国内の勢力争いで割り食った第四野戦軍系統の部隊が送り込まれている。
中越戦争にも旧四野系の部隊が主力として送られた。 時代も本土からの距離もその土地に関する知識も何もかも違うのに比較されても >>766
いや当時の中国軍自体がそんなもんだよ
基本的にバックハウザーの様な山砲や8センチとかの中迫撃砲が主体
122mm加でガチンコ砲兵戦を挑んできたり戦車旅団で大規模突破かけてくる様な、そんな型の軍隊じゃない
だからそんなロートル兵器でもこれぞ我が軍といった有難い装備だった
国民党軍同様に夜間浸透、白兵戦闘を多用する、兵器も戦術もそれほどハイテクではない、枯れた技術に強く錯綜地形ではかなり強力な集団
日本軍(特に南方方面)のかくあるべき姿 南方たってな、島嶼なのか結構大きい島なのか、そこの開発されどはどうなのか、全部違うわけで
しかも戦場になった土地の詳細な情報も無いし、どうやったって海岸に上がった物資は処分されちゃうわけで
道路啓開用の土木車両が充実してて、速やかに奥地に送り込める水陸両用自動貨車が揃ってても
「あ、道路だ」で空襲されてオシマイ
ベトナムや朝鮮のように政治的な安全地帯があったわけじゃないからね
相手が飛車角落ちしてくれるなら打つ手があっても、相手が全力じゃそれでは追いつかないわけであるよ いやいや南方で一定の面積を持つ島なら錯綜していない地形なんてほとんどない訳で…
そんな強引などっちもどっち論じゃなくてさ、環境に適応した姿だろうって話
なんでそれで「どのみち海岸で〜」なんて極論に走られる
それこそどの島だの言う前に「どの時期」を想定しているんだろう
どのみちそういう状況では揚陸中の被害も大きく重火砲の揚陸断念も多いので軽量な山砲の価値は何ら揺らがない筈だが それこそ射程のある大型砲のほうが運ぶ距離が短くて楽なぐらいだ
極端な例はガダルカナルで飛行場を射程に入れる場所まで推進できたカノンは撃ち続けられたが
歩兵砲は歩兵の移動にすらついていけず陣地撃つとこまでいけなかったんだぜ
速射砲すら海岸に埋めたとかやってるんだから錯綜した地形以前の話
山登りのクーリーさんたちだって基本的に登山道という道路を進むように、密林は道路が無いとね
そして日本軍を追いやった米豪軍は普通に大きな大砲でドカドカふっ飛ばして進んでる
機動力の発揮を妨げる地形である以上火砲の射程と威力&制空権が支配する
そして頑張って山砲を運び込んでも、糧食も弾薬もついてこないわけよ
山砲なら弾薬要らないわけじゃないし、過酷な人力運搬を求めるなら糧食だって豊富であるべきだ
そしてそれらは道路がないと海岸から運び出すのも大変であるんよ それこそ観測手段がなくて飛行場というでかい面目標にチマチマ砲撃するしかなかったじゃないか
とてもじゃないがまともな砲兵戦闘ができる様な状況じゃない
戦史をどうこう語るならニューギニア砲兵隊戦記でも読みな
歓喜嶺でどの様に善戦したか、ネットじゃ数行しか触れられていないその実態がよく分かる ガダルで速射砲埋めたのは川越えられなかったからじゃなかったっけ?
揚陸点から移動する攻勢側と、拠点を守る守勢側で重砲の扱い変わってくるよね。 一式47mmは二門は海岸に埋めたそうだ
河岸に埋めたのはラ式のはず
NHK「ドキュメント太平洋戦争 敵を知らず己を知らず」によると蘭印鹵獲ボ式山砲は部品ばらばらに放棄かな >>743
この人ら、栄養たっぷり摂って登山道を短パンに出来のいい現代のトレッキングシューズだろ?同じ重さ担ぐんでも
南方の山砲兵のほうがはるかに過酷だ
未踏の原始林の急峻を栄養不良でマラリアやら悪疫にやられ鉄帽、銃剣、やら装備がプラス
雨にしばらく浸かると分解する靴だぞ?
班長の鉄拳はもちろん敵の弾も降ってくる!
とにかく靴擦れが痛くて脱げないやら傷から感染症なるやら、戦時中の靴に関する悲惨な記録は多いね いや「米軍や豪軍も大きな大砲使ってたから!」とか、それ日本軍を理解して言っているのかねぇ
山本七平の「下級将校の見た帝国陸軍」に、鉄兵団の将兵(野砲兵第十連隊)が十五糎榴を悲愴な顔で「舟曳き人夫」のように曳いて三百キロ歩く、「地獄の行進」を見たときの感想が書いてあるね
最大級兵力投入のフィリピンなんかは戦域が広いんで、敵が至る所から侵入してくる
突破された穴から戦線崩壊を防ぐ為に「転進」が行われるから、防衛戦でも半固定砲床的な運用ではなく機動は必要なんだよ
バレテみたいな山岳地帯ならなおさら軽くて分解できない歩兵砲的な性格強めないと遺棄する量が増えるだけ
実際に44年度の兵器別生産実績では野砲・十榴・そして十加以上の野戦重砲は軒並み生産数がゼロになってる
そこに防衛戦・攻撃戦とかの区別はない
馬も車も不足しているなかでそんな火砲は戦域がクソ狭くない限り使い道がないだけ
必要とされているのは単に高性能な兵器ではなく戦場を選ばない兵器なのよ >>776
だから>751で言ってんじゃん、四一式すら過重で操砲人員過多、もっと軽量な火砲を日本軍は開発しようとしていた
IG L/13ならもっと軽量だよ
それに史実でも野砲で山越えとかの方がもっと悲惨だから
ボ式ですら「あまり小さく分解出来るように作られてない」と不評タラタラだった日本軍が、野砲をそういう戦地に投入したらもっと酷い結果にしかならないと思うんだ
勿論、「そもそもそんな地域行かん!」がまかり通るならどれだけ良かった事か、って話なんだけどね 砲の軽量化ももちろん靴もだよなぁ
装備の周辺、被服領域で気付きにくいけど
児島さんの「誤算の論理」にあるんだけど、分捕った米英軍のやつはバカでかくて大概サイズは合わないんだけど
日本兵の感想は「畜生、よく出来てやがる…」だった
すでにグッドイヤー製法採用しててすごく丈夫
明治維新で革靴履きだして数十年の日本と西欧キャリアの差だね 砲の軽量化ももちろん靴もだよなぁ
装備の周辺、被服領域で気付きにくいけど
児島さんの「誤算の論理」にあるんだけど、分捕った米英軍のやつはバカでかくて大概サイズは合わないんだけど
日本兵の感想は「畜生、よく出来てやがる…」だった
すでにグッドイヤー製法採用しててすごく丈夫
明治維新で革靴履きだして数十年の日本と西欧キャリアの差だね 砲の軽量化ももちろん靴もだよなぁ
装備の周辺、被服領域で気付きにくいけど
児島さんの「誤算の論理」にあるんだけど、分捕った米英軍のやつはバカでかくて大概サイズは合わないんだけど
日本兵の感想は「畜生、よく出来てやがる…」だった
すでにグッドイヤー製法採用しててすごく丈夫
明治維新で革靴履きだして数十年の日本と西欧キャリアの差だね >>743
この人ら、栄養たっぷり摂って登山道を短パンに出来のいい現代のトレッキングシューズだろ?同じ重さ担ぐんでも
南方の山砲兵のほうがはるかに過酷だ
未踏の原始林の急峻を栄養不良でマラリアやら悪疫にやられ鉄帽、銃剣、やら装備がプラス
雨にしばらく浸かると分解する靴だぞ?
班長の鉄拳はもちろん敵の弾も降ってくる!
とにかく靴擦れが痛くて脱げないやら傷から感染症なるやら、戦時中の靴に関する悲惨な記録は多いね >>743
この人ら、栄養たっぷり摂って登山道を短パンに出来のいい現代のトレッキングシューズだろ?同じ重さ担ぐんでも
南方の山砲兵のほうがはるかに過酷だ
未踏の原始林の急峻を栄養不良でマラリアやら悪疫にやられ鉄帽、銃剣、やら装備がプラス
雨にしばらく浸かると分解する靴だぞ?
班長の鉄拳はもちろん敵の弾も降ってくる!
とにかく靴擦れが痛くて脱げないやら傷から感染症なるやら、戦時中の靴に関する悲惨な記録は多いね すまない荒らしではない
パソコンの調子がおかしくて連投なった次第
かまわず続けてほしい つまりは道路啓開能力も運搬機材も、栄養補給も、そして靴も、全て大きく見劣りしてるので
その上で体力任せの人力運搬な山砲に頼ろうぜってのは、何ていうか袋小路なのよな
何ていうかよりまともで、より対抗が可能な部分から追いやられ
敵も得意とはしてないけどこっちだって不得意な分野に追い詰められてるだけ
命かかってるんだから楽してズルして頂きだわな分野に突っ走らんといかんのである 確かに栄養とか筋力ベースだと現代日本人の方が上かもだが
老若男女が60kgの米俵をひょいと運んでた時代の人たちを
我々の常識で考えるのもまた間違いだと思う 未開の土地を切り開いて道作って重砲通すなんて出来る国家はアメリカだけだろ
もし実際にアルデンヌの森を戦車が通り抜ける事が不可能だったとしてもアメリカなら森を切り開いて無理矢理通しそう 昔の人は肉体労働を通して身体の使い方に習熟してたってだけよ
担げるだけの筋力はもとからあって
あとはきつい耐えられないと思う気持ちを我慢する気力とか
上手にバランスをとる技術が身についてるかどうかさ
ttps://www.youtube.com/watch?v=vBHqjhawfrs
60kg以上を担いでスタスタ歩く例。
担ぎあげる工夫やバランスのとり方で、このぐらいまでは問題ないのじゃ 昭和の人間は現代人と比べて運動量が全然違うんだが
自動車も家電もロクに普及してなかった時代、日々が今からすれば過酷な肉体労働だよ
ウンコひとつするにしたって毎回和式便所だったんだよ
これでかなり現代人の下肢が貧弱になったってよく言われるじゃないか 洋式便器は投下すると水が跳ねてくる事あるから嫌い。
他人とケツキスするのも嫌なので、外では最大限使わない。 ケツキスが嫌なら洋式にウンコ座りすればいいだけだろ >>793
それする奴がいるらしく、便座に靴の跡が残ってる事とかあるね。
それも俺が洋式嫌いな理由。 お釣は最初に紙を入れるのだがw
それと便座は拭けwそれ用の溶剤も備え付けられ始めたし
つかそういう奴は支那のニーハオ便所で挨拶でもしてろw おまけw
日本で水洗便所がまず導入されたのは
刑務所の類
それと洋式も兼用出来るしなあ
移民の帰国者も導入が早かった
(洋式のぼっとんも御座いますw)
樋田くんは今日も逃走中w
富田林から尼崎まで行った樋田くんw 小塚金七一等兵がルパング島で1972年射殺されたとき履いてたのが、コンバースの
バスケットシューズだったか >>797
七一等兵とか毎日便所掃除させられてそうな階級だな 戦後のゲリラ戦で気が荒んで小野田少尉に盾突いてガチの喧嘩したことも何度とあったらしい
信頼できる部下ではあって、フィリピン警察との銃撃戦で勇敢に散華した >>772
四年式15cmも何門か揚陸成功したんだが、第二師団の支援に撃ったところ米軍お返し砲撃で瞬殺された
とかあるね筆者失念だが
射程が九四式山砲とかわらんからね…
写真で、残ってる完全体の放棄砲写真はべつの個体らしい ガ島で重砲揚陸成功は九二式十加二門、九六式と四年式十五榴があわせて四門で合ってるかね?
海軍の十二糎高角砲もあったそうだけど 四年式は最大射程での射撃は抗耐性に問題があったかとかで砲架に相当な負担がかかるので制限されてたとどっかで見た記憶があるぞ
野戦砲としてそれなりに連発して使おうとしたら本来の射程の7850mが丁度いいんだろうな
俺が思うに四年式は砲身が短小過ぎる
砲架の重量ではなく砲身・閉鎖機周りの重量が大きいと砲架に伝わる衝力も軽減されるし、長い砲身によってゆっくり加速させてやればブラストも小さく収まるし砲身にも優しい
装薬の組成・燃焼速度をもうちょっと見直して砲身を延長した方が無難な十五榴になったろうに
短砲身で初速思いっきり上げて遠くまで飛ばそうってのがどだい無理な話で、理想的には18〜20口径程度は確保した方がいい >>792
経験ないのだろうが、和式ポットン便所だと糞が跳ねて来るんだぞ。
糞が肛門から離れる瞬間に腰浮かす技が自然に身につく。 >>803
それは汲み取り式だから満タンになりつつあるかよほど貴方が腹を下していただけだと思うぞ… 和式も紙を入れるのだが?
ずっと学習出来ない人か?w ボ式山砲の話が出ていたが、
ガダルカナル島の第38師団は、ボ式山砲装備だったようだ。
国産の九四式山砲の方が性能面でいいんじゃないかと思ったが、当時は数が出回ってなかったのかな
第38師団は支那事変で活躍、香港・蘭印を攻略した実戦経験豊富な猛者の集う集団だったらしいが、そんな彼らでも
NHK「太平洋戦争 敵を知らず己を知らず、己を知らず」の単行本によると「3つにしか分解できない」と批判される砲だったらしい
オランダ軍も中国軍も使っていたので割と出回っていた可能性
特に中国軍のは、照準器ぶっ壊されたのを工廠で修理してまで使うぐらいには分捕った しかし3つというのは取説でも読めよ!、と一瞬言いたくなったが、鹵獲品だったな 今の時代ならメーカーのHP覗いてPDFダウンロードするだけで済むんだが ドイツにはカタログあったんだな
ttps://www.usmbooks.com/bofors.html ボ式山砲はさらに分解できた。10パーツだったっけ?
蘭印鹵獲のやつは分解特殊工具まで入手してないのだろうな
それでガ島では三分割の無茶重量での人力搬送挫折の巻だろう
大陸で分捕ったやつも閉鎖機やらべつに埋められて見つかりじまい
国産部品充当して撃てるようにした
80年代panzerの木俣記事より
>>807
38師団に配属された独立山砲部隊は大陸で分捕って内地で整備したボ式山砲装備で香港で使用、蘭印作戦にも参加してるから
損失ぶん埋めるようにオランダ鹵獲ぶん同砲を追加配備されたものと思われる 訂正 wikiみたらボフォースM1934は8つに分解できるとな >>808
放棄兵器とちがい武装解除で敵に引き渡す際は取説やら特殊工具やら欠品で渡しがち
イヤガラセであるし、せめてもの抵抗なんだろう
無傷で装備接収したい敵軍が兵器本体そのものを故意に破損させてたりしたらブチ切れて
どんな過酷な自軍捕虜扱いに転嫁するかわからんけどね
付属品の不備くらいなら「本来はメッケモンだし、まぁ、しゃーないか」となる
その欠品による敵の接収戦力削ぐ効果は半端ないんだが、心理的にはそんなもん サイパン島で海兵隊によりしばしば日本軍に向けられた九二式大隊砲みたいに、鹵獲からの即時利用は防げるからな >>807
麾下配属部隊である独立山砲兵20大隊がずっと師団と一緒に大陸、蘭印、ガ島に
転戦してるためだろう
38師団の本体である砲兵連隊はガ島にすくなくとも砲は上陸できてないはず
せいぜい連隊砲くらいでは?
もともと砲兵連隊は輸送してなかったのかも
記録で読んだことないから
沖で輸送船やられて、遺体が漂着とか生き残りの兵隊もほとんど丸腰で上陸したそうだけど
第二師団のときは重砲を辛うじて揚陸できたが、輸送船はことごとく海岸で擱座した
弾薬、糧食はほとんど爆撃で焼失だね 調べたら山砲兵第38連隊も輸送されてて山砲を人力担送してた記録があるけど、定数は四一式山砲×36だった
ガ島では673柱亡くなってるね
確かにボ式装備は独立山砲兵第20大隊で9門装備だった >>816
かもしれない
独立大隊のほうが大陸分捕りスポーク転輪で山砲兵連隊が蘭印鹵獲オランダ仕様
ゴムタイヤだったか、逆か、はたまた装備が入り乱れてるのかわからん…
独立のほうはガ島で隊解散してるよ 九四式制定後に単脚砲架のボフォース模倣試作砲つくってることからすると、なにか技術的な
メリットあるはずだけど 過去スレでチラっと出た試製一式山砲か?
単脚の方が軽く出来るというのはあるよ
トーションボックス構造にしてな
左右射界の狭さは割り切るというのもまた山砲の一つの在り方だよ
バックハウザーも四一式も単脚だしな 適当にグーグルかけたら
試製一式山砲
高低射界−8〜+45度 方向射界右60ミル〜左50ミル 放列砲車重量600キログラム 初速400メートル/秒 最大射程8,5キロメートル
軽くなってないどころか重いな
これで九四式より後発というには寒過ぎる性能であるからどこからどう見ても不採用まっしぐらの砲だな…
一門は一門なので、ここで貴重な火砲一種分の開発リソースが失われたのには変わりない
然るべき将来火砲にまで手が回らなかった
何が正しかったかなんて俺にも分からんが 火砲で、こと山砲に関しては本邦が唯一世界にタメ張れる分野だと思う
九四式山砲を見ると、実はとてつもなく完成されきっているんだな、という印象を受ける
鹵獲調査した英軍の評価がそれを裏付ける
まあ一方で単脚は軸線と脚が同じ方向だから左右モーメントが小さい、つまりごく狭い範囲への射撃安定性は高い、少なくとも開脚式に劣る事はないと思うよ
九九式十糎山砲だって単脚だが、参考元が単に古かったからじゃなくて、日本が十糎というクラスの山砲をギリギリ運用できる範囲に留めるにはどうしたらいいか、ちゃんとした検討があってそうなったんだと思う
四年式十五糎榴弾砲とかそのクラスの支援火砲となると、固定目標への射撃が多くなるし、前線運用の山砲クラスなら数人でヨイショ、で即座に転回出来るから、何だかんだ言って単脚式火砲はWW2でも実戦に耐えていたんだと思う 山砲じゃ転移射とか広範囲の移動弾幕とかしねえだろという見切りであるな
どうせそれだけの弾丸も運び込めんだろうし 転移射って中国軍のラ式十五糎榴弾砲が九六式十五糎榴弾砲を撃破した時の射撃法でもあるらしいな
試射の後いきなり効力射に移って有効な射撃をするもんで、戦闘文書によるとかなりやり手の敵砲兵だったらしい >>57
ドイツの十五榴のそのうち半分弱は1944年の2295門生産で稼いだだけだろ。
日本は1944年度だけは佐山本やアジ歴主要兵器別生産状況によるとなぜか十五榴作ってないんだよ
実質的にほぼ43年度を以って調達完了(というよりほぼ終了)
43年までで見るとドイツは鹵獲砲でかなり埋め合わせしたけどせいぜいが4倍ぐらいだよ
太平洋は海空戦力メインだし満州はソ連と対峙してるだけだし、実質的な陸軍展開規模で考えるとメインはほぼ中国戦線なので、陸軍の展開規模考えればソ連とアフリカ大陸で二正面やってた頃のドイツの方こそ戦域広く、これで足りるかと言いたくなる
日本は十五榴千門は確かに少ないけど倍の二千門あったら展開規模を考えれば過剰なくらいだ 広東、香港、蘭印、ガダルカナルで使ってたボ式山砲で不満聞くのはガ島だけなんだよな
分解工具1セットでも鹵獲してれば、模倣品製造するくらいわけないからな
欧米オリジナル製品に及ばないにせよ
大陸で分捕った個体は欠品部品を内製しただけでなく、もろもろの付属品も造ったんでは?
それで独立山砲兵20大隊ではそれほど問題はないとか?
たまたま第三八山砲兵連隊が本来装備してた四一式損失したので、蘭印で鹵獲ボ式を
編入したため付属品まったく不備で「みっつの部品にしか分解できなかった」って事態なのかも
NHKの原本でも「わたしらジャワで獲ったオランダ軍の山砲使ってたわけですが…」
で所属部隊書いてないんだよ
姓名はあったから、それで部隊判明するかも
家に埋もれてる本を発掘することにしよう 追記
みっつに分解するていうと、砲身、駐退複座機、砲架と転輪の腑分け内訳なのだろーか?
人跡未踏の密林を鉈で啓開しつつ大八車みたいに砲架以下にロープ何本か繋いでゴロゴロ牽いたのか… >>825
それは総製造門数をかなり多めに見積もった累計数で同時期に実在するほぼ戦地で実用なる九六式、四年式十五センチ榴弾砲はせいぜい
500超えがMAX数字だ
四年式なんて戦間期に大陸に売却してたくらい 日本で最大多数製造した零戦が終戦時、何機ほどが本土と外地に飛行可能な状態にあった
とか調べればわかると思うけど 零戦は消耗品かの如き大量生産大量消費だが、対して火砲は基本永く使うものだ。
実際に関東軍の部隊は後期まで温存されてたし
敵の対砲兵戦闘が散発的で、対中国戦線であまり消耗してないからノモンハンを除けば
本格的消耗は42年のガダルカナル以降だけど、
日本の生産数は少なく見積もっても、
明らかに記録があるんだから900門は堅いだろう
対してドイツはフランス大陸での英仏連合軍、アフリカ大陸での英軍、そしてソ連軍と日本が経験するところではない戦力の軍隊とやり合っているので、ドイツこそ総生産数に対する同時期に存在した火砲は少ないだろう
日本が半分ならドイツだって半分くらいだろ
そもそも四年式は内筒交換式だし、売ったのは多くが厄介払いの三八式十五榴だ。主力の四年式はさほど輸出されていない。
ああ、そういえばs FH 18こそそれなりのセールスだったな。 当時の工業製品は耐久性が低かったからな兵器に限らず
三十年式歩兵銃支給されてそれほど経ってない第一師団の日露戦役出征で小銃をすべて新品
に更新してほしいと要求あり、そのとおりの請求とおったとか
WW2期でも、戦車のエンジンなんて2000kmごとに降ろして全バラオーバーホールしなきゃならんかった
四年式のはじめの生産砲なんて一次大戦の時代だろ?
へんにオーバーホールするより、廃砲にして部品どりドナーにするほうがよほどいいだろうよ
いくらいじくりまわして修理整備してもちっとも射撃精度とか新品には到底敵わん
戦時中の話でも「おまえの三八銃は腔栓がすり減って程度がわるいから替えてもらえ」なんて
文句が日本の戦史 兵器大図鑑にある 独ソ戦勃発時のソ連戦車は六割が完全オーバーホール要する状態だった
赤軍大粛清で有能な将軍将校が七割がた粛清されたしガタガタとか重大な原因もあるが
とにかく機械の耐久性が現代と比較にならないことは理解すべき
さらに訓練不足やら、GPUが部隊の反乱惧れ弾薬補給を渋るやら、そんな不備をドイツ軍に衝かれて惨敗した
当時いちばんましであったろうアメリカでも、毎年クルマのイヤーモデルが発表して
たいして豊かでもない連中が買い替えたのも、いちど憑りつかれたモータリゼーション
呪縛から逃れ得なかったのとそんな事情
…そんなガタガタであるはずのソ連軍にノモンハンで負けたわけだけどね >>828
いやトータルで千門に関しては過大に見積もってない筈
日本の大阪工廠の1942年10月までの生産スコア九六式430門+四年式414門
戦略爆撃調査団への報告 1943年度で民間合わせて九六式90門は確実だし
千門は割とミニマム寄りの推定だよ
大阪工廠はあくまで一工場しかなく、トータルでどれだけ生産するかは陸軍省だか何か上部組織の把握するところだろ
加えて民間がどれだけ作ったか?実態としてはこれでも過少じゃないか?
九六式は民間も作ってる事が分かる
海軍系企業の日本製鋼所は高射砲と艦砲を量産していたが
陸軍の対戦車砲は作っていたし、
満州の奉天製作所(旧東三省兵工廠)は占領時点で、「設備が比較的新しく、本土の工員によって稼働可能」「全陸軍工廠の二割に相当する」とまでされた評定だから、ここで生産された膨大な兵器類が必ずしも含まれたか?は火砲に限らず日本陸軍装備全体に言える
>>831
実はだな、こと重砲に関しては、平時では滅多に実弾撃てず
砲身はピカピカだったんだと
実はこれ自衛隊にも言える
FH70はAPU周りがボロボロで逐次耐用年数迎えて退役していくが、砲身はほぼ新品同様のまま
それなのに新火砲とはどういう事だ!けしからん、というKYTNソースなんだけども
つまりそういう事だ
これが数千門のWW1大戦の火砲をどさんこと抱えた英仏が、大戦で酷使されなかった日本と違って
そこまでそれらを高い割合で活用出来なかった理由 >>833
自緊砲身の九六式十五榴を大阪造兵廠以外で製造してたとは佐山本コンプリート後の近年までまったく聞いたこともありませんが
あと、いくつかの状況証拠で南満州で四年式をおそらく造ってたであろう、にすぎないんすけど
事実無根の誇大妄想的書き込みはスレ信憑性をそこなうのでやめていただきたい >>832
>>…そんなガタガタであるはずのソ連軍にノモンハンで負けたわけだけどね
変な煽りは無用
戦車はともかく火砲の機械的信頼性は比べるべくもないのは何ら疑いないだろ
それに三八式はライフリングがメトフォードとかいうポリゴナルもどきだろ
ライフルのツイストレートも急激だし、銃弾は細長いし
必ずしも素材・加工技術のそれを表すとは限らない
九九式なんてクロムメッキで腔内は75年以上経った現在でも白光りしている
それはそうと戦車に行ったり小銃に行ったり話があっちこっち飛ぶと変な話題脱線のリスクを伴う
特に弱体とされたソ連軍に敗北したノモンハンは軍オタのコンプレックスを刺激し一発でスレが90度横に向く恐れがある >>834
佐山本コンプリートだと?
野戦重砲のやつで、戦略爆撃調査団への報告で民間合わせて昭和18年度90門製造ってあるだろ
あと四年式は設計図交付してる記録があるとネットソースだが見たぞ
というか佐山本コンプリートを謳うということはまさに>>57本人か
佐山氏を痴呆呼ばわりしてた筈だが、彼をおいて火砲に詳しい研究家は居ない そのネットソースはおれだけどね…
日本軍接収前の奉天兵工廠の記録から
あんた、面倒くさそうな人だからおれはもう寝ます… 待ってくれ詳しく、と言いたいが遅かったか
あとアンカーミス、>>53な。>>57ではない 師団は編成定数の2倍ないし3倍の装備を所有してて
平時の訓練で使うのと倉庫に寝かせてある本番用がある(偶に入れ替え)
だから師団が出征すると訓練用装備や駐屯地設備を利用して留守師団が立つし
後備兵連隊で出征とかもあるので、だいたい常設部隊の2倍前後までの武器在庫があるわけ
この事前に用意できてる予備在庫・訓練装備が払底した後に生産が追いつかないとかになる 自緊しないことに切り替えた1式47mm砲というのがあってだな・・・
生産数を引き上げるためにやったらしいが、まあ我が国の末期の火砲生産とか悲しいよね 火砲生産より弾薬生産が悲しい。
火砲生産数はドイツと一桁違うが、弾薬生産数は二桁違う。 戦前戦中の日本は陸戦の主力兵器たる近代的十五センチ榴弾砲を30年かかって四年式と九六式あわせて千門
弱しか製造できなかった
いくら海軍艦艇と航空機にリソース割かれたとはいえ残念な結果ではあるね
列強のなかでアタマは取れなくとも、陸軍国海軍国でいちおう鳴らしてた存在だったんだけど
本来の経済規模パイが小さいもんでなぁ
まったくといっていいほど余裕がない
当時の庶民の生活なんて現代日本ナマポのひとにずっと劣るよ
いまはスマホ持って、贅沢や浪費しないかぎりは平穏に暮らせる水準だから
すくなくとも食うには困らない >>838
接収前に日本人技師が複数送り込まれていた
破壊活動なしに製造設備をスムースに入手するためのスパイの役割もあっただろう
接収前にすでに四年式の製造図面を下付してる
接収前に日式十加を数門製造してた
シュコダ社、ベーラー社(もともとオーストリア・ハンガリー帝国でww1後に分離)
M191710cm M1918 7.7cmで姉妹砲といっていいの模倣砲を製造
自緊砲身以外は造れた
日本が接収後、四年式の損傷修理で内地から送られた砲架半製品使って加工、修理完了
してる
一貫生産は無理だが、砲身素材切削して仕上げるくらいの能力はあった
などなど… いちばん大事なこと忘れてた
その際の奉天接収砲が準制式の十四年式十榴とナ.ナ野砲 ごめん、十榴はskoda 14/19 10cmが原型のはず
おそらく転輪の制止緊締ハンドルであろうものの位置が大陸製と逆とかの差異はあるけど >>841
何言ってんの、ドイツとは10倍米国とは時期に寄るけど50倍程度って所でしょうが 一桁違うってのは、10倍違うってことだろ。なに言ってんだ? 佐山さんによると、アメリカとの火砲弾薬製造数でいうと日本の80倍
けして弾薬総重量でないよ
野砲中心の日本とは、さらに10cm以上主力の連中は隔絶することのアルヨ まぁ、ドイツは火砲製造数に比べて弾薬製造数の割合が高いからな。
砲はチェコやフランス、独ソ戦初期に鹵獲したのを大量に使ったので
必然的に弾薬の製造割合が高くなる。
あとは、いっぱい弾を撃つ高射砲の割合が高かったのも大きい。 沖縄戦で日本軍の参謀が敵の火力は200倍とか書いてたはず
艦砲射撃を勘案すれば、むべなるかな… 陸軍火砲が少ないのは、海軍との折半、これに尽きる
日本製鋼所は大阪工廠に匹敵するかそれ以上の火砲製造プラント群
東條英機が視察に行った際、海軍の機密事項が満載だからと突っぱねられたぐらいには、海軍御用達企業
陸軍の仕事も一部引き受けてはいたが…
藤井非三四「日本軍とドイツ軍、どうしたら勝てたのか」によると
ドイツから特注した大型旋盤で加工した大和型戦艦の46センチ砲、たったの一門で165トンだ
が、九六式十五糎榴弾砲の砲身は1388kgに過ぎないのだから、凄まじさがわかるだろう
その九六式十五糎榴弾砲ですら、小口径の陸軍では重砲というスケールなのだ
日本は信濃のも併せてこれを最低27門製造している
これだけの砲身用の貴重な合金鋼を捻出するにはどうしたのか、赤子でも分かる
実は1940年の日本の粗鋼生産量は685万トン、ドイツの1914万トン、イギリスの1318万トンの2〜3分の1しかない
しかないが、「も」あるという事でもある
ドイツより更に陸軍特化なソ連はというと、ドイツ未満の生産量しかないのに大陸軍を手にした バロメーターで軍備以外での国民ひとりあたりの金属使用量ってのが開明度である
よほど大尽サマでないかぎり、自転車か地下鉄乗って通勤して家にラジオあれば
それは成功者の範疇だからなぁ
民需での使用量が限られてると、いざ非常時なっても鉄鋼増産おいそれできないわけだ
もうすこしモータリゼーション進捗してれば…
最近読了した「トラクターの社会史」は良書でみなさんにもお勧め
戦前戦中、列強の田畑モータリゼーションが主な内容 そもそもだな、パイを語る際に、戦前の日本のスケールというのは、簡単には計りかねるものなのは理解して欲しい
確かにとある視点からはイタリアに毛が生えた程度、中国以下の糞雑魚野郎だ
しかしまた別の視点からはフランスぐらいの強国にも映れ
またある視点からは、やはり糞雑魚、となる
日本陸軍の弱体さを国力不足に求めるのではなく、陸海軍折半の結果とするのが妥当ではないか?、というのが俺の考えだ
実際に島国である日本は海空戦力が大日本帝国の趨勢を分けたのだから折半というのは何ら間違いではない >>853
戦前日本の鉄の最大の需用は船、二番が鉄道のレールだっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています