【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ >>843
まず日独の十五糎榴弾砲の需要の違いもあると思う
・四年式十五糎榴弾砲
昭和16年度陸軍動員計画令で師団砲に回される、つまりそれまでは軍砲兵だった
更に軍砲兵の火砲としては制式採用当初から満足のいかない性能で、「陸戦の主力兵器たる」とまで生産に本腰を入れられるほど褒められた出来ではなかった。
→不急兵器
・九六式十五糎榴弾砲
体格の劣る日本の馬では分割牽引不能、よって機械牽引オンリーとなった為、これもまた軍砲兵と機械化師団配備以外は絶望的となった
・sFH 18 分割牽引可能、独軍は軍・軍団砲兵と師団砲兵の両方に配備可能。
日本軍の主体はあくまで師団運用できる山砲・野砲と軽榴弾砲であった
更に言うとドイツ軍はじめ海外軍の様に軍団制度を採用していないのもある
だから師団に対する上級司令部直轄砲兵の割合も少なくなる
つまり、二個師団で軍団、ここにワンクッション挟む事で独立した砲兵の需要がまた生まれるが、日本の師団の上級単位は軍である
俺も千門では少ないと思うが、まず編成が少ない、これも要因であると思う
まず、日本軍は軍の組織からして、准将のポストがなく、師団長がほぼ中将固定だしな >>856
被ったがそう言う事。
十五糎榴弾砲はあくまで平時の需要数を満たしている
十五糎榴弾砲の生産が少ないのはなぜか?
自明だが必要とされている分以上は要らなかったからだ
十五糎榴弾砲の生産数が増えるには
・四年式よりまともな性能の、師団配備可能で主力に足る火砲を少なくとも九一式の時点で制式する
これでやっと十五糎榴弾砲の師団配備をやろう、性能がまともになったので軍砲兵を拡充しようという気を早く起こす
十五糎榴弾砲の価値に早く気付く、その素地になる
まあ、野戦重砲兵連隊はお役所的な管轄管理上、普段は平時の書類上は師団に組み込まれていた時期も長いが、それはあくまで師団としての運用を考慮してないからな
野戦の付かない重砲兵連隊も含まれちゃうし つまるところ
海軍がまだ頑張ってくれていればそこまで陸軍がこれだけの低評価を受けることもなかったのでは…と思わないでもない
海軍国という面で見た場合ね 米独師団は重軽榴弾砲
日本軍ソ連軍師団は野砲軽榴弾砲
という違いは、割と知られていたと思うんだが生産実績と生産力の違いとはまた分けられる事案だろうね
日本軍の中での十五糎榴弾砲の立ち位置は、ドイツ軍のそれとは違う
史実で十五糎榴弾砲が活躍したから、生産すべきだったというのはまた別の論だしな
俺が思うに陸海軍の比率的には、国防予算のうち人件費除く軍備調達に充てる金を陸海軍半々にしてたらもうちょっと装備も充実した陸軍になっていたと思う
史実だと、陸海軍は予算半分で、当然陸軍の方が人が多いので人件費が嵩む為、予算では同等でも軍備としては陸軍がお粗末になる
だから、弱体な軍隊になってしまう
>>859
いや、日中戦争では陸軍の戦力不足が痛かったから、つまるところ、海軍ではなく陸軍にもうちょっと頑張らせてやるべきだった
特に火砲
中国との戦争では明代に作られた城壁は野砲では全く崩す事ができなかった為に多くの将兵の命が失われた
野戦重砲で砲撃して破壊し、どうにか緩い坂を作って歩兵の突入路を切り開いたんだが、それまでに夥しい尸を晒したね
日本陸軍の装備が劣っていたからに他ならない 海軍が何だのよりどこの国にでもある平時の陸軍の在り方の問題だろうな
陸軍には戦時にもう師団留守隊を基幹にもう一個師団動員する「二倍動員」という手法がある
更に平時の一個師団というのはだいたい戦時の半分以下ぐらいで、つまり戦時には四倍に膨れ上がる
徴兵制採用国における平時の師団は主に教練役の精鋭が「即応可能な予備兵育成の為順番に教育してはすぐ復員させて新しく徴兵しては回す」為のものだけど
金がかかるんで
徴兵制無い場合の「兵を育成する立場の教練役を数万とか常備して、戦時に大量のエリートで教練を数倍効率で行う」方にする論も盛んに出た
むしろ日露戦後の陸軍が大真面目に考えていた、帝国国防方針(1907)の平時25個/戦時50個師団体制をもっと上手くやれたんや
第一次大戦中に21個から4個師団削減するどころか、さっさと3単位師団に移行してむしろ4個師団増設する勢いで25個師団達成して、無理な師団は最悪各隊基幹要員だけで構成された○○師団教育隊と装備保管庫みたいなもんでいいよ
だから人件費の何のこっちゃではなく、各師団に二個師団分の員数分の兵器だけは常に新鋭のものにして使わない分は不活性ガスで封印しとけば良かった話なんだよなぁ
陸軍の弱いかってのはなんというか、軍縮期で盛んに議論された人員削減少数精鋭志向を徹することができなかった陸軍の自業自得の様な… 訓練で使わない分は、ね
ヴァイマル共和国軍→国防軍への移行はむしろ一旦敗戦却ってが功を奏した好例だね
フランスは戦間期にかなり歪な方向に行って、結果として短期間で促成されたドイツ軍の方が質でも圧倒するという
そもそも各国とも陸軍って存在自体がまず人件費問題とは切って離せないんで、上手くやってるところはそれなりとね 15榴を師団に配備するには、15榴の弾薬を運ぶ分(師団輜重)を増強する必要がある
歩兵の食い物すら運びきれない支那戦線で重砲の弾薬をどれだけ追送できるかとか考えると絶望できるよね
支那戦線の段階で日本陸軍の兵站機能が全然追いついてないのが証明されちゃってるわけで
仮に師団砲兵の15榴化が前倒しで行われたとしても、結局前線では撃ちたくても弾がねえよで終わるだろうな というより、中国戦線では結構広いので歩兵隊が突出したり散兵し過ぎたのが問題だろう
徒歩行軍とはいえ移動力が重砲兵の比ではないし、そもそもあまり各兵科の連携が取れていたとは思えんしな
ウースン上陸戦を経験した人の上海戦での戦記を読んだが、制空権もあって補給点がすぐそばにあるのに、中隊に補給が来ないというのだから、おそらく損害で支離滅裂気味になった軍隊とかの場合だと把握出来ていないのではないかと
さほど広くない上海ですらこれなのだから、というか素の時点で管制能力が怪しく、これは砲弾の重さとか輸送量ベースでの次元以前の話も多分に含まれていたのではないか?とも思う
船がことごとく沈められているわけでも、またその後に比べれば遥かに補給困難な地形・距離でもない
つまりそういうことではないかと思った
師団直轄の重砲部隊ならまだ通信もあり、あまり散兵しないから追跡できた様にも思う >>862
陸軍しか行き場所のない人間がごまんといたからね
少数精鋭主義にしたほうがいいが、じゃあ人殺しの訓練をした人間を大量に無職で放り出したらどうなるか
社会保障なんかろくにない時代、軍が抱えるしかなかった 半グレをいざ非常時戦争になれば役にたつから軍がかかえてたわけか
いちおう衣食住は保証してたからね
平時に巷ではクソの役にたたないどころか、巷には社会不安垂れ流す有害な野獣以外のなにもんでもなかろう 海軍陸戦隊の小平とか、上海戦で何人か刺殺の英雄だったとか 徴兵も軍隊も明治以降なので、それ以前からおかしな奴は居たし
それを社会がなんとか許容してたわけで
軍が面白動物隔離施設になる必要もないし
そもそも本当にクソダメな奴は軍にだって居られない訳で あまりにアウトローかつ有能な人材は特務機関で多く抱えたらしい
大陸浪人といえば聞こえがいいが
児玉とか戦後のフィクサーなった類 >>862
人員削減少数精鋭なんて、第一次大戦の教訓を無視した行為で
第二次大戦での日本の敗北の一因だ。ドイツは10万に制限され
た軍の中で将校の比率を極限まで高めたし、米英は予備役将校
の訓練課程を一般大学まで拡大して損耗に備えてる。 性能的には四年式よりシュナイダーM1917C 155o導入するほうがよかった
sFH13 15cmより数値はいいぞ
許されるならば、ならな
戦間期に余ってたはずだが
交渉次第でかなり安く買えたと思う
機械化牽引の重砲兵連隊の九六式とはべつに馬匹牽引の師団砲兵用としてね
口径は内筒入れ替えで149mm仕様にすればいいんだ
米軍もガ島で使用、M2に装備更新されてからは豪軍や雲南遠征軍に渡して終戦まで使ってる 口径はそのままでも、砲弾の銅帯を分厚く嵌めてやれば撃てるとは思う
発射ガス漏れしやすく、弾の首振りで命中精度はおちるだろうが ドイツでも7.5cm砲弾を7.62cm砲で撃ってたよね ただ四年式で、おれが数すくないメリットとして評価するのは65度の仰角なんだよな
臼砲なみというか当時の15榴ではめずらしいスペックだろう >>871
WW1を経過したからこそ、装備更新し続けないと国ごとアウツという戦訓→外交のトレンドは軍縮→装備か人員か→人員減らすしかねえ、っていうごくごく妥当な判断だとおもうわ宇垣軍縮 >>872
1917年式は4年式より大分重くて
しかも前車つけての牽引だから、牽引重量だと4トン近くになる
分割で2トン級にしてる4年式と比べられるタイプの武器ではないのだ でも分割だとトータルの輸送量は重くなるわ、砲架車と砲身車の結合には相当の力を要するとされるわでやっぱウーンやわ
6頭ばんえいで×2だから12頭
十五榴で二車分割式って結構あるけど、スコダ vz.37やsFH 18みたいな高性能火砲じゃないと割に合わんわな
そもそも第一次大戦移行砲兵の機械化もトレンドであって、スポーク転輪でもホルト牽引車でガタガタ引くのもまた手なのだ… ただしM1917Cはアメリカ仕様のM1918で、高仰角射撃でボンッっと跳ねる動画があったから射撃精度には黒い噂が付くから手放しで喜べるものじゃないんだよなぁ
こちらは四年式もどうだったかを併せて考えないとフェアじゃないけど
>>876
砲兵に関して言えば、削減された師団の砲兵連隊は野戦重砲兵連隊に転換のベースになったからな
将校が大事なら尚更、国家の労働力源たる人間を奪ってまで兵士を養う必要性はない
そもそも将校は兵士も訓練できるのだからなおさらドイツの様にすべきだっただけ
ドイツの将校は全課程において優秀を求められた フィリピンで鹵獲したもとM1917 GPF 155mmあらためM1918 カノンを日本軍が使ってる動画あるな
M3軽戦車が標的でひっくり返るやつ
M1918 155mm榴弾砲のほうも鹵獲して使用と、編成文書記録では過去スレであったな
高温多湿のフィリピンでは馬でなく車両で牽いてたはずだけど >>878
砲車が重いと、牽引車も重くなるんだよ
ttp://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_1.htm#A1_1_4
>第四款 独立野戦重砲兵
>十四年式十糎半加濃を以て装備し(略)
>本砲兵材料は其全備重量約三千五○○瓩にして
>之に五瓲牽引自動車を附するときは既に其全重量は八瓲余に及ひ
>為に橋梁等の通過に際しては至大の注意を要する
戦車でもあったけど、架橋機材等の補助がないと動けなくなりかねないのは結構辛い 短時間の渡河なら人力で動かせばいいだけだよ
射撃時には牽引車から外してからは人力で移動するわけだから3〜4トンぐらいまでなら動かせないと使えない ほぼ平地で移動する設営時とどうあっても地形がボコボコの渡河を同一視していいのか? あぁ橋梁渡る時だけってか
しかし短時間といってもなぁ…… 短距離というべきか?
困難という姿勢からにはいったいどれだけの川幅の大河の渡河を想定しているのやら 橋があるたびに牽引車外して、何十人かかりでエッチラオッチラ動かして
渡りきったらまた牽引車につなげては、出来るか出来ないかで言えば出来るだろうけど
それで良いだろにしちゃなにか拙いんじゃねえかなw 大河で水深あるなら、ふつう工兵機材の渡河鉄舟や丸太で筏組むわな
それほど深くない幅狭い川だと、対岸にウインチ据えて巻き上げでワイヤ―で引いたりもしたんじゃねぇか?
むしろ水面、水中でなく上空を分解した部品をロープウェイのように渡すほうが楽
重砲を人力のみで牽引渡河となると、どんな極刑被虐プレイかよッ?な感じではある 渡河で一番厄介だったのは、水よりも水の少ない川の両岸に広がる泥だったと
回想してる元砲兵の人がいたな。ビルマ従軍だったと思う。
川を渡す舟なり筏なりに乗せる時が一番難しい。川縁が泥だと砲が沈んでしまって
どうにもならんのだそうだ。 >>886
牽引車接続・解除だけならそこまで大した手間じゃないよ
駐鋤の撃ち込み・引き抜きや前車の出し入れ含む砲列転換の方が遥かに面倒
そこに四年式は二車結合が加わってかなり面倒だからいろいろ改定に時間かけてたんだし
そもそもこのクラスの重砲は重くて頻繁な陣地変更は時間がかかるんで、射程もある程度無いと敵を射程に収められないんよ
このクラスの砲で多少軽い代わりに射程が短いというのは手放しに褒められたものではない
そういうのを補うのは自走化が理想だが、少なくとも四年式サイコー、とは絶対ならんしな 放列の布置撤収が数分でできるのは、そのように準備されてる地だからであってだな
道路の上でいきなり、やばそうだから降りろとか、外せとかうだうだしてたらそれだけでも時間食うし
しかも作業始めたら道路と橋を封鎖することにもなるのよね 1ミリ以上小さかったら冬とか下手したら停弾せんか? 何というか…
「牽引車も馬も無いから、人力担送出来る山砲がサイコー!」な上の人達と同じで、「泥縄的」なんだよな
新式より軽量な旧式兵器が末期に代替兵器として活躍した事例なんて各国あるわけで、それは別に「平時の将来を見据えた近代化」に失敗した事を何ら正当化するものではないんだよなぁ…
>>772や>>786が言ってる様な事に近いけど、まず7トンの軽戦車と大して変わらんモノを渡河出来ない→だから、というなら、それは近代化を履き違えてるとしか…
うーん、単なる開き直りに近いのでは、と思うが 台児荘の戦いで四年式十五榴一個大隊と九六式十五榴一個大隊がたった数門のラ式に射すくめられた話は聞いてて情けなく思ったわ…
武漢会戦での九六式十五榴榴弾砲大隊の戦訓がアジ歴で見れるが、「我が大隊に一個中隊でも十加があれば…」という苦しながらに伝えていた
なんかの佐山本によると九二式十加は「目盛り半分まで修正が効いた」、らしい砲なんだが、まぁこれも実のところ出来は褒められたもんじゃなかったそうだが…
あと日本軍の観測技術は劣悪だったとか黒い噂も聞く
日本軍の四年式改造の計画を見るとどれも射程一○○○○米要求だから、最低でもこの程度らしいが 、それすら満たせないのだから近代化どころか全然褒められたもんじゃないよね >>892
ま、近代化に逆行してるよな
健全な選択では到底ない
しかし、それしかできないんだから、しゃーないだろうよ?と俺は思うわけよ
出来るもんなら、おそらくは当時のひとがとっくに実現してるはず
軍に優秀な人間集中させてたし
貧乏国がない知恵絞って国力振り絞って大戦争遂行してるんだから
「遠くのステーキより近くの味噌汁」だよ
泥縄式といまのわれわれから批判されようが、あたえられた条件で最悪のなかの最善の選択
とらざるを得なかった >>801
九二式十加は4門揚陸と聯隊史にあった。 >>894
日本軍の光学兵器は丁寧に造られてそれなりの性能あるんだが、とくに砲兵観測機材なんか
ドイツ製のひと世代ふた世代前の模倣が多くて概して旧式
並木書房の泰平商会のカタログ復刻版みればわかると思うけど
あと、無線機が基本大隊規模以上にしかないとか
性能もアレ…
航空隊と地上部隊、歩兵と砲兵の連携やらが通信機器の普及度と性能からかなり弱かった
装備はともかく気風がガサツすぎるソ連軍はもっと酷かったみたいだけど
日本だと砲兵隊内部でも観測所と砲陣地との意思疎通やらも困難だったみたいだぜ
他国よりずっと伝令兵の連絡割合が多かった
上に上海戦線の連携わるさの書き込みもあったけど 第一次大戦で間接射撃は技術も理論も運用も大幅に進歩したしな
観戦将校のレポートだけじゃ追い付かないものがあるんだろう 確かに日本軍の体たらくは居直ってるとしか思えんな
あ、でも山砲は十分な近代化の形だと思う。
あのスタイルはとにかくスマートで、シュコダやシュナイダーのそれにかなり通じる
盧溝橋、太原攻略、南京攻略、台児荘と武漢会戦と支那大陸で転戦し続けた実戦部隊である十五糎榴弾砲装備の支那駐屯砲兵連隊の戦訓は、
・野砲を山砲とするを可とす←この連隊、正定城の戦闘にもあるが野砲への評価がボロクソ低い
・十糎榴弾砲は中途半端←意外にも十糎にも辛口。射程も運動性も無いし十五榴を有する彼らからすれば威力も大して高くない
・砲兵連隊の編成は十五榴一個大隊(うち一個中隊十加)+山砲一個大隊が最適(十五糎榴弾砲の届かない範囲を、九四式山砲が機動射撃し成果を収めた)
などなど、一見突拍子も無いながらもそれなりに歴戦部隊としての説得力を持ったものになってる
戦力としては二個大隊に半減するが、既存の野砲や軽榴はいうほどでもないとディスるというのも面白い ノモンハンで、観測してた将校がこんなへたくそな砲撃やめちまえと叫んだというから
なにかしら問題はあったんだろう 砲兵の観測の件は部隊ごとの練度も関係してくるので一概に言えない・・
砲兵の支援射撃が何時にあると伝令が来て喜んでいたら、
何時になっても観測班が来ずに、時間になったら自陣に砲弾降らせた話がビルマ戦にある。 ノモンハンの野戦重砲兵第3旅団は、連隊番号の野戦重砲兵第1連隊と第7連隊からして常設の古参部隊。
装備して日が浅いとはいえ日本軍における砲兵戦闘の一連のプロセスを心得たベテランだった訳であるが…
これも遠距離戦闘となるとからっきしダメだった様で。
そもそも一号装薬での連発が初めてでしたー、空地連携訓練なんて年一回の大演習ぶりでしたー、みたいな信じ難い訓練状況で…
ピンでこれならキリは悲惨たる有様よ 航空優勢が取れておらず、航空戦の合間にうまく観測できたときでさえ怒鳴られる始末だからなぁ。
取られた戦法が、90式を前に出して台地稜線の敵陣を砲撃して
応射の発砲炎から陣地を特定して重砲で潰す・・・
これじゃ台地後方に布陣する敵重砲部隊に対して何もできない。 一方英軍は第一次大戦で音響観測技術を既に確立させ、なんと誤差数メートルの範囲内で特定可能という…
もう何もかも置いていかれた印象しかないわ その点大口径迫撃砲って楽だよな
最大射程だと着弾誤差が百メートルとかそれ以上にもなるから、大量に連発して数百×数百メートル単位の面で焦土にする面制圧兵器
「砲兵将校の練度貧弱」「そもそも砲兵将校の訓練もままならない」などあらゆる全ての現実を飲み込んだ日本軍が辿り着いたのは機動打撃師団で、師団の迫撃砲連隊で猛弾幕を張り歩兵を突っ込ませる、それだけ
しかし海軍壊滅してくれたのはいいが工業力自体がもう尽きてたのでもうその策すら危うくなったときては…合掌
結局測距が簡単な短射程砲という要素と、初弾から命中出来る精度(補給に負担かけない)という要素を併せ持つ山砲が主力になったのも分かる
迫撃砲は砲弾消費が尋常でないので
実際、九四式山砲の生産数って最近だと倍増してるんだっけ?
民間生産分があったとかなんかで >>901
ってか実際何がダメだったんだろうな
砲兵の観測も民間の測距と一緒で三角測量だろうし、原理としてはこんなの三角関数習った中学生でもやれない事はないよね
ノモンハンで射撃ウンコだったのはこの観測将校無能説を推したいね 実際目測に頼った光学観測ならかなりの精度出せるはずだし
音響観測とか高度な事やってる訳ではなく、火砲陣地が目測出来る状況で外すって事は、射撃法とか以前に射撃諸元が間違ってたのが大きいんではないかとも思う
昔ながらのやり方で当たらないってのは、多分日露の鴨緑江会戦のときより退化してるよな >>908
十加は足が逝ってたのかもw
あと全般に言うと弾形が歪で中心が狂ってたとかもあり得るか?
寸法公差はきっかり守ってるから砲弾は砲身を進むには進むけど、形状公差がおかしくてまっすぐ飛ばないとか… >>907
その測地がアウトなのよ
具体的には標高を把握するのが・・・ >>907
その観測将校は飛行機の上から言ってたんだよ
常に自分の位置が変わり続けるし三角測量なんてとてもじゃないが出来ないので、遠近とか適当に伝えるしかない
普通の地上観測所からやってそのレベルなら第一次大戦以下だな
…いやWW1以降停滞気味の日本砲兵戦術だから割とあり得る話かも知れんが ノモンハンとか古い砲多いし、ライフリングが磨耗してたんじゃないのかね? 気象観測機材の精度とか、装薬の性能が安定してないとか、他にも色々ありそう。 米軍の日本陸軍便覧にも砲兵の観測所は大抵砲の近くにあると言ってるから
遠隔観測射撃なんて「り、りろんはしってる」状態なんだろ ノモンハンの野戦重砲兵第1連隊の生き残り見つけた
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/06onketsu/O_06_051_1.pdf
最大射程の砲兵戦で活躍してる
観測所は300m離れた小高い丘にあったそう
精度の悪さは着弾観測で修正出来る もとの話題だけど、俺が想像するに、四年式の短射程は砲身が短過ぎたのがいけないんだと思う
四年式十五糎榴弾砲の甲弾薬筒は乙弾薬筒より遥かに長く、九六式の弾薬筒より少し短いだけ
こんな強力な装薬で砲架はともかくよく閉鎖器が持ったものだと感心する
極端に短い砲身に過大な装薬を入れても、負担をかける
自緊砲身で砲身を一割強ほど延長すれば良かったろうに
これでもまだ砲口ブラストは九六式並みに強烈だと思うよ
四年式は短砲身で8800mというのは十分に無理し過ぎ
日露以前は砲身の合金鋼が作れず砲身を輸入に頼っていた時代があった
自緊砲身が製造不可能ならば変なプライドは捨てて然るべきだろ 9mmパラレベルの弱装弾薬を使う、SMGですら銃身が伸びたら初速が上がってる
マグナム弾なんか全然違う
四年式も、あのカートリッジの大きさからするに装薬には余裕がある
砲身延長により反動軽減と初速 そもそもあの口径長で射程10kmを超えた十五榴など寡聞にして聞かない
当の日本軍の見積もりが甘かった
10kmクラスの重榴ならば口径長はもっと長い
安易な増装に頼るから、強力なブラストで砲架にガタがきて初速打ち止めになる
砲身も一緒に延伸しないと駄目だろう 測距儀(単体で三角測量を行う器具)の精度が悪かったのではないか?
相当する基線長が短ければ0.00何度とかの角度誤差で凄い散布を叩き出してしまう事になる
戦艦大和の15m測距儀は30倍だから450m相当の長さなので、長ければ長いほど誤差が小さくなるわけだが
日本のものは倍率も低く幅も短い、せいぜいが無印三八式野砲時代の射程でしか精度を保証できないものだったのではないか?、とも推察するが… 戦艦は艦橋の高さ40メートルにもなったりするから、20km以上先の水平線を見ることが出来る
ノモンハンでのソ連軍砲兵は50mの高台を占拠していたから、戦艦と同じ実質的な砲側観測所の直接照準だろうから精度も高かった
日本側はむしろ低地なんだよな
NHKの特集でも行っていた様に、フイ高地というが高地とは名ばかりで、ちょっと浅く盛り上がった地面でしかなく、ほぼ平原
あの平原であの高度差はきつかっただろうな >>921
測距精度がkm単位でも、あんまし関係ない
試射して、着弾が手前だったら伸ばす。飛び越えたら下げる。ただそれだけのことで
測距精度は初弾の精度には影響するけど、その後は測距関係ない
大事なのは着弾観測と、観測所と砲の精密な位置関係の把握な そして、ちゃんと安定して飛ぶ弾。
全く同じように撃っても違う所に落ちるケースとかあるから。
一次大戦とか二次大戦末期のアメリカとか、粗製乱造砲弾で不発と並んで問題になった。 >>920
ああ、そこら編の火力見積もりがあまいのは日本軍はまだWW1初期とかまでの感覚で直接照準と直接支援砲ベースの考えが前提であるんだ
砲兵の理論を知らないんじゃなく、兵站の弱さ、観測能力やら無線ネットワークの弱さ
そういったいろんなものがある上で、砲兵がただの歩兵連隊支援砲ベース、重視なの。
流石にノモンハンなどで強力な重榴弾や軍団砲兵の必要性や能力、機能そういったものが不可欠だとは理解したが、兵站能力ネックなどで十分な砲兵はできなかった
しいていえば、それでもなんとかサイパンやら沖縄で150榴弾メインで編成したのはぎりぎり努力したようなもんよ 元々戦国のことから日本は狙撃を軸にした銃の扱い方で、欧米が弾幕物量やったろ
で大戦においても「教育や兵站で即時更新無理やん」と歩兵中隊迫撃なり、連隊75mm歩兵砲的な直接支援と直接照準ベースなんよ
で結果砲兵必須でも、兵站+ノウハウ+その他インフラやら諸々駄目だから
長距離面制圧ってのは物理的にできなかった。結果弾幕薄いから迫撃弾幕方式を採用するようになった。苦肉の策だ
で結果軍団砲兵、長距離砲を運用できない最大の理由は観測手段や指揮系統のレベル都合と
運搬インフラの都合
これで関節照準で20km先に面制圧でなんて作戦は論外、無理だってなっていったんだわ
150榴弾が目一杯あっても観測と誘導がまともにできないやんと
まともに観測して当てられる距離の都合、日本軍には射程4-12kmくらいまでの迫撃砲みたな兵器が一番都合良かった
まんま現在の120mm迫のドクトリン。また当時の連合国も観測手段やらは不完全で、結果60年代にアメリカがヘリコプター観測×計算機をつかって
ようやっと20kmより先に面制圧するでなんてのができるようになった
弾幕、手数ベースでは70-80年代の兵器でやっと十分な弾幕を出せるようになった
そういう連合国でも不完全だったのが当時の重榴弾と軍砲兵の実態で、むしろ結果的に重迫でゼロ距離弾幕みたいな戦いのほうが
極論で糞いい加減な観測でも戦えるから合理的だったって話。あの当時のソ連やアメリカの軍団砲ってのは有効といえば有効だった
けど結果的に空爆と歩兵砲、迫撃などでアクティブに直接照準せんと、当時の強固な陣地は潰れなくて
結果砲兵砲と迫撃のほうが有用だった
まだあの当時の軍砲兵はソ連軍砲兵でも弾幕も精度も観測手段も全然だった >>925
見積もりってのは単に「装薬○○gで砲身○○mあれば射程○○km」だろうっていう計算の事で、別にそれは後方支援だの古い思想だの何だのでどんな思想をしていようと、腔内弾道学と燃焼工学を理解していればしっかり要求スペック最大射程一○○○○米を達成できただけの話だよ
四年式の射程延伸失敗は日本軍の工学的な見積もりが甘かったの 日本軍の砲兵観測機材はほとんど旧式だよね
20世紀はじめのドイツ製品の模倣やら改良品が主力
とてもあとの射程10km越え当たり前時代に適応してたとは思えない
だって、台児荘、武漢、ノモンハン、ガダルカナルやら長距離対砲兵戦したときは
ほとんどワンサイドゲームみたいなものじゃない?
まー知られた成功例と思えるのは占守のロパトカ砲台との応酬
ソ連海岸砲130mmにたいして九六式十五加の威力精度がかなり勝ってたからね
まぁ、これで70年の歴史ある苦難三昧日本軍砲兵の有終の美を飾ったわけだ おそらくこのスレで砲兵観測機材にまで知見が及んでいるのはあなただけかと思われるから、具体的に上げてもらわないと誰も付いてこれないと思う・・・ 遠距離ではないかも知れんが、対歩兵制圧では拉孟玉砕戦では有効な射撃が出来ていたのでは?
野砲兵一個大隊(十榴8門)が守備隊だけど、精鋭の雲南遠征軍四千人を殺害
本来怒涛に押し寄せる赤軍を想定してきたものだが、ここでの突撃破砕射撃とは国軍砲兵戦闘の真髄ではないか?
遠距離砲戦はほんと散々だよね >>929
図(修正写真でイラスト化したもの)が兵器輸出業者 泰平商会輸出カタログ復刻版
で並木書房の本でいまも廉価に読めるよ
カニ眼鏡(砲隊鏡)、双眼鏡、測遠機のたぐいはNikonやTopconで検索すればでてくるし
計算尺の類はヒットするのむずかしいかも
同時期のツアイス製品とくらべるのも面白いかと
ドイツのカメラ、レンズなど光学技術が1930年代に世界水準からずば抜けた形で勃興するんだが
当時の日本でそれを享受できたのは新しもの好きの資産家や、技術畑で海外勤務の
陸海軍武官くらい
あくまで愛玩物や高級機であって、軍事用の特殊レンズや、そのころの航空機の照準器いがい
あまりその頃のドイツ光学技術がわが国の兵器開発に寄与してるとはいえんような…
あ、大和の測遠器や狙撃銃スコープとか影響あったか >>930
近距離中距離ならいいのよ
おそらく日本軍装備観測機材の性能がカバーできる
それで奮戦できる
10km越えの対砲兵戦となるとクソミソ・ケチョンケチョンが大勢と思われ… 山本七平氏の著作じゃ性能だけでなく工夫も足りてない的なこと書いてたね 山本七平はフィリピンで、どうせ当たらないだろうと思っていたら試写一発目から飛行場のど真ん中に十榴ぶち込んでしまったというエピソードあるな
拉孟もそうだけど、実は十榴って意外と優秀なのかもな
過重らしいが 昭和新山できたときの話だけど、畑がもりもり隆起してきて、ぜひとも
貴重な記録を写真とったりしたいんだけど物資不足の戦時中だから無理
フィルム入手など一般人だと絶望的
そこで郵便局に務めてたひとが、タコ糸を等間隔に張った目視測定器みたいな
もんつくって定位置から逐次観測
貴重な新山隆起の様子が記録としてのこされた
…これぐらいのことは技術畑の砲兵ならじぶんで作りそうではある >>931
つまるところ倍率が低いのか機能が少ないので?分からんかった 仮にレンジファインダー方式だと基線長がロングであるだけ遠距離が誤差すくなくつかめる
日本光学製大和のアレがたぐいまれに長大なのはそのせい
高価で製造がきわめてむずかしいブツ
この方式に限らず遠距離を正確に観測する機器の開発製造は技術ハードルが非常に高い
直接照準器だって精度そのほか優れてたおかげでドイツ戦車はソ連にくらべ三倍
遠距離砲戦命中率を誇った ドイツの高射砲部隊が数人がかりでバカ長い測遠器操作してる写真とかググると
出てくる 日本陸軍便覧によると
「日本軍砲兵の光学兵器は傑出してる。設計は良好かつ多様性があり構造は頑丈で解像度は満足できる」と絶賛である
鹵獲した米軍的には実用十分なスペックだったようである
そもそも遠距離射撃って最初の数射はどうしたって試射だし
その試射で毎回4門前後を動員しないと本来的な精度が出ないものなんよ
素早く結果を出そうとしたら3個中隊ぐらい投入して
各中隊にそれぞれ別の諸元で試射させて、一番近い結果の奴をベースに修正射とかやらんといかん
つまり日本軍みたいに中隊単位で分割したりしてると、試射精度と素早い諸元確定すら怪しくなるのじゃ
多数砲を出すのは面制圧もあるけど、そもそも素早く確実に試射するには数が必要なんだって世界
この時点で日本軍の手には負えなくなるのである >>944
いや、おれもその本持ってるけど、それ1944年に編纂されて出版が翌年だったはず
敵を侮るな!な感じで意図的に日本軍兵器と装備の評価がかなり甘い
現代の研究水準では首傾げる記述が多い
訳者のあとがき通り当時で九割がたの分析が正鵠を衝いてるのはやはり偉業だが
むしろ近年刊行された、おなじ原書房の「日本軍装備大図鑑」のほうが兵器装備に
関してはずっと正確で辛辣な内容だ
無線機とか
まぁ、この著者はジンガイ日本軍被服コレクターだね
西洋人の曲解による、日本史と日本人への誤った記述が面白かったりするし、逆にわれわれが
自覚しない西洋人による具眼の指摘意見もある ぶっちゃけ光学機材なんて砲兵の遠距離射撃では大した意味はないんだけどね
光学機器が物を言う近距離直射は当ててくるから気をつけようねって話である
遠距離は通信と砲・弾薬の数で運用するのであるよ >>943
それは、ねーな!
でなきゃ大和があんなシュモクザメみたいな艦橋などしないwww
実戦ではほとんど有効に使わずじまいだったけど…
ドイツの高射砲はレーダーほか音源探知、光学兵器であれだけ米英ボマーを
仏にしたわけで
通信機器やら周辺もろもろと有効に連携させてはじめて猛威ふるうのよ そもそもソ連軍のノモンハン事件は、閃光で目標を視認だから方位はあっても奥行きがガバガバになるのは致し方ない
日本軍は敵を目認出来る範囲でなら観測機材のお陰で有効な射撃出来るだろ
バレテ峠の砲兵とかね
通信技術がクソなので観測所と砲列を離せないのが問題なんよ
日本側有利なポジション取りをしていた沖縄戦も、前田高地の観測所など有線通信が専らだった >>944
光学機器の遠距離測距性能に頼るんじゃなくてどんどん観測所が前進するから間接射撃で遠距離射撃出来るんだろ
極論すれば、日本側の観測機材が10km分の精度しか保証出来なくても、観測所から10km以内なら問題ないわけだから、20km先を狙うには10km以上進出すればいい
だから問題だったのは光学機器の精度じゃなくて、そもそもが通信お粗末で10kmとか進出出来なかった事じゃないかな
実戦では周囲より50mとかの高台にでも登らんとそこまで見晴らしきかないから喩えでしかないけどな ノモンハンで日本側が観測できたのは台地のヘリに布陣してる部隊だけだよ。
台地後方の重砲部隊の発砲炎は見えない、そうなると砲煙くらいしか目標は無い、めくら撃ちみたいなもの。
だから台地に上ろうとした歩兵はソ連重砲の猛射を受けて攻撃頓挫。
ソ連砲兵自体は日本に対して砲兵戦しかけてない、向こうも稜線の向こうの重砲を視認できないので。
何発かは飛んで来たらしいけど。
第一次大戦時にはフランス空軍の半数が砲兵用の観測機だった。
遠距離砲戦は砲数と航空観測なんだが身に染みて無かったんだろうなぁ。 日本軍は通信機は大隊以上しかないとか言われるけど、
そのくせチハタンには全車無線装備って、ソ連軍の戦車が指揮車両限定にしてたのに比べて遥かに贅沢してるよな
どうも日本軍は貴重な通信機は戦車隊に回すという意識があったのかも
一応戦車師団向けに砲兵用の観測挺進用の装甲車とかもあるね
しかし九三式砲隊鏡で性能不足という声を聞かないのだから使う人間の教育の問題だろ
当然問題あったら採用されないし
ノモンハンで怒鳴り散らした砲兵将校だって、もしかしたら別の中隊の着弾を観測してて、怒鳴られている側は「はて?」な感じだったかも知れんしなぁ てか河合武郎中隊長の四年式十五糎榴弾砲の活躍をかいたルソン戦記読んだ人はいないのか
イポの複郭陣地で徹底して隠匿した砲兵掩体壕に深く砲を埋め込み敵の砲撃をやり過ごし、敵の大威力弾で壕ごと破壊された一門を除き爆破転進する最後まで壊滅を免れた
移動する米軍の自動車隊を砲撃、司令部から感状受ける
この手並み、とても日本軍は雑兵などとは呼べないな >>948
訂正
九八式砲隊鏡もあったのか
倍率も上がってるし幅も拡大されてる
ありゃ日本軍制式時期乖離してるの法則からして実質一○○式か一式ぐらいに投入か?
としたらノモンハンや支那事変の苦戦と戦争後半の善戦というのは説明が付くな そういうすばらしい手柄も中隊だの大隊だの小部隊に留まるのが日本軍なんだよなぁ…… >>949
光人社「ルソンの砲弾」かな
買って読んだけど、家のどこかに埋もれてる… >>944
戦艦のは射撃指揮要領を見ればわかるけど
初弾を撃つまでの基礎データの一つではあっても、撃ち始めたら基本的に参考にしない
そして常識的に最初の一発で夾叉はまず無いんで、射撃結果に与える影響はあまり大きくない
距離が算出できたからって
直撃を狙える精度でもなければ、砲弾だって狙った距離に飛ぶわけでもない
結局は試射するときの最初の目安にしかならんのだ
これが近距離(20km前後)だと測距精度は半分ぐらいに縮まるし
弾道的に命中界も広くなるので、これなら測距盲従射撃に切り替えられるわけよ
大和の高い位置の測距儀は、この20km前後で水平線の此方側に的艦を入れられる高さでもある
こうなると艦上から容易に着弾景況を把握できるから
観測や斉射タイミングを無視しての連射もできるようになるので盲従射撃の能力を十全に発揮できるわけよ
決戦距離に合わせた防御を備えた戦艦大和の射撃システムは当然その決戦距離に合わせたチューニングなんだ >>952
著者同じか
ルソン戦記 若き野戦重砲指揮官の回想 だけど
まあ多分似た様な事がそれにも書いてあるんだな…
しかし六頭ばんえいの四年式を二頭で引かされたり、相次ぐ転進命令でルソン中を引きづり回されたり、とにかく移動が困難過ぎた
まあ日本の砲手は今も昔も優秀だった
拉孟の戦いのキルレシオとか、有効な砲兵射撃で敵兵を釘付けにしたんだろうなとか思う ノモンハンの苦戦はそんなところにはないんだけど、資料読んだことないのかな。
ジューコフの報告にあるようにソ連砲兵は射程限界14〜18kmで砲撃し、
頻繁に陣地変換を行うという戦術。
日本の報告にも射撃したら直ちに退却するように陣地変換するとある。
台地に上がれず低地からの観測しかできず、頼みの観測機は敵戦闘機に追い散らされ、気球は撃墜される。
敵機の目を盗んでやっと観測できるという状態、それもすぐに追い散らされる。
そもそもソ連の砲撃目標はハルハ川とその西岸で日本が川を渡って台地に上がるのを防ぐこと。
日本側はハルハ川東岸に90式野砲を配置、その後方の丘陵の向こう側に隠れて重砲が布陣。
この時点で日本側重砲がソ連重砲を射程に捉えることが困難ということが判る。 ハナから負けが決まっていた様なものだな。
砲兵の光学機器がどうこうじゃないな
逆に日本側が高台を占拠した時はめっぽう強い レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。