【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ >>892
ま、近代化に逆行してるよな
健全な選択では到底ない
しかし、それしかできないんだから、しゃーないだろうよ?と俺は思うわけよ
出来るもんなら、おそらくは当時のひとがとっくに実現してるはず
軍に優秀な人間集中させてたし
貧乏国がない知恵絞って国力振り絞って大戦争遂行してるんだから
「遠くのステーキより近くの味噌汁」だよ
泥縄式といまのわれわれから批判されようが、あたえられた条件で最悪のなかの最善の選択
とらざるを得なかった >>801
九二式十加は4門揚陸と聯隊史にあった。 >>894
日本軍の光学兵器は丁寧に造られてそれなりの性能あるんだが、とくに砲兵観測機材なんか
ドイツ製のひと世代ふた世代前の模倣が多くて概して旧式
並木書房の泰平商会のカタログ復刻版みればわかると思うけど
あと、無線機が基本大隊規模以上にしかないとか
性能もアレ…
航空隊と地上部隊、歩兵と砲兵の連携やらが通信機器の普及度と性能からかなり弱かった
装備はともかく気風がガサツすぎるソ連軍はもっと酷かったみたいだけど
日本だと砲兵隊内部でも観測所と砲陣地との意思疎通やらも困難だったみたいだぜ
他国よりずっと伝令兵の連絡割合が多かった
上に上海戦線の連携わるさの書き込みもあったけど 第一次大戦で間接射撃は技術も理論も運用も大幅に進歩したしな
観戦将校のレポートだけじゃ追い付かないものがあるんだろう 確かに日本軍の体たらくは居直ってるとしか思えんな
あ、でも山砲は十分な近代化の形だと思う。
あのスタイルはとにかくスマートで、シュコダやシュナイダーのそれにかなり通じる
盧溝橋、太原攻略、南京攻略、台児荘と武漢会戦と支那大陸で転戦し続けた実戦部隊である十五糎榴弾砲装備の支那駐屯砲兵連隊の戦訓は、
・野砲を山砲とするを可とす←この連隊、正定城の戦闘にもあるが野砲への評価がボロクソ低い
・十糎榴弾砲は中途半端←意外にも十糎にも辛口。射程も運動性も無いし十五榴を有する彼らからすれば威力も大して高くない
・砲兵連隊の編成は十五榴一個大隊(うち一個中隊十加)+山砲一個大隊が最適(十五糎榴弾砲の届かない範囲を、九四式山砲が機動射撃し成果を収めた)
などなど、一見突拍子も無いながらもそれなりに歴戦部隊としての説得力を持ったものになってる
戦力としては二個大隊に半減するが、既存の野砲や軽榴はいうほどでもないとディスるというのも面白い ノモンハンで、観測してた将校がこんなへたくそな砲撃やめちまえと叫んだというから
なにかしら問題はあったんだろう 砲兵の観測の件は部隊ごとの練度も関係してくるので一概に言えない・・
砲兵の支援射撃が何時にあると伝令が来て喜んでいたら、
何時になっても観測班が来ずに、時間になったら自陣に砲弾降らせた話がビルマ戦にある。 ノモンハンの野戦重砲兵第3旅団は、連隊番号の野戦重砲兵第1連隊と第7連隊からして常設の古参部隊。
装備して日が浅いとはいえ日本軍における砲兵戦闘の一連のプロセスを心得たベテランだった訳であるが…
これも遠距離戦闘となるとからっきしダメだった様で。
そもそも一号装薬での連発が初めてでしたー、空地連携訓練なんて年一回の大演習ぶりでしたー、みたいな信じ難い訓練状況で…
ピンでこれならキリは悲惨たる有様よ 航空優勢が取れておらず、航空戦の合間にうまく観測できたときでさえ怒鳴られる始末だからなぁ。
取られた戦法が、90式を前に出して台地稜線の敵陣を砲撃して
応射の発砲炎から陣地を特定して重砲で潰す・・・
これじゃ台地後方に布陣する敵重砲部隊に対して何もできない。 一方英軍は第一次大戦で音響観測技術を既に確立させ、なんと誤差数メートルの範囲内で特定可能という…
もう何もかも置いていかれた印象しかないわ その点大口径迫撃砲って楽だよな
最大射程だと着弾誤差が百メートルとかそれ以上にもなるから、大量に連発して数百×数百メートル単位の面で焦土にする面制圧兵器
「砲兵将校の練度貧弱」「そもそも砲兵将校の訓練もままならない」などあらゆる全ての現実を飲み込んだ日本軍が辿り着いたのは機動打撃師団で、師団の迫撃砲連隊で猛弾幕を張り歩兵を突っ込ませる、それだけ
しかし海軍壊滅してくれたのはいいが工業力自体がもう尽きてたのでもうその策すら危うくなったときては…合掌
結局測距が簡単な短射程砲という要素と、初弾から命中出来る精度(補給に負担かけない)という要素を併せ持つ山砲が主力になったのも分かる
迫撃砲は砲弾消費が尋常でないので
実際、九四式山砲の生産数って最近だと倍増してるんだっけ?
民間生産分があったとかなんかで >>901
ってか実際何がダメだったんだろうな
砲兵の観測も民間の測距と一緒で三角測量だろうし、原理としてはこんなの三角関数習った中学生でもやれない事はないよね
ノモンハンで射撃ウンコだったのはこの観測将校無能説を推したいね 実際目測に頼った光学観測ならかなりの精度出せるはずだし
音響観測とか高度な事やってる訳ではなく、火砲陣地が目測出来る状況で外すって事は、射撃法とか以前に射撃諸元が間違ってたのが大きいんではないかとも思う
昔ながらのやり方で当たらないってのは、多分日露の鴨緑江会戦のときより退化してるよな >>908
十加は足が逝ってたのかもw
あと全般に言うと弾形が歪で中心が狂ってたとかもあり得るか?
寸法公差はきっかり守ってるから砲弾は砲身を進むには進むけど、形状公差がおかしくてまっすぐ飛ばないとか… >>907
その測地がアウトなのよ
具体的には標高を把握するのが・・・ >>907
その観測将校は飛行機の上から言ってたんだよ
常に自分の位置が変わり続けるし三角測量なんてとてもじゃないが出来ないので、遠近とか適当に伝えるしかない
普通の地上観測所からやってそのレベルなら第一次大戦以下だな
…いやWW1以降停滞気味の日本砲兵戦術だから割とあり得る話かも知れんが ノモンハンとか古い砲多いし、ライフリングが磨耗してたんじゃないのかね? 気象観測機材の精度とか、装薬の性能が安定してないとか、他にも色々ありそう。 米軍の日本陸軍便覧にも砲兵の観測所は大抵砲の近くにあると言ってるから
遠隔観測射撃なんて「り、りろんはしってる」状態なんだろ ノモンハンの野戦重砲兵第1連隊の生き残り見つけた
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/06onketsu/O_06_051_1.pdf
最大射程の砲兵戦で活躍してる
観測所は300m離れた小高い丘にあったそう
精度の悪さは着弾観測で修正出来る もとの話題だけど、俺が想像するに、四年式の短射程は砲身が短過ぎたのがいけないんだと思う
四年式十五糎榴弾砲の甲弾薬筒は乙弾薬筒より遥かに長く、九六式の弾薬筒より少し短いだけ
こんな強力な装薬で砲架はともかくよく閉鎖器が持ったものだと感心する
極端に短い砲身に過大な装薬を入れても、負担をかける
自緊砲身で砲身を一割強ほど延長すれば良かったろうに
これでもまだ砲口ブラストは九六式並みに強烈だと思うよ
四年式は短砲身で8800mというのは十分に無理し過ぎ
日露以前は砲身の合金鋼が作れず砲身を輸入に頼っていた時代があった
自緊砲身が製造不可能ならば変なプライドは捨てて然るべきだろ 9mmパラレベルの弱装弾薬を使う、SMGですら銃身が伸びたら初速が上がってる
マグナム弾なんか全然違う
四年式も、あのカートリッジの大きさからするに装薬には余裕がある
砲身延長により反動軽減と初速 そもそもあの口径長で射程10kmを超えた十五榴など寡聞にして聞かない
当の日本軍の見積もりが甘かった
10kmクラスの重榴ならば口径長はもっと長い
安易な増装に頼るから、強力なブラストで砲架にガタがきて初速打ち止めになる
砲身も一緒に延伸しないと駄目だろう 測距儀(単体で三角測量を行う器具)の精度が悪かったのではないか?
相当する基線長が短ければ0.00何度とかの角度誤差で凄い散布を叩き出してしまう事になる
戦艦大和の15m測距儀は30倍だから450m相当の長さなので、長ければ長いほど誤差が小さくなるわけだが
日本のものは倍率も低く幅も短い、せいぜいが無印三八式野砲時代の射程でしか精度を保証できないものだったのではないか?、とも推察するが… 戦艦は艦橋の高さ40メートルにもなったりするから、20km以上先の水平線を見ることが出来る
ノモンハンでのソ連軍砲兵は50mの高台を占拠していたから、戦艦と同じ実質的な砲側観測所の直接照準だろうから精度も高かった
日本側はむしろ低地なんだよな
NHKの特集でも行っていた様に、フイ高地というが高地とは名ばかりで、ちょっと浅く盛り上がった地面でしかなく、ほぼ平原
あの平原であの高度差はきつかっただろうな >>921
測距精度がkm単位でも、あんまし関係ない
試射して、着弾が手前だったら伸ばす。飛び越えたら下げる。ただそれだけのことで
測距精度は初弾の精度には影響するけど、その後は測距関係ない
大事なのは着弾観測と、観測所と砲の精密な位置関係の把握な そして、ちゃんと安定して飛ぶ弾。
全く同じように撃っても違う所に落ちるケースとかあるから。
一次大戦とか二次大戦末期のアメリカとか、粗製乱造砲弾で不発と並んで問題になった。 >>920
ああ、そこら編の火力見積もりがあまいのは日本軍はまだWW1初期とかまでの感覚で直接照準と直接支援砲ベースの考えが前提であるんだ
砲兵の理論を知らないんじゃなく、兵站の弱さ、観測能力やら無線ネットワークの弱さ
そういったいろんなものがある上で、砲兵がただの歩兵連隊支援砲ベース、重視なの。
流石にノモンハンなどで強力な重榴弾や軍団砲兵の必要性や能力、機能そういったものが不可欠だとは理解したが、兵站能力ネックなどで十分な砲兵はできなかった
しいていえば、それでもなんとかサイパンやら沖縄で150榴弾メインで編成したのはぎりぎり努力したようなもんよ 元々戦国のことから日本は狙撃を軸にした銃の扱い方で、欧米が弾幕物量やったろ
で大戦においても「教育や兵站で即時更新無理やん」と歩兵中隊迫撃なり、連隊75mm歩兵砲的な直接支援と直接照準ベースなんよ
で結果砲兵必須でも、兵站+ノウハウ+その他インフラやら諸々駄目だから
長距離面制圧ってのは物理的にできなかった。結果弾幕薄いから迫撃弾幕方式を採用するようになった。苦肉の策だ
で結果軍団砲兵、長距離砲を運用できない最大の理由は観測手段や指揮系統のレベル都合と
運搬インフラの都合
これで関節照準で20km先に面制圧でなんて作戦は論外、無理だってなっていったんだわ
150榴弾が目一杯あっても観測と誘導がまともにできないやんと
まともに観測して当てられる距離の都合、日本軍には射程4-12kmくらいまでの迫撃砲みたな兵器が一番都合良かった
まんま現在の120mm迫のドクトリン。また当時の連合国も観測手段やらは不完全で、結果60年代にアメリカがヘリコプター観測×計算機をつかって
ようやっと20kmより先に面制圧するでなんてのができるようになった
弾幕、手数ベースでは70-80年代の兵器でやっと十分な弾幕を出せるようになった
そういう連合国でも不完全だったのが当時の重榴弾と軍砲兵の実態で、むしろ結果的に重迫でゼロ距離弾幕みたいな戦いのほうが
極論で糞いい加減な観測でも戦えるから合理的だったって話。あの当時のソ連やアメリカの軍団砲ってのは有効といえば有効だった
けど結果的に空爆と歩兵砲、迫撃などでアクティブに直接照準せんと、当時の強固な陣地は潰れなくて
結果砲兵砲と迫撃のほうが有用だった
まだあの当時の軍砲兵はソ連軍砲兵でも弾幕も精度も観測手段も全然だった >>925
見積もりってのは単に「装薬○○gで砲身○○mあれば射程○○km」だろうっていう計算の事で、別にそれは後方支援だの古い思想だの何だのでどんな思想をしていようと、腔内弾道学と燃焼工学を理解していればしっかり要求スペック最大射程一○○○○米を達成できただけの話だよ
四年式の射程延伸失敗は日本軍の工学的な見積もりが甘かったの 日本軍の砲兵観測機材はほとんど旧式だよね
20世紀はじめのドイツ製品の模倣やら改良品が主力
とてもあとの射程10km越え当たり前時代に適応してたとは思えない
だって、台児荘、武漢、ノモンハン、ガダルカナルやら長距離対砲兵戦したときは
ほとんどワンサイドゲームみたいなものじゃない?
まー知られた成功例と思えるのは占守のロパトカ砲台との応酬
ソ連海岸砲130mmにたいして九六式十五加の威力精度がかなり勝ってたからね
まぁ、これで70年の歴史ある苦難三昧日本軍砲兵の有終の美を飾ったわけだ おそらくこのスレで砲兵観測機材にまで知見が及んでいるのはあなただけかと思われるから、具体的に上げてもらわないと誰も付いてこれないと思う・・・ 遠距離ではないかも知れんが、対歩兵制圧では拉孟玉砕戦では有効な射撃が出来ていたのでは?
野砲兵一個大隊(十榴8門)が守備隊だけど、精鋭の雲南遠征軍四千人を殺害
本来怒涛に押し寄せる赤軍を想定してきたものだが、ここでの突撃破砕射撃とは国軍砲兵戦闘の真髄ではないか?
遠距離砲戦はほんと散々だよね >>929
図(修正写真でイラスト化したもの)が兵器輸出業者 泰平商会輸出カタログ復刻版
で並木書房の本でいまも廉価に読めるよ
カニ眼鏡(砲隊鏡)、双眼鏡、測遠機のたぐいはNikonやTopconで検索すればでてくるし
計算尺の類はヒットするのむずかしいかも
同時期のツアイス製品とくらべるのも面白いかと
ドイツのカメラ、レンズなど光学技術が1930年代に世界水準からずば抜けた形で勃興するんだが
当時の日本でそれを享受できたのは新しもの好きの資産家や、技術畑で海外勤務の
陸海軍武官くらい
あくまで愛玩物や高級機であって、軍事用の特殊レンズや、そのころの航空機の照準器いがい
あまりその頃のドイツ光学技術がわが国の兵器開発に寄与してるとはいえんような…
あ、大和の測遠器や狙撃銃スコープとか影響あったか >>930
近距離中距離ならいいのよ
おそらく日本軍装備観測機材の性能がカバーできる
それで奮戦できる
10km越えの対砲兵戦となるとクソミソ・ケチョンケチョンが大勢と思われ… 山本七平氏の著作じゃ性能だけでなく工夫も足りてない的なこと書いてたね 山本七平はフィリピンで、どうせ当たらないだろうと思っていたら試写一発目から飛行場のど真ん中に十榴ぶち込んでしまったというエピソードあるな
拉孟もそうだけど、実は十榴って意外と優秀なのかもな
過重らしいが 昭和新山できたときの話だけど、畑がもりもり隆起してきて、ぜひとも
貴重な記録を写真とったりしたいんだけど物資不足の戦時中だから無理
フィルム入手など一般人だと絶望的
そこで郵便局に務めてたひとが、タコ糸を等間隔に張った目視測定器みたいな
もんつくって定位置から逐次観測
貴重な新山隆起の様子が記録としてのこされた
…これぐらいのことは技術畑の砲兵ならじぶんで作りそうではある >>931
つまるところ倍率が低いのか機能が少ないので?分からんかった 仮にレンジファインダー方式だと基線長がロングであるだけ遠距離が誤差すくなくつかめる
日本光学製大和のアレがたぐいまれに長大なのはそのせい
高価で製造がきわめてむずかしいブツ
この方式に限らず遠距離を正確に観測する機器の開発製造は技術ハードルが非常に高い
直接照準器だって精度そのほか優れてたおかげでドイツ戦車はソ連にくらべ三倍
遠距離砲戦命中率を誇った ドイツの高射砲部隊が数人がかりでバカ長い測遠器操作してる写真とかググると
出てくる 日本陸軍便覧によると
「日本軍砲兵の光学兵器は傑出してる。設計は良好かつ多様性があり構造は頑丈で解像度は満足できる」と絶賛である
鹵獲した米軍的には実用十分なスペックだったようである
そもそも遠距離射撃って最初の数射はどうしたって試射だし
その試射で毎回4門前後を動員しないと本来的な精度が出ないものなんよ
素早く結果を出そうとしたら3個中隊ぐらい投入して
各中隊にそれぞれ別の諸元で試射させて、一番近い結果の奴をベースに修正射とかやらんといかん
つまり日本軍みたいに中隊単位で分割したりしてると、試射精度と素早い諸元確定すら怪しくなるのじゃ
多数砲を出すのは面制圧もあるけど、そもそも素早く確実に試射するには数が必要なんだって世界
この時点で日本軍の手には負えなくなるのである >>944
いや、おれもその本持ってるけど、それ1944年に編纂されて出版が翌年だったはず
敵を侮るな!な感じで意図的に日本軍兵器と装備の評価がかなり甘い
現代の研究水準では首傾げる記述が多い
訳者のあとがき通り当時で九割がたの分析が正鵠を衝いてるのはやはり偉業だが
むしろ近年刊行された、おなじ原書房の「日本軍装備大図鑑」のほうが兵器装備に
関してはずっと正確で辛辣な内容だ
無線機とか
まぁ、この著者はジンガイ日本軍被服コレクターだね
西洋人の曲解による、日本史と日本人への誤った記述が面白かったりするし、逆にわれわれが
自覚しない西洋人による具眼の指摘意見もある ぶっちゃけ光学機材なんて砲兵の遠距離射撃では大した意味はないんだけどね
光学機器が物を言う近距離直射は当ててくるから気をつけようねって話である
遠距離は通信と砲・弾薬の数で運用するのであるよ >>943
それは、ねーな!
でなきゃ大和があんなシュモクザメみたいな艦橋などしないwww
実戦ではほとんど有効に使わずじまいだったけど…
ドイツの高射砲はレーダーほか音源探知、光学兵器であれだけ米英ボマーを
仏にしたわけで
通信機器やら周辺もろもろと有効に連携させてはじめて猛威ふるうのよ そもそもソ連軍のノモンハン事件は、閃光で目標を視認だから方位はあっても奥行きがガバガバになるのは致し方ない
日本軍は敵を目認出来る範囲でなら観測機材のお陰で有効な射撃出来るだろ
バレテ峠の砲兵とかね
通信技術がクソなので観測所と砲列を離せないのが問題なんよ
日本側有利なポジション取りをしていた沖縄戦も、前田高地の観測所など有線通信が専らだった >>944
光学機器の遠距離測距性能に頼るんじゃなくてどんどん観測所が前進するから間接射撃で遠距離射撃出来るんだろ
極論すれば、日本側の観測機材が10km分の精度しか保証出来なくても、観測所から10km以内なら問題ないわけだから、20km先を狙うには10km以上進出すればいい
だから問題だったのは光学機器の精度じゃなくて、そもそもが通信お粗末で10kmとか進出出来なかった事じゃないかな
実戦では周囲より50mとかの高台にでも登らんとそこまで見晴らしきかないから喩えでしかないけどな ノモンハンで日本側が観測できたのは台地のヘリに布陣してる部隊だけだよ。
台地後方の重砲部隊の発砲炎は見えない、そうなると砲煙くらいしか目標は無い、めくら撃ちみたいなもの。
だから台地に上ろうとした歩兵はソ連重砲の猛射を受けて攻撃頓挫。
ソ連砲兵自体は日本に対して砲兵戦しかけてない、向こうも稜線の向こうの重砲を視認できないので。
何発かは飛んで来たらしいけど。
第一次大戦時にはフランス空軍の半数が砲兵用の観測機だった。
遠距離砲戦は砲数と航空観測なんだが身に染みて無かったんだろうなぁ。 日本軍は通信機は大隊以上しかないとか言われるけど、
そのくせチハタンには全車無線装備って、ソ連軍の戦車が指揮車両限定にしてたのに比べて遥かに贅沢してるよな
どうも日本軍は貴重な通信機は戦車隊に回すという意識があったのかも
一応戦車師団向けに砲兵用の観測挺進用の装甲車とかもあるね
しかし九三式砲隊鏡で性能不足という声を聞かないのだから使う人間の教育の問題だろ
当然問題あったら採用されないし
ノモンハンで怒鳴り散らした砲兵将校だって、もしかしたら別の中隊の着弾を観測してて、怒鳴られている側は「はて?」な感じだったかも知れんしなぁ てか河合武郎中隊長の四年式十五糎榴弾砲の活躍をかいたルソン戦記読んだ人はいないのか
イポの複郭陣地で徹底して隠匿した砲兵掩体壕に深く砲を埋め込み敵の砲撃をやり過ごし、敵の大威力弾で壕ごと破壊された一門を除き爆破転進する最後まで壊滅を免れた
移動する米軍の自動車隊を砲撃、司令部から感状受ける
この手並み、とても日本軍は雑兵などとは呼べないな >>948
訂正
九八式砲隊鏡もあったのか
倍率も上がってるし幅も拡大されてる
ありゃ日本軍制式時期乖離してるの法則からして実質一○○式か一式ぐらいに投入か?
としたらノモンハンや支那事変の苦戦と戦争後半の善戦というのは説明が付くな そういうすばらしい手柄も中隊だの大隊だの小部隊に留まるのが日本軍なんだよなぁ…… >>949
光人社「ルソンの砲弾」かな
買って読んだけど、家のどこかに埋もれてる… >>944
戦艦のは射撃指揮要領を見ればわかるけど
初弾を撃つまでの基礎データの一つではあっても、撃ち始めたら基本的に参考にしない
そして常識的に最初の一発で夾叉はまず無いんで、射撃結果に与える影響はあまり大きくない
距離が算出できたからって
直撃を狙える精度でもなければ、砲弾だって狙った距離に飛ぶわけでもない
結局は試射するときの最初の目安にしかならんのだ
これが近距離(20km前後)だと測距精度は半分ぐらいに縮まるし
弾道的に命中界も広くなるので、これなら測距盲従射撃に切り替えられるわけよ
大和の高い位置の測距儀は、この20km前後で水平線の此方側に的艦を入れられる高さでもある
こうなると艦上から容易に着弾景況を把握できるから
観測や斉射タイミングを無視しての連射もできるようになるので盲従射撃の能力を十全に発揮できるわけよ
決戦距離に合わせた防御を備えた戦艦大和の射撃システムは当然その決戦距離に合わせたチューニングなんだ >>952
著者同じか
ルソン戦記 若き野戦重砲指揮官の回想 だけど
まあ多分似た様な事がそれにも書いてあるんだな…
しかし六頭ばんえいの四年式を二頭で引かされたり、相次ぐ転進命令でルソン中を引きづり回されたり、とにかく移動が困難過ぎた
まあ日本の砲手は今も昔も優秀だった
拉孟の戦いのキルレシオとか、有効な砲兵射撃で敵兵を釘付けにしたんだろうなとか思う ノモンハンの苦戦はそんなところにはないんだけど、資料読んだことないのかな。
ジューコフの報告にあるようにソ連砲兵は射程限界14〜18kmで砲撃し、
頻繁に陣地変換を行うという戦術。
日本の報告にも射撃したら直ちに退却するように陣地変換するとある。
台地に上がれず低地からの観測しかできず、頼みの観測機は敵戦闘機に追い散らされ、気球は撃墜される。
敵機の目を盗んでやっと観測できるという状態、それもすぐに追い散らされる。
そもそもソ連の砲撃目標はハルハ川とその西岸で日本が川を渡って台地に上がるのを防ぐこと。
日本側はハルハ川東岸に90式野砲を配置、その後方の丘陵の向こう側に隠れて重砲が布陣。
この時点で日本側重砲がソ連重砲を射程に捉えることが困難ということが判る。 ハナから負けが決まっていた様なものだな。
砲兵の光学機器がどうこうじゃないな
逆に日本側が高台を占拠した時はめっぽう強い ノモンハン事件は物量の差なので
まあそれでも善戦の神国日本だった
ここで止めとけば真珠湾も無く原爆も無し
満州もまだあったかもねえw
日本の光学機器は性能がよかった
だからこそ戦後10年足らずでドイツを追い抜くんだし
それも基礎と素養が有ってこそ
今でも市場を二分いうかほぼ独占だがねw
またイエナ坊wが出て来そうだがw
大体伊能図を自力で作った国
近代測量まであの地図だったんだしw
和算を始め西欧式の理数系も維新前から発達 …全分隊長に双眼鏡を配備したのは日本軍くらいのものではないか?とは思う
いや、他がどうとかは一切知らんが
あと重機と軽機のスコープ搭載率の高さ。
他が壊滅的なわりになかなかのマスプロ
光学機器とカメラぐらいだけは戦後上手くいったよね
全般的には70年代後期〜80年代ごろにやっと追いついた感があるが、ニコンとかの光学機器だけはもっと早くから世界水準に追いついていたと思う >>956
そう?光学観測しか出来ないなら、敵に煙幕張られたらおしまいじゃないの
音響観測できないんでしょ。 「レーダーがあるんだから百発百中なんでしょ」みたいな理論だな 架空戦記で日本が捕獲したM2をコピー参考にして新重砲を開発という話があったがM2を捕獲したという事例を見た事がない。
というかそもそもコピーできるのだろうか。 M1918はフィリピンでいくつか捕獲して再使用してるが、M2はサイパン戦くらいが
太平洋戦線投入はじめなんで
最大規模の夜間万歳突撃したときに米軍砲兵陣地突破時の瞬間分捕りくらいだろう
朝には1000名余が海岸砂浜で永眠だから
ほかの戦線でも、とても大型兵器を無傷で入手できる戦況ではほぼない
M2コピーはできても、オリジナルの性能は到底だせない
アメリカの冶金技術には到底およばないから
戦前、貴重な良質スクラップ鉄原料としてアメ車解体部品輸入して恭しく使ってたくらい そもそも品質ならラインメタルの方が上だしな
こちらは試製砲の開発の参考にされてる
というか砲架流用してるのでまるまるコピーする気だったのかも >>964
それは本家sFH 18で、中国の博物館にあるラ式を見て貰えば分かるけど日本やフランス式の、駐退機が砲身下の1組しかないラインメタルオリジナルの試作砲だよ
24門しか作られてない一級品 あと平衡器の形も違うしな
おそらくあれがラインメタル本来の設計だろう
もう一方が本家sFH 18でクルップ式と呼ばれている事からも対比できるだろ >>951
大規模砲撃戦に必要な砲兵組織の整備が出来てないからね。
まあ、戦間期だと赤軍以外に参考になる物が無いから仕方ないが。 大隊って別に小部隊じゃないだろ。
サイパン島の黒木十五糎榴大隊とか、ペリリュー島の小林野砲兵大隊とか
まあ、沖縄戦みたいに砲兵団規模で戦果挙げた場合もあるけど 結局、日本軍の砲兵は移動弾幕射撃が出来ないまま、第二次大戦を終えた。 南晶攻略戦の修水河渡河作戦でやってるぞ。
その戦術の起源のフランス軍同様に盛大に味方を巻き込んでな。 記録を読むと、信号弾を撃ちあげる人が戦死してしまって盛大に誤爆されたらしいが
ちなみにドイツ軍も第一次大戦で同じ方法でやってるけどしばしば見落とされて誤爆されたらしい
例の攻勢でのフランス軍のは論外な
歩兵の50m手前を常に弾幕張るとか初っ端から飛ばし過ぎw 赤軍みたいに戦車部隊に移動弾幕で援護とかで、誤爆してもなんとかなる相手でやらんとなあw >>970
>>971
あーそれで渡河したら、先に対岸に渡った兵の無残な遺体があったとかあるのね
ほとんど敵の反撃によるものでなく
…ガス弾での友軍の被害も相当でたんだろうなぁ
この戦闘での毒ガス使用隠蔽するため、箝口令敷かれたらしいが
ここの大規模砲撃戦は戦前から喧伝されてたけど、おおっぴらなガス使用が明るみにでたのはせいぜい
この十年ほど
ネット普及して本を未読のひとでも、個人手記も読みやすくなったため 当時の新聞や雑誌で「渡河作戦成功」やら「未曾有の大砲撃」とか戦捷報道は大々的にやってる
…毒ガス使用の件が知られると国際的にまずいから、報道管制で徹底的に伏せてる 毒ガス使用に関しては、日本も中華民国も禁止条約に批准してないから
もちろん合法なんだが、それを用いて勝ったなんてのは印象最悪なんだよ
とくに一次大戦経験した欧米にしてみれば悪夢の再現いがいの何物でもない 一般人に戦前戦中戦後の区別が付かない人は多いけど、ミリヲタで付かない人を見ると
ちょっと悲しくなる。 ニヴェルが自信満々に実行したフランス軍の移動弾幕射撃は自軍歩兵を殺しまくって大失敗だったけど、ドイツ軍の移動弾幕射撃は割と普通だった印象
というか正確には移動弾幕射撃ではなくその走りで、弾幕のうしろにぴったり歩兵を付けるんではなく、単に弾幕を前進させるだけで地面ごと耕す、その後歩兵を突入させるだけ
所謂移動弾幕射撃というのはフランス軍がこれに着想を得て発展させ、歩兵をぴったり付ける、というものだろ
狭義の移動弾幕射撃で成功した風に見受けられるのは、遠過ぎた橋の英軍かな?
シャーマンの様な戦車と無線連絡とが合わさって初めてまともに使える戦術だろ
そもそも15糎榴弾砲も50mの位置なら普通に傷を負うし下手したら、いやしなくても死ぬからな
つまり自軍の100m先設定なら50m進み過ぎてもアウトだし50m弾着が手前に落ちてもアウト
如何にフランス軍の50m手前というのがハードル高過ぎたか分かる >>974
正確ではない用法とは思うが、昭和16年12月8日以降を現在のわれわれは戦中と呼ぶ
認識が多数派だろう
昭和12年の盧溝橋事件、第二次上海事変から全面戦闘入ってるわけだが
お互い宣戦布告なき戦闘だから、あくまで「事変」という言い訳も成立するわけよ
大陸の昭和16年12月よりまえは、それで戦前って表現もけして間違いではないの 移動弾幕射撃って一次大戦の塹壕戦で始まって、ジグザグになってる塹壕を
あまねく破壊する為のもんだろ?
目隠しと機関銃制圧もかねてて、歩兵は弾着のすぐ後を付いて突撃する。
離れると残った機関銃が撃ってくるので、むしろ歩兵の方がどんどん距離を詰めていった
と聞いている。
多少の味方撃ちよりも、敵の機関銃の方が怖いから。 というか移動弾幕に限らず、攻勢時にヘタな弾幕射撃はやらない方がマシだな
重砲によるトーチカ破砕を目的とした射撃でもなくばね
その分を戦車に充てよ、というのがトレンド
戦間期に志向されたのが、第一次大戦型の様な砲弾歩兵大量浪費型のものではなくて、機甲部隊による「スマートな戦争」だからな
各国第一次大戦の様な圧倒的な砲弾消費にウンザリしていた
10kmとか20km離れるより、針の穴を通す様な戦車砲の精密な直接観測射撃で、常に歩兵の最前線脅威を排除
それでいて砲弾浪費が少ない
砲兵などより戦車が >>980
塹壕は横ジグザグでも、移動弾幕においては基本的には塹壕まで歩兵の前進に合わせてばら撒かれるから、塹壕地帯に固定弾幕射撃した方が弾幕密度は高い
ましてやさっさと敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね
固定弾幕の方が即ち短時間で所要の射撃を行う事を可能にするもので、だから砲撃を短時間で切り上げる(砲兵の大規模集中急発射)の後に奇襲的に歩兵を突っ込ませるやり方が功を奏したわけで、移動弾幕射撃のアイデアは素晴らしいが戦績自体はそこまで大した事はない
敵の頭を下げさせるには必ずしも最適解ではないのだ
むしろ移動弾幕は広い攻勢正面で各個に散兵し独自に破壊・突破を行う様な戦術では制約の方が大きい 訂正
>>ましてやさっさと敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね
○ましてや移動弾幕が敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね 日本では移動弾幕射撃の友軍までの距離は野砲で150m、15榴は300mとされてた
弾幕密度は毎分1〜2発。まあ景気づけ以上の意味は無さそうであるな
それでいて、普段から意思疎通の良い直協砲兵を充当し、砲兵は最大5kmまでの射程で行う
つまり支援する友軍が良く見えてて、なおかつ動きも想定しやすい状況で運用する
これがもっと攻撃的な移動弾幕射撃もあって
こっちは友軍に関係ない戦線後方の砲兵陣地やその観測所があるであろう範囲に行う
固定弾幕で粉砕が難しそうな広範囲とか存在確定が出来てないトコに
煙弾も混ぜて広範囲に擾乱を行って観測妨害を行うんだそうな
こっちは火力機動による擾乱戦の一種だな ノモンハンの対砲兵戦がまさにそれだな
大半は空き地にばら撒かれるんでとにかく無駄弾が多い
歩兵と一緒に戦車突っ込ませる方がマシ まあ、その戦車に対する幻想が打ち砕かれて結局砲兵火力が戦争の行方を決めたのがWW2なんだけどな。 ことしにその内容の本が刊行されたみたいだね
戦鳥の人が著者だっけ? >>974
>>977
ノモンハン事件というように双方宣戦布告してない戦闘だね
戦後に十五年戦争、太平洋戦争や日中戦争って呼称が作られたから混乱が起きる
昭和12年からのやつは当時は支那事変、日支事変、日華事変とかいった
対米英戦が昭和16年に勃発して、以降満州事変からに遡って大東亜戦争と命名するなんて
流れの現象もあってややこしいんだけど
実際は満州国建国昭和10年から第二次上海事変の12年までは治安戦出兵で大規模な戦闘は
おきてないから十五年戦争なんて継続扱いは無理があると思う 南昌作戦の渡河攻撃は毒ガス弾使用にくわえ、少なくない誤射の友軍戦死負傷が緘口令対象だった
と思うね >>988
大東亜戦争に含むのは支那事変だけじゃなかったっけ? いや満州事変まで遡っての呼称
大日本帝国っていうように偉大な聖戦の意味つけたくて「大」つけた
大英帝国とかと命名同根
W号F2型とG型みたいで定義を当時から塗り替えたり、以前の定義を踏襲する人
も同時にいてはっきりとした正解は難しい
戦後の命名定義はあきらかにふさわしくないと思うが
左翼プロパガンダの思惟的造語意味合いが濃厚 閣議決定で「支那事変を含む」としてるから、満州事変は含まれないのでは? >>992
うーん、ネット検索順に検索したらそのようにでてくるね
閣議決定って基準からね
おれが大学生のときは左系の教授が十五年戦争って言って、保守民族系の教授は大東亜戦争
て言ってた。両者とも示す期間は同じ(笑)
おれもそのように認識してたけど←実話
いま、検索してて、大東亜共栄圏に満州も入ってることからまったくの間違いでもないと思うけど 大東亜戦争って名前は「大東亜共栄圏を建設するための戦争」って意味だから、
場所がどうとかは関係ない。
マダガスカルやシドニー攻撃しても、米本土を空爆しても大東亜戦争。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。