【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る31
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>950 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る30
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1536272600/
■関連スレ
【6.5mm】日本軍歩兵火器総合 5挺目【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured mle1913 105mmはかなりカノン寄り設定だね
ロシアが107mmで長砲身化して純然たるカノン改良したように
第一次大戦基準で射程12kmはその意味合いがある まあフランスの75mm野砲は物理的な射程はともかく、照準目盛りは4kmまでしかなかったそうだし
あの時代の火砲って本気で遠距離射撃する気はあんまし無いんだよな
(なおWW1で求められることになって、皆困るわけだが 榴霰弾発射目的だったわけでしょ?もともと野砲って
それで仰角があまりとれない
落下する砲弾の角度で榴霰弾だと、浅くないと威力発揮できないんでなかった?
榴弾が主に使用弾主流になると大仰角射撃の必要にかられて砲架が中央に開口ある
ボックス型になるんだと思うよ
フレンチ1897も三八式野砲も開口なしの単脚砲架で不便を感じるようになった、と 砲は重いけれども、フランスのより精密射撃可能ということでクルップ採用したんだろう
砲弾生産能力が乏しい日本の実情にマッチしたし
土浦でみたら75mmのわりにごつくてでかい砲だね
M1897 75mmは日本に売らなかったせいもある
三国干渉で黄禍が欧米でおこるんだが、技術製品輸出の外貨稼ぎはドイツ人はなりふり
かまわないから
日本と清、中華民国両陣営に売ってるよ
フランスはタイにはM1897売ったんだったか…
ベトナム旅行した際、河畔に固定砲床のやつが何門かあったな >>115
一次大戦オリジナルのFK16は7.7cm口径だね戦後のnAで新砲身換装7.5cm 南方で鹵獲した25ポンド砲
上層からの内地送付命令を現地部隊が拒否したとか前スレでなかった?
設計は旧態依然ながら1930年代の砲だからな
射撃精度やら使い勝手は改造三八式の比でなかったとみえる
牽引車もごっそり分捕ってるしな 戦捷に沸いてる現場にとっちゃあ、コンビーフ肴にスコッチ呑んで「かまいやしねぇや、左遷したいなら
しやがれ!( ̄∇ ̄;)ハッハッハー〜!!」状態だったと思われ
自分らが犠牲だして分捕ったもんを召し上げられるのは至極面白くないわな
貴重な有用兵器だし 一桁師団の長なんて、いまの県知事よりよほど権限威厳があるからな
天皇親補職だから、中央の佐官クラスもおいそれ口出しできない
それをやったのは辻とか一部の跳ねっ返りだけだから
自由に使える使途不明金がわんさとあるし ゴーンJrが合法で存在した時代 C01000800000 鹵獲兵器還送の件
17年6月、露核兵器を内地に送れと通達
17年10月、南方軍から
・25ポンド砲は鹵獲86門とされてるけどあるのは72門だ
・スンダ列島等の防備に最小限30は必要なんで送れるのは42だと
結局17年11月に送ったもの以外は現地で活用と再通達
86とか72門の25ポンド砲ったら、そりゃ師団2個分ぐらいになるもんな 原型フランス製105mmより使い勝手いいポーランド開脚式の砲架だよな
フィンランド軍はドイツから供与されたらしい
師団砲兵の榴弾砲で射程12kmは二次大戦でも一級品だ ラングーン防空の要は鹵獲ビッカース94mm高射砲だったし
ボフォース40mmも当然あったろうな 使いやすい砲だったらしいね25ポンドは砲弾威力は10.5cm LeFH18に劣るけど
なんでこんな中途半端な口径設定した英軍がわけわからんけど
18ポンド砲の砲身ボーリングして無理やり制式化したからだろうね
ダンケルクに残置した旧式砲架を改良した型が、北アフリカに送られて
分捕ったDAKが火力不足のためさかんに利用した WW1の野砲は
半分の砲弾が毒ガスだから
精度はそれ程求められないんだよ
使い方が根本的にWW2と異なる 言うても日本は日中戦争で毒ガス使ってるから…(苦笑)
榴散弾も精度はいらなさそう 80年代で、南昌の渡河作戦であれだけ砲数揃えて砲弾集積してほんの数基数で作戦完了できたのか
疑問だったけど、あれはガス弾の威力だったんだよね…
不手際が生じて誤射、練度に劣る特設師団の日本軍がすくなからず死傷やら練れてない戦闘だったらしい、とか
いま判明してるわけだけど >>129
だが戦争後半になると、野砲で戦車を撃てと言われて
急に精度が要求されるようになる。
対戦車砲(銃)と言う専用砲ができるまでの過渡期の話。 30tあるデカブツで速度が数kmの菱形戦車を至近で潰せない精度とは・・・
たしかにルノーは小さくて照準器はそれ用でなく、精度の粗いむかしの野砲で当てるのは直射で至難の技とは思う >>132
「象を討つには象撃ち銃を!」で馬鹿みたいな長大なマウザー対戦車銃が前線配備される
わけだね
ラインメタル前身のエーアハルトが3.7cm対戦車砲をWW1期にいちおう開発成功してる
大日本絵画ロシア語邦訳「ドイツ対戦車砲」に写真あり
」 兵器性能の格差でいうと、KVに対戦するときだな最大の脅威は
菱形戦車だとそれほどでもない
カンプレー戦みたいに一挙に400台襲ってきたときは尻に帆かけてにげるしかないけどwww
ドイツ軍最悪の日とヒンデンブルクに嘆かせるくらい すまんアミアンの戦いだね
>>136
あの人のスタンスなんだよねぇ。自分はこの砲についてこう思う、とか、この
判断はまずかったんでないか?、なんて見解は延べない
面白さでいったら、佐山さん他が連載してた「知られざる日本の兵器」がはるかに上 ワールドフォトプレスの日本陸軍兵器集もいい
40年ほどまえだけど、いまの水準でみてもかなりの良書
竹内昭さんとか高荷さん、中西さんやら陸軍研究パイオニアが複数参画してたんだね 奉天接収砲 十四年式十榴wikiの間違いだらけ記述は糺すほうがいい
おれ昔から指摘してんだけど、訂正する好事家がいないんだよな
面倒くさいからやらないおれが悪いけど LeFH18はフランス純正砲弾も撃てた
薬莢挿げ替えだけでいけたんだろう
戦前に輸出したオランダ、ベルギーむけのやつは薬室を削り直してドイツ軍が装備
とかあるから、砲弾ちがうといろいろと技術的にややこしい部分があるんだろう つまり九一式十榴はドイツ製の砲弾撃てる可能性がきわめて高い 中華民国が数十門輸入してて、月刊沖縄社「雲南フーコンの戦い」でスクラップに
なったLeFH18の写真がある
もとフランス製155mmをアメリカで生産したM1918榴弾砲とか雲南遠征軍みたいな二線級では終戦まで
使ってたんだなとかわかる
米軍がガダルカナルで発砲してるニュース映像はあるけど 翌年のブーゲンビル島戦までは米軍は旧式装備が多いんだよ
北アフリカ、イタリア戦線に新式装備が優先されたから
ガダルカナルで155mm GPFカノンの米生産M1918が投入されてたし
射程上九二式十加をおくりこんだのはいちおうは正解なわけ
八九式十五加はラバウルどまり
重量的に港湾設備のないガダルカナルにはまともに揚陸できなかっただろうね 揚陸だけなら40トンクレーンの水上機母艦日進を投入してるから出来るよ。揚陸した先の地上の方が絶望だけど それよりもジャングル戦ではシェリダンの152mmガンランチャーみたいな砲があったら便利やったろうなぁ
いや誘導弾を発射するわけではないけどね
たったフレシェット弾の二発でベトナム軍の突撃を粉砕、後には125体の敵死体が残っていた
M3のキャニスター弾も近接戦闘では猛威だったらしいし
キャニスターよりも充填率の良いであろうフレシェット、シェリダンのM625だと一万発ばら撒けるそうで…
まぁ元が人民解放軍のおびただしい歩兵の突撃を粉砕するところが原点だからね 戦車でもなければ至近距離散弾射撃なんてできんので榴散弾でいいのよ 魚肥を収穫してた漁船が軒並み徴用だから
そりゃ農業も漁業もだだ下がるわな >>147
馬鹿者!栄えある帝国陸軍では榴霰弾だッ!
貴様には班長のおれ本田軍曹自らが手を下す
「わかるか?貴様が憎くてやるんでないぞ 見込みがあるからこそ、その逆だッ!歯を食いしばれ眼鏡を外せ
失明したらいかんからな」 >>124
南方軍の長、寺山は学生時代に永井荷風をぶん殴ったそうだね 四年式は装薬強化に対してマズルブレーキ追加や自緊砲身とか真っ当な改良じゃなくて小手先の策でお茶を濁しているからな
射程が野砲並みの10.7kmあればまた良い火砲になっただろうが、師団砲兵に軽くアウトレンジされる軍砲兵とは如何なものかと 比島の戦闘では列車による砲の移動とかしてたのかいな?
wiki より、
フィリピンの鉄道は、19世紀終わりごろに英国資本によって首都マニラ近郊の路線が
開業したのが始まりとされ、以後ルソン島ではマニラを中心に北はサンフェルナンド
まで、南はレガスピまでの路線ができ、また支線もできたので約900kmの路線を
有するまでになった。軌間は日本の在来線と同じ1067mmの狭軌が使われた。
他にもネグロス島をはじめ、セブ島、レイテ島、パナイ島、ミンドロ島、
ミンダナオ島に路線をもち、砂糖黍のための軽便鉄道の他、鉱山鉄道や森林鉄道
なども建設された。 その点、当時水準でフランスの1917 155mm榴弾砲は出来がよかったんだな
ロシア軍向けの152mmの改良版らしいけど
米軍も採用、旧式兵器となってからは連合軍にさかんに供与してる 第二師団がらみの揚陸で新鋭輸送船六隻投入して空襲でズタボロ強行座礁で
十五榴四門、十加二門だかを送り込むの成功したとか昔読んだけど
じっさいはもっと重砲数多かったんでない?現地に残ってるスクラップ数みると そう考えるとリモン峠まで大砲引っ張って行った第一師団は偉いな。
さすが頭号師団。 山本七平の文章に軽便鉄道のちかくに集積デポあって、鉄道が機能しないから
頑健な軍曹がひとりで千発の砲弾をトラックに積み込んだ、とかなかったっけ? >>152
設計に余裕がないんだよ
いっぱいいっぱいで造って軽量化でギリギリで仕上げてるから抗堪強度に乏しい
長砲身バレル換装なんて芸当ができない
制式化の時点で射程が短いって不満があったし
改造三八式野砲とおなじ伝 これは本来設計から、仰角増加射程伸長の無茶ぶりだけど >>161
自己緊縮砲身なら一割以上砲身を延伸できるよ
九四式山砲は四一式山砲より砲身が長いけど、砲身重量はほぼ同じ100kg弱に収まっている
あとマズルブレーキ無しで射程延伸は邪道だね
強烈な反動を抑え込む為に非常に重量が増えてしまう
とにかく何事もオーソドックスな手がベター
皆んながやっているということは偶然ではなくそれに合理性が認められているから あれ、弄りまわしても埒が明かんぞ
だから改造四年式を海軍に譲ったんだろうよ
恩着せと厄介払いの一石二鳥っつたら言い過ぎかな
見切りつけて試製九二式経て九六式制定だろう 改造四年式を最大装薬で撃つのはかなり危険だったんでないか?ヤバめな空気が
蔓延してるよーな… 順序が逆
やっつけの改造が失敗したから、ああなった
改良にあまり金をかけたくなかった
抜本的に改良するか新型出すかであらぬ方向に転んだ問題の典型
日本の場合は馬匹頼りのため、四年式の失敗が実質的に重砲兵の弱体の決め手になった >>165
マズルブレーキが無いので、凄まじいブラストで砲架がダメージを受けかねない
やっつけの小手先改良に終始した日本火砲開発陣の怠慢 四年式は砲架の強度が不足していた
反動が強力になったからね
強装薬化してマズルブレーキ追加しないのは邪道だよ
実績が乏しく、ほかにあまり例が無いんだ
九二式十加とかではやってるけど案の定故障したそうだ 四年式の閉鎖器がおもしろい形式なんだよな
垂直鎖栓なんだけど上に閉鎖ブロックが作動するって 閉鎖機構も必ずしも強度を満足していたかはあやしい(改造四年式以降)
砲身が耐えても閉鎖器が破壊されれば意味が無い
ちなみに砲身とセットなわけで、当然砲身を変えるなら尾栓も変えねばならない あの独特の閉鎖機構がのちの砲に継承されてないことみると…だったのかもしれないね 4年式は、砲身短く、砲架強度が無く、分割結合に手間がかかり
しかも牽引状態の重量バランスが悪くて運動性が悪い
結局のところさっさと捨てろという砲だったが、早目に次世代作ったって結局96式と大差ないだろうし
ていうか96式が機械牽引前提の割にピリッとしないあたり、もう15榴は絶望しか無いという 日本の場合牽引車がな。野戦重砲兵連隊で能力最大6tで満足してるくらいではねぇ。 運動性や取り回しには目を瞑って、四年式の射程延伸を成功させれば間に合うのだ
分解結合が可能な限界が四年式なのだから
四年式の改良は必須
四年式に改良砲身(長砲身+マズルブレーキ)を搭載していたらどうなっていただろう?
海外ではオーソドックスなやり方だ
イラン、韓国、フィンランドやチェコスロバキアなど、M114やsFH 18にそうした改良を加えている
ソ連では152mmにマズルブレーキを付けて122mmの砲架に搭載していたりもする 砲身換えれば砲身車も変更だし
砲身が伸びれば揺架は変わるし、単脚じゃやってらんないから砲架も変更になって
分割できる以外は完全刷新の新型砲になるべな
それが通るなら改造38式野砲も砲身延長で開脚砲架のやつになってたぞと
技術的に可能であっても、予算とか見通しとか考えたら、新型砲にするべなあ いや砲架流用は結構通るぞ
ついでみたいな感じで脚まで変更する必要は必ずしもない
基本的にこの手の長砲身マズルブレーキの改良は砲身をすげ替えただけで砲架は共通って場合が多い 開脚砲架なら流用だろうけど単脚だからね
ソ連の152mmカノンの1910だと
装薬強化+マズルブレーキ+脚延長した1910/30(単脚
次にその砲身を開脚砲架でサスペンション付きの1910/34にして
更に高仰角砲架を開発して砲身流用したのがML20と砲架変更を連続してる
結局良い砲身が出来ればそれに見合った砲架にしたくなるし
良い砲架があれば砲身を変えてでも使い回すってだけよ。そして4年式15榴の砲架は流用するほどのものだろうかとw やむを得ないだろうね
四年式の改造をする以上は砲身に手を加えないと本来の10km級の要求達成は難しい
その新型砲が試製九二式→九六式となっている以上、四年式の改造要求達成に拘る必要がある
まあ俺も、マズルブレーキと自緊砲身採用した新型軽量榴弾砲が作れるならそれに越したことはないと思うよ
だがその上で明らかに言えるのは事実の四年式の改良は邪道ということだ ツッコミどころ満載の砲だから予想に違わずクソミソだな
アレだから、無難な出来の九六式に装備改変されて重砲兵が大絶賛だったわけだね
四年式でサイパン戦最大の戦果を挙げた黒木大隊は素直に感服するよ 天蓋に鉄板敷いて偽装も完璧、米軍橋頭保破砕に猛威を振るったんだが
上陸部隊を二度撃退だったか
観測機に砲座特定されて艦砲射撃で沈黙
短射程の旧式砲にしては天晴な戦闘 旧式兵器でも性能的に及第点で使い勝手よければ延命の意義がある
海軍の十年式十二糎高角砲みたいに
もともと高角砲専用でないから対空砲にはまったく適さないけど、そこそこの射程で島嶼防御
の海岸砲としては最適だった
それで太平洋戦争突入後のほうが、ずっと多い総二千門ほども製造
四一式山砲も山砲兵装備では時代遅れの性能だが、連隊砲装備として適格だった 四年式十五榴の長所といえば牽引能力低い日本陸軍の師団で馬匹牽引十五榴を装備できた
ってだけでは? 馬匹メインの日本軍師団に十五榴を配備するには運行重量2トン×2に分割出来ないと駄目
四年式クラスの火砲を新規開発しないならせめて四年式の射程を野砲並みには延伸すべきだろうな 射程10km強の馬匹用の十五榴、これは必要性が高い
四年式クラスの重量に収まる範囲で満足すべきものを用意しないと駄目なのに、中途半端な九六式を開発した(馬匹運用は不可、車輛牽引砲としては性能が高くない)
九六式なんて師団配備できたのは第23師団やその装備を引き継いだ一部の師団を含む極一部に限られる まあまあいい線いってる。あと一歩足らず残念な砲とは違うからな四年式は
あれに費用と労力費やすことこそ技術の進歩を阻害するようなもんだ
重砲開発にまったく慣れてなかった、それに尽きるだろう?
造ったもんはしゃあない配備砲は骨の髄までしゃぶりつくし、長砲身や開脚砲架やら新式砲試験のテストベッドにすることが
最良と思われ
あくまで生まれが悪いんだ、往生際わるくいじったところでどうもならんわ 馬格に差があるとはいえ、ドイツの歩兵師団は九六式よりずっと重い15cm sFH18を馬で牽いてるんだ
師団砲兵用に九六式の馬匹牽引研究でもしたほうがよほど実際的だよ
馬匹用の新式十五榴採用二本立てどころか、九六式の製造門数すら、どんなに多く見積もっても
600ぐらいだろう?需要にまったく足りてない sFH18は8頭で牽くのが本則でな
日本では馬と人間双方の問題で、この8頭での運用が事実上無理だったんだよ
だから38式15榴と基本性能変わらない分割式の4年式15榴を作ったのな
馬のパワーも劣るけど、8頭投入できる欧州と、6頭じゃないと現実的じゃない日本の差があるんよ ここで歴代スレでまったく触れられてない十四年式十加を話題におれは声を大にして延べたいね
東京湾要塞の七年式ベースで重厚長大でけしてわるくない砲らしい
特許切れるのを待って開脚式砲架採用とか大陸ではけっこう活躍してるんだな
射程18kmの後継九二式制定でまったく影が薄いんだが… あと8頭だと大陸とかの細々としたカーブが曲がれない
九六式を二車分割式、ってそれ試製九二式に先祖返りするだけだから史実の運用では評価は覆らない すくなくとも昭和十七年まで製造してたんだよな<四年式
師団砲兵需要でもっとあとまで生産してた可能性もある 四年式の射程伸長はベース事情より無理がありすぎだから、堅牢性と馬匹牽引利便性に特化アップデート
するのが吉だったんでない?
射程のみじかい15cm IG33とたいして意味かわらんだろうて
15cm榴弾を投射することにこそ意味がある
砲弾威力から好評で地味ながら1960年代まで東欧で使われた銘砲である
まーそれ以上の射程は軍砲兵に丸投げが条件上しゃあないというね TKとかテケに搭載できれば便利な自走砲になったろうけど
日本じゃチハ級に搭載だからなあ・・・ >>186
だってドイツ軍の戦場おおむね平地じゃん。 ギリシャ、バルカン諸国、イタリア、コーカサスなど山岳地もあるよ
山岳部隊投入できない場合は一般の歩兵師団
もっとも重砲移動に難儀して空飛ぶ砲兵スツーカの支援を頼りにしたんだろうけどね ギリシャで急峻な地形で砲撃してるsFH18写真があるけど、車輪がゴム輪帯巻いた
機械化牽引タイプだね
馬匹牽引歩兵師団装備のは軽量合金のソリッド型で形状があきらかにちがう なぜドイツ軍に山岳師団が存在するのかといえば、普通の師団は
山道登る装備持ってないからだ。
日本軍はどの師団でも山登れる。 山岳部隊を多く擁してたオーストリア軍がドイツ軍に編入されたため、装備火砲が
シュコダ、ベーラー等東欧メーカー製のもんが多い >>198
いや、日本軍はたいした山岳用装備もないのに猛訓練で無茶ぶり克服してたんだろう?
甲種合格ばかりのころの一桁師団なら、なんとかモノになったが…
支那事変以後の根こそぎ動員で体力体格に劣る補充兵ばかり徴集の特設師団なんて話にならんよ ただ、日本陸軍の耐寒装備の充実はソ連軍に伯仲
列強内で誇れる水準とは思う
在満部隊の経験がフィードバックしてる >>201
そこらへん日本軍偏ってんのなwww
少なからず東部戦線序盤ソ連より装備良さそう >>193
その方向のアプローチならそれこそ四年式は失格だ
二車分割式でそれぞれが二トンにもなる
単車式で軽量化されたsIG 33とは雲泥の差
連隊の砲兵たるsIG 33とは射程も運用水準も違う
四年式は真っ当に10km以上に射程を伸ばして差別化するしかないと思う リソースがな制約多すぎ
航空重視で予算傾斜配分した日本は判断けして間違ってないどころか王道だよ
もともと貧乏国で経済規模がちいさいもんで火砲の予算が極端に抑えられるわけ
それでぞくぞく新編拡張される師団数のなかで火力増強窮余の策が九二式重機の装備数増加だったりして
需要増すばかりの九六式の調達数まで削減してるんだから、そんな別口の馬匹牽引
の四年式大刷新やら軽量新式を制式化できるわけなかろう 予算欠乏の件は同意するところはあるが、シュナイダーから列車砲や24糎・30糎・41糎といった榴弾砲の高額商品や、無駄に多品種連発した駐退機付迫撃砲の開発など、そういうところに金を注いでおきながらたかだか四年式の新規砲身の開発費が無いというのは間抜けな話だ 兵器開発生産行政を一元に統括するシュペーアみたいな傑出した個人や有効に機能させる
組織、システムが存在しなかったんだろうね
一枚岩でない ただでさえ陸軍で少数派の火砲技術分野で分派活動ばかりで互いに反目
しあって成果が限られてしまった、なんて考えられないかな? >>205
いやね、あの四年式を改良するのは設計基本からして難しいよ
出来るもんなら当時の人がとっくにやってるはず
素材が悪すぎ
昭和時代の旅館によくあった、建て増し継ぎはぎ状態にしかならんと思う… >>207
射程10kmを満足できれば問題ないよ
出来るならやっているというのは、予算の件だと思う
火砲の中で一番高額な部品が砲身だからね
高額商品にお金を注ぎ過ぎて、肝心のものに手が回らなかった
四年式は砲身や閉鎖器がくそな以外はオーソドックスな分割式単脚砲で、仰角が65度と当時としては高く取れるというメリットすらある(sFH 13やM1917Cは45度)
砲架の設計は手慣れているだろう
当時としては良くできた四一式の成功もあるし、開発陣が優秀だった
やれるならやって欲しかった
やらないなら新規開発しかない
少なくとも二択であり、
どのみち史実の四年式で良いという放棄案は良くない
師団砲兵が一番肝心なのだからね 日本軍の本来の編成は
馬匹の場合
九一式十糎榴弾砲×24
九五式野砲×12
そして十五糎榴弾砲×12
フィリピンと沖縄では活躍した
別に新規開発で開脚砲架に乗せてもいい
それなら仰角を妥協して十四年式十加の砲架に乗せるのもいいな
今思ったら十加と十五糎は共通でペアになるべきもの
三八式十加や九二式十加に対応する十五榴は三八/四年式と九六式とそれぞれあるわけだが、なぜ十四年式十加に対応する十五榴は無いのだろう
更新時期の問題か
ともあれ、既存の砲架を流用した長砲身マズルブレーキ改良案は必要
十五榴こそ師団砲兵に欠かせないんだよ 通常火砲はさておき機関短銃の普及は分隊長くらいで日本でも可能だったはずだけど
ソ芬戦争の教訓くらい伝わってるから
日露戦役で従軍してた老害将官が邪魔したんだろうよ
かならずしも予算不足だけの問題ではない 日本以上の貧乏国がスオミ装備できて、なんで
日本軍の軍曹がもてんの?
役立たずの兵器生産するより、拳銃弾くらいサブマシンガン用に増産してもさほど国庫に影響ないんじゃねぇか?と思う >>210
そんなもん増産するくらいなら小銃や機関銃の弾を増産してくれが実情だろう
拳銃弾を増産してる暇なんかない うーん近接戦闘でSMGにダダダーッと分隊まとめてやられたりと散々だったのであまり大々的にフォローする気は無いが
それでも弾代を見て小銃弾を作りたくなったんだろうね
8mm南部弾は6.5mm有坂の10分の1ちょいのエネルギーしかないけど
10000発あたり390円なんだよ
6.5mm有坂は465円
つまり一発あたりの値段は2割しか違わない
これは薬莢ってのはプレスで作ってるから、一回ガチャンとやるという工程自体は同じ。雷管も一個。つまりかける手間や設備は変わらないんだ
変わるのは原材料費ぐらいで、南部弾が7gと軽くて薬莢が小さい、これだけ
これを思うと、小銃弾を作りたくなった当時の気持ちも分かる っていうわけで、設備があまり巨大になり過ぎない程度に、弾はでかい方が威力のわりに安く済むんじゃないか
精密部品である信管も一発につき一個なのは変わらない
たとえ旧式でも四年式は十五糎榴弾砲であり、巨弾を吐き出せる強大な火力として有り難がられてる
ただ分割式ということも拍車をかけた機動力の低さを補おうにも射程が短い
あと射程が幾ばくかあればまだもうちょい活躍できたはずだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています