南雲忠一中将を再評価するスレ(散)
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南雲長官はもっと評価されるべき(38代目) 前スレ [37代]南雲忠一中将を再評価するスレ(阿) https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1562598586/ (>>9 〜霧中変針の章、>>517 〜友永隊艦攻全力案の章) 過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし admiralnagumo@ウィキ http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo 戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ 【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>784 の続き 前日までの実績と比較すると、 >22機、200度〜20度、進出距離700浬 大幅に縮小されたことが分かりますね。 >>785 の続き 最初に目がいくのは、機数が減っているところですね。 22機から10機ですから、半分以下です。 前日の機体はどこに行ったのでしょうか。 日本軍に撃墜された? そうではありません。 ニミッツの温存方針に従い、索敵を終わった後のPBYの大半は ミッドウエーに戻っていなかったのです。 >>786 の続き >>784 で紹介した戦時日誌で、4日(現地時間)を見ると、 1225 4V58機 proceedeing to Frennch Frigate Shoal. (フレンチフリゲート礁に向かう) 1240 9V55機 returning to Easten Island. (ミッドウエー島のイースタン島に向かう) 1253 0V92機 proceeding to Oahu. (ハワイのオアフ島に向かう) >>787 の続き 1257 1V55機 proceeding to Midway. (ミッドウエー島に向かう) 1259 6V58機 proceeding to Laysan Island. (レイサン島へ向かう) 1335 5V58機 arriving Lisianski. (リシアンスキー礁に到着) >>788 の続き などなど、全機がミッドウエー島に戻ったわけではないことが 分かりますね。 ちなみに南雲機動部隊を発見したアディ大尉機(4V58機)は、 パール&ハーメス礁というところに向かっています。 最初から、機動部隊司令官を山口多聞にしとけばね。 真珠湾でも攻撃続行を進言していたし。 ミッドウエイは爆装、雷装の無駄な作業もなくヨークタウン級全艦撃沈だっただろう。 南雲は永久に消えろよ。 [太平洋の米海軍基地] ミッドウェー島 ■ ■パール・ハーメス礁 ■ リシアンスキー島 ■レイサン島 ■フレンチ・フリゲート礁 オアフ島■ >>790 むふふ、ネタ切れですかねぇ そういうときもありますよ。 多聞丸は食傷気味なので、角田少将が二航戦司令官だったらで 考えてみたらどうでせうか。 閑話休題 ついに我が司令部にも特別定額給付金の申請書がキタ━(゚∀゚)━! 安倍さんありがとう! くっくっくっ、この10万円を元手に改大和型の建造を・・・ え、翔鶴型を増産した方がいいって? 零戦が足りないだろ、搭乗員も間に合わんし、それよりも戦艦経済 10万円で、1/700のウォーターラインシリーズを揃えろ。 >>792 角田少将は山口少将以上の猪武者では? まあ、山口少将が指揮を執っていたら真珠湾作戦でミッドウエイの悲劇を再現していた かもw >>794 俺の父が小学生の頃は大和型が500円、その他の戦艦が400円、空母が600円〜4 00円、重巡は250円、駆逐艦が100円だったそうな。 山口多聞は索敵、基地攻撃、空母攻撃の戦術において ミッドウェー海戦の一航艦と対照的な運用が目立つから比較しやすい ウェーク島の戦いやアンボン空襲とか、空母の運用にも連合航空隊時代からの連続性ある 同じものを見てきた軍人でも新し物好きの源田実に比べて保守的で手堅いかな 良くも悪くも連合航空隊時代に経験を積まなかった、または成功したことのないジャンル(防空と航空雷撃)に自信満々なのが源田実 自信を持ってない感じなのが山口多聞で、彼は実際、悲観的なことばかり言う この二人は一纏めに南雲中将の参謀にしたら良かったかも。参謀長に山口少将を推したい 源田中佐一人だとイケイケどんどんになっちゃうから 一航艦がきちんと建制化されてれば山口少将が司令官でもいいかもしれないけど 敵をつくりがちなタイプだと第三艦隊の発足までは部隊がまとまらなさそう 精鋭部隊を集めて作ってはいるけど、一航艦は寄せ集め もうね、やる気の無い奴が上司になったら最悪のパターンの典型的な奴。 山口はよく悲運の名将という評価をされているのを見るけど 別に悲運じゃないよなあとは思う 二航戦の指揮官として戦果も挙げているし、ミッドウェーでは飛龍単艦で奮闘し一矢報いている 最期までその能力を存分に発揮したと言えるんじゃないだろうか しかもその後の悲惨な戦況を体験せずに済んだわけだし、むしろ幸運な部類に入ると思う 個人的には山口は名将であるからこそ生き残って指揮を執って欲しかった 生きていれば再戦の機会もあるだろうに、自らその可能性を絶って死を選ぶのは果たして指揮官としてどうだったのだろうか まあ山口はそもそも長期の消耗戦には極端に相性の悪い指揮官だから生き残っていてもあまり活躍はできなかっただろうけども >>797 山口多聞は第二段作戦の独自プランを提案しているが、アメリカまで進攻するかなり楽観的な内容だぞ 航空戦術に関しても源田実とほとんど同じ内容で違うのは第一航空艦隊の規模をさらに大きくするように進言したことかな 山口は航空参謀に頼るタイプの指揮官でその初期の参謀が源田と同期だったからかもしれないが 山口の英断と世間で思われてるものも実際にやったらやばかったものが多いし >>801 ここで言ってるのは攻撃隊にどのタイミングと標的には何を何機出す、索敵線の本数はどうのとか そういう細かい直接指揮の話 参謀に対して重箱の隅をつつくようなところまで指導をしたというがまさに一貫した運用思想みたいなのがある 索敵線の本数は常に予備を意識してるし対潜を兼ねて爆装させたりしてる 索敵艦攻の300浬進出もおそらく彼が初 あと搭乗員の証言によれば予備の攻撃隊をしばしば艦上待機させてる 直掩は先頭の艦戦を出して、攻撃隊を前に寄せて収容していたのか? 一次攻撃隊が帰ってくる頃までに索敵機の報告を受けて二次攻撃か一度格納庫に下さなきゃいけない クリーンな甲板で運用するのと比較にならない重労働で米空母と違って人も少ないから、非情なキャラと符合する 直衛機は基本的に少しの警戒機と艦上待機で回す昔ながらの方式 それと少なくともミッドウェーでは護衛の大型艦を前方ではなく四周に配置し直してる(敵機を見張りで見つけて緊急発進までは成功したが……) 多分阿部中将と諮った上なんだろうけど土壇場でどうやって調整をつけたのか おそらく普段からこの調子で敵は多かったはず だから一航艦司令官より参謀長が適任かなと 敢闘精神とかで一括りにされがちだけど山口少将の戦術は手堅くて泥臭い 一航艦司令部とだいぶ毛色が違う 空母12隻の車懸かり戦法も空母は先制されれば次々と撃破されるもの、逆に機を捉えれば一隻で複数を撃破可能という前提だし 悲観的な予測に基いてる もっといえば、アメリカは西海岸まで取られないと講話しない(ハワイ攻略では終わらない)と思ってたわけだし まあ実行性はないだろうけど 空母攻撃についても、(大西少将が書いたものだけど)車懸かり戦法について 一隻でよく複数の敵空母を撃破(封殺)できるとだけあって 撃沈にこだわるよりさっさと飛行甲板を撃破したい なぜなら遅れるとこちらがやられるからという感じ おそらく山口少将ならばGFが何と言おうと封殺至上主義で作戦したと思う まさに敵空母は撃破でよくて後は空母戦の結果、運良く残存した残りの空母で掃討すれば良いと 戦史叢書の編纂者はこの立場に賛同してるみたいだ もちろん、このスレでは南太平洋海戦を例に反論されてるわけだけど 敢えて魚雷を当てられなかったエンプラに対しても複数回攻撃の機会があったじゃないかと言ってみる 基地と戦って敵空母は攻略作戦を邪魔させないだけでなく撃沈しろという無理に対して あっさり無視してまず艦隊と船団の安全確保(敵空母も基地も飛行機を飛べなくすりゃ及第点だろ常考、というメンタル)に走れるか否か 即時発進の意見具申も「いいじゃないか、ウチの攻撃隊も適宜一航戦空母に降ろして軽微でも損傷機捨てちゃうんだよ。そうすれば友永隊の収納だって間に合うだろ?」 「残敵掃討の作戦機数より今全滅しないことを考えようぜ(逃げられてもこちらの全滅よりマシだろ)」 「源田は普段から空地分離言ってるんだから言ってる意味わかるだろ?ぶっつけ本番でやるぞ」 即時発進問題も油断云々ではなくて「敵空母を全部撃沈してくれ、日本海海戦みたいなの頼む」というGFの無言圧力を無視できるかどうかの話だろうし ただ、普段からこの調子だと、航空隊以外のいろんなところから嫌われて干されそうなので 話の通し方、命令の出し方とかは南雲中将に任せた方がいい 山口少将を悪く言う将官なんている?同期でも福留など戦艦組からも評価され、大西など航空組からも評価された稀有な存在 敵を作るどころかカリスマ的存在だったと思うが 死亡時には英雄として大々的に取り上げられ、戦後も娘婿の奥宮中佐を中心に名将として絶賛された 山口少将がミッドウェー以外で唯一単独指揮したウェーク攻略では索敵すらしなかったのでは 予備の攻撃隊をしばしば艦上待機って普通のことだろ(艦上じゃないなら上空で待機させるのか 逆に南雲中将は連合艦隊参謀に嫌われていて黒島などは山本長官に更迭を進言していたし 山本自身が戦前の条約問題で強硬派だった南雲を嫌っていた 南雲中将は空母艦隊に配属されてから(歳のせいかもしれないが)穏やかなイメージがあるが 戦前は軍令部に恫喝しにいくような危ない人だった >>804 艦上待機というのは、甲板に繋止するという意味 わかりにくくてすまん 実際やるとしたら、直掩機の発着のたびに前へ後ろへ移動するから、兵装転換なんて無理 つまり山口少将より上級の指揮官が指揮してる時はできない戦術 ウェーク島で索敵しないのは当日陸攻が何機出てるか数えれば当然では? 基地の支援がないアンボン空襲などでは自前の艦攻を進出300浬で出してたはず 戦死してからはともかく、生前は毀誉褒貶あったし、重慶の政略爆撃では結果的に上からの要求に忠実だった反面 司令官として一航艦を指揮したら必ず反発に遭ったのではないか 航空隊、というより飛行隊の空中威力のために全て他は従えという風だから 水上部隊を巻き込む話になると厳しかったのではないかと思う 実際に、空母を中心に操艦も何もかも従わせるような輪形陣は第三艦隊になって無理だった 反面、彼が司令官なら一航艦時代に試みていたと思う 山口少将を参謀長にして良い点は 作戦がうまくいかない時または任務に無理がある場合のに力押しで解決するプランを持ってる 階級が高いから、遠慮なく意見具申できる もし仮に山口少将と同じことを源田中佐が思いついても階級的に言い出せないだろうし (とりあえず今しばらくは撃沈は必須の目標から外しましょ、撃破されたわけじゃあないけど攻撃隊出すから敢えて所属空母以外に降ろしてみましょ) >>794 その手があったか! >>795 そうなんですけど、多聞丸はミッドウエーの印象が強すぎて ワンパターンですよね→食傷気味 同じ猪突系なら、角田少将で考えてみると、 新たな視点が生まれるかなと。 「諸君らの生還を望まない、ただ戦果のみを期待する!」 >>796 ありがとうございます・・・が、見れませんでした。 どんな内容だったでしょうか。すみません。 >>797-798 さて、司令官と参謀は求められる役割が違いますからねぇ >>799 学生さんに助言しておきますと、社会人になると分かりますが、 一番困るのが「やる気のある上司」ですよ。 軍板には名言がありましてな。 >有能な怠け者は指揮官にせよ >有能な働き者は参謀に向いている >無能な怠け者は連絡将校か下級兵士が務まる >無能な働き者は銃殺するしかない そして、オチはだいたいこうなります。 「・・・日本軍には無能な働き者が多すぎる」 >>800 そうですね。むしろ珊瑚海を指揮していたら、 ヨークタウンを追い詰めることができたかもしれない。 >>801 ロッキー山脈越えとか言ってますしねぇ >>802 南雲ー山口体制だと、もともと南雲長官は参謀任せだから、 うまくいくかもしれませんね。 >>803 ありがとうございます。当スレで目指す姿かと思います。 本職は南雲長官擁護なので、基本史実肯定路線ですが、 もちろん、それだけが正解ではなく、色んな意見があっても良いかと。 ただし本職が望むのは、ミッドウエーだけに適用される結果論ではなく、 ハワイでも、印度洋でも、ソロモンでも通用する一貫した”空母戦術”ですから。 >>804 海軍の至宝、金井昇一飛曹が・・・orz >>805 これも社会人になると分かりますが、 「嫌われていた」という証言は、よほど吟味する必要がありますね。 子供じゃあるまいし、好き嫌いを問題にしては仕事は出来ません。 が、たいていは好き嫌いが一番の問題となります。 >>806 ここでも「基地航空隊の索敵を信用していた」説ですか・・・ >>807 きっと源田参謀は、そのうち せっかくの良案を多聞につぶされたって 言い出しますよ! >>808 ttps://dotup.org/uploda/dotup.org2162407.png ただの6日の各艦隊の航跡と索敵図だよ まあコレのことなんでしょと 山口多聞は人の言うことを聞かないイメージがあるが、参謀にいいかいいかといちいち意見を聞く指揮官だったそうだ しかしそう考えると中国で周囲の反対を振り切って航空隊に強行攻撃をさせたのは何だったんだという疑問もあるが いろいろ意見を出した指揮官だが、真珠湾では「南雲さんはやらんよ」と言って参謀たちをいさめることもある 改めて見ると人物像が難しい人だな >>813 何度もすみません。今度は見れました。 こういうのがちゃんとあるんですね。 これから本編で進める内容が、まさにこれですね。 たぶんマル11が、空母発見の報告かな。 >>814 そうですね。参謀の意見を聞かないと独善的と言われ、 聞いてばかりだとリーダーシップが無いと叩かれ、 結局、結果論になってしまうんじゃないかと思います。 >>809 南雲にやる義があるなら、ガンガン行くだろ。 >>803 そもそも撃破ないし撃沈を狙っているのであって撃沈に拘っていない また飛行甲板撃破は昭和10年頃まではその方針だったが、むしろ飛行甲板撃破は空母そのものの撃沈破より難しいのではないかと考えられている つまり開戦前の時点で一度は通った道であり、元から撃沈破の方針だったわけじゃないということ 飛行甲板撃破による敵空母の航空能力損失を貴方が思うほど日本海軍は簡単に出来ると思っていないのよ 山口少将と言えば、モリソン戦史に「連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の後継者に予定されていたと言われている。」という記述があるが、 後継者というのは山口少将が山本長官の後任として連合艦隊司令長官として就任することが予定されていたのだろうか? 山口少将が将来的に連合艦隊長官級の人物になるとの源田参謀の評価があることから、山本長官の後継者というのは役職の後任というよりは人物的な意味でなのかなと思っているけども。 言われているという書き方だけど、モリソン少将は誰からこの話を聞いたのだろう。なにかそうした予定に関する話があるのだろうか。 >>816 やる義?がある働き者は、参謀として頑張ってもらいましょ→ >>817 ありがとうございます。 艦爆に通常爆弾を積むあたり、飛行甲板撃破による航空能力喪失が 簡単にできるとは思ってないようですね。 >>791 の続き オアフ島とミッドウエー島は、1000浬以上離れていますが、 「ハワイ諸島」は、ミッドウエー島までずっとのびています。 パール&ハーメス礁などは、ミッドウエー島の東70浬ほどですから、 四発大型飛行艇のPBYにとって、そこまで避退することは何でもない。 >>820 の続き ニミッツ長官としては、5日の索敵を終えた機体が帰投したところを 日本軍に再攻撃されては、全滅してしまう危険があるので、 それを考慮した上での安全策なのでしょう。 結局、翌6日の索敵は、ミッドウエー基地に戻った機体を中心に 計画されたため、わずか10機にまで減ってしまったのです。 >>821 の続き 更に驚くべきことは、進出距離が 700浬から250浬に、>>784 大幅に減じていることですね。 250浬なんて、単発機の行動半径ですよ。 温存方針に従って、機数が減るのは納得できますが、 索敵半径まで狭くなっているのはなぜ? >>818 山本長官の後任は、さすがにあり得ませんが、 かなり希望的観測が入った文章でしょうねぇ 多聞丸が空母部隊を率いる指揮官に適任だったとしても、 少将の司令官が、小澤長官を飛び越えて、機動艦隊を任せられるとは 思えませんし・・・ ほんと、誰から聞いたんだろ >>823 個人的見解になりますが、結局のところ山口が戦死したという事実ありきで作り上げられた逸話のように思います 前提として山口がひとかどの人物だったという評価が先にあって、それを分かりやすく表現するためのロジックとして 「末は山本の後任になり得た人物を日本が失ってしまった」という筋書きが欲しかったのではないでしょうか そうでなければ山本→山本と繋がる合理的な理由は少なくとも表に出て来ている部分では見出せませんし 階級的には論外ですが、世に伝えられる山口の逸話からしても連合艦隊長官として相応しい識見と能力を備えていたとはどうしても思えません >>823 序列以前に大艦隊の指揮を執った経験はどうなんだろ? ウエーク島攻略の手伝いの時は大艦隊ではないし。 同じ輩がだらだら書いているな。うざいからブログでやれよ。 >>805 無能を絵に描いたような山本黒島に嫌われている時点で南雲が優秀なことがわかる >>824 そうですね、何より多聞丸自身が嫌がりそうな気はしますが・・・ でも、男なら一度はなってみたい職業に挙げられますよね。 「オーケストラの指揮者」、「聯合艦隊司令長官」、 あと何だっけ >>825 過去スレでも話題になりましたが、大艦隊を率いる能力って、 具体的に何なんでしょうねぇ 潮風のにほひ・・・かな >>826 そんな・・・こんな過疎スレで、スレ主が発言しないと、すぐに消滅するがな 南雲スレの98%は、GF長官で出来ています。 >>827 ああ、わかります。 朝日新聞が批判するから、政府の方針は正しい、みたいな。 おっと >>822 の続き 真っ先に思い浮かぶのは、天候の影響です。 悪天候で、索敵機が引き返すのはよくあることですし、 実際6日のミッドウエー近海は、天候が悪かったようです→>>685 >>830 の続き また、燃料不足の線も考えられます。 「さらに痛手だったのは、航空機への燃料補給設備が破壊されたことで、 以後の燃料補給をすべて手作業でやらなければならなくなり、 航空部隊に急速補給を実施して再出撃させることが不可能となった」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウエー』)p129 こんなところにも、友永隊攻撃の影響が表れていますね。 B−17への補給を優先して、PBYは満タンに出来なかったのかも。 >>831 の続き 他には、搭乗員が疲労しすぎて、 700浬の長距離哨戒は不可能な状況だったとか。 何しろ5月31日から始まって、一週間も休みなしですからねぇ ほんと、おつかれさまです。 ============================================ 第2次世界大戦当時のアメリカの搭載機が多い理由 ============================================ ・グラマン社特有の翼の折りたたみ方法(F4F、F6Fは非常にコンパクトに格納できた ・露天繋止の数が多い(特にエセックス級は飛行甲板が広い為) ・格納庫の天井が高く、吊り下げて格納可能 ・・・ https://i.imgur.com/Onotrir.jpg 吊り下げ格納は、空母レンジャー(CV-4)から対応。 大型空母のサラトガより、エンタープライズの方が搭載機数が多い運用が多かった。 ★エセックス級の搭載機定数 1944年初頭 戦闘機36機(ヘルキャット)、艦上爆撃機36機(ドーントレス)、艦上攻撃機18機(アベンジャー)+飛行隊長用1機の合計91機 か、 戦闘機36機(ヘルキャット)、艦上爆撃機32機(ヘルダイバー)、艦上攻撃機18機+飛行隊長用1機の合計87機 ※アベンジャーは雷撃機以外の運用もある。 1945年にはカミカゼ対策で戦闘機の数を増やし、合計100機を超える運用になった >>833 ======================================== 翔鶴の搭載機状況(画像はプラモデルより拝借) ======================================== 翔鶴は、マリアナ沖海戦時77機搭載だった。 (零戦34機、天山12機、彗星18機、二式艦上偵察機10機、九九艦爆3機) ミッドウェイ海戦の反省から偵察機を増やしている。 ☆翔鶴は2段格納庫 格納庫の合計面積は広いが・・・ 格納庫画像 ・・・ https://i.imgur.com/F1Mjyi6.jpg ★グラマン社の戦闘機のように翼をコンパクトに折りたためない。(格納庫画像・左上) ★日本の空母は格納庫の天井が低く、将来に大型化する搭載機に対応できない また、CV-4以降の米空母のような吊り下げ格納も不可。 格納庫内が天井ぎりぎりですね(格納庫画像・右上) ★エセックス級空母のように、何十機も露天繋止するような運用はできない 資源が豊富なアメリカは波浪などでの損耗も折込済で、 多数の護衛空母から補充できた。 イギリスも露天繋止には消極的で搭載機数が少ない。 アークロイアルは2段格納庫で72機で計画していたが実際は48機だった。 唐突に搭載機数云々の話をし出して何をしたかったのか意味不明 なんか全体的に雑過ぎて突っ込み所いろいろあるけど一つだけ言えば イギリスも露天繋止には消極的で搭載機数が少ないなんていい加減なことが書けるんだろうな 例えばインプラカブルは何十機も露天繋止積めるし実際に積んでいるし最初から積むことも前提だぞ >>833 ============== 格納庫 検証 ============== ●赤城の格納庫 ・・・ https://i.imgur.com/BImcpAi.jpg ・格納庫の広さは合計約8640u ・3段格納庫の最下部は補用機用 ・格納庫の形が歪で、途中でかなり細くなっている部分があり収容に難がある。 旧式機の定数91機だが、ミッドウェー海戦時69機で蒼龍並の少なさ。 戦艦からの改造でもあり、格納庫の設計が酷すぎるかな。特に艦橋の位置が悪い。 == エセックス級空母は、格納庫約4250u(1段格納庫)だが、天井が高く(主翼をはずした状態)で吊り下げ格納可能 大戦末期のカミカゼ対策で、戦闘機数が増大し、152機も搭載した空母(タイコンデロガ、ワスプ)もある >>833 露天前提は、色々運用が大変そうですが・・・ >>834 台風銀座の日本近海で、露天は有り得ぬ >>835 英空母はもともと搭載機が少ない印象がありますね。 露天しなければ、ただの軽空母・・・ >>836 艦橋は位置より大きさの問題でしょう。 司令部を置くには狭すぎる。 >>832 の続き ところが、機数が半減しているのに、索敵範囲は それほど変わっていない。 200度〜20度(全索敵開度180度)を22機 ↓ 250度〜20度(全索敵開度130度)を10機 >>838 の続き もともと南方から日本軍が進攻してくる可能性は少ないので、 南西方向から北西、北方にかけてを重点的に索敵すれば、 十分に目的を果たせると思われる。 そして実は、前日までの22機による索敵は、 22線ではなく、二機一組(時間差で同じ索敵線を飛行する二段索敵)の 11線だったとうかがえます。 >>839 の続き ここから、索敵間隔は、 180度÷11線=16度から、 130度÷10線=13度と、 それほど変わっていないですね。 上記を整理すると、色々制約が多い中で、 二日目も索敵を継続しようとする基地側の努力の跡が見える。 ただ問題は何といっても、進出距離ですね。 700浬から250浬に短縮では、あまりにもこころもとない。 この事実を、スプルーアンス少将は知っていたのでしょうか。 >>837 搭載機数36機の正規空母を渡されたら何をすれば良い? >>817 昭和17年においてどうだっかの話をするとまた様子が違うと思うし 爆弾の性能の進歩を掌握してた将官クラスは限られてるだろうから 技術史的な観点はともかく、司令官の作戦指揮を分析するならば、 誰がいつどんな認識だったかをその根拠の当否から論じないと意味がないと思います 昭和17年といえば 150kg爆装で航続距離延長を諦めた時期からまた爆弾は進化してて 山口少将(のみならず空母部隊)が対米戦で使ったのは新しい世代の爆弾 防御甲板の貫通を期待された九十九式二五番通常だけでなくて 九十八式二五番陸用は鋼板25ミリ貫通して自爆せず 各航空戦隊では短遅動の信管を付けて大型艦に投下されるまでになってるから 例えば飛行甲板ですら表面で自爆して数時間で修復されるような穴しか開かないというような威力不足は恐れられてない (その場合は秒時が一番小さいのを使うはず) そして少なくとも山口少将の部隊については、 おそらくは悪天候時に撃角が小さくなることを恐れて陸用爆装のみによる攻撃隊は編成してない 用心を重ねて基地攻撃にも貴重な通常爆弾を混ぜている こうした流れを見れば、即時発進の意見具申も、敵空母の封殺が可能という見通しのあるもので また却下された理由も、封殺が不可だからというものではないだろうと推測できる 改良を重ねた爆弾が(空母部隊には)行き渡り かつ実際の使用状況から考えて、 昭和10年ごろに一連の実験をした頃とは認識が違うのではないかと思われる 矛盾してるみたいだけど、矛盾ではない 艦攻隊や艦爆隊の通常の戦術に期待して陸用爆弾を半徹甲弾的な設定の信管で装備させることと 悪天候により投下高度低下や降下角の低下した場合の備えに通常爆弾を混ぜることとは 両立する概念である >>842 それの話ならもう壊滅すらありえる危機的状況だから非効率承知で何でもいいから叩き込めいう発想だろうよ とりあえず攻撃当てればイケかもしれないしダメかもしれないけど、そんなこと言ってられない という話であって敵空母の航空能力奪えると思っていたから具申したんだとするのはちょっと違うでしょう >>841 まずは腹ごしらえといきましょう。 >>842-843 日本海軍恐るべし、ですね。 陸用爆弾ですら、瞬発で使おうとは思ってないのか・・・ >>844 意見具申の時点で、「危機的状況」だったのですか。 それは悲観的ですねぇ >>840 の続き ミッドウエー島を基点として、進出距離250浬ということは、 例えば米空母が、島の北方100浬に居たとしたら、 空母基点で考えると、自身の150浬先までしか、 索敵範囲に含まれていない ということになる。 となれば、200浬先の敵空母に易々と主導権を 握られてしまいますよね。 >>846 の続き この状況で、母艦機の索敵を実施しないとは 正気の沙汰とは思えない。 もちろん、スプルーアンス少将は基地の索敵計画を 知らなかったのでしょうが。 このあたりのグダグダっぷりは、 どこに原因があったのか。 >>847 の続き もともと、作戦計画(OP29−42)の中で、 Long range aircraft retire to OAHU when necessary to avoid such destruction. 「破壊を避けるために必要ならば、オアフ島まで長距離避退しても可とする」 テンプレ>>1 「米海軍作戦概要」 PBYの温存方針を明確に示しており、 戦闘二日目ともなれば、それまでの広範囲に及ぶ索敵態勢が 維持できないことも、十分に予測できたはず。 >>848 の続き ニミッツ長官は、前線の指揮官の意思を尊重し、 上級司令部が介入することを良しとしなかったようですが、 基地と洋上部隊の連繋を緊密にするような措置を講じるなど 出来なかったのか。 (たぶん色々やっていたのでしょうけど) ”第16任務部隊の索敵機は何処に在りや、全世界は知らんと欲す” とでも打電しますかねぇ イラストアリス級6隻で、イギリスも露天繋止したが アメリカ製の航空機があればこそ。 多数の護衛空母から、損失の補充に余裕ができたから消耗品と割り切れる。 >>833 >>841 ★1945年1月の搭載機定数 □エセックス級空母 合計102機 VB- 15機 ヘルダイバーかドーントレス VT- 15機 アベンジャー VF- 36機 F6FヘルキャットかF4Uコルセア VBF- 36機 F6FヘルキャットかF4Uコルセア 夜間戦闘機や指揮官機の有無によって搭載機数の違いがある。 この時期になると、F4Uコルセアの割合が増えてくる。 急降下爆撃はF4Uコルセアで代用可能だった。 菊水作戦(1945年4月)以降は、さらに戦闘機を増やした □カサブランカ級護衛空母(別名カイザー級) 合計28機(戦闘機FM-2 16機) FM-2は、F4Fの軽量型で主に護衛空母用で、 F4Fのシリーズでは生産数は4127機で最も多い。 >>833 ★1944年11月7日搭載機定数 □エンタープライズ 合計98機 指揮官機 1機 F6F-5 VF-20 15 F6F-3 (初期量産型) 4 F6F-3N (夜間戦闘機) 35 F6F-5 (改良量産型) VB-20 24 SB2C-3 (無線機と酸素供給装置も新型に変更) VT-20 19 TBM-1C (燃料タンク増) -- F6F ヘルキャット SB2C ヘルダイバー TBM アベンジャー(ジェネラル・モーターズ社生産機)、TBF アベンジャー(グラマン社生産機) ※戦闘機の後継F8Fベアキャット(軽空母ラングレーが日本攻撃の為に移動中に終戦)、 攻撃機の後継A-1 スカイレイダーは太平洋戦争の実戦には間に合わず。 機種 爆弾等搭載量kg 九九艦爆 250kg ×1発 1、60kg × 2発 (発動機1070馬力) 九七艦攻 800kg魚雷×1発、最大800kg爆弾×1発 ドーントレス 1000lbs(454kg)爆弾×1発 など「魚雷攻撃はできない」 ヘルダイバー 1000lbs(454kg)爆弾×1発か2000lbs(907kg)爆弾×1発 など アベンジャー Mk.13魚雷×1発 か 500lbs(227kg)爆弾×4発 彗星 胴体250kgまたは500kg爆弾1発 天山 九一式航空魚雷1発 か 最大800kg爆弾1発 F4U-1Dの爆装 3000lbs(1361kg)、(発動機2000馬力) -- 流星改ー 胴体500〜800kg爆弾1発、または250kg爆弾2発 か 魚雷1発 スカイレーダー 3215kg (発動機2500馬力) >>1 ●飛行隊の戦闘経過 (1)ミッドウェー空襲隊 △友永丈市大尉指揮:零式艦上戦闘機36機、九九式艦上爆撃機36機、九七式艦上攻撃機36機、合計108機) 友永隊から、第2次攻撃が必要と要請。 (2)偵察機として赤城 、加賀から九七式艦攻各1機、重巡洋艦利根、筑摩から零式水上偵察機各2機、戦艦榛名から九五式水上偵察機が発進 (3)各空母より零戦1個小隊3機が直掩のため出撃。1機が故障のため合計11機で上空警戒 (4)四空母に分乗している第六航空隊の零戦21機を使用できるよう準備を指示。隼鷹にも補充用の零戦12機あったが距離が遠すぎた。 (5)米空母攻撃用に待機中の攻撃部隊 △零戦36(各艦9)、艦爆36(飛龍18、蒼龍18)、艦攻41(赤城17、加賀26)の精鋭部隊だったが・・・ まだ米空母は未発見だったので、雷装から爆装(第2次ミッドウェー空襲隊用)への転換で混乱。 (6)アメリカの基地航空部隊による攻撃開始 戦闘機、パイロットの能力差で、日本側の圧勝で空母4隻への被害なし (7)エンタープライズ、ホーネットから117機の攻撃隊発進 時間差で、ヨークタウン35機の攻撃隊も発進 日本空母3隻大損害。 (8)飛龍の反撃(稼動可能40機を2波に分けて攻撃) △午前8時出撃の攻撃隊(小林道雄大尉指揮、艦爆18機、零戦5か6機)・・・艦爆13機、零戦4機(不時着1)を失う △午前11時30分出撃の攻撃隊(友永大尉指揮、九七艦攻10機・零戦6機)・・・艦攻5機、零戦機(不時着1)が撃墜され、使用不能艦攻4機 偵察機の情報から、アメリカ軍の空母戦力が空母3隻(エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン)と、今頃判明・・・ ▲残存戦力は、零戦10機、艦爆5機、艦攻4機 この段階で、アメリカ側も艦爆隊以外は壊滅的だった。 (9)エンタープライズの艦爆24機が、飛龍を攻撃。 前部格納庫周辺が大火災となり、巻雲が魚雷で処分。 >>845 敵空母にこちらが攻撃隊を送る前に敵空母から先制攻撃されてしまうなら危機ですね 言うまでもないけど山口や南雲の擁護や糾弾みたいな話をする気は無いがな >>844 第三次空母攻撃を戦力不足を理由に一時間延期して薄暮攻撃とした(結果、発進前に被弾)例があるから 取り敢えず空襲効果を度外視で発進ということはないように思われる 戦闘詳報ではこれを批判して攻撃隊は躊躇わず出せと書いてる 10機も冷戦をつける予定なのに攻撃を躊躇ったのは 艦爆は対空機銃にやられやすいから6機では食われてしまうと思ったのかも もちろん出してしまった方が被弾時の火災は防げるし、飛行機と搭乗員を無事な空母に移せるから 空中退避としては意味がある しかし発着の手間がものすごい空母では空中退避はなかなか決心できないものですよ ちょっと思ったこと 米空母で露天繋止の機体が多い(ことにより搭載数が多い)のは人手が多いからではないか 警戒機の発着のたびに何十機も前へ後ろへ移動させてるわけだから 日英に比べてやたらと多い人員が配置されてる理由もこれではないか ダメコンにも有利なのはあくまでおまけで >>855 小林隊の大損害が理由でしょ?18機の艦爆を出して帰ってきたのは五機で小林隊長 だけでなくニ小隊隊長も戦死するという酷さだったから。 零戦は六機付けたけどTF-17に達した時はたったの四機になってたのも原因だけど。 >>856 アメリカの消化班は日本の空母の10倍くらいの人員だったらしい。 だからエセックス級空母の大火災でも沈没を免れた。 (特にフランクリンとバンカーヒル) 炎上中の空母の護衛の巡洋艦や駆逐艦が豊富だったのも大きい。 >>845 恐るべし? 陸上爆弾は瞬発信管しかつけないなんて考えは元からないよ 建造物など非装甲物破壊したい時は表面で爆発させるより中で爆発させた方が良いのは当たり前だから瞬発信管は望ましくない 98式陸上爆弾の話ならアレは通常爆弾の簡易代用であり、装甲目標は視野に入れられている 支那事変の地上攻撃で硬目標に対し苦労した経験があり、装甲以外にもコンクリ目標に対して瞬発だと困るわけでな アメリカの原子力空母は、機体のメンテナンスは格納庫内の甲板で行い 悪天候以外は、露天繋止が標準。 アングルドデッキの為、着艦中も駐機スペースのやりくりが容易で ●原子力空母(ニミッツ級)の格納庫内 https://i.imgur.com/bKeYhdw.jpg □ニミッツ級 格納庫の長さ208.5m、幅32,9m、高さ8.1m -- F/A-18 全長17.07 全幅11.43m、翼端にAAM各1発装着時12.31m、翼端折り畳み時8.38m 全高 4.66m ●フライトデッキコントロール 露天繋止の搭載機のやりくりを模型で検討している。 https://i.imgur.com/H22zVP6.jpg 紙幣にトランプ大統領のサインがあったが、記念にサインを残す習慣がある? >>857 おそらく攻撃を躊躇う理由は、支那事変と第一段作戦の戦訓、敵空母部隊の対空砲火に関する報告が決定的と思われる 当初、白昼攻撃の予定では10機も零戦を付けられる予定だったわけだから戦闘機対策は講じてる だけど対空砲火については数で飽和する以外にどうしようもない 艦爆隊がやられたのは想定外の大損害だったけど 士官が一人しかいない直掩隊を出して全機が釣られてしまい、攻撃隊をやられるのはウェーク島空襲でもやってるから 攻撃隊の援護を徹底出来てないのは責められても仕方のない部分 それこそ偉い人は教育、訓練、気風による部下の失敗に責任を持たなくてはならないから 直掩の2機だけ分離して敵の艦爆隊を攻撃したという説もあるけど その場合、兵曹が重松大尉を無視した挙句、第二小隊三番機を取り残して未帰還にさせた件として大問題になってるはずだから すれ違った敵機を攻撃したのも、空戦すら始められないまま何分もF-4Fに艦爆隊を攻撃されてしまったのも 重松大尉が6機をまとめて行動させ、攻撃隊を離れてた傍証 で、こうした行動による損害はもうウェーク島空襲そのままな訳だから >>850 かつては英国の空母レンタルするくらいだったのになぁ >>851 - 後半につれて戦闘機が増えていきますね。 >>853 ありがとうございます。 第二次攻撃隊を出したかったなぁ・・・未練 >>854 あ、すみません、本職が確認したかったのは、 ”壊滅すらありえる>>844 ”こっちの方です。 例えば、基地攻撃隊にも先制攻撃されていましたが、 「壊滅すら有り得なかった」のですか? >>855 そうですね、なぜか第三次攻撃を薄暮攻撃に切り換えた =敵に先制を許す壊滅すらありえる危機的状況 を、山口少将が選択したのに、スルーされちゃう不思議。 >>856 なるほど、それは考えていませんでした。 さすがの米帝さまも、飛行甲板上では手押しするしかないのか。 >>857 その理屈だと、意見具申時もあてはまるのでは・・・ >>858 そうですね。本職も 米空母のダメコンが優れている理由は乗員数が多いから派です。 >>859 ありがとうございます。一応過去スレでも紹介しましたが、 『日本海軍の爆弾』(兵頭二十八/著)には、 「昭和15年の文書には二五番陸用爆弾は瞬発信管をつけないと 壊れてしまうと注意を促している」(p59) とあります。 爆発の効果よりも、弾体強度不足による不完爆を恐れての対応ですね。 昭和17年当時は、その問題は解決されていたということか。 >>849 の続き 結局のところ、スプルーアンス少将が索敵を行わなかった理由は 謎のままです。 当然やるべきことをやらなかったのだから、不可解という他ない。 それを強引に理由付けしようとすると、 ビュエル氏のように苦しい言い訳(>>684 )をするしか 無いのです。 [ミッドウェー海戦](6月6日(0400時頃)日本時間) (5日)1400時 ×(B)日本空母1隻撃破(飛龍) 北西方向に約180浬 (5日)0730時 ┌┘ ×(A)日本空母3隻撃破(赤城・加賀・蒼龍) ┌┘ 西方に約190浬 △北緯31度・西経176度 ↓ 米空母部隊(スプルーアンス少将) (エンタープライズ・ホーネット) (5日)2320時 ×(C)日本重巡衝突(最上・三隈) 南西方向に220浬 ■ミッドウェー島 ※方位と距離は、米空母部隊の視点から。 >>866 の続き 史実の経過に戻りますと、 既述(>>717-718 )の通り、 ちょうど夜明け前に、ミッドウエー島西方海面で 日本軍の重巡部隊が発見されたとの潜水艦情報が スプルーアンスの手元に届きます。 これを受けて、米空母は「敵巡洋艦追撃」のため、 南西方向に針路をとった。 >>868 の続き >>867 の地図を見てください。 前日に日本空母が居た北西海域を横目に 右側背をガラ空きにしたまま、のんきに巡洋艦退治ですよ! もし同海域に、生き残りの敵空母が居たら? 5隻目の空母が接近していたとしたら? まさに”不意の横槍を入れる”絶好の機会を敵さんに プレゼントしていたわけですね。 >>869 の続き この航跡図を見るだけでも、 スプルーアンス少将が、いかに的外れで意味不明な行為か 明らかに分かるでしょう。 日頃、南雲長官に講釈を垂れる空母戦術家?の皆さまの ご高説を賜りたいものですな! ★零戦の生産機数(ソロモンの消耗戦で1日平均5機程度生産では補充が間に合わない/他の機種はもっと少ない) : 1942年4月 76機 ●ドーリットル空襲(空母ホーネットからB-25による帝都初空襲) 1942年5月 86機 珊瑚海海戦(祥鳳沈没、翔鶴大破、航空隊大損害) 1942年6月 74機 ●ミッドウェー海戦大敗で零戦の保有数も激減 1942年7月 87機 飛鷹竣工(第三艦隊「南雲忠一中将」(空母6隻 翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、隼鷹、飛鷹、龍驤) 1942年8月 103機 ガタルカナルの攻防で泥沼の大消耗戦開始、第1、第2次ソロモン海戦など大小の海戦多数 1942年9月 126機 改マル5計画に修正(改大鳳型空母5隻、雲龍型空母13隻、戦艦110号艦(信濃)の空母化など 1942年10月 137機 南太平洋海戦(21号電探のおかげて、ドーントレスに奇襲されるようなことはなかったが・・・) 1942年11月 147機 第3次ソロモン海戦(制空権を失っており、戦艦比叡を喪失、新戦艦2隻の砲撃で戦艦霧島も喪失) : (省略) : 1944年4月 458機 零戦の生産ピーク。F6Fなどの新型機に性能で対抗できず消耗が続く 1944年5月 327機 1944年6月 300機 マリアナ沖海戦(攻撃隊は爆装零戦で数量を補うが目ぼしい戦果なし) 1944年7月 278機 1944年8月 367機 雲龍、天城の空母2隻竣工(航空隊が壊滅状態で、出撃機会なし) 1944年9月 380機 1944年10月 339機 台湾沖航空戦(空母11隻撃沈の"大本営発表")、レイテ沖海戦では空母搭載機は定数割れ(4隻で116機) 1944年11月 224機 ●昭和19年11月24日、マリアナの基地からB-29による帝都初空襲 : (省略) : 1945年8月 93機 ダンフォール作戦中止、8月15日玉音放送、9月2日降伏文書署名 ーー ・零戦の総生産数 約1万機(三菱製3810機、中島製6208機) ・改大鳳型空母の1番艦竣工が1947(昭和22年)の見込みで、到底間にあわず雲龍型空母建造優先で全艦キャンセル >>863 山口司令が第三次攻撃を薄暮攻撃に切り替えた理由は戦史叢書だと 1攻撃兵力の艦爆がかき集めて6機しかない 2第一次攻撃隊の損害から考えて昼間強襲となるのでは攻撃成功の見込みが薄い 3薄暮まで待てば損傷機の修理で攻撃兵力を増やせる可能性がある 4薄暮攻撃なら敵防空戦闘機の視界狭小となり防空戦闘機の活躍を抑えられる 5事前情報の総合で健在の敵空母は残り一隻になると判断していることからその程度であれば現在の味方の防空戦闘機数的に守り通せる という経過らしいしそれほど批難されるものではないのでは? >>861 より機数の少ない友永隊の艦攻は半数が帰還している。 この攻撃で重松大尉は戦死しているから問題化する士官はいないのでは? 但し部内では問題とした空気があったようでその後、ラバウルに赴任したM兵曹は 態度が悪かったこともありT少尉に制裁を喰らわされたが。 >>862 カミカゼ対策で艦爆を減らして戦闘機を増備するのあたって海兵隊のパイロットに離着 艦訓練を施して賄いました。 >>864 早朝から続いた戦闘の繰り返しで搭乗員と兵は疲労困憊。少しでも休ませたかった のではないかとT少尉はその著書で書いていますね。 >>871 ありがとうございます。 一説には、緒戦の頃、あんまり連戦連勝の大本営発表ばかり するもんだから、早く戦争が終わっちゃうんじゃないか気運が出て、 中島も三菱も、ライン増設などの設備投資を渋ったという話も >>872 ええ、本職も賛同しますが、 即時発進具申のときも、友永隊の収容や護衛不足など 色々懸案がありました。 しかし、「空母戦は先手必勝」理論の一点張りで、 孫子まで持ち出して、南雲長官を叩きますよね。 その理屈を貫くなら、薄暮攻撃もまた非難されるべきでしょう。 「兵は拙速を尊ぶ」(笑)なんでしょ? >>862 なるほど、そうやって搭乗員を確保していたのか。 >海兵隊のパイロットに離着艦訓練を施して賄いました。 日本側の話だと、 戦闘機乗りが艦爆乗りに転向するのは容易だが、 逆は難しいとかなんとか。 どっちも大変だと思いますがねぇ >>870 の続き ここから、スプルーアンス少将の作戦指導は、 更に迷走を深めていきます。 6日夜明けから、日本重巡追撃のために 南西へ航走していた第16任務部隊ですが、 彼らが最上と三隈を攻撃したのは7日でした。 >>877 の続き 「あ・・・ありのまま今 起こった事を話すぜ! 俺は、200浬先の敵巡洋艦を攻撃するために 行動を開始したが、実際に攻撃したのは翌日だった。 な・・・何を言っているのか、わからねーと思うが(以下略 いやぁ、事実は小説よりも奇なり、ですな。 まる一日追いかけてたら、そのまま水上砲撃戦になりそうですが・・・ >>878 の続き 戯れは、この辺にしておいて、 PBYによる250浬の索敵(>>784 )ですが、 あまり役に立たないかと思いきや、 なんと、敵空母を発見してしまった! 日本時間6日0500時、6V55機から報告、 2 battleships and one carrier afire, 3 heavy cruisers, bearing 324, distance 240, course310, speed 12. 「戦艦2隻、空母1隻、重巡3発見、空母炎上中、 ミッドウエー島からの方位324度、距離240浬、針路310度、速力12ノット」 >>879 の続き これはお手柄ですね。 ミッドウエー島から240浬ということは、索敵範囲(250浬)の ほぼ先端、引き返すギリギリのところで見つけたわけです。 [ミッドウェー海戦](6月6日0500時頃)日本時間 (6日)0500時 ×(D)日本空母1隻炎上中(北西方向に約240浬) (5日)1400時 ×(B)日本空母1隻撃破(飛龍) 北西方向に約180浬 (5日)0730時 ┌┘ ×(A)日本空母3隻撃破(赤城・加賀・蒼龍) ┌┘ 西方に約190浬 △北緯31度・西経176度 ←┘ 米空母部隊(スプルーアンス少将) (エンタープライズ・ホーネット) (5日)2320時 ×(C)日本重巡衝突(最上・三隈) 南西方向に220浬 ■ミッドウェー島 ※方位と距離は、米空母部隊の視点から。 復員船用の空母2隻 最初に完成した鳳翔と、最後に竣工した葛城 笠置、生駒、阿蘇、鞍馬、伊吹などは未完成だが沈没しなかったので写真はあり マリアナで艦隊決戦するには着工が1年遅かった。 あ号作戦に 雲龍型7隻、伊吹型1隻(搭載機400機程度)が就役していれば、もっと派手な戦いに。 >>882 空母だけが完成していても戦力にはならない。 高度な技量の塔乗員とそれを支える整備員、空母を 運用する乗員等、当時の日本海軍には、全てが欠けていた。 さらに、空母を護衛する駆逐艦、巡洋艦の不足は 言うまでもない。 1年着工ずれただけで仮想戦記になるけどな。 たらればのミッドウェイも同じ。のこのこ発進した主力部隊とか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる