南雲忠一中将を再評価するスレ(散)
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南雲長官はもっと評価されるべき(38代目)
前スレ
[37代]南雲忠一中将を再評価するスレ(阿)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1562598586/
(>>9〜霧中変針の章、>>517〜友永隊艦攻全力案の章)
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>883
空箱でも意味あるよ空母は
マリアナにそれだけ追加すれば490機を一度に発進できる
飛行甲板の枚数が増えれば多少撃破されても影響が少ない
作戦の自由度が上がる >>885
彗星や天山が揃わなかったのか九九式艦上爆撃機を載せていてそれでも足りず
爆戦と九七式艦上攻撃機まで枯れ木も山の賑わいの如く掻き集めていた状態
なのですが? 更に給油艦不足で決戦海域を日本の都合が良い場所を想定した作戦しか立てられ
なかった状況なので空箱の燃料までは手配できない >>885
だから箱だけあってもそれ以外が用意できないのであればいくら空箱でも意味があると言ったところで話にならないということでしょ
飛行機も乗員も燃料もない空母なんて本当にただの空箱なんだから何をどうしようが使い道があるはずもない
動けないんだから 日本海軍は地上で撃破された戦闘機や爆撃機が多すぎ
カラー実録太平洋戦史で、機銃掃射で炎上する映像ばかりでねえ。 うーん一概に地上撃破といってもねえ
哨戒機不足で重要な方面に少数機の哨戒しかしてないところを奇襲されるのと末期ラバウルみたいに航空優勢を失って毎日一直配置で基地上空で邀撃戦やってて被害が出るのとでは理由も異なるし >>852
その後の CV-6 エンタープライズ
★1944年12月〜1945年5月
エンタープライズは、夜間戦闘部隊に所属変更。サラトガなども一時所属
夜間戦闘部隊は特攻機の基地攻撃に効果的だった。
☆1945年5月1日の定数
NIGHT AIR GROUP NINETY
ComNightAirGrp 90
VF(N)32機、VTB(N)27機 合計59機 (夜間戦闘用で搭載機はピーク時の98機から減少)
★1945年5月14日 特攻機により大破、修理中に終戦
★1947年2月17日 除籍
記念博物館船としてエンタープライズ保存活動は失敗。
空母はアラバマ、ノースカロライナなどの戦艦より人気がなかった。
★1960年5月 完全に解体 >>882
逆転マリアナ沖海戦!、絶対国防圏を押し返す!
○前倒し就役
(雲龍型7隻、伊吹型1隻) 雲龍、天城、葛城、笠置、阿蘇、生駒、鞍馬、伊吹
(追加合計306機 紫電改ニ 141機、彗星 126機、天山 138機、彩雲 21機)
○建造中の最終決戦兵力
雲龍型7隻 5009号艦 秩父、5010号艦 磐梯、5011〜5015号艦
改大鳳型5隻 5021号艦 赤城、5022号艦 加賀、5023号艦 蒼龍、5024号艦 飛龍、5025号艦 龍驤 ========================================
紫電改ニ、烈風改、流星 VS アメリカ新型機
========================================
1945年以降で実戦配備予定の新型機
戦闘機
F8F ベアキャット(空母搭載機、F6Fの後継機)
P-51H マスタング、Hは速度向上型。ダウンフォール作戦(日本本土上陸作戦)で全てH型に置き換え予定
攻撃機
A1 スカイレイダー 爆弾搭載量3トン超(空母搭載用に主翼の折り畳み可)
ジェット機
P-80 シューティングスタ >>871
零戦から新型機への更新遅れが致命的だったなあ。
烈風を見限って紫電改約1万機生産予定が、B-29の爆撃でわずか400機程度だった。
ーー
紫電改ニは空母機用仕様 >>890
日本の軍用機の被害の大半は地上撃破
これは日本軍の作戦行動の暗号がほぼ完全に解読されていたせい
いまから攻撃しようと滑走路に並べているところを米軍に強襲されてしまう
これを米軍は「七面鳥撃ち」と呼んだ(七面鳥は飛べないから)
「七面鳥撃ち」は「マリアナの七面鳥撃ち」が新聞の見出しとして有名だが
記者がそれ以前から米軍内で使われていた言葉を拝借しただけ >>896
トラック大空襲で新品の零戦五二型を300機近く地上で焼かれたのにも懲りずに
ダバオ誤報事件でせっかくかき集めた零戦を約100を焼かれた。
米軍が地上で大量の機体を焼かれたのはパールハーバーとマニラだけだった。 >>882-
むむ、マリアナの話が始まってしまったな、
あとは東雲長官に任せよう >>881の続き
それでは、PBYが発見した「炎上中の空母1隻」とは何か。
これは飛龍で、ほぼ間違いないでしょう。
前日からの経過を振り返ってみると、
14時に飛龍は被弾>>881の(B)
山口少将の奮闘も空しく、南雲機動部隊は壊滅した。 >>899の続き
しかし、前部リフトが吹っ飛ぶほどの衝撃だったが、
機関部に損傷はなかったため、飛龍は28ノットを出すことが
可能であり、北西方向に避退します。
ところが格納庫の火災が徐々に艦深部に拡大して、
日没後の18時半頃には、機関停止してしまった。
その後も消火活動に尽力するも誘爆を止められず、
日付の変わった6日0015時には総員退艦。 >>900の続き
山口少将と加来艦長は艦に残った。
夜が明けた0210時、駆逐艦巻雲は魚雷2本を発射し、
飛龍は沈没した・・・
はずでしたが、実は飛龍はまだ浮いており、
それに気付かないまま、機動部隊は避退してしまった。
その漂流する飛龍を、主力部隊の空母鳳翔から発艦した
九六艦攻が発見します。
驚いた南雲長官は、駆逐艦谷風に、飛龍の捜索と処分を命じた。 >>901の続き
だいたいこんな流れになります。
6月6日(日本時間)
0210 駆逐艦巻雲、飛龍に魚雷発射
0330 鳳翔の九六艦攻、漂流中の飛龍発見
谷風、飛龍捜索に向かう
0500 PBY、炎上中の空母1隻発見
時刻不明 飛龍沈没 >>902の続き
飛龍の沈没位置について、一航艦の戦闘詳報には、
「北緯31度27.5分、東経179度23.5分」
と記されています。
これは、PBYが発見した位置>>881の(D)とも一致しており、
おそらく発見後、しばらくして沈んでしまったのではないかと
思われます。 飛龍は一旦は火災が鎮火しかかったので艦長が駆逐艦に消火を止めさせたら再燃し
て手が付けられなくなり更に機関科との連絡も途絶したので「機関室全滅」と判断され
処分が決定したという何とも冴えない最期となった。 >>904
そうですね。機関科はまだ生きているのに雷撃処分されることに・・・
ちなみに、鳳翔の九六艦攻が飛龍を見つけたときには、
飛行甲板上で手を振る人影を見つけたとか。 >>903の続き
PBYが報告した炎上空母の艦位は、
米空母から見ると、北西方向に約240浬
やや遠いですが、攻撃隊を出せる距離です。
多聞丸健在なら、全速で敵に向かって進撃し、
距離を縮めてくれるでしょう。 >>906の続き
残念ながら、飛龍はすでに作戦能力を失い、
ただ漂流するだけの鉄のかたまりと化していましたが、
もし、飛龍が夜間に普及して戦線に復帰していたら?
5隻目の日本空母が加わっていたら?
のんきに重巡退治にいそしんでいる間に、
側背から、日本攻撃隊が飛んできますよ! >>907の続き
スプルーアンス少将が、この日の朝、索敵を実施しなかったことが
いかにとんでもないことか、少しは想像できるのではないかと。
改めて言いましょう!
「君、空母部隊指揮官には向いてないから、水雷屋に戻った方がいいよ」
ですね。 >>908の続き
この240浬という彼我の距離は、
前日にヨークタウンが出した索敵機の進出距離(250浬)と
比較してもギリギリで、
更には、黎明時には米空母部隊はもっと東に居たから
より距離は離れていたことになります。 >>909の続き
実際、索敵機を出したとしても発見できなかったかも
しれません。
しかし、ここでは結果論に陥るよりも、指揮官の思考過程こそ
重視されるべきかと考えます。 >>910の続き
「索敵計画を立案した吉岡乙参謀は、索敵機そのものの機数を
7機に減らした。その理由について、後に彼はこう釈明する。
”攻撃機を索敵にまわすのはもったいない、と言う発想があった。
そのせいで水上機を数多く使うことになった”
だが、この判断の根底には、
”敵空母はミッドウエー沖には出現しない”
という思いこみがあった。
希望的観測といって良い」
(『ミッドウェー海戦第一部』森史朗/著)p320 >>911の続き
例によって、南雲司令部の索敵軽視批判です。
過去の海戦と同程度の七線一段索敵を実施してさえ、これほど
悪しざまに叩かれるのですから、索敵を実施しなかった米空母は
何をかいわんや、ですよねー
>”敵空母はミッドウエー沖には出現しない”
>という思いこみがあった。
からこそ、索敵機を出さなかったんですよね。 >>912の続き
何度も言いますが、索敵軽視ではなく、索敵”無視”ですよ。
そこには、どれほどの「希望的観測」があったのでしょう!
どう思われますか、森センセ 五十六、南雲が更迭されない人事の限界
連合軍各軍人の回想録は、「日本の兵は優秀だが、将は凡人ばかり」の評価
功績があった人物が嫉妬や妬みで閑職に回されるなども多かった。 >>911
敵空母が出てこない筈なのに艦攻の半分が雷装命令が出ているという矛盾。 >>914
まぁ、大抜擢されたすぷー様がこの体たらくですからねぇ
>>915
出て来ないと言われて、何も準備していないのは「凡人」ですな >>913の続き
指揮官にとって、最も大切なのは、
「適切な情勢判断と迅速な決断」です。
具体的に何をするのかというと、
昔から決まっていまして、
敵の捜索→発見→敵味方の識別→
脅威の評価→攻撃成算の評価 →
攻撃の決断→攻撃→
戦果の確認と評価→脅威の評価に戻る >>917の続き
これは、陸戦でも、水上砲戦でも、航空戦闘でも同じ。
将来、宇宙戦争が始まっても変わらないでしょう。
銀河の歴史がまた(ry
スプルーアンス少将にとって致命的なのは、
「脅威の評価」を間違ってしまっているところ。 >>918の続き
敵空母と敵巡洋艦と、
どちらを優先すべきかと言えば、
言うまでもなく、前者ですよね。
現にスプルーアンス自身、この後、PBYの索敵報告を受けて、
「炎上中の日本空母」を攻撃目標に変更しているのだから。
そこまでするのなら、なぜ最初から「敵空母の捜索」をしなかったのか。 >>919の続き
>>909の通り、索敵機を出したところで
見つけられなかった可能性は十分に考えられます。
しかし、前日に敵空母が所在した場所、
>>881の(A)赤城・加賀・蒼龍撃破と、(B)飛龍撃破
は、200浬以内だから捜索可能なはず。
最低限、それだけは確認した上で、巡洋艦追撃に移ったところで
何の問題もなかったのでは。
もっといえば、索敵と重巡追撃は同時並行で可能ですし。 >>920の続き
それをPBYの報告を受けて、あわてて目標変更する姿は
無様としか言いようがありません。
完全に優先順位を間違っています。
古今の戦史で、判断を誤った例は数多ありますが、
その大部分は、入手した敵情が誤っていたことが原因で
それを結果論で非難することは、慎むべきと思います。 >>921の続き
しかし、スプルーアンス少将の場合、結果論云々の話ではない。
>>917の通り、これは戦術のイロハというべきもので、
知らないはずは無いし、
”敵情を入手しようとする努力を怠った”彼は、
スタート地点にすら立っていないのです。 >>922の続き
もはや、すぷー様の名誉を守るためには、
「基地航空隊の索敵を信用していた」説で押し通すしかありませんな。
というわけで、続きです。 >>923の続き
PBYが炎上する日本空母を発見したのは、0500時(日本時間)
ですが、それを米空母が受領したのは、0815頃
なんと、3時間以上も経過した後です。 >>924の続き
「午前6時(日本時間0300時)、ミッドウェー島の北東約130浬に
達したとき、彼(スプルーアンス)は、索敵機からの電波を接受し
始めたが、その受け取った第一電は、先に衝突した2隻の敵巡洋艦
に関するものであった。
これに引き続いて、その北西方約200浬に、敵軍の大部隊が
ある旨の情報が入った。
当時炎上中の航空母艦飛龍に関する、索敵飛行艇からの報告が
遅延混乱したために、別に2隻の敵航空母艦が若干の被害がある
にしても、なお海上にあるような印象を与えたのであった」
(『モリソン戦史』第3巻)p337 遡れば、今の中国共産党があるのはミッドウェー大敗から
始まっている。 >>915
敵空母の出現は不確定と考え本作戦の主目的を要地攻略と考えていたのは大本営海軍部
連合艦隊は一貫して敵空母撃滅が本作戦の主目的として主導してる
ようは南雲はその板挟みになってる
ただ一航艦は先に海軍部から説明を受けた後に連合艦隊に連絡をしてるので連合艦隊の意図は最後まで伝わらなかったのではないかと言われてる
渡邉参謀はちゃんと連合艦隊の意向を明示したとは言ってるけどどうだろね >>926
なんと、千年後も南雲長官の名前が残るのですか!
うれしみうれしみ
>>927
ですよねー
ルーズベルトに見る目がなかったからですよねー
>>928
南雲長官は終始一貫して「敵空母撃滅が主目的」として
作戦指導していると思いますが・・・どこの話? >>925の続き
三隈と最上の衝突事故に関しては、
米潜水艦タンバーが現場を目撃、報告しており、
ハワイの米太平洋艦隊司令部が転電して、夜明け前(6日0100頃)には、
スプルーアンス少将の手元にも届いていた。
同様に、ミッドウェー基地も入手しており、夜明けと共に
PBYが索敵に飛び立ちます。 >>930の続き
同じく戦時日誌(>>784)によると、
0330時(2V55機)
sighted 2 battleships bearing 264, distance 125, course 268, speed15.
「戦艦2隻発見、ミッドウェー島よりの方位264度・距離125浬、針路268度・速力15ノット」
0332時(同)
ships damaged, streaming oil.
「(戦艦は)損傷している、重油を引いている」
0400時(4V58機)
2 enemy cruisers bearing 286, distance 174, course 210, speed 20.
「敵巡洋艦2隻、ミッドウェー島よりの方位286度・距離174浬、針路210度・速力20ノット」 >>931の続き
最初に戦艦2隻と報告されていますが、一般に敵情は過大になりがちで無理もない。
中には大和型の隣に居たために「巡洋艦」と報告されたビッグセブンもありますが・・・
報告艦位等から、これが重巡三隈と最上のことだと分かります。
その後に、別の「敵巡洋艦2隻」が発見され、日本艦隊は二手に分かれている
ように思われましたが、実際は、同一部隊の誤認でした。 >>929
戦史叢書43巻の123頁から124頁に書かれてない?
それに南雲司令部が付近に敵艦隊がいないと予想していたことも288頁とかに草鹿源田吉岡三人の戦後の回想を根拠として書かれてなかったっけ
あんま詳しくないから間違ってたらごめんなさい アホ南雲が「敵空母撃滅が主目的」だったら兵装転換なんかするわけ無いのに 五十六最悪だなあ。双発戦闘機に撃墜されても仕方が無いわ。
ーーーーーーーーーー
連合艦隊長官山本五十六大将は、愛人の河合千代子と密会し、別離を惜しんだ後の手紙に「5月29日に出撃して、三週間ばかり
全軍を指揮する。多分あまり面白いことはないだろう。この戦いが終わったら、全てを捨てて二人きりになろう」と記している。
千早正隆『日本海軍の驕り症候群』プレジデント社、1990年。ISBN 4-8334-1385-X。 ★はるか後方からのこのこ・・・
連合艦隊(主力部隊) 司令長官:山本五十六大将
第一戦隊 連合艦隊司令長官直率
戦艦:大和、長門、陸奥
★間抜けな衝突事故後、エンタープライズ(艦爆)に撃沈された重巡三隈
第七戦隊(支援隊) 司令官:栗田健男中将
重巡:三隈、最上、熊野、鈴谷 >>933
ありがとうございます。それは承知していますが、
南雲長官は、索敵が敵空母を発見しなかったから爆装に転換したのであって、
主目的が島攻略と思っていたからではありません。
その証拠に、0220時の予令では「敵情特ニ変化ナケレバ」との
前提を明確に示しています。
「敵空母撃滅が主目的」とは、
索敵報告が入らないのに、ずっと兵力の半分を待機させておくことでは
ありませんよ。
それはただの、ガキの使いです。 >>934
おっと、先に答えてしまいましたな。失敬失敬
>>935
ほんと、索敵もやらない指揮官に率いられるのは気の毒
>>936
千代子嬢は中共のハニートラップだった説
>>937
どっちの意味だろう・・・はっ!
>>938
大和の舷側副砲を生で見たかったですねぇ 参考までにご紹介。
『太平洋海戦秘話 帝国海軍情報士官米海軍資料を読む』
三好啓治(昭和63年、非売品)
著者は開戦直後の大学繰上卒業後昭和17年1月に召集された第一期海軍兵科予備学生で、
軍令部特務班、各通信隊、各艦隊司令部等で通信諜報を行う第一期海軍特信班101名の一人です。
最後は予備大尉として第5航空艦隊司令部付で通信諜報にあたり、宇垣長官特攻を見送っています。
(以前紹介した『情報士官の回想』中牟田研市は特信班同期、同書に本書内容の引用あり) >>939
ここのスレ主に言わせればアホ南雲が兵装転換「するべき」だったとなるのだが
「敵情特ニ変化ナケレバ」現状維持なのであって、兵装転換しろなんて命令は出ていない
「敵空母撃滅が主目的」であれば兵装転換なんてするべきでなかったことは明白
しかしアホ南雲は心情的に反山本であり大本営側の陸軍シンパだったので
敵空母撃滅よりもミッドウェイ島上陸を優先させてしまった
明らかにアホ南雲の兵装転換の判断は功を焦ったがためにやらかした失策である >>941の続き
戦後、昭和26年からオレゴン大学留学中に『真珠湾攻撃に関する米両院合同調査委員会公聴会記録全39巻』(1945年〜1946年)を閲覧、
後年、レイトン情報参謀(1984年没、少将)の回想録『太平洋戦争暗号作戦』(1985年、邦訳昭和62年)の共同著者の一人であり、『モリソン戦記』の執筆協力も行った、
ロジャー・ピノー大佐(退役、戦中は日本語・情報士官として暗号解読従事)らと知り合い、昭和60年米海軍歴史シンポジウム(アナポリス)に出席。
『米太平洋艦隊司令部日誌』(1984年公表、通称グレイ・ブック)のマイクロ・フィルム等を閲覧。 >>943
あとがき冒頭に
「本著は山口県新報紙の昭和62年4月から22回にわたって連載されたものを中心に、
既発表の真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の情報戦を付加して編集されたものであるが、
その特徴は元帝国海軍情報士官の目で米海軍のなまの資料を読んだ点にある。」
とあります。
個人的な感想として、こういった本に非売品が多いのはとても勿体ないですね。 >>944の続き
同書P65より記載されている
ミッドウェー海戦時の「米太平洋艦隊司令部日誌」は下記のとおりです。
(注、日誌の全文か一部か等の説明は無し) >>945の続き
6月3日(日本時間6月4日)
ミッドウェー接近部隊は駆逐艦に守られた21〜23隻である。
B17の攻撃は命中3、ニヤミス3。
日没後PBY4機が魚雷装備して進撃。
敵の空母による6月3日(日本時間6月4日)
ミッドウェー接近部隊は駆逐艦に守られた21〜23隻である。
B17の攻撃は命中3、ニヤミス3。
日没後PBY4機が魚雷装備して進撃。
敵の空母によるミッドウェー攻撃は明早朝である。
太平洋における戦争の全コースはかかって次の2、3日間の進展にある。攻撃は明早朝である。
太平洋における戦争の全コースはかかって次の2、3日間の進展にある。 >>946の訂正
6月3日(日本時間6月4日)
ミッドウェー接近部隊は駆逐艦に守られた21〜23隻である。
B17の攻撃は命中3、ニヤミス3。
日没後PBY4機が魚雷装備して進撃。
敵の空母によるミッドウェー攻撃は明早朝である。
太平洋における戦争の全コースはかかって次の2、3日間の進展にある。 >>947の続き
6月4日(日本時間6月5日)
051225電はジュットランド以来の大海戦のスタートを記している。
その結果が示されるように日本に良からぬものであるならば、彼らの進出を止めるであろう。
わが方も補充の困難な極めてよく訓練されたパイロットの損失が大きかった。
フルトンはヨークタウンの生存者の救出に向かっている。 >>948の続き
6月5日(日本時間6月6日)
日がすすむにつれて損害報告をみると、日本軍の大敗北を示す。
それは060831、061915電に概要がある。
ニミッツはひかえめなコミュニケを出した。
海戦の結果、せねばならぬ喫緊事は漂流中の飛行士救出である。 >>948の補足
6月4日(日本時間6月5日)の「051225電」についてのみ、本書はその内容を記述しています。
太平洋艦隊長官から合衆国艦隊長官その他あて
ミッドウェー接近の二隊は、
1.方位260度距離約500マイルで、駆逐艦の護衛により2、3隻の戦艦、巡洋艦から成る20〜23隻、
この隊の1、2隻の戦艦と2輸送船は昨日損害をうけた。
2.方位320度距離約200マイルの一隊は4空母、2戦艦、4巡洋艦、6駆逐艦より成る。
ミッドウェーと機動部隊はこれに攻撃を集中した。
成果、空母3炎焼中、空母1に3魚雷命中、1、2戦艦破損、朝の空襲でミッドウェーは飛行機に大損害をうけた。
午後TF16と17は飛行機に大損害、ヨークタウンは少くとも3爆弾命中、ミッドウェーの北150マイルに停止中。
情報未確認であるが、敵は航空兵力整備次第、わが2空母に決闘をしかけ、上陸作戦を強行すると思われる。
少くとも1空母は作戦可能とみる。
わが方は夜間攻撃をする予定。 >>950の続き
>情報未確認であるが、敵は航空兵力整備次第、わが2空母に決闘をしかけ、上陸作戦を強行すると思われる。
>少くとも1空母は作戦可能とみる。
>わが方は夜間攻撃をする予定。
少なくとも、6月4日(日本時間6月5日)時点でのニミッツ司令部は、
実に興味深い情勢判断をしていた事が分かりますね。
例えば、どんな「夜間攻撃」を計画していたのでしょう、とか。 >>941-
ありがとうございます。興味深いですねぇ
>少くとも1空母は作戦可能とみる。
>わが方は夜間攻撃をする予定。
両方とも、スプルーアンス少将の行動に反していますねぇ
まさかの命令無視!? >>942
おおっと、「敵情特ニ変化ナケレバ」とはつまり、敵艦隊が出現しなければ、
ということですが、それでも現状維持?
上陸日まで、ずっと第二次攻撃隊は待機中ですか?
よゆーですな、大変結構 >>932の続き
これで、前夜の潜水艦タンバーからの報告が、
朝からの航空索敵で裏付けられた。
そして、重要なのはここ。
>針路268度(西進)
>針路210度(南西)
いずれの報告も、日本艦隊が撤退していることを示している。 >>954の続き
もう夜が明けているのだから、敵水雷戦隊の奇襲も恐れる必要はないし、
積極的に追撃行動に移ることができる。
これらPBYの索敵情報が、スプルーアンス少将の手元に届いたのが
6日0300以降(>>925)というわけですね。
>>881の通り、米空母部隊は南西方向に進みながら、
攻撃の機会をうかがうことになります。 >>939
それだと南雲司令部は大海令第18号が作戦目的をミッドウェー島を攻略し…我が作戦基地を推進するにあるとしていることを無視していることになるんですが
それに南雲司令部が作成した作戦計画ではN-2日にミッドウェー空襲開始場合によって再攻撃
この間母艦搭載機の半数は敵艦隊出現に備えて艦上待機
としてますよね
そしてN-1日も敵情に変化なければ敵艦隊の出現に備えつつミッドウェーへの攻撃続行としてますよね
なのに南雲司令部は5日0220「敵情に変化なければ第二次攻撃は第四編成をもって本日実施の予定」として一航戦の艦攻全力二航戦の艦爆全力をミッドウェー島攻撃に指向する予令をだしたから敵空母が付近に待ち受けているとは全く考えていなかったとされているんでしょ
戦史叢書も0220の予令をそのように評価してますよね
それに5月初旬の情勢判断として太平洋で活動中の米空母は3から4隻
5月8日珊瑚海で1隻撃沈(初期の2隻撃沈は1隻撃破に変更)
5月15日マーシャル南方で西行する正規空母2隻発見
をうけて米空母は南太平洋にありミッドウェーには間に合わない公算が高いとされ出撃直前の図上兵棋演習でもミッドウェー攻略の翌日米艦隊はハワイ方面にあるものとされていて敵空母撃滅を目指している連合艦隊でさえ米空母出現の可能性は少ないと見てるわけでしょ
なのに南雲司令部が一貫して敵空母撃滅を主目的として作戦を実行していたとしたらあまりに状況と矛盾した判断と行動をしていることになるのでは? >>956
ありがとうございます。
この話は「敵空母撃滅が主目的」の解釈が焦点になると思いますが、
南雲長官は利根四号機の敵艦隊報告電以降、敵空母撃滅に専念
しているので、敵空母を発見するまでの作戦指導が争点になるかと。
要地攻略が主目的と思われる作戦指導
→0220時の予令、0415時の兵装転換
敵空母撃滅が主目的と思われる作戦指導
→0130発進の索敵、第二次攻撃隊の雷装待機 >>957の続き
上記を踏まえて、本職のレス>>939ですが、
>南雲長官が爆装に転換したのは、主目的が島攻略と思っていたからではない。
改めて読み返すと、これは飛躍し過ぎて日本語として成立していませんね(汗)
爆装転換は「要地攻略が主目的」と思われる作戦指導です。
少し力が入り過ぎていました。お詫びして訂正致します。 >>958の続き
続いて0220時予令の解釈ですが、まず
叢書(p287)の通り、「附近に敵空母の待ち伏せ無し」と
南雲長官が判断するのは当然のことで、それこそ、
暗号解読でもされてない限り、起こり得ないことだから。
ただ万が一ということもあるので、索敵と雷装待機を
実施していることから、「敵空母撃滅が主目的」の作戦指導ですね。 >>959の続き
それとここが争点になるかと思いますが、
「ミッドウェー島攻撃の間、母艦搭載機の半数は敵艦隊の出現に備えて
艦上待機を行う」(p164)
これを「何があっても、雷装待機は解かない」と解釈するのは現実的では
ありません。攻撃兵力の半数が遊兵化してしまうから。
あくまで、「敵艦隊の出現に備えて」の艦上待機なのだから、敵艦隊出現の
蓋然性が低ければ待機を続ける必要はない、とするのが本職の解釈です。 >>960の続き
それを踏まえての予令です。
敵艦隊の出現に備えて索敵を行うけれど、それで報告が入らなければ
敵艦隊は居ないとみなして、待機を解くことは「敵空母撃滅が主目的」と
矛盾するものではありません。 >>961の続き
ご指摘いただいた通り>>933、
「そのため同長官は来襲する敵機の攻撃を受けながら、索敵機が先端に
達する予定時刻を待っていた。
その時刻になっても、敵艦隊発見を報じて来なかったので、同長官は
予想していたとおり付近に敵艦隊は存在しないと判断し、第二次攻撃を
ミッドウェーに指向することを決意した」(p288) >>962の続き
敵空母が居ないと判断することは、「敵空母撃滅が主目的」と矛盾する
ものではありません。
ここでも南雲長官は、敵空母の所在を出発点として、第二次攻撃隊を
島に向けるかを判断しているので、「敵空母撃滅が主目的」として
作戦指導していたことが分かります。
ゆえに、>>929で終始一貫して云々と書いた次第です。 > 索敵機が先端に達する予定時刻を待っていた
これってどこかにソースがあったりするんでしょうか?
索敵計画って必ず往路だけで発見できるだけの密度があったってことですか?
ふつうは復路は往路をそのまま引き返すんじゃなく先端で少しずらしてから往路の間をうめるんじゃないの?
扇形に広がるわけだから完全に戻ってこなくてもある程度母艦に近づけば
となりとの幅が狭まるのでいないと判断していいだろうけど
索敵先端に達するだけで敵がいないと判断するのは空母指揮官として疑問です
1:30に出た機体は7:15に戻ってきているので
進出距離の短い榛名機以外は先端に到達というからにはおよそ2:50はみておく必要がある
まして第8艦隊の水偵は最大30分遅れの2:00にでているので
「先端に到達した」というからには4:50以降でなければいけない
「敵がいないから」というには判断が早すぎでは?
本当の理由はWIKIにあるとおり
「ミッドウェー基地から発進したアメリカ軍陸上機による空襲は、ミッドウェー島の基地戦力が健在である証拠であった。友永隊の報告をふまえ、南雲中将はミッドウェー島基地への再空襲を決定する」
というだけで敵がいないことを確信したからというのは理由としては不適切化と思われます
仮にそう判断したのなら索敵を軽視したと非難されても文句は言えないかと
結果的にその最も遅れた索敵線でやや短めに折り返した機体が復路で発見したわけで
本来往路で発見できたはずの機体がこの重大局面で雲上を飛んで職務放棄たなんて怠慢を予想しろというのは酷ではありますが 索敵は側程に入って、ある程度復路も飛ばないと敵の有無はわからない
もし先端に達した段階で敵の存在を確認したいならば進出300浬180度ならば14〜15線でないと無理 >>964
索敵線の先端到達予定時刻まで待っていたという話は戦史叢書43巻の288ページに記述されていたと思う。
山口少将は出撃前に索敵が不十分との意見を出したそうだけど、どういう理由から不十分と判断したのだろうか。 よく見たら>>962に既に書いてあった…。
申し訳ありません。 >>964
ソースはどこかと聞かれたら、叢書p288がそのまま答えになりますし、
敵空母が居ないと判断するのが過早と言われれば、その通りだと思います。
索敵機を何百機出したところで、「敵空母が居ないことを確信」することは出来ません。
あくまで、「居ないとみなす」です。
敵空母が居るか居ないかは、敵空母が出現した時に明確になります。
(正確に言えば、索敵機が敵空母を発見した時)。
しかし、敵空母が居ないと明確になる時は、永遠にやってきません。 >>969の続き
索敵報告が入らないときは、どこかの段階で「居ない」と見切りをつける必要がある。
それを判断するのが指揮官の仕事であり、当然ながら判断を誤ることもある。
しかし判断を誤ったからといって、その行動が「敵空母撃滅が主目的」と
矛盾するものではない。
あくまでも南雲長官にとって、作戦指導の決心のきっかけとなっているのは、
敵空母の所在ですから→>>963 >>965
その通りだと思いますが、15線も揃えられるかなぁ・・・
>>966
晴天なら、高度300メートルで30浬(55km)は見渡せるそうです。
飛龍とヨークタウンは、最接近時で、攻撃の途中”両方同時に”確認することが出来たとか。
>>967
多聞丸は色々知ってそうですね。未来人と接触していたのか・・・なんてな。 >>968
本職は、何度も公刊戦史を読みこんでいるつもりですが、
「索敵機が先端に達する予定時刻を待っていた」
ここの部分は、今回初めて気が付きましたので、感謝しています。
”待っていた”んですよ!
映画なら、渋い声のナレーションが入るところですよね。
南雲長官カコイイ! >>955の続き
戦闘が開始されると、通信量が飛躍的に増大するため、
受信電の時系列が入れ替わってしまったり、
同じ内容の電文が、何度も受信されたり、
緊急電が後回しにされたりなどの混乱は、よくあることです。 >>973の続き
「レイテ湾海戦の間中、あまりにも多くのメッセージが
緊急電に格上げされたため、他の多くの電文が全く通じなかった。
マヌス島(無線中継点)の電信員たちは、緊急メッセージを
積み重ね、到着した順番に、また優先順位についていい加減な
判断を下して発信していた。
その結果、キンケードからハルゼー宛ての電報が届くのに
時々数時間を費やしたり、またしばしばこれらのメッセージは
順番通りに到着しなかった」 (『ブル・ハルゼー』ポッター/著)p465 >>974の続き
これはレイテ沖海戦におけるアメリカ側の描写ですが、
これが、ハルゼー第三艦隊とキンケード第七艦隊の間で
連携に齟齬を生みだした一因とされています。
ただでさえ、通信は混乱しがちというのに、
ミッドウェー島の無線施設が破壊されたとなれば、
3時間遅延(>>924)するのも不思議ではないですね。 明日は飲み会のためお休みです。
実は本職は、今月末で異動となるので、送別会をしてくれることになりました。
とはいえ、このご時世なので、おおっぴらには居酒屋には出入りできません。
内輪だけで、極秘裏に開催します。
(漏洩したときは、「オンラインですよ、オンラインw」でごまかす)
ニイタカヤマノボレ〇六一八
また明後日ノシ 凡将じゃない大日本帝国の将軍を探すのが難しい。
特に帝国海軍の艦隊司令、参謀は最悪。 ■ 30年戦争 ■
この戦争は、神聖ローマ帝国という枠組みを越えて全ヨーロッパの情勢に多大な影響を与え、
その後のフランス革命に至るヨーロッパの国際情勢を規定することになった(ヴェストファーレン体制)。
1648年に締結された史上初の多国間条約であるヴェストファーレン条約(ウェストフェリア条約)によって戦争に最終的な決着がつけられ、
この結果、およそ300に及ぶ領邦国家の分立状態が確定することになった。
神聖ローマ帝国は、この後も1806年に解体されるまでの間存続した。
オーストリア・ハプスブルク家は帝位は保つが、実態としてはドイツ王ではなくオーストリア大公、
後にオーストリア皇帝として18世紀、19世紀を生き延びることとなった。
長期間にわたる戦闘や傭兵による略奪でドイツの国土は荒廃し、当時流行していたペスト(黒死病)の影響もあって人口は激減し、
交戦国間の経済にも多大なマイナス効果を及ぼすことになった。伝統的な封建階級は没落し、
代わってユンカー層など新たな階層が勃興する契機となり、領邦各国が絶対王政的な主権国家化した。
このような中、求心力を弱めたハプスブルク家に代わりホーエンツォレルン家が台頭、ドイツ民族の政治的重心が北上し、
後世のドイツ統一における、小ドイツ主義の萌芽となった。 >>978
これも定期的に聞かれることですが、初代スレより
>当スレの趣旨は、>>109で述べました通り、
>「実戦指揮官」としての南雲提督を評価する場としたいので、
>指揮していた時の階級である中将を 採用しております。
(改)スレ>>762
ちなみに、靖国の南雲長官に呼びかけるときは、
ちゃんと「南雲大将」と言ってます。
過去スレで探してみてねん >>979
いやぁ、まさにそれがスレ立ての動機ですね。
本職は、性格がひねくれもの故に、そういうことを言われると、
ふつふつと興味が湧いてくるのです。
話は全く逸れますが、昔大河ドラマに「平清盛」というのがあって、
当時は映像が汚いとか言われて、評判が悪かったですけど、
本職は大好きでした。
平安末期というのは、貴族から武士への権力移行期で、
上皇、天皇、藤原氏、平家、源氏が入り乱れてとても面白い時代です。
小学生の頃、「平家は貴族にとりいるために和歌や蹴鞠ばかりして、
武芸を怠ったから源氏に滅ぼされた」と思っていましたが、
この大河を見て、その理由が理解できました。
本職は身内同士で殺し合う源氏よりも、
当主宗盛が頼りなくても裏切ることなく、一族揃って壇ノ浦に沈む
平家の方が好きですね。
・・・あれ、何の話だったっけ >>980
世界史は詳しくないですけど、三十年戦争は悲惨すぎて救いがないですよね。
その頃、我が国は徳川治世による平和を謳歌していたのに >>975の続き
>>746の通り、陸軍の連絡将校が、飛行機でハワイへ戻ろうかと
考えるほどに、ミッドウェー島の通信施設は機能を制限されていた。
言うまでもなく、こういう事態にしたのは誰かというと、
友永隊の攻撃による戦果ですね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。