【局地戦闘機】雷電その12
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まぁ末期零戦は剛性上がってるからな
リプロの22型も外板を分厚いものに変えたお陰で機動性上がってるらしい
通称スーパーゼロ 雷電で高度10,000mでIAS160kt出たんだなTAS510km/hくらいにもなるんだが
それだけ出ててエンジン全開でアップアップ状態でないと高度維持できないとか・・・
零戦や隼が高高度性能良かったのが翼面荷重のおかげだとよく分かる話だた >>200
そのスーパーゼロはプレーンオブフェイムの52型に全くついていけない運動性らしいけど 9千以上じゃF6Fが翼面荷重184kg/m^2あっても流石に零戦周り負けるけどな
二段式にした栄のハ315エンジンなるものが企画されていたようで、低翼面荷重と高空エンジンが組み合わされば最高の高高度戦闘機が出来上がるな >>202
そうなのか?それは初耳だなぁ
まぁでも、52型はロールレートがまともになってるからな 宙返り→22型
それ以外の機動→52型って感じやろね
リプロの22型はエンジンもR1830(1200馬力)に換装してるからパワーもちょっと高い
全力出せる機会がそもそも限られるんであまり意味無いけど… 200ノット以上または9千以上で周り負ける
200ノット以上の領域はリプロ22型みたいに剛性上げれば解決
高空ではまず過給機
これで低空高空低速高速いかなる時に於いても周り負けない ってこれ限り無く22型スーパーゼロじゃねぇか!
(いやこのR1830はF4Fの二段式のとは違うタイプだろうけどな) >>203
全開高度8000mと聞くとロマンに胸踊るが
フルカン二段過給と言う段階でロマンを突破して絶望しかない
なぜ戦時にそんな身の丈に合わない仕様で作ろうと思ったのか >>207
思うんだがハ43とか全く新規のエンジンを上手く回る様にするのと、既存の栄に補機類をペッてやるのじゃ後者の方がまだ出来たんじゃねぇかなって思う
実際はそのハ43にまた排気タービンとか、誉にフルカンや二段三速とかやるつもりだったわけだからアレなんだけど… 栄31型が成功してたら最強の零戦ができたと思うんだ 碇先生の本だったか、誉エンジンの軸受けの開発者で、散々改良加えた後で軸受けが壊れたで担当者はすげぇ疑われて遺憾だったらしい
んで他部位の剛性不足で撓んだ軸がガリガリ削ってたのが原因って判明した話というオチとか見ると、どっかが壊れてもその部品が悪いとは限らないんだよな
撓んだ他の部品に破壊された可能性まで考える→キリが無くねる
エンジンの設計難しすぎる
二千馬力の回転に耐えるエンジン作るよりかはまだ二段二速とかフルカンやった方がマシじゃねって気がしてきたぐらい >>179
戦闘407の本田稔さんは6月2日の対コルセア戦(空母シャング
リラ)を
三四三空で体験した唯一の典型的優位戦だったと言ってる
(本田さんが全ての戦闘に出たわけではないけど)
この時紫電改21機対コルセア16機の戦いで撃墜報告18機(隊誌。防衛省戦史公刊で13機撃墜)未帰還2機
実際のコルセア損失4機、要修理2機
やはり最初の一撃でイマイチ成功してないっぽい
約半数が経験不足のパイロットなのもあるけど
先頭で引っ張る指揮官が本田さんほど百戦錬磨ではないのが大きいのかも
兵学校出の指揮官は大事にされてて凄腕のパイロットを護衛役に着けたりしたから余計戦闘力が落ちる傾向 なんだ普通に勝ってるのもあるじゃん
源剣でミソが付いたけどそれでもやっぱり十分強かった方でFA? >>206
またデタラメ書いてるじゃねぇか
米軍のテストだと零戦とF6Fの旋回は9,000mで逆転するが
200kt以上で逆転するのはロールだけ
ロールも零戦に急降下でもさせないと逆転できないし 空中戦で一番重要なのは早期警戒が出来るかどうかだよな
シンガポールのバッファローはほぼ負け続けていたが全期間中に有利位置から戦えたのは1942年の1月18日のみ
この日ニニ航戦の零戦を1機の損失で2機撃墜している
本土防空戦とは真逆で開戦初期のフィリピンやシンガポールでは奇襲と数の優勢で押しつぶしている https://i.redd.it/mwz74m56heq31.jpg
こんななっても帰ってくるんだぞFG-1Dコルセア
しかも胴体着陸じゃなく脚出して着陸
6月22日奄美大島付近で三四三空紫電改に撃たれたVMF-113アルソン・C・フレーザー機
落下タンクが落ちない状態で空戦 >>215
このアルソンさん、その後どんな人生を歩んだのか知らんが
ちゃんと生きて戦後を暮らしたなら
孫や子にこの写真を見せてすっげー自慢とかしてたんだろうな >>215
火災起きなきゃ米軍機なかなか落ちねぇもんな…
陸軍のホ5は炸薬のうち大半が焼夷剤で着弾したらアチアチに燃えて火災起こす
ベトナム戦争でもアルミ装甲の米軍装甲兵員輸送車が焼夷徹甲弾で黒く燃えて、修理を請け負った国内の業者が「アルミはアカンな・・・」って思ったらしい これは・・・
撃墜に誤認しても責めてはいけませんな 302空は有名は有名でしょ
8/15日の空戦のあと厚木航空隊事件を起こす
こいつらのせいで終戦が変に伸びた 俺たちの戦いはまた終わらない
小園指令とドゴール将軍どこで差がついたのか どこに亡命政権作るんだよ、支援してくれる国が皆無なのに スターリンなら朝鮮半島全部占領して本土に進攻する口実ができたと喜ぶ(ry 少数対少数とはいえ、末期の連合軍戦闘機と互角にやり合ったって普通に凄いわ302空
しかも零戦っていう さっさと降伏しなかった為に、逆にスターリンはこれを利用して
樺太・北方領土等の占領口実になったからなw
8/15までだったら大陸の支配地域やいらない戦闘損失も結構差があっただろう。
かなり国賊 コイツらが反乱したのってよほど活躍に自信があったのか?
それよりもこれだけ増長するほど武勲立ててたのかも
戦中の302空キルレシオが気になる 首相官邸占拠して停戦派を粛清して阿南をトップに据えて戦争継続するつもりだった陸軍将校らに比べりゃビラ撒いただけの海軍302空なんて可愛いもんだ
実際に決起で攻撃してるからな陸軍は >>181
沖縄戦だと特攻対策で低中高の三段でファイタースイープさせて
どれかが日本機と交戦したら別高度の編隊が応援に来てたから
無線で応援呼ばれたのをそう感じたんじゃなかろうか >>202
ちょっと眉唾だな
POFの零戦はオリジナル度が高いから栄の出力を8割以下に制限されてるから全力機動できない
再生産22型は補強で翼面荷重がかなり高くなって低速での運動性が落ちたんだろうか >>215
343空の初陣でも増槽落ちないのにそのまま空戦して紫電改を撃破までしたF6Fがいたけどすごいよな
機体性能が明らかに落ちて撃墜される危険が高まってるのに引き返さない
日本機をナメプしてたのかそれだけスコアあげたかったのか ロシアンゼロは所属アビエーターが他の大戦機と乗り比べて機動性が良いと口を揃えてるね
特に上昇力とロール性能は圧倒してるそうだ
速度が高くなるとエルロンが重くなるのもオリジナルと共通 >>225
戦闘行動の完全停止が何日か調べてみればさっさと降伏しようが関係ないとわかるぞ
無知は罪 >>230
皆が必死に戦ってるのに
「あ、自分増槽落ちないんで定時ッス。あとよろっ~」
とは行かなかったんじゃないかな・・・
マクガイアが増槽を落とさなかった理由は判然としないけど
こっちも落ちなかったのかも >>229
エンジンが150kg位重くなって出力が200馬力位上がってるだけなんだから劣っててもさほど不思議じゃないと思うけど 本土空襲時は基本、あくまで爆撃任務中の自己防衛だから
増槽と爆弾すら捨てない状況も多い
増槽は特に捨てると帰れなくなる範囲である事も多い
爆弾捨てさせたら十分任務こなしてる ジェームズジャバラみたいに故障でタンクが落ちなくても運が良ければ助かってエースになれる
空で運が良くても地上では運が悪くてポックリ死んだりするが・・・ マリオン=カールの死に方ほど悲しいものは無い
母国の未来のために命を掛けて戦って
その母国に訪れた未来の申し子に殺されるとか そうなんだよな、結局爆弾と増槽抱えて防戦してるだけだから
必然的にダイブアンドズームくらいしかできない 同日のもっと早い時間帯で起きた252空vs第37任務部隊の空戦では、
F6Fより遥かに航続力が短いシーファイアが
自身の1/3以下の零戦相手に増槽を投棄して戦ってるのに
自らの倍の機数に襲われたF6Fが爆弾も増槽も投棄せずに空戦やってるとは思えんな
あ、ちなみに252空の方は当たり前だけど惨敗してる ポツダム宣言受諾通告後に来襲した176機の米軍機
昭和20年7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の首脳が日本に向け、降伏を呼びかける
「ポツダム宣言」を発した。日本政府は、日ソ不可侵条約を結ぶソ連の仲介による和平に
一縷の望みを託し、またポツダム宣言が日本の国体、すなわち天皇を中心とする国家体制の
維持について不確定な内容であったため、いったんは黙殺を決めた。
ところが、B-29が8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾を投下、9日にはソ連が日ソ不可侵条約を
一方的に破棄して対日戦に加わり、ポツダム宣言にも名をつらねる事態になると、もはや日本には、
本土に敵大兵力を迎えての本土決戦か、ポツダム宣言を受諾して降伏するか、いずれかの道しか
残されていなかった。
日本政府は8月9日の御前会議で、「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定、
10日、中立国スイス、スウェーデン経由で連合国に伝えられた。 8月14日、日本政府は改めて御前会議を開き、ここで天皇自らの意思でポツダム宣言受諾が
決定され、終戦の詔書が発せられた。
そして8月15日正午、天皇が国民にラジオを通じて終戦を告げた。「玉音放送」である。
日本がポツダム宣言を受諾したことは連合軍にも伝わっている。だが、玉音放送に先立つ
8月15日午前5時30分、敵艦上機176機が、二波に分かれ、ダメ押しをするかのように
関東上空に来襲、日本側の航空基地を爆撃した。霧の濃い早朝だった。 タングミーア基地No.145スコードロンの整備員だったエリック・マースデン氏の言によると、
1940年にスピットファイアだけだったら敗けていたろう、
燃料再補給と再給弾の「ターンアラウンド」時間が、スピットファイアは26分もかかるが、
ハリケーンはたった9分で済んだ。
https://twitter.com/Mossie633/status/1264539638628114434
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「千葉県の茂原基地を発進した日高盛康少佐率いる第二五二海軍航空隊(二五二空)戦闘三〇四飛行隊の零戦15機、
神奈川県の厚木基地を発進した森岡寛(ゆたか)大尉率いる第三〇二海軍航空隊(三〇二空)の零戦8機、
局地戦闘機雷電(らいでん)4機がこれを迎え撃ち、三〇二空がグラマンF6Fヘルキャット戦闘機を4機、
戦闘三〇四飛行隊が英海軍のスーパーマリン・シーファイア(スピットファイアの艦上機型)戦闘機1機、
グラマンTBFアベンジャー雷撃機1機、フェアリー・ファイアフライ複座戦闘機1機を撃墜した。
この空戦で三〇二空は零戦1機、雷電2機を失い、搭乗員3名が戦死、戦闘三〇四飛行隊は零戦7機を失い、
5名が戦死している」 「8月14日の晩、太平洋を北上してきた敵機動部隊の接近の情報がもたらされ、
邀撃(ようげき)態勢をとることを命じられました。
それと同時に、明日15日正午、天皇陛下の重要放送があるから必ず聴くように、
と言われましたが、出撃準備しながらですから、まさかそれが終戦を告げるもの
だとは思わなかったですね」
と、この日、戦闘三〇四飛行隊零戦隊を指揮した飛行隊長・日高盛康少佐
(故人・1917年−2010年)は、筆者のインタビューに答えている。 午前3時半、総員起床。ほどなく、索敵機による敵機発見の報告が入る。
これは、午前4時半に房総半島沖のアメリカ、イギリス両海軍の空母を発艦した第一波の103機だった。
「茂原基地を発進したのは5時半でした。高度を6000メートルにとり、編隊を組み終わったところで、
東から敵機の大群が一つにかたまって向かってくるのが見えた。
その数、100機以上。こちらは15機。編隊空戦では、先頭を飛ぶ指揮官機が敵の指揮官機をまず狙うのが
定石ですが、これだけ機数に差があると、まともに先頭を狙っても後続機にやられてしまう。それに、
正面からぶつかれば太陽がまぶしくて不利。
そう考えて、敵編隊の最後尾を狙い、太陽を背にして後上方から突っ込みました」 「零戦隊の襲撃に気づいた敵機は、すかさず反撃してきた。たちまち乱戦となり、
早稲田大学出身の本間忠彦中尉機は、アベンジャー雷撃機に命中弾を与えたところで
英海軍のシーファイア戦闘機に燃料タンクを撃ち抜かれ、炎に包まれた。
本間中尉はからくも落下傘降下するが、顔に大火傷を負った。阿部三郎中尉機も
潤滑油タンクを撃ち抜かれ、不時着。
田村薫上飛曹機はシーファイア1機を撃墜したが、自らも被弾、墜落した。」 吉田勝義飛曹長は、鹿島灘方面から侵入してくる敵機を房総半島の久留里上空、
高度5000メートルで捕捉。1機を追尾して、敵機が機首を上げて反撃しようとした瞬間、
20ミリ機銃2挺、13ミリ機銃3挺の機銃弾を撃ち込んだ。
「とたんに敵機の右主翼の3分の1と左水平尾翼が吹っ飛びました。墜落する敵機をかわして
右下方に抜けたとき、後席の敵搭乗員が脱出し、黄色い落下傘が開くのがチラッと見えた。
昭和18(1943)年、豪州本土上空で何度も戦いましたが、イギリス軍の落下傘は黄色だったんです。
敵機は、富津岬のあたりに墜ちていきました」 「厚木の三〇二空では、終戦をめぐって叛乱事件も起きていた。
正午の玉音放送が終るやいなや、徹底抗戦を主張する三〇二空司令・小園安名大佐は、
準備していた檄文を全航空部隊に向け、無線で発信させた。
次に国民向けにも抗戦を呼びかける大量のビラを用意し、8月16日から18日にかけ、
飛行機を飛ばせて、北は北海道の函館から、南は九州の福岡、長崎までの日本各地に撒く。
陸海軍のおもだった航空部隊には直接、飛行機を差し向けて、決起への参加を呼びかけた。
厚木の叛乱は、海軍の他部隊の賛同を得られなかった。
私がインタビューした限りでは、長崎県の大村基地に展開していた第三四三海軍航空隊飛行長
志賀淑雄少佐は、厚木からの使者を、「わが隊は行動をともにしない。余計なことをするな、帰れ!」
と一喝して追い返し、福知山基地にいた筑波海軍航空隊飛行長 進藤三郎少佐も、
厚木から、降伏の軍使を乗せた飛行機を撃墜しろとの要請を、味方機を撃てるか! と断った」 「だが、玉音放送は国民に終戦を告げるものではあっても、陸海軍に対する
「停戦命令」ではない。
大本営が陸海軍に、
〈停戦交渉成立ニ至ル間 敵ノ來攻ニ當リテハ止ムヲ得ザル自衛ノ為ノ戰闘行動ハ之ヲ妨ゲズ〉
(要約:停戦交渉が成立するまでの間、自衛のための戦闘は妨げない)
との条件付きで停戦の命令を出したのは、玉音放送の翌8月16日午後のことである。
8月19日、海軍軍令部は、支那方面艦隊をのぞく全部隊にいっさいの戦闘行動を
停止することを命じるが、その期限は8月22日午前零時であった。」 要するに単なる通常任務として迎撃は当日以後も続いてたわけで
厚木の反乱事件で八月十五日の空戦が起きたと勘違いした恥晒しが居ただけの話だな >>243
ルフトバッフェが戦略ミスをしている以上その程度のことで勝敗が変わるわけないだろ、というのは野暮か >>234
それは互いに全力運転を出した場合でしょ
POFと同様にロシア22も8割制限かけた対等な条件ならありえなくもないが 実際の空戦なら20,000ftとかの上空だから全開運転できるかもだけど航空ショーなんか
地上から何やってるか見えるような低空飛行だから大してブーストしてないのでは
スピット担当のアビエーターはスロットル半分も開けた事無いって言ってたし >>252
実際、ロンドンへの夜間爆撃に切り替わる直前までの基地攻撃で、英空軍はギリギリまで追い詰められていたわけで、そのことじゃないのか 再生機の評価はパイロットによって全然違うからな。復元機のパイロット曰く、
POFの機体は運動性面でかなり高評価。一般に言われるロールも軽快な上左右で大して変わらんと。
「機動についていけない」の定性的な解説が欲しいな。ロールなのか宙返りなのか。もし超低速でくるくるするだけの話をパイロットがしていたなら軽量な52型の評価有利になる。
件の剛性の話では機体剛性を語るべき高速域の話題においてそれを引っ張ってくるのは不適切ではないかな? 当時の戦闘機の空戦速度が超低速とかありえん
エアレースの軽量機でも350km/hで旋回時10G超えて失格するレベルの速度出てる
500km/hも出てたら今のタービン機と変わらん高速飛行 >>256
実はそのとき、追い詰められていたのはロンドン防空担当の第11戦闘機集団だけで
イギリス本土に実戦配備されていたスピットファイアやハリケーンの半数以上が他地域で暇してたっていうオチ ロシアンゼロは特集DVDでアビエーターが欧米機よりロールが早いと証言してるし
主翼幅の2/3を閉める長い補助翼のおかげだと紹介してたな
彗星艦爆は小さい主翼で離着陸の揚力を稼ぐために主翼幅の2/3がフラップで補助翼が
1/3しかないので戦闘機に転用された時に最低限のロールをこなせなくて不満が出た話も フラッペロンってあの時代は無理なんかな
無理だからどうしようもなかったんだろうけど Bf109はフラップを下げるとエルロンが両方一定量下がる機構がついてたし
最近発見された烈風改の図面は二分割エルロンの内側がフラップ作動時に同調する機構付き あと彩雲もBf109と同じエルロンフラップになってたね
探せばいっぱい出てきそう 「グラマンF4Fは「マートレット」の名で4型までに四三〇機以上送られたことになるが、
ヨーロッパ戦線で使われた戦訓を取入れられることは、アメリカにとって大きな利点であった。
しかし、名にし負うドイツ空軍相手のものだから、なかなか要求は手厳しい。
「メッサーシュミットなどにくらべ、スピードが物足りない。せめて最高五五〇キロ以上ないと……」
「余剰馬力が少ないから上昇率がわるい。毎分九〇〇メートルくらい必要だ」(F4Fは約八〇〇メートル)
「火力不足だ。銃をふやすか携行弾数を増量してもらいたい」 「この軽快で高速の戦闘機、その勇敢なパイロットたちは、
すべての相手を撃破してあばれまわった。
“奴らはただのネズミではなかった。奴らは操縦桿(かん)をにぎった空の鬼だ”
と米英のパイロットは、くやしがった。
そして太平洋戦争開戦以来、零戦による大損害の報告は前線から殺到したが、
首脳たちは信じようとはしなかった。
その間、零戦は太平洋の大空を支配した。」 >>259
戦争に負ける時はそうやって負ける。
フランス空軍を見てみろ よっぽど悔しかったのは伝った
平日の昼から長文連投とは無職は暇でいい
302空も長文コピペIDの戦いも終わっていない 「米軍が、零戦を過小評価したという許しがたい過ちは、
古くさくなったブルースターF2A『バッファロ』戦闘機に大きく依存していたことで
説明できるであろう。
この飛行機は、アメリカのパイロットたちが“東洋において最も強力な戦闘機”であり
“日本の航空部隊のどれよりもはるかにすぐれた戦闘機”と誇ったものであった。
零戦と対戦する『バッフアロ』のパイロットは、文字どおり、自殺的飛行に飛びたつことになった」 エルロンがフラップに同調して下がる機体は揚力中心の後ろズレが大きいから機首下げが強く出る
特にファウラーとかWスロテッドとか翼弦長/翼面積増を当て込んだフラップだと強烈
迎え角が取れないと揚力が増えないし操縦桿引き続けるのも大変だから
水平尾翼の取付角度を切り替えられる機構を着けている機体も多い
ついでに言えば脚を出すだけで機首下げを起こす機体も多くて
F6FやP40の後方引込機が分かりやすいけど内外引込機も程度の差はあれ同じ傾向
引込む時は主翼前縁より後ろに納めるのに降ろした時は前縁より前に突き出すから重心が前に移動する >>266
ドーバーの制海権を獲れない以上イギリスの勝ち確なんだが >>271
イギリス本土の防空体制なんてどうだろうが勝敗に関係なし、と。 >>270
Bf109や彩雲は前縁スラットとセットになってるからそういうのは釈迦に説法って話じゃないかね >>272
逆に大半の航空隊が健在なのに降伏とか国民にどう説明付けるんだよ…。 >>272
ifの話ならそうだし、史実でのバトルオブブリテンでも
期間中イギリス空軍は常にドイツ空軍よりも戦闘機パイロットも戦闘機も数的有利だったけどな
ドイツがイギリス上空の制空権を獲る可能性はまったくなかった。
戦闘機の生産数も戦車の生産数もドイツの2倍以上あったのが1940年のイギリス 第10、第11、第12、第13戦闘集団相手に第3航空艦隊(と第5航空艦隊)が勝利するのか
無理ゲーやん
そもそも第11戦闘集団相手に苦戦してる時点で とはいえファイタースイープに絞ってやられてたらやばかったのよねん
ドイツが余計な爆撃しだしたおかげで助かってるけど >>270の説明がデタラメだろw
スタビライザートリムは別にフラップ作動時にピッチコントロールできなくなるから
付いてるわけじゃないぞ
迎え角が増えないと揚力が増えないとか飛行機の飛ぶ理屈が分かってないんじゃないの
なんのためにフラップ出してるのかとw まさかロンドン爆撃しなかったらドイツ軍は勝ってたって伝説を本気で信じている奴居るの? BoBの始まった頃はドイツ側が3倍だかの戦力だったんじゃなかったっけ 「多くの戦史家は、もしドイツ空軍が、そのすぐれた「Me一〇九」に、さらに航続力をつけたなら、
防御する「スピットファイア」のうけた損害は、もっと大きくなっていたであろうと信じている。
歴史は、明らかに、これを実証している。
メッサー・シュミットに搭乗して英国上空に侵攻したドイツ空軍の護衛戦闘機隊のパイロットたちは、
大空中戦の最中に、燃料不足から戦闘を中止しなければならないことが、しばしばあった。
こうしてドイツ爆軍機隊はハリケーンとスピットファイアの銃火にさらされることになったのである。
これにくらべて、零戦は、そうした弱点はもっていなかった。
零式艦上戦闘機は、世界中のいかなる戦闘機にくらべても、空戦性能がすぐれていたばかりでなく、
航続力においてまさっていた――航続力は非常に大きく、当時、航空戦略家で、この戦闘機が、
このような性能をもっていたと信じたものはすくなかった。
零戦にとって二二〇〇キロの飛行〔補助燃料タンクつき〕は日常のことだったが、当時、
連合軍の戦闘機がイギリスの基地からベルリン〔ロンドン〜ベルリンは約九〇〇キロ〕に飛んで、
かえってくることなど、全くの夢物語と考えられていたのである。」 バトルオブブリテンレベルで降伏とか
日本の本土防空戦とかどうなるんよ
他の国の基準なら何十回降伏してんねんってレベルだよな
爆撃機絶望的に落とせてないもんな
機数の差はもっと絶望的 アホか
バトルオブブリテンでナチがバーミンガムに原爆落としてたらチャーチルでも小便漏らして降伏してるわw 「小林氏は後に、B29爆撃機10機を含む、敵機12機を撃墜した「本土防空戦のエース」となる。
B29の大編隊を迎え撃ち、6機撃墜・2機撃破の大戦果を上げた。
このとき、四宮徹中尉は、B29への体当たり攻撃で片翼をもぎ取られながらも無事帰還した。
中野松美伍長は、B29の真上に張り付く“馬乗り”の姿勢で、B29の胴体をプロペラで切り裂いて撃墜し、
生還した。板垣政雄伍長も、最後尾を飛んでいたB29に体当たりして帰還した。
B29は11人の搭乗員を乗せている。従って、1人乗りの「飛燕」が体当たりして撃墜すれば、
11倍の敵と刺し違うことになる。
当時言われていた「一人十殺」は単なる掛け声ではなかった。
先の戦争におけるB29の被害機数はあまり知られていない。
本土空襲にきた約3万機のうち、何と、陸海軍の本土防空部隊によって485機が撃墜され、
2707機が撃破されていたのだ。」 妄想は架空戦記のスレでも立ててやってくれ
スピットファイアとハリケーンが勝者だってのは揺るがない
Me109は駄作ではないがスピットファイアを圧倒するような機体でもない
スピットファイアの航続力はイギリス用インターセプターだと思えば納得出来るし、正にその任を全うした BoBを見てなおかつ双発戦闘機の夢を見てるやつはバカ丸出しだ
特に生産力で劣る側が双発戦闘機なんて作ってんじゃねえという結論になるし
遠距離戦闘機も戦兼爆も十三試戦兼爆ではだめで十二試艦戦ベースしかあるめえとは思わなかったのかな?
ドイツの敗因は戦闘機に使える高性能エンジンを双発戦闘機のMe110に回したことだ
いわんや陸攻なんかに名発の生産力を全部割り振ってる場合じゃない
中島の戦兼爆に栄二一型を回すのもヤバそうな話だ
あるいは源田少佐も彼のレポートを受けた航空本部も機体の技術的なことは分かっても
英独の生産力や生産機種の差とかそういうところまで頭が回らなかったのか
ともあれ雷電が早期に大成してたら海軍は戦闘機第一主義に移行できたのだろうか。陸攻の生産数を絞り込んで 「英空軍は、零戦の猛攻を、これまで「バッファロ」と「ハリケーン」戦闘機で食い止めようとしていたが、
ヨーロッパの空戦で経験十分な「スピットファィア」の部隊をイギリス本土から急派した。
「スピットファィア」はすでに、史上最も優秀な近接戦の戦闘機として折り紙がつけられていた。
確かにそれは、ドイツ空軍の強力なメッサーシユミットー○九E型戦闘機に格闘戦では勝つことができた。
しかし、太平洋戦域でのルールは明らかであった。 零戦と格闘戦をするな。
「スピットファィア」のパイロットたちは、このルールを書きなおそうと意気込んでやってきたのである。
彼らは「スピットファイア」こそ世界最良の戦闘機であると思っていた。
わずか二回の戦闘で、零戦は二七機の「スピットファイア」のうち一七機を撃墜、
自軍はわずか二機を失っただけであった。
「英空軍のパイロットたちの戦術は、ドイツ軍やイタリア軍にたいしては、
すぐれた実績をあげたが、カルワザ的な日本軍にたいしては自殺行為であったのだ」 Me109は航続範囲内なら爆撃機をキチンと護衛できてるけど
ゼロ戦なんか航続範囲内でボコボコに爆撃機落とされまくってるから
いい戦闘機だよ 「零戦は、ミッドウェーにおいても、日本軍が希望した通りに、威力があったのである。
ミッドウェー島にたいする日本軍の第一回の攻撃のあいだ、三六機の零戦は
七二機の急降下爆撃機と雷撃機の護衛をした。
ミッドウェー島から約五五キロ離れたところで、二七機の米軍戦闘機
(そのうち二〇機はブルースターF2A「バッファロ」、七機はグラマンF4F「ワイルドキャット」)が
日本軍の編隊に突っ込んできた。
零戦は、余りにも速く、余りにも効果的で、米軍戦闘機はたいしたことはできなかった。
二七機の米軍戦闘機のうち、少なくとも一七機はたちまち空から姿を消し(米軍もこの損失を認めている)
そのほか七機以上が大破、生残ったパイロットの大部分も負傷していた。 零戦もMe109もP-51も対空砲火から爆撃機を守ってやることは出来てないわけで
さらに言えば援護してる爆撃機の機種が違うからそんなこと言い出してもしょうがない >>288は前スレのコイツだろ
>>723 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2020/05/11(月) 00:23:52.52 ID:OwLTGUsL [2/2]
俺がゼロ戦擁護必死マンのロジックをまとめよう >Me109は航続範囲内なら爆撃機をキチンと護衛できてるけど
そんなにMe109はキチンと護衛出来てたっけ? グロスター岬の飛行場からラエなんて
200kmぐらいしかないのに
ラエ・サラモアの戦いでは爆撃機どころかダコタで空輸して
その後も目と鼻の先の上陸作戦を許しまくり
空挺部隊の大量降下までされる有様
上陸部隊と空挺部隊に囲まれた第51師団は
サラワケット越えしないといけない有様
目と鼻の先の見方すらまともに護衛できないのがゼロ戦の痛い所 「空母部隊の防護のためにも、零戦はよく戦った。零戦は空母部隊の対空砲火による防御と協同して、
米軍の航空攻撃阻止に大きな威力を示した。最後の瞬間、そして運命的な瞬間、六機のグラマンTBF
[アベンジャー」雷撃機が銃火の洗礼を受けながら日本軍空母部隊に突進した。五機は撃墜された。
マーチンB26「マローダー」四機が低空を高速度で飛込んでいった。零戦と高角砲がその二機を撃墜した。
二八機の海兵隊急降下爆撃機、チャンスボートSB2U「ビンディケータ」とダグラスSBD「ドーントレス」が
激しく襲いかかった。一二機は火を噴いて落ちた。
第一波の攻撃で、米軍の一九機は日本の軍艦にかすり傷も与えないうちに空から消え去った。
一七機の海兵隊戦闘機は、零戦によって空中で吹き飛ばされてしまった。
零戦は一機を失っただけであった。攻撃は続けられ、被害はひろがった。
空母「ホーネット」から発進した第十五雷撃隊のダグラスTBD「デバステーター」の一五機は、
低空を低速で進んでいった。日本軍は、この雷撃機をことごとく撃退し、自軍には一機の損失も出させなかった。
他の二六機の雷撃機が襲いかかった。日本軍の戦闘機と対空砲火はこの攻撃を粉砕した。
二六機の雷撃機のうち二〇機は海中に叩きこまれた。このときも日本軍には、なんの損害もなかった。」 >>294
200kmしかないってヨーロッパの航空戦にとって200qはしかないといえる距離なのかとか
1943年のニューギニア航空戦の戦況はどうなのかとか
その辺の事情は一切無視な有様
まるでBf109があればラエ・サラモアの戦いでは輸送も上陸も許さないとでも思っているのかな ドイツの爆撃隊のパイロットが「護衛機が自分たちほったらかして戦闘機追っかけて行きやがる」
って文句いっとったな
蜂の巣になるまで撃ちまくられてなんとか帰投したなんて話もよくある >>278
機首下げ=迎え角が減る=揚力が減る
という話なんだが難しかったかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています