やたらと連投しているが
戦間期結局、米陸軍航空隊のフィリピンでの航空基地造成を見て
それを状況証拠としてアメリカは軍縮時代からフィリピンでガチで日本とやろうとしてた、と妄想しているのか。

マッカーサーwikiには
>夫マッカーサーに尽くそうとしていたが、華美な生活を求めたルイーズとマッカーサーは性格が合わず、1929年には離婚が成立している
>離婚のごたごたで傷心のマッカーサーに、在フィリピン・アメリカ陸軍司令官として再度フィリピン勤務が命じられたが、
>マッカーサーはこの異動を「私にとってこれほどよろこばしい任務はなかった」と歓迎している[44]。
>この当時は日本が急速に勢力を伸ばし、フィリピンにも日本人の農業労働者や商売人が多数移民してきており、マッカーサーは脅威に感じて防衛力の強化が必要と考えていたが、
>アメリカ本国はフィリピン防衛に消極的で、フィリピンには17,000名の兵力と19機の航空機しかなく、マッカーサーはワシントンに「嘆かわしいほどに弱体」と強く抗議している[46]。

むしろ、他の州でも問題になっていた日本人移民が
マッカーサーを含めたアメリカ側の防衛意識を刺激したと考えるのが妥当だと思うが。