将棋界の歴史を適当にまとめてみた
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木村義雄 ・十四世名人・常勝将軍
| ・実力制初代名人・名人位通算8期
|塚田名誉十段(実力制第二代名人)
|升田実力制第四代名人・三冠制覇・神
|
大山康晴 ・十五世名人・永世十段・永世王位
| ・永世棋聖・永世王将・五冠制覇
| ・無敵艦隊・終身A級棋士
| ・タイトル通算80期
|二上達也九段・タイトル通算5期
|加藤一二三九段・タイトル通算8期
| ・実力制第六代名人 | ・神武以来の天才・棒銀
|内藤國雄九段・タイトル通算4期・自在流
|山田道美九段・タイトル通算2期
|有吉道夫九段・タイトル通算1期・対内藤
|大内延介九段・タイトル通算1期
現代将棋の歴史を語るなら、
”外敵”と闘うプロ棋士という構図程面白いものは無い、
真剣師と闘うプロ棋士
GHQと棋界存亡を賭けて舌戦をするプロ棋士
将棋最強集団の看板を掛けて将棋電王と闘うプロ棋士。
其処にはリスクを賭けた戦いが有った。
リスクを賭けた大一番でプロ棋士かく戦えり。
此れこそ将棋史で語り継がれなければなるまい。 >>47を元に、最初のとこだけ適当にまとめてみた。
黎明期(1603〜1691年)
それまでのただの遊戯でしかなかった将棋に、
プロ棋士(将棋指衆)およびプロ組織(将棋所)が生まれ、
江戸時代に隆盛を極める将棋文化の基盤が築かれた時代。
【主な棋士】
・初代大橋宗桂(1555〜1634年)
一世名人。1607年、徳川家康から将棋指衆として唯一人俸給を受け、
1612年には囲碁と一緒だったプロ組織から将棋を独立させた。
現存する最古の詰将棋集も残している。
・本因坊算砂(1559〜1623年)
囲碁の初代名人。1588年、豊臣秀吉から碁打衆として俸給を受け、
その後、将棋棋士も含めてプロ組織を率いる事になる。
将棋も宗桂と肩を並べる強さで、宗桂の息子をよく教えた。
・大橋宗古(1576〜1654年)
二世名人。初代宗桂の子。家を継いで家元制を確立する。
更に、弟(初代大橋宗与)と娘婿(初代伊藤宗看)にも家を興させた。
様々な棋書を著したりルールを成文化するなど普及面で功績を残す。
・初代伊藤宗看(1618〜1694年)
三世名人。宗古の娘婿。1635年、伊藤家を興す。
在野棋士を悉く打ち負かして家元の権威を守る。
自らの子を養子に送って大橋家を断絶の危機から救い、名人も譲位する。 >>1の升田の実績が三冠制覇ってだけでショボく見えるけど、確か当時
タイトルが三つしか無い時代での三完制覇で、羽生が「もしあの時代に
タイトルが7つあったら、七冠制覇していたでしょうね。当時の升田先生
の棋譜からはそれほどの勢いが指し手に見える」ってどこかで言ってた。 最初は名人戦のみ、そこから7大棋戦まで拡大したわけで
タイトル占有率でいえば大山が羽生を(多分)凌いだり
3冠でも全冠制覇だったり獲得数だけじゃ表せないよね 今では段位は実績を表すだけのものだけど
昔は神田事件とか、下位者は黙れ発言とか結構重要だったんだよね 順位戦できるまでは、名人位決定リーグ(今のA級)=八段リーグだったからね
八段は10人くらいしかいなくて、九段は名人だけだった
だから読売が創設したのは「九段戦(=名人に準じ並ぶもの)」だった >>65
スレチ脱線してしまうけど・・
いくら読売が力(金)まかせに九段戦→十段戦→竜王戦と名人に並ぶものにしようと頑張って
(契約金額や賞金額が高いので)「棋戦としての序列は最高峰」を譲ってあげても
名人こそが最高の名誉・名声であることは絶対に譲らないよなあ
脱線ついでに・・
いきつけの道場でたまに元奨(30年ほど前に大学進学のために退会して親の会社継いだ)で今でも少しプロ棋界と繋がりがある人と交流あるんだが
名人は別格として、多くの棋士は竜王や王将・王位よりも「棋聖」のタイトルを一度でいいから名乗りたいらしい
「プロの将棋指し」としては「棋聖」こそが名人に準じ並ぶ光栄な呼称らしいね
プロ棋士みな表立っては言わない(言えない)が、プロ棋士にしかわからない想いだとか >>66
前半は「棋界(連盟)は」が主語ということです
ちょっと言葉足らずだった >>65
>>66
へぇ、この時代だと九段は名人か元名人を表してたのかもね。
衆知の通り今はタイトル経験の無いの9段が多数いる状況で、
まぁ棋界に貢献したからとか論功行賞的な意味は理解できるけど、
将棋最強の実力集団として看板を揚げている側面もあるわけで、
8段の中でタイトル経験者のみ9段になれる、
とかすれば実力と実績を示す意味で面白かったかもね。
今ならひふみんがアピールした十段をそれに当てても良いかも。
また当たり前だけど、
歴史を知れば、段位もタイトルも初めからあったものではなく、
始まりがあり、形式も絶対的なものでは無く当時の判断の積み重ねで
今のスタイルに至っている、ということが理解できる。
歴史を知ることが重要であるとする所以だね。 >>68
1958年まで、段位としての九段の地位は、現役名人・永世名人のみが保持した
つまり段位として名乗られることは絶対にない段位だった
ただし読売の「九段戦」というタイトル戦があり、タイトル保持者は九段を名乗れた
段位としての九段規定が明確でないころに元名人になったのは木村義雄、塚田正雄の二人
木村は塚田に名人を奪われ2年の間無冠
この間ずっと肩書は「前名人」
そして塚田から名人位を取り返し、翌年升田の挑戦を退け、大山に敗れて失冠、ここで引退して十四世名人に推戴
名乗った称号は名人→前名人→十四世名人
塚田は失冠後、前名人を名乗れなくなり、塚田八段を名乗っていた
しかし九段戦を三連覇し、永世九段の資格を得、これ以降ずっと九段と呼ばれるようになる
1958年に「名人3期で九段」規定ができ、大山・升田(2期だが成績抜群)の二人が昇段
その後1973年に、あなたが言うように八段の中でタイトル取ってないと九段になれない〜という規定になった
30点規定という >>69
おー、なるほどっす。
こういう”歴史”はプロ棋士によってはメディアで語りにくい部分も有りそうだから、
あまり表立って語られることはない逸話だね。
披瀝してもらったエピソードからだけでも、
将棋連盟という人間の集団による人間くさい運営の歴史が伺える。
とても参考になるよ。 明治大正あたりは八段が今のタイトル戦レベルのトップ棋士で、
小野、大矢、小菅、関根、井上、阪田、土居、
のあたりまでは機能してたけど、プロ棋士組織を統一した時に、
今のA級棋士レベルにまで八段の大盤振る舞いをしている。
八段の大盤振る舞いをすれば、
九段まで大盤振る舞いするようになるのは必然。 価値のインフレーションというわけか。
主に卓越したリーダーシップが不在の利害集団では、
では皆さんご一緒に9段にでもなりますか。
と横並びのリーダーたちの間で談合が成立してしまう。
その時は丸く収まっても中長期的視点では集団自体の価値の押し下げを招く。
世間におけるブランドの維持が難しいとされ、
それ故にブランドが成立する所以でもある。 段位インフレーション換算表を作ってみた。
平成 昭和 大正以前
絶対王者=永世名人=名人
永世称号= 名人 =八段
タイトル= 九段 =七段
九段 = 八段 =六段
八段 = 八段 =五段
七段 = 七段 =四段
六段 = 六段 =三段
五段 = 五段 =二段
四段 = 四段 =初段
(タイトルはタイトル経験者)
升田幸三あたりまでは初段からがプロだった。 >>75
九段が”安くなった”なぁw
低段位については三段リーグが
棋士の”品質”を担保してるから良いとしても、
上位の筈の九段が団子状態では、
将棋村のマニアックな世界で煮詰まってしまって、
世間がついていけなくなる。
絶対王者という異能者がタイトルを独占してきた
弊害かもだがそろそろ三千世界の建て替えも必要かもね。 加藤治郎の本では
昔は八段になったら新聞か雑誌の解説の仕事をもらって
対局は引退して道場の経営に専念するのが普通だったとあった 仕事ない割にプロ棋士が多くなりすぎだからな
フリークラスとか無くてもいいのに棋士自身が運営してるからこういうことになるんだよ >>66
成金がどうしても手に入らないのが、由緒ある血筋や家柄っていうしね。
結局歴史ってのは金で買えない。
まあ、竜王戦も200〜300年経てば、そのコンプレックスが解消されるんじゃないかな。
その時代に竜王戦が残ってるかどうか怪しいけどw
八段九段の件は、昭和の時代に囲碁の世界では九段が多いけど将棋の世界では八段がほとんどで
新聞社に賞金の額に差をつけられそうになって、あわてて九段を増やしたっていう説を聞いたことがある。 >>79
賞金額を決める人は囲碁将棋の世界に詳しく、
囲碁の昇段規定が緩いという事情も知ってるので、
それが直接の理由にはならないだろう。
問題になるのは囲碁将棋に詳しくない人に差別的扱いをされる場合。
例えば、一般の会合に囲碁棋士と将棋棋士が呼ばれた時、
囲碁棋士は九段がズラリと並ぶのに対し、
将棋棋士は八段ばかりで囲碁と比べてみすぼらしく見える。 なんという学究的なスレなのか。
学術論文でもいけそう。 将棋の研究者って当然ながらいるよな。盤上遊戯史って言うんだっけ。 >>82
増川宏一さんと木村義徳九段(木村義雄の息子)が、
将棋史をめぐって論争していた頃は熱かったと思うけど、
最近はほとんど進展無い気がする。
将棋検定とかできたのにねえ。
この二人の他に専門家と言えるのは、
故・大内延介九段や堀口弘治七段、大阪商業大学の古作登さんぐらい?
アマチュアで凄い詳しく研究してる人のサイトがいくつかあるけど、
学術的に見てどれぐらいのもんだろうか?
特に中国唐代の「宝応象戯」なんかは、
日本将棋のルーツに迫る超重要な研究になると思うので、
そういう専門家にやって欲しいんだけど。 初代大橋以前や、明治大正期の将棋界の雰囲気とかって意外と周知されてないというかあんまりわからないよね こんな良スレになるとは
>>14>>15あたりは恥ずかしい人種だね 将棋史について本格的に調べて本にしてた観戦記者は天狗太郎と東公平ぐらいかな。
松本博文も詳しい。将棋パイナップルってまだ見れたかな。
大橋分家の墓探しとか、あと二代伊藤宗印の生年調査にも参加してた。 振り飛車+居飛車四大戦法の年別パーセンテージ途中まで作って力尽きた
データはマイボナで使う2chkifのプロ、女流、一部アマの棋譜
https://m.imgur.com/gViq9gM.jpg いつどの戦法が作られて廃れたみたいな戦法史が知りたい 各年代毎のタイトル戦の組み合わせ(3回以上)
〜1959
大山康晴−升田幸三 12回
1960〜1969
大山康晴−二上達也 16回
大山康晴−加藤一二三 9回
大山康晴−升田幸三 8回
大山康晴−丸田祐三 4回
大山康晴−有吉道夫 3回
大山康晴−山田道美 3回
中原誠−山田道美 3回
1970〜1979
大山康晴−中原誠 17回
中原誠−米長邦雄 10回
中原誠−加藤一二三 7回
中原誠−内藤國雄 4回
中原誠−有吉道夫 4回
中原誠−大内延介 4回
大山康晴−米長邦雄 3回
大山康晴−内藤國雄 3回
中原誠−二上達也 3回
1980〜1989
中原誠−米長邦雄 8回
大山康晴−中原誠 4回
中原誠−谷川浩司 3回
中原誠−加藤一二三 3回
大山康晴−米長邦雄 3回
中原誠−桐山清澄 3回
谷川浩司−高橋道雄 3回
米長邦雄−森安秀光 3回 1990〜1999
羽生善治−谷川浩司 15回
羽生善治−佐藤康光 8回
羽生善治−郷田真隆 4回
羽生善治−森下卓 4回
谷川浩司−郷田真隆 4回
中原誠−谷川浩司 3回
羽生善治−島朗 3回
羽生善治−南芳一 3回
谷川浩司−佐藤康光 3回
2000〜2009
羽生善治−佐藤康光 13回
羽生善治−森内俊之 9回
羽生善治−谷川浩司 7回
羽生善治−久保利明 5回
羽生善治−深浦康市 3回
羽生善治−藤井猛 3回
渡辺明−佐藤康光 3回
2010〜
羽生善治−渡辺明 6回
羽生善治−森内俊之 5回
羽生善治−中村太地 3回
渡辺明−丸山忠久 3回 >>92
マイボナはよく知らないけど、平手だけを集めたものだとしたら、
駒落ち戦が多い時代の、香落ち上手の振り飛車が入らない事になるが。
>>97-97
一人だけノンタイトルがいる。
さすが無冠の帝王の名は伊達じゃないな。
羽生と全盛期が被ってなかったらタイトル取れてただろうに。 平手だけでもそれはそういうデータってことになるだけでは タイトル戦の組み合わせでどっちがどれだけ勝ってるかも気になる 丸山が激辛流って、明治生まれ世代ならともかく現代的にはピンと来ない表現だろうな。
辛子や唐辛子で辛いんじゃなくて(塩っぱい)塩辛いであると注釈付けないと。 別にしょっぱい指し方と言ってるわけじゃないと思うけど
甘さが一切ないということでしょ 居飛車の流行は
矢倉→相掛かり→相掛かり減退+矢倉→四大戦法バランス化
振り飛車の流行は
中飛車向飛車→向飛車減退+中飛車四間→四間一強→四間三間中飛車バランス化
って感じかな そもそも文化のない島国の土人で、中国人に漢字を教えてもらうまで文字を知らなかったジャップが
チェス系のゲームを初めて知るという部分の歴史が抜け落ちてるぞ?
中国人が発明した囲碁を、ジャップが始めて知るという歴史は明確なのにな・・・・ それはボードゲーム史の話になるんじゃないの
歴史学と考古学は違うし 大正時代のごたごたは今でもよく理解できない
土居ー木村のところとか その時代特有の考え風潮とか雰囲気は中々わからないよね >>107
正倉院の宝物には中国から囲碁を教わったばかりの頃の碁盤があるね >>106
お前の言い方だとチャトランガも韓国起源とか言いそうだな。 日本人は漢字を中国人に教えてもらって初めて文字を知ったのだが
ネトウヨはそれを認めるのが嫌で
漢字を教えてもらう前から日本独自の神代文字を使ってたと狂信してます 漢字を中国人に教えてもらって初めて文字を知った日本人が
漢字をベースに、片仮名や平仮名を作ったのは教科書にあるとおり 第二次世界大戦まで土民のような暮らしをしていたチョンがなにを偉そうに >>108
阪田三吉の扱いが難しいからね。
今では単に気骨のある大棋士ぐらいに思われがちだが、
当時は悪役に近い状態だったのかもしれない。
トップ棋士が棋界から追放され、16年間も救済されなかったのは、
将棋界はもちろん、囲碁界含めても他に例が無いはず。
(自ら離れた林葉の例はあるが)
将棋界ではせいぜい升田や石橋の1年間の出場停止で、
それも升田はすぐに救済されている。
囲碁の藤沢秀行は阪田に近いケースだが、これも数年で救済された。 久しぶりに棋士年表の加筆を
(タイトル獲得、一般棋戦優勝4回?以上基準 他)
https://m.imgur.com/sdMKebL.jpg
渡辺以降(タイトル獲得、一般棋戦優勝基準 他)
https://m.imgur.com/fJ3q0m5.jpg >>118
タイトル挑戦なんて、江戸時代ならせいぜい六段ぐらいだぞ。 >>89
同意。
どんな偉業も最初は不細工。不細工でもやり出しっぺ(>>1)の功績に勝てるのはいるとしたら先人だけ わざとらしい自作自演のスレを褒めるコメは見ていて気持ち悪いわ 森下九段は意図したものだけど
タイトル挑戦のみで入れてたのを削り忘れてるね >>118
現代棋士が多過ぎるというのは置いといて、
江戸時代に関してはかなり網羅的でいい感じだね。
「幕末〜大正期」は棋界全体が低迷していた時代なので、
取り上げる人数も他の時代より減らすという考え方はあるけど、
どの時代も公平に見るのであればもう少し増やしてもいいと思う。
特に小菅は、関根に一度も負けた事が無い圧倒的な強さで、
棋界統一の功労者でもあるので欠かせない。 明治大正期の有力な棋士を挙げてみると、
大矢東吉:八段。八代宗印や小野五平と次期名人を争った強豪。
妻子に先立たれてからは精神的におかしくなり、将棋も没落して行く。
井上義雄:八段。小林東伯斎の弟子。
弟弟子である阪田が大成する前は、井上が関根のライバルだった。
小菅剣之助:名誉名人。宗印の弟子で通称「笠寺小僧」。
棋力は随一だったが早くに引退し、実業家として成功した。
相川治三吉:五段。宗印の弟子で通称「本所小僧」。
17歳で五段という破格のスピード昇段だったが、早世してしまう。
土居市太郎:名誉名人。阪田の快進撃を阻み、師匠の関根を名人に就かせる。
第二期名人戦では、53歳にして八段リーグ全勝で挑戦している。
ってところだろう。
関西の宗歩→小林→井上・阪田の流れが、
関東の宗印→関根→土居・木村の流れと対立して、
小野は独自路線でどちらとも対立しているという感じか。
時代としては低迷していて混沌としていたけど、
逆に、ドラマチックで面白いかもしれない。 基本はタイトル獲得基準、新人は一般棋戦含めてだから
現代棋士の記述がどうしても多くなるね
何の記述も無しに選ぶと際限無いし
連盟発足前やタイトル戦が少ない時代の明治大正期の棋士に別の基準が必要かも >>128
多くなるのが問題なら、最初に何人ぐらいと人数を決めて、
それに合わせて恣意的に条件を設定すればいいと思う。
恣意的なのが嫌で、最初に条件を設定したいのであれば、
>>75のように時代に合わせた基準を細かく設定すればいいと思う。 どの時代もだいたい密度同じにする必要があるから
現代を削るか、明治大正を増やすかかな
増やすとしていい基準があればいいんだけど 宗歩の紅の赤きが如きってどういう意味だろう
紅というと鮮血を連想するから喧嘩っぱやい将棋みたいなこと? >>130
将棋がパッとしなかった時代については長期間を一括りにしていいんじゃねえの。
パッとしなかっただけに変化も進歩もろくにしねえんだし。
だいたい、古来より歴史書は全てそうしてるわな。
>>102
丸山が表舞台に這い上がってきた20年ほど前はまだニックネーム付け魔の原田泰夫九段も生きていたのよw
河口俊彦さんもまだライターとして現役だったなぁ
将棋ジャーナリズムは今よりもジジイに牛耳られていて、当人たち的には良かれと思ってだろうけどもジジイたちの戦前臭いセンスでキャッチフレーズとかも決められていた時代だったのよ。
だから、激辛流=激しく塩っぱい流 という意味なのよ。
>>108
今は同じ将棋連盟の傘の下でプロ将棋指しはカネを分配されている身分なわけだが、
当時の将棋指しは、プロダクションにも所属しない流しの芸人みたいな立場だから、
特に大阪と東京とでは、お互いにとってぶっ潰してしまいたい商売仇でしかなかったのは当然やろ。 >>132
かと言って、将棋界が最高に盛り上がった三代宗看や天野宗歩の時代を、
ボリュームたっぷりに紹介しろと言われても無理でしょ?
あんまり情報が無いんだから。
情報があるってだけで現代ばかり書くのも歴史の意味が無い。
歴史書のように専門家が書くものは、膨大な文献を読みこなして書くけど、
そこまでできない俺らがどうしたら歴史をそれっぽく描けるかを考えたら、
情報が少ないなら少ないなりにバランスを取るのが1つの方法だと思う。 スレタイの「適当にまとめる」はもはや意味を成してないなw
まぁそれは置いといて・・
@将棋というゲームの歴史
A将棋界(将棋を指すことを本業とする業界)の歴史
B著名棋士の名鑑
C戦形や戦法の変容と発展の歴史
D@〜Cの関連付け
などなど色々とバラけて出ていて、それぞれに議論の対象になっているけど
情報が多くなるにつれてジャンルをバラけさせるしかなくなる(Dは困難になるね)
そうなるといっそのことレンタルWikiでも利用して・・
というか、じゃあ本家Wikipediaがあるじゃん!ってことに・・ 一世名人制が続いていたら
13世関根
14世土居
15世木村
16世大山
17世中原 >>136
いや、スレタイに沿ったまとめは>>31-33でほとんど完成形だと思うのでw
スレの流れは重要だし、多くの情報が集まるのは有益で意義があると思う
でも、それには2ちゃんのスレでは限界があるんじゃないかな
フリーのWikiなどのCMSを利用して将棋関連の歴史のページを立ち上げて複数人で編集していく
+匿名議論の場としてここを利用する、とか
そういう風に専門性の高いサイトを立ち上げたらいいんじゃないかなー、と >>135
関根が亡くなった1946年時、土居は59歳、木村は41歳。
順番で言えば土居だが、木村は20歳の時には頂点に立っていたので、
土居の時代は短かったと思われる。
土居は木村の兄弟子なので、木村が名人を譲るという考え方はあるが、
そうすると木村が名人になれない可能性が出て来てしまうので、
土居の方が辞退するんじゃなかろうか。 まぁ>>31-33を加筆修正するとか言ってた人が何もせず消えたしどうにもならんけど 大山を下ろそうという人はなかなか出なかった、とかなんとか河口が書いてたな。 長期政権の大山連盟会長に対して棋士から不満が出て
米長・二上・中原あたりの働きかけがあって大山が連盟会長辞めることになったんだっけ そうそう
二上は聞いたことないが
弟の会社と連盟が癒着して不透明な金の流れがあったとか
米長が直に辞めろと言いに行った
ちなみに弟のデータ会社はわりと最近倒産した 親族が経営する企業との取引が問題化とか書かれてたな
漢字検定の理事長と似たようなもんだな >>139-140
いや、その加筆修正すると言ってた者なんだが、ワシが試しにやってみたら5行ほどになってしまって・・頑張って盛って1レス分がやっとって感じでw
スレの流れ的には情報量を多くする方向への意向が多いようなので、それならばプロジェクトの場を提供する側に回れるかなと
いちおう自営SEなので鯖あるし、PerlでのCMSくらいなら無償で提供できるので、まぁそういう面で協力できればと
まぁフリーのレンタルWikiで事足りそうにも思いますが・・
という提案ですわ 個人的にはWebスペースの提供くらいの協力ができればと思っていましたが
必要なさそうなので去りますわ 1433勝781敗(0.647)
勝率低すぎワロタ オレは森安8dが亡くなった事件はそんなに大きなニュースだとは思ってない
将棋村ではそら大事件であるのは間違いない
ただ、世間的には 将棋を指すことを職業にしてる人が刺されて亡くなった くらいのもんだからね
スポーツ紙が1面を全面使って報道するほど、なんであんなに騒いだのか不思議に思ってる 大山がA級(69歳)のまま死んだのって結構な事件だよね
生涯現役一線級ってもう永久に達成できないのでは 将棋界の歴史っていうから凸から始まって
スマホまでかと思ってたら真面目に歴史年表だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています