>>132
大正時代は裕福でないと学業で身を立てることは厳しかったが将棋は才能さえあれば身一つでよかった
内弟子制度のおかげで食うことの心配もせずにすんだ

こうした推挙方法は江戸時代の名人が世襲制だったことに起因している
伊藤家と大橋家は名人の権威を維持しなければならないので全国にアンテナを張り才能がある少年を婿養子にして次期名人に推挙するシステムを作り上げた
明治大正になってもこのシステムは残り町道場の木見門下生に当たる師範は有望な少年を見つけると自分の師匠の木見八段に伝えるわけだ
当時のプロ棋士にとって次期名人となる者を育てることほど名誉なことはなかったのもそれが将棋の伝統だったからにほかならならない