ヘルマン・ヘッセ part3
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ねぇジンクレール、君の言う共鳴してしまう精神性ってどういう事なの?
どんな時にそれを有り難くない事だなんて思うんだい?
君だってオナニーしまくってるブタのくせに何を偉そうにほざいてるのさ! >>193
ネット廃人につける薬はないw
クズは相手にするな、沸いてくるから >>192DU Schwul(藁
Ich schäme mich für deine Dummheit. 君らの周りには生きることに謙虚で誠実で思索的な人間っている? 自ら生贄になった雨乞い師親子の話しってどの本に載っていたっけ? 自ら生贄になった雨乞い師親子の話ってどういう意味? >>213
そんな内容の短編を読んだ記憶があるのですが、何に収蔵されていたか思い出せません。 >>214
それ知らないけど、すごいヘッセの主題に合う感じで面白そうだな。まだ自分のなかでヘッセの主題の定義付けは済んでもいないが 孤独を理解させ受け入れて自分のものにするのにヘッセは本当に力になってくれた
人に優しくする事は出来ないけど、人を優しく見つめられるようになった 彼の全生涯は、自分自身への愛なくしては隣人愛も不可能だということを示す実例、
また自己憎悪は、どぎつい利己主義とまったくおなじものであり、
結局はまったくおなじ恐ろしい孤立と絶望を産み出すものだということを示す実例となりました。
こういう状態からなかなか抜け出せない ヘッセに悩み相談の手紙書いて返事もらった人がうらやましい
日本でもまだ大事にヘッセの手紙保管してる人居るかな ヘッセ、T・マン等、青春時代にドイツ文学に親しんだ作家北杜夫の父、
歌人の斎藤茂吉がドイツ留学時代に詠んだ一首をたまたまネットで見つけた
一隊が Hakenkreiz(ハーケンクロイツ)の赤旗を
立てつつゆきぬ この川上に
いち早くナチスに抗議して亡命したヘッセ。
文学は政治に関わるべきではないと主張してナチの席巻を傍観し、
最終的に亡命を余儀なくされたT・マン。
戦前はナチ文学の紹介者、戦中は大政翼賛界文化部長、
戦後はヘッセの翻訳者兼日本ペンクラブ会長として常に勝ち組人生を歩んだ高橋健二。
高橋健二によってヘッセの世界にいざなわれた俺たち。
たまたま見つけた茂吉の歌から色んな感慨が湧いた 高橋健二のヘッセの翻訳すきだったのだが
大政翼賛会文化部長の件を知って以来
彼はヘッセの何を理解していたのだろうと疑ってしまう
翻訳が自分にとってよかったのなら
翻訳者の政治的信条なんて関係ないじゃないの
とも思うのだが・・・ 作家にとって人格と作品の出来不出来は別物。翻訳もおなじと思いたい。
日本の作家・芸術家・知識人って
戦時中協力→戦後くるっと転向
みたいな人が多い気がする
作品の強度も違ってくるだろうね 大政翼賛界文化部長だったり大日本言論報国会会長(徳富蘇峰)だったり
したところで、現代の目からみてそのこと自体を批判の対象にするのは簡単だが、
ことはそう単純ではない。平和主義者であっても、一旦戦争に突入してしまえば、
戦勝を期して言論活動をするのは許されるし、むしろしかるべきことでさえある。
もちろん私は逆に、戦中に軍部を批判して公職を追われたような学者も偉とする。
私が信頼できないと思うのは、戦後180度主張を変えて時流に乗った人々である。
(たとえば現首相の師匠筋に当たる人などがその一人。)
戦後公職追放などになっても節を曲げなかった人、文芸家でいえばたとえば
徳富蘇峰や保田与重郎のほうを私は信頼する。
吉田秀和も嘱託職員で文部省で戦争協力にあたることをしていたと言われるが、
せめて沈黙してくれていれば良い。批判するつもりはない。
難しいからこそ首尾一貫・言行一致が尊ばれるのだろう
ま、考えがころっとかわるのも人間らしいともいえますね ナチ文学の翻訳業もヘッセの翻訳業も当時のドイツ文学主流の紹介という事では一貫している
ただ、高橋センセは戦後になってヘッセにからめて平和主義を鼓吹しすぎたのがうざかった
「お前が言うな」とはいわんが、「お前のことばに誠意はあるのかい」とは言える
ただし社会から断罪されるには値しない。それは当時の文人たちの共通認識でもある
大政翼賛会の文化部長を引き受けたのも業界の事情があったからで
いわば火中の栗を拾わされたのが高橋健二
戦後、日本ペンクラブ会長になったのもそのへんの経緯があったから
ナチ文学の紹介も、もちろん思想的共鳴からではない
現在の目で彼を責めるのは容易いが、俺は絶対に責める側には立つ気はないね
P.S.昨日のマジすか学園2の松井珠理奈はヘッセを愛する不良少女の友愛と激情を熱演して喪男&腐女子の紅涙を絞らしめたw 「愛されることが幸せだと、誰もが思っている。
しかし、実際のところ、
愛することこそが幸せなんだ。」
ヘルマン・ヘッセ >>233
>>234
>>235
ばかやろー
秋元康の歌詞だよ 「愛されるよりも 愛したいマジで」
カルマジーノフ 十何年ぶりにガラス玉読んだが
昔のように入り込めない
年を取るごとに可能性が狭くなり
クネヒトとの違いがより鮮明になり
どこかのすごい人の話を聞いているようで
嫌味ったらしく感じるようになった ゲーテは日記に次のような体験を記している。ドルーゼンハイムの小路を馬に乗って
進んでいたとき馬に乗った自分自身が反対方向からやってきた。その人物は金色をちりばめた
ゲーテの着た覚えのない服を着ていた。それから八年後ふと気づくと同じ小路を馬に乗って
進んでいた。そしてその時彼が着ていたのは八年前に見た服であることに気がついた。
スレチすんまそ サッカーの本田 圭佑もおなじような話していたよ・・・ >>233事故れ狂い氏ね
>>233事故れ狂い氏ね
>>233事故れ狂い氏ね
>>233事故れ狂い氏ね
ヘルマン・ヘッセ
S河の旦那事故死
S河の旦那事故死
S河の旦那事故死
ヘルマン・ヘッセ 「愛されることが幸せだと、誰もが思っている。
しかし、実際のところ、
愛することこそが幸せなんだ。」
ヘルマン・ヘッセ 「なぜかさっきから空を見ているだけで
瞳から涙があふれて止まらない
僕たちがいるこの世界は
誰かへの愛で満ちている」
ヘルマン・ヘッセ? 「失うものに気づいたとき
いても立っても
いられなかった
今すぐ僕に出来るのは
この想いを言葉にすること」
ヘルマン・ヘッセ! 悲しみこらえて微笑むよりも
涙枯れるまで泣くほうがいい
ヘルマン・ヘッセ 「ギロチンに掛けられた人魚の首から上だけが
人間だか人魚だかわからなくなっちゃって
知床の海に身を投げた月の夜だよ。」
ヘルマン・ヘッセ 教室の窓から見る秋は いつも不思議に光ってた
北向きの窓のすリガラス ギリシャの海も見えた
思い出せばもう夢の中 午後の陽射しにまどろめば
遠いアコーディオンのすすり泣く 光と影の世界
やさしい時代を置き去りに やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない
授業をひとりでぬけ出して 空き部屋の窓から空を見た
幾億年もの時の彼方 空翔ける船を見た
思い出せばもう夢の中 一枚の窓のそのむこうに
見しらぬあしたがふるえていた きらめきふるえていた
いくつも街を歩くうちに いつか外の世界は狭くなる
教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない
やさしい時代を置き去りに やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない 夢の行き場がどこにもない
ヘルマン・ヘッセ
「僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを
裸で夜明けの黒人街を腹立たしい一服の薬を求めてノロノロと歩いていく姿を」
ヘルマン ヘッセ メルヒェンをはじめ、ヘッセには好きな短編が多いなあ。 だよなー。
俺もヘッセ読んでから
愛されることよりも、愛することが幸せだ、
って気づいたよ。 >>257体内被曝
>>257一家離散
>>257癌全身転移
愛の使徒 ヘルマン・ゲーリング
そんな殿方には、『車輪の下』の女子学生版『制服の処女』(Christa Winsloe)がおすすめ
>>220
ヘッセにはロックンロールの精神があると思う
「詩人以外の何者にもなりたくない」なんて、
自分の美意識に忠実なロックスターみたい
oasisの「I need to be myself」の精神に近いものを感じる
最近の日本の相対的なことをいうのが素晴らしいみたいな風潮からは
ヘッセみたいな人はあんまり出てこないと思う
日本にロックスターがほぼいないと感じるのと同じだね モーツアルト至上主義でジャズでさえ受け入れられないヘッセがロックとか何の冗談だよw
恥ずかしいにもほどがある。 音楽のジャンルの話じゃなくて精神の話なんですが?
「自分に正直でいる」姿勢とかそういう話
別にヘッセがロック好んで聞いてたとか、聞いてないとかいう話じゃないからw
そもそもヘッセの時代にロックはまだないだろ(笑)
話がわかんなくて恥ずかしいのはおまえ(笑)
おっさんか? ヘッセの文学の美しさと同等のロックはない。
ジャズでさえボロクソにディスってるのにそんなヘッセがロックの精神性も音楽も肯定するわけがない。
クラシックしかあの人はだめなの。
そしてヘッセの文学の美しさと同じぐらい美しいのはクラシック。
ヘッセの精神性を理解したければモーツアルト聴いたほうがいい。
ドイツの美しい自然を音楽にしたならモーツアルトになるし、ロックはないわなぁ。 まぁ、ヘッセが亡くなった後にロックが生まれたわけだから、
ヘッセがロックを肯定したか、否定したかはわからんよね、実際の話
ヘッセがジャズを否定したからって、ロックを否定したかどうかはわからんしね
というか、ただ俺がヘッセの「詩人以外の何者にもなりたくない」ていう自分に正直でかたくなな姿勢が
ロックの精神に近いと思っただけで
ヘッセ自身がロックの精神を持ってると自認してたとは思ってないし
まぁ、そんなとこだわ
ヒッピーにもてはやされてたんだろ?
ロックとの共通点は反体制的で極左アナーキストなところくらいじゃないの?
ただヘッセの「詩人以外の何者にもなりたくない」ていう自分に正直でかたくなな姿勢が
ロックの精神に近いと思っただけ →ロックとの共通点は反体制的で極左アナーキストなところくらいじゃないの?
それがどうかはわからんが、そうなら結構共通点あるよねw ジョンレノンっぽさはある
丸っこいメガネかけてるし ヘッセは全国民的にまわしてまで自分の主張をするけどロッカーがそこまでできるのか。 魂で読んでしまう作家。こういう作家たまにいるなー。 シッダールタ、荒野の狼と感動したので、デミアンを手にしてみたがこれはさっぱりだった デミアンはユングの影響が色濃いよね。
クヌルプやメルヒェンはどうだろうか?
短めの作品でヘッセらしいと思うのだけど。 シッダールタが気に入ったのなら
・雨ごい師、・ざんげ聴聞師、・インドの履歴書
の、三つの履歴書は薦められる。 少年の日の思い出は最高傑作だと思う。
あの作品は少年の頃を思い出させてくれるから。
異論は認める。 デミアンさりげなく日本人が出てくるのがおもしろい
中国人でもなく日本人なのね 少年の比の思い出は高橋訳より岡田訳の方が良いのかね?
簡単に手に入るのは岡田訳の方みたいだけど。 ヘッセが日本に触れてるようなことって上のデミアン以外にある? デーミアンを漫画化するならジョジョの荒木だな
それかカイジの福本 花はみな果実に、朝はみな夕べになろうとし、
移ろい変わり流れゆくもののほかに、永遠なものが地上にあるわけではない。
どんなに美しい夏でさえもいつかは秋の凋落を感じようとする。
葉よ、根気よくだまって辛抱おし、風がおまえを誘惑しようとしても。
おまえのたわむれの遊びのままに逆らわず、静かに成り行きにまかせるがいい、
風がおまえを吹き折るなら、吹かせて家まで運ばせるがいい。
ヘッセの文体の特徴として、植物や生物じゃないものに語りかけるときの柔らかい口調があるな
そこに読者がヘッセに可愛らしさや優しさ、愛着や抒情性、そしてユーモアを感じさせられる
「石よ!お前は私より強い!」とかどんだけ本人に諧謔の意図があるのかわからないが
ヘッセの作品はどれもユーモアが散りばめられている
そもそもユーモアのない小説なんてろくなものがないし、ユーモアのセンスがない作家は才能がない >>287
私は要するに頭が悪いのだ、みなさんのように内容を深く理解したり覚えていたりできない、
ただ単に文字を数えているようなものだ。
それでも涙を流したり笑ったりチンポを固くしたりして読んでいるのだから、
少しは理解しているのだろう。
ヘッセは『車輪の下』を読んでから次々と読みたくなった、
何故か、人生をまじめに考え悩み苦しむ、心の平安を求めて模索する、自然の中に安らぎを見出す、
これが悩み多い自分に合っていたのであろう。
読書メモより
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・すべてのものがどんなに美しく多彩で、光と呼吸がどんなに万物に流れているか、川がどんなに緑に澄んでいるか、屋根がどんなに赤く、山がどんなに青いかに、私は突然気づいた。
・最後の瞬間に目の光がもう消えてしまってから、私は生まれてはじめて母の冷たいしおれた口にキスをした。
すると、その接触の異様な冷たさがからだに伝わって、私は思わずぞっとした。
寝台のふちにこしかけていると、大粒の涙がぽろぽろとしずかにためらいがちに、ほおにあごに手に流れるのを私は感じた。
・いつも数日の孤独な徒歩旅行に出るのだった。
わずかの金一切れのパンをポケットに入れて遠くまで歩き、いく日もひとりぼっちでさるらいに明け暮れ、たびたび野宿することにも慣れた。
・若いブナの木立のふちで、私は枯れたヨモギ草の中にからだを投げ出して、あたたかな日なたで、午後おそくまで眠りこんだ。
目をさますと頭は草原のにおいでいっぱいになり、手足は快くだるかった。神様の大地に長い間寝たあとでしか感じられないだるさだった。
・死は私たちの賢いよい兄弟であってしお時を心得ているのだから安心してそれを待っていればよいのだ、ということを私は突然また悟った
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あぁ、やはりいいなぁ。
「ヘッセの作品はどれもユーモアが散りばめられ...」、私は気づかないでしまった、
『歳月はなんと早く過ぎ去ることだろうと考えた。やがて自分も腰のまがったしょんぼりとした白髪の老人になって、つらい死の床に横たわることだろう。』、
読みなおすには残された時間が...。
デミアンとか漫画化されてもこまるわ。
あれは文学のままでいい。 誕生日に父親からヘッセの全集を頂きました
懐かしい小説から順に読んでおりますが、歳を重ねるとまた違った感性いや、感覚で文字を感じることができますね
デミアンは僕のバイブルです デミアン山田洋二じゃだめ。
テレンス・マリックかジム・ジャームッシュみたいに映像を究極まで突き詰めた監督がいいわ。 自分は車輪の下とデミアンを大して評価していなかったんだけど人気作なんだな。
もう一度読み返してみるか。 デミアンは厨二臭くてあまり好きじゃない。
どれも大なり小なり、そんな雰囲気を含んでるし良い点でもあるけど、行き過ぎな気がする。
クヌルプとかのほうがよっぽど好き。 文学評論で厨二病はねーだろ
2chに感化されすぎ。三島由紀夫を厨二病で片付けるヤツと大差ない 別に厨二病って言葉を使っても構わないと思うけど、
使うならちゃんと意味を定義しないとね。
「厨二病」に統一された意味のない今のままじゃ、一見内容について言及しているようであっても
単に「デミアンは好きじゃないわー」っていう呟きと同じくらいの発言でしかない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています