文学の映画的表現というのは、やっぱり映画の後に生まれたもんなの?

トーマスマンのスレで唐詩の話をするのも何だが

 天津橋下陽春水 (テンシンキョウカ ヨウシュンのみず)
 天津橋上繁華子 (テンシンキョウジョウ ハンカのこ)

という「公子行」の冒頭とか

 洛陽城東桃李花 (ラクヨウジョウトウ トウリのはな)
 飛来飛去落誰家 (とびきたりとびさって たがいえにかおつる)

という「代非白頭翁」の冒頭とかは
何となく映画的な映像の使い方だなぁと思ってたんだけど。

先に文学的表現としてこういうイメージの扱い方が存在して、
それを映画がなぞったというわけではないんだろうか。
文学や映画やそれらの歴史に詳しくない俺としては半疑問形に留めておくが