【酒・酒】吉田健一【酒・酒】
シニア層アピールで、本屋で佐伯泰英の隣とかに並べてもらえばいい
《さらば宰相御曹司! 別れの六部作》
《乞食王子絶唱! 男涙の六部作》
《ヨシケンさん安らかに! 黄昏六部作》 時代小説について、『大衆文学時評』では、
山本周五郎を筆頭に、子母澤・海音寺・池波・司馬・村上元三あたりが概ね高評価だった。
佐伯泰英って俺は読んだことないが、確かに本屋でいやでも目につくね。 >>283
自分らみたいなヨシケン中毒患者だったら、
題名を見るだけで幸福に包まれる六冊だけど、
灘の生一本がライトユーザーには旨く感じられないこともある。
どうも拙い表現で悪いが、これらの文章は、
吉田健一がリミッターを完全に外した状態で書いたものだと思う。
だからあなたの《極北》という表現には納得できる。惹句として良いかどうかは別にして。 Wikiの著作一覧ながめてるが、青土社と小澤書店から出た単行本は全く文庫になってないのかよ
古本でよければ単行本を安価で買えるみたいだが、例えばエッセイの『時をたたせる為に』等、
文庫で持ち歩いて細切れの時間に読むのも悪くないな >『時をたたせる為に』
傑作だね、中身は読んだことないけどw、題名だけでも 題名だけじゃなく中身もいいぜ >『時をたたせる為に』
>>283に挙がってるようなヘヴィ級の思索の結晶ではないが
没後刊行の『春 その他』と共に、晩年の随筆を集めたもの >>288
大昔読んだ印象では、水上勉がとにかく毎回褒められてて、
次いで結城昌治、新田次郎なんかが取り上げられてたような。
あとは(誰かの作品の引き合いとして)ダレルに何回か言及してたかも。 『大衆文学時評』は、>>272にある通り、吉田健一の主要な業績ではない。
全集(集英社の著作集)以外では再刊・再録されていないし、文庫化も当然されていない。
しかし、読売新聞に連載されており、書評というものの影響力が今よりは大きい時代だった。
新田次郎は新進作家として、気象庁職員との二足の草鞋でデビューしたが、
作家専業を決意した大きな理由のひとつに、吉田健一の時評で取り上げて貰ったことを挙げている。
複数回にわたって言及され、当然ながら毎回絶賛などではなく、厳しい評価もままあった。
同年生まれであっても文壇の大先輩だった吉田健一が亡くなった際、新田は慟哭したという。 >>294
いきなりなぜ、しんみりする話を? いや、別に嫌いじゃないが >>287
吉田健一作品とのマッチング度:0点
「特捜最前線」のサブタイとして:100点満点 新田次郎が専業を決意したのはカミさんの本がベストセラーに
なっちゃったからじゃないの?カミさんへの対抗心。 >>297
『流れる星は生きている』だっけ、あれは面白かったな うん、いま評判?の竹林のなんとかよりずっと奥行があるしすばらしい。
息子はすこしおかあさんを見習うべし。 正直に言うとさ、吉田健一の晩年?になるのかな、あの文体、すげえな、とは思うんだけど
なんかこう、ついていけない無念さがあるんだよ
いや、誰かをけなしたいんじゃなくて、俺の力不足なのはわかってるし、
吉田健一に興味あるからここを覗いてるんだけど
俺が読んだのは「時間」なんだが、う〜ん、その「読んだ」っていうのが、
言葉を追うので精一杯、何かを掴み損ねたまま最後のページまで来ちゃった、
だから果たして、俺はこの本を「読んだ」と言えるのかな、って >>300
「ベルグソンを読め!」なんて怖い人がこないように…w
まず、偉い。あなたは本当に偉い。
ちょっとでも意に沿わないところがあると、作者がバカだの、訳者がクソだの、他人のせいにばかりする御時世なのに。
あなたを見習いたいです、心から。
『時間』ですが、個人的に申し上げられることがあるとすれば、「あせらず寝かせる」ということでしょうか。
例えば私は、セリーヌ『夜の果てへの旅』を丸20年おいて再読、
いや、あなたの言葉を借りれば、真の意味で初めて「読んだ」と言えるようになりました。
わずかながら参考になれば、と。 >>300
吉田健一の世界はそんなに堅苦しいものじゃないぜ
肩の力抜いて、(ヨシケンのものに限らず)しっくり来る本を楽しんで読めばいいんよ
最初はピンと来なくても、何かのきっかけで愛読書になることは普通にあるさ >>301 >>302
二人ともどうもです
お礼が遅れてすみません
「東京の昔」とか「三文紳士」なんかは大好きなんで、引き続きこのスレに来ますね >>300
「ついていけない無念さ」
「果たして、俺はこの本を「読んだ」と言えるのかな」
いい言葉だなあ…。
「ついていけない無念さ」を生じさせる+快楽=文学 >>300-304
胸を衝かれる。自分なんか安易に「読んだ」なんてドヤ顔で言っちゃうが、
機械的に字面を追ってただけ、なんてことが(いつもではないが)あるなあ。
話の趣旨とは違う俗っぽい例ではあるが、
『白鯨』の延々と続く博物学的記述、『戦争と平和』の詳細極まる戦闘経過など、
映画ならば倍速再生で「観た」ことにしちゃったような、後ろめたい記憶がある。 後ろめたい記憶があるってことを読んだ記憶がある(笑 ×話の趣旨とは違う俗っぽい例ではあるが、
〇実体験とは違うほかで見かけた例ではあるが 『白鯨』『戦争と平和』の挫折体験とか、飛ばし読み推奨とか、
いろいろな本やらサイトやらに書かれまくってるからね。既視感がすごい。 >>305に嘘を書いたつもりはなかったが、言われてみれば思い当たる。
「読んだ」が、世評を確認しただけ、飛ばし読みすることすら先人の轍…
不毛な自己満足にもほどがあるな。まったくもってお恥ずかしい限り。 『白鯨』を日本語で読むなら、
このスレ的には、健一の弟子筋にあたる幾野宏の訳で、ということになるのか 丸山健二の「超訳」があるぜ! 俺は積ん読してるぜ! 幾野宏は、
吉田健一の『Japan is a circle』を『まろやかな日本』と訳して、
吉田未亡人に「健一は『まろやか』なんて日本語を決して使いませんでした」と
disられちゃったんだよな いいじゃねえか、「シンドラーのリスト」とその関連書の翻訳で一山当てたんだから そういや河出で出す池澤夏樹の日本文学全集に入るんだっけか、一冊丸々はおろか文学全集に収録されることすらまれだから楽しみだな
池澤は世界文学全集でハワーズ・エンドを入れた位だし結構好きなんだね その巻に番が回るまで全集の発刊が、というより河出本体が、もつといいね >>318
大型書店は何処も専用平台に並べてるけど
販促に力入れれば入れるほど痛々しいと言うか‥。
昨日早くも池袋のブックオフに出てたわ。 http://www.kawade.co.jp/nihon_bungaku_zenshu/
>吉田健一 文学の楽しみ ヨオロツパの世紀末 他
>批評という文学形式において近代日本が生んだ最も価値ある二冊。
>その傍らに巧緻な翻訳と機略の小説、洒脱のエッセーを配する。
吉田健一の巻は2015年5月刊行予定 >>322
この紹介文、池澤さん本人が書いてるのね
>批評という文学形式において近代日本が生んだ最も価値ある二冊。
吉田健一好きとしては嬉しいんだけど、ちょっと大げさに褒めすぎじゃないか… 個人編集(偏執?)ってのを最前面に出して、最大の売物にしてる全集だからな 個人偏執wなのはその通りだが、河出の創業130年記念事業でもあるからね。
『文学の楽しみ』『ヨオロツパの世紀末』がメインに来るのに違和感はないものの、
『文学の楽しみ』は、河出の「文藝」に連載→河出から単行本→河出文藝選書へ、
という出版過程も考慮されたんじゃないか。 もし殊更に「批評という文学形式」と言うのであれば
文学概論>文学の楽しみ
異論は認める ここでも池澤アンチが必死の工作かよ
第1巻、おかげさまで八重洲BCフィクション部門売上第4位!
アンチ涙目 >>328
お前が今朝の朝日新聞書評欄の
書籍売上ランキングを見たのはわかった。
ご苦労さん。 仮に今ならブックオフで1000円で買ってくれるとして
八重洲BCで100冊買ってブックオフに持って行くと
売れた売れた自演予算10万円。
4位でいいならしかし5万円くらいで済むか?
安い宣伝費のような高い宣伝費のようなw >>330
現実に幸○の科学なんかが一時期やってたよな
ベストセラー順位工作を 鴎外の巻には即興詩人が入る
吉田健一の巻に入る「巧緻な翻訳」とは、ヴァレリーか、ラフォルグか? >>332
あとは『葡萄酒の色』からの抜粋とか。無難な選だと。
個人的願望は『ファニイ・ヒル』。河出が版権持ってるはずだが、まず頁数的に厳しいか。 お堅い感じなのに、猥本を入れて欲しいなんて、アンタも好きねぇ〜www カタくなってイれるのは好きですよ、恥ずかしながら。 >>337
折角吉田健一に1巻を充てるような新機軸を打ち出すんだから、
中身も思い切って、例えば『時間』あたりをもってきても良かった気がする。
俺は正直、池澤夏樹の文学観をよく知らないが、
>>322の案内文では「モダニズム」「日本語のために」なんてのがキーワードになってるようだから、
吉田健一の「極北」をむしろ積極的に収録すべきだったのでは。 >>338
吉田健一『時間』 池澤夏樹訳 [新訳]
著者が、その最晩年に到達した人間的考察の頂点。
時の流れの意味を考察した錯綜のテクストを、今の我々が読める形に。
なんて悪夢が過ぎる… 池澤夏樹のモダニズムってのはいわゆる大正モダニズムみたいなあの自由主義のモダニズム(近代教養主義的粋(通俗的にはモボ・モガ))じゃないよ?
どんなバカでも芸術家を気取れるバカなダダもどき=アングラポモのアプレ・ヌーボー・前衛・ポモのことなんだよ(笑 >>339
思わずフイたが、実際にそんなバカをやりださないという保証はないな…
>>340
池澤夏樹って、俺の中では黒鉄ヒロシの下位互換って感じで(顔の話ね)、
今まで殆ど読まずに来ちゃった。
あ、10年前の世界文学全集は何冊か世話になったか。解説は…ごめん、記憶なし。 あの世界文学全集には本邦初訳や全面改訳も多かったし、少なくとも新鮮さはあったね
(読んでみて、???となった作品もないではなかったが) >>342
新訳がお好きなら、今回の日本文学全集にもいっぱいありますがな(笑 >>339
まだ半年先だから、変な入れ知恵したら本当にやりかねんぞww
店頭の束見本のジャケットも
鳥が飛んでるちゃんとしたデザインは既刊の古事記だけで、他はタイトルだけと云う無様さだし。先のことは何も考えてない感じだわ。 >鳥が飛んでるちゃんとしたデザインは既刊の古事記だけで、他はタイトルだけと云う無様さだし
どうやってこういう嘘を考え付くのか聞いてみたい。 隔世の感がするなり。
余の青春時代、神田の古書肆の店頭の箱の中に、垂水書房版の全集だか著作集だかが、
一冊百円くらいで並べられてゐたり。忘れられぬ光景なり。かくの如き扱いを受くる氏の著作を不憫に感じけり。
知らざりし、時移り世去り、「天声人語」に引用さるる時代が来むとは。
思へば氏ほど劇的なる評価の変転を経し文学者も世に稀なるらむ。
いかなるゆゑにかくも毀誉褒貶の激しきや?不可思議なる現象なり。 >>349
お久しぶりです、擬古文先生!
ゾッキ本の話は>>269-279あたりでも出てましたが、
是非いろいろ、懐旧譚を書き込んでください! わ〜い、コロ助が帰ってきた!
でも内容は上で誰かが言ったことそのままナリよ。
それをもっと通俗のカタにはめただけナリ〜
もっとがんばるナリ〜 文学者にしろ他の分野の芸術家にしろ評価が劇的に変わる例なんて珍しくもない。
まして健一の場合はブレーク前でもそれほど低い評価に泣いていたわけでもなく、
ただたまたま売れ残ったものがそういう形ででたというだけ。
逆に誰にも相手にされなければ、かりに出版にこぎつけたところでゾッキ本
になるほどの部数を刷ってもらえるはずがない。 書かれる内容じたいが擬古スタイルに縛られてしまう結果だな。
同じ人でもまともに自分の文章で書けば、自前の発想での意見表明になっただろうに。 第41回大佛次郎賞『吉田健一』長谷川郁夫
選考委員:鷲田清一・佐伯一麦・池内了・田中優子・船橋洋一 >>354
きのう丸善丸の内本店に買いに行ったら置いてなかった(泣 >>354,355,356
吉田文學フアンの一人として正に慶賀すべきことなり。
同書はあまりに価の高きゆゑに敬遠してありしが、選評を読むに頗る好著の予感有り。食指が動くなり。
かくなる上は今年最後の奮発をせねばなるまい。
余思へらく、年末年始、遠出もせで、この書を読みて過ごしなば、かへりて安上がりなるらんかと。 >>357
へえ、教頭代理先生、畑仕事の合間にどら焼きでも食いながら読んでくだせえ。 余は活動写真は見ぬゆゑくはしくは知らねども、吉田氏の『時間』が韓国の活動写真に
登場するとかや。氏の文学の「グローバル化」は実に驚嘆すべきなり。
吉田文學は頭の固き中高年より、感性の柔軟な若き世代にこそ共感を呼ぶならん。
もし件の写真を見し人あらば、感想をしるされたし。
http://www.bitters.co.jp/jiyugaoka/ どこまで本気でどこからジョークなのかわからない。>>360 >>361
>どこまで本気でどこからジョークなのかわからない
??余はいつも「本気」なり。 >>361
調子付かせるだけだからバカかまうなよ、って、しかし自演か?w >>360
活動写真という言葉はトーキーには使わん、というツッコミはともかくとして
その映画はまだ見てないが
加瀬亮がたまたま「時間」を読んでたのを使った、というゴシップは知ってる
加瀬はエドワード・ヤンの映画が好きだそうだから、まんざら嘘でもあるまい ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
そして、私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ 吉田健一の後期の文体って従来の日本文のじっくり読んでいくやり方だと必ずつっかえるね
むしろ走り読みくらいの方が楽に進める ウォーの『ピンフォールドの試練』が白水Uブックスで復刊してた 「プレーンソング」って吉田健一の文体の影響があからさまにでてるね。
倉橋由美子ほどとはいわないが、くっきりと。 >>368
保坂は週刊現代の好きな本10冊あげる企画で東京の昔をあげてたくらい影響受けてる
何気に吉田健一の文体を上手く咀嚼して自分らしいスタイルを構築してるのはすごいと思う
福田和也の受け売りじゃないけど吉田健一の文体フォロワーってなんか無理してる感じが出るから 岩波文庫の辻征夫詩集の終わりの方に辻と谷川俊太郎が対談してるんだけど、その中で谷川が憧れたものの一つに吉健が訳したシェイクスピアのソネットをあげてて意外に感じた
谷川俊太郎と吉田健一ってあんま結びつかないイメージだったから 吉田健一訳・ラフォルグの『冬が来る』の朗讀をネットで拾へり。名朗讀なり。
当たり前のことなれど、詩はやはり聲に出だして味はふべきものなり。
吉田氏も日頃そのやうに詩を味はつてゐた様子を、丸谷才一エツセーに記したり。
https://www.youtube.com/watch?v=NQQutgSiCUE 花森安治に顔が似てるね。花森ほどキモくはないけど。 吉田健一はアメリカ文学については、一二の例外を除いて、ほとんど書いてないな。
戦後はアメリカ一辺倒の時代であるのに。アメリカ文学を馬鹿にしていたのか、
読んでいたが、書かなかったのだろうか。 >>50 知らなかった・・・
ビールは駄目なのでワインでも飲みながら読めそうな文庫、捜してみよう
西洋の詩が苦手なので、詩で遊ぶ感覚の本がいい 詩のやつがなかなか見つからない
旨いものはうまいにした
空腹で何か食べるのはいいことだとは、美食しながら冬太り解消の哲学だ・・・といいな〜 絵空ごと・百鬼の会 (講談社文芸文庫ワイド)
吉田 健一 (著)
出版社: 講談社 (2016/3/11) ふう、長谷川の「吉田健一」なかなか読み終わらないわ。分厚すぎて疲れるw 「英国に就て」読み始める
この文体に、なぜか懐かしさを感じる 「三島が家を新築したとき、お祝いにわれわれは招ばれたんだよ。
三島の例のロココ風の家というのはおれもあまり気に入らないけれど、新築祝いに招ばれたんだから、いろいろほめるわけだよ。
ところが吉田は、なにか置物を手に取って「おっ、これはどうも高そうなもんでございますね、エッヘッヘッヘッ」、って調子だ(笑)。
料理が出てくると、「あっ、これはとても普段食えない」って(笑)。
三島は東京会館のレストランからコックを呼んできてちゃんとした料理を出しているのに、吉田がその調子だから、三島はいやな顔をする。
おれたちも困ってね。それで吉田を送って、吉川逸治が帰ってから、おれと中村光夫が残って三島を慰めたよ(笑)。
そのころはおれも三島と仲がよかった。/
それから少したってだよ、とても耐え切らないからと言って三島がやめたのは。これは「雲」と杉村春子が別れた日付ではっきりしてるはずです」。
http://satotarokarinona.blog110.fc2.com/blog-entry-785.html 翻訳家というのは作家に比べて低くみられる傾向があるんだね
他人が書いた作品を、その味わいを壊すことなく、異言語異民族の中で表現する再構築は、それはそれでひとつの素晴らしい才能なのだけどね ともの読書日記
"「しかし尊敬というのと、多少違うかもしれないけれど、とても自分は及ばないと驚いていたのは、吉田健一です」と中村光夫は蓮實重彦に語る。"
吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖) から
"中村光夫も小説を書き始めるわけですよね。
…『ある愛』は、大学の先生が女子学生とできちゃって結婚して離婚する話なんだけど、下品でかつ知的な意地の悪い小説です"(金井美恵子)
「対談 金井美恵子×丹生谷貴志 吉田健一が小説を書く時をめぐって」
「吉田健一の世界にはむしろエロスが横溢しているとわたしは思うんです。
それはしかし、男根的ではなく多形倒錯的なエロティシズムと呼ぶべきもので、性器を介さない官能性は彼の小説の至るところに見出されます」
松浦寿輝『吉田健一の「怪奇」な官能性』
2016年5月14日
文学たん
好きな本を友人や家族に送るのは素敵なことですよね。作家が作家へ送る場合はどうでしょうか?
山本周五郎は寄贈本を読まず、読みたい本は買って読むという主義であったそうです。
この主義に同調したのが吉田健一。銀座のバーで飲む機会にこの二人は大変意気投合します。
そして銀座のバーの出来事から3日後。山本周五郎の元に届いたのは吉田健一の著書でした
1950年には、江戸川乱歩、吉田健一などを発起人として、ベーカー・ストリート・イレギュラーズの東京バリツ支部が結成された。
発会式では、牧野伸顕(吉田健一の祖父、吉田茂の岳父)の「バリツの起源」に関する論文が朗読された。
牧野によれば、ホームズは「僕は日本式レスリングを含むブジツ(武術)の心得がある」と言ったのであって、
ワトスンは「bujitsuをbaritsuと間違えたのだ」という。 そう言えば、イギリスや英文学関連の話は多いのに、コカイン等について触れたことはないのかな
中流階級以上の社会での流通実態はなかなかわからないものだ
ひたすら酒と食べ物だから 「戦争に反対する唯一の手段は。―ピチカートファイヴのうたとことば」ていうCDがあって、そのタイトルの由来が吉田健一の一文なのですね。
「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び……と宣伝することであるとはどうしても思えない。」
「戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。
古傷は消えなければならないのである。」
「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」
「核戦争が恐ろしいから戦争に反対するならば、核兵器で威しつければ戦争に賛成することになる。
もっと小さなこと、例えば、お前を殺すぞと言われるだけで賛成することになるかも知れなくて、大概そんなのがこの前の戦争に賛成した。
戦争に反対するのは道徳上の要求であり、我々自身の都合からではない。我々はこれから本腰で戦争に反対しなければならない。」
出典の書籍について。
件の「戦争に反対する唯一の…」ていう文を有するコラム「長崎」の所収を整理すると、
(1)初出は朝日新聞「きのうきょう」欄、1957年(昭和32年)1月4日〜6月28日にかけて連載。
(2)単行本「作法無作法」(宝文館、1958年(昭和33年)2月刊行)に「一枚半時評」と題されて所収。
(3)「作法無作法」から、「一枚半時評」他、新聞コラム的な性格の短文群が解体され、
他の連載なども付け加えられて「新聞一束」(垂水書房、1963年(昭和38年)6月刊行)として単行本化、「籤つきの年賀状」と題されて所収。
(4)「吉田健一著作集 第十巻」(垂水書房、1963年(昭和38年)6月刊行)に所収。
(5)「感想B」(垂水書房、1966年(昭和41年)10月刊行)に所収。
(6)「吉田健一著作集 第十三巻(新聞一束 残光)」(集英社、1980年(昭和54年)10月刊行)に所収。
http://kiwamono.blog.so-net.ne.jp/2010-03-09 彼は理想主義だね
世代的にそうなるのも無理はないけど、現実的とはいえない これは本郷信樂町に住んでゐた頃の話である。
當時は帝大の前を電車が走つてゐたと書いても電車も帝大も戰後まであることはあつたのだからそれだけでは時代を示したことにならない。
それならば日本で戰前だとか戰後だとか言ふやうなことになるとは誰も夢にも思つてゐなかつた時代といふことにして置かうか。
兎に角帝大と電車が出たのだからこれが文久三年と言つた大昔でないこと位は解る筈である。
どうもその頃はその電車が通つてゐる道も砂利道だつたやうな氣がする。
それだから春になつて慍い風が吹き始めると埃が立ち、その爲に電車通りに並ぶ古本屋の店先の本がざらざらした。
尤もさういふ商賣をその頃してゐた譯ではない。ただ學生時代の癖で古本屋を覗いて見るといふことも偶にはしたといふだけのことで、
それでは何をして暮してゐたかといふことになるとこれが實はさう簡單に説明出來ることではないのである。
別に昔の時代はよかつたといふのでなくて確實にさういふことが考へられるのは例へばフランス革命の後で十八世紀のヨーロッパを振り返るとか
安祿山の亂の最中に玄宗皇帝が長安に都してゐた盛時を囘想するとかいふ特定の場合に限られたことであるが
帝大の前を電車が春風に砂埃を上げて走つてゐた頃に就て一つだけ言へることは生活が樂だつたといふことである。
その凡そ小さな古本屋は日本の本しかなくても神田のもつと大きな店でも掘り出しものと見られるものばかり置いてゐるのが特色だつた。
その晩出てゐたのがどういふ本だつたか、その中に芥川龍之介の「羅生門」の初版と一册になつた珍しい造本の梶井基次郎全集があつたのを覺えてゐる。
日夏耿之介の「黒衣聖母」もあつた。古木君がそこも始めてなのは熱心に棚をみてゐる様子で解つてそのうちに、
「これは、」と言つてその一段から引き出したのが金子光晴の「こがね蟲」だつた。
確かに掘り出しものでその箱はなくなつてゐる詩集の海老茶色の表紙に金で活字を押したのを見てゐて思つ たのは
それが前にこつちが持つてゐて賣つたのが廻り廻つてこの店の棚に納つてゐたのではないかといふことだつた。
http://www.yanesen.net/archives/horo/recommend/2002/04/ 最近じゃ神田の古本屋に自己啓発本だの芸人の小遣い稼ぎエッセイ本だのが並ぶ始末だよ
Boo〇offかと この人が翻訳したブライヅヘッド、なんでこんなに高いの?
中古の文庫が2,500円〜とか
再版希望しまーす>ちくま ブッキングから出てたろ
ちくまは前に出した吉田の随筆を文芸文庫へ移してるぐらいだから さらに高いよ>単行本
新しいのは活字が馬鹿でかそうで嫌だし
たしかにちくま増刷は期待できない
講談社も学術文庫だか文芸文庫だかできてるけど、そういう時代なんだね 付記.かれの父上,吉田健一氏は,中村光夫氏や福田恒存氏,さらに亡父吉
川逸治と「鉢の木会」といふ文芸放談の会合を月当番の回り持ちで開いてゐ
た.わたくしの歴史的仮名遣は,「鉢の木会」編集の『聲』といふ季刊誌連載
の福田氏の「私の国語教室」で身に付けたものである.「鉢の木会」には,他
に,神西清氏がをられたが早く亡くなつてしまひ,また,大岡昇平氏や三島
由紀夫氏もをられた時期がある.鎌倉にゐたのは,神西,中村,吉田,吉川
で,当時はそれぞれの自宅で飲み会をしてゐたが,皆子供が小さかつた関係
で,家族ぐるみでの宴会準備であつたのか,鎌倉の市内のときは子連れで夫
人たちが会場のお宅に集まつて手伝ひをしてゐたやうに覚えてゐる.「鉢の木
会」は,結局は,中村,吉田,福田の各氏と亡父でしばらく続いた.最後は
福田氏と亡父だけになつた.亡父が世を去つて覚えてゐる人はゐなくなつた.
ここで,歴史的仮名遣を敢へて用ゐたのは,さういふ不思議な時代への私的
な追憶といふこともある.
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~851051/Yoshida/yoshikawaa.pdf 私はそれに就いて、今日、アメリカに住んでいる私たちには他のどこの国にいる人たちにも増して、
簡易な生活と複雑な生活のいずれかを選ぶ贅沢が許されてい るのだということを幾分、皮肉な気持ちになって思い返す。
そして私たちの中の大部分は、簡易な生活を選ぶことができるのにその反対の、複雑な生活を選ぶの である。
戦争とか、収容所とか、戦後の耐乏生活とかいうものは、人間にいや応なしに簡易な生き方をすることを強いて、
修道僧や尼さんは自分からそういう生き方を選ぶ。
勿論、誰も自分が孤独であるとは考えたくはない。
なんとでもしてそう考えることを避けようとするので、それは人に嫌われているとか、仲間外れにされている ということと同じに思われる。
我々が誰かを愛していても、その人間を同じ具合に、いつも愛している訳ではない。
そんなことはできなくて、それができる振りをするのは嘘である。しかしそれにも拘らず、我々はそういうふうに愛されることを要求していて、
我々は生活や、愛情や、人間的な関係の満ち引きに対してそれほど自信がないのである。
(A・M・リンドバーグ著、吉田健一訳 『海からの贈物』) WISDOM堂書店 「人生を変えた一冊」 第14回
建築家 隈 研吾氏
https://www.blwisdom.com/skillcareer/interview/books/item/9145-14.html
未来につながる豊かな「諦め」を学ぶために
『ヨオロッパの世紀末』(吉田健一 著) 岩波書店 塚田某
ラフォルグについて、日本語で書かれたものとしては、
吉田健一の『書架記』(のなかの一章)と河上徹太郎の「宮廷住ひのサンボリスト」辺りが比較的に知られているだろうか。
両者ともラフォルグを語ることが、そのまま自らの文学観の披瀝になっていて、なかなか興味深い。
ランボーの「天才」よりも、ラフォルグの「頽唐」をとるのが、吉田健一の流儀。つまり文学になによりも「成熟」を求めるのである。
7 Feb 2017 藤原編集室
吉田健一といえばこの一冊。『謎の怪物・謎の動物』(新潮社、1964)。
UMA研究の泰斗ユーヴェルマンスなどをネタ本に、
ネス湖の怪物やマンモス、巨大魚、絶滅鳥モア、失われた民族、藻の海、竜伝説などを紹介した読物。
http://pbs.twimg.com/media/C4gUkFaUkAEF0Tm.jpg
12 Feb 2017 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 昔話 (講談社文芸文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 講談社 (2017/2/10)
酒談義 (中公文庫 よ)
吉田健一 著 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/4/21)
舌鼓ところどころ/私の食物誌 (中公文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/5/23)
わが人生処方 (中公文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/6/22)
父のこと (中公文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/9/22) 作家で英文学者の吉田健一は食通、酒飲み、そして偏屈でも知られる人物。
かつて昭和40年代、当時、神田駿河台にあった中央大学で教鞭を取っていた吉田は講義の合間や終了後、
たびたびランチョンを訪れていた。
編集者との打ち合わせや原稿の受け渡しに利用していたそうだ。
ビーフシチューを好んだ吉田だが、「会話に夢中になると、ナイフとフォークで食べるのが面倒だ。
話しながらでも、手づかみで食べらないものか」と、先代マスター(故・鈴木一郎さん)に相談し、
それに応えて誕生したのが「ビーフパイ」だったのだ。
これに合わせるのは……吉田に倣うと「ウイスキーリプトン」である。これは熱々の紅茶にたっぷりのウイスキーを注いだもの。
今も昔もメニューにはない“吉田健一特性酒”である。
でも、現マスター、四代目の鈴木寛さん曰く、「ご要望があれば今でもお出しします」とのこと。
文豪気分を味わう一品だけに真似する人々多数。もちろん、看板メニューとしてもつとに知られるだけに売り切れ必至。
あれば試しておきたいメニューなのだ。
文=ひさだひさ 篠田一士『読書の楽しみ』
「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分というのが、吉田さんの口癖だっ
た」
「本は五百冊あればというのは、ズボラか、不勉強かとは逆に、よほどの禁欲、断念の
はてに実現するもので、これを実行するには、並大抵の精神のエネルギーではかなうこと
ではない。一日に三冊もの本を読む人間を、世間では読書家というらしいが、本当のとこ
ろをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を、一冊でも多くもっているひとこ
そ、言葉の正しい意味での読書家である」
「自分の書棚には、時に応じて、自在にページをひるがえすことができる本が、五、六
百冊もあれば十分、その内訳が少しずつ変ってゆくというのが、いわゆる完全な読書人な
のである」 酒肴酒と私の食物史と東京の昔を読んだ
ほかに読みたいのだけどあまり難解なのは・・
小説なら何が良いかな? 評伝「吉田健一」(大佛次郎賞)の著者、長谷川郁夫さん逝去
ご冥福をお祈りいたします 教養ある紳士の話を読むのではなく「聞いている」ような風情だな。
アランは散文の特質として、時間から解放されると言っている。
話が退屈になったら止めて、また会いたくなったら続きを読む。(聞く)
読書の楽しみが広がる。 >>408
読点が少ないから読みづらいって意見が多いけど、
それもあるけど単純に文章が不明瞭かつまどろっこしいんだよね
一文の中にいらない情報を盛り込みすぎ
下手な訳を読んでる気分になる >>413
吉田文學初心者には、まず入門としてユーモアエッセーや短編小説がオススメなり、
そこで多少文体に慣れて、本格的評論に進めば良し、面白くなければ、無理に読む必要なし、 神奈川県立文学館の吉田健一展、22日までなのでお早めに ○0o。( ̄∇ ̄〃)y--┛( 〃 ̄ー)y-┛( )-┛(ー ̄〃 )y--┛))クルクル 川本直(1980年1月13日 - )
川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』『吉田健一に就て』
麻生太郎の話が出ると吉田健一の話が出るが、吉田茂の国葬の時点から今
まで、吉田健一(国葬反対・茂のカトリック葬反対・遺産は「飲んでしま
えばいい」)及び子孫と麻生太郎(国葬賛成・カトリック葬にした・遺産
が欲しい)は対立している。丸谷才一証言や評伝を参照。私も麻生太郎な
ぞ好きではない。
吉田の長女・吉田暁子氏は、最近も吉田茂のカトリック葬に反対していた
ため、麻生家に分骨するよう強く主張してなんとか完遂した。吉田家は
孫・曾孫がイタリア人なので最早日本の政治と関係ない。豊臣秀吉(吉田
健一)が好きだからといって、甥の豊臣秀次(麻生太郎)が好きだと思う
か? アホらしい。
豊臣秀吉と豊臣秀次のアレゴリーは吉田健一の「余生の文学」から引い
た。何故か吉田健一は矢田挿雲の『太閤記』を愛読していて、「余生の文
学」で名護屋城での秀吉の晩年をデカダンの極地として描いている。
2024年1月29日 言葉というもの
吉田 健一 著
平凡社ライブラリー 968
2024/05
256ページ
定価1,870円
イエーツ、ヴァレリー、鷗外、宇治拾遺物語……。古今東西の文学を自在に横断しながら、
文学とは何か、言葉とは何かを解き明かし独自の文明論に至る、吉田健一随筆の真骨頂。 吉田文学は、まるで金太郎飴のように、どこを切っても同じ金太郎さんが現れるような親しみやすさがあります。しかし、その奥深さは「英国の文学」「ヨーロッパの世紀末」「時間」など、主著に現れる難解な内容からも窺えます。
女性にとって特に取っつきやすいのが、「酒肴酒」(正・続)、「酒に呑まれた頭」(正・続)などの、酒や食べ物を題材にしたユーモアエッセイ集です。まるで親しい友人と語り合うような軽妙な文体で綴られた文章は、思わず笑みがこぼれてしまうことでしょう。また、「私の食物誌」も、食材や料理に対する深い愛情と知識が溢れる名著として高い評価を得ています。