>>578
ロシアでカトリックに改宗する連中はみんなイエズス会に入るんだ!
それには理由がある、失われたロシアの大地を埋め合わせようとしてあの忌まわしいイエズス会士、論理に奉仕するイエズス会士になっちまうんだ!
考えつくすやつほど教義論を考えつくして最も忌まわしいイエズス会士みたいになっちまう!
連中は神さえ信じていない!スメルジャコフのように!まるでアリョーシャのように!
ムイシュキン公爵はイエズス会士に改宗してしまった高貴な友人を弁護してこう口走るのであった

ドストエフスキーがイエズス会を憎んだなんてのは皮相な読み方だね
イエズス会ってのはとっくにロシアから追放された時代であって、ドストエフスキーはいろんなイメージ(陰謀者・論理主義者・インテリジェントデザイニスト・法悦者・・・・)で語ってる
ポジティブな、絶望したロシアの青年をひきつけるだけの魔力をもつ存在としても描写している
それは彼のいびつなキリスト教解釈と一面では対立し、一面では合一しちまうもんだと思うけどね

イエズス会、もキリスト教、も言葉だけでアイデンティティ押し付ける読みはいまいちだと思うなぁ
ドストエフスキーのキリスト教ってのは連綿と続く正統への異議申し立てとして捉えるべきで、、、とか説教くさくなるとよくないかね

イエズス会が猛威を振るったのはまさにロシアの中心そのものとトルコから奪還した辺境の二つで、その中間ではイメジとして語られる
これはイエズス会追放が時系列をずらしながら世界中で行われたときに、同じく世界中で起こったこと
ヴォルテールやデカルトが君主と辺縁だけに、支持され、中間貴族/既得権益に蛇蝎のごとく嫌われた啓蒙時代もイメジとして重ねてみる
100年前のイギリスおよびアイルランドでのイエズス会描写なんかこそ、イメージでしか語られない「イエズス会」理解には結合するべきと思うけれどな
辺縁に自己同一化したい、けれども中心に住まうドストエフスキー