☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part43 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
全体的に品薄なのは1番の要因だけど、昔の人の方が本を大切にしていたのかもしれないね
大量生産の文化は、価値を剥ぎ取るのかも
思想で世の中は変わる、と、信じていたというのはなっとくできる 思想や主義の違いによって、今でも戦争しているのだから、本はその要になる
世界のどんな本でも簡単に手に入る時代で育ってきたぼくには、それが当たり前だと思ってしまうよ >>869
> https://nelog.jp/online-ocr
> 画像内の日本語テキストを抽出できる「Online OCR」
ありがとうございま。近く習得します
> 幸福は相対的なものなので全ての若者に行き渡ることはあり得ません
> もしくは、平等に与えられるものなので
> 出会いだとかの不安定要素で全ての若者が幸福になることはあり得ません
神秘的な言葉ですね。ゾシマ兄の「神の小鳥、しあわせの小鳥」そのほか引用したかったですが、現時点で電子テキスト準備できてないので、引用なしでいきます
相対的幸福は、たとえばそれが、学歴であったり、家や車であったり、美人に生まれたり、そういったものは確かに「全ての若者に行き渡ることはあり得ません」ね
ではここで、あなたが言うところの「もしくは、平等に与えられるもの」とは何か?
そしてぼくが「すべての若者が幸福になる権利をもっているし、じっさいなるんだ! 」という叫びは何を意味するか? >>874
みんなが平等に幸福になるべきだから、不確定要素で幸福になってはならないという意味だろう 技術系は情報交換
芸能系は言葉遊びと寂しさ紛らわすため
ここは哲学的宗教的 4 名前:名無しさん@いい湯だな :2017/06/03(土) 19:59:07.55 ID:V8HSX03J0
公共風呂で不快に感じたコト 女性編
・湯船の中で膣内に水が入って、湯船からあがるときにシャーって出たんだけどそれは私だけじゃないんだろうってこと。
・拭いてるときに、膣内から温泉水が出てきたこと。他にもいるだろうということ。
てことは、脱衣所の床は相当汚れているだろうということ。
・やっぱり、一番は、膣内に水を吸い込んで出る瞬間。
湯船の中で、おりものが混ざって白っぽい(かたまり含む)水がでることも多々ある。
・私ではなく知り合いの話ですが、ある日帰り温泉施設で、年寄りのおばあさんが下痢気味だったらしく、湯船の中で排便したらしいです。
しかもこの人、トイレに行こうとして間に合わなかったとかじゃなくて、
わざわざトイレに行くのが面倒くさかったのでワザと湯船でやったそうなんです。 本人が
「面倒くさいからべつにいいじゃん」
って言ったそうです・・・。こんな人は公共のお風呂に来ないでほしいです!!”
・すごいお尻の臭いおばさんが一人いる。
・タンポンの紐が歩いている後姿から見える。
http://youpouch.com/2010/10/08/162559/ ドストエフスキーから幸福を探すのは難しい
けれども、不幸なキャラクターは見つけやすい
悲劇的に終わる思想の反対が答えと思ったけど、おそらく違うんだろうね
その悲劇的な運命を担った者は多くいる
これは持論になるが、例えばイワンは、自分の思想に対して肯定も否定もできなかった
スヴィドリガイロフについても同じで、善悪を闘争するでもなく、一切を受け入れる事ですべてが無価値に変換されてしまった
ドストエフスキーは無神論は信仰に至る手前にいる状態と言った
神を信じないのではなく、神を認めた後否定する、という意味で言ったと思う
誰もがまずキリーロフになる必要がある
それを超えた後が、幸福という状態なんだろう
言葉にするとうまく伝えられないけど、ドストエフスキーの中で、悲劇的に終わるキャラクターの次の状態があったとすれば、幸福な人間が出来上がる 両者ともに社会的弱者の象徴で、憐憫と自虐が目立って、幸福とは言えないと感じる
弱さは最大の武器になるというが、その通りだと思う >>874
幸せとは、何処かで自己への執着を消さないといけないんだろうと思うよ
人間は肉体に縛られるならば、物質的欲求も含まねばならない
だけど世界の資源の母数は決まっていて、例えば、1人1キロの肉は用意できない(今は可能だけどね)
「全員の幸福」の実現は、ある意味で痛み分けが出来なければ達成はしないのだろう
人間は本質的に残酷だから、少数の犠牲を認めて、最大公約の最大幸福で満足する
一箇所で引用は難しいけど、ゾシマの足る事を知る、とういう談話が印象深く、幸福の道なんだろうね 『白痴』の最後に、「ボヴァリー夫人」が登場するのはなぜだろう? 「じゃあ、どうしてこの人は何もかも忘れてしまったの? だって、
この人はあたしが小さいころ、よくあたしを抱いて歩いたり、
いっしょに遊んだりしたのよ。それから家へ来てあたしに読み方を
教えてくれたのよ、あなたはそれを御存じ?
二年前に別れるときも、あたしのことはけっして忘れない、
二人は永久に、永久に、永久に親友だって言ったわ! それだのに、
今になって急にあたしをこわがりだしたんですもの。
あたしがこの人を取って食べるとでもいうのでしょうか?
どうしてあたしのそばへ寄って、お話をしようとしないんでしょう?
なぜこの人は家へ来てくれないんでしょう? あなたがお出しなさ
らないの? だって、この人がどこへでも出て歩くことは、
あたしたちようく知っててよ。あたしのほうからこの人を
呼ぶのはぶしつけだから、この人から先に思い出してくれる
のが本当だわ、もし忘れないでいてくれるのなら
……いいえ、だめだわ、あの人は今、行をしているんですもの!
だけど、なんだってあの人にあんな裾《すそ》の長い法衣を
着せたの……駆け出したら転ぶじゃないの……」 そして彼女は不意にこらえきれなくなって、片手で顔を隠すと
、持ち前の神経的な、からだじゅうをゆすぶるような、
声を立てぬ長い笑い方で、激しく、とめどなく笑い続けるのであった。
長老は微笑を含みながら彼女のことばを聞き終わると、
優しく祝福してやるのだった。リーズは長老の手に接吻しよう
とした時、突然その手を自分の眼に押し当てて泣きだした。
「ね、あたしを怒らないでちょうだい、あたしはばかだから、
なんの値打ちもないのよ……アリョーシャがこんなおかしな女の
ところへ来たがらないのも、もっともかもしれないわ、いいえ
本当にもっともだわ」
「いや、わしがぜひとも行かせますじゃ」と長老がきっぱりと
言いきった。
----------
思春期のぼくは愛を知らない。こうした娘を知らない。こうした愛のあり方も。
現実には知らないが、しかしリーズはぼくの胸の中に息づいている。そして時至れば
リーズのような娘に出会うことだろう。のみならず、すべての女にはリーズのような側面があるのだろう...
しかし、壮年となった僕にも、このように強く愛されるという経験はなかった。
それでも少しもこの人生に失望しない
ぼくの人生は「愛すること、憧れること」を選んだ。男として生まれた以上それこそ
正道であると。と同時にアレクセイのように娘に愛される人生も否定しない。 >>881
テキストから引用はできないが、ぼくの心の中のテキストから引用しよう
この胸の中にいるアレクセイに質問してみよう
我「幸福とは物質的なものなのかい?」
アレクセイ「いえ、決して」
(このあと長々と書くつもりだったがなんの言葉も出てこないw やはり凡才たるぼくにはテキストの引用で答えるのがいいみたいだ)
非常に制限されたテキスト。例えば前にぼくが引用したゾシマの説教を。
(幸せになるためには?)
「どうしたら? どういう風にいたしたらよろしゅうございましょうか?」
「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、あなたの心に忍び入ることはできません。
これはもう実験をへた正確な方法じゃでな」
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幸福は、関係性の中で獲得される、これは間違いないとおもう ドスト読んだ後に頭の中がドスト節になる
ドストあるある >ドストエフスキーも獄中時代は聖書とパスカルのパンセしか持ってなかったとどこかで読んだ気がします。
ぼくも魂の牢獄にいる。高い無能の壁がぼくの行く手を遮る
ぼくには原稿用紙1000枚分?の電子テキスト、すなわち中山訳カラマーゾフ上巻しかない
これだけでドストのすべてを語りつくそうよ! あえて妄言を書くというのは? 他人に見せるためのカキコではなく、自分を超克していくためのカキコはあり得ないのか?
ありのまま、無作為の、発狂しそうな自己の失望を書くことは?
或いはまた、愛と夢を語ることは
字體に気を配らず、假名遣を守らず、むしろ狂言綺語を使い、口頭ですら使わないような造語で書くことは?
決して他人には見せられない、この胸の中だけの言葉というのは?
そういう言葉を書くことは不可能なのか?
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僕らの胸中に、アレクセイもラスコーリニコフもイワンもいる。あいつらは俺のダチだ。と同時に、ヒョードルもスビドリガイロフも、この胸の中に飼っている。
お前もそうだろう? 表面的な違いこそあれ、言葉遣いは異なるとはいえ、僕らはひとつだ。君の感想はぼくの思想でもある
ぼくは、ボクと言ったりお前と言ったりする、それは俺達の距離感を縮めようとして
身悶えしているのだ >>887
>幸福は、関係性の中で獲得される、これは間違いないとおもう
どういう論を造っても、どんな幾何学的論理で説明しようと、これが1番のポイントだよね
>その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も確信されるようになりますじゃ。
そして同様に出来るだけ簡単に、最短はこれの実践になるよね
それにしても人類を愛することの簡単さと、隣人を愛することの難しさは、ドストエフスキーにて学び、つくづく実感してる >>884
言われるまで気にもしなかったよ
そして何故だろう? 159 名前:呑んべぇさん [sage] :2017/06/06(火) 03:36:15.36 ID:FJcsV8Gr
水割り4杯程度で酔うなんてねえよな!
いま目の前にバンクリンクが踊ってるけど普通だよな!
もちろん俺は全裸だ!
チンチンは萎んどる!
絨毯が揺れてバンクリンクが踊っとる!
酔ってねえよね!
4杯程度で酔うわけがねえ!
ガハハハ!
さっきまで
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
と叫びながら中腰で腰を前後に振っとった!
もちろん全裸だ!
水割り4杯程度で酔うわけがねえよな!
酔うわけがねえ!
ガハハハ! ここの人は、特に人間に、そして個人の思惑や思想に、興味を持っているのかな?
各々の人間の持つ、理性や意志や感情そのものに興味を惹かれるんだろうか
一方の全体的な社会観念については、ドストエフスキーをどう見ているんだろう?
ぼくは、ドストエフスキーはキリストを頂点とした世界共同体を夢みたんだろうと思う
そういう意味では、前に誰かが言っていたように、無政府主義者の顔もうかがえるのかもしれない
ただ、1番近く言い表すならば社会主義なのかな >>891
> それにしても人類を愛することの簡単さと、隣人を愛することの難しさは、ドストエフスキーにて学び、つくづく実感してる
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最近めちゃくちゃ体調崩していた。腹痛がずーっと止まなくてもう死ぬんじゃないかと。まず君にレスしないと、と考えていた。
おれたちは確かに、言葉と思想をドストエフスキーから学んだが
、愛の難しさ、ひとに尽くす行動は、どこまでも現実の人間から学ばねばならない。
そのためには土台がなければムリだ。ではその土台が何かと問われれば、今ここに明確に表現できない。
ネット上ちょっと考えがたい鬼畜のような発言があるが、あれは「実際に会うと彼らがそういう人間なのではなく」
「現実の人間から学ぶこと」を喪失した姿であり、愛も憎しみも抽象化してしまってるとおもう。
かくいうおれ自身、身近な家族にすら、優しくすることも、尽くすこともできない、人間であることを激白しておく!! >>898
>そのためには土台がなければムリだ。ではその土台が何かと問われれば、今ここに明確に表現できない。
どういう意味での土台?基礎になる金科玉条みたいな? 単純に気概になることとかかな
最近、チーホンの元でスタヴローギンの告白読み直したけど、もしこの章を重要視するならば、ドストエフスキーが求めていたキリスト教の在り方が、分かるかもしれない、なんて読んでて思った
そんなの思った人ますか? 「人間というのはたえず子供のように面倒を見てやらねばならぬ」
というセリフがあったよね。ゾシマ長老の >>902
どんだけ上から目線なんだよ!
たかが人間の癖によ!
死ねやキチガイ! 悪霊は5年くらい前に、前半の長々しい馴れ初め話で挫折して、最近になって再挑戦したら一気にすらすら読めた
何でかは分からないけど、タイミングってあるもんだと思う それにしても悪霊って死にすぎ
ドストエフスキーの作品って、自殺か殺されるか病死何でもあって、よく死ぬw 白痴は新潮の木村浩訳より河出の望月哲男訳の方がいいな
木村訳はきれいすぎて上っ面だけをなぞってる様な気がして文章が頭に入ってこない
ちなみにこの2人トルストイのアンナカレーニナも訳してるけどこれは真逆で木村訳の方がいい
望月訳アンカレは少し格調が低くてハーレクインみたいになってる >>910
> 白痴は新潮の木村浩訳より河出の望月哲男訳の方がいいな
> 木村訳はきれいすぎて上っ面だけをなぞってる様な気がして文章が頭に入ってこない
おれは最初米川正夫訳カラマーゾフから入ったんだ。とても好きでぜんぶ米川正夫でそろえたんだ。でも白痴だけたまたま新潮の木村浩だった。
そしてこの美しい翻訳がダイスキなっちゃった。
「たぶん最初に読んで感銘を受けた作品の翻訳文が基準になるのでないか?」
俺の場合だと「カラマーゾフ」「罪と罰」だったら米川、「白痴」だったから木村と? 違うかな? ぐぐってみた
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E.H.カー「ドストエフスキーの作品のうちで最も深い悲劇的な作品で、他の傑作にはみられない清澄さにつらぬかれている」
トルストイ「これはダイアモンドだ」
木村浩訳は、やや硬質であるが思索的で格調高い日本語であることを特徴とする。最近の望月哲男訳も優れた訳であるが、やや会話的である 持ってるドストエフスキーは新潮で読んできたんだけど、翻訳者によって受けるニュアンスって結構変わっちゃうのかな?
あまり気にしてこなかったので、損してるのかもしれない 159 名前:呑んべぇさん [sage] :2017/06/06(火) 03:36:15.36 ID:FJcsV8Gr
水割り4杯程度で酔うなんてねえよな!
いま目の前にバンクリンクが踊ってるけど普通だよな!
もちろん俺は全裸だ!
チンチンは萎んどる!
絨毯が揺れてバンクリンクが踊っとる!
酔ってねえよね!
4杯程度で酔うわけがねえ!
ガハハハ!
さっきまで
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
オッパ!ガンダムスタイル!
と叫びながら中腰で腰を前後に振っとった!
水割り4杯程度で酔うわけがねえよな!
酔うわけがねえ!
ガハハハ! >>913
変わるっちゃ変わる、もちろんコアな部分は同じだけど翻訳者によって細かい訳語のチョイスやニュアンスは異なってくるからね
ドストとは関係ないけど村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』なんか読むとよくわかると思うよ
あとはデカい本屋で『地下室の手記』辺りを江川訳と安岡訳で読み比べてみるとか 「人間というのはたえず子供のように面倒を見てやらねばならぬ」
というのは
ゾシマ自身を含めて、言ってるんやでぇ〜
だから、切り文で、その一文だけを見て、直感的に印象で言ったらダメなの 江川先生訳はスタキリ、スタチホ、キリピョー と言った密室思想戦の迫力もあるからね
ワダイヲカエマショウのステパン先生のシーンがコントめいた調子なのに対して、
思想戦の時は緊迫感を漂わせて雰囲気が全く変わってる >>909
悪霊は、たしか作中で10人近く他殺自殺が出て、
5大長編の中では一番多かった。次に多いのが未成年だったかな?
スタヴローギン、シャートフ、キリーロフ、レビャートキン、
マリヤ、リーザ、それにシャートフの妻と赤ん坊、マトリョーシャ
まだほかに誰かいたかな 悪霊のスタヴローギンの告白読み返すのに、新潮以外を買ってみるかな
さすがに今はまだ、悪霊全てを読み返すのは精神的にもたなそう
>>920
悪霊は、ステパンだけがいい死に方だよね
みんな何処と無く憐れな最後 442 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/01/27(水) 11:11:21.15 ID:ouB6wRYe
2日で飽きた知合いがいる
あれから5年
マリーナ代金だけは払い続けてる
でもこんなの普通だよな
443 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/01/28(木) 12:01:07.08 ID:TWGwwUJV
>>442
普通だ
444 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/01/31(日) 05:50:19.38 ID:K9IsAo6b
大抵は1週間程度で完全に飽きる
これは鉄板事項だ
例外はない
あとはマリーナへの寄付金納めに徹する
448 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/03/22(火) 05:10:47.47 ID:RaVfcME8
>>444
当然だ!
449 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2016/03/23(水) 10:03:13.01 ID:p39Gz2Rd
>>444
1週間も持たないだろ
1回乗ったらもうあとは乗らない
俺は1回乗ってからもう8年は乗ってない 御朱印頼んだら坊主の態度が悪かったんで300円を顔に投げ付けたったわ!
当然だよな!
キチガイ坊主なんだからよ! 五 アーメン・アーメン
長老が庵室を出ていたのはおよそ二十五分くらいだった。もう十二時半を回っているのに、この集まりの主要人物たるドミトリイ・フョードロヴィッチはいまだに姿を見せなかった
-------------
ミーチャの影響受けて、俺もよく遅刻した。ミーチャみたいでカッコいいと。 見受けるところ、ミウーソフも熱心にその話に容喙しようと
していたのだが、この時もまた彼は運が悪かった。
どうやら彼は二流どころの役割しか当てがわれていないらしく、
彼のことばには答えるものもあまりなかった。この新しい情勢が、
しだいに鬱積した彼の癇癪を、ますます募らせるばかりであった。
彼はもう以前からイワン・フョードロヴィッチと学識のせり合いを
していたのだが、相手の示す粗略な態度を、冷静に我慢することが
できなかったのだ。『少なくとも、今日までわれわれはヨーロッパ
における、いっさいの進歩の頂上に立っていたのに、この青二才が思いきりわれわれを軽蔑してやがる』と彼ははらの中で考えた。
----------------------------------------------
今も2ちゃんのスレで、おれもミウーソフになっちゃう。ミウーソフみたいな扱い受けて、脇役にまわされて、おんなじキモチなっちゃう! 「あんたがさっき『いとしげに接吻しぬ』の後ですぐ帰らないで、
こうした無作法な仲間といっしょに踏みとどまるようになられた
のはどういうわけでしょうな? それはほかでもない、あんたは
自分が卑しめられ、侮辱されたような気がするものだから、
その意趣返しに、一つ利口なところを見せつけてやろうと思って
踏みとどまったのでがしょう。もうこうなっては、利口なところ
を見せないことには、お帰りになるわけにはいきませんからなあ」
「またですか? なんの、今すぐにも帰りますよ」
------------------------------------
きのうも芸能板でミウーソフにされて「アホ扱い」されたから、「利口なところを見せるまで」「おれの偉大さをわからせるまで」決してスレから出て行かないと、決意した!! フョードルの印象は無神経で、おおよそ知性や理性とは無関係の人かと思ったけど、意外と名言めいた言葉とか相手の心情をよく読んでいる
「オレにとっては、ブスなんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分が備わっているんだから」
カッコいい おまえら最低だな!
恥を知れ!せめて顔を隠すもんだろ!アホ!
80 名前:本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 [sage] :2017/06/11(日) 13:35:54.26 ID:wtqS++/v0
110 名前:萌える名無し画像 [sage] :2017/06/11(日) 04:31:36.69 ID:b0lIJpIJ0
https://pbs.twimg.com/media/CDrHNO3UEAAJXKc.jpg >>931
おまえ、何がしたいの w? 俺達のハイレベルなカキコについてこれないから嫉妬してんの?
お前はミウーソフの生まれ変わりや >>929
> 「オレにとっては、ブスなんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分が備わっているんだから」
>
> カッコいい
オレもこの言葉印象に残ってる、そして「実際そのとおり」「真理の中の真理」だと
おもう、年取った今
ところで、この言葉は、どのあたりに出てくるのかな?翻訳の違いで該当箇所を検索できなくて >>933
実は、ネットで翻訳関係なく拾ってきただけなんだ、でも気になるので探してみたよ
意外と記憶ってのは覚えてるもんだった
ぼくが持っているのは、新潮の原訳になるけど、目次は同じはずです
第3編、好色な男たち、コニャックを飲みながらで、フョードルとアリョーシャの会話
「俺にとって、これまでの生涯に醜い女なんて存在しなかったよ、これが俺の主義なんだ…」
新潮ならp335ってとこかな 新潮かちくまは全集収録作全て文庫化すればいいのに、ドストならペイ出来るだろ
ステパンチコヴォ村とか文庫になれば「ドスト=重苦しい」みたいなイメージは変わると思うがなあ 何でも文庫で買うようになって10年くらい
やはり何かの待ち時間とかで持ち運べないと嫌になった そう言う点で新潮は結構、古典も多いから助かる 論争はその瞬間ひたとやんだ。が、長老は以前の席に着いてから、さあ続けてください、と勧めるように愛想よく一同をみまわすのであった。
このひとの顔のありとあらゆる表情をほとんど研究し尽くしたアリョーシャは、このとき彼が恐ろしく疲れ果て、強いて自らを支えているのを明らかに見てとった。
近ごろ彼は力の消耗のため、ときどき卒倒することがあった。その卒倒の前と同じような青白い色が、今彼の顔に広がっている。くちびるも白けていた。
しかし、明らかに彼はこの集まりを解散させたくない様子であった。そのうえに、何かまだ目的があるらしい、――が、どんな目的であろう? アリョーシャは一心に彼に注目していた。
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ぼくは、このところの描写を心を込めて手入力した。なぜなら、アリョーシャが師を愛し、その精神力を信頼しきり、なおかついっさいの真理を「その顔から読み取ろうとする」様子に、心がふるえるからだ。
そして自分自身がアリョーシャの気持ちになって、こう自問した。
「ゾシマはなぜ?この集まりを解散させたくないのかな?」
「彼にはどんな目的があるのかな?」 「この人の至極珍しい論文の話をしておるところでございます」図書係の高僧ヨシフがイワンを指しながら、長老に向かってこういった。
「いろいろ新しい説が述べてありますが、根本の思想は曖昧なものでございます。この人は教会的社会裁判とその権利範囲の問題について、一冊の書物を著わしたある聖職の人に答えて、雑誌に論文を発表されたので……」
「残念ながら、わしはその論文を読んでおりませんじゃ。しかし話はかねがね聞いておりましたよ」長老はじっと鋭い目つきでイワンを見つめながら答えた。
「この人はきわめて興味深い観点にたっておいでです。」と図書係の高僧は語をついだ。
「つまり、教会的社会裁判に関する問題において、国家に対する教会の分離をぜんぜん否定しておられるらしゅうございます」
「それはめずらしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに尋ねた。 >>934
> 第3編、好色な男たち、コニャックを飲みながらで、フョードルとアリョーシャの会話
> 「俺にとって、これまでの生涯に醜い女なんて存在しなかったよ、これが俺の主義なんだ…」
> 新潮ならp335ってとこかな
お礼が遅れてごめん。ありがとう >>939
>「ゾシマはなぜ?この集まりを解散させたくないのかな?」
>「彼にはどんな目的があるのかな?
これに関しては、ぼくは軽い意味として捉えているよ、フョードルの為(意図)、それと普通なたわい無い時事問題を楽しもう くらいの興味があったと思う
きっと、あなたが求めている答えとは違うだろうけど
ぼくは、ゾシマのそういう普通的な所、つまりは俗物的に誰とでも団欒も好む普通の人格と、聖人として指導者的宗教家という人格の二律背反的なとこが人間らしきくて好きかな
ドストエフスキーのキャラクターの魅力は、ずばり人間味にこそあるとおもう しっかし、教師が学校の女子トイレにカメラ仕掛けたり、
医師が内科検診中にコソーリ撮影してたり、
合宿施設の従業員が、脱衣所で隠し撮りしてたり、・・・
連日山のように盗撮ニュースが流れてるが、これでも氷山の一角なんだろうな
今じゃ、レンズの直径なんて1_くらいだし、発見されてるのは稚拙なやり口のやつだけ
そのバレてる中でも、実際に通報されるケースは一部だし、
その通報されてる中でも、実際に逮捕されるケースも一部
報道にまで至ってるのは僅かだろうね
そう考えたら、盗撮犯1人発見したら、1000人は居ると考えた方が良いかも知れない
もはや、盗撮被害に遭っていない女性なんて0に等しいだろうな >>942
半日前からレス把握してる、猛烈に疲れて,返事書けないんだ
下準備ないと、書けない
>「ゾシマはなぜ?この集まりを解散させたくないのかな?」
>「彼にはどんな目的があるのかな?
カラマーゾフの中に、その答えが書いてあった記憶がある。それは途方もなく深い意味があるんだ(そう記憶してるし、当然そうなのだ。なぜなら一人の生命の森厳を見極めゆく師であり、万人を更生させる秘訣を所持する師であるから)
だが、君のレスはいつもぼくを喜ばす。それで早く何か書かないと、と思いこの駄文を投稿した。 カラマーゾフのフェラポント神父が
「ここの連中はパンから離れようとせん」って言ってましたが
人によってはパンって不浄な食べ物なのですか? ゾシマ長老の病状は重く、会合のあったときには自分の死期を明らかに悟っていた様子でした。
それに庵の中に人を集めたのも僧院では例のないことだったはず、ただ楽しみのためだけではなく、
会合についてゾシマ長老に思惑があったということは色々なところで示唆されています。
彼にはどんな目的があるのか、という会話もそれを補強してますね、小説的にいうと。
ゾシマ長老がミーチャの足元にぬかづいたのもミーチャの運命を暗示しているようですが、
後編の内容からさかのぼるとして、ミーチャが無実の罪を受け、その後イヴァンの手引きで脱出するだけなら、
ゾシマ長老がこうした行動にでる理由としてはすこし足りないという気がする。
ドストエフスキーにはこれを書いたときすでに続編の構想があったのかもしれない。
「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
聖書におけるパンというのは人間の糧そのものです。
フェラポントのいうパンとは衣食住の食の部分に固執してはいかんということでしょう。
キリストはその比喩を昇華させて、自分こそ命のパンだと教示しました。
だから、礼拝ではワインとパンがでてきますね。 >>944
なるほど。そういうわけですね
わかりやすいです。ありがとうございます。 アンカミスです。すみません。
>>947さん宛です >>945
ここでのパンは物質的な欲の事を例えてる
キリスト教でよく使われる例え話だよ
何を食べるとかばかり執着しないで、もっと大切な物のため(精神的な幸福や信仰)を見よう、ってところかな >>947
ありがとうございます。あなたが枠組みを書いてくださったので、記憶がよみがえりました。
> ゾシマ長老の病状は重く、会合のあったときには自分の死期を明らかに悟っていた様子でした。
ゾシマの「病状は重く」「自分の死期を明らかに悟っていた」ここがきわめて重要でないか。ゾシマがアリョーシャに語る、ひとことひとことは、皆ことごとく「遺言」である。一見して笑顔で機嫌よく見えたとしても、冗談を言っていたとしても、その外面に騙されてはならぬ。
> ゾシマ長老がミーチャの足元にぬかづいたのもミーチャの運命を暗示しているようですが、
----------------------------------------------
七 野心家の神学生
アリョーシャは長老を寝室へ助け導いて寝台の上へかけさせた。
それは、ほんのなくてはならぬ家具を並べただけの、ささやかな
部屋であった。寝台は幅の狭い、鉄製のもので、その上には蒲団
の代わりにフェルト毛布が一枚だけ敷いてあった。片隅には、聖
像の前に経机がすわっていて、十字架と福音書とが載せてある。
長老は力なく寝台の上に腰をおろしたが、その眼はぎらぎらと光って、
息づかいも苦しそうであった。坐ると、彼は何か思いめぐらすように、
じっとアリョーシャを見つめるのであった。 ドストエフスキーで、度々目にするヴォルテールを一冊読んでみようと思い、寛容論を選んでみた
世界史のように長々しい文章と説話を読んできて、「徳は知にまさるべし」の章に着いた時は、プラトン(国家)の「思惑と知識は別物である」を想定した
そして、カラマーゾフの兄弟でアリョーシャはコーリャに「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた」の箇所を思い出し、この言葉の意図に近づけたと思っている
ぼくたちは、「卵を割るのには大きい端か小さい端か」で争うように、同じ結果を求めるのにやり方が違うと争っていると思う
何でも揉めている問題は果たして、時には虐殺をも必要とするような問題なんだろうか、血でしか贖えないような問題など存在するのか、
なんて勝手に思った事書いてみた 「行ってこい、行ってこい、わしのところにはポルフィリイが
ひとりおったらたくさんじゃで、おまえは急いで行くがよい。
おまえはあちらで入用な人じゃ、僧院長のお食事《とき》へ行
って給仕するがよい」
「どうかお慈悲でもって、ここにいさせてくださいまし」と、
アリョーシャは祈るような声で言った。
「いや、おまえはあちらのほうでよけい入用なのじゃ、
あちらには平和というものがないからなあ。
給仕をしておったら、何かの役に立とうかもしれぬ。騒動が始
まったらお祈りをするがよい。それにな、せがれ(長老は好んで
彼をこう呼んだ)このさきここは、おまえのいるべき場所では
ないぞ。よいか、それをよく覚えておるがよい。神様がわしを
お召し寄せになったら、すぐにこの僧院を去るのじゃぞ。すっかり
去ってしまうのじゃぞ」
アリョーシャはぎくりとした。
「おまえはなんとしたことじゃ? ここは当分おまえのおるべき場所でない。
おまえが俗界で偉大な修行をするように、今わしが祝福してやる。
おまえはまだまだ長く放浪すべき運命なのじゃ。それに、妻も持たねばならぬ。きっと、持たねばならぬ。
そして再びここへ来るまでには、まだまだ多くのことを堪え忍ばねばなりませんぞ。 手作業で改行するしかないのかね?「長すぎる行があります」エラーで苦しんで
何か策があるかググってるが、理解できん。引用箇所を絞るべきだろうが、
読み手が、必ずしもカラマーゾフを暗唱するほど精通してるとは限らないと思い。 いつもカキコ作成完了後に、2ちゃんの形式に合わせる部分で、苦労する。
カキコといっても、ほとんど引用だが。しかし単純コピペではない。おれの魂に響く米川文でなければ、納得ゆかん。
>アリョーシャはコーリャに「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた」
あったね! まるで「自分が実際に経験したこと」「自分の青春時代の一こま」のように感じる。自分がツレと会話したかのような、混乱した記憶だ。
「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったけど、人類を愛していたよね!!?」
してみると、君と僕は、青春時代を共有したのかね? なんスレか前に、まだカキコしない前に、「目が悪いから読めない」と愚痴ったら
誰かが一喝してくれた。それをいま感謝す。困難があっても、無理やりでも書けばいいんだ!
なぜなら、「書くに値するからだ!」「読むに値するからだ!!」カラマーゾフは。
世界的に評価が高いから、というのもある。でもそれ以上に大事なのは、おれが思春期に読み込んだからだ!
すなわちそれは、自分自身の青春の日記帳だからだ!! さっきのゾシマのセリフ、途中なんだ。これからが大事なんだよ。
このままだと、無際限に、だべっちゃうから、やめるよ?
だいぶん先になるけど、カキコすんね。
みんなのカキコ楽しみにしてるから!! 面白い解釈だか、きっと、読んだ本が同じだったか、傾向で同質の本を読んでいたのか
ただ解釈からくる嗜好がにているんだろうか >>969
ミーチャが遅れても待ってただけは待ってるよ 教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
誰かが解説してくれたらうれしい >「ヴォルテールはあまり神を信じていなかったけど、人類を愛していたよね!!?」
してみると、君と僕は、青春時代を共有したのかね?
ああこれは、あまりに遠い昔に読み込んだものだから、書物の中の言葉ではなく、このセリフを実際に自分が言ったものと感じてしまったんだ!?
「どうして君は、このセリフを知っているんだ?」と。
ごめんね。あまりに気が狂ったカキコだな。 気になる箇所が似てるね
人によってスルーしてる言葉が、自分には凄く気になったりする 不思議だ
>>963
>教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
>誰かが解説してくれたらうれしい
誰の、どの辺の事? >>965
> >教会的社会裁判 云々の部分が、よくわかんない
> >誰かが解説してくれたらうれしい
> 誰の、どの辺の事?
僕が前引用した、下の部分さ
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「この人の至極珍しい論文の話をしておるところでございます」図書係の高僧ヨシフがイワンを指しながら、長老に向かってこういった。
「いろいろ新しい説が述べてありますが、根本の思想は曖昧なものでございます。この人は教会的社会裁判とその権利範囲の問題について、一冊の書物を著わしたある聖職の人に答えて、雑誌に論文を発表されたので……」
「残念ながら、わしはその論文を読んでおりませんじゃ。しかし話はかねがね聞いておりましたよ」長老はじっと鋭い目つきでイワンを見つめながら答えた。
「この人はきわめて興味深い観点にたっておいでです。」と図書係の高僧は語をついだ。
「つまり、教会的社会裁判に関する問題において、国家に対する教会の分離をぜんぜん否定しておられるらしゅうございます」
「それはめずらしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに尋ねた。 <ヴォルテールはあまり神を信じていなかったが、人類を愛していた
原文は青空にないのでうろ覚えですが、このあとに、そのため、その愛は不十分だったようですと続くはずです。
神を信じなければ愛は不十分というところには人によってはキリスト教徒の傲慢と見る人もいるかもしれない。
そういう意見もあるでしょうが、私は違う意見です。
アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
<教会的社会裁判
原文まで引っ張り出して色々あたってみました、久々にちょっと勉強した気になりましたw
裁判は私たちの理解では例外なく社会的なものですから、社会裁判とは不自然な用語ですね。
教会的というところは教会という単語の副詞で、ロシア語はあらゆる単語が形容詞や副詞になり、米川正夫訳ではそれを〜〜的とすることが多いです。
直訳ですがそれで原文のニュアンスは崩れない。日本語の表現としてはやはり硬いので、亀山郁夫はこの部分でずいぶん苦心したんじゃないですかね。
ロシア正教のことには詳しくないですが、教会には教会の法というものがあって、それは国家の定める法律とは別のものです。
イヴァンの議論から察する、イヴァンが論駁した元の論文は、カトリックでいうところの教会法の適用範囲を論じたものだったでしょう。
それに対するイヴァンの主張は簡単にいうとそもそも論です。
国家が教会の役割をするようになることが理想で、理想の実現のために努めなければならない。
それがかなえば「教会と国家という別個な二者の本質の混淆」はおのずと解消される、ざっくりいえばこうなるでしょう。
このスレでも時々いますし、詳しい人がいれば正確なところを教えてくれるかと。 >>967
確かに、理神論で有神論ではないために、ヴォルテールはアリョーシャから「あまり…」と、見られてる
けれども、かれの著作内では、はっきり神を認めてると断言してるし、ぼくも読んでてそう思った
「戦争や殺戮はなくならないのかもしれない。曲がりなりにも現在が平和ならば、そんな時こそお互い憎まずいよう」
「この本を読んで、読書が少しでも人に優しくか寛容かになれる事を願っている」
ぼくは読んでみて、ヴォルテールは、信仰も人類愛も十分だと思った
>アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
本当にそうだよね 静かに物言わずかとおもうと、誰よりも本質をついてくる
そして、個人的にはイワンに惹かれるけれど、実践すべきはアリョーシャだろう >そのため、その愛は不十分だったようです
そうです、そうでした。脳から検索・引用とはさすがです。
>>968
> ぼくは読んでみて、ヴォルテールは、信仰も人類愛も十分だと思った
実際に読んだあなたには誰もかなわない。先のベーコンの彼の場合といっしょだ。歴史上の偉大な思想家であるから、ヴォルテールにせよベーコンにせよ、ぼくたち凡愚には到底考え及ばない思想の宇宙があるのはまちがいない。
とはいいながら、僕らが愛し信頼するアリョーシャが「その愛は不十分だった」というなら、スンナリ信じてしまう。 >裁判は私たちの理解では例外なく社会的なものですから、社会裁判とは不自然な用語ですね。
教会的というところは教会という単語の副詞で、ロシア語はあらゆる単語が形容詞や副詞になり、米川正夫訳ではそれを〜〜的とすることが多いです。
あなたの文に学んで考えると、「教会社会における裁判」みたいな?
>イヴァンの議論から察する、イヴァンが論駁した元の論文は、カトリックでいうところの教会法の適用範囲を論じたものだったでしょう。
それに対するイヴァンの主張は簡単にいうとそもそも論です。
国家が教会の役割をするようになることが理想で、理想の実現のために努めなければならない。
まとめ、ありがとう。理解に資した。
それの意味するところは、カラマーゾフの第六編、アレクセイがまとめた「ゾシマの説教」の中に、明快に説明されていたと記憶。 ※カラマーゾフを語るにあたっての2ちゃん論
2ちゃんでは、顔と顔を合わせて、しゃべってるのではないのである!
文字だけなのである。相手の考えに反駁しよう、それは違う!とおもったときに
衝突を恐れれば、無難な、相手の気持ちに合わせたカキコしかできなくなるのである!!
むしろ衝突前提にカキコすべきである。そのためにこそ
「オレお前」は発明された。これは大いなる知恵である。 もう少し補足すると、教会的社会裁判を原文にあたると、
церковно-общественном суде
となります。あえて柔らかく訳すなら、教会社会における裁判となります。
この部分はちょっと直訳しすぎですね。ただ、同じルールで全文を訳しているからこその米川訳のリズムなので、ここだけで訳として悪いとは判断できません。
日本語として柔らかく訳すことだけ考えて訳し方が一定でなければ、文章にも躍動感がでない。
それで、церковно-общественном судで検索してもカラマーゾフの原文しかヒットしないのをみるに、こういう語彙があるわけではないようです。
おそらくЦерковный суд(教会裁判)のことでしょうが、日本語でこれを解説してるところはぱっとあたるだけではみつかりません。
ロシア語のWIKIはちょっと専門的な用語が多すぎて私の手におえません。
正直歴史にも正教にも詳しくないもので、おそらくカトリックの教会法に準ずるものがあり、また教会内に裁判がある、くらいしかわかりませんね。
ちょっと脇道にそれますが、今年四月にロシアでエホバの証人が過激主義団体に認定され、活動が禁止されました。
エホバの証人の印刷物でロシア正教の教理を批判したことが原因です。
今のロシアでも政治と宗教の関係は密で切り離せないもののようですね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。