☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part43 [無断転載禁止]©2ch.net
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カラマーゾフの兄弟 における国家と教会の問題 - 木寺律子 著
http://yaar.jpn.org/robun/bulletin39/051-057kidera.pdf
要約
1.イヴァン・カラマーゾフの論文と修道院での論争
イヴァンは,まず,西欧やロシアにおける国家と教会の関係を説明する。イヴァンによると, 国家と教会という別々にあるふたつの基盤の混同は永遠に続く
ローマ帝国は,キリスト教国となったときに単に国家の中に教会を編入しただけ
で,ローマ帝国の政治そのものは異教的な伝統の上に立っていたからである。 例えば裁判において,国家と教会の間の妥協は厳密には不可能である。教会は国家
の一部であるべきではなく, 反対に,教会こそ自分 の中に国家全体を含むべきである。
イヴァンはさらに,もし一切が教会となれば,教会は犯罪者を流刑や死刑にせず,単に破門するにとどめるであろうこと,そうなれば犯罪者は人々から離れるだけでなくキリストからも離れなくてはならないこと,
しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。
イヴァンは国家と教会の関係というヨーロッパの歴史上の大きな問題を扱うにあ
たって,主に犯罪や裁判の問題から考えている。
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※コメント
カラマーゾフ本文からそのまま引用されてるみたい。いまコメント思いつかないがゆえに、オレもそのままコピペ。 >ただ、同じルールで全文を訳しているからこその米川訳のリズムなので、ここだけで訳として悪いとは判断できません。
日本語として柔らかく訳すことだけ考えて訳し方が一定でなければ、文章にも躍動感がでない。
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あなたも米川?そうです。まさにリズムであり躍動ですよね!とはいいながら、他の訳文から入った人もいるわけで、押し付けるわけにゆかんし、もどかしいところだよね >>968
>アリョーシャは人あたりよく謙虚なのに、こういう問題では大胆に本質を掴もうとするのが面白いですね。
本当にそうだよね 静かに物言わずかとおもうと、誰よりも本質をついてくる
そして、個人的にはイワンに惹かれるけれど、実践すべきはアリョーシャだろう
きみぼく、あなたわたし、オレお前―――― どれを使って呼びかけようか迷ったが
「あなた」にする
あなたは「どうゆうところが」イワンに惹かれるの?
ところで、イワンとアリョーシャの違いはなんだろう? >>972
反駁する者は、相手を納得させるか、もしくは第三者が納得できるだけの理屈を述べなければいけない、これは自分で心掛けてる 特に主観を言う時は必ず
論には論を付けて返す、とても単純だけど重要だよね
2chで見れば、他のスレッドと比較するならば、ドストスレは結構いい方になるんじゃないかな
対立の中にも、相手を論理的に認めてる人もここではよく見かけるし
言い方は悪いけど、人格否定と嘲笑で反駁した気になってる自惚れ屋には口論こそ望ましいし、2chスレにはとて多くいるしね
もちろん、あなたのいうと通りに、衝突を恐れる事は愚かだし、衝突しなければ止揚はない
まるで無神論者が一番の信仰者に変わるように
ちなみに、キリーロフが有神論者になったら最高のキャラクターなのに、って思うんだ >>977
>あなたは「どうゆうところが」イワンに惹かれるの?
>ところで、イワンとアリョーシャの違いはなんだろう?
イワンに惹かれる理由は、できる限り簡素にいうと、自分がいった理論に自分が悩んでる所かな
肯定も否定もできず、解決がない
神がいなければすべて許される。なんていっといて、神の有無善悪に悩んでる
「本当に人間味があって」ひかれるんだ
そこがアリョーシャとの違いでもある
アリョーシャは、ぼくにとっては優し過ぎるし、目指すべきでも、自分には近くに感じない
彼の悩みは高すぎて共感に欠ける(自分にはだけど)
呼ぶ方のご配慮ありがとう >>973
その話にある、一つのキリスト教の宗派が禁止された現在のロシアは、まさに「教会が国家に変わる」理論の正反対を行ってるね
教会を国家の母体とする事が正しいならば、国家は宗派に干渉すべきではなくなる
そして、教会が国家を内包するべきだっと言った真意には、善悪(倫理)として犯罪を抑制するにはキリストの救いが必要条件とした
宗教をあまりに政治化してしまうとまさに以下にある、
「しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。」
これを進んでやるようなものだよ >そのため、その愛は不十分だったようです
さすがに自信がないですが、この台詞のときアリョーシャは顔を赤らめていたのではないでしたか。
思想にかぶれた青二才がいうようなことをいってしまったことへの羞恥かと、台詞だけとれば考えるのが普通でしょうか。
しかしこれはアリョーシャですから、分不相応なことをいったという意識があったと考えるのが妥当でしょう。
たとえば、私はそういうところに出くわしたことはないですが、ドラマか何かのように、始終「私を愛してる?」と相方に問い続ける女の子がいるとして、
その子にとって十分な愛とはどのようなものでしょう。
あえてそういう視点に立って、宗教にとっても人間にとってもつねに誠実でありつづけるアリョーシャにとって十分な人類への愛とはどのようなものでしょう。
そもそも、敬虔なキリスト教徒であればその愛が十分になるのでしょうか。
もし重く考えようとすればこの問題はそう簡単には片付きませんし、議論にはしっかりとした前提が必要です。
ですがこの部分は軽く考えていいと思いますね。
アリョーシャの台詞に意味深長なところはありません。コーリャの背伸びした台詞にたいして、真面目に受け答えしただけだろうと思います。 >>980
> 「しかし現在の状況では犯罪者は刑罰を受けても,自分は盗みをしただけで教会に叛くわけではないと考えて反省しないことを述べる。」
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この人たちは 僕の運命のために,僕の養育のために,僕の教養のために
,僕をよくするため,僕を人間にするために,何一つしてくれなかった。
この人たちは僕を食べさせもせず,飲ませもしなかった。
裸で牢獄にいる僕を訪ねもしなかった。そして僕を懲役に送ることにした。
僕はこれで勘定を済ましたから,今では彼らに少しも負うところが無い,
永久に誰にも負うところはない。
彼らも悪人なら僕も悪人になろう。
彼らも残酷ならば僕も残酷になろう。
誤れる裁判、フェチュコーヴィチの弁論より
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この気持ち、痛いほどわかる。というより、ほとんど大半の犯罪者は、皆こう感じているのではないか??
社会も2ちゃんねらーも、ときに地獄の側面を見せないか?
孤立し、犯罪に近縁となったものにとって、社会的弱者、重篤な病で死に近づいているものにとって?
(作文を論理的に書けません。が、気にせずそのまま投稿します) ミーチャの気持ちを推定した,この弁護士の言葉通りに
まったくそのまま同じに、自分も考えたものです! >>981
果たして問いにある「前提」になるかはわからないけど、アリョーシャの愛については一つの傾向がある
それは常に聞き手であった、ということ
有名な大審問官もイワンの聞き手であり、ゾシマからは説話の聞き手、グルーシェニカやラキーチンやパイーシーやもちろんフョードルとミーチャも
聞き手に徹して、相手を肯定してあげている
セリフを注意して読むと、アリョーシャは結構相手の言った事を復唱して、自分の言葉で言い直してるんだ(フョードルとの会話は特にそう)
「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ではないだろうか?
だから、キリスト教徒と言うだけで、侵害するキリスト教徒なら愛とは呼ばないだろうね >>982
>彼らも悪人なら僕も悪人になろう。
>彼らも残酷ならば僕も残酷になろう。
人間的に、もしくは道徳的に間違っていると言われるだろうけど、ぼくもまったくそう思う
安易でとても受け入れやすいけど、スメルジャイコフになりかねないね >>984で言っといて思ったんだけど、
「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ならば、コーリャに対しては、自分の意見を意外と述べている
ここには、アリョーシャにとってコーリャは他とは違う存在を示しているように、思えてならない
続編があったらと、本当に思えるよ >>986
> 「相手を肯定する事が、アリョーシャの愛」ならば、コーリャに対しては、自分の意見を意外と述べている
(アリョーシャはいっさいにおいて受け止めると、万事につけてあなたに譲歩すると
いう。しかし「根本の問題は別ですよ」と)
「アリョーシャ、あなたはわたしに従うつもりなの? そんなことも前にちゃんと決めておかなくちゃならないわ」
「僕は、喜んでそうしますよ。だけど、根本の問題は別ですよ。根本の問題については、もしあなたが僕に一致しなくっても、僕は義務の命ずるとおりに行なうから」
中略
....もっとも、わたしはひどく立ち聞きしたくてたまらないんですが(それはわたしにもわかっています)、でもやはりしませんわ。だって、それが卑しいことだってあなたはおっしゃるんでしょう。今、あなたはいわばわたしの神様みたいな人よ。 「ところがね、今そのうえに、僕の大切な友だちが行って
しまおうとしているのです。世界の第一人者がこの土を見
すてようとしているのです。僕がどんなにこの人と精神的
に結びついているか、それがあなたにわかってくださった
らなあ! あなたにわかってくださったらなあ! しかも、
僕は今、たった一人でとり残されようとしているのです……
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長文引用どもw アレクセイとイワンの最大の違いはココだと思う↑
> ここには、アリョーシャにとってコーリャは他とは違う存在を示しているように、思えてならない
コーリャは未来だから! >>979
> イワンに惹かれる理由は、できる限り簡素にいうと、自分がいった理論に自分が悩んでる所かな
> 肯定も否定もできず、解決がない
> 神がいなければすべて許される。なんていっといて、神の有無善悪に悩んでる
> 「本当に人間味があって」ひかれるんだ
> そこがアリョーシャとの違いでもある
> アリョーシャは、ぼくにとっては優し過ぎるし、目指すべきでも、自分には近くに感じない
> 彼の悩みは高すぎて共感に欠ける(自分にはだけど)
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気取った言葉はやめる
イワンもアリョーシャも、ドストの脳から出てきたのである!
僕達は(君と僕は。イワンとアリョーシャじゃないよ? 当たり前かw)
ぜんぜん違う人間なのに、同じようにドストとカラマを熱愛するんだろうな!?
そして、確かまったく同じ翻訳テキストを読んだのに、君はイワンを「人間味があってひかれる」という。
ぼくは、アリョーシャに親しみを感じる。
この違いは、どこから来るのかな? この違いこそ、大事だと思う。
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いまこのスレで3人くらいに減っちゃたね? アラシ君さえいなくなったね。
この3人という数は... 実に素晴らしいね。このような魂の著作を取り扱うには、丁度いい。
この読書会において、きみらふたりを自分自身と同じくらい信頼している。カラマーゾフの精神的遺産を継承していこう。 <アリョーシャ
まず、アリョーシャが常に聞き手になっていることは、小説の中でアリョーシャがそういう役割を担っていることも差し引いて考えるほうがいいでしょうね。
イヴァンもそうでしたし、カーチャも、グルーシェンカも、コーリャもまたそうで、カラマーゾフの多くの登場人物がアリョーシャと話をすることを求めました。
おそらく、違うことを仰りたいのだと思いますが、ただ相手を肯定するだけの人はつまらないものです。
アリョーシャは相手の問題を自分のことのように考えることができたし、場合によってはあえて相手の意見を否定して核心に迫ろうとします。
カーチャとのやりとりがそうですね。現代ふうに言えば、アリョーシャにはそれだけの大きな器があったということでしょう。
最初の章を見れば幼いころから誰であれアリョーシャを愛さないものはなかった、そういう説明があったかと。
小説としてはありがちな設定にみえるので見逃してしまいがちですが、本編をとおしてみれば、実際アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人だとわかります。
依然由木康さんのヨハネの福音書解説で見たのですが、キリストは神の子であり、また人間でもあった。
では人間であるところのイエスキリストの他の人とはなにが大きく違ったのか、というのを語っていましたね。
人間イエスキリストが決定的に人と違っていたのは、弁舌の才でも、独自の思想でも、旧約の言葉を昇華するアイデアでもなく、
あらゆるものを愛することができた、という一点です。
人間の愛には限界があります。しかしイエスキリストの愛には限界がなかった。
キリストは普段は控えめに、隣人を自分自身のように愛しなさいと教示しましたが、自身は自らの敵さえ自分以上に愛することができた。
アリョーシャがそれほどの偉人だといいたいのではなく、たくさんのものを愛しうるということは、とても大きなギフトだと言いたいのです。
誰からも愛されるものは、誰をも愛せる人だけです。 三兄弟のうち誰に共感を覚えるかというのは、人によってずいぶん違いますね。
私もイヴァンが人間くさいというのはとてもよくわかりますし、正直棄教と信仰とのあいだで立ちつくしているイヴァンについてはもどかしいとか、もう少し頑張れないかと思ってしまう。
これは私が、イヴァンのように思想的な問題を深刻に抱えたことがないので、共感が薄いのかもしれません。
アリョーシャの行動原理のようなものには、強い共感はありますが、これはかなわないな、と思うことが多い。
感覚的にはこの二人ともに少しづつ共感を覚えますがややイヴァンより、という感じかな。
そういうチャートがあるわけではないので、どっちよりと言ってもあまり意味はないですが。
ミーチャについては正直全く共感できないですね。どうあっても自分がミーチャのように軽薄にも、勇敢にもならないだろうと。 悪霊でチーホン神父が聖書の引用を使う
ヨハネのもく
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 」 途中で押してしまった
悪霊でチーホン神父が聖書の引用を使う
ヨハネの黙示録かな
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 」
スタヴローギンに言うセルフだけど、ミーチャにあて嵌るよね
卑劣と高潔が共存するキャラクター 携帯だからか次スレッド建てられなかった エラー?
建てられる人はよろしくお願いします この際なので言っておこうかな。
次のスレッドではこういう形で自分の意見を言わないかもしれません。
私が沈黙するのは、自分の愛の限界を意識するときです。
なんて、かっこつけてみたりして。おつかれさまでした。 スレ出来てた ありがとう
あなたの意思は理解したし、沈黙の意味も分かる気がする 気が向いてタイミングだったらまたレスしてね >>990
> まず、アリョーシャが常に聞き手になっていることは、小説の中でアリョーシャがそういう役割を担っていることも差し引いて考えるほうがいいでしょうね。
> イヴァンもそうでしたし、カーチャも、グルーシェンカも、コーリャもまたそうで、カラマーゾフの多くの登場人物がアリョーシャと話をすることを求めました。
>
> おそらく、違うことを仰りたいのだと思いますが、ただ相手を肯定するだけの人はつまらないものです。
> アリョーシャは相手の問題を自分のことのように考えることができたし、場合によってはあえて相手の意見を否定して核心に迫ろうとします。
> カーチャとのやりとりがそうですね。現代ふうに言えば、アリョーシャにはそれだけの大きな器があったということでしょう。
> 最初の章を見れば幼いころから誰であれアリョーシャを愛さないものはなかった、そういう説明があったかと。
> 小説としてはありがちな設定にみえるので見逃してしまいがちですが、本編をとおしてみれば、実際アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人だとわかります。
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まずこの前段の部分について
全部そのとおり。ただし、「アリョーシャが大きなギフトを与えられて生まれた人」
ここは異見あり。
ぼくは、アリョーシャとは自分自身だと思っている。盗み、犯し、働かず、人を愛さない、その自分が、それでもなおアリョーシャだと思っている。
思春期に最初に読んだ時から、例えばゾシマがアリョーシャに言う言葉はすべて自分に言われたと受け取ってきた。
ギフトというよりも、むしろアレクセイが振舞ったごとく振る舞えば、即時に自分がアリョーシャと同等になるんだと。
ゆえにすべてにおいてアリョーシャと同じように、その方向へ人生を持って行こうとした。
具体的なことが書いてないから、わかりにくいけども。 フョードルのようなみんなの嫌われ者もいい所がある、と思えるようになったらアリョーシャになれるかもしれない
ここでの意味は本当に心からという事 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
life time: 96日 9時間 12分 17秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。