ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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前スレ ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止] http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/ カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured ザギトワすごいロシア美人て感じ グルーシェニカかよ >>82 ロシア人女性って若い頃はよくても中年以降はほとんどブクブク太りだすんだよね。 >>79 いずれ木村浩訳も読んでみたいです >>81 最後まで読んだけど、 全篇通して、ほとんど全人物の全言動について「なぜそうするのか」「なぜそう言うのか」が分からないままでした 私にはまだ難しかった これから作家の他の作品も読みつつ、また白痴もいずれ読み直そうと思いますが、理解できるまで先は長そうです 『かつて、あなたは僕を深く信頼してくださいました。おそらくあなたは今ではいっさいを お忘れになられたかもしれません。なぜ僕があなたにお手紙をしたためる気持になったので しょう? 僕にはわかりませんが、しかしあなたに、他の誰でもなくぜひあなたに僕のことを 思い出していただきたいという希望が、押えても押えても私の心に起こってきたのです。 あなたがたお三人は僕にとってはなくてはかなわぬ人です、僕は幾たび思ったことでしょう。 ところが僕はお三人のうちでいつもあなたばかりを見ていたのであります。 あなたは僕にとってはなくてはかなわないかたです。 どんなことがあってもなくてはかなわないかたです。 僕は自分のことについて別に何も書くこともなければ話すこともありません。 私自身もそんなことをしようとは思いません。 僕はただもう、あなたが幸福でいらっしゃればと望むばかりです。 幸福にお暮らしですか? 僕の申し上げたいのはただこれだけです。 あなたの兄なる エル・ムィシキン公爵』 この位置まで 読みました。 まるでおれが書きそうな手紙だなぁ、とおもいました。 というよりも、思春期にドストエフスキーを愛読し、無意識のうちにマネしてきた、影響を受けてきたんだなァ コォリャさん、どうか同封の手紙を アグラーヤ・イワーノヴナさんに渡してください。では、お大切に。 あなたを愛する 公爵エル・ムィシキン 「事もあろうに、こんな水腫れの小僧を信用するなんて滑稽だわ」アグラーヤは手紙をコォリャに返しながら、いまいましげにつぶやいて、侮蔑しきった顔をして彼のそばを通り過ぎて行った。 コォリャはもう我慢がならなかった。彼はわざわざこの時とばかりに、ガーニャにわけも話さずにむりやりにもらって来た、まだ真新しい緑色の首巻を巻いていたのであった。彼はひどく憤慨した。 ------------------------- 現在、引用中は、すべて初読。前後の文脈を省略のため、意味が取りにくいが、「コォリャはもう我慢がならなかった。...」のところ。 このような叙情的表現が、他の長編作品、たとえば罪と罰やカラマーゾフにあっただろうか? もちろん多々あったのだろうが、 どうしても、 白痴の場合は目立つ。それが表だ。 ハルカマニアの腰痛治療法。 https://youtu.be/iLhJuI4akTk 腰痛の権威・ハルク・ホーガンに勝ってはならない。 I fear no man. ドストエフスキーは白痴のような恋愛劇より罪と罰のような人間劇のほうが面白いね 罪と罰は事件や出来事の輪郭がはっきりしていて、(比較的)読みやすかったです 白痴は、人物の感情の動きに共感(理解すら)できませんでした 今、未成年を読んでいますが、素性の分からない人物がぞろぞろ出てきて、誰が何のために何をしているのかが記憶に留めづらいです 何年もかけて何回も読んで、少しずつ理解していこうと思っていますが >>91 未成年はとりあえずロスチャイルドに憧れてる少年が自分の父親像と本当の父親との間で葛藤するっていう若い頃の思い出に浸っとけばいいんじゃない? >>91 >罪と罰は事件や出来事の輪郭がはっきりしていて そうかなあ いちばん読みにくい作品だと思うけど それでも翻訳は訳者の意訳によって整理されていて 原著はロシア人ですら分かりにくい作品らしい 『まだ長いぞ、まだ三つの通りだけ命があるぞ。これを通り過ぎても、あとにはまだあの通りが残っている。その先にはまだ、右側にパン屋がある通りが残っている ...... パン屋のところまでたどりつくのは、ずいぶんかかるぞ!』 『ここに幾万という人間がいる、そして誰一人 として死刑になる者はないのに、おれだけが死刑になるんだ!』 わしは普段できもしない英語やその他外国語を使いまくっておる、ネット上で 機械翻訳で ところが、たとえ母国語でも、大天才ドストエフスキーの白痴から引用しようとしても、どの箇所を抜き出せばいいか とんと見当がつかん コピーアンドペーストを拒否するのだ。ドストのテキストは。 公爵が三姉妹に語る美しき物語を抜き出して、諸君のお目にかけ、白痴の真に大傑作たるを論証しようとしても、自分の能力を超えた作業に感じた >>94 翻訳にもよるんですかね 「読みやすかった」って言っても、誰が何をしている話なのかを把握しながら読めた、ぐらいのレベルです 理解できないのは大前提 >>91 > 罪と罰は事件や出来事の輪郭がはっきりしていて、(比較的)読みやすかったです ------------------------------------ ぼくはあなたのおっしゃることが よくわかりますよw 「事件や出来事の輪郭がはっきりしていて」まさにそうですね。よく「構成がいちばんしっかりしてる」と評される。 ---------------------------------------------------------------- > いちばん読みにくい作品だと思うけど > それでも翻訳は訳者の意訳によって整理されていて > 原著はロシア人ですら分かりにくい作品らしい ---------------------------------------------------------------- しかし、他面において、一段深く考えていくと、この人の言うとおりな部分もあるのでしょう。 あまりにも深く、比較を絶した文学なのですから >>91 > 白痴は、人物の感情の動きに共感(理解すら)できませんでした 公爵が三姉妹の面前に出て、死刑のこと、哀れなそして美しいマリアの物語するところ、そこに インスパイアされませんでしたか? 俗世の人物たるガーニャや そのほかとのコントラストを どう感じましたか? アグラーヤやナスターシャが公爵に恋していくごとく、ぼくもムイシュキンに引きこまれていった >事件や出来事の輪郭がはっきりしていて 翻訳はたしかに重大で、とくに自分が初読して感銘した翻訳者以外は拒否しがちな傾向性があるのか? でも、あなたは米川正夫で読んだから、まちがいない。 まだ第一遍しか読んでいない自分がエラそうにごめんなさいw 原テキストを読めないがゆえに、翻訳文をドストエフスキーそのものと考え、カラマーゾフにせよ 白痴にせよ、ここに引用するとき「これはちがう」と感じてしまう。(所持の電子テキストが すべて自分が若かりし頃 読んだものと違うから)それで引用をためらう。自然とここにカキコしなくなる。 しかし以前に、ある人が「バベルの塔」のことを、ここに書いた。 これはすべての外国文学を味わうものの宿命である。 この壁を情熱と信仰で乗り越えるしかない。 原文読める人は得だね 英語ならまだしもロシア語はなかなか縁がない 多くの人が白痴の最初のほうが面白くないと 他の人も口汚く罵っていた これはほんとに不思議なことだ あるひとは素晴らしいと感じ、別の人は「ひどい」とおもう。 だが、事実として、あるのだ >>106 傾向と好みの問題だからね 求めるものとは、自分に不足しているもの保管したいものと同義だから感性の問題なんだろう 白痴は世界最高峰の恋愛小説なんて言われるように恋愛の側面もある だからこそ好き、という人もあるし、だからこそ他がいい、という人もいる いずれにせよ白痴が好きな人は美しさが何かに興味ある人じゃないかと憶測してるよ、もちろん勝手な心理的印象だけれども たとえば埴谷雄高のように思想的側面に評価を下す人は「白痴」を好む 逆にバフチンのように構成や手法に評価軸を置く人はそれほど好まない といってもポリフォニー小説としては不十分という独断に過ぎないんだけどね 誰でも人生にある共通のテーマを取り上げているんじゃないの。手抜きして。 共通のテーマかなるほど しかしそれを書くのではなく、見つけるのが難しい 民衆 の 中 には 忍耐 強い 無言 の 悲しみ が ある。 それ は 自己 の 中 に 潜ん で、 じっと 押し黙っ て いる 悲しみ で ある。 ところが、 また 張り裂け て しまっ た 悲しみ が ある。 それ は いったん 涙 とともに 流れ出 てから、 もう 永久 に 経文 でも 唱える よう な 愚痴 の 形 を とる もの で ある。 こんな のは 特に 女 の 方 に 多い。 しかし、 これ とても 決して 無言 の 悲しみ より 忍び やすく は ない。 愚痴 は 自分 の 心 を 更に 毒し、 いっそう 掻きむしる こと によって、 ようやく 悲しみ を 紛らす ばかりで ある。 こうした 悲しみ は 慰藉 を 望ま ない で、 救い 難い 絶望 の 情 を 餌食 に する もの で ある。 愚痴 は ただ ひっきりなしに 傷口 を 突っつい て い たい という 要求 に すぎ ない。 スレチだけど最近の政治はオーウェルの描いた歴史修正主義を見ているようだ 無知は力なり たとえば農奴解放令(1861)、南北戦争(1861〜65)、インド大反乱(1857〜1859) といった具合に資本制社会への本格的移行と身分制社会の崩壊が1860年前後に起っていて 日本の明治維新もその影響を受けている この震源は?というとやはりヴィクトリア朝の覇権主義だろう 基本的に世界はつながっているので強大な軍事国家が登場と覇権拡大は 周辺諸国の再編成と軍事化を触発する ドスト作品なら「悪霊」の時期で 国権拡大を主目的とする西欧化(自由化政策)によって 身分的制約の緩みと集中化が同時並行的に進んでいく 新知事でドイツ系のフォン・レンプケがピョートルに 政府の命令で締め付けもすれば緩めもするといっているのはそういうこと 知事夫人は新世代をコントロールできると己惚れていたけれど これはその当時のロシア政府の考えでもあるわけだね >>117 世界歴史への巨視的な視点をありがとうございました もっと書いてください さらにまた作品本文への考えも書いてください 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾 ハナク 決シテ 瞋 ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日二玄米四合ト 味噌卜少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ 萱 ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ わたしは これは アレクセイのことを言っていると思う 死んだ智恵子が造つておいた瓶の 梅 酒 は 十年の重みにどんより 澱 んで光を 葆 み、 いま 琥 珀 の杯に凝って玉のやうだ。 ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、 これをあがつてくださいと、 おのれの死後に遺していつた人を思ふ。 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、 もうぢき駄目になると思ふ悲に 智恵子は身のまはりの始末をした。 七年の狂気は死んで終つた。 厨 に見つけたこの梅酒の 芳 りある甘さを わたしはしづかにしづかに味はふ。 狂 瀾 怒 濤 の世界の叫も この一瞬を犯しがたい。 あはれな一個の生命を正視する時、 世界はただこれを遠巻にする。 夜風も絶えた。 まだ読んでないが、ムイシュキンは死んでいく肺病病みの若者に対して 「どうか私達のそばを通り抜けてください。そして私達を許してください」と言うらしい。 妻を喪った高村光太郎の心情は、どんなだろうか?そして、私達がそれを体験する番になった時、私達は耐えることができるのだろうか? >>123 それはきっと世界に取り残されたような気分だろうね その肺病の若者は、死が近いものは生者に与されたあらゆる環境とは無縁だと感じてこういう とても印象的で悲しく感じたし、共感した人もきっと多いんじゃないかな 「ああ、この蝿でさえも、自分のあるべき居所を心得、この宴のコーラスの一員であるのに、僕一人だけが除け者なのだ。」 >>124 > 「ああ、この蝿でさえも、自分のあるべき居所を心得、この宴のコーラスの一員であるのに、僕一人だけが除け者なのだ。」 どんなに不幸と自分で思えても、また実際に重い病気や障害や孤独老齢であっても この人生を笑い飛ばしていくしかないよな! 病人 を 聖体 の 傍 へ 連れ て 行く やいなや、 今 まで 荒れ狂っ たり もがい たり し て い た もの が、 急 に 治っ て しまう という 奇妙 な 事実 も、『 あれ は た だ の 芝居 だ、 ことに よっ たら『 インチキ坊主 たちの 手品 かも しれ ぬ』 と 人 は いう けれど、 おそらく きわめて 自然 に 生じる ので あろ う。 ---------------------------------------- つまり 病人 を聖体 の 傍 へ 連れ て いく 女 たち も また 病人 自身 も、 こうして 聖体 の 傍 へ 寄っ て 頭 を 屈め た とき、 病人 に 取り 憑 い て いる 悪霊 が、 どう しても 踏みこたえる こと が でき ない もの と、確固とした 真理 かなんぞのように 信じ 切っ て いる。 ---------------------------------------- それ ゆえ 必然的 な 治療 の 奇跡 を 期待 する 心 と、 その 奇跡 の 出現 を 信じ き っ て いる 心 とが、聖体 の 前 に 屈ん だ 瞬間、 神経 的にそしてもちろん精神的に も病める女の 肉体 組織 に、 非常 な 激動 を 惹き 起こす ので あろ う( い な、 惹 き 起こす べき はず で ある)。 かよう に し て 奇跡 は わずか の 間 ながら 実現 する ので あっ た。 長老 が 病人 を 袈裟 で 蔽う た とき、 ちょうど これ と 同じ こと が 生じ た ので ある。 長老 の 傍 近く 押しかけ て いる 女達 は、 その 瞬間 の 印象 に 呼び 醒さ れ た 歓喜 と 感動 の 涙 に 暮れ た。 (我) この部分でもっとも大切なのは---------で囲ったところと思う。 ゾシマ自身も、狂い女も、病人を連れていく女たちも、一同に「確固とした 真理」として「信じ 切っ て いる。」 奇跡 は「わずか の 間」ながら 実現 する。「わずかの間」ということに注目せよ。 たとえ「わずか」であっても、女達 は、 その 瞬間 の 印象 に 呼び 醒さ れ た 歓喜 と 感動 の 涙 に 暮れる。 この場合治ることよりも重要なのは、「 歓喜 と 感動」なのである。それがあればこそ、狂い女の病をも喜んで周囲が支えいくのである。 ロシアって劇的だよね 狂気と正義が同居してるっていうか 最近の日本の内政はは平凡だけど平和に思える ロシアや旧ソ連なら文書改竄なんて日常過ぎて目も止まらないだろうし、何が問題なのかすら覚えない 日本はかなりましなのかもとドストエフスキー読んでると思ってくる 首相の靖国神社参拝について。 https://www.youtube.com/watch?v=ynh0taw_B4Y 国内に「死を望まれている男」はいるではないか? 「謙虚であることと、言葉が明確であること」 「 民衆 の 中 には 忍耐 強い 無言 の 悲しみ が ある。」について。 母 の なげき は 大変 な もの である。ゾシマはどの よう に 励ますのか。 長い引用 になるが、母の言葉とゾシマの言葉を、ほぼ全文。 ---------------------------------------------------------------- 「何 を 泣い て おる の じゃ な?」 「息子 が かわいそう なので ござい ます、 長老 様、 三つ に なる 男の子 で ござい まし た。 三つ に、 たった 三月 たり ない だけで ござい まし た。 息子 の こと を 思う て、息子 の こと を 思う て 苦しん で おる ので ござい ます。 それ も たった 一人 残っ た 子 で ござい ま し た。 はじめ ニキートカ との 中 に 四人 子供 が あり まし た が、 どうも わ たくし ども では 子供 が 育ち ませ ん。 どうも 長老 様、 育た ない ので ござい ます。 上 の 三人 を 失う た とき は、 それほど かわいそう とも 思わ な ん だ ので ござい ます が、 最後 の この 子 ばかりは、 どうにも 忘れる こと が でき ませ ん。 まるで こう 目 の 前 に 立っ て 退か ない ので ござい ます。 もう すっ かり わたくし の 胸 ん 中 を 日干し に し て しまい まし た。 あの 子 の 小さな シャツ を 見 ても、 着物 を 見 ても、 靴 を 見 ても、 おいおい 泣く ので ござい ます。 あの 子 の 後 に 残っ た もの を 一つ 一つ 広げ て み ては、 おいおい 泣く ので ござい ます。 「何 を 泣い て おる の じゃ な?」 ------------------------------------------------------------ 「ああ、 あれ は 遠方 の 人 じゃ!」 決して 年取っ て いる のでは ない が、 恐ろしく 痩せ ほうけ て、 日 に 焼け た と いう より まっ黒 な 顔 を し た 女 を 指さし て、 彼 は こう 言っ た。 この 女 は 跪い て じっと 眼 を 据え た まま、 長老 を 見つめ て い た。 その 眼 の 中 には なんとなく「気ちがいじみた 色 がひそんでいた。」(引用者カッコ付け) (我)「何 を 泣い て おる の じゃ な?」とさり気なく訊いているように見えるが、たぶんそうではない。 ゾシマは女たちの群れから、最初からこの女房の「最愛の子供をなくし 茫 然 自 失にうちひしがれた、狂的なまでの悲しみと絶望」を見て取っていたのだ! 当然と言えば当然であるが、のべ何万人の民衆の告解を聞いてきた彼にとっては、瞬時にその魂の状態を見抜くのである。(このことはカラマーゾフ本文にドストが解説している) そして想像するに、たとえ聖人ゾシマたりとも、この種の絶望と悲しみを癒やすのは、 容易な技ではないのである。しかしまた、それこそが『天が彼に与えたもう所の使命』なのだ。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) キリスト教は「生まれたての子供が死んだら地獄に落ちる」のはずだが ドストは真っ向から否定してるみたいだな >生まれたての子供が死んだら地獄に落ちる ひどい話だな 142 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :2018/03/18(日) 01:22:18.62 キチガイRAPTが信仰してる相手 https://i.imgur.com/ O8jlwaL.jpg バチカンが悪魔崇拝組織である事は明白な事実です キリストも悪魔の子です 世の中すべて悪魔崇拝だらけです イルミナティのマークだらけです >>127 > ロシアって劇的だよね > 狂気と正義が同居してるっていうか ぼくは日本人ももちろん、人間生命のドラマそれ自体が劇的だと思う。 それを活写する筆致がドストにはあり、そして彼はロシア人で、それゆえに 知る人にとってはロシア人の文化レベルの高さが世界的に尊敬されるのだと思う。 知らぬ人にとっては単なる「ろすけ」ということになると思う。 たった一人のドストなり、トルストイなり、チャイコフスキーの存在が、全国民の名誉となりうる。 このことは、韓国にも当てはまる。かの国民の一人が「いかに人知れず努力し、生命の犠牲も厭わぬほど他人に尽くしている」といったような人物がいることをしれば 自然とバカげた差別はなくなる。 ... またその一方で いわゆるネトウヨ的言辞というのはひとつの「プロ野球のひいきのチームみたいなもん」とも考えられる。 そういう気分は『誰でも少しはある』神経質になる必要はないとも言える。 急激な西欧化によって 西欧化の進んだ貴族層では旧世代 そして民衆との乖離が生じ やがて若者を中心に虚無感が蔓延し 社会の不安定会につながる 19世紀ロシア文学はだいたいこのパターン 日中韓の近代文学にも似たような問題意識は見られるが ロシア文学ほどの緊張感は生じない とくに日本の場合はロシアはもちろん 中韓よりも土俗的なものに対するこだわりはない それがアジアの土候国でありながら近代化に成功した最大の理由であるが 西欧文化の深奥(というほどのものでもないのだが)を理解できない理由でもある たとえば契約や信義則というのは宗教起源の倫理的なものなのだけど それがよく理解できないので日常生活レベルでもすぐに化けの皮が剥がれる 契約はたとえ口約束であっても契約であり、 たとえ書式を介さずとも厳守すべき事項であり 主体の一貫性と人格のの正しさの裏付けでもある そういう事すら理解していない 日本人全体がその程度のものだから現在国会で演じられているような醜態も 基本的に茶番に過ぎない 糾弾している側も大した倫理感は持ち合わせていないからね 685 吾輩は名無しである[] 2018/01/03(水) 03:07:29.28 ID:uXdoiOv+ 彼女は何故あの時、モロにパンチラしたのか? それも純白 https://i.imgur.com/XySaAyM.jpg 686 吾輩は名無しである[] 2018/01/03(水) 03:08:51.29 ID:uXdoiOv+ 貴重な証拠写真です 故に、残念ながら純白パンティは、お見せできません 悪しからず 687 吾輩は名無しである[] 2018/01/03(水) 03:18:36.24 ID:uXdoiOv+ その通りです 作家にも色気(パンチラ)は必要です https://i.imgur.com/PZpZTCK.jpg ↑抜けるわ アニメ。 http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/03/post-0321.html アニメの主人公は常に「イエスキリストの息子」である。 息子は「おじいさんのための聖戦」を行い、生まれながらの東大生である。 天使たちが取り巻いても父に潰され、母に甘えるのが下手でも父に潰される。 問題は「どれほど多くの時間が与えられるのか?」という問題だ。 神は死んだか?そうだ、未開の地では死んでいるのだ。 >>138 > 急激な西欧化によって > 西欧化の進んだ貴族層では旧世代 > そして民衆との乖離が生じ > やがて若者を中心に虚無感が蔓延し > 社会の不安定化につながる > 19世紀ロシア文学はだいたいこのパターン(ミスタイプと思われる修正) ---------------------------------------------------------------- 自分が熱中して読んだカラマーゾフ・罪と罰・白痴の一部、そのほか少々から 考えて首肯できます。 民衆との乖離が生じれば、当然の結果として、若者に虚無感が蔓延することでしょう。 これはそのまま今時の日本社会に当てはまりはしないか?不安定化というよりも「無気力化」として。 > とくに日本の場合はロシアはもちろん > 中韓よりも土俗的なものに対するこだわりはない 「土俗的なものに対するこだわり」とはなんでしょうか?ドスト作品でいえば たとえばどういうこと? > 西欧文化の深奥(というほどのものでもないのだが)を理解できない理由でもある > たとえば契約や信義則というのは宗教起源の倫理的なものなのだけど キリスト教由来の独特なものであることはわかります。しかし見方を変えると むしろ唯一神信仰的なものこそ劣ったものであるという考えもあり得ると。 キリスト教伝来時の日本人や明治のひとは「西欧近代文明は凄い」のに 「キリスト教は子供だましのお伽話」との印象を持った、と聞いたことがあります。 「この乖離はどこから来るのか」と。 > 契約はたとえ口約束であっても契約であり、 > たとえ書式を介さずとも厳守すべき事項であり > 主体の一貫性と人格のの正しさの裏付けでもある これはまさに宗教的なものが日常的なものの根幹にあるということですね。 >>138 たしかにヨーロッパや古代ギリシャなんかは歴史をたどると、国会を運営する政府または王は神の代理という考えがあるね 王権神授説によって国会の行為はすべて正当化される 今ある社会は最善の神の意志による状態なんていってもいい(この辺はちょっと前にあった最善論とかも思わせれるw) でも、日本はそもそも神の概念がない いったいなんの根拠を持って倫理と議会の正当性を謳っているのか疑問でもある >糾弾している側も大した倫理感は持ち合わせていないからね ここはすごく分かる お互いの正しさは何なのかがお互いに不明 正しさは強者の利益なんていう輩は家畜の心理みたいといったソクラテスの皮肉に共感する 日本は天皇は天から下った人間だし中国の天子の意味もそうだろう 信仰を皆で共感したり共有したりする作業は楽しいものだ。 なぜかロシアのキリスト信仰も日本人も理解共感ができることに 喜びを覚えずにはいられない。神に感謝。 特に意図はないんだけど、正しさと力の定義について思い出した言葉があるので勝手にコピペしてみるよ 「正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。 力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。 力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。 正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。 このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。」 パスカル、パンセより 強いものの為ではなくて、原理的に必要を求めている弱者に正義が向けられるような平和な世界になるといいね、現実的には難しいことだけども >>147 呉音読みでアクリョウと思います、たぶん。 正義と力。 ゾシマに当てはめて考えてみる。僧院内において強い権力と名声を持つ。 正しいから信じられているのか、最強の権力だから従うのか。 民衆はどうなのか。僧院の権力は、民衆にはおよばない。 哲学的な言葉とちがい、ゾシマがそこにあるかのように、僕には感じられる。 これこそドストやトルストイやダンテの文豪の力だ。 頭フラフラだァ。寝る直前に書いた。変だけど許せ! フョードル「ミーチャなぞわしの一物で毎晩ヒィヒィ言っておるわ」 >>149 正しいから従うのではなくて強いから従う、これはこの世の自然摂理なのかもしれないね アリョーシャですらゾシマの権威や神秘に魅了されていた部分もあるだろう サド伯爵は、正義とは強い者の利益であると言った 白痴のムイシュキンはこの定説に従えず、自分の美意識(正しさ)に従ったためにこの世で破滅したとも読める 一方で、罪と罰のラスコリニコフは強者の摂理のもを求めて破滅した ようはバランスの問題なのかもしれないとも思えるね サドはマルキつまり侯爵だよ ニワカ知識で知ったかぶるから こんな恥ずかしい間違いを犯すんだよ 241 名前:本当にあった怖い名無し :2018/03/21(水) 12:12:37.02 ID:tAyAvKji0 これ↓気になるね。 チャンネルくらら https://youtu.be/N3kLPCSWhmQ 25分以降に注目。 ・森友問題が(本当に)まさかの展開になる。衝撃の一打があの方から ・衝撃は最速で明後日(文春や新潮の早刷りとか全く関係なし)。遅くて3月25日。 ・“NIの会でなくOIの会です”との事。やっとわかってくれた。安倍辞めろデモはもうやらない方がいい。 ・一年前に業者の方がお亡くなりになった時、先日の近畿財務局の方の時、私が誰よりも早く報告した。その私が言っているのだから間違いはない。野党も市民運動家も間違えるな。 安倍首相も昭恵夫人も“全く”悪い事はしていない。 デモなどやめた方がいい。 >>152 > アリョーシャですらゾシマの権威や神秘に魅了されていた部分もあるだろう それは違う。アリョーシャはゾシマの権威に従わないことができた。完全に自由だった。 ゾシマを取り巻く崇拝と尊敬、それに加えて「見せかけの権威と神秘ではない」ことを 自分で体感して知ったがゆえに、長老こそ「究極の理想」にして「最高の正義」と覚知した! そして「愛に燃えた」 彼の下へ集う民衆も同じである。僧院内の他の僧侶もいっしょである。 強さで従わさせのではない。ゾシマは知力で押さえつけたのではない。パワハラでコントロールしたのでもない。 たとえば、カラマーゾフ本文中に「長老とはなんぞや?」という章がある。あとで引用して 説明させてくれたまえ! この 制度 が 私達 の 町 の 郊外 に ある 僧院 で、 いつ 誰 によって 始め られ た かは、 確言 する こと が でき ない。 しかし ここ の 長老 は もはや 三代 も つづい て、 ゾシマ は その 最後 の もの で ある。 しかるに この 人 が 老衰 と 病気 の ため、 ほとんど 死に なん なんと し て いる にも かかわら ず、 誰 を 後継者 と し たら い い か わから なかっ た。 これ は 僧院 にとって 重大 な 問題 で あっ た。 なぜなら、 この 僧院 には これ まで 何 ひとつ 有名 な もの が なかっ た。 聖僧 の 遺骨 も なけ れ ば、 霊験 あらたか な 聖像 も なく、 国史 に 縁 の ある おもしろい 伝説 も なけれ ば、 歴史的 勲功 とか 国家 に対する 忠勤 とかいう もの も ない。 それ にも かかわら ず、 この 僧院 が 隆盛 を きたし て、 ロシア 全国 に 名 を 響かし た のは、 取り も 直さ ず この 長老 の お陰 で あっ た。 彼ら を 見 たり 聞い たり する ため に、 ロシア の 全土 から 多く の 巡礼 者 が、 千里 を 遠し と せ ず、 群 を なし て この 町 へ 集ま っ て 来る ので あっ た。 ------------------- 冗長な引用になるが、上のような状況だ。ではなぜ、「ロシア全土 から 多く の 巡礼 者 が、 千里 を 遠し と せ ず、 群 を なし て この 町 へ 集まっ て 来る のか」 > ところで、 長老 とは 何 かと いう に、 これ は 人 の 霊魂 と 意志 を 取っ て、 自分 の 霊魂 と 意志 に 同化 さ せる もの で ある。 人 の 「霊魂 と 意志」を 取っ て、 自分 の 霊魂 と 意志 に「 同化さ せる」 何のために? >人 は いったん ある 長老 を 選び出し たら、 全く おのれ の 欲望 を 断ち、 絶対 の 服従 を もっ て、 長老 に 自分 の 意志 を 捧げる ので ある。 これも、「何のためか?」 > 願かけを し た 人 は 長い 苦行 の 後 自己 を 征服 し、 かつ 制御 する 日 が 来る のを 楽しん で、 こうした 試練、 こうした 恐ろしい『 人生 の 学校』 を、 自ら 進ん で 双肩 に 担う ので ある。 「願かけを し た 人 」は最初は相対的幸福から「願かけ」するのであろう。たとえば、一軒家に住みたいとか、病気が治りますようにとか。 しかし、長老との「 長い 苦行 」をへて、より絶対的本質的な幸福を希求するようになるはずである。 それは「自己 を 征服 し、 かつ 制御 する 日 が 来る のを 楽しんで待つ」という希望です。 この大きな希望があるがゆえに「 自ら 進ん で」 双肩 に 担う。 強制ではないんです。この試練に負けるときもあるし、負けるプロセスがまた大事だ。 それは長老との一対一 の関係性から習得される?「なぜできなかったか?」 >この 生涯 の 服従 を通じて、 ついに は 充実 し た 生活 と 完全 な 自由、 即ち 自分自身 に対する 自由 に 到達 する。 そして 一生涯 の あいだ 自己 を 発見 する こと の でき ない 人々 と、 運命 を ともに する のを 避ける こと が できる ので ある。 >この 生涯 の 服従 を通じて、 ついに は 充実 し た 生活 と 完全 な 自由、 即ち 自分自身 に対する 自由 に 到達 する。 そして 一生涯 の あいだ 自己 を 発見 する こと の でき ない 人々 と、 運命 を ともに する のを 避ける こと が できる ので ある。 ------------------ この末文は特に大事だ。 「生涯 の 服従 を通じて」はじめて「 自分自身 に対する 自由 に 到達 する」とある。 私達はすべからくこうした信仰生活へ入らなければならぬ。 三浦海岸の海開きを待て。 http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/03/post-b7a3.html キルケゴールは「週末に女のこと会える」から教会に行った。 しかし、カントは「地球という惑星が作り出す波の音」を作り上げ、男女の「セックスへの旅」 を作り上げた。 ニーチェのように「神は死んだ」と思うのであれば、父親も海は認めてくれるだろ。 >>159 服従や信仰や人間革命以外に この世には たしかに 女というものがあるね そうしてそれは 偉大な深遠なもの だね >>153 > サドはマルキつまり侯爵だよ > ニワカ知識で知ったかぶるから こんな恥ずかしい間違いを犯すんだよ そんな知識など必要ない。恥ずかしくもない。彼が一流の教養人で かつ善良な人間であることをよく知っているだろう? なぜ、場違いな煽りを入れるんだ? 力が正義って凄い理屈だな内容関係ないしブラック企業とか相撲界には下の人間にはクソみたいな理屈だな >>152 > 正しいから従うのではなくて強いから従う、これはこの世の自然摂理なのかもしれないね これを仏法では「畜生」とよび、動物界そして人間界の当然の真理というか、紛れもない一側面です。 > アリョーシャですらゾシマの権威や神秘に魅了されていた部分もあるだろう アレクセイも人間の一部ですから、当然その通りですね。 > サド伯爵は、正義とは強い者の利益であると言った 佐渡 読んだこと無いしw 、何が含意されてるのか、この一文だけではわからない。 > 白痴のムイシュキンはこの定説に従えず、自分の美意識(正しさ)に従ったためにこの世で破滅したとも読める そうですね!俺もそう思います > 一方で、罪と罰のラスコリニコフは強者の摂理のもを求めて破滅した > ようはバランスの問題なのかもしれないとも思えるね あらためて罪と罰や白痴も精読しないと、そう感じた。 >>162 > 力が正義って凄い理屈だな内容関係ないしブラック企業とか相撲界には下の人間にはクソみたいな理屈だな それが現実だからこそ!そうでばかりあっては僕達は不幸になるから、人間は宗教や哲学や、そのほか ありとあらゆる形而上学を生み出してきたんじゃないですかっ? 一知半解で、カキコの表面しか見えず 例えばもし俺が論理的整合してない文を書き、批判されたとして 俺が悲しむ以前にドストが悲しむぜ! なぜなら、俺達はドスト読みだからだぜ! ドストはナ、言葉の表面ではなく、魂の森厳を見極めたマナコを持っていたんだ だから末弟のおれたちも、その一分を持つし、また持たねばならんのだ! >>153 訂正どうも、高位を適当に確かめず打っちゃたわ >>161 ありがとう >>162 そういう姿勢で力のみを否定できる人間が増えることを願うよ自分も ドストが生きてた時代って1コペイカで何が買えたのでしょうか サド/マゾといった精神分析学的類型化は亀山郁夫の得意技だけど それで整理できるのかは疑問 >>168 > 池田大作とどっちが偉大ですか?? 難しい。偉大の定義による。文豪という点ではもちろんドストだ。しかし、大衆指導者として 膨大な数の創価学会員の精神生活に多大な影響を与えているというこの事実は否定しようもない。 >>167 > ドストが生きてた時代って1コペイカで何が買えたのでしょうか これは僕も前から気になってました、疑問でした。1ルーブリっていくらなんかな?って 主要作品を丹念に読んでいって比較類推していけばいいんじゃねぇ? >>169 > サド/マゾといった精神分析学的類型化は亀山郁夫の得意技だけど > それで整理できるのかは疑問 本家のジグムント・フロイトの著作ちょっと目を通したけど、あれだってドストの真実を捉え切れてるとはおもえない。天才ですらそうなのに凡才は当たり前田のクラッカー!!w 俺は早くID:RkJo2X+9のカキコが見たい 早くしてくれ!! 地下室の手記 第一部 フョードル・ドストエフスキー 第四章 『は−は−は!さあこうなっては君は歯痛にも快楽を見出すぞ!』と君は笑って叫ぶ。 −だから何?歯痛にも快楽はある、と僕は答える。僕にはまる一月歯が痛かったこと がある。だから僕はあるって知っている。もちろんその時は黙って腹を立てるのでは なくうめき声をあげる。 ところがこのうめきは素直ではなく、このうめきは悪意を伴い、そしてその悪意が重 要なところでもある。このうめき声にこそ苦しむことの快楽も表現される。 そこに快楽を感じないならうめくことにもなるまい。これはよい例なので諸君、僕は これを発展させよう。このうめき声の中には、まず第一に、この意識にとって屈辱的 な君らの痛みに目的など存在しないということが丸ごと表現されている。 すなわち丸ごと自然法則が。もちろん君らはそんなものにはつばをかけるだろうが、 それでも君らはそんなもののために苦しみ、一方そんなものの方は苦しみやしない。 敵が見つからないのに痛みは存在するという意識も表れている。さらに、歯医者が 総がかりになっても、君らは完全に自分の歯の奴隷であるという意識、誰やらが望 めば君らの歯痛もおさまるが、望まなければそのままさらに三ヶ月も痛むだろうと いういう意識、そしてとどめには、君らがなおも承知せず、それでも抗議するとい うなら、君らに残されているのは自らの慰みにただ我と我が身を鞭打つか、君らの 壁を握りこぶしで厭というほど打つことだけであり、それ以上は絶対に何もないと いう意識だ。 そう、そこで、まさにこの血まみれに傷ついた心から、まさにこのどこからとも知 れぬ嘲弄から、ついに、時には官能の絶頂にまで達する快楽が始まるのだ。僕は君 たちにお願いするが、諸君、いつかそのうちに歯痛で苦しむ十九世紀の教養ある人 間のうめき声を注意深く聞いていただきたい。 痛くなって二日目か三日目頃がいい。そうなるともう初日とは違ううめきが始まる、 すなわち単に歯が痛むからではない。野卑な農夫なんかのようにではなく、発達と ヨーロッパの文明の影響を受けた人間がうめくように、今日の表現で言えば『土地 と民族の原点を放棄した』人のようにうめくのだ。 そのうめき声は不快で、下劣な悪意に満ちたものになり、何昼夜も徹して続く。それ でいてうめき声が自分に何の利益も生まないことを自分自身わかっている。いたずら にただ自分も他人も傷つけ苛立たせていることを誰よりもよくわかっている。さらに は彼が精一杯のところを聞かせている聴衆だって、いや彼の家族全員もすでにうんざ りしながらそれを聞いているわけで、少しもそれを本気にせず、彼が別のやり方で、 もっと単純に、小節抜き、酔狂抜きでできるのにただ腹立ち紛れの意地悪からそんな ふうに悪ふざけをしているのを腹のうちではお見通しなことまで、彼はわかっている。 ところが、こうした意識や恥辱すべての中にこそ官能のにおいも含まれているのだ。 曰く、『僕はおまえたちを悩まし、心をかき乱し、家中眠らせない。そうだほら眠ら なけりゃいい、僕の歯が痛い事をおまえたちも常に感じていればいいじゃないか。 今ではもう、僕はおまえたちにとって前にそう見られるように望んでいた英雄ではなく 、単に下劣な人間、ごろつきにすぎない。なにそれで結構じゃないか!僕は大いに嬉し い、おまえたちにばれちまって。僕の卑しいうめき声はいやな感じかい?なに不快で結 構。そら今度はもっといやな小節をつけてやる・・・』これでもわからないか、諸君? いや、どうもこれは深く発達を遂げ、意識を掘り下げねばならないらしいぞ、この官 能の味の屈折したところをすっかり理解するには!君らは笑うのか?大いに嬉しいで すよ。僕の冗談は諸君、もちろん、調子は悪いし、ぎくしゃくして、つじつまがあわ ないし、自信に欠ける。だがつまるところこれは僕が自分自身を尊敬していないから だ。いったい意識する人間がいくらかでも自分を尊敬できるものだろうか? 1ルーブルは約1000円って書いてたサイトもあったわ 1.うめき声 に あらわれ て いる のは、 闘う べき 敵 の 姿 は 見え ない のに、 痛み は ある、 という 意識 だ。 2.いかに 優秀 な 歯科医 の ワゲンハイム 先生( 3) が 何人 かかっ ても、 自分 は 完全 に 歯 の 奴隷 だ という 意識、 誰 かが その 気 に なれ ば、 こちら の 歯 の 痛み は 止まる の だ が、 その 気 に なら なけれ ば この まま さらに 三 ヶ月 も 痛み 続ける だろ う という 意識 だ。 3, そして 最後 に、 それでも なお 承服 し ない で 抵抗 する の なら、 後 は 自分 の 慰め の ため に 己 が 身 を 殴りつける か、 さもなければ いや と いう ほど 拳骨 で 壁 を ぶっ 叩く しか ない、 他 には 文字通り 何 一つ す べき こと が ない の だ という 意識 で ある。 4, さて、 こうした 血みどろ の 屈辱、 誰 から 投げつけ られ て いる のか わから ない よう な 嘲笑 ゆえ に とうとう 快楽 の 感覚 が 始まり、 それ が ときには 官能 の 絶頂 を 極める こと さえ ある の だ。 ----------------------------------------------------------------------------------- 別翻訳で。1,2,3,はその天才的筆致でよくわかるのだが、4,がわからない。なぜこれ が「快楽」なのか、「 官能 の 絶頂」なのか? 誰か解説してくれ。 〈 俺 は お前 たち に 気 を 揉ま せ、 心 を 責め苛ん で やる。 家中 の 者 を 寝かさ ない ぞ。 さあ、 お前 たち も 眠ら ず に 俺 の 歯 が 痛ん で いる こと を、 毎分 毎秒 感じる が いい。 俺 は 今や、 お前 たち にとって、 かつて そう 見せ たい と 思っ た 英雄 なんか じゃ ない、 単なる 鼻持ち なら ない 役立た ず の ろくでなしだ。 それなら それ で かまわ ない さ! 俺 の 正体 を 見抜い て くれ て 大いに 嬉しい よ。 俺 の 嫌 らし いう なり 声 を 聞く のが たまらない って? それなら それ で 結構。 これから は もっと 堪ら ない わざとらしい 節回し を つけ て やる……〉 と、 こんな 調子 だ。 どう だ 君たち、 これ でも わから ない かね? ドストエフスキー よ!わからぬ。なぜこれが、「こうした 意識 や 屈辱 の 中 に こそ 官能的 な 喜び が ある」 のだ? これのどこが「喜び」なんだ? >>174 この地下室の快楽についての箇所は、ドストエフスキーならではの日常の普段の何ら平凡な感情に価値を見出すやり方がハッキリ出ていて、らしさを感じさせられるね たしかラッセルが快楽については言及している 幸福論だったと覚えている(違ったら訂正よろしくw) いわく、退屈の反対は苦痛ではなくて興奮であり、退屈さえしのぐことができるなら苦痛という快楽でも構わないと 続き ここからは持論になるけど、もし人間にとってやりがいが人生の内に必要であるならば、ストレスもその要素に含まれる なぜなら、やりがいとは適度なストレスに他ならないし、ストレスとは苦痛の分類に置かれるものである そうするならば、苦痛もまた快楽に他ならない 苦痛をあらわすことは自己顕示と注目をもらえるという、自意識にとっては何よりの褒美にもなるのかもしれないね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる