ドストエフスキーPart47 [無断転載禁止]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>269
> 死刑判決で気が滅入ったのと公安警察に見張られて怖かったから
> 左翼テロリストから改心しましたよとポーズ取り続けたんだと思うよ
-----------------------------------
「我々、ペトラシェフスキー・サークルの同志は、処刑場に立ち、下された判決を聞き終えたが、後悔の念はいささかもなかった。
もちろん、私は、全員については証明できない。しかし、あの時、あの瞬間、全員とは言わないにしても、少なくとも我々の大多数の者が、自分の信念を否定することを恥辱と思った。そう断言しても間違ってはいないと思う」
「最初に我々全員に対して読み上げられた銃殺刑の判決は、ふざけた冗談ごとではなかった。判決を受けた者たちはみんな、その判決が執行されるものだと信じた。
そして少なくとも10分間、死を待ち受ける残酷な、底なしの恐怖の時間を耐えた。この最後の数分間に、我々の中のある者たちは、本能的に自己の内に沈潜し、まだあまりにも若かったその生涯を一瞬のうちに隈(くま)なく点検した。
そして、いくつかの重苦しい事実を見出して慙愧したかもしれない(どんな人間にも、ひそかに良心のトゲとなっている事実があるものである)」
----------------------------------------------
「しかし、今この判決を受けることになった事件、我々の精神を捉えたその思想、その考えは、我々にとって、後悔を要しないものであるばかりか、かえって、何か我々を浄(きよ)めてくれるもの、我々の多くの罪がそれによって赦(ゆる)される殉教である、と思われた」
---------------------------------------------- (作家の日記)
後悔を要しないもの
我々を浄(きよ)めてくれるもの
多くの罪がそれによって赦(ゆる)されるもの
----------------------------------------------
とドストたちは捉えた、というのだ。
きみはドストエフスキーを卑しくとらえようとする。ぼくはその正反対に受け取る。この文を「そのまま信じる」 それで君はどこの信者なんだ?
宗教家は人の話に耳を貸さない >>273
> 処刑場に立ち、下された判決を聞き終えたが、後悔の念はいささかもなかった。
> 少なくとも我々の大多数の者が、自分の信念を否定することを恥辱と思った。
>銃殺刑の判決は、ふざけた冗談ごとではなかった。判決を受けた者たちはみんな、その判決が執行されるものだと信じた。
> この最後の数分間に、我々の中のある者たちは、本能的に自己の内に沈潜し、まだあまりにも若かったその生涯を一瞬のうちに隈(くま)なく点検した。
> 後悔を要しないもの
> 我々を浄(きよ)めてくれるもの
> 多くの罪がそれによって赦(ゆる)されるもの
----------------------------------------------------------------------------
易読の便宜のため、要点を抜き出した。ここに書いてあることはドストの完全なる真実の本心だ。
おれも近い体験をしたからわかるんだ。
これからドストエフスキーを読もうという青年たちよ。
ドストという作家はそこ知れぬ偉大なものです。偉大な文学を創出したが、その根底にあるのは
偉大な体験でした。苦悩との闘争です。 >>274
先生の弟子である。日蓮大聖人の仏法と御本尊を信じる宗派である。民衆を信じる。 宗教は常に欺瞞と共にある
宗教は実のところ誰も信じていないし、だから他人の人格を否定すべく説教したがる
彼らは祭られた聖像に己の姿を重ねて自己崇拝しているのだ >>278
彼は彼なりにあなたがいったトランプの「なぜ」を説明したのではないでしょうか
ペトラシェフスキー云々の下りはよく調べたと思いますよ
言葉を果たすために、願わくは、なぜ宗教に欺瞞が含まれるのか、なぜ誰も信じていないのか、なぜ自己崇拝につながるのか、「なぜ」が「なぜ」になる帰結を聞かせてくれませんか
対話としても、どこの無神論者も常に賢いと相場が決まっている事としても、そういう立場の方の論理は聞いてみたいと思うのです
肯定ばかりじゃつまらないですからね >>279
>なぜ?
宗教家の矛盾を観察すればすぐに分かること
言うは易く行うは難し、人も組織も思想も主張ではなく行動によって評価される
たとえコーランの内容が如何なるものであろうと、イスラム教を自称する団体が爆弾テロを繰り返せばイスラム教はテロリズムだと世間に認識される
穏便なイスラム教徒たちが「あれは真のイスラム教ではない」と否定したところで相手にされない
実存は本質に先立つ >>280
なるほど
あなたは本質より事実存在を先に見ている、だから宗教という概念を先立たせる組織は欺瞞が含まれる、とするわけですね
評価の対象は行動である、これは一理になりますね
神がいなければすべて許される、というわけですね
自己を社会と対にして自己の生を見つけている事が実在とするならば、宗教家も神に対して自己の生を見つけているとういう点で、ドストエフスキーもキリストを尺度として自己を措定したとは言えないでしょうか
イスラム教も、テロをする方を数えるならばテロをしない方も数えるべきだとは思いませんか
それもまた実存的な存在だと思うのです
何が言いたいかというと、行動から実存が先か本質が先かの判断を下すのは難しいのではないか、と思うのです
ならば、なぜ思いに欺瞞があるのでしょう
ならば、なぜ欺きが思想に被さってしまうんでしょうか >>281
言葉遊びで誤魔化すつもりなら無駄だよ
私は現実的な話をしているので
それで貴方はどこの信者なんですか? >>282
ぼくはどこにも属していないですよ
キリストに興味を抱いてドストエフスキーを読む者です
無神論者になりきれず、また同時に有神論にもなれない者といった方が合っているのかもしれないけど
誤解しないでください
無知な自分は無知ゆえに知りたくて対話を始めただけですよ
あなたが実存を知っているように思えたので
だけどきっとトランプの言った「なぜ」だって、自分が何に対して「なぜ」と思っているか何て自分でも分かってはいなかったんではないでしょうか
だから教えて下さい
ドストエフスキーが実存主義者だったのか、それとも概念主義者だったのか、どっちなんでしょう これが正に典型的な宗教のやり口で、捲くし立てながら物量作戦で迫ってくるわけだ
一日中ボケーっとテレビを見てる主婦のおばちゃん相手にならそれで通じるのかもしれないけど
私は最初から相手にしないよ >>284
そうですか
残念です、対話をする気はないようですね
実存なんて形而上の話を先にはじめたのはあなたですだから形而上の話をしたら、今度は形而下の話をしないから相手にしない、とは矛盾な気がしますが
ぼくはここでドストエフスキーに関する話以外で基本的に論議することはしないようにしているので、ここであなたと本質と実存の話は終わりにしましょう
ありがとうございました 私が宗教家を揶揄う冷笑的でつまり嫌な奴であることも否定しないが、
ここまでの数レスを読むだけでもID:ye+Snnqr、ID:LeVIa9XZが危険人物であることは明らかだと思う
自分の宗教が否定されてくやしかったのだろうが、それにしても冷静さを欠いて異常だし、ドストエフスキーとも関係ない
こんなところで勧誘しないでね☆彡 しつこいようですが、誤解だけは解いておきますね
オニオンさんの為だけではなく、スレを見ている不特定の人のためにもですが
wifiの関係でIDが変わりましたが上レスは自分です
もう一つ、ぼくは勧誘したくても勧誘する組織を持っていないので、勧誘したくても勧誘出来なのです
あと無神論でも有神論でもない立場でレスしています
そして最後に、これだけ聞いておいて自分の意見を言わないのは恥に近い行為なので書いておきます
ドストエフスキーは、無神論的な実在主義と有神論的な理想主義で葛藤していたと思います
どっち付かずのイワンてやつだったと思います
なぜなら、ラスコリニコフとソーニャの声はどちらもドストエフスキー自身の声だった、と思うからです
自己の声は多様な不協和に過ぎない、と私は私の世界に限界を見ているからそう思います
もう一つ下の理由として、そう思うからそう思うのです しかし私は実に頭が良い。歩く叡智と呼んでも過言ではないだろう
対話と称して言いねじ伏せようと執拗に迫られてもヒラリと躱して一撃で論破してしまった!
新参者でありながらこの存在感、少々マナーに欠けるかもしれないな……
まあそこはドストエフスキーの小説でいうところの"月から降ってきたような人"なのでご容赦を ラスコーリニコフ好きだわ
くっさい死体よりよほど理性的 >>287
> ドストエフスキーは、無神論的な実在主義と有神論的な理想主義で葛藤していたと思います
> どっち付かずのイワンてやつだったと思います
------------------------------
それは すべての信じるものは、みなそうだと思います。ですからイヴァン・カラマーゾフこそ
ありのままの凡夫の一表現ともいえると。
信じるとは、己心の魔との戦いだと。
>いわば悪魔と神の戦いだ、そしてその戦場が人間の心なのだ。
三 熱烈なる心の懺悔――詩
>第六天の魔王、十軍のいくさををこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土(どうごえど)をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあひあたりて、大兵ををこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。
弁殿尼御前御書 『神の小鳥、喜びの小鳥、どうぞ私をゆるしてくれ。私はおまえらにも罪を犯している
のだ。』この言葉に至っては、私たちのうち誰一人了解し得るものがなかった。とこ
ろが、兄は嬉しさのあまりに泣き出しながら、『ああ、私の周囲には、こうした神の
栄光が充ち満ちていたのだ。小島、木立、草場、青空――それだのに、僕一人
だけは汚辱の中に住んで、すべての物を汚していた。そして美も栄光もまるで気が
つかないでいたのだ。』
『お母さん、大事なお母さん、僕が泣くのは嬉しいからです、決して悲しいからじゃ
ありません。僕がすべての者に対して罪びととなるのは、自分がそうしたいからですよ。
ただ 腑に落ちるように説明ができないだけなんです。だって、それらのものを愛するに
はどうしたらいいか、それすら分からないんですもの。僕はすべてのものに罪があったっ
てかまやしません。そのかわり、みんなが僕をゆるしてくれます。それでもう天国が出現する
のです。いったい僕はいま天国にいるのじゃないでしょうか?』
------------------------------------------------
>そのうちに四旬斎が始まったが、マルケールは 精進をしようとせず、口汚くののしって
冷笑するのであった。『そんなことはみんな寝言だ、神なんてものは決してありゃしない』
などと言っていたマルケールは重病になり死の宣告を受けた。そうして、上に引用したように
「感じられる」ようになった。
... これが病気の功徳のひとつです。兄マルケールは今世において、たまたま病をのりこえる
ことができず、霊山へと旅立った。
信仰を持てないひとには、まだその時が来ていないのです。
7年後か明日か、谷底に突き落とされたような気持ちになったとき、死を覚悟せざるをえない時に
理屈ではなく感覚として、信仰とはなにかを悟ることでしょう。そうして、自分がいかに愚かだったかを思うでしょう。 ぼくはひじょうに若いとき創価学会に入ることができた。
すべてカラマーゾフの兄弟・ドストエフスキーの導きだと思う。
信仰の必要性を教えてくれたドストには感謝しかない。 >>295は問題外の馬鹿。あ気違いか。
キリスト教の信仰若しくは理解なくしては
ドストを全く読めていない、というのは真実。
お前らなに勘違いしてんの?? 脳沸いてんじゃね ここは宗教家が多いと臭いですぐに分かったが
やはり創価学会やエホバ、日蓮系のたまり場だったのね
>>287もアレフか何か人に言えないような宗教団体の信者なのだろう
そんな恥ずかしい信仰は捨ててしまえ!
https://www.youtube.com/watch?v=2dIRvPzH35o おまえのキリスト教信仰で、オニオンとかを導いてやってくれ >>297
こんな頭でっかちのモヤシになるより、アレフのほうがよっぽどマシなんじゃねーかww いまどきアレフのシンパですか? 宗教ってこわいですねー 信じる必要性がそもそもない
必要になればそのとき必要なものを信じる
お説教失敗? オウム・アレフに関しては
仏教なのにハルマゲドンとか言い出した時点で眉に唾をしないと
インド思想ならせめてカリ・ユガ程度の話で
そういう意味ではオウムのみが好戦的なわけでもない
ドストエフスキーの場合は最終審判や黙示録に基づく抗争を
人間の世界から神の領域に返還したようなところがあるので
ヨブ記が取り上げられるのもそんなところだと思いますね キリスト教は補遺にまわっていって表立った布教活動はしない。
ユダヤの一派であってユダの人生の方がどれだけ自由だだろう。 キリスト教はドストエフに関係なく暦学で信仰を保つ方だよ。 タバコもやめろ酒もやめろ、コーヒーもやめろというわがままが不吉。
食道楽もな。 地下鉄にサリンを撒きなさい
これは神の教えである
そのまま信じなさい
疑うのは信仰心が足らぬからである
神の救済を求めよ! 盗撮のニュース見るたびに思うんだが、
どうして、犯人は、顔撮り姿撮りまでで自重しないんだ・・・?
可愛い子なら、顔のドアップ画像だけで十分抜けるだろ
顔撮るだけなら、スマホのレンズを向けるだけで良いし、
よっぽど不自然な動きしない限り、見つかるわけないから、まず、捕まらない
パンツ撮るとかね、もうアホかと
秘部を映像に収めたい気持ちはわかるけど、リスクが大きく跳ね上がる
まぁ、そういうのは、コレクター欲や支配欲に突き動かされるのかねぇ 「ねえ、トーツキイさん、話によると、日本じゃ恥辱を受けた者が恥辱を与えた者のところへ行って『きさまはおれに恥をかかした、だからおれはきさまの眼の前で腹を切ってみせる』と言うそうじゃありませんか。
そして、ほんとに相手の眼の前で自分の腹を切って、それで実際に仇討ちができたような気分になって、すっかり満足するらしいですがね。世の中には奇妙な性質もあるもんですねえ、トーツキイさん!」 ステパン先生カックイイ
「人間存在の法則は、ことごとく一点に集中されています。ほかでもない、人間にとっては、常に何か無限に偉大なものの前にひざまずくことが必要なのです。人間から無限に偉大なものを奪ったなら、彼らは生きていくことができないで、絶望の中に死んでしまうに相違ない。
無限にして永久なるものは、人間にとって、彼らが現に棲息しているこの微少な一個の遊星と同様に、必要欠くべからざるものなのです。」 激文!!
「「世界中のジャーナリストの命」は、
キリスト教徒12憶人が守る!!
キリスト教徒12憶人の[全情報力]をもって、
「暗殺者」と「権力者」を見つけ出す!!」
「キリスト教会12億人」は、
「勇気あるジャーナリスト」を支持(しじ)する!
「女性ジャーナリスト」が、「無残(むざん)な殺され方」をした!!
「独裁者(むざん)というのは、必ず、「ジャーナリストたち」を、
「最初に」皆殺し(みなごろし)にするものなのだ!!
昔、「中国の毛沢東(もうたくとう)」は、自分に批判的(ひはんてき)な
マスコミの人間を、まっさきに、「全員みな殺(ごろ)し」にした!!
毛沢東は、多くみつもっても「1〜2憶人の中国人」も虐殺した!!
「教養のあるレベルの高い中国人」は、文化大革命(集団リンチ)で、
虐殺(ぎゃくさつ)されたのだ!!
今、生き残っている中国人は、農民出身のレベルのひくい中国人ばかりです。
「女性の人権」を、ふみにじり、「女性の尊厳(そんげん)」を傷つけた!!
「最悪の敵」が、今、あらわれた!!「全人類の敵」とみなす!!
「世界中の若者」(わかもの)たちよ!!立ち上がれ!!
「女性の尊厳」(そんげん)を傷つける「本物の悪魔」があらわれたのだ!!
「キリスト教徒12億人」の力をもって、「権力者」をひきずりおろし、
「必ず」、「神の制裁」(かみのせいさい)をくわえる!!
「世界中のジャーナリスト」は、「キリスト教徒」が守護(しゅご)する!!
今こそ、命をすてて、「権力者」(独裁者)と戦うのだ!!
「男は、「人間の尊厳(そんげん)をふみにじる敵」が、あらわれた時は、
命を捨ててでも、戦わねばならない!!
若者たちよ!!「予言(よげん)されたら戦いの時」がきたのだ!!
ミカエル 十二億人でも救うこと、世界を丸々一つはユダヤの新教典の英雄さだよ。
キリストに接するごとく、だれであれ接することが、次点。 プロテクト ヤ ネック じゃないけど首から上が不審な方が胸がエロい事。 採点を読み込んでくこともいいけど、レスにもナンバー導入したら
いいリアクションになるよ。4 24 特殊公務的相対性の時間と、メータルフィジックス メーディアル。
脂肪と死亡は似てるが第一志望なんてどんな時間の読みなんだろうね。
本校にはいかなかったけど、教会といったら、キリストだけじゃない関係なのに
キリストの立て看板が連発するのも同かな。 ドストエフスキーが文学だなんて昔の話で、いまや、何かになってるから
昔すぎるのもよくないわな。 (I)地獄 地獄の火 神秘的考察
諸師よ、『地獄とはなんぞや』と考察するとき、私は次のごとく解釈する、『すなわち、
もはや愛しあたわざる苦悶である。』時間をもっても、空間をもっても、はかることの
できない無限の世界において、ある一つの精神的存在物は、地上の出現によって『われ
あり、ゆえに、われ愛す』という能力を授けられた。
彼は実行的な「生きた」愛の瞬間を、一度、たった一度だけ与えられた。これがすなわち
地上生活なのである。
それと同時に時間と期限が与えられた。ところが、いかなる結果が生じたか?
この幸福な生物は限りなくとうとい賜物をこばんで、尊重することも愛好することも知らず、
嘲笑の目をもってながめながら、冷淡な態度をじしていた。 >>314
> 「ねえ、トーツキイさん、話によると、日本じゃ恥辱を受けた者が恥辱を与えた者のところへ行って『きさまはおれに恥をかかした、だからおれはきさまの眼の前で腹を切ってみせる』と言うそうじゃありませんか。
> そして、ほんとに相手の眼の前で自分の腹を切って、それで実際に仇討ちができたような気分になって、すっかり満足するらしいですがね。世の中には奇妙な性質もあるもんですねえ、トーツキイさん!」
--------------------
白痴、第一編のラストですね。ぼくも、ここが好きでした。 ドストエフスキーの胸中にも、たしかに「日本と日本人の心」のイメージがあったんですね。 根拠もなく断言するだけの観念論者
だからこそ宗教による救済とかいう空虚な話になる ピョートル・ヴェルホーベンスキーの正体はキリスト教過激派、つまりイルミナティー トルストイってドストエフスキーと違って東洋思想が強いですね
この際、懺悔でも読んでみようかな
ドストエフスキーは孔子か、さもなくば仏教徒の教えを知ったらよかったのだ。そうすれば彼は気持ちが安らぎ落ち着いたことだろう。これは大事な点で、みんなこのことを知るべきだ。byトルストイ ドストエフスキーに現代旅行させたい。
共産主義が崩壊し、ネリーのような虐げられた子供が先進国にはほぼいなくなり、神が科学的に否定された現代において。
そのうえでまだ、キリスト教バンザーイと言い続けられるのか見てみたい あの時代のロシアはどういう感じでアジア思想うけてたんだろう
ムソルグスキーも日本の曲ひけたというし >>333
> ドストエフスキーに現代旅行させたい。
おまえの発言はかなり愚かに見えるが、自分ではどうおもう?
> 共産主義が崩壊し、
では資本主義が勝利したのか?日本国民は幸福といえるのか?共産主義は巨大な社会実験である。
ロシアや中国のような偉大な国民だからこそ、できたことである。お上にさからう勇気なき、俗人にあふれかえった、この小国日本ではとうていできなかった。
>ネリーのような虐げられた子供が先進国にはほぼいなくなり、
虐げられた子供だらけだ。なにを言っているか!そして、虐げられた青年壮年老年ばかりだ!!
>神が科学的に否定された現代において。
究極に意味不明だぞ。ならば、ドストエフスキーの時代には「科学的に肯定も否定もされてなかった」のか?
または「科学的に肯定されてた」のか? おまえの言ってる科学的ってどんな?
> そのうえでまだ、キリスト教バンザーイと言い続けられるのか見てみたい
そんな単純じゃないだろ。 このスレのレベルがさいきん急激に落ちたのはなぜだ?
まず第一に「まともに作品を読み込んでいるヤツが消えた」 10代からひじょうに熱中して読まないかぎり
ムリなのか?
> そのうえでまだ、キリスト教バンザーイと言い続けられるのか見てみたい
そうでないと、この程度の感想しか持てないのか?
おれは悲しい。これでは意見交換もできない。 冷戦時代の冗談に"マルクス・エンゲルスによってキリスト教は科学になった"というのがある
古代社会に生じた宗教の神秘主義や意味不明な言い回しを現実的なものへと置き換えるという点において
共産主義の成し遂げた功績は大きい ヨーロッパにおける東洋思想の理解とはショーペンハウアーに代表される
永遠の命とは逆の完全なるニヒリズムを涅槃とする"虚無への信仰"というサタニズムであろう
実際の仏教はもっと掴みどころのない宗教ではあるが、私はこのステレオタイプを気に入っているし、
世俗的な大乗仏教のふざけた姿勢は嫌なので、あえてこの単純明快な原理主義で仏教の核心をとらえている >>337
シャートフの言葉はドストエフスキー自身の言葉だったんだろうね
「もしだれかがわたしに向かって、キリ ストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう。」
ドストエフスキーの信仰とはは感情の話なのでしょう
「おれは生きていたい、だからおれは、たとえ論理に逆らってでも生きるよ。
世の中の秩序なんて信じちゃいないが、春に芽をだすあのねばねばした若葉がおれにはだいじなのさ。
青空がだいじなのさ、いいか、時としてなぜかわからず好きになってしまう、そういう相手がだいじなのさ。それと、人間がなしとげる偉業ってやつもだいじだな。
ひょっとすると自分でももう、とっくの昔に信じることをやめてしまったかもしれないくせに、古い記憶が生きててさ、心のなかじゃあやっぱり尊敬しているんだよ。」 >>339
> ヨーロッパにおける東洋思想の理解とはショーペンハウアーに代表される
> 永遠の命とは逆の完全なるニヒリズムを涅槃とする"虚無への信仰"というサタニズムであろう
> 実際の仏教はもっと掴みどころのない宗教ではあるが、私はこのステレオタイプを気に入っているし、
前段はわからんでもないが、きみは日本人だろう。名誉白人のごとき 言い回しになってないか。
> 世俗的な大乗仏教のふざけた姿勢は嫌なので、あえてこの単純明快な原理主義で仏教の核心をとらえている
「世俗的な大乗仏教」とは、なにをさすの? ふざけた姿勢とは? >>340
「もしだれかがわたしに向かって、キリ ストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう。」
そして次のイヴァンの美しい言葉も、簡単ではあるが、むずかしい問題をはらんでいるね >>338
> 冷戦時代の冗談に"マルクス・エンゲルスによってキリスト教は科学になった"というのがある
すばらしい冗談を教えてくれてありがとう。
> 古代社会に生じた宗教の神秘主義や意味不明な言い回し
といったものには「深い深い意味がある」と思うんだ >意味不明な言い回しには「深い深い意味がある」と思うんだ
いやそういうのは適当なこと言ったもん勝ちになるだけ 過疎ってるから久々に投下してみます
ある数秒間がある、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるのだよ。
これは地上のものじゃない。
といって、なにも天上のものだというのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。
これは明晰で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかり、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終わるごとに、『しかり、そは正し、そは善し』と言った。
これはおのずからなる喜びなんだね。おお――それはもう愛以上だ!
何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。
もし、五秒以上もつづいたら――魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。
この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。
十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ。ぼくの考えでは、人間は子供を生むことをやめるに相違ないね。目的が達せられた以上、子供が何になる、発達が何になる? 福音書にも、復活のときには子を生まず、天にある御使たちのごとし、と言われている。
ここまで生を肯定していたキリーロフが、最後は理性を失った無神論者として自殺することが意味がよくわからない、と思いました >>345
> ある数秒間がある、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感される
> 地上の姿のままの人間には耐えきれない
>肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。
> これは明晰で、争う余地のない感覚
> これはおのずからなる喜びなんだね。おお――それはもう愛以上だ!
> もし、五秒以上もつづいたら――魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。
> この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。
-------------------------
悪霊を未読だが、要旨をまとめた。
この感覚を体験してみたいものだな! いや、かならず体得してみせる。 シャブでも吸えばすぐに体感できる
感覚というものは愚かな人間中心主義の空想に甘んじぬ限り、何の意味も持たない >>347
自己矛盾の塊
草すぎて臭すぎ
こっちくんなあっちいけ
>>330
>根拠もなく断言するだけの観念論者
>根拠もなく断言するだけの
>根拠もなく断言するだけの
↓
>>331
>ピョートル・ヴェルホーベンスキーの正体はキリスト教過激派、つまりイルミナティー
>>347
>感覚というものは愚かな人間中心主義の空想に甘んじぬ限り、何の意味も持たない レベル低いなあ
宗教以外に本を読まないからそうなる ピョートル・ヴェルホーベンスキーは社会主義者ではなく、子供のころより信心深いキリスト教徒である
ピョートル・ヴェルホーベンスキーはローマ法王の権威に頼ろうとしていた
世の中に破壊と混乱をもたらすことで神の救済を早めるという考えはメシア思想(フランキズム)に基づくものである
裁判時に聴衆が「秘密結社の仕業ですな!」と冗談でコルナサイン(イルミナティーサイン)をする
以上の理由からピョートル・ヴェルホーベンスキーはキリスト教過激派(イルミナティー)だと分かる
『悪霊』に登場する共産主義者はシガリョフだけであり、彼はマルクスというよりプレハーノフの人物像に近い >>350
コテ付けるなら自分のレスに一貫性を持ちなよ
断言するなと言ってる先から断言するな
そうやってレッテルばっかりまきちらしてると誰も信じなくなるぜ
恥ずかしくないのか?
教皇の権威と創造の前に破壊を望んだからって
なんでキリスト教過激派になるんだ?
自分がまったくないのか君は 私は本に書いてあることを根拠として列挙したまでだ
宗教家が「永久調和の訪れ」とか会話が通じない妄想を述べているのとは違う
宗教ってのは知的に貧しい人間のゴミ捨て場なんだよ
「なにそれ?」「なんで?」と聞かれても答えない、答えられない
意味のない妄想を「そのまま信じなさい」としつこく迫ってくるだけ
権力志向の弱者が無自覚に妄想の中で己の暴力的な正体を発露するのだ 宗教いっぱんで話をしてしまうと、スレが荒れる。
ドストエフスキーの本文にのっとって批判したほうがいい てきとーに知ってることとドスト絡めて憂さ晴らししてるだけだよ たとえそうでも、>>354のやり方が一番穏やかにできる手段だとおもいます
できる限りドストエフスキースレの名目にのるのがいいでしょう
ドストエフスキーだから宗教の話も避けられないというのはその通りなんでしょうけどね ドストの面白さは宗教に絡めなくても語れると思うよ
ドストというか19世紀小説の面白さの背景にキリスト教があるのはそうだと思うけど
程度の問題だ 上記も現実的な問題を宗教に逃避することで万事解決と安易に結論付ける
ドストエフスキーの思想に対する疑問という一連の流れではあった
キリーロフの思想がどうとか思想に関する話も荒れること間違いないし
すぐにカッカする信心深いお方が人それぞれ考え方が違うことを容認しないとね >>358
頭おかしいのか
さっきから真信深い人とか言ってるけど、オレは無宗教だと何回も言ってるんだけど
人を勝手に決めつけるな
レッテルはるな妄想で
不愉快なんだよ
荒れてる原因はおまえだよ
容認してもらいたきゃおまえがまず容認しろ >>336
画太郎先生の功罪じゃないかな?
それだけインパクトあるし、巨匠だし
画太郎先生のおかげでドストエフスキーの距離がグンと近づいたのは間違いない!(^ワ^)
僕はアニメ白箱の影響でスレにいるけどまだドスト読んでないよ
今夜はドスト祭りっスって早く言いたい! >>353
>宗教ってのは知的に貧しい人間のゴミ捨て場なんだよ
>「なにそれ?」「なんで?」と聞かれても答えない、答えられない
>意味のない妄想を「そのまま信じなさい」としつこく迫ってくるだけ
>権力志向の弱者が無自覚に妄想の中で己の暴力的な正体を発露するのだ
まるでニーチェのようなことを仰っているわけですが
そのニーチェが熟読していたのがドストエフスキー作品であり
ドストエフスキーの場合は既存の宗教を単に妄言だ、と否定するのではなく
人間や人間社会の諸事情によって成立する宗教とは別の次元にある
信仰や超越的なものを論じたわけであって
ニーチェのように知性や人格の統一性すら否定す破滅的な方向には向かわない
ドストエフスキーがヨブ記を評価するのはそういう事だと思うんですけどね >現実に根差している宗教とは別の次元にある信仰や超越的なものを論じたわけであって
つまりますます現実遊離した頭おかしい人の寝言ということか(笑)
ヨブ記だって、人生を前向き生きるための気の持ちようとしてのハウツー本として古代人が考えた生活の知恵となる寓話でしょ
しかしドストエフスキーが主張する宗教による救済はファンタジーを信じなさいの類の人を不幸にする危ない宗教だよ >>361
> ドストエフスキーの場合は既存の宗教を単に妄言だ、と否定するのではなく
> 人間や人間社会の諸事情によって成立する宗教とは別の次元にある
> 信仰や超越的なものを論じたわけであって
---------------------------------------------------------------------
ここのところは、大いに納得いかない、というか文意不明。
人間や人間社会の諸事情によって成立する宗教とは別の次元?
「人間や人間社会の諸事情」ってなに?
「既存の宗教を単に妄言だ、と否定」しなかったなどというネガティブなものではなく、まさに「既存の宗教」を信じたし、その未来をも信じていたと思う。
「別の次元にある信仰や超越的なもの」など存在しません。
「人間や人間社会の諸事情によって成立する宗教」そのものが聖性であり、
超越的なものです。
そういう風にとらえるのは、信仰のうすい信力の弱いオニオンのようなものと
同じです。 ドストエフスキーはスラヴ派だったね
現代日本で言えば大東亜聖戦論を展開する日本会議の人みたいなもんかな
素朴で現実的なイエスではなく、超能力を使って偉そうにしてるイエスじゃないと満足できない >>362
聖典に入れられてる時点で寓話ではない
つまり「神は偽り、騙し、試す」可能性があるのが基本 カント哲学でもそうだが、神は必要に応じて道具として用意されるものだ
本気で神とサタンを信じても、それは本末転倒というものだ 反知性主義としての宗教には反吐が出る
ドストエフスキーはドン・キホーテを称賛していたが、
あれのほうがずっと宗教の核心に迫っているな >>364
むしろドストエフスキーは奇跡からの信仰に否定的でしたよ
大審問官で第2の悪魔の誘惑の話は簡単に言えば、奇跡の否定という意味です
彼なりに規制の中で考え出した奇跡信仰の否定の物語ですよ それよりぼくはキリーロフが好きなんです
なぜなんだろうと考えてもよくは分からないけれど
生は苦痛です、生は恐怖です、だから人間は不幸なんです。今は苦痛と恐怖ばかりですよ。
いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。そういうふうに作られてもいる。
いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている、ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。
いまの人間はまだ人間じゃない。幸福で、誇り高い新しい人間が出てきますよ。
生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なんです。苦痛と恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。
そして、あの神はいなくなる。 物語では対になったりコンビになりますよね
でも大事なことは死ぬという事だと思います
一方は有神的にキリスト者であり、一方は無神的において自分を神としたけれども、どちらも死ぬのです
ドストエフスキーは何が言いたかったのだろう、何て考えてしまいます 神いるいないなんてアホくさい、
というキャラは作らなかったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています