冒頭
今日は 「近代文学の終り 」について話します 。それは近代文学の後に 、
たとえばポストモダン文学があるというようなことではないし 、また 、文学が一切なくなってしまうということでもありません 。
私が話したいのは 、近代において文学が特殊な意味を与えられていて 、だからこそ特殊な重要性 、特殊な価値があったということ 、
そして 、それがもう無くなってしまったということなのです 。
これは 、私が声高く言ってまわるような事柄ではありません 。端的な事実です 。

私は自分が日本で文学批評をやってきた経験からいうのですが 、近代文学は一九八〇年代に終ったという実感があります 。
いわゆるバブル 、消費社会 、ポストモダンといわれた時期です 。そのころの若い人たちの多くは 、小説よりも 現代思想 ≠読んだ 。
いいかえれば 、それまでのように 、文学が先端的な意味をもたなくなっていました 。

引用の補足
柄谷は近代の終わりではなく近代文学(文学が特殊な意味を与えられ…)の終わりを論じている
さらに近代文学の終わり、とは論の結論ではなく論の端緒であって
多くの皆さんは事実問題として(上記の意味の)近代文学の終わりを実感し合意できるんじゃないですか?と説き起こして
なんでそういうことが起こったか、は歴史的カラクリがあるんですよ、というカラクリを論じている
あと引用はしてないが、他国でも近代文学の終わりの兆しが観察できる実例も紹介している