>>324
少し違う立場で話をするよ、あなたとは歴史がある
だから批判ではなく、個人的な意見を偽りなく伝えた、と受けてほしい
もし君がその信仰のために、他にも生活や人との関係のために、創価学会が大切ならばその通りにいくのも悪いことだとは思わない

それでも一つ言いたいのは、ドストエフスキー読者としての個人的な意見だけど、宗教と政治は相入れることはないという考えは結構大事なことになる
積極的に信仰につくなら、出来るだけ政治的な行いには消極的になるべきだと思うよ
おそらく組織に属しする以上は課されている義務があって、現実的には難しいんだろうけど

宗教とは、無限性なるもの、永遠という時間のないもの、形而上的な天上を目指すことが本質になる
政治とは、どれだけ現実的で物質的か、それだけ現実化できるかの形而下の地上で実現可能な行為の見える形で実現することが本質となっている
もしそうならハッキリと言えることがある
宗教の反対語は政治なのだと

だけど個人的な考えだから、反論がわくのも当たり前だろうけど、こういえば少しは伝わるじゃないかな
曰く、大審問官は政治的でありキリストはどこまでも宗教的であったと
そしてこれは大審問官のテーゼの一部でもある