>>368
なぜの部分に答えようとしてくれたことに感謝するよ
だから返信もしよう

>宗教とは形而上的事物である」であるが、それが本当の意味で生きた宗教たるゆえんは、形而下つまり
>現実生活において、あらゆる形で展開されるものなんだ。裁判も政治も、裁判はある被告の運命を決める。
>また、政治は国民生活の7割程度の物質的幸福等を左右する。

そもそも形而下の事柄、生活の幸福とか、経済や福祉による豊かさ、物質的幸福の向上は形而下での幸福でしかない
これを形而上的な幸福というものは形而上的という枠を出ないはずだから、物質的幸福はむしろ否定され精神的幸福において話されることになるでしょう
政治を見ているならいつでも政治から始めればいい、というだけのことです

それと一番重要な点ですが、そもそも宗教とは幸せを望むことではありませんよ
キリスト教もまた同じくそうでしょう
この世の繁栄ではなく(繁栄教は宗教より哲学に近い、哲学もまた形而下的事物に属する)、この世は渡っていく橋のようなもので、イエスはむしろついてくるものは迫害されるとまで言っています
幸福どころか不幸を保証していますね
キリストが言ったことは、神と隣人を愛すること、をただただ強調しました
他人を自分のように愛することができるものこそ、キリスト教で幸いと呼ばれるものになるのかもしれません
トルストイが、ドストエフスキーは仏教やっていればこんなに苦痛にはならなかった、言っています
きっとそういうことなんでしょうね