>>566
>病んで、その病を知る者は必ず療法を尋ねん。己の病を他に告ぐる者は治療に近づきてその療法を易く発見せん。心の頑なるによりて彼の病は増加す、もし病者は医に反対するならば、その苦痛は益々大ならん。

この教えは君のことを書いていると感じた。
君は病んでいる。そしてその病を自覚していない。君だけではない。大半の日本人も同じです。

だから、なぜ創価学会が日本最高の宗教組織なのか その一端を知ることなどできるはずがない。
君はその頑なな心のために、どんどん病気が増進していく。では「病気」とは何か?
その答えは、きわめて簡潔に、たった一言で書けるものなのだが。

別の角度からひとつだけ。

生活で、その他の苦悩において、(このことは諸外国のキリスト教社会でも同じ方程式であろうが)
生活にさほど困らず、軽蔑されきった境遇でもなく、そういった人たちは、バカみたいに創価学会を
否定します。まったく理解せず。当たり前のことです。なにせ、彼らは「救いなど必要としていないから」
仏法、絶対的幸福、相対的幸福、いかなる観念も必要としていない。

しかしあたかも、トルストイの あの中編小説のラストのごとく、人生の最期の真実において
君たちは敗北を自覚するでしょう。

君がほんとうに病気を自覚し、その治療方法を死にものぐるいで求めるならば、その時はたやすく発見するのだ。そうでない限り、いつまでも

>どこまでいってもアブラハムの宗教になる
>超自我が禁止がエスに向かえば自我が保てなくなる

というように、理屈で解釈しようとするだろう。