光文社古典新訳文庫17
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身体は大人でも 精神がまだ大人になりきれていないのかもしれないね 俺はやたら間伸びしている感じで疲れた 新潮や岩波で4、5回読んだと思うけど こんなことは初めてでドスト自体なんか苦手になった 無理して最後まで読まずに途中でやめればよかった >>152 佐藤優 「カラマーゾフの兄弟の新訳は実にすばらしい。 もともと亀山先生の翻訳は、ドストエフスキー以外についても正確で読みやすいという定評があります。 (略) 重箱の隅をつっつくような解釈の違いをあげつらって、「亀山の誤訳を見つけた」と騒ぐような輩がロシア屋には多いですから。 (略) 亀山訳は、語法や文法上も実に丁寧で正確なのです。これまでの有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している。」 (『ロシア 闇と魂の国家』亀山郁夫、佐藤優著 文春新書) 亀山は日本語がそもそもおかしい。 二重敬語だし、質問文も〇〇ですか?では無く、〇〇です?というのが散見されるので、読むのが嫌になった。 >>153 身体は大人ではなくて、もう老人です。精神は分からないけど。 まずは岩波文庫で読んでみる。そのあと何かあったら、亀山訳を手に取るわ。 『カラマーゾフの兄弟』は新潮の原卓也訳と岩波の米川正夫訳を持っている 文体自体はリズムのある米川訳が好きだが、現代では使われない難解な漢語が 時々出てくるのが厄介で、そのたびに意味を調べる羽目になる カラマーゾフは知らないけど、罪と罰は米川、池田健太郎訳と読み比べて亀山訳に特におかしな印象は抱かなかった。ふつうだったよ 訳文にこだわる人の多くは先行訳の訳文と比べて亀山訳が違う、といっているに過ぎないのでは それよりも、罪と罰では集英社の小泉猛訳は訳者本人が挑戦的な翻訳とかいう言い方をしていたが、ラスコーリニコフがソーニャをお前呼ばわりするなど、けっこう印象が違った 他の人たちにも小泉訳を読み比べて欲しい 亀山郁夫は米川訳のようなリズムのある翻訳を目指したという 亀山訳が異常に売れたものだから、ロシア文学者が嫉妬して、 あれこれ難癖をつけているだけだ おかしいなら、具体的な箇所を指摘すべきだが、それもない 古典新訳文庫でまったく問題ないと思うけど、父称を省略するのはロシア文学っぽくないと思うの いったんは米川訳ときめたが、迷うなあ。こうなったら本屋で冒頭1ページくらいを比べてみて、読み易そうな方にする。 単純に読みやすいんだと亀山だけど 米川の方を先に知っていてドストの文はこういう引っ掛かりのある文だと感じていると、 亀山の方は文が流れていって内容が刻まれないみたいな感じ。 最初に米川でカラマーゾフの兄弟を読むと、他の翻訳では物足りなく感じる。 米川正夫や豊島与志雄の訳文は文学としてのレベルが高い気がする。豊島は作家もやってたのだから日本語表現がすばらしいのは当然かもしれない >>160 >おかしいなら、具体的な箇所を指摘すべきだが、それもない ないことはない 実際のおかしい箇所を挙げて指摘している人はいる ロシア語が分からないからその指摘が正しいのかどうか判断できないんです… >>168 ちらっとググったら https://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost117a.htm が最初に出てきた。 誤訳とか別にして指摘されてる訳文を、ただ読むだけでも、亀山訳は米川訳に比べて 読みづらい感じがする。 赤と黒もかもしれないけど学者の翻訳ってのはこういうのかな。 亀山の読解力はすごいんだろうけど本人の国語力がそれについていけてないんだろうな 亀山の訳は、『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』は完読したけど、訳が軽すぎて、本当にドストエフスキーが書いたのか?と思う位現代風の訳になっていると思う。 原卓也訳の『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェンカのこの言葉が好きなんだけど [原訳] 第7編アリョーシャ (3)一本の葱 「それと、もう一つ付け加えてちょうだい。グルーシェニカは人生のほんのいっとき、ほんの一時だけお兄さんを好きになったことがあるの、 それも、そのひとときをお兄さんが一生おぼえていてくれるくらい、愛したのよ。 だから、グルーシェニカが一生忘れないでと言ったって、伝えてちょうだい!」 しかし、「それも、そのひとときをお兄さんが一生おぼえていてくれるくらい、愛したのよ。」は、他の訳書にはないから原文にないようだ [米川訳] 「それからまだあるのよ、――グルーシェンカは一とき、たった一ときあの人を愛したことがあるの、だからこの一ときを今後一生わすれないように、とこういい添えてちょうだい。 一生涯といってグルーシェンカが念を押したってね!……」 [江川訳] 「それからもうひと言、グルーシェンカは一時間だけあの人を愛したことがあるって、たったの一時間だけだけれど、愛したことがあるって。 だからその一時間を、これからの生涯けっして忘れないように、これはグルーシェンカの一生のお願いだって!……」 [亀山訳] 「それに、こう付けくわえてちょうだい。グルーシェニカはあなたを一時間だけ愛したことがある、たった一時間だけど、愛したことがあったって…… だから、この一時間のことを、これから一生忘れないでほしいって、グルーシェニカがそう言ってましたって、一生よ……」 [英訳] And add, too, that Grushenka loved him only one hour, only one short hour she loved him ー so let him remember that hour all his life ー say, 'Grushenka tells you to!' [独訳] Und füge noch hinzu, daß Gruschenka ihn ein Stündchen lang geliebt hat, nur ein Stündchen lang, und er soll sich an dieses Stündchen von nun an sein Leben lang erinnern! Sag ihm, mit diesen Worten habe Gruschenka es dir aufgetragen: 'Sein Leben lang' ... 江川訳の「これはグルーシェンカの一生のお願いだって!」も原文とは違う 米川訳は英訳に近く、亀山訳は独訳に近い >>173 底本が違うとかで、そもそものロシア語原文に相違があるということはないのかな 罪と罰で、とある一文が訳本によってあったりなかったりというのは見たことがあるよ ドストの亀山訳の話題は昔から定期的に盛り上がるよなあ >>173 訳の正確性はわからんが、江川訳と亀山役の「一時間」は日本語として違和感強いな。「ほんのいっとき」の意味で「一時間」と表現することってないよね? 米川訳見てきたけど、字が小さすぎて老人の目にはきつい。訳そのものよりも、活字の問題で亀山訳にせざるを得ないかも。 >>177 ‘ひととき’‘いっとき’というと具体的な経過時間は曖昧だけどまあ短い間だったんだろうなと刹那的なイメージが湧くが ‘一時間’というと時間の物理計測単位が入っているように感じて 「60分間メカニカルに時間計って愛し合ったのかw」と変な印象になるよな >>173 この文章の中では、米川>亀山>原>江川、だな 米川は、いっとき、いっとき、いっとき、一生、いい添え、一生涯、と 簡潔な文章の中に韻を踏むようなリズム感を醸し出している。 米川は日本の伝統芸能も好きで知識が深いんだよな。あの時代の文学関係者はみなそうだろうけど。江川卓も歌舞伎知ってるし 米川訳の罪と罰で、三番叟という単語が出てきたときには驚いた。当時は読者にもそれで意味が通じたのだろう >>173 カラマに限った話ではなく江川訳には良いイメージがあったけど、こうやって並べると原訳と米川訳が良くて江川訳と亀山訳が微妙に見える。 てか、流石に「一時間」は普通の日本語の感覚として受け入れ難い。 そして、若い女性の言葉遣いとしての自然さという意味では、やはり亀山訳はなかなか良いね。 個人的感想としては、原訳>米川訳>亀山訳>江川訳、かな。米川訳なんて古びた骨董品だと思ってたのに、これを見るとなかなか良い感じだったのが意外過ぎた。 出版社が自社文庫に入ってるものを新訳する基準はなんなのか知りたい。新しくするのとずーっとそのままのやつと何が違うのだろ >>184 旧くても心に残る良い訳はあるよね。日本語としてよく書けてるってことなのかな そうだな。でも反対もある。堀口大學の『山師トマ』なんぞ読みづらくて仕方ない。光文社新訳文庫でどんどんコクトー出してくれ。でもコクトーなんて需要ないか。 古典新訳文庫に入ってるからとりあえず読んでみようかな、と思って特に関心がない作家を読んで感銘を受けたことがある 出してくれれば読む機会になりうるよ 本屋で角川文庫の椿姫をパラパラみてたら、翻訳者の西永良成が、以前は光文社で出した椿姫が絶版になってしまった、惜しむ声があったがそんな折りに角川文庫が出してくれることになったので光文社で出したものを改訂して出しなおすことができた、ありがとう角川書店、みたいな一文が載っていた でも光文社はいまは永田千奈という別の翻訳者で椿姫をわざわざ出しなおしてる 出版社と翻訳者の間でトラブルでもあったのかね >>186 そうかもしれないし、抜粋された部分の出来がたまたま良かっただけなのかもしれないなw カラマーゾフは原訳しか読んだことないが、米川訳も読んでみたくなったよ。 米川役は高度経済成長期には既に読みづらいことで評判だった。 >>189 俺もそれを読んで、椿姫は角川の西永訳で読んだよ。 永田千奈も、古典新訳の女の一生読んだけど、良い訳をする人だと思った トルストイを望月訳で読んでメチャクチャ良かったので、是非、ドストエフスキーもたくさん訳して欲しいな。 亀山未成年訳了したら次何やるんだろ 望月安岡と被るものは除外すると残りの長編は『二重人格』『虐げられた人びと』『ステパンチコヴォ村』『伯父さまの夢』くらいしかない ドスト全作品を古典新訳文庫に収める予定なのかな。実現したらすごいな ロシア文学はドストエフスキーとトルストイだけじゃない ゴーゴリ『死せる魂』、ツルゲーネフ『けむり』『その前夜』『春の水』も新訳してほしい 作家の日記やったら評価するわ、正直既訳で事足りてるけど 岩波の法王庁の抜け穴を読んでるけどけっこう難しくて手ごわい。古典新訳文庫で読んだほうがいいかなあ >>193 『白痴』は望月訳で読んだけど、特に不満はなかったよ。 >>197 『死せる魂』は10年くらい前に河出から新訳出てる ツルゲーネフは冷遇されてるな >>200 しおりの登場人物一覧やローマの地図もあるし新訳オススメ >>202 新潮の金原瑞人新訳と被ったのは時期が悪かった 河合訳は河合訳で良さがあると思うけど >>203 『死せる魂』河出の訳は知っていたが、文庫ではないし、訳の評判も悪い 岩波文庫の『死せる魂』ように良訳が文庫に残ってほしい 岩波版は10年に一度のペースで限定復刊されている >>177 無くはないが「いっときま」とるびを振らないと通じにくいかも >>205 「いっときま」なんて言葉あるのか 日国にも載ってないが ロシア文学なら池田健太郎が早死にでしたね。 エッセイが知的で面白い人だったな。 もっと長生きして欲しかった 池田健太郎は50才没だけど、カラマーゾフも罪と罰も悪霊も翻訳してる。中公が復刊してもいいのにもったいない 池田健太郎はプーシキンやチェーホフの翻訳が素晴らしいだけでなく、 作品の解説も切れ味抜群だ ある世界文学全集でツルゲーネフ『けむり』を論じた文章にうなった 池田の翻訳は罪と罰だけ読んだことある。評論がすばらしいとは知らなかった。図書館で探してみるか 池田健太郎賞は第一回2名受賞したが、そのうち1人は後藤明生で、ゴーゴリ論で受賞してる。池田健太郎の名を冠するにふさわしい。 岩波文庫の法王庁の抜け穴を読んだ。翻訳もなかなか分かりづらかったけど、内容がそもそも難しいね、この小説。つかみ所が見つからない感じだった 光文社ので読みなおして解説をよく読んでみる 望月哲男に光文社で復活を訳してもらった後、河出でドストエフスキーに転戦してほしい。 ドストエフスキーの現状は、米川は古いし亀山は軽いしで、新潮の工藤・原しか選択肢がないようなものだし。 そこまで翻訳にこだわるならいっそロシア語覚えたほうがいいよ 読みの語学で数年かかるのは一生できないパターン。短期集中で半年でできるようにならないとな。 >>220 翻訳者になる気でもなけりゃ、そんなめんどくさいことするわけない いちいち書き込むな 知的スレになりかけたのにともすれば反知性に戻っちゃったよ こんな時節なのでザミャーチン『われら』でも読もうかと思ったら既に光古に入ってた流石やな 法王庁の抜け穴を岩波と光文社ともに読んだけど、いくら古いといっても高名な作家の訳だといってもやっぱり岩波のは悪文だと思う。 光文社(三ツ堀広一郎訳) 「あらゆる活動は消耗をともなうものだが、アンティムはこれを大ざっぱに認めるだけでは満足できなかった」 岩波(石川淳訳) 「どんな活動力でも磨損を生ずるというだけでは、彼はそれを大ざっぱに認めることをもって足れりとしなかった」 >>225 石川淳の訳文か。 確かに本人の初期作品は古びた言い回しが多い >>225 悪文ではない 古い言い回しを読み手が拒絶しているにすぎない 石川淳の文章は格調高くて好きだな 石川訳の全部が悪いとは思わないけど、意味が紛らわしい箇所が多くて、前のページに戻って確認することが多くて集中しづらいのは少しツラい 光文社ので読みなおして意味を確認し直してる。さすがに新訳では紛らわしいところはなくて明確 >>225 「大ざっぱに認める」というのが意味不明。認めるという行為に大ざっぱもクソもあるかよ。どっちもどっちじゃないの。 まあ、ここで活動力なんて訳してる時点で石川訳は無いな。純粋に三ツ堀訳の方が優れてると思う。 >>168 誰も池田訳を出さないので、 「それからもう一言、グルーシェンカは一時お兄さんを愛したことがあったの、ほんの一時だけれど愛したことがあったのーだからこれから一生そのわずかな時のことを忘れないで頂戴って付け加えてね、グルーシェンカが一生と言ってほしいと言ってたって!・・・」 自分はこれが一番グルーシェンカらしい言葉遣いだと思う。 hontoで検索したらこんなの出てきたけど、光文社の告知にはなかった本だ 臨海楼綺譚 新アラビア夜話第2部(光文社古典新訳文庫) スティーヴンスン (著), 南條 竹則 (訳)税込:1,078円 2022/04/12発売予定 ISBN:9784334754617 法王庁の抜け穴について、>>228 で書いた紛らわしいと書いたのはたとえば以下の部分なんだけど、文脈ではラフカディオはここで「門番に箱を託そうと考えたが思いとどまって託さなかった」ようなのだが、石川訳だと託したかのように思える。後の章でラフカディオは改めて箱を託す場面が描かれているので、ここで箱を託していないのははっきりするが、読んでいて自分が読み間違えたか、あるいは文章が間違えているのか、と混乱した。 三ツ堀訳ではここで箱を託していないことが明確になっている。 岩波・石川淳訳 「何も急くことはない。」門番に箱を託すとき、彼は心にそう言った。「まだこの屋根の下で夜を過ごすとしよう。そして、今宵のところはマドモアゼル・カロラに対して扉を閉めるだけのことにしておこう。」 光文社・三ツ堀訳 「何も急ぐことはない」ラフカディオは門番に箱を渡そうとして、そう思った。「夜はまだここで過ごすことにしよう。今晩はカローラ嬢を閉め出すだけでよしとしよう」 手許にある岩波文庫『法王庁の抜け穴』は1987年版で、まだカバーのない赤帯付きの本 この精神が高揚するかのような格調高い石川淳の名訳で、ジイドで最も好きな作品になった 小林秀雄訳ランボー『地獄の季節』も同様に素晴らしい ちまちました細かい語句の意味にこだわるヤツに所詮文学の詩心は分かるまい べつに全否定しているのではなくて分かりづらい箇所が一部あると指摘してるだけなんだけど、よく読んでね。実際分かりづらいところ多いよ石川訳 4月のバルガス・ジョサの街と犬たちの表示が公式からなくなった。発売延期かも。ネット書店の検索でスティーヴンスンが出るようになったからこちらに変更なのか バルガス・ジョサ読みたかった… 前は毎日更新していた公式インスタの更新がここ最近は止まったり、公式サイトのお知らせや既刊一覧が見られなくなったりしているが、なにかあったのかな まあ今時石川の格調なんてどこにも求められて無いんだけどね ホームページ直ったね。インスタは担当者がコロナの濃厚接触者になってしまったので更新ができなかったらしい 今月の新刊、本日発売日あげ 『スッタニパータ ブッダの言葉』 今枝由郎 訳 1,298円(税込) ISBN:9784334754594 ご存知の方いたら教えて頂きたいんだけど、新刊がkindle行きになるのって大体どれくらい経ってからですか? スッタニパータ読みたいけどkindle派なのでどうするか迷ってます Kindleは使ってないから分からないけど、hontoだと早いものは紙の二日後に発売されたりしてるよ ただ先月の人間のしがらみやイタリア紀行はまだ電子化されてないから、どうしてもKindleで読みたいなら光文社に問い合わせてみたら? ■電子書籍新刊(3月25日発売) ・『未成年1』ドストエフスキー/亀山郁夫訳 ・『イタリア紀行(上)』ゲーテ/鈴木芳子訳 ・『イタリア紀行(下)』ゲーテ/鈴木芳子訳 ・『フロイト、無意識について語る』フロイト/中山元訳 【これから出る本】 2022年4月『臨海楼奇譚 新アラビア夜話第二部』スティーブンスン/南條竹則訳 2022年5月『ゴルギアス』プラトン/中澤務訳 >>249 『都会と犬ども』からタイトルを変えたから たたりだよ プラトンもいいけどアリストテレスももっと出して欲しい >>248 の訂正(メルマガに誤記が、あったため) (誤)臨海楼奇譚 (正)臨海楼綺譚 【これから出る本】 2022年4月『臨海楼綺譚 新アラビア夜話第二部』スティーブンスン/南條竹則訳 2022年5月『ゴルギアス』プラトン/中澤務訳 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる