三島由紀夫Part64
やっぱりカリキュラムとかの影響を受けるから学習院や東大と過度につるまない方がいいね。 刑務所に詳しいというわけではないんだろう。文法でも刑務所扱えるんだよ。 自分のバックグラウンドが才を限定してしまうなら、まだ学問を続けるべきだろう。遅咲きと編集力。 金閣寺に立てこもって焼死したなら文学美学になるが。 >>495
三島由紀夫自身金閣寺は、当時付き合ってた最愛の恋人だこさん連れで見学したくらいだからね。 >>498
三島由紀夫は、お祖母さんはどっかの藩主の娘なんだよね。 >>493
三島由紀夫は、少ない年金暮らしの親がいたからね。お金稼がないといけなかったんだよ。 >>490
年金暮らしの親を支えるためには、三島由紀夫は小説でも文学でも、とにかく稼がないといけなかったんだよ。 三島由紀夫の父親は、高等文官試験首席だったにもかかわらず、局長どまりという出世から見放された人ではあったが、
それでも、いろんな会社に天下りして、高給を貰い、退職金もあちこちから沢山もらっていた。
年金暮らしの老人などではない。 やっぱり血統ってかぎりなく人間にあらわれるだよなあ
おそらく田吾作出身のごみみたいな俺の血、両親共に中卒のゴミどもの子である俺は三島の文章よんでも何書いてあるか意味わからねえ だとしたら、両親ともに中卒で、母親はことに、ほとんど文盲にちかいという
中上健次はどうなるの。中上の文章には、三島由紀夫の文章よりも難しげなところも多いが。 中上健次って別に評価されてないよ
ニューアカブームで柄谷がおだてたから今に残ってるだけで別に作家としてみたら・・・
野間宏とかのほうがすごいよ 中上健次が、小説家としてどうかということとはまた別に、
柄谷行人、浅田彰からの受け売りを書くだけでも、三島由紀夫の書いたことよりは、
とりあえず「難しく」はなるだろう。 >>505
おいおい、自分の好みを一般化するなよ
野間宏こそ今では読まれてない作家だよ
中上健次は最近岩波文庫から短篇集が出たし、
代表作もほとんど文庫が刊行されている 中上健次も小学館文庫ででていたが全部絶版
批評空間グループがやたらと押していたけどファンは少ないだろう
大江も中上もフォークナーめいた作品を書いていたけどフォークナー自体アメリカでも読まれなくなった作家で
さほど面白くもない
どっちも村上龍以下だと思う >>508
お前ごときの評価なんて誰も気にしない
お前は東野圭吾でも面白がっていればいいよ 中上健次は今でも河出文庫と講談社文芸文庫、文春文庫が刊行されている 話の発端は、中上健次の作品が良いか悪いかではなく、
中上の文章が小難しいかどうかということだった。
わたしは、両親とも低学歴でことに母親は文盲にちかかった中上の文章のほうが、
祖父、父がキャリア官僚だった三島由紀夫の文章よりも、小難しいところが多かっただろう、
ということを述べた。 ちなみに、柄谷行人の父親にしても旧制中学卒だが、柄谷の文章は、三島由紀夫のものよりも小難しいのではないか。 柄谷の文章が難しいってのは内容が難しい。
単純な構造の文でも、抽象的な単語の具体的な知識がこちらにないと理解できない。
小説家の文の難しさってのは、概念の難しさではなく、
作家が思考、描写を自分にしっくりくる手触りを感じるように並べている難しさで、
逆にいうとその手触りが伝わってきたら非常に心地よい文章に感じられる。 文学者の文章と親の学歴を関連させようとするのがアホらしい 今本読む人少なくなってるし、大半が積読状態だろうし、文章自体も平易な文になってるから、三島由紀夫を5冊くらい何往復も真剣に読み込めばかなりの日本語力がついて、差異化できる 問題は集中力が続かないこと。
10分読んで1時間ネットサーフィンしての繰り返しになることが多い。
スマホを別の部屋に置かないと意識が分散されてしまう 藤島泰輔
ジャニーズ事務所元社長のジュリーの父親(メリーの夫)
初等科から大学まで学習院に学ぶ。
上皇明仁の学友の一人。
1956年(昭和31年)、学習院高等科時代の上皇明仁(当時は皇太子)と「ご学友」たちを題材にした小説『孤獨の人』で作家デビュー。
三島由紀夫が序文を寄せ、「うますぎて心配なほど」と評価している[3][4]。
前妻は高浜虚子の孫娘。
三島由紀夫とは学習院の先輩後輩で親しくしていた。
三島からは「君は皇太子の友達なんだから直接意見してきたらどうか」
と度々からかわれていたという。
三島の自決後は、憂国忌の代表発起人となった。 久々に「不道徳人間講座」を再読したら「〜だわねぇ。」ってのがあって
ちょっと笑った。三島先生はカマっぽい喋り方もするのか 三島由紀夫のアポロの杯と豊饒の海4部作は旧版表紙ってあるの?
白地に朱色の字だけのやつ >>520
ダムの話ですね。ヒロインが、三島由紀夫が当時付き合ってただこさんにそっくり。だこさんは独身だったけどね。着物とかは、だこさんが着てた着物を聞いて、そのまま書いてる。 https://i.imgur.com/Un8TRvX.jpg
更に友人等などに教えて、更に\4000×人数をゲット可能
tk..tk [あぼーん用] 新潮新人賞、最年少17歳で受賞「とにかく三島が好き」 個人的に三島と言えば戯曲。
黒蜥蜴以外に江戸川の原作を戯曲化して欲しかった。
黄金仮面とか。 >>535
同じく女性が活躍する作品の
鏡子の家 はどうかな。
映画化もされてるし。 >>536
『鏡子の家』は失敗作
ヒロインに接する青年たちがみな三島の分身でつまらない
『宴のあと』はいいね
プライバシー侵害でモデルから三島が訴えられたが、
政治と恋愛の関係をよく描けている >>537
やはり三島は自身の内省や体験より
実際にあった事件を元にした執筆が上手いのかも。
個人的には一番独創的な小説だと思う
『美しい星 』はモデルになった
家庭とか人物はあるのかな。 大江健三郎の新潮文庫はいずれ全部絶版になりそうだけど
三島は生き残るだろうな 福田和也も三島の戯曲は完璧といっている。
それでも近代1とは見てない。
福田和也的には真山青果、宇野信夫らしい。このふたりは新歌舞伎の作者でもある
時代考証が完璧で、言葉の説得力が違う。作者の想像ではあるがその人物が実際に言ったとしか思われないくらいまで調べ上げる。 福田和也の鑑識眼をまるっきり信用していないのでどうでもいいが、
『鹿鳴館』を映画化した市川崑監督作品はとてもよかった
演出がオーバーだと批判が多かった映画だが、
自分にはドストエフスキーのようにダイナミックで面白かった
権利を持っている製作者が偏屈なので、
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家族・友人に紹介したり、通常タスクをこなせば更にポイントを追加でゲットできます 御殿場の記念館はみんな行ってる?
近いうちに行く予定。
川端の記念館も行ってみたい。 新潮文庫のアポロの杯、絹と明察、三島由紀夫 十代書簡集あたりは全く見かけない 外国の批評家が「切腹」からギリシア悲劇を連想したことは、興味深い。
作家が意図した否定とは逆に、形骸化したとはいえ一民族の一時代のモラルを宿命と見て、肯定した批評であった。因みにギリシア悲劇が、死の場面を決して舞台に出さなかったことはよく知られている。
かくして、知性と感性の両刃の剣を持った作品であった。相反する方向へ向いながら、異様な均衡を保ちえた作品であった。
ただ、作者が残酷場面を主題強調のために必要だったとしているのは疑問のある点で、残酷美に高めたものはむしろ感性的側面の力であり、又、一見知的に見える構成と場面設定の単純性は、実は伝習の形式美と不可分であることを言ひたかったのである。
そして観客がつとに、無意識の裡に感じとっていたことである。 板垣退助も刺された時、痛みでうーうー言ってただけというし
三島先生も同様だったのかもしれん 三島のことになると天皇とか政治の話題になって嫌だな 愛の渇きはあんま感心しないな。
悦子の気持ち、行動が全然共感しないし、
最後の殺人が唐突すぎてな。 >>556
午後の曳航もな
三島の小説は不自然極まりない
人間的にはすきだが小説はかなり駄作おおいよ その不自然な所が良いんだよ
理路整然とした内容に相対性を見出す、現代日本人の感覚の方がおかしい
芸術とは奇にして優なる情景の中にこそ生まれるもの 防衛省の警備員に刃物を突き付けたとして、新宿区の居酒屋経営者(45)を逮捕した。
タクシーで乗り付けており、運転手に「俺は三島先生が大好きだ。頑張れって言ってやりたいんだよ、岸田」などと話していたという。 『美徳のよろめき』『午後の曳航』は三島の観念のみでこしらえた空疎な駄作だが、『愛の渇き』はモーリアックの『テレーズ・デスケルー』を換骨奪胎し、三島の感覚で戦後日本に蘇らせた傑作 こんな天才、二度と出てこないだろう。
三島の藤原定家、読みたかったなぁ。
「紅旗征戎我が事にあらず」 東大全共闘の映画を見たが、サルトルと他者の話とか全くわからんが、東大生が静かに聞いていて、笑いのツボがあるのがわかるのが驚いた。昔の学生はアタマが良かったろうな。 >>570
同じく読みたかった
年重ねてからの作品も読んでみたかったなあ
今「サド侯爵夫人」の舞台動画見つけて視聴中 錦の御旗を掲げて辺境の蛮族を征伐する事は自分の仕事では無いと若き日に誓った藤原定家。
歌道に身を捧げた定家に、同じく若くして文学に生きた者として共感や憧れを抱いていたと思う。
しかしながら三島は皮肉にも己の美学、芸術の着地点として錦の御旗を掲げて殉じた。
昭和の激動の中、体制や思想がぐらぐらと揺れ動く中で経済だけが成長し、実の無い日本に落胆して行き、封建時代の様な忠誠や自己犠牲の美しさ、強がろうとする矜持に針は触れて行った。鋭敏過ぎる感性は自身の文学に現行一致を求め留まる事を許さなかった。
自身の文学に男性的な作家特有の息の短さを悟っていた三島には必然だったと思う。
死の数日前のインタビューで三島文学の今後を聞かれ「自分は古代の日本語に通じた最後のジェネレーション」「さぁ次は無いかもね、もうくたびれました、、」と笑うのは印象的。 定家 とか ラップの 身体境界魔界和歌とかドラム脚でできないけど。
三島の首領有紀子の胸に期待。 世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事
白楽天(白居易)「紅旗破賊非吾事」
これからきている。
この言に関する「芸術至上主義」の宣言だとかいうよくある理解は、ただの俗説だと思う。
じつのところ、戦争については日記には書きません、というだけのことだったのではないか。
藤原定家は、宮廷政治に参与することに生涯を通じて熱心だった。
ようするに、わりと俗物だったでしょう。
俗物でないのは、西行でしょう。女院に恋慕したあげく出家したり、諸国を修行したり、
最後には仏陀の入滅に日に、自分の詠んだ歌の通りに自殺したようだし。
吉本隆明は、『西行論』で、方下の禅師の類だと言っていたと思う。
三島由紀夫の思想と行動は、むしろ西行の系統だろう。
藤原の定家の系統は、しいていえば、かっこよさげなことを言いながら、
それなりに世俗の垢にまみれながら出世した蓮實重彦みたいなものだ。 新古今集の技法について、三島由紀夫は、当時の通説どおりに象徴主義的だと理解していた。
これは間違いとは言わないが、少々単純な理解だと思う。
三島由紀夫は、本歌取りについては、よくわかっていたわけだから(漢詩取りについては、三島が何か書いていたという記憶がない)、
その「象徴性」が、今風に言えばエクリチュールの操作にもとづくもので、むしろ脱象徴主義的なのだ、ということに感づいていたのであるが、
当時の通説的な思い込みが強かったせいで、知的にわかることがなかった。
三島由紀夫は、日本のポストモダン文学の先駆者なので、創作技法上は、よくよくそれについて(いわば体で)わかっていたと思う。 もっと長く生きて欲しかったけど、今にしてみれば、あの時点であの様に死ぬからこその三島である気もする。昭和と共に生きた作家。
リルケや上田秋成、葉隠を愛し、戦争を経験し、死があってこそ、しかも身近にある時に生が一番輝く事を知り、それに取り憑かれて行った。一時は時代の寵児となり、新古典主義、芸術至上主義にも向かったけれども結局地金は隠せなかった。
「人は自分の為だけに生きるほど強くはない」
それまでの価値観はどこ吹く風、経済大国に成長して矜持が捨てられて行く日本の中では、三島の美意識は空虚さに耐えられなかったのだと思う。天才の鋭敏な目には先が見え過ぎていた。
金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
痛々しいほど純粋な人であった。 >>569
愛の渇きはよんだことないが他は同意だ
午後の曳航とちがっておもしろいなら読んで見るか ≫金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
昭和四十年代の頭悪い人むけの文芸評論みたいだな。 一部で新古今集の象徴主義といわれたようなものは、
じつのところ、たいてい縁語、掛詞の類で、ダジャレや言葉遊びに近いものである。
三島由紀夫は、「鰯売恋曳網」みたいな御伽草子丸写しのような翻案歌舞伎狂言も書いているくらいなので、
創作技法上は、よくよくわかっているはずなのだが、ところが、いざ和歌を論じるとなると、
それこそ『金閣寺』の中高生向け「観念論」みたいな大げさで幼稚なことを書く。
このズレは、最後まで修正されなかった。 後鳥羽院の西行評
こころ殊にふかし
定家評
定家は生得の上手にてこそ
こころなにとなけれども
美しくいひつづけたれば殊勝のものにてあれ
「こころ」というのは、歌意のことだろう。
こういうクールなのが、かしこきところの批評なわけで、三島由紀夫みたいな下々とはちがうわけね。 三島曰く
「残虐さは人間の女性的な一面から来る」
「女々しさは人間の男性的な一面から来る」
本当にその通りだと思う。
三島の嫌いだった太宰は実の所、正直な程、男性的な作家だったのであり、才能は認めていたが、同族嫌悪から来る軽蔑を感じていた。
「太宰を好きになってしまえば自分も太宰の様になりはしないか?」と述べている様に意識的に距離を置いていたが、皮肉な事に共に自死してしまった。どちらも扱い方、向き合い方は異なるが死を利用していた作家。 >>583
男の残虐さは
心で泣いている部分があるけど
女の残虐さは全く意に介していないところなんじゃないのかな。
それが心にある男もいる。 宴の後、読んでる。政界の裏話かと思ったら恋愛の話みたいだ 『宴のあと』は傑作
恋愛と政治の関係がよく描けている >>584
女性的な残虐さは、女らしい情念の深さから来る、強さ、純粋さの様にも思えるね。
夾雑物が無いから強い。女性は恋愛が好きだし、日本では古来から掛け軸の幽霊画になってサマになるのは女だ。お岩さんも女だから絵になる。
三島の好きな雨月物語の「菊花の契り」にも、約束を果たす為に幽霊になって恩人に会いに来る男がいるが、「これは同性愛(恋愛)の話」と看破している。 三島由紀夫は石川淳と座談会を含めて3回も話してる。
石川に親しみを覚えたのは石川が雨月物語の愛読者であり、
優れた新釈・雨月物語の訳者でもあったからだろう。
三島は戦時中、雨月物語を座右の書にしていた。その中の短編でも
「菊花の契り」を殊の外愛読していたようだが、石川の「ただ、一刀の下にたおした」の表現は余りにも美しいが、三島の最後はそうではなかった。 三島由紀夫の最後が大量の血と腹から出た内蔵にまみれていたことは、
「仮面の告白」に登場する汚わい屋との関連を思わずにいられないが、
これは今の若手作家らの強い関心を呼ぶことのような気がするのだが。 >>588
崇徳院のドロドロとした怨念と情念が燃え上がる「白峯」も好きだったみたいだね。
三島は人間の持つ純粋志向、言行一致の美学に魅せられていて、体面の為なら狂死も是とする「葉隠」にも惹かれていた。最後まで鍋島藩の侍の手引きを手元に読み返していた。
死が身近にあってこそ生が輝く事を知っていた。
「戦争の時代、明日死ぬかもしれない世界が妙に幸福に思える時があった」と話しており、
終戦後の生への倦怠感、拍子抜けは最後まで三島の心を満たさなかった。
リルケの様に若くして純粋に美しく死にたかったけど、生き長らえ戦後の昭和を駆け抜けて美学に殉じて自死した。
女性と情死した太宰も死ぬ事を利用する作家だったが、向き合い方がまるで違う。