三島由紀夫Part64
『美徳のよろめき』『午後の曳航』は三島の観念のみでこしらえた空疎な駄作だが、『愛の渇き』はモーリアックの『テレーズ・デスケルー』を換骨奪胎し、三島の感覚で戦後日本に蘇らせた傑作 こんな天才、二度と出てこないだろう。
三島の藤原定家、読みたかったなぁ。
「紅旗征戎我が事にあらず」 東大全共闘の映画を見たが、サルトルと他者の話とか全くわからんが、東大生が静かに聞いていて、笑いのツボがあるのがわかるのが驚いた。昔の学生はアタマが良かったろうな。 >>570
同じく読みたかった
年重ねてからの作品も読んでみたかったなあ
今「サド侯爵夫人」の舞台動画見つけて視聴中 錦の御旗を掲げて辺境の蛮族を征伐する事は自分の仕事では無いと若き日に誓った藤原定家。
歌道に身を捧げた定家に、同じく若くして文学に生きた者として共感や憧れを抱いていたと思う。
しかしながら三島は皮肉にも己の美学、芸術の着地点として錦の御旗を掲げて殉じた。
昭和の激動の中、体制や思想がぐらぐらと揺れ動く中で経済だけが成長し、実の無い日本に落胆して行き、封建時代の様な忠誠や自己犠牲の美しさ、強がろうとする矜持に針は触れて行った。鋭敏過ぎる感性は自身の文学に現行一致を求め留まる事を許さなかった。
自身の文学に男性的な作家特有の息の短さを悟っていた三島には必然だったと思う。
死の数日前のインタビューで三島文学の今後を聞かれ「自分は古代の日本語に通じた最後のジェネレーション」「さぁ次は無いかもね、もうくたびれました、、」と笑うのは印象的。 定家 とか ラップの 身体境界魔界和歌とかドラム脚でできないけど。
三島の首領有紀子の胸に期待。 世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事
白楽天(白居易)「紅旗破賊非吾事」
これからきている。
この言に関する「芸術至上主義」の宣言だとかいうよくある理解は、ただの俗説だと思う。
じつのところ、戦争については日記には書きません、というだけのことだったのではないか。
藤原定家は、宮廷政治に参与することに生涯を通じて熱心だった。
ようするに、わりと俗物だったでしょう。
俗物でないのは、西行でしょう。女院に恋慕したあげく出家したり、諸国を修行したり、
最後には仏陀の入滅に日に、自分の詠んだ歌の通りに自殺したようだし。
吉本隆明は、『西行論』で、方下の禅師の類だと言っていたと思う。
三島由紀夫の思想と行動は、むしろ西行の系統だろう。
藤原の定家の系統は、しいていえば、かっこよさげなことを言いながら、
それなりに世俗の垢にまみれながら出世した蓮實重彦みたいなものだ。 新古今集の技法について、三島由紀夫は、当時の通説どおりに象徴主義的だと理解していた。
これは間違いとは言わないが、少々単純な理解だと思う。
三島由紀夫は、本歌取りについては、よくわかっていたわけだから(漢詩取りについては、三島が何か書いていたという記憶がない)、
その「象徴性」が、今風に言えばエクリチュールの操作にもとづくもので、むしろ脱象徴主義的なのだ、ということに感づいていたのであるが、
当時の通説的な思い込みが強かったせいで、知的にわかることがなかった。
三島由紀夫は、日本のポストモダン文学の先駆者なので、創作技法上は、よくよくそれについて(いわば体で)わかっていたと思う。 もっと長く生きて欲しかったけど、今にしてみれば、あの時点であの様に死ぬからこその三島である気もする。昭和と共に生きた作家。
リルケや上田秋成、葉隠を愛し、戦争を経験し、死があってこそ、しかも身近にある時に生が一番輝く事を知り、それに取り憑かれて行った。一時は時代の寵児となり、新古典主義、芸術至上主義にも向かったけれども結局地金は隠せなかった。
「人は自分の為だけに生きるほど強くはない」
それまでの価値観はどこ吹く風、経済大国に成長して矜持が捨てられて行く日本の中では、三島の美意識は空虚さに耐えられなかったのだと思う。天才の鋭敏な目には先が見え過ぎていた。
金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
痛々しいほど純粋な人であった。 >>569
愛の渇きはよんだことないが他は同意だ
午後の曳航とちがっておもしろいなら読んで見るか ≫金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
昭和四十年代の頭悪い人むけの文芸評論みたいだな。 一部で新古今集の象徴主義といわれたようなものは、
じつのところ、たいてい縁語、掛詞の類で、ダジャレや言葉遊びに近いものである。
三島由紀夫は、「鰯売恋曳網」みたいな御伽草子丸写しのような翻案歌舞伎狂言も書いているくらいなので、
創作技法上は、よくよくわかっているはずなのだが、ところが、いざ和歌を論じるとなると、
それこそ『金閣寺』の中高生向け「観念論」みたいな大げさで幼稚なことを書く。
このズレは、最後まで修正されなかった。 後鳥羽院の西行評
こころ殊にふかし
定家評
定家は生得の上手にてこそ
こころなにとなけれども
美しくいひつづけたれば殊勝のものにてあれ
「こころ」というのは、歌意のことだろう。
こういうクールなのが、かしこきところの批評なわけで、三島由紀夫みたいな下々とはちがうわけね。 三島曰く
「残虐さは人間の女性的な一面から来る」
「女々しさは人間の男性的な一面から来る」
本当にその通りだと思う。
三島の嫌いだった太宰は実の所、正直な程、男性的な作家だったのであり、才能は認めていたが、同族嫌悪から来る軽蔑を感じていた。
「太宰を好きになってしまえば自分も太宰の様になりはしないか?」と述べている様に意識的に距離を置いていたが、皮肉な事に共に自死してしまった。どちらも扱い方、向き合い方は異なるが死を利用していた作家。 >>583
男の残虐さは
心で泣いている部分があるけど
女の残虐さは全く意に介していないところなんじゃないのかな。
それが心にある男もいる。 宴の後、読んでる。政界の裏話かと思ったら恋愛の話みたいだ 『宴のあと』は傑作
恋愛と政治の関係がよく描けている >>584
女性的な残虐さは、女らしい情念の深さから来る、強さ、純粋さの様にも思えるね。
夾雑物が無いから強い。女性は恋愛が好きだし、日本では古来から掛け軸の幽霊画になってサマになるのは女だ。お岩さんも女だから絵になる。
三島の好きな雨月物語の「菊花の契り」にも、約束を果たす為に幽霊になって恩人に会いに来る男がいるが、「これは同性愛(恋愛)の話」と看破している。 三島由紀夫は石川淳と座談会を含めて3回も話してる。
石川に親しみを覚えたのは石川が雨月物語の愛読者であり、
優れた新釈・雨月物語の訳者でもあったからだろう。
三島は戦時中、雨月物語を座右の書にしていた。その中の短編でも
「菊花の契り」を殊の外愛読していたようだが、石川の「ただ、一刀の下にたおした」の表現は余りにも美しいが、三島の最後はそうではなかった。 三島由紀夫の最後が大量の血と腹から出た内蔵にまみれていたことは、
「仮面の告白」に登場する汚わい屋との関連を思わずにいられないが、
これは今の若手作家らの強い関心を呼ぶことのような気がするのだが。 >>588
崇徳院のドロドロとした怨念と情念が燃え上がる「白峯」も好きだったみたいだね。
三島は人間の持つ純粋志向、言行一致の美学に魅せられていて、体面の為なら狂死も是とする「葉隠」にも惹かれていた。最後まで鍋島藩の侍の手引きを手元に読み返していた。
死が身近にあってこそ生が輝く事を知っていた。
「戦争の時代、明日死ぬかもしれない世界が妙に幸福に思える時があった」と話しており、
終戦後の生への倦怠感、拍子抜けは最後まで三島の心を満たさなかった。
リルケの様に若くして純粋に美しく死にたかったけど、生き長らえ戦後の昭和を駆け抜けて美学に殉じて自死した。
女性と情死した太宰も死ぬ事を利用する作家だったが、向き合い方がまるで違う。 「天才は若くして死ななければならない」
三島少年はこの言葉に魅せられていたし、実際に純粋な天才だった。自身の作家論の中で、自分は谷崎の様な息の長い作家の部類には入っていないと思っていた為、歳を取り創作意欲、才が減じて行くのを恐れていた。焦燥感もあったと思う。
その三島が体力のある内に書きたかったのが藤原定家。歌道にその生涯を生きた古代の天才に惹かれるものがあったのだろう。
三島の面白いのは、最後の死への過程で、文も体も鍛え言行一致の境地へと若々しくなって行った所。
老いて醜く畳の上で死ぬ事など考えられなかった。 男女に新旧、洋の東西と、相変わらずの二元論に固執する現代日本人が短絡思考か
いや、それこそが、人間たる衆生の、最たる悲哀か... 三島が畏敬の念を持っていた作家はゲーテ、トーマスマン、鴎外。
「彼らは、したたかな作家」
「綺麗な、か弱い作家が苦手」
「意識的にモノを書き始める前はただ綺麗なモノを何となく書きたいと思っていたけど、次第に変わって行った」
文章は荘重かつ無駄なく骨格がしっかりとした鴎外の文を目指しており、鴎外の「寒山拾得」の中の一文、「水が来た」への感銘が慧眼。
純粋で強い感情、情念を理性の効いた文章で綴りたい気持ちがあったけど、「思春期の感情形成に受けた地金が出てしまい、統御するのは難しかった」と話していたのが印象的。 もう芸術家という概念が変わっているんだよね
三島的な芸術家像は過去のものだから、今は漫画家、映画アニメ監督、エンタメ作家が芸術家だよ
日本国内に限らず世界的に影響力があるのはエンターテイメントで、純粋芸術という歴史的な存在は意味がなくなっている >>590
白峰は西行のカッコ良さが俺の気に入ったw >>596
君の、その実に通俗的な主観などは、どうでもいいから 日本文化、日本的なモノ、日本の情緒の根源は何なのか?
玉葱の皮を剥いて行く様に辿って行くと雨月物語や源氏物語や何やらと巡って行き、古今和歌集、万葉集等に収斂されて行く。
三島由紀夫は自身を古い日本の言葉に通じた最後のジェネレーションと自負しており、一時期は新古典主義と自身を規定し古典に通暁していた。
儚さに共感し、全てを言わない、言えない、仄めかす、余白を残す文化。
日本に西洋の様な骨太の長編小説が比較的少ないのは、そもそも日本人の気質に合わないモノらしい。
口下手な民族でもあり、多くを語る事を良しとしない美徳があり、沈黙の礼節を持っていた。谷崎曰く日本語はそもそも「語彙も少なく息が続かない」言葉。故に源氏の特殊さが際立つ。
雨月物語なども各章短く簡潔単純だけど、滲み出る日本人の嫉妬や強欲、情欲、情念が鋭利な刃物の様に強烈。 13世紀を「古代」だという人が、古典文学についてあれこれいうのがすごい。 >>1
【訃報】
写真家・篠山紀信さん死去、83歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1704399835/
1970年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。
三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。 地球の自転という事実が、決して五感では知られず、科学的理性を媒介として辛うじて認識されるように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何かたしかな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識されるのではなかろうか
何度も同じ事を書いて悪いが、自分としてはやはりこの一文が好きで堪らない。
此処にこそ三島の神髄が在るように思えて >>603
三島が読んでいた浜松中納言物語の世界観。
その影響を受けているのが豊穣の海だからね。
体力がある内に長い小説、、世界を包摂する小説を書こうした。 暁の寺では、阿頼耶識という言葉を使う程に、仏教に言及していたが、
三島はどのくらい仏教の勉強をしたのだろうか
彼の知能を以てすれば、何の事はないだろうが 多くの人は三島の仏教知識なんて半端だと思ってるよ
松岡正剛安岡正篤 年々、三島より太宰の方が魅力的に感じられてきて好きな順位が入れ替わってしまった
そういう人いる? 作家としては太宰のほうがいいな
実人生含めた面白さは三島 >>608
作家として太宰の方がいいというのは作風?作品全般の内容かな? 人間性はともかく、総体的なレベルは、圧倒的に三島が勝ってるからなぁ〜 駆け出しの頃の三島が太宰に会った時、直に「私はあなたの作品が嫌いです」と伝えてるのが面白い。
三島曰く太宰の文学上のモチーフは「寒風摩擦すれば治る類のもの」
ただし後年のインタビューで才能はとても優れていると認めている。
同族嫌悪があり好きになると溺れてしまう恐れがあり、作品と作家の関係性が苦手だったと話している。
「文学は薬では無いけど、書く作品からその作家が生き返らなければいけない」
三島は強がろうとする美学に年々惹かれて行って、女々しさを遠ざけようとしたので我慢ならなかった。
太宰の弱さ、女々しさを切り売りして作品を作り衰弱して行く姿は何やら凄いけど、大人になると読まなくなる人が多いのは、何かしらの男が持つ同族嫌悪の感覚があるのだろう。川端も徹底的に鼻を摘んでいた。
三島も太宰も自死するけど、切腹と情死、人生の終わり方の違い。 面白いyoutubeチャンネルを見つけた
「三島由紀夫の金閣寺を100回写経してプロ小説家になる男」だってw
これまでにすでに12回やったらしくて、ようやるわと思う
https://www.youtube.com/@user-jj8gu7jc4r/streams 日本、日本人、日本文化、、日本的なモノ(曖昧、勤勉、清潔、儚さへの共感、他への尊重謙遜etc)を知りたくなるとその要素の濃い、昔の作家を読みたくなる。SNSで世界が繋がり国際化が進む程、どの国でも自国のアイデンティティ、文化の根源を知ろうとする動きが若者の間にも出て来る傾向にあるらしい。
鴎外、谷崎、鏡花、川端、三島、、、文章にも内容にも日本的なモノが色濃く詰まってる。
行き着くと古典、和歌に辿り着く。三島由紀夫は藤原定家が好きだった。 >>611
そのエピソードの堂々とした感じは三島の主観で、
一緒にいた人の話だと小声でボソボソ言った感じで、
太宰は「そんなら来なきゃ良いじゃねえか」と言って
すぐに別のことを話し出したそうだ 大人になると太宰を読まなくなる人が多いと言われるのは何故だろうか?
社会に出ると男は取り分け、誰しもが女々しさや男の弱さを隠したり、取り繕ったりする必要性が多かれ少なかれ出てくる為か?
もしくは思春期の多感な時代に誰しもが感じた厭世観の青臭さが太宰を読むと鼻に付いて来る為か?
三島は戦前から戦後の価値観が激動する時代に生き、武士のある意味愚直な忠勤、自己犠牲の様な「強がろうとする美学」に惹かれた作家。
終生愛読していた「葉隠」も「外面の美学」であり「ダンディズム」に近いと述べている。
どちらも男臭さ、女々しさを持ってるが、作品への昇華の仕方が真逆で面白い。 子供、いや高一あたりの青少年と言われる頃か、
太宰が好きで、というより耽溺していて、そのように小説に惹かれることは
それ以前も、それ以後の長い期間にも他に一度もなかったので、
小説の内容よりも、そういう惹かれ方をした記憶で、
大人になって何度も読み返すことがあったが、
自分の場合、まず恥ずかしさとか、自己愛的なものへの嫌悪感が先にくる。
そこには太宰自体への感情よりも、
同化して読んでいた太宰との違いが明らかになった羞恥が大きいように思う。
つまり太宰は選ばれてあるものという自己認識を持ち、
今現在事実としてそれは間違ってはいないと思うが、
自分の方はまったく無能だったのであり、
そう思い知らされた自分が、正体を曝け出した恥ずかしさの方が大きいように思う。 三島と太宰は言行一致の作家。
太宰は自堕落で不摂生、精神病院にも入り、自己嫌悪、憐憫にのたうち回って作品を紡ぎ出し、玉川上水で情死、女と紐で繋がった醜い水死体となって上がった。
三島は絶対的なモノへの忠誠、自己犠牲を追い求め宛らドンキホーテの騎士道の如く、狂った様に武士道に殉じ嘲笑、罵声を浴びせられながら市ヶ谷で切腹介錯を持って生涯を閉じた。
苛烈な文学の時代があったと言えばそれまでなのかもしれないが心は揺さぶられる。
今の何事もニュートラルな時代、価値観も多種多様時代には弱さよりも強い価値観、美学に惹かれる人が多いのではないか。 三島は石川淳との対談で、亀井勝一郎のことを大嫌いだと言っていたが、その遍歴時代のエピソードの席上で太宰の隣に居たのが亀井勝一郎 三島由紀夫
「エベレストに登って落っこちそうになった。とか、そんなものばかりが体験では無い。その辺の石につまづいた時に、その石が人によっては大きな意味を持つ事になる」
「体験を体験足らしめるものを才能と言う」
「その体験を、音楽家は音で、画家は色で、文学者は言葉で表現する」
「全ては言葉に還元されるので、文学者になりたければ辞書を1ページずつ覚えて食べてしまえば良い」
「自分は日本の古い言葉、古典の言葉にまで通じる最後のジェネレーション」 三島先生はウルトラマンが怪獣にボコボコにされて最後の抵抗も虚しく
力尽きるところを鑑賞したら興奮したのだろうか >>618
今をときめく作家、九段理江は太宰治と三島由紀夫の小説を自作に取り込んでいる
女の作家は概して自分の分身を主人公にした小説ばかり書きがちだが、
この人は違うんじゃないかと思っている 結局の所、時代の試練を超えて読まれる作家は行く行くは皆、古典となって行く。
その当時は持て囃されて読まれていたが、後に忘れられる作家が大半である。
例えば芥川賞の作家達のどれ程が残り続けているか?
三島が言う様に、作家や芸術家の真価は50年、100年と行った年月を経た後に本当の意味で測られ、語られるのでは無いか?
三島は昭和と言う時代を象徴する、したたかで才能に溢れた稀有な作家。日本を遡る時、日本人を知ろうとする時には必ず現れ読まれ続けるだろう。
川端、谷崎、鴎外、、、上田秋成、紫式部、、脈々と連なってる。
さて今の村上春樹を始めとした日本の作家達は如何に、、? 全てを言わない、言えない、言う事を良しとしない民族。葉隠にもある「沈黙は金なり」。
愛惜、憧憬、抒情、、いかに言わずに伝えるかの和歌の世界。源氏物語の一見饒舌饒多だが曖昧模糊で是が非か断定せずに連綿と続く表現。
現代の日本人にも十分に受け継がれている言葉を扱う機微の匙加減と難しさ。言葉でなく空気や言外を汲み取る。
三島曰く、いかに伝えづらいものを言葉で伝えるか?
言葉は連ね重ねる程、真意は遠ざかって行く事が多い。
三島は簡潔簡逕の鴎外の文章が好きで一時期目指しながら文体を作り上げた一方で、
太宰の自分だけに囁きかける様な文章は多感な時期の若者に好まれた。
流麗、変幻自在、小説における日本語の文章の極致は谷崎潤一郎だと思う。 志賀直哉『暗夜行路』の文体は誰にも真似できない名人芸
夏目漱石も芥川龍之介にああいう文は書けないと言った 五木寛之はイケメン作家、って言ってた人がいて他には
三島由紀夫もイケメン!かっこいい!
私が「身長低いですよね?」「低いけど筋肉質で素敵」
私が「仮面の告白」読んだことありますか?(暗にゲイですよね?っていうつもり)
って聞いたら、とぼけられた爆
三島由紀夫のことが好きだったらゲイであるっていう事実も
受け入れてあげてほしいなーって思った。
三島の文体はどうしても苦手だけど(だから「金閣寺」と「仮面の告白」しか
読んだことがない)ひとつの作品としての物語というか構成というかは
凄いなあって思ってる。
もう本当に読むのがしんどかったけど代表作くらいは読んでおかないとなあって。 ごめん、場違いだった
3年ぶりに5ちゃんに書き込めるようになってたから嬉しくて嬉しくて。
しばらくはROMってカキコの復習します。 『仮面の告白』は贋の自伝小説
あれで三島がホモだと思い込むヤツは低能
文学に向かないから読まない方がよい >>621
楯の会は科学特捜隊から着想得てると思う
もちろん三島にとってウルトラマンは日本軍でるべきであって米軍であるべきではないと思ってただろうが 衆道の話なら三島が愛読していた雨月物語の一編「菊花の契り」がお勧め。 >>632
それも演じてただけだよ
三島を舐めすぎ 最初に人生があってそれに創作を合わせていく太宰治を批判して、自分は先に創作があってそれに人生を合わせていくんだってどっかで言ってたし
仮面の告白が念頭にあったのは間違いない どっかで言ってたし
あやふやな根拠だな(笑)それで間違いなしと、おい、大丈夫か >>636
こんな有名な話をしらないニワカがここにいることが不思議だな 別にゲイでもバイでも良いでしょ。
芸術家は多い。ミケランジェロ、ダヴィンチ、オスカーワイルド、、評論家のドナルド・キーンも然り。
独特の美意識、視点がなせる作品ってのがある。 >>635
それができなかったって後年発言してるだろ
村松剛の伝記には最晩年の酒の席で「それじゃ太宰と同じじゃないか」「俺は太宰と同じだ」と発言してたというし 小説(芸術)が先か?人生が先か?
どんなに理性で統御して純粋な創作を試みても、何かしらその人の自分の価値観、美意識、倫理、理想、性的嗜好、生きた時代と社会、家庭環境、すなわち人生が出て来てしまうものでしょう。
三島自身、ある所まで自分を理性で統御し新古典主義、芸術至上主義で貫き通せると思ってたが、歳を重ねるに連れて多感な10代の頃に受けた感情教育の影響が湧き出して来て、地金の様なものが出て来てしまった。と述べている。
そして生まれた時から実験室の様な所で育った人間には小説家にはなれない。とも。
AIには本当の意味での芸術作品は作れない由縁である。 三島も太宰も好きだけど太宰はもう読んでない。
読まない理由は 太宰は短編小説しかない。研究材料に乏しい。
死んだ年齢が若すぎてとっくに追い越してしまった。
単純に読む時間が無い。 >>642
バカ丸出し
三島自身が否定してんのに
古典的作家になれると錯覚起こしてたとまで言ってるのに
創作に人生を合わせる?w無理無理 >>644
文脈が理解できないバカ
このレベルが文学板にいるとはな >>643
作家の「体力」と言う問題がありますね。
地の体力があり、息が長く続く作家は長編が得意。
西洋の作家に多い。日本人は饒舌を嫌い言葉足らずな気質の面もあるが比較的、短編、中編の名手が多い。
病弱、神経質な芥川、太宰のような作家は短いものが多い典型。
三島が死の間際に体力のある内に、うんと長い小説、世界を包摂する様な小説を書きたいと言って完成させたのが豊穣の海。
面白い事にマラソンもして健康的な村上春樹は西洋人みたいな長い小説を書く。
谷崎の細雪も長い。古典の歴史の中で異質に輝く源氏物語の影響もある。 >>642
どうしてそんなに攻撃的なんだ?
対面にも君と同じく人がいる事を自覚して 禁色を再再読してるけど
檜俊輔は川端康成のイメージなんだけど
これは多くの人の共通認識? すみません、
ポプコーン心霊術の様な
芸術作品(美術・音楽・映像)の評論を読みたいのですが
手に入る文献での評論集を知ってたら教えて下さい。
黒澤明氏の映画を
中学生並のヒューマニズムと
評していた話は知ってます。 ハサ美ちゃん。今日もお元気?
今日は何をはさむのかしら。何を切るのかしら
お父様のおちんちん? >>654
そうなんだ、安部工房読んでみようかな。
安部工房が急逝していなければ絶対に安部工房が
ノーベル文学賞だった。 三島由紀夫て、嘘か本当か知らんが、5年位前から自殺の準備していたらしいとか見たが
自殺の少し前に東武百貨店で三島の展覧会があった、それに行った、土日でなかったからか人はまばらだった
真っ暗の上下左右の壁紙か?トンネル中のような異様な暗さの会場に、子供の時の作文や賞をもらったものや、腹に矢が刺さった等身大写真や色々あり、まあ面白かった、白黒写真のパンフレットも買った
小説やエッセイも面白く読んだが
自殺願望が先にあり、それに政治をこじつけたのか、よく分からない
展覧会見て暫くして、ニュースにぎょっとしたが
死ななくても良かったのに、理解不能 井伏が太宰の死について同じことを言ってたな
なぜ死ぬ必要があったのか訳がわからない、みたいな
太宰と三島の共通点といえば自己愛の強い目立ちたがりということかな
その意味では選んだ死に方も似てるな 三島の心に長らくあった藤原定家を題材にした作品も読んでみたかったが、年老いた三島由紀夫の姿も見たくない気がする。今の日本と日本人を見たら、どう思うのか?
戦前戦後の価値観の激しく変動する中で強烈かつ鮮烈な感性を持った作家だった。
この様な作家はもう出て来ないでしょう。 三島の晩年は、ボデイービル、楯の会、演劇、著名人と対談、東大全共闘演説で目立って
作家らしくない行動が、何なのあの作家て
不信感とか奇異な行動に見えて、著作はベストセラーでも無いし、そんな読まれて無かった
一部の純文学オタクは読んでも、殆どの人は名前は知っていても、本は精々1冊読んでるかどうかだった
あの事件で一気に研究や解説が出てきただけ >>665
お前は三島が死んだ後に生まれた世代だな
三島の存命時代を知りはしない
三島作品がどれだけ売れまくっていたことか
なぜお前のような低能が文学に関心があるのか
AVでも見ていりゃいいのに ベストセラー小説の題名から流行語になったのは
斜陽族、よろめき、太陽族、なんかがある >>665
そもそも作家らしい行動って何ぞや?
坂口安吾みたいに反故にした原稿に埋もれて頭掻きむしりながら呻吟して作品を書くとか??
しかしながら、大抵の作家、芸術家はどこか奇抜で特異なモノや慧眼を持っていて、社会と摩擦を来しかねない変人が多い。そのズレを作品に昇華している。
村上春樹みたいに規則正しい生活をしてマラソンをするのもいるし、太宰の様に女と情死するのもいるし、、
ドストエフスキーなんてギャンブル依存症。
三島由紀夫は若くして天才と称され、メディアの水にも合い、激動の昭和を象徴する様な鮮烈なスター作家だった。
今はもう本を読む人自体少ないし、文学なんて必要とされなくなってる時代。色々な意味でこんな人はもう出て来ない。