三島由紀夫Part64
>>608
作家として太宰の方がいいというのは作風?作品全般の内容かな? 人間性はともかく、総体的なレベルは、圧倒的に三島が勝ってるからなぁ〜 駆け出しの頃の三島が太宰に会った時、直に「私はあなたの作品が嫌いです」と伝えてるのが面白い。
三島曰く太宰の文学上のモチーフは「寒風摩擦すれば治る類のもの」
ただし後年のインタビューで才能はとても優れていると認めている。
同族嫌悪があり好きになると溺れてしまう恐れがあり、作品と作家の関係性が苦手だったと話している。
「文学は薬では無いけど、書く作品からその作家が生き返らなければいけない」
三島は強がろうとする美学に年々惹かれて行って、女々しさを遠ざけようとしたので我慢ならなかった。
太宰の弱さ、女々しさを切り売りして作品を作り衰弱して行く姿は何やら凄いけど、大人になると読まなくなる人が多いのは、何かしらの男が持つ同族嫌悪の感覚があるのだろう。川端も徹底的に鼻を摘んでいた。
三島も太宰も自死するけど、切腹と情死、人生の終わり方の違い。 面白いyoutubeチャンネルを見つけた
「三島由紀夫の金閣寺を100回写経してプロ小説家になる男」だってw
これまでにすでに12回やったらしくて、ようやるわと思う
https://www.youtube.com/@user-jj8gu7jc4r/streams 日本、日本人、日本文化、、日本的なモノ(曖昧、勤勉、清潔、儚さへの共感、他への尊重謙遜etc)を知りたくなるとその要素の濃い、昔の作家を読みたくなる。SNSで世界が繋がり国際化が進む程、どの国でも自国のアイデンティティ、文化の根源を知ろうとする動きが若者の間にも出て来る傾向にあるらしい。
鴎外、谷崎、鏡花、川端、三島、、、文章にも内容にも日本的なモノが色濃く詰まってる。
行き着くと古典、和歌に辿り着く。三島由紀夫は藤原定家が好きだった。 >>611
そのエピソードの堂々とした感じは三島の主観で、
一緒にいた人の話だと小声でボソボソ言った感じで、
太宰は「そんなら来なきゃ良いじゃねえか」と言って
すぐに別のことを話し出したそうだ 大人になると太宰を読まなくなる人が多いと言われるのは何故だろうか?
社会に出ると男は取り分け、誰しもが女々しさや男の弱さを隠したり、取り繕ったりする必要性が多かれ少なかれ出てくる為か?
もしくは思春期の多感な時代に誰しもが感じた厭世観の青臭さが太宰を読むと鼻に付いて来る為か?
三島は戦前から戦後の価値観が激動する時代に生き、武士のある意味愚直な忠勤、自己犠牲の様な「強がろうとする美学」に惹かれた作家。
終生愛読していた「葉隠」も「外面の美学」であり「ダンディズム」に近いと述べている。
どちらも男臭さ、女々しさを持ってるが、作品への昇華の仕方が真逆で面白い。 子供、いや高一あたりの青少年と言われる頃か、
太宰が好きで、というより耽溺していて、そのように小説に惹かれることは
それ以前も、それ以後の長い期間にも他に一度もなかったので、
小説の内容よりも、そういう惹かれ方をした記憶で、
大人になって何度も読み返すことがあったが、
自分の場合、まず恥ずかしさとか、自己愛的なものへの嫌悪感が先にくる。
そこには太宰自体への感情よりも、
同化して読んでいた太宰との違いが明らかになった羞恥が大きいように思う。
つまり太宰は選ばれてあるものという自己認識を持ち、
今現在事実としてそれは間違ってはいないと思うが、
自分の方はまったく無能だったのであり、
そう思い知らされた自分が、正体を曝け出した恥ずかしさの方が大きいように思う。 三島と太宰は言行一致の作家。
太宰は自堕落で不摂生、精神病院にも入り、自己嫌悪、憐憫にのたうち回って作品を紡ぎ出し、玉川上水で情死、女と紐で繋がった醜い水死体となって上がった。
三島は絶対的なモノへの忠誠、自己犠牲を追い求め宛らドンキホーテの騎士道の如く、狂った様に武士道に殉じ嘲笑、罵声を浴びせられながら市ヶ谷で切腹介錯を持って生涯を閉じた。
苛烈な文学の時代があったと言えばそれまでなのかもしれないが心は揺さぶられる。
今の何事もニュートラルな時代、価値観も多種多様時代には弱さよりも強い価値観、美学に惹かれる人が多いのではないか。 三島は石川淳との対談で、亀井勝一郎のことを大嫌いだと言っていたが、その遍歴時代のエピソードの席上で太宰の隣に居たのが亀井勝一郎 三島由紀夫
「エベレストに登って落っこちそうになった。とか、そんなものばかりが体験では無い。その辺の石につまづいた時に、その石が人によっては大きな意味を持つ事になる」
「体験を体験足らしめるものを才能と言う」
「その体験を、音楽家は音で、画家は色で、文学者は言葉で表現する」
「全ては言葉に還元されるので、文学者になりたければ辞書を1ページずつ覚えて食べてしまえば良い」
「自分は日本の古い言葉、古典の言葉にまで通じる最後のジェネレーション」 三島先生はウルトラマンが怪獣にボコボコにされて最後の抵抗も虚しく
力尽きるところを鑑賞したら興奮したのだろうか >>618
今をときめく作家、九段理江は太宰治と三島由紀夫の小説を自作に取り込んでいる
女の作家は概して自分の分身を主人公にした小説ばかり書きがちだが、
この人は違うんじゃないかと思っている 結局の所、時代の試練を超えて読まれる作家は行く行くは皆、古典となって行く。
その当時は持て囃されて読まれていたが、後に忘れられる作家が大半である。
例えば芥川賞の作家達のどれ程が残り続けているか?
三島が言う様に、作家や芸術家の真価は50年、100年と行った年月を経た後に本当の意味で測られ、語られるのでは無いか?
三島は昭和と言う時代を象徴する、したたかで才能に溢れた稀有な作家。日本を遡る時、日本人を知ろうとする時には必ず現れ読まれ続けるだろう。
川端、谷崎、鴎外、、、上田秋成、紫式部、、脈々と連なってる。
さて今の村上春樹を始めとした日本の作家達は如何に、、? 全てを言わない、言えない、言う事を良しとしない民族。葉隠にもある「沈黙は金なり」。
愛惜、憧憬、抒情、、いかに言わずに伝えるかの和歌の世界。源氏物語の一見饒舌饒多だが曖昧模糊で是が非か断定せずに連綿と続く表現。
現代の日本人にも十分に受け継がれている言葉を扱う機微の匙加減と難しさ。言葉でなく空気や言外を汲み取る。
三島曰く、いかに伝えづらいものを言葉で伝えるか?
言葉は連ね重ねる程、真意は遠ざかって行く事が多い。
三島は簡潔簡逕の鴎外の文章が好きで一時期目指しながら文体を作り上げた一方で、
太宰の自分だけに囁きかける様な文章は多感な時期の若者に好まれた。
流麗、変幻自在、小説における日本語の文章の極致は谷崎潤一郎だと思う。 志賀直哉『暗夜行路』の文体は誰にも真似できない名人芸
夏目漱石も芥川龍之介にああいう文は書けないと言った 五木寛之はイケメン作家、って言ってた人がいて他には
三島由紀夫もイケメン!かっこいい!
私が「身長低いですよね?」「低いけど筋肉質で素敵」
私が「仮面の告白」読んだことありますか?(暗にゲイですよね?っていうつもり)
って聞いたら、とぼけられた爆
三島由紀夫のことが好きだったらゲイであるっていう事実も
受け入れてあげてほしいなーって思った。
三島の文体はどうしても苦手だけど(だから「金閣寺」と「仮面の告白」しか
読んだことがない)ひとつの作品としての物語というか構成というかは
凄いなあって思ってる。
もう本当に読むのがしんどかったけど代表作くらいは読んでおかないとなあって。 ごめん、場違いだった
3年ぶりに5ちゃんに書き込めるようになってたから嬉しくて嬉しくて。
しばらくはROMってカキコの復習します。 『仮面の告白』は贋の自伝小説
あれで三島がホモだと思い込むヤツは低能
文学に向かないから読まない方がよい >>621
楯の会は科学特捜隊から着想得てると思う
もちろん三島にとってウルトラマンは日本軍でるべきであって米軍であるべきではないと思ってただろうが 衆道の話なら三島が愛読していた雨月物語の一編「菊花の契り」がお勧め。 >>632
それも演じてただけだよ
三島を舐めすぎ 最初に人生があってそれに創作を合わせていく太宰治を批判して、自分は先に創作があってそれに人生を合わせていくんだってどっかで言ってたし
仮面の告白が念頭にあったのは間違いない どっかで言ってたし
あやふやな根拠だな(笑)それで間違いなしと、おい、大丈夫か >>636
こんな有名な話をしらないニワカがここにいることが不思議だな 別にゲイでもバイでも良いでしょ。
芸術家は多い。ミケランジェロ、ダヴィンチ、オスカーワイルド、、評論家のドナルド・キーンも然り。
独特の美意識、視点がなせる作品ってのがある。 >>635
それができなかったって後年発言してるだろ
村松剛の伝記には最晩年の酒の席で「それじゃ太宰と同じじゃないか」「俺は太宰と同じだ」と発言してたというし 小説(芸術)が先か?人生が先か?
どんなに理性で統御して純粋な創作を試みても、何かしらその人の自分の価値観、美意識、倫理、理想、性的嗜好、生きた時代と社会、家庭環境、すなわち人生が出て来てしまうものでしょう。
三島自身、ある所まで自分を理性で統御し新古典主義、芸術至上主義で貫き通せると思ってたが、歳を重ねるに連れて多感な10代の頃に受けた感情教育の影響が湧き出して来て、地金の様なものが出て来てしまった。と述べている。
そして生まれた時から実験室の様な所で育った人間には小説家にはなれない。とも。
AIには本当の意味での芸術作品は作れない由縁である。 三島も太宰も好きだけど太宰はもう読んでない。
読まない理由は 太宰は短編小説しかない。研究材料に乏しい。
死んだ年齢が若すぎてとっくに追い越してしまった。
単純に読む時間が無い。 >>642
バカ丸出し
三島自身が否定してんのに
古典的作家になれると錯覚起こしてたとまで言ってるのに
創作に人生を合わせる?w無理無理 >>644
文脈が理解できないバカ
このレベルが文学板にいるとはな >>643
作家の「体力」と言う問題がありますね。
地の体力があり、息が長く続く作家は長編が得意。
西洋の作家に多い。日本人は饒舌を嫌い言葉足らずな気質の面もあるが比較的、短編、中編の名手が多い。
病弱、神経質な芥川、太宰のような作家は短いものが多い典型。
三島が死の間際に体力のある内に、うんと長い小説、世界を包摂する様な小説を書きたいと言って完成させたのが豊穣の海。
面白い事にマラソンもして健康的な村上春樹は西洋人みたいな長い小説を書く。
谷崎の細雪も長い。古典の歴史の中で異質に輝く源氏物語の影響もある。 >>642
どうしてそんなに攻撃的なんだ?
対面にも君と同じく人がいる事を自覚して 禁色を再再読してるけど
檜俊輔は川端康成のイメージなんだけど
これは多くの人の共通認識? すみません、
ポプコーン心霊術の様な
芸術作品(美術・音楽・映像)の評論を読みたいのですが
手に入る文献での評論集を知ってたら教えて下さい。
黒澤明氏の映画を
中学生並のヒューマニズムと
評していた話は知ってます。 ハサ美ちゃん。今日もお元気?
今日は何をはさむのかしら。何を切るのかしら
お父様のおちんちん? >>654
そうなんだ、安部工房読んでみようかな。
安部工房が急逝していなければ絶対に安部工房が
ノーベル文学賞だった。 三島由紀夫て、嘘か本当か知らんが、5年位前から自殺の準備していたらしいとか見たが
自殺の少し前に東武百貨店で三島の展覧会があった、それに行った、土日でなかったからか人はまばらだった
真っ暗の上下左右の壁紙か?トンネル中のような異様な暗さの会場に、子供の時の作文や賞をもらったものや、腹に矢が刺さった等身大写真や色々あり、まあ面白かった、白黒写真のパンフレットも買った
小説やエッセイも面白く読んだが
自殺願望が先にあり、それに政治をこじつけたのか、よく分からない
展覧会見て暫くして、ニュースにぎょっとしたが
死ななくても良かったのに、理解不能 井伏が太宰の死について同じことを言ってたな
なぜ死ぬ必要があったのか訳がわからない、みたいな
太宰と三島の共通点といえば自己愛の強い目立ちたがりということかな
その意味では選んだ死に方も似てるな 三島の心に長らくあった藤原定家を題材にした作品も読んでみたかったが、年老いた三島由紀夫の姿も見たくない気がする。今の日本と日本人を見たら、どう思うのか?
戦前戦後の価値観の激しく変動する中で強烈かつ鮮烈な感性を持った作家だった。
この様な作家はもう出て来ないでしょう。 三島の晩年は、ボデイービル、楯の会、演劇、著名人と対談、東大全共闘演説で目立って
作家らしくない行動が、何なのあの作家て
不信感とか奇異な行動に見えて、著作はベストセラーでも無いし、そんな読まれて無かった
一部の純文学オタクは読んでも、殆どの人は名前は知っていても、本は精々1冊読んでるかどうかだった
あの事件で一気に研究や解説が出てきただけ >>665
お前は三島が死んだ後に生まれた世代だな
三島の存命時代を知りはしない
三島作品がどれだけ売れまくっていたことか
なぜお前のような低能が文学に関心があるのか
AVでも見ていりゃいいのに ベストセラー小説の題名から流行語になったのは
斜陽族、よろめき、太陽族、なんかがある >>665
そもそも作家らしい行動って何ぞや?
坂口安吾みたいに反故にした原稿に埋もれて頭掻きむしりながら呻吟して作品を書くとか??
しかしながら、大抵の作家、芸術家はどこか奇抜で特異なモノや慧眼を持っていて、社会と摩擦を来しかねない変人が多い。そのズレを作品に昇華している。
村上春樹みたいに規則正しい生活をしてマラソンをするのもいるし、太宰の様に女と情死するのもいるし、、
ドストエフスキーなんてギャンブル依存症。
三島由紀夫は若くして天才と称され、メディアの水にも合い、激動の昭和を象徴する様な鮮烈なスター作家だった。
今はもう本を読む人自体少ないし、文学なんて必要とされなくなってる時代。色々な意味でこんな人はもう出て来ない。 三島が存命中にどれほど売れてたか知らない世代を憐れむことも必要だろ。
今は文学統制供給時代なんだ。文芸誌は談合して、発行部数を極低レベルに
調整し、広告をほぼゼロにすることを実行し、
書き手の原稿料を低めに設定することによって作家を締め付けて、
書き手を奴隷化させる。
元気な小説家など殆どいない。批評家は大学勤務者が多いから、
収入は安定してるが、官僚化してやはり元気も活気も無い。
文芸誌の発行部数が余りにも少ないので、
近所の古本屋で最近の過去の号を買うことも出来なくなった。つまらんわな。 今どき文芸誌は読まんわな
刊行された小説本から良さげだけ買って読む
書評はどれも褒めるばかりだし、文学賞は数が多く、
受賞作でもつまらんものがほとんどだから、当てにならん
玉石混交から数少ない玉を見つけるのが面白い 価値観も娯楽も多様化が進み、人それぞれ好きな事に簡単に没頭出来る時代。文芸誌どころか本を読み終える経験自体、少なくなっている印象。
映画も野球もサッカーも最初から最後まで観られる人達も少ない様に、何でも簡潔に分かりやすさが求められる。
文学なんて学生の課題以外には、物好きにしか相手にされない。
答えの無い、人間、人生、世界の追求なんぞ仰々しくて小難しくて。
せめて鏡花や谷崎やG・マルケスみたいな、筋が面白い作家ぐらいは読んで見てほしいけどね。 そのようにして劣化しゆく人間の歴史に迎合するだけの、人もどきで溢れた現代社会か
それも一興、これも一興と (冷笑) スマホひとつで簡単に手早く情報や答えの様なモノが出て来る時代と、新聞やテレビ、ラジオしか無く、本など数少ない媒体からモノを知って行った時代では人間の感性も確かに変わっていると思う。
集中力の持続性も無くなっている気はする。映画館で2時間座って観る事すら苦痛の人も多い。
ただネットで世界との繋がりも簡単になった時代だからこそ、自国のルーツや日本的なモノを知る時には昔の作家や古典を読むのは良いと思う。
三島や川端、谷崎辺りまでが日本の古い言葉にも通じていた最後のジェネレーションでは無いか?
三島本人が晩年のインタビューで自身をその様に自負していた。 三島も長生きしてたらとんねるずとモジモジ君とかやってくれそう。 三島の父親と澁澤龍彦の父親が中学の同級生だったのがわかったんだね
卒業写真で隣同士だったから仲が良かったんじゃないかと推測されている 年老いた白髪頭の三島由紀夫は想像できない。
美麗、絢爛、重厚な文体の作品を残して、強烈かつ情熱的に死んで行ったから永遠に若い。
芥川も太宰も若くして死んで行ったけど病的な暗さがある。三島の最後は鬱勃とした情念が爆発して花火みたいに命を昇華させた。己の美学に殉じた死狂い。 三島先生は当時「最近の青年は外見も内面もなよなよ(女性化)していてけしからん」と嘆いていたという 所謂エリートと言われる知性を持った人達が文学をやらなくなったと思う。
森鴎外や三島みたいなゴリゴリの秀才が今の時代、文学などやらない。
もっとお金になる事をやってるのだろうか。
と言うか作家になろうとしてる人も減ってる様な気はする。 三島事件の時に学生だった、昼休みが終わり、午後の授業が始まって学生が教室に集まってきた
いつもと違い、三島が、、三島が、、とざわざわとして
事件を知らなかったが、昼にニュースを見た学生でざわついていた
そのうち自衛隊どうのと事件が分かった
下宿に夕方帰る三島の話題で持ち切りで、驚愕していた
でも、その前あたりの行動が,楯の会とか異様だったから
ふーーん、さもありなんと、少しは思った
色々と不思議な行動が多かったから ボディービルで鍛えるのは作家でも別に良いけど
憂国の日本刀持った写真やセバスチャンを真似た写真や
自己顕示にしても少し異様に感じていた
ミリタリールックの制服で楯の会を作った時は、何?
ミニ軍隊? この作家は何を目指いる?
作家活動はエッセイ書いたり対談や普通にしていたけど
ちょと異様なものを感じていた 言行一致を純粋に目指していた。
書く。言う。述べる。だけでは無く行動を持って体現する。三島文学の一つにある自己犠牲の美学。戦争を経験した或人に「文士も体を張るもんだな」と言われて、殊の外喜んだ逸話がある。
戦後は余生の様な感覚が常にあると述べていた三島。高度経済成長で突き進む社会に浮かれて軽薄に生きて行くのは耐えられなかったと思う。
日本人のお家芸、極端に変わり身の早い民族の姿は軽佻浮薄で我慢ならなかったはず。 戯曲「わが友ヒットラー」の自作解説で、何事も無計画的、行きあたりばったりな日本
と三島は書いている。
三島が嘆息したように、日本人の浅薄さは戦前からの伝統だな。 人生の老後の趣味として三島研究をやってるけど
もう一人作家の研究したいと思ったけど、
川端は読んでもなにも残らない。谷崎はブルジョワで熱いものが無い。
漱石は研究されつくしてる。荷風は孤独感や厭世観は面白いけど作品の幅が狭い。 >>687
鷗外、秋声、藤村、埴谷、安部、大江あたりは? 漱石だけ読んでりゃいい
三島は当たり外れが多すぎる
ハズレでも読ませる文章力はすごいがはずれをひいたときの虚無感がやばい >>687
饒舌を嫌う、息が続かない民族性なのか、どっしりとした長編が不得手で短編、中編が多い日本。日本人作家の宿命みたいなものを感じる。
芥川も長編どころか中編作品にも四苦八苦していた。
源氏物語などは異質な立ち位置にある。
辿れば古今、新古今和歌にあるのか、全てを言う、連綿とつづる事が体質的に向いてない気質が関係していると思う。
喋りまくり、ある意味美文とは言えないドストエフスキーの様な異様な迫力のある作品は日本の土壌には無理だと感じる。
比較的、異質なのは谷崎。戦争、政治運動、、激動の社会の影響など作品にはさほど感じさせず、飄々と職人みたいにお話を創作して長生きして、したたかに書き続けた。
本人も好きだった「少将滋幹の母」は文章、構成も傑作。 三島は高尚すぎるんだよな
あれだけ多様な作品を極めて知的に生産できたのに
今影響力のある作品が意外とない
美と知はあるかもしれないが、本当に共感して読みたいと思う作品がない
まあ最後の豊饒の海は人生の総決算として読み解く面白さはあるのかもしれないが三島に興味がなければ
スルーしても大丈夫だし 日本人の情念や怨みつらみのぎっしり凝縮されていて読後感に強烈に何かが残るのは上田秋成の雨月物語と春雨物語。三島もドロドロした世界観が好きでずっと手元に置いて読んでいた。
浅茅が宿や白峯の怨恨、死首の笑顔の振り切れた残虐さは苛烈。下手な中編、長編より濃い。
三島作品、理知的で時に無機質に感じる事が多いが、情念のドロドロしたものも根っこに通底していた。
それが垣間見れる作品は滅茶苦茶面白い。人気作家であり多作なので軽く洒脱に書いて、所謂、薄い作品も多いが、、
最後は何だかんだで、その美学や情念が爆発した。
「金閣寺」、「潮騒」、「豊穣の海」etc
日本文学史に残る作品なのは確か。 迫真とか真実とか、それまでの日本文学には無かったものを志向して一時期台頭したのが赤裸々に語る自然主義文学だったと思うけど、やっぱり日本人の肌には合わなかった。
いわゆる鴎外や鏡花、谷崎、川端、三島らが未だに読まれ続ける由縁でもあると思う。
通じる話で、ベトナム戦争から帰還した人が作家になったケースが両国であったけど、赤裸々に戦場の経験を書いても伝えたい事が伝わらない。伝えられない。と言う作家が多かった。実話をベースに話を創作した方が根っこの部分を伝えられるのだと。 文庫の末尾についてる解説は
意味ないアホみたいなのあるけど
三島の文庫はみんなちゃんとしてるな。
川端康成の少年という文庫の解説は
ぶっ飛ばしたくなる。 >>696
解説っていらんよな。妙に小難しく高尚にして作品よりも解説者自身の衒学趣味が往々に跋扈してる。
志賀、谷崎なんかも評論家を嫌悪して不要論唱えていた。
谷崎「どうにも肯綮に当たらない感がある」云々。
村上春樹も文芸評論家、解説者を毛嫌いしていて絶対に載せない。ミチコカクタニなんかを酷評してる。
曰く、文学者になりたかったけど才能がなく成れなかった人が、上から語るのが多いのだとか。
三島は相手が高校生でも書評が優れていたらお礼の手紙を書くぐらいの素直な人。 大江と並行して読んでいこう。
政治的には真逆だけど政治思想はあんま興味持てないからいいか。
三島に比べて大江はユーモアが足りない。
背が低いのを除けばキリッとしてる三島に比べて大江は秋元康みたいで
迫力に乏しい。 三島由紀夫の何となく心に残る問いかけ
「日本に内発的な革命が起きないのは、天皇制があるからか?もしくは内発的な革命が起きないから天皇制があるのか?」
「講堂に立て籠った学生達は、結局誰一人革命の為に死ななかった、、、明治維新の時はバタバタ人が死んでるが、あの時代の人間だって死ぬのは怖いのは同じはずだ」
「戦後アカデミズムの連中は歓喜雀躍として『暗い軍部の連中が去り、これから自分たちの時代が来るのだ。知的再建の時代が来るのだ』と言っていたが、私は疑り深い人間なので、何ら知的再建など無かったのではないか?と思っていた」
三島は自己犠牲の美学とか芸術至上主義、新古典主義の審美的な資質が多分にあるけど、晩年にかけて玉ねぎの皮を剥く様に日本人の内面に向かって行った。遡って昔の日本人像と照らし合わせる程、戦後の経済成長に浮かれ騒ぎ、矜持を忘れて、変わり身の早い人間達の軽薄さに、我慢ならなかったと思う。
今現在も然り。腐敗した政治、教育、日和見のメディア、好き勝手にやる移民達の問題、、、右寄り左寄りの次元ですら無く何事にもニュートラルで無関心な日本人像を見たら何と思うか? 文庫の解説、自分はどうでもよくて、流し読む程度
ところが、講談社文庫が新刊をビニールで包装したら、
解説の良し悪しで買うか決めたいから、ビニールやめろという人がいる
あのビニールは汚れ防止、研磨もされない利点があるから、いいのに 午後の曳航
宴のあと
沈める滝
最近読んだ
3作とも肩の力を抜いて書いている感があって、佳作だと思った
次、絹と明察に行きます 仮面の告白、金閣寺、豊饒の海以外読む必要なし
戯曲のほうが面白い
3作も代表作があれば作家としては上々だよ 三島は45年の人生とは思えないぐらいの仕事量と私生活も濃い人生だった。
文庫本だけでも前に数えたら70冊ぐらい今でも入手出来る。 あたしも熱帯樹が1位
2位は沈める滝、3位は金閣寺 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=8244_01
伊集院光の百年ラヂオ 三島由紀夫vs高校生 高等学校の時間・国語教育
4月7日(日)午前11:00放送
2024年4月14日(日)午前11:50配信終了
ラジオ放送が始まりまもなく100年。
NHKが保管する膨大な資料から歴史的価値のあるお宝音源を伊集院光さんと一緒に味わいましょう。
配信期間内ならこれで音源落とせます
【radiko】どがらじ Part8【Time Free】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/software/1710679341/ 九段理江、三島について「作品ごとに文体を変え、言語世界を構築しようとしていた」