三島由紀夫Part64
三島が存命中にどれほど売れてたか知らない世代を憐れむことも必要だろ。
今は文学統制供給時代なんだ。文芸誌は談合して、発行部数を極低レベルに
調整し、広告をほぼゼロにすることを実行し、
書き手の原稿料を低めに設定することによって作家を締め付けて、
書き手を奴隷化させる。
元気な小説家など殆どいない。批評家は大学勤務者が多いから、
収入は安定してるが、官僚化してやはり元気も活気も無い。
文芸誌の発行部数が余りにも少ないので、
近所の古本屋で最近の過去の号を買うことも出来なくなった。つまらんわな。 今どき文芸誌は読まんわな
刊行された小説本から良さげだけ買って読む
書評はどれも褒めるばかりだし、文学賞は数が多く、
受賞作でもつまらんものがほとんどだから、当てにならん
玉石混交から数少ない玉を見つけるのが面白い 価値観も娯楽も多様化が進み、人それぞれ好きな事に簡単に没頭出来る時代。文芸誌どころか本を読み終える経験自体、少なくなっている印象。
映画も野球もサッカーも最初から最後まで観られる人達も少ない様に、何でも簡潔に分かりやすさが求められる。
文学なんて学生の課題以外には、物好きにしか相手にされない。
答えの無い、人間、人生、世界の追求なんぞ仰々しくて小難しくて。
せめて鏡花や谷崎やG・マルケスみたいな、筋が面白い作家ぐらいは読んで見てほしいけどね。 そのようにして劣化しゆく人間の歴史に迎合するだけの、人もどきで溢れた現代社会か
それも一興、これも一興と (冷笑) スマホひとつで簡単に手早く情報や答えの様なモノが出て来る時代と、新聞やテレビ、ラジオしか無く、本など数少ない媒体からモノを知って行った時代では人間の感性も確かに変わっていると思う。
集中力の持続性も無くなっている気はする。映画館で2時間座って観る事すら苦痛の人も多い。
ただネットで世界との繋がりも簡単になった時代だからこそ、自国のルーツや日本的なモノを知る時には昔の作家や古典を読むのは良いと思う。
三島や川端、谷崎辺りまでが日本の古い言葉にも通じていた最後のジェネレーションでは無いか?
三島本人が晩年のインタビューで自身をその様に自負していた。 三島も長生きしてたらとんねるずとモジモジ君とかやってくれそう。 三島の父親と澁澤龍彦の父親が中学の同級生だったのがわかったんだね
卒業写真で隣同士だったから仲が良かったんじゃないかと推測されている 年老いた白髪頭の三島由紀夫は想像できない。
美麗、絢爛、重厚な文体の作品を残して、強烈かつ情熱的に死んで行ったから永遠に若い。
芥川も太宰も若くして死んで行ったけど病的な暗さがある。三島の最後は鬱勃とした情念が爆発して花火みたいに命を昇華させた。己の美学に殉じた死狂い。 三島先生は当時「最近の青年は外見も内面もなよなよ(女性化)していてけしからん」と嘆いていたという 所謂エリートと言われる知性を持った人達が文学をやらなくなったと思う。
森鴎外や三島みたいなゴリゴリの秀才が今の時代、文学などやらない。
もっとお金になる事をやってるのだろうか。
と言うか作家になろうとしてる人も減ってる様な気はする。 三島事件の時に学生だった、昼休みが終わり、午後の授業が始まって学生が教室に集まってきた
いつもと違い、三島が、、三島が、、とざわざわとして
事件を知らなかったが、昼にニュースを見た学生でざわついていた
そのうち自衛隊どうのと事件が分かった
下宿に夕方帰る三島の話題で持ち切りで、驚愕していた
でも、その前あたりの行動が,楯の会とか異様だったから
ふーーん、さもありなんと、少しは思った
色々と不思議な行動が多かったから ボディービルで鍛えるのは作家でも別に良いけど
憂国の日本刀持った写真やセバスチャンを真似た写真や
自己顕示にしても少し異様に感じていた
ミリタリールックの制服で楯の会を作った時は、何?
ミニ軍隊? この作家は何を目指いる?
作家活動はエッセイ書いたり対談や普通にしていたけど
ちょと異様なものを感じていた 言行一致を純粋に目指していた。
書く。言う。述べる。だけでは無く行動を持って体現する。三島文学の一つにある自己犠牲の美学。戦争を経験した或人に「文士も体を張るもんだな」と言われて、殊の外喜んだ逸話がある。
戦後は余生の様な感覚が常にあると述べていた三島。高度経済成長で突き進む社会に浮かれて軽薄に生きて行くのは耐えられなかったと思う。
日本人のお家芸、極端に変わり身の早い民族の姿は軽佻浮薄で我慢ならなかったはず。 戯曲「わが友ヒットラー」の自作解説で、何事も無計画的、行きあたりばったりな日本
と三島は書いている。
三島が嘆息したように、日本人の浅薄さは戦前からの伝統だな。 人生の老後の趣味として三島研究をやってるけど
もう一人作家の研究したいと思ったけど、
川端は読んでもなにも残らない。谷崎はブルジョワで熱いものが無い。
漱石は研究されつくしてる。荷風は孤独感や厭世観は面白いけど作品の幅が狭い。 >>687
鷗外、秋声、藤村、埴谷、安部、大江あたりは? 漱石だけ読んでりゃいい
三島は当たり外れが多すぎる
ハズレでも読ませる文章力はすごいがはずれをひいたときの虚無感がやばい >>687
饒舌を嫌う、息が続かない民族性なのか、どっしりとした長編が不得手で短編、中編が多い日本。日本人作家の宿命みたいなものを感じる。
芥川も長編どころか中編作品にも四苦八苦していた。
源氏物語などは異質な立ち位置にある。
辿れば古今、新古今和歌にあるのか、全てを言う、連綿とつづる事が体質的に向いてない気質が関係していると思う。
喋りまくり、ある意味美文とは言えないドストエフスキーの様な異様な迫力のある作品は日本の土壌には無理だと感じる。
比較的、異質なのは谷崎。戦争、政治運動、、激動の社会の影響など作品にはさほど感じさせず、飄々と職人みたいにお話を創作して長生きして、したたかに書き続けた。
本人も好きだった「少将滋幹の母」は文章、構成も傑作。 三島は高尚すぎるんだよな
あれだけ多様な作品を極めて知的に生産できたのに
今影響力のある作品が意外とない
美と知はあるかもしれないが、本当に共感して読みたいと思う作品がない
まあ最後の豊饒の海は人生の総決算として読み解く面白さはあるのかもしれないが三島に興味がなければ
スルーしても大丈夫だし 日本人の情念や怨みつらみのぎっしり凝縮されていて読後感に強烈に何かが残るのは上田秋成の雨月物語と春雨物語。三島もドロドロした世界観が好きでずっと手元に置いて読んでいた。
浅茅が宿や白峯の怨恨、死首の笑顔の振り切れた残虐さは苛烈。下手な中編、長編より濃い。
三島作品、理知的で時に無機質に感じる事が多いが、情念のドロドロしたものも根っこに通底していた。
それが垣間見れる作品は滅茶苦茶面白い。人気作家であり多作なので軽く洒脱に書いて、所謂、薄い作品も多いが、、
最後は何だかんだで、その美学や情念が爆発した。
「金閣寺」、「潮騒」、「豊穣の海」etc
日本文学史に残る作品なのは確か。 迫真とか真実とか、それまでの日本文学には無かったものを志向して一時期台頭したのが赤裸々に語る自然主義文学だったと思うけど、やっぱり日本人の肌には合わなかった。
いわゆる鴎外や鏡花、谷崎、川端、三島らが未だに読まれ続ける由縁でもあると思う。
通じる話で、ベトナム戦争から帰還した人が作家になったケースが両国であったけど、赤裸々に戦場の経験を書いても伝えたい事が伝わらない。伝えられない。と言う作家が多かった。実話をベースに話を創作した方が根っこの部分を伝えられるのだと。 文庫の末尾についてる解説は
意味ないアホみたいなのあるけど
三島の文庫はみんなちゃんとしてるな。
川端康成の少年という文庫の解説は
ぶっ飛ばしたくなる。 >>696
解説っていらんよな。妙に小難しく高尚にして作品よりも解説者自身の衒学趣味が往々に跋扈してる。
志賀、谷崎なんかも評論家を嫌悪して不要論唱えていた。
谷崎「どうにも肯綮に当たらない感がある」云々。
村上春樹も文芸評論家、解説者を毛嫌いしていて絶対に載せない。ミチコカクタニなんかを酷評してる。
曰く、文学者になりたかったけど才能がなく成れなかった人が、上から語るのが多いのだとか。
三島は相手が高校生でも書評が優れていたらお礼の手紙を書くぐらいの素直な人。 大江と並行して読んでいこう。
政治的には真逆だけど政治思想はあんま興味持てないからいいか。
三島に比べて大江はユーモアが足りない。
背が低いのを除けばキリッとしてる三島に比べて大江は秋元康みたいで
迫力に乏しい。 三島由紀夫の何となく心に残る問いかけ
「日本に内発的な革命が起きないのは、天皇制があるからか?もしくは内発的な革命が起きないから天皇制があるのか?」
「講堂に立て籠った学生達は、結局誰一人革命の為に死ななかった、、、明治維新の時はバタバタ人が死んでるが、あの時代の人間だって死ぬのは怖いのは同じはずだ」
「戦後アカデミズムの連中は歓喜雀躍として『暗い軍部の連中が去り、これから自分たちの時代が来るのだ。知的再建の時代が来るのだ』と言っていたが、私は疑り深い人間なので、何ら知的再建など無かったのではないか?と思っていた」
三島は自己犠牲の美学とか芸術至上主義、新古典主義の審美的な資質が多分にあるけど、晩年にかけて玉ねぎの皮を剥く様に日本人の内面に向かって行った。遡って昔の日本人像と照らし合わせる程、戦後の経済成長に浮かれ騒ぎ、矜持を忘れて、変わり身の早い人間達の軽薄さに、我慢ならなかったと思う。
今現在も然り。腐敗した政治、教育、日和見のメディア、好き勝手にやる移民達の問題、、、右寄り左寄りの次元ですら無く何事にもニュートラルで無関心な日本人像を見たら何と思うか? 文庫の解説、自分はどうでもよくて、流し読む程度
ところが、講談社文庫が新刊をビニールで包装したら、
解説の良し悪しで買うか決めたいから、ビニールやめろという人がいる
あのビニールは汚れ防止、研磨もされない利点があるから、いいのに 午後の曳航
宴のあと
沈める滝
最近読んだ
3作とも肩の力を抜いて書いている感があって、佳作だと思った
次、絹と明察に行きます 仮面の告白、金閣寺、豊饒の海以外読む必要なし
戯曲のほうが面白い
3作も代表作があれば作家としては上々だよ 三島は45年の人生とは思えないぐらいの仕事量と私生活も濃い人生だった。
文庫本だけでも前に数えたら70冊ぐらい今でも入手出来る。 あたしも熱帯樹が1位
2位は沈める滝、3位は金閣寺 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=8244_01
伊集院光の百年ラヂオ 三島由紀夫vs高校生 高等学校の時間・国語教育
4月7日(日)午前11:00放送
2024年4月14日(日)午前11:50配信終了
ラジオ放送が始まりまもなく100年。
NHKが保管する膨大な資料から歴史的価値のあるお宝音源を伊集院光さんと一緒に味わいましょう。
配信期間内ならこれで音源落とせます
【radiko】どがらじ Part8【Time Free】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/software/1710679341/ 九段理江、三島について「作品ごとに文体を変え、言語世界を構築しようとしていた」 三島由紀夫は色んな奴に利用されてるが、殆ど全部はネトウヨ。
三島の再来と言われた平野が三島を批判したのは、20年ぐらい経ってからだから、
左翼でも、三島と関連付けられて悪い気のしない作家は多いんだよ。
新潮社なんかは未だに三島と小林秀雄で食ってる。だから、日本の文壇は駄目なんだ。
新潮が月に2−3000部しか刷らないんだから、文芸出版のshowcaseショーケースとして、全く不足なのは明らかで、
芥川賞作品の「東京同情塔」が2−3万部しか売れないのは当たり前なんだよ。
大手出版社の文芸誌の発行部数の最低ラインが2−3万部だよ。
そのレベルで販促しないと芥川賞が数十万部売れることは有り得ない。 >>664
頭の硬い長男だな
今の時代、Kindleにするともっと読まれるだろうに 「明日死んでも。十分な生き方を・・・」三島が茨城大の討論会で残した言葉だ。招いた学生は今も、あの日の意味を考え続けている。 三島は最後に安易に人を死なせすぎるような気がするざんす。 >>701
「午後の曳航」は最初に読んだとき、三島にしてはえらく薄味だなと感じた。
外国では映画になったし、ヘンツェがオペラにしたね。
最近ではpewdiepieが読んで感銘受けたらしい。英訳がいいのかな。 30年文学読んで質、量と三島に匹敵するのは
漱石、ドストエフスキーしかいないな。
なんか単純すぎる結果だけど。 師匠格の川端康成がもっと強い人格と才能があれば
三島もあんな情けない死に方をしないで済んだかも。 昭和以降の作家では太宰と三島が漫画に対抗できるかな。
しかし他の作家は漫画ほどの影響力はないね。 >>721
どんなマンガ?
鬼滅の刃とかワンピースなら、何も面白くないがな。 >>723
そもそもApple to Orangeの比較に何の意味がある? >>721
太宰治は漫画家になりたかったんじゃなかったけ ドラえもんが世の中に影響を与えることはないと思うがな
太宰とかホリエモンなら影響を受ける奴もいそうだが 失敗作といわれてる青の時代なんか結構好きだな。
ニーチェ哲学みたいな捻くれた警句が多く出てきて。 三島の墓のある多磨霊園と
三島の家
駒込の古河庭園
市谷台ツアーなど行った
お墓はお花も沢山でとても綺麗にしてあったわ 三島は6本の歌舞伎を書いた。10代から耽溺し「くさやの干物みたいなもので、非常に臭いんだけれども妙な味がある」と評した。 アマプラで春の雪見たけど
妻夫木聡が清様なのは納得いかん 三島由紀夫の著作は、美と狂気が渦巻く深淵のような世界へと誘う。絢爛たる文体で紡ぎ出される言葉は、鋭利な刃となって読者の心をえぐり、深い思索へと導く。
金閣寺では、金閣寺に魅入られた青年僧の狂気が、鮮烈な映像で描かれる。仮面の告白では、同性愛への葛藤と社会への反逆が、繊細な筆致で綴られる。潮騒では、純粋な青年と少女の恋物語が、美しい自然描写とともに展開される。
三島作品の魅力は、その多様性にある。耽美的な小説から政治的な評論まで、幅広いジャンルの作品を手がけ、それぞれに独自の境地を開拓した。
しかし、その華麗な表層の下には、常に深い絶望と虚無感が潜んでいる。三島は、戦後の荒廃した日本社会に生きる人間の苦悩を、鋭く洞察し表現した。
そして、自らの命を絶ち、美と狂気の狭間に永遠に留まることを選んだ。三島作品は、現代社会を生きる私たちに、深い問いを投げかける。 >>710
三島由紀夫は、様々な思想を持つ人々によって利用されてきましたが、その多くはネトウヨと呼ばれる人たちです。
三島を「再来」と称された平野氏が三島を批判したのは、20年ほど経ってからのことでした。 左派陣営でも、三島と関連付けられることに抵抗を感じない作家は多く存在します。
新潮社は、現在も三島由紀夫と小林秀雄の作品によって多くの利益を得ています。 これが日本の文壇の停滞の一因であると指摘する人もいます。
新潮社は、文芸誌を月に2〜3000部しか発行していないため、文芸出版のショーケースとして機能していないことは明らかです。 芥川賞受賞作品である「東京同情塔」が2〜3万部しか売れないのも、この状況が原因の一つと考えられます。
大手出版社の文芸誌の発行部数の最低ラインは2〜3万部と言われています。 このレベルでしか販売促進活動を行わない限り、芥川賞受賞作品が数十万部売れることはあり得ないでしょう。 スマホの時代になって、本を読まない人が多数派なんだよ
出版社のせいではない
うちの職場でも漫画は読むが、小説は読まない人がほとんどだ 本を読まない。ではなく、本を読めない。だと思うよ。
映画もスポーツもじっと観れない。
スマホの情報の波に漂う事に慣れて、集中力が続かない。簡単に答えやマニュアルの様なモノが見つかる生活が人を変えた。
紙の媒体を買って、ページを繰って思索する等、億劫になっている。
仮に読んでも実践モノ、実用的な本。
数式の様な、明確な答えも無い文学など必要とされない時代。三島本人が存命中に川端との対談で述べている。
文学などに時間を使うなら、英語を話せる様になりなさい。お金の勉強をしなさい。が今の日本。 恩人で家族ぐるみの付き合いがあるから悪く言えないだけじゃないのか?
あんなスカスカ文学を評価するなんておかしくないか?
安倍公房や谷崎潤一郎や大江健三郎は評価されて当たり前だと思うけど。 川端は未完の作品が多いみたいだけど、連載も書きながら考えて着地点を
見失うパターンだろ。
どの作品もどうでもいいエピソードを繰り返して最後までなにも起こらない。
過大評価にも程があるな。 >>727
三島作品って、なんだか難しそうって敬遠しがちだけど、実は聖地巡礼って結構楽しいのよ。美しい景色や歴史的な建造物に触れながら、作品の世界観をより深く味わえるなんて、最高でしょ?それに、女子同士で行けば、写真映えするスポットもたくさんあるし、思い出に残る旅になること間違いなし!
例えば、『潮騒』の舞台になった伊豆半島は、海も山も楽しめる素敵な場所よ。作品に出てくる港や旅館を訪ねたり、美しい海岸線を眺めながらドライブしたり、海鮮料理を堪能したり…女子旅にぴったりでしょ?
あるいは、『金閣寺』の舞台となった京都は、歴史的な街並みや寺院が魅力的な場所よ。金閣寺のきらびやかな美しさはもちろん、清水寺や伏見稲荷大社など、見どころ満載。着物レンタルをして街歩きを楽しむのもおすすめよ。
もちろん、三島作品には他にもたくさんの聖地巡礼スポットがあるわ。山中湖や三輪山、バンコクなど、作品の世界観に合わせて好きな場所を選んでみて。
三島作品って、一見難しそうに見えるけれど、実は女性にも親しみやすいテーマがたくさんあるのよ。美や愛、死、そして人生…三島作品を通して、自分自身の生き方について考えるきっかけになるかも? >>739
うーん、確かに川端康成さんの作品には未完のものが多いですよね。でも、それは必ずしも「連載しながら書き進めて着地点を見失った」ということではないと思うんです。
川端さんは、作品を完成させることよりも、その過程そのものを大切にする作家だったと言われています。 作品の構想を練り上げ、推敲を重ねることで、より深い真実を表現しようとしていたのかもしれません。 現代日本人に文章読めないというのを痛感しますな (憫笑) 三島由紀夫
「川端先生の作品は、蕾から、これから今まさに花が開こうとする時に終わる」 >>747
安部公房にについて、車の細部にまでこだわり作り上げ、さぁ
動こうとした時にパタっと止まって
終わると、評していたような >>734
平野の芥川賞受賞作を今更読み返そうという人っているのかな。
あんなもの歴史がない弱点を払拭したい
左翼によって作られた三島再来でしょ。 死ぬ事を前提に書いていた「春の雪」の文章のまぁ美しい事。
情景、肉体、心理描写の緻密かつ流麗さ。
内容もさることながら、文章が心地よい。
日本語をあんなにまで壮麗に綴る作家はもういない。 日本の純文学は、平野をして、実質的な終焉を迎えたのだろうな
それ程までに彼が洗練された文章は、三島文学を華麗に、より繊細に精妙に模倣していた あらゆる芸術は模倣から生まれるけど、こと今の日本の文学はなんだかなぁ。
中身はともかく、言葉そのもの、漢字や文章の流れ、表現を大事にしていない気がする。悪文でもドストエフスキーの様な得体の知れない凄みに達する場合もあるけど。
まぁ、今の社会情勢、今の文化の空気感、、三島らが生きた価値観や思想が激動し、衝突し、各々の美学、立ち振る舞いが問われた時代とはまるで違うので、ある意味ふわふわした作品になるのは仕方ないのかもしれない。
より土着の空気、風習が色濃く残っている国、社会体制が緊迫、もしくは揺れ動いている国、、そんな所から骨太な作品は出て来ているように思える。
今の日本からは村上春樹の様な作品が出て来るのは必然。 >>754
今の日本の文学には、言葉や表現へのこだわりが薄れているように感じる部分があるよね。でも、必ずしもそれが悪いとは限らないと思うんだ。むしろ、現代社会の多様性や流動性を反映しているとも言えるんじゃないかな?
三島由紀夫のような、強い信念に基づいた作品が求められていた時代とは異なり、今は個人の価値観や思想も多様化している。だから、作品も必然的に多様化していくのは自然な流れだと思う。
それに、今の日本だって、一見平和に見えて、実は様々な問題を抱えているよね。格差社会や孤独、不安を抱えた人たちもたくさんいる。そういった社会のリアルを表現している作品も、確かに存在する。
だから、一概に「今の日本からは村上春樹のような作品が出てくるのは必然」とは言い切れないと思う。 鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島らの文章に共通するのは、言葉すなわち漢字やひらがなの連なり、それらの視覚的な伝わり方への愛着があり、意識しているように思える。
宛ら金銀細工を彫琢していく様な文章の綴り方をしている。
漢詩や和歌、連歌、様々な古文への素養が下地にあって、それらが独特の気品の様な物を醸し出している。
死ぬ直前の対談で「自分は古い日本語に通じた最後のジェネレーション」と語っている三島の言葉が切ない。 俺も多少くずし字は読めるがまるで至らんな
知識と知能の足りなさを感じる 学校教育や読み物を取り巻く環境等、戦前戦後、時代を経るごとに変化しているので、ある意味仕方ない。
古典などは忘れ去られる存在。
どこかでそう言った素養を腹一杯詰め込んだいた世代は途絶えているので、日本文学の質は文章を見ても確実に変わっている。
これは世界各国でも然り。古典作品、ラテン語等、忘れ去られているそうだ。
今は今でスマホ世代の新しい文章が生まれているのどろうが、そこに三島らの作品が持つ気品や深みは滲み出るはずは無い。良い悪いではなくて。
習うべき日本語の漢字を減らしたり、比喩や喩え、語彙を減らす昨今の教育は何なのかね?
「英語を覚えなさい。話せる様になりなさい」
文科省は何考えてんの? イギリスでは戦後世代のボリス・ジョンソンがギリシャ語やラテン語の古典を暗唱できるらしいから、まだ古典の教養は一部では残ってるっぽいな そんなふわふわした雰囲気から生まれたオタク文化が世界を席巻しつつあるのは実に痛快という気がするな >>758
鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島ら、明治から昭和にかけて活躍した作家たちの文章に共通するのは、確かに言葉への深い愛着を感じます。彼らは単に言葉を羅列するのではなく、漢字やひらがなの音韻、字形、意味合いを巧みに組み合わせ、まるで金銀細工を彫琢するように美しい文章を紡ぎ出しています。
彼らの作品には、漢詩や和歌、連歌などの古文への深い理解が滲み出ています。古典文学に根ざした豊かな教養が、彼らの文章に独特の気品や深みを添えているのです。
特に、三島由紀夫が晩年の対談で「自分は古い日本語に通じた最後のジェネレーション」と語った言葉は、胸に迫ります。現代社会における日本語の変化を憂い、伝統的な日本語表現の美しさを惜しむ彼の気持ちが伝わってきます。
鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島らの作品は、単なる文学作品を超えて、日本語の美しさ、奥深さ、そして日本語文化の価値を教えてくれる貴重な存在だと思います。 そういうのは意味がないように思う。
そういうこと言う人時々いるけど、変わったら変わったそれが日本語なのであり、
過去のものは過去のものに過ぎない。
それへの偏愛は単に古典趣味なのであり、そういうのが好きな人がいてもいいが、
それを押しつけるみたいなのは転倒してると思う。
だから時代錯誤的に切腹なんかしたんだと思う。 いわゆる国際化が進み、スマホで世界の情勢が簡単に知る事が出来、宗教の力も弱まり、世界の距離が縮まる中、各々の風土を感じさせる土着性は薄れて行き、全てが普遍的なモノになり始めている昨今。
村上春樹の文学が世界に好まれるのは、どこの国のバックボーンを持った人も頭の中で自分の世界観に変換出来る構造の物語だから。マンガ、アニメ然り。
ニュートラルな姿勢を崩さない。カフカや安倍工房も似た様な要素を持っている。
ただ振り子の様に、だからこそ世界では逆の動きが出て来ると思われる。
世界の国で現れているナショナリズム、右傾化の兆候。
移民の時代でもあり、己の、自国のルーツ、アイデンティティに立ち返る動き。
「日本人とは?日本文化とは?」と考え玉葱の皮を剥いて行くと何が核にあるのか?
辿って行くと和歌などの古典に突き当たる。 具体的なストーリーはともかく、取り敢えずは、たとえ一節だけでも、三島が文章を教科書に載せるべきだな
漱石や走れメロスは、おまけで良い 単に愛国心愛国心見たいなことを言う前にちゃんと古典を押さえろと言いたくなるわな
俺も遅ればせながら古典に関心が出てきている
ある程度年齢を経ないと良さがわからんかった 愛国心みたいなことを主張するやつの言うことを頭から鵜呑みにするのはよくないが、今のリベラルが家族の解体を目論んでるっぽいのは確かなんだよな
親1、親2みたく無機質な言葉で言い換えていくことがいいとは思われん
三島の言葉が左派リベラルの都合の良いように使われてる場合も多いな 逆で日本は国の根本に良い意味での古臭さを残すべき
左派リベラルはそれはマイノリティへの差別だから「目覚めよ、声を上げよ」と叫ぶだろう
だがそれを選んだ欧米がどうなった? ろくなことになってないだろうがよ