前の人も書いていた所沢工場が現場主義だったところはあるのかも。
以前に鉄道誌で、電動車の種車が無くなり付随車を造ったので何とか使ってくれないかと車両部から話が(サハ1563〜)や、301系製造の過程で先頭資材が余り組み上げた269〜279の記述を読んだ。勿論今とは違う価値観で解釈する必要があるけど、自家製だからこそ許された話なのだろう。
でも自家製だからこそ、愛着や誇りもあったのではないかな。351系や5000系なんて、最期まで赤色の退色もなくぴっかぴかだった。