>>507
で、ま〜た同じ精神の穴倉に引きこもっちゃうわけね……オジサン悲しいなぁ。ようやく君は進歩しかけたのに。
「行動原理の根底にあるのは利益」というのが正しくても、その利益の中身を見ないと意味はないよ。


    例えば学生だったら将来の就職のために1日の大半を勉学に費やすのは合理的だけど、
    それを勤労者にそのまま当てはめたって非合理だ。1日6、7時間勉強してたら働く時間がなくなっちゃう。

    じゃ、サンプルが学生80人、勤労者20人だったら? 
    「より多くのぉ〜」「蓋然性がぁ〜」「全体的な傾向のぉ〜」といってサンプルの中身を見なけりゃ
    《学生・労働者に関係なく1日の大半を勉学に費やすのが合理的》っていう狂った結論が出る。

    そして、お気の毒な話だが、数で希釈しようとすれば、
    現存する共和制国家の大半が被植民地からの独立組だし、残りも共産化or軍事クーデターだ。
    (現代日本に通用するような金銭等の理由で共和制に移行した国なんて、俺は知らないし、君も一つも上げてなかろうよ)


さて、後は君の判断だが…せっかく「合理性」という言葉に埋伏される利益の多様性にまでたどり着いたんだ。
廃止論のための理論構築に拘泥して、同じ文言のコピペをあと500回繰り返すのではなく、もうちょっと前進して見た方がいいと思うぞ。


>>508
はいはい。「植民地の過去との決別」「バルバドス人元首の希求」とかにしておけばいいかね。

   >メイソン総督は「植民地だった過去から完全に脱する時が来た。バルバドス人はバルバドス人の元首を求めている」と強調。
   (ttps://www.jiji.com/jc/article?k=2020091700236&g=int)

どっちにしろこのバルバドスにおける「合理性」は今の日本にとっても「合理的」ではないように見えるけどね。