ストーリーテラーではないRPGの問題点・方向性の議論Part18
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このスレは家ゲーRPG板で続いていた「RPGの問題点・方向性」シリーズの派生スレです。
既存の和製一人用RPGのうち、
「プレイヤーにストーリーを語ることに主眼が置かれたストーリーテラー型」を除いた
RPGの問題点を考察し今後の方向性を建設的に議論しましょう。
前スレ
ストーリーテラーではないRPGの問題点・方向性の議論Part17
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1565339306/ >>201 >>202
演じる事が目的じゃない
演じる事が目的なのはなりきりチャットのような遊び
RPGってのはゲームが目的
RPGとはRPーG
RPとはロールプレイ=役割演技
Gはゲーム
RPGっていうのは役割演技によって行うゲーム
または役割演技をする事ゲーム
ゲームってのはお題が与えられていて、そのお題を解決しなさいよって前提が存在する
そしてゲームにはルールが存在する
お題=ゲーム目的
ゲーム目的を解決するためにプレイヤーは自由に行動し
その行動はルールによって判定される
どちらかといったら、キャラのプロフィールをかぶった上でのゲーム
極端な話全てのプロフィールをかぶりプロフィール自体がゲーム目的になるものも
主人公は英雄で魔王を倒す旅に出る者だというプロフィール
となったらプレイヤーはその英雄として魔王を倒す旅に出るという役割をかぶって請け負う
プレイヤーはその英雄当人としてそのゲーム中ではふるまい
その英雄だったらそこでどんな行動をとるか?
しかしその行動の結果はゲームルールによって出される
そのどんな行動をとった場合結果はどうなるのか?
どんな行動をとりどんな手順を行った場合に当初に課されたゲーム目的を達成できるのか?
そのゴールまでの手順はゲームルールによって織り込まれており
ゴール達成に必要な条件をすべて満たしゴール地点へたどり着いた場合にのみゴールの関門通過は許される
っていうのがRPーG
最大の特徴はゲームなのでゲーム目的が存在する
明確にルールにより管理されている
ルール色が濃い
何をやったら合格で何をやったら失格だ
どんな手順を実行すれば通過できる関門
○○は出来ない、○○は許されない
何をやった場合出来るようになるまたは行けるようになる場所
これらは完全にルールによって支配されたゲームという遊びの特徴
演じる事そのものが目的なのはなりきりチャット
そのキャラとしてなりきる事そのものを楽しむ
いかにそのキャラになりきるか?
そのキャラとして雑談するのが内容
またはなり切った行動をとる
衣装を着るだけだったらコスプレ 「役割を演じる」なんてどのジャンルのゲームでも当てはまるものだろ
だったらアドベンチャーゲームは冒険か?これだってRPGに当てはまる
英語を直訳したって意味ない なりきりチャットというのは当たらずとも遠からずのような気がする
ここでいうなりきりというのは、例えば
罠が張ってある現場に着いて、プレイヤーは明らかに罠がある、どこにあると分かっているけど
キャラクターがそれを見破れるかはキャラの知性とか器用さなどに左右される
メタを排除してキャラになりきるのがTRPGかな >>203
読み返して色々抜けてるけど
特に大事な文言
主人公は英雄で魔王を倒す旅に出る者だというプロフィール
となったらプレイヤーはその英雄として魔王を倒す旅に出るという役割をかぶって請け負う
プレイヤーはその英雄当人としてそのゲーム中ではふるまい
その英雄だったらそこでどんな行動をとるか?
それをプレイヤーが自分で“自由”に意思決定する
しかしその行動の結果はゲームルールによって判定されて出される >>193
景色を遊覧するってのはゲームの要件じゃない
ゲームの要件とは>>190の例で言えば
1つ目は
東へ5マス、北へ10マス進んだところに配置されているお城を見つけられるか?
お城の見える範囲内へ入るという行動選択をプレイヤーはとれるか?
それが取れた場合お城が確認できる
という結果が返される
二つ目の要件は
プレイヤーはそのお城に入るという選択をとるかどうか?
ゲーム的にそのお城へ入ろうとする事は正解なのか
プレイヤーは意思決定する
プレイヤーのプレイング段階
*また、入る選択をするという場合
そこへ向けて進もうとする場合の障害やハードルの考慮
一歩進むごとに1/6の確率で敵が発生するというのなら
お城まで5マスという距離
たどり着けるのか?の計算も必要になる
三つ目の要件は
そのお城へ入った場合
ではどんな結果になるのか?
どんな結果がゲーム側から返されるのか?
要するに入るとどうなるのか?
何が待っているのか?
ゲーム側からの返事
それらはゲーム目的に対して正になるのか負になるのか?
目的に前進するのか後退するのか?
それとも無変化、停滞なのか?または失格にされるのか?それとも近道か
プレイヤーはそれらの計算をして
ではどうするか?
を意思決定する
それらを考慮して実際に行動した結果
では実際どんな結果になったのか?
どんな結末になったのか?
ゲームとは勝ち負け
勝ったのか負けたのか?
結果をそれを見て楽しむ
ってのが要件
要するにプレイヤーの行動でゴールできたのか? >>204
ADVはコンピューターゲームの用語だけど
RPGはコンピューターゲームの用語ではないけど ジャンル分けに関する疑問を見るたびに、どうしてゲーム屋さんの棚を見に行かないのかと思う >>205
なりきりチャットというのは演技する事そのものが要件
けど、ゲームは解答が要件
RPGの罠ってのはお題でお題に引っかかる事の演技のためじゃない
罠を解除するための条件をGMに持って来たか?どうか?
って意味だから ADVなんてジャンル名としては意味をなしてないからな
実際Steamでは「冒険するゲーム」につくタグでしかない
https://store.steampowered.com/tags/en/Adventure/
「いわゆるADV」はポイント&クリック、ノベルといったシステムごとに分類するべき
そしてRPGは敵ぶっ殺して経験値稼いで成長させるゲームを指す
その前提を無視して本来の意味がーTRPGでははーとかいうやつはたいてい有益な話ができない >>211
経験値稼いで成長っていうのはGMの提示する条件を満たすための一つの手段に過ぎないのでは
ゴールへ進むためにはこのレベルこの武器この所持品を持っていてこの敵を倒して・・・
GMの出すゴール通過の条件を満たすための手段の一つかと 言ってる傍からこれだしTRPGの認識もおかしいっていうね
ここはRPGの定義とか論じるスレじゃなくて
既にあるCRPGの、既にある問題点や方向性について、話すスレなんだけどね ここまで話ができない人が
TRPGのセッションに参加できるのか? >>213
TRPGの話はしてない
RPGの問題点は要するに
今の人が作ると必ず、ストーリーを読むだけの方向性になるか、その逆にしようとするとOWになるかしかならないというところ そもそもこの骨格、この要点、この構造は
本来RPG以外でも、ゲーム全般、ゲームならすべてが共通して持っているもので
今のゲームと称してるものには何故か抜け落ちていてそれを当然と思っている
ゲームとはルールに支配されていて審判によって裁定される
プレイヤーは自由に自分の選択をプレイ出来る
これはゲームの大前提で
ただ自由に動いてごっこ遊びのような事をしてるのも、一つのドラマを鑑賞してるだけなのもゲームになってない >>215
ストーリーを追うだけの一本道は当然つまらないけど、景色を眺めるだけのオープンワールドも同じくらいつまらない
ドラクエ3の世界の広げ方を手本にすべきだよ
小さな島→世界で一番大きな大陸→海(世界全体)→裏の世界(あれば)
ただこれ世界全体でバランスを調整していかないといけないから開発側からすると意外と難しいのかね? あとOWの移動する場面を「景色を眺めるだけで楽しくない」というのはちょっと一方的な気がする
テキストやメニューみたいな記号っぽいものと、
景色みたいなものを対比してるとするなら、
これらを「目に入るもの」として同じ平面で取り扱った方が良い
脳内で文字を認識する部位と空間を認識する部位は同じ位置を使っていて、
成長する中で文字に特化したり、風景を捉えるのに特化したりする
こういうスレは文字特化型の人間を集めがちなので、
風景を風景として受け取ることの身体的な感覚について過小評価しがちなのではということについて常々留意していくべき >>218
文頭の「あと」は無視して下さい
文を入れ替える時に消し忘れだだけでなんの後でもないです >>217
まず最初に開始地点とゴール地点から作る事ではないかと
で、その後にゴールを遠回りするように障害や道筋を作って少しずつゴールまでの道のりを伸ばす
開始地点から作り出して到達地点も分からないまま順番に攻略の手順を作ろうとするととても作れない(または一本道をたどるような構造になる)
開始地点のお城とゴール地点の魔王の城はここに配置する
何も障害物がなければ開始地点からゴールへ直通
だったら魔王のお城と開始地点を何かで隔てなければいけない
魔王城を険しい山々で遮ってみるか(=空を飛ぶものでだったら侵入できるのか?それとも山の中に通じる洞窟か何かついているのか?)
さらにその山を越えるための要素をとるための道のりを作り・・・
その魔王城に通じる洞窟に入るためには、どこどこへ行かなきゃいけない
そのどこどこへ入るためには・・・
と逆算式に作る
とやればそれを逆算して大まかなチャートになる
どの段階でどの範囲に入れないようにするのか?
で制御
入れない理由は様々理屈を付けて
通らなきゃいけない場所に鍵や通行証を必要とするような条件を付けたり
まだ進むべき場所でない範囲に足を踏み入れると強敵が出て入れないようにしたり
このような手段を使って巧みにプレイヤーの行動範囲というか、行動そのものを制御
プレイヤーは自由に動いてるけれど、完璧に作者に制御もされている状態
そうやって道のりを追加する事でどんどん長い道のりに
完成する頃にはゴールまでの道のりは概ね大冒険に
大体の骨格が出来上がる
そこからさらに脇道を作る、と
>>218
同じ景色でも2Dの記号で作られた景色と
OWの記号化されていない景色とはまた違うのでは?
記号化された景色はお城だったらお城という記号が配置されている
ここは山だったら山という記号が配されている
OWの景色は記号化されない眺める景色
確かにOWでも景色なりにお城が出て来て
その中に入れるけど上記のものと様々な点で異なる別物
フィールドの中で記号化されたお城を探し出すようなものでもないし
それを見つけなきゃいけない必然性も特に無い
ただ単に遊覧の延長に存在するだけ 要するに
ゴールへ進むためだったり、何かを見つけるためだったり
何かを探す場合に人間の見ている見方と
奇麗な景色だなという美術的な見方とは別物
また、ゲームとは記号を隠さなきゃいけない
お城はどこに行けば見つかるの?
それを見つける楽しさ
3Dではそうならない
まず、必要なお城?を発見するために探索するという関係図にならない
歩いて進むだけでも一苦労
上からの視点でないので方角が合って障害物がなければ先にお城が見えたり
また逆に、正しい向きへ進んでいるのに視界が悪ければ今度は発見出来ない 要するに何か変った記号はないかと探していて発見するお城という記号と
景色的な中に大きなお城が等身大で聳え立ってるのと
出来事を見てるか?景色そのものを見てるかの違い
出来事を見るとは、思いがけない出来事を待っている
そこで得られる発見は劇的に思いがけない発見
それと等身大だと外から見た見た目がそのまま大体の中身の状態の推測にもなる
想定内の発見しか得られない
入ってみて初めて、どうなってるのか分かる、という期待感が得られない
そのまま
是非入ってみて確かめたい、という気持ちを大幅に減らす、と >>220
それはドラクエ1の作り方ですね
やはりドラクエの1〜3辺りに一本道でないRPGの一つのテンプレを学ぶことができると思います
行動範囲を大きく広げる為に必要なものを順不同で入手可能なように複数用意する
次の大陸まで2個→船入手に3個→魔王城に行くために6個とかね
フィールドマップがあって、こういう構造のRPGって今は殆ど作られなくなってしまったんですかね? 同じ場所を行き来する時点で今の人(若年だけでなく中高年も含む)はすぐ飽きるし
一本道かつ変化があるように誘導しないとクソゲー扱いにされるかもなあ
自分で調べるとか考えるってのが今は全世代通してダメなんよね
若い世代は学校で考えることを教わらないから苦手で中高年は単なる老化による思考力低下と理由は異なるが 昔のRPGが自分で考えて遊ぶゲームだったとは思えんね
そうじゃないから売れたんだろうに >>223
順不同でってやると実はそこで思ってるようなのは出来ないと思う
(それはプレイヤーから見ての順不同、プレイヤー側から見ると順不同になる)
作り手のプレイヤーに対する直接的な制御
ここへ行け、この中から選べ
の[この中から選べ]
プレイヤーはまず前提として完全に自由でないといけない
その上でプレイヤーの行動を制御しなきゃいけない
プレイヤーの行動範囲で制御する
プレイヤーは基本的に行ける場所、侵入できる場所だったら好きに入っていける
それがプレイヤーは自由に行動するという事
なので行動可能な範囲を制御する
○○のカギを手に入れてどこどこの扉を開いた場合
その先の範囲まで入っていける
強さが○○以上だったらこの強敵の出る範囲も入っていける
その行ける範囲内(始まった地点から現在の)を自由に調べるとその範囲内に今必要なものが見つかる
すると順不同で入手してるかのように見える
複数経路を用意した訳じゃない
経路複数の目線で作ろうとすると労力はかかるけど、やらされてる感を感じる
次回はこことここの中から選んでね、その次はこことこことここの中からってやると >>224
人間は自分で興味や関心を持った物には自ら手を突っ込み
そして労力を惜しまない
赤ちゃんがライターに興味を持ってつけようとするのと同じ
ここ行ってみたいな
ここに行ったら何が待っているんだろう?
そして実際にそこに行ったらその興味の答えに適うだけの経験が得られる
そうやってもっと気になる
と思うもの 遠くに見えるお城って、RPGにおいて風景以外の何の意味も持たない
しかも自分の向いている方向しか視界が無いなんて暗闇をライトで照らしているのと同じでストレスしかない。
さらに流れるのは環境音だけ、盛り上がらない。
そういうのがゲーム性になるのはスナイパーライフルで敵を狙ったりするFPSのようなゲーム。
RPGのフィールドで面白いのはトップビューで表示される画面内にお城の記号を入れること、
もし山や海で遮られていたとしたら、どうやって辿り着くのか?それを考えること。 >>223
メルセデスメソッドってやつだな
海外でちょっと前に着目されてて「それドラクエ1じゃん」と悔しかった
海外にとっちゃドラクエは日本で有名らしいRPG=どうせ一本道なんだろ?でしかないからな
作られなくなった原因については
デバッグが大変だとか日本で売るならストーリー重視の方が受けるとかもあるんだろうが
最大の理由は作る側もRPGてそんなもんだと思ってるところにあると思うわ >>229
それ以前に海外だとドラクエは同じ名前の別商品(卓ゲ)があるってところが いやまあ確かに初期作品はウォーリアになっちゃったけど
最近の作品はそのままクエストで出してるやん? >>228
このゲーム性の要点が画面内に記号が表示されるかどうかって部分
移動すると画面の表示範囲がずれる
ずれる事で今まで見えなかった範囲が見える
1マス上へ移動すると一行新しい範囲が見える
何マス移動すれば範囲内に何が見える?
っていう探索による重要な記号の発見
それがそのまま、プレイングのどの方向を入力すると、どんな結果がGMから返されるのか?
(お城が出るのか?洞窟が出るのか?何も出ないのか?)
の部分になる
重要なゲーム性の一端を担ってる
入力した後に、GMから結果が返されるの関係
先に城が景色として遠方に見える、だからそこへ進むってのと逆
どう入力するとお城が出現するのか? >>229
そりゃあドラクエ自身がバランス調整で楽したいが為に、その手法を放棄したんだから仕方ない
特技が強すぎてMPの意味も無くなっているし雑魚が弱すぎてマスコット化してるしな
ドラクエ3あたりまでが持っていた拘りを捨てて「ドラクエなんてこんなもんだろ」って思って作ってるんだろうね ドラクエのバランスはこんなもんだと思うが
全般 補助が超強い
1 タイマンなのもあってほぼ数値勝負
2 攻撃呪文が登場から最後まで活躍する唯一の作品 補助の重要性も他以上に高くガチガチのバランス
3〜5 「こうげき」ゲー 超強い補助+無料攻撃手段の効率性が極まった
6〜8 「とくぎ」ゲー 基本は3〜5と変わらないが、選択肢自体は増えた
9 MP自然回復などの概念が加わり、本格的に全選択肢のバランスが見直された
3まではむしろバランスが定まってなかった
10以降は知らないが、9のバランスが異様に良かった事や評価を考えると、悪くはないんだろう
まあ「遠景は無意味」「視界制限もストレスなだけ」などと言いながら
「トップビューの遠景は面白い」などと言う人と話がかみあうとは思わないが
言いたい事が全く分からない訳でもないが、ナンセンスすぎる >>223
DQは4までその構造ではないかな
3は特に色濃い 先にゴールってのは
先にゴールを作って後から道のりができるから道のりはプレイヤー毎
プレイヤーは自分の意思でゴールを目指してる認識で進んでいて、その途中に越えなきゃいけない障害が阻んでるか
自分がどこへ向けて進んでいるか分からない、ストーリーで次回する行動を示されてその示されて出て来た障害を越えるか
簡単に見分けるには自分は最終的な目的地を認識できてるか?
それに向けて進むのに自分の感覚で一歩一歩進んでいるか? >>234
そのようなバランス(数値的なものの見方)しか認識できない人が今のゲーム感覚を形作っているはず
まさに今のゲーム構成はそこだけ見て作ってる印象だけど 自分が子供の頃に触れたものが一番なんだよ結局
その思い出を一生反芻するだけというのは寂しい人生だが >>238
いや、フリーゲームでも珍しいドラクエ3風のmystic starは大人になってからやっても面白かったよ >>238
実はそういう感覚と一切関係無い
他人が言ってる事を外から分析しているだけだから むしろそもそも初期に触れたゲーム(コンピューターの)がつまらなかったのでそれを分析してる
どうつまらないかを書き綴るとここのような内容になる この人の中ではとっくに
「テレビゲームというものは対人ゲームに比べて代用品の役すら務まらないつまらない物であり、それは決して揺るがない宿命なのだ」という答えが出てて、
後はそれをどうやって世間に布教するかの方向に考えが移行してるんだな >>241
ゲームで今後やめてほしいことスレと同じ症状なのか
あっちも、もはやどこもやってないことに対して延々「やめて欲しい」と言ってて、呪いを集める装置になってる >>243
誰に言ってるのか分からないけどそんな事は言ってない
今、ゲームと称するものはゲームになってない
昔→ルールの中で勝敗を決める遊び、またはゴールを目指す遊び(コンピューターで作られたゲームソフトはその一部門に過ぎない、コンピューターのゲームソフトもゲームの要件を満たしていたらゲーム)
今→コンピューターを使って遊ぶ娯楽ソフトの事(ゲームといったら無条件でコンピューターで動作するプログラムソフト全般の事を指す)
何のルールもないゴールを目指してないものがゲームを名乗ってる
話に沿ってお使いするのはゲームじゃない
凄いプログラムで凄い色々な事を出来る、その動作確認をするのもゲームじゃない >>247
それほどまでに今のTVゲームに対してはゲームという名称を使うことすら赦したくないのなら
ここで愚痴るより業界内部に入ってのし上がって権力をお持ちになられてはいかがですか
そうして「今後、TVゲームなんて名称は禁ずる!」って大号令を世間に発信されたらよろしい お前ら的にPS4のアサシンクリードってどうなんだ?
かなりRPGやってるぞ >>250
どうなんだって駄目に決まってるでしょ。
あれこそ景観を眺めるだけも代物。
RPGどころかゲームですらない。 下の世代が楽しんでる新しい娯楽を「あんなもんつまらん・やってたらバカになる」と叩く上の世代
このスレの中ですらそういう図式が展開してただけだったというわけか ゲームをルールだけで語れると思い込みすぎててゲームが作られる素材(ここではコンピューター)への無理解が過ぎると思う
ゲームでも何でもいいからプログラム組んで動かしてみると、眺めてるだけで「おー、動いたなー」って楽しいもんだよ
プログラムを使ってゲームを作ってる時点で動くのを眺めるという機微は不可避だよ >>253
これだと主部がないからどちらにもとれる
他人の楽しみに自分の価値観を押し付けてる上の世代ってのが、今のゲームの信奉者だってなら同意だけど >>254
それは作ってる人間が楽しいだけで遊ぶ側には何とも
むしろ反対にコンピュータープログラム=ゲームだと思い込んでいて
ゲームに対して無理解が過ぎるように見える
コンピューターを使用しないでゲームを作って見て
それを遊ぶ人間の反応を見てみた方がいいのでは
遊んでる人間の驚いた顔とか人間の感情が好きで作るもの
本来そっちに目を向けてなきゃいけないのだけど
人間に興味ない人間が作ってるというのか自分で作った機械的な動作だけが好きなだけな
迷路作っててここに分かれ道とここに行き止まりを作って
それを遊ぶ人はどんな反応示すかな?
そういうのがゲーム作りの本来的に好きな人間
近道に見えるけどここは行き止まり
宝箱をここに隠したらどんな反応示すかな?
当たりを選ぶ、赤い棒と黒い棒どっちを選ぶかな?
そういう人間の反応に興味を示す
今のゲームのは人間には興味ない
興味の向いているのはプログラムだったり
モノに向いてる
ゲーム作りが本来的に好きな人間って小学生的には
その頃から仲間の小学生に向けてそんな反応を示してる ゲーム作りの好きな人が気にする事は
別れ道を作ったら人はどっちの道を選ぶだろうか?
人がどちらを選んだら選んだ結果はどんな事になるようにしようか?
人はどう思うだろうか?
どんな反応をするか
今のゲーム作りの気にする事は
ちゃんと意図通りに動作するか?
ちゃんと自分の思った通りに動いてるか
見てる方向が違う
人かモノか >>255
だったらなおさら、あなたの居場所はここには無いよ
ホンマにお前何しに来たん?
啓蒙活動? >>256
TRPG時代からゲームに慣れ親しんだプログラマーと、CRPGしか経験していないプログラマーの差が、そこで出るんでしょうね。 >>257
すごいね
>>256の話何でそんなにすんなり分かるのかな
>>256
何でそんな反論の仕方になるのか謎なんだけど、
カードを使ったゲームなら素材は「四角い紙が何枚もあること」だし
ボードゲームならボードを作ってる何かであり、ダイスであり、コマの人形であり、記録用紙でもあるし
クリエイターであれプレイヤーであれ、素材から受け取る感覚は不可避であって、
それを無視して、初めに単純なモデルに落とし込んでってのはクリエイターが作る感覚と、プレイヤーが遊ぶ感覚とを同時に無視してるよ >>260
まずゲームは単純なものじゃない
見た目だけで中身は単純なのが今のゲーム
だから単純なモデルだと思い込む
その代り、見た目は立派
美麗CG、現実のような物理処理
練ったストーリー
全部見た目だけで中身は全然作れない これらのゲームから見た目を取ったら単純なものしか残らない
ただ前進するだけだったり
並べ立てた動作を動作確認するだけだったり 壊レコは毎度毎度「スタートとゴールの間にモジュールがたくさんあったら楽しいね」程度のことしか言ってないでしょ
これが単純じゃなくて何なの そんな事一度も言ってない
スタートとゴールの間に出来事をただ羅列するだけなのは今の人間の考え方では
それを数珠つなぎに増やしてプレイ時間何十時間とかやるのが今のゲーム
今のゲームから見ればそれはただ単純な事になるだけ
一つ一つはただの単純作業や出来事
本来ゲームってのはどうすればどうなるのか複雑で
最終的なゴールや勝利に到達するためにはきちんと全体像を把握しないといけない
スタートからゴールまでで一つのもの(それは複雑に練り込まれていて)
じゃないから単純な同じような作業ばかりを繰り返すゲームになる
一つ一つがただの単純な作業で、お使い
想定しているものがそもそも違う そもそも本来的にゲームでは今進んでいる道がゴールや勝利に向けて進んでるとは限らない
だから進む中途のハードルを越える繰り返しじゃない
ゴールはどこでどう目指したらいいか
ゴールに到達するためにはどんな条件が必要なのか?
その条件を満たすためにさらに何が必要になって来るのか
もしかしたらその推測は誤ってるかも
誤っていたら、行き止まったり、バッドエンド?ゲームオーバー
だから最初からゴールまでで一つ
それはゴールまでが短かったとしても成り立つし、それでも大冒険に感じられる物
無意味な単純作業の繰り返しにしか作れないのが今のゲーム全般なので
どちらかというとその区別もついていないから同一のものと認識するのかも >>266
それ結局モジュール(=マス目と選択肢)の多さの話だと思う とりあえずゲームでは漠然とし過ぎているのでRPGの話をすべきでは? 数年前にFPSの話題のスレにいた
真の一人称ゲーはローグだろうが!って喚き続けてたヒトを思い出す
そこでいう一人称はカメラワークのことなのにわかってないのか
かまってほしかったのか >>265
いつも君はほかの人の言うことに対してに
そんなことは言ってない
これで始まり、後はいつもの文言を繰り返すけど
言ってるんだよ
君が自分で気づいていないだけだ
君のレスを周囲が分析してもっと短い文章にしたらああなる こいつに構うのもうやめようぜ
建設的な議論できる相手じゃない >>267
選択肢が多いっていうと具体的にどうなる想定なんだろうか?
分岐するって意味?
それとも行き場所を複数立てるって意味?
ゲーム制作で選択肢側の目線に立って選択肢を立てると
レールを作って、そのレール上での選択肢って事になる
本来ゲームの自由選択ってのは、自由行動の上にルール的に制限をかける事で自然に出来上がる物で
例えば、自由に行動できるので東にも西にも南にも北にも行ける
そこへプレイヤーが行った場合のルール的対処
例えば北へ行った場合行き止まりに当たる
南へ行った場合洞窟へは入れない等
それと、プレイヤーにゲーム側から選択肢を与えるのとは違う
進めるポイントを3つ作ったのでそこから選んでね
この場合、プレイヤーの行動は自分からの自由発想じゃない
与えられた選択肢から選んでいるだけ >>270
その短い文章は今のゲームの事に聞こえるけど
念のために言いたい事がきちんと伝達出来て無いかもしれないので具体例を挙げて下さい >>272
最初の小さな大陸に主要なロケーションは5つ
@スタート地点の城
A装備を売っている町
B棺桶状態の仲間がいる洞窟
C松明が手に入る洞窟
D大きな大陸へ続く洞窟
一般的な攻略手順はBとCの洞窟を攻略しながらAの町で装備を整えDの洞窟に行くことになる。
Dの洞窟は暗いので松明がないと見えないし、長いので棺桶にも薬草を詰めて行かないとリソース切れを起こす。
なお仲間を生き返らせる教会は大陸に辿り着くまで存在しない。
別にスタート直後にDの洞窟へ行ってもいいよ、死ぬだけだけど。
これがRPGの自由度 >>274
RPGの自由度
間違ってないと思う
これこそゲームの自由度(=ゲーム的な制御) とりあえず、Skyrimの問題点でも上げていけば
和ゲーの問題点も分かるんじゃないかと思った。
ストーリーテラー型は感情移入出来ないからあんまり好きじゃない。 ただ要点は行ける場所の多さ(絶対量)というより
行ける場所をいかに完璧に制御出来ているか
ただ行ける場所の多さとだけ言ったらOWのようになる
行ける場所と、実際に行った場合どうなるかを全て作って
プレイヤーがどんな行動をとったらどんな結果になるか
プレイヤーの行動を完璧に制御する
どんな行動をとってもいいように作る
プレイヤーは城や町や洞窟を置いた場所だけに興味を示す訳じゃないので
プレイヤーから見たらフィールドの隅から隅まで興味を示す前提で
進んでいったら壁にぶつかったってのもプレイヤーが自由な場所へ行ったその結果返ってきた出来事の一つ
海岸線にぶつかったとか、山にぶつかったとか、も同じ
もちろん関所で封鎖されてる場所へぶつかったってのも
もしかしたらフィールドの隅々を探すと一見何もない場所に秘密の入り口が出て来るかも
海岸沿いに進んでると細い岬の果てにから先に進めて何か出て来るかも?
そういう期待をもって自分から能動的に隅々いじり倒すというのが自由に行動するという事なので
それらはすべて想定されていて、ゴールへ向かうプレイヤーの手続きとして織り込まれている >>277
なんだそのスカイリムは皆プレイしているのが当たり前みたいな話は?
一般的なオープンワールド洋ゲーという話なら
・キャラメイクとビルドでプレイヤーの強さが大きく変わってしまうため攻略サイトで数時間の予習が必要
・キャラメイクに失敗した場合の救済の意味もあるのか、難易度をいつでも変更できるが、ようするに製作者のバランス調整の放棄
・Modの存在がそれをさらに拍車をかける、もはやプレイヤーが難易度調整するゲームに、製作者との勝負では無くなり単なるごっこ遊びに。
・どこでもセーブによる緊張感の欠如
・オッサンのケツを追うだけのしょうもないカメラ視点
・そもそもリアルタイムな時点で純粋なRPGではない、3D視点って多数の敵を相手にする戦闘に向かないしアクションゲームとして単調
・移動が面倒なだけでどこでも行けるから、どこに行っても何の感動もない
・町につけば、つまらないことを喋る大量のNPCと大量に配置されたガラクタアイテムの相手にウンザリ
・気づけば重量オーバーになっていてアイテムの整理だけで数時間
思いつくだけでこんなもんか、他にも幾らでもありそうだな 「ゲームを解く」って言ってた世代は今のゲームになかなかついていけてないみたいね
目的が場面場面で流動的に変化しつつ、マップのなぞり方が色々発生するようなの >>277
プレイヤーの行動を促すものがNPCの語りだったり、道が敷いてあるとか、システムが示すシンボルだったりみたいに、記号的過ぎるなとは思う
これがゼルダだと「山に登りたい=(パラセール使いたい)」みたいな感覚があって、
地形に対するかなり物質的な感覚を使ってプレイヤーに行動を促してて良いなと思った >>280
今のゲームの方が本当のゲームについて来れない
はっきり言って今のゲームはそれらの解かなきゃいけないゲームと比べて簡単だから
ついて来れないというのなら今のゲームの方
ただ直線的に進むだけや、シナリオの沿って進むだけだったり
マーカーをたどるだけだったり
今のゲーム制作者の方がちゃんとゲームを作れない
作ろうとしているけれど作れない印象
OWだってこれを理想としてた訳じゃない感じで
今のゲームの自由度の少ないを改善
(じゃ自由度が高いって何だ、を突き詰めようと)
要するに本来的なゲームを作ろうともがいて作られてるのが今のゲーム '86年以前のPCゲーRPGの作り方に回帰しろって言いたいのか このスレおもしろいね
景色とゲームの話をしててブレスオブザワイルドの名前が出ないのが不思議だったけど>>277で出たね
BOTWはストーリーの配置の仕方も上手いなあと思った >>284
俺は単にスイッチを持っていないだけだな
興味はあるけどプレイしていないゲームの話はできないしな
できればオープンワールドのどういう問題点をどういう方法で解決しているのかご教授願いたいが。 >>285
やってみるとすぐわかるんだけど…
既存のOWとレベルデザインがどう違うのか言及してるレビューとかもたくさんあるからそっち見た方が早いよ多分
簡単にいうと「移動が景色を眺めるだけ」じゃないんだよ
視界の中に必ずゲーム的な記号が含まれてるから視界を拡げること自体ゲーム進行に関わってくる
んで重要なのは「見えるなら行ける」ことと、最終段階までゲーム進行をストーリーが縛ってないってとこかな あ、見えるなら行ける、てのはもちろん条件が付くとこもあるけど 一応突っ込んでおくけど
「移動が景色を眺めるだけ」のゲームなんてほぼないぞ
特にオープンワールドは「移動してるだけでイベントが起こり、ドラマが起こる」のがウリの一つでもあるので真逆
オブリでもスカイリムでもマップ中心付近に、ほぼマップ全域から見えるランドマークがあって物語的にも重要な場所だし
エアプの戯言でしかない
もう古くなったゲームだし、発売当時はともかく現代基準では物足りない、という意味なら分かるし
本来はそういう話をするスレだと思うんだけど、とてもそこまで話できてるように見えない >>288
や、そうなんだけど多分「眺めてるだけ」ってのはそういう状況が起こりやすいって意味なんじゃないの?
従来のRPGは条件クリア、キャラクター強化で行動範囲を拡げるゲームだったけど、オープンワールドでは行動範囲に制限がかからないから目的なくてもどこまでも移動出来る
プレイヤーが能動的にイベント拾ったりロールプレイしないと楽しめないっていう面はあると思う
もちろんそれが強みでもあるけど 極端な話脳内補完すればマインクラフトもRPGとして遊べるんだよな そもそもオープンワールドの向かっている方向って、ごっこ遊びとか生活シミュレーターなんじゃないの?
世界を用意しました、好きに遊んでねって感じの。
トップビュー2Dでコマンド戦闘のリアルタイム要素の無い昔ながらのRPGと同じジャンルにしておくのは無理がある 別ジャンルとまでは言わずとも派生ジャンルとした方がいいかもね
俺はトップビューでの発見も主観視点での発見も形が違うだけでゲーム的な楽しさは変わらんと感じるしどちらかがどちらかを否定するもんでもないと思うな >>286
必ずゲーム的な記号が含まれてるってのも実はゲームとして問題
ゲームってのはゲーム的な記号はそうでない部分の中に存在する
例えば一面普通の壁(意味の無い記号)の中に、入口の記号が存在するから意味をそれは持つ
何の意味も無い草原を進むとどこかにお城の記号が見つかる
自分で意味の無い場所から意味の在る記号を見つけ出すのがゲーム
歩いているだけでいい
歩いてるだけで勝手に何か起きそれを見てるだけでいい
これじゃゲームにならない
また見てるだけじゃないとしても
勝手にお題かなんか出て来てプレイヤーはそれに受け身で答えるだけってなってもゲームとしては面白みが無い
ゲームとはゴールまで続いてる道のりを自分で見つけ出す
というところに面白みが在るんだから
一見ゴールまでの道のりは分からない
ゴールへの道は意味の在る記号を発見や正しい解釈によって初めて得られる
それが旨味
自分で能動的に動いて発見しないんじゃただ与えられるものを受け身に眺めてるだけ >>292
実際には視点だけの問題ではないから、その考えは浅い
主観視点、3D、オープンワールド、リアルタイム性、ここまでがセット
プレイヤー一人を操作するのに適しており、アクション性の高いものとなる
一方トップビュー、2D、コマンド戦闘はパーティー全員の行動の管理に適したゲーム性
アクション性はなくじっくりと考えることができ、育成、戦略、ランダム要素で勝敗が決する >>293
要するにプレイヤーを楽しませるようにレベルデザインが成されているか、てことだよね
Skyrimのようなオープンワールドは目的を自分で作りながら(もちろんストーリーや報酬などで誘導はある)遊ぶゲームだけど、それはそういうふうに遊ぶために作られているというだけでレベルデザインを放棄してるわけじゃない
ちゃんとプレイヤーの行動に対してゲーム側から返答があるしね
けど逆にいうと目的を見出せないプレイヤーには退屈な空間になってしまう(景色を眺めてるだけ)
これを問題点、欠点と呼ぶのは俺はちょっと違うと思うけど、BOTWはゲームとしての目的を地形、視覚で見せることでプレイヤーを誘導してる一点だけでも従来のOWとは遊び方が違うなと感じたんだよね
まあ簡単にいうとどうやって遊ぶのかがわかりやすいってとこなんだけど、それを楽しいと感じるかは勿論個人差がある >>294
うん、それはだからそれぞれ違った楽しさがあるってだけなんじゃないの?
あと戦闘のリアルタイム制、アクション制に関してはフォールアウトのVATSシステムが一応コマンド制バトルと両方に対応して一つの形になってる ていうか別に殊更にBOTWを推したいわけじゃないんだがあれをプレイした上で「これではゲームとは言えない」って言われたらお手上げだな
サンドボックスとかどうぶつの森とかを「ゴールがないからゲームじゃない」っていうんならまあ賛同しないけど理解は出来る
あれはゲームというかツール的な側面の方が強いから 要は移動中に緊張感ないのが問題って話してんだろ
死ぬ確率が増加する可能性なきゃ風景眺めるだけに等しいからな
それがゼロの部分はゲーム部分じゃねえよ
まあ洋物なんかだと情報聞く為に賄賂とか渡したり、
下手すっと交渉中に相手怒らせたりで死の確率が上がる要素が散りばめられてるけどな
だから洋物はアクションじゃない方がいいと俺は思う
逆にJRPGはそういった部分がノーリスクだからアクションの方が向いてる 上と下繋がってないな
まあ要するに移動中に突発的に発生するイベントでノーリスクのもんはゲームとは関係ない風景の一種と思うべき
そういうRPGってまずないだろうけど リスク、しかも死の可能性がないと風景とか
容量ないファミコン時代には必要な発想だったかもしれないけどさ
道端の廃屋が気になったから家捜ししてみたら、隅っこから手紙が見つかってイベントが起きて
というのもイベントではない風景の一種なのか?
家捜しする事はどこにも強制されていない、人によっては廃屋に気付きすらしない事もありうる
当然リスクなんか何もない
道端の草花や魚などの自然物も、ある人にとってはただの背景だが、ある人にとっては素材の宝の山だ
通りすがりの人と話をして、うまくいけば情報を聞き出せるが、失敗すると怒りだすが襲ってくる訳ではない
当然リスクなんか何もないが、本当にリスクなんて何もないのか、これらは?
それともこれらを全部無視できるから、ただの景色という判定になったりするのか?
プレイヤー側がただの景色だと思っていたら、ゲーム側もただの景色になるというだけの話なのだが
ま、ファミコン時代にこんな調子でイベント作ってたら、あっという間に容量が尽きてゲームにならない
今はグラフィックを伴わないイベントなんかほぼ無尽蔵に作れるような状態なわけでな
……と思わず色々書いてしまったけど、結局のところ
壊レコの相手するのは何より不毛だからやめとけ
「これではゲームといえない」とか言うのあれしか居ないから考えるだけ無駄 >>295
>それはそういうふうに遊ぶために作られている
そういう遊び方がゲームじゃない
ゲームってのは採点される遊びだから
自分のやった行動を採点されるのがゲーム
ルールに基づいて裁定者によって採点される
それは最終的に結局勝利(=ゴール)出来たかどうかの祭典
どれだけゴールに近づけたのか?
失格なのか?
自分の行いによってどうなったのか?
ゲームは目的は自分で見出すものじゃない
ゲームから一番最初に突き付けられるのが目的
プレイヤーはみんなその目的(=ゴール)を達成するためにゲームに参加する
そしてゴール達成のために様々な行動をとる権利が与えられている
そのとった行動は全てルールに基いてジャッジに採点される
それで結局ゴール出来たのか?失格なのか?採点結果を楽しむのがゲーム
>>298
>移動中に緊張感ないのが問題
緊張感在るだけではただのハードル走では
ただ追立ててるだけ
ゲームとは飽迄ゴール到達出来るかどうか?
そのゴールする為に必要な条件手順をどう織り込むか
基本的にこの手のゲームで景色眺めるだけになるのは自分で頭を使って考えないから
それは要するに行き止まりがないから
自分のやりたいと思った事は全てその自分のやりたいやり方で実践出来ると自分の頭では考える必要無い
気の向いたやり方で出来るのだから
景色を眺める以外やる事がない
関所に兵士が立っていても、例えば殺害して進めばいいなら
それらは通りすがりのただの景色としての価値しかない
物見遊山でしかない
関所で止められて、関所の望みの条件と手順を持って来い(=GM=そこを通過するためのゲームによって出されたルール)
でなければここは絶対通れない
となって初めて頭を使う
となったら、今現在行ける場所、そこで出来る事の中から
GMの望む条件なり手順なりを何とかして発見するしかない
GMの満足する条件を全て揃えてGMの化身の門番に突き付ける事がそこを通過出来る唯一の条件
そうなったらそこは眺めるだけの景色じゃない
隅々まで調べ尽さなきゃいけない対象になる
真剣に見る必要のない通り過ぎる景色ってのが景色を眺めるだけになるんだから >>300
>道端の草花や魚などの自然物も、或る人にとってはただの背景だが、或る人にとっては素材の宝の山だ
これはそもそもゲームというものをを分かっていない人間の発言に見えるけど
それが景色か重要な記号かは決めるのはプレイヤーじゃない
それを決めてるのはゲーム製作者
プレイヤーはそのゲーム制作者の決めた重要な記号やサインに気付かなきゃいけない
それに気付いたものだけがゴール通過を許される
というのがゲームの基本構造
例えばゲームにとって重要な花瓶
だけどそれを重要だと理解しないで素通りしたプレイヤーは判定で失格にされるのがゲーム
様々な推察からその花瓶を重要だと思い作者の意図通りの行動をとったプレイヤーのみがゴールを許される
それがゲームでそれがゲームの醍醐味
また逆に、GMにとって開けてはいけない宝箱
GMの意図通り開けずに進んだプレイヤーは合格
サインに気付けず開けてしまったプレイヤーは失格にされる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています