製造した意図が謎な車両
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キハ53-100番台
長大編成対応だが一度も長大編成を組んだ事が無い 国鉄末期の郵便荷物車
わずか4年で廃車になったのある 105系のモハ105・サハ105
落成からわずか4年で先頭車化改造されてしまった DD20
単純にDD51を半分にぶった切ったらSL置き換え用の小型DL作れるんじゃない?
という安直な発想の結果、支線には軸重が重すぎて入れず、入換用にも使いにくい
クソ機関車に。 >>3
パレット式荷物車
カートレインなどに転用されたが短期間で廃車。
今だったら宅配便用に意外と使えるかも。 強いて言うと国鉄101系
全電動車設計はよかったが変電所がだったのでまったく毛色の違う電車になった。
EF200もそうか >>17
連接車体はダメって検証の他に後の車両へのフィードバックはあったのかな。 通勤電車には必要ない技術だったよね。
もともとは狭軌新幹線に必要だからって鉄道総研らが連接&DDMを税金で開発してて、
どうせなら通勤電車まで幅広く適用しようってことになったんだけど、
狭軌新幹線の開発は頓挫、
振子車に代わる曲線高速化車両の開発も頓挫、
最後まで開発続けられたのが通勤電車用だけだったっていう。 キハ201
450PSエンジン2基や車体傾斜とか通勤型にしては異様にゴージャス あの先頭車は最初から10年程度での廃車を想定して作ったものだけど
見た目こそ10-300に似てるが、中身は全く別物で転用も困難だったようだぞ ED76-550番台
青函トンネル対応に改造してみたものの1両だけで中止された 青函で釜足りない時にちょうど余ってたから改造しただけでしょ
なおその後需要が減って要らない子になる模様 E10形蒸気機関車
扱いづらくてあちこち迷走してた上に短命だった ED500
日製からJR貨物にこれ作ったからレンタルでいいから試験してと売り込んだ意欲作だったが、
試験中止になってJR貨物に買い取ってもらえなかった(確か単機だと粘着力に難があったのが理由)。
この失敗が日製の機関車製造撤退の決定打になったんだっけか。
引退後は日製水戸事業所で静態保存されていてクルマで水戸事業所の外周道路を走ると生垣越しにチラチラ見えていたが
気が付いたら解体されてた。 阪急7327F
GTO-VVVF8300系登場後に増備された界磁チョッパ車。
車体構造も旧式(骨組構造)の7300系を平成に入ってわざわざ制作。
8300系の不具合があったという話もなく、神戸線直通用という憶測もあったが真相は不明。 試作車や少数系列ばかり挙がっているが、
実は103系が製造した意図が謎の最たるものではないか?
山手線の専用車両という解釈もあるが否定する説も多い。
101系の経済設計には違いないがそれにしても性能がクソ。
駅間が長く高速で走る線区には別形式が企画されながらもどんどん投入された。 >>1からして意図が分かってるのばっかりじゃん
意図が謎じゃなくて
意図した用途で使われなかった車両の間違いじゃないの? 常磐線の勝田方面の1両だけ2階建て先頭車
千代田線直通も1編成だけで終わったのが国鉄、JR、メトロと有ったなぁ >>29
総武線などに103を入れて、駅間が長くて高速運転になる常磐快速線に101を転属
って計画もあったらしいけど、結局常磐快速線に103が入った。
壊れそうな走行音と猛烈な振動で高速走行は不向きに思えたけど、消費電力は割と低かったんだよな。
40km/hになる前に定格速度を過ぎるから、抵抗器に電気が流れる時間は短い
>>25
その当時のモノレールは、モノレールシステムの走る展示場だったから。
日立は東京モノレール
三菱は湘南モノレール
東芝はドリームランドのモノレール
東芝は設計時に壮大な計算間違いを犯し、車両重量を軽く見積もりすぎ
軌道を細く作ってしまったため、1年で運行中止。 >>31
215系にイカされたが215系自体があまりうまくいかなかった >>33
快速アクティでは乗降に時間かかって、結局ライナー専用になったからね。新幹線ではMaxとして1時代を築いたけどE4系を最後にまもなく終焉だね。 >>17
連接がうまく行きそうだったから新技術導入名目でDDMを抱き合わせて潰した。
TDカルダンかWNなら今頃何線区かで統一導入されていただろう。 東海の213は登場してわずか数年で昼間の運用が全てなくなるという 225系というか西の0.5M車
廃車まで固定編成で使うと聞いて0.5Mの意味ないだろと思った 阪神5550も何故か一編成のみしか製造されかった(しかも5500とは違い『リノベーション』対象外)。 山手線E231の6扉置き換え4扉車。
E231でショートリリーフして、E235に転用することが決まっていながら何故か
設計をE231に合わせたためE235に組み込まれたら珍ドコ編成に。 >>43
山手線の4600番台はE233準拠だから、E235とはもちろん、E231とも合ってない >>30
その通りなんで、その方向でレスしたら良いんじゃないのかな? >>47
>>32の前に
日立は犬山モノレール
三菱は東山公園モノレール
川崎は小田急モノレール
そして本命?の東芝は
ドリームランドはドリームランドでも奈良 >>37
連接にした理由の一つが幅広貫通路にして貫通路も客室扱いするはずが、各車に貫通扉を付けなくてはならなくなり、かえってデメリットになってしまったんだよな。 >>49
幅広貫通路って営団6000と7000のデビュー時みたいなキノコ貫通路みたいな感じか 西武2000系VVVF試験車
製造時点ではすでに6000系量産先行車が登場していたが 当時の綾瀬工場の事情(有楽町線と共通化優先で、その有楽町線が07に移行したため)だと思う
ちなみに01の最後の2本だけVVVFになったのが中野工場の事情(02がVVVFに移行したため) >>43
ホームドアが先頭車に合わないからわざわざ作ったけど
根岸線では多段式が開発されたから結局無用の長物になってるな
ホームドア黎明期のゴタゴタに巻き込まれた珍車両というわけだ >>51
西武2000系VVVF試験は不調だったのかな? それとも資金難で見送ったのかな? 東急8642と同じく新技術開発狙いだよな
優遇税制が絡むから
整備に難が有っても無理して残してきたとか >>19
連接式はボギー台車と違って台車外オーバーハングが無くなる分車体幅を広げられる
(台車間オーバーハングも連接式特有の車体長の短さで減少)利点があるから、
車体幅を広げる事による混雑緩和を狙ったんだと思われる。 >>27
軸重16.8t縛りと旅客輸送の動力集中式が絶滅危惧の日本に生まれたのが運の尽きって感じだよね。
ヨーロッパの同世代のD型機は軸重20t以上で出力も増強したうえで客貨両用で今も活躍してるから余計にね。 製造でなくて改造だが、西武501系。
新宿線で増結2連として使うなら401系とスペック合わせたらよかったのに
(実際401系最終ロットと改造時期も大差ないし)、何で101系相当の電装品
使ったのか。
おかげで当時の新宿線最大勢力の701系と相性が合わず、改造後僅か8年で
全車廃車。 モハ401-26
何故かMT54からMT46にダウングレード
モハ402-1が事故廃車となったのでユニットを組み直した
相方のモハ400をMT54にアップグレードじゃダメだったのか? >>60
なんか当初は次期4扉車の計画をしてたけど次期特急車の計画が先になってその通勤構想を取り入れたので600はあのような形になったとも聞いたことあるが 西武10000系10112F
この編成だけ異様に年が離れててVVVF
従来車をVVVF化改造すれば性能が揃ったが行われず >>63
所沢工場の閉鎖の影響もあるんでは
既存車に関しては当時の秩父線に回生電力吸収装置がなかった影響で改造を見送ったと思う(当初はVVVF車は新宿線限定運用だった模様) >>63
所沢工場の閉鎖の影響もあるんでは
既存車に関しては当時の秩父線に回生電力吸収装置がなかった影響で改造を見送ったと思う(当初はVVVF車は新宿線限定運用だった模様) クハ180
クハ181の両渡り化改造にしなかったのが不思議 >>66
クハ181は両渡りだったけど、EF63との連結のため自動連結器を装備したのと、台枠がかなり強化されたため別形式になった。 キハ183-1000番台
ECと併結で協調運転していた当時の「オランダ村」は、全区間架線下の列車であった
その後の非電化区間を走る「ゆふいんの森」「シーボルト」「あそぼーい」ではECとの協調運転の機会はない >>63
1編成だけ追加によくあるパターン
東武250系とか同1819Fとか阪急6330系とか >>68
DCとして製作されたのは当時流行のイベント列車として門司港佐世保間だけでなく電化非電化区間関係なく走れるようにとの事
協調運転は鳥栖から運行頻度の高い博多方面に乗り入れる際に特急有明との併結が有効との判断から 京阪2380
6000系登場後の1985年に出た2200系8連化用の中間車
当時は樟葉以西の急行停車駅しか8連は対応してなく
6000系が車庫で眠るという理由で20年前に登場した2200系を増備したが
1960年代製の中間車より先に余剰になって廃車
6000系車体にしとけばそのまま使えたのに >>71
京阪の基準からしたら短寿命だろうが、普通鋼製車体であることを考えたら
31年は一般的には十分長い部類だろ。 クモハユニ64000
意図が謎と言うより、誕生した時代背景によって翻弄されてしまったという感じかな。
増設された方の運転台はあまり使われることがなかったとか…
しかし最後だけは飯田線に活路を見出し、生命を全うできたことは良かったと思う。
如何せん一形式一両の珍車 京成旧AE形の8連化改造
運転台撤去とか大がかりな改造してその上2両だけは電装品をわざわざ同じ機器を作ったが2年ほどしか使われず3400形に更新 >>75
京阪旧3000と同じでライバルの影響が大きいと思う >>73
増設運転台を活用したのは大糸線時代
飯田線では増設運転台はほとんど使わなかった 小田急SE車も、短編成化で2両が10年ちょっとで解体されちゃったね そもそも小田急SEは耐用年数10年で設計されてたはず。
それを30年も使い倒すとか、設計者もビックリの延命措置。
よく事故起こさなかったもんだ >>75
車庫で焼き討ちにされたのは一度もスカイライナーとして運行されずに廃車された。 10-300Rは旧ATC時代にD-ATC対応運転台が必要だったという事情もあるから…
D-ATC化まで10-300が本線に出れなかったし >>60
京急608x8
小田急1081x8
西鉄701x4
この辺りも 西鉄700は5000形の先取りみたいな車両だったね 京急新1000形1800番台3編成
出力高過ぎて東京都と京成から出禁喰らって今やエアポート急行や増結運用が中心 155kWオールMで12連組めば電機顔負けの7440kWだぜ(笑) あの程度で変電所がダメになるならそもそも既存のクルマが数本一気に電気食ったら落ちるだけだし8連足りてるから温存してるだけなんだけどな 近鉄さくらライナー
南大阪線系統は大して速度出せないのにオールMになってる >>8
ありゃ事実上の試作車なんだよ。阪急発行の冊子には試作的と書かれてるけど。
試作要素が多いために使いにくく、後に全てT車になって1010系に組み込まれた。
ガキの頃は1010系に混じる異端車両の1000形が、なぜか好きだった。 >>83
608も2100の先取り
1081も2000の先取り
ただ1081は2600土砂崩れ事故の影響もありそうだが 相鉄9000は8000と別形式にしたのが本当に謎
数年間並行増備してるし >>92
その頃の相鉄、東急車輌製か日立製かの違いで形式を分けてなかったっけ。 新幹線100系で最後のほうに作られたのは300系J2編成よりも新しい
G50編成は1992年2月とのぞみ営業運転開始の前月に落成してる 鉄道界で最も取り憑かれた阪神3901F。
原因不明の脱線事故多発。 >>88
スハネ16の中にも、10年持たなかったのが多数。 >>92
函館市交通局(当時=今は部)にも、2000と3000ってのが並行導入しているケースあり。
近鉄の1230と1420もメーカーの違いで並行導入。
更に製造当初から1252/1253/1254系がある上に、ワンマンで改造別形式にする混迷ぶり。 >>89
おまけだが。
モハ62・クハ66で別系列になった本当の理由は、久里浜水害。
状態が良く転用計画が決まっていた車が、多数廃車に。75年改正で電車化された荷物や郵便荷物車の多くも、急遽ボロから転用したり… クハ401-901
サハ115→クハ115からの改造車だが、何故か落成して数ヶ月で101に改番。
キハ183-100
落成時には、スラントノーズ車に合わせた塗色だったが、評判が悪く速攻キハ82風に変更。
クハ183-150
485系と183系編成短縮計画で、計算違いが生じたため485系の先頭部を使った183系。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています