【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
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【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ ニッサンは最初の80がウンコだったのも痛いんだよな
でも大戦初期だと日本で一番生産力があったのが日産なんでもう・・・という それは国産国産日の丸と叫んで、結果的に自動車産業をぶっ潰した陸軍が悪い 戦後に豊田が世界の自動車を支配したのはなんというか…皮肉なもんだな >>522
でもアレ、たしかアメ車のライセンス製造のはず
グラハムだったか
かの国ではデリバリーサービスで多く使われた車両だったらしい
日本でも三越だかで使ってたと「横浜製フォード大阪製シボレー」て本にあるよ
持っててよく読んでないけど >>525
そうだよ、アメ車そのもの
工作機械もラインも全部アメリカから導入して、アメリカ人技術者の指導で製造開始
だけど当時の普通のシャシのままセミキャブオーバーにしたのが祟って
前車軸に負荷がかかり、悪路とあわさって前サスがボキボキ折れる
更に前が重すぎて走破性が悪い(後輪にトラクションがかかりにくい)
前輪を地雷に引っ掛けると運転席も吹っ飛ぶ
キャブオーバーなのでエンジンの整備性がクソ悪い(不調になりやすい
まあ国産トラックの中でも一番評判が悪かったのが日産80なのじゃ
だから普通のボンネット型に改めた180型が登場し、こっちは手直ししながら戦後も10年近く作られてる
グラハムが悪いんじゃなく、流行りだからと安易にキャブオーバー型を選択してしまった
日本側の自動車に対する理解力のなさが原因と考えるべきだろうね >>520
九四式六輪自動貨車甲/乙
九七式四輪自動貨車 80型はトレッドが長いことも問題視されたらしいぬ
https://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview8.pdf 砲兵トラクターなんて
流石に日本軍だって持っていただろw
全部で3,069輌しか生産できんかったが
九八式六屯牽引車 ロケとか
重砲用のもある だが戦争後期になると、ディーゼル搭載の日産の乙型が好まれるようになる。
燃料が手に入りやすかったので。
松根油適正も高かったそうだ。 山砲を馬と人間で運ぶのが一番日本に合ってたんだろうな
馬二頭で引けるし、分解も出来る
トラクターは重砲兵に必須という認識だろうね >>520
軍の制式トラックは頑丈なんだが、エンジン出力のわりにかなり重いんだよ
出力重量比で民生用フォードやシボレーがずっと高い
おなじ兵站路で制式が二往復するところをアメ車は三往復とかできて燃料消費もすくない
仮におなじ時間、台数で輸送の実績がそれだけ変わって、上層の覚えもちがってくるんだから
当然部隊としてはフォード、シボレー使いたくなるよね 日本のはなんでも電装が駄目だからね。乾燥してる北支ならいいんだけど
多湿の南部になると電装原因の故障がでまくる がダル上陸一波の米軍が、まだ資材も装備も十分じゃなくて日本の設営隊から分捕った
トラックを使ってるけど、意外と高評価なんだよな。
本家のフォードと遜色ないと評価している。
不自由な時に役立った道具だから、評価甘めなのかもしれんけど。 >>535
ガ島艦砲射撃でタイヤ焼け落ちた設営隊トラック写真があるけど、キャブや荷台にかなり派手な迷彩塗装
してるよね
陸軍がチハに施してたみたいな海軍らしからくない
戦車や火砲ならともかく当時はトラックではけっこうめずらしい例だと思う 日本フォードはノックダウン生産だけしか国が認めなかったのが敗因
国内メーカー保護の法律が逆に足枷になっていた
ドイツ・ソ連みたいに
生産設備込々で、工場毎作らせて
戦争が始まったら、国内の工場接取が正解だった
ドイツもトラックのほとんどはフォード・GM製
ソ連なんかトラック・トラクターまでフォードがメインで
この一連のソ連でのライセンス生産をしてたのが、GAZで
戦中はシボレートラックやジープまで作ってた 所詮、日本は近代化に失敗した下流国家
素直に独立を返上して植民地になっておけばよかったのに >>532
具体的には?
軍用六輪の傑作として知られ戦後自衛隊もしばらく使うGMC CCKW(所謂2 1/2 トンの代名詞)は1941年から主に出回るけど
九四式は68hpだけど、第1種積載2.5トン、第2種積載1.5トンとあるけど、民間型は4トンの積載量だね
流石にオフロード2.5トン、舗装路4トンの↑には見劣りは否めないけど
そもそも時代が違う事を考慮すれば著しく劣るものなのかな?
取り敢えず性能が良いという評判しか、米製トラックの34年時点でのモノの具体的なスペックを俺が知らんのだけど >>537
大正末期から商工省がライセンス生産を求めてたのにフォードが日本じゃ無理とノックダウンしか認めなかったんだよ
その流れがあるから軍がもう我慢出来ないと締め出しを決定するわけで
そして外車締め出しを決めたら工場作るからライセンス生産するからとフォードが言い出したの
なお工場や下請も含めた一切合切の移植構築は日産がやって、素材生産は米国から人を雇って指導させてる
あのタイミングでフォードが生産に着手したとしても、史実の日産のそれと大差ないのな
結局時間が足りなさすぎるんだよ >>539
33〜35年ごろの小型トラック(1〜2トン商用)だと
シボレーが6気筒70〜79馬力、フォードが8気筒85馬力
もちろんもっと大きいモデルもあるが、まあ大体エンジンはこのぐらい。
毎年競争で馬力上がってるので5年後だと100馬力ぐらいになる
なお南方軍の通達に94式6輪はカタログ馬力発生回転数まで回すとエンジンが死ぬので回転数制限しろってある
当時の自動車技術の差は結構深刻なのは、戦後の自動車レースとかでもわかるでしょ? つまるところ
何もかも日中戦争が悪いでカタがつくのかねぇ… >>537
ドイツはフォードのおっさんがめいいっぱい好意的だったのが大きい。
あの人ガチの反ユダヤ主義者で、ドイツフォードの売り上げを
そっくりナチスに寄付するような人だから。
工場や技術の移転にも好意的だった。 このスレで話題だったから、九四式六輪自動貨車の同人誌買っちゃったよ
でもこの流れについて行ける知識は無いようだ… >>541
フォードはデカいエンジン積んでる分パワーに余裕があるのか
九四式はなまじ劣る出力だったから無理に全力運転続けたりしたんだろうか(虎でも似たような話が多い) >>543
失業者の雇用対策でアウトバーン建設で重機使用最小限でほぼ人力で達成したらしいのね
計画はともかく現場は当時の水準でも、およそ正気の沙汰プロジェクトでなかったらしい
まぁ鬼畜デタラメ作家の平山夢明が精神科医春日との対談本で内容が眉唾であるんだけど…
フォードがヒトラー評して「あいつは狂ってる、けどなんか違う…」とか
実行力のある基地外ってことか?
フォードがナチスに多大な献金してたのは事実 平山夢明は保土ヶ谷バイパスを手掘りで完成させるようなもん、とか書いてた >>541
エンジンのポイント性能で追い付くのが1980年代半ばでエンジン全体で見て1990年前後かね。
シャシー性能に至ってはもうね… フォードは日本でも、一貫生産する工場つくる、部品メーカーも全部指導するといって
その計画もできてたが、その計画が実行されるのを防ぐために、日本が法律つくった
アメリカ政府が妨害したならわかるんだが、日本がなんだよね
その後も、豊田と提携して豊田の人間アメリカに呼んで、エンジンのコア技術から
なにから全部教えるとこれまたすごい破格の条件出したけどこれも軍の横やりで白紙
戦前の自動車行政ってなにやりたいのか理解に苦しむ >>548
それはいくらなんでも日本の技術を過少評価しすぎ
戦前戦中、戦後しばらくはアメリカにくらべ技術的にクソだったかもしれんが、
70年代から価格と品質、性能で二輪四輪輸出で日本車は世界市場を席捲してる
オイル・ショックで低燃費でアメリカの厳しい排ガス規制クリアして高性能の
ホンダ シビックやら米メーカーが分解調査してみて、設計思想の進歩ぶりや加工
技術の高さに驚嘆してるよ 1969年のホンダCB750 738t68㏋
1972年カワサキZ1 903cc82㏋やら当時世界最先端の技術で最高出力、最高速誇ったわけだが
それで信頼性耐久性が半端ない
世界中で爆発的に売れたのはむべなるかな >>544
きょうのコミケ行ったの?人混みヤだから、おれは御免だけど
クソ暑いし
軍モノ同人誌は神保町の書泉グランデでも買えるよ >>549
1931年以降と以前で情勢が違うのな
商工省と軍が協同で標準車を作り、国産自動車を育成していこうとなるのがこの時期
有事に自動車製造ができないと困るから、ノックダウンや部品下請は駄目で、完成車が作れることが条件だった
33年に日産が提出したGMとの協業計画は部品の下請から初めて、完全国産自動車は20年後という計画で、勿論却下された
日本は3万台の市場に国産が500台とか1000台で(国が必死で金入れてこれである)
まずは国産車に万の市場を与えて、何とか自動車会社が成立する状況にすることが先決で
性能や価格面で優れてる外国車を廃除する必要があったのよ
だからアメリカ車の製造工場が進出するというのは30年代日本にしたら侵略されるのと同じことで
そりゃアメリカ政府は邪魔しないけど日本政府は邪魔するという >>553
その時代、自動車の製造ノウハウってアメリカの自動車会社しかないのよ
ドイツ、イギリス、ソ連とみんなフォードの指導うけて立ち上げた
フォードの支配人は、日本人は法律さえあれば自動車ができるとおもってるようだが
できるわけねえだろと捨てセリフ吐いたし、実際その通りだった。
だから戦後どこも指導仰いだわけで。
ドイツやソ連みたいに工場進出させて戦争になったら工場ごとぱくってもいいし、
それ以外の部品工業のすそ野もフォードの金で
やってくれるという損得を考えればどうみても得のほうが大きいのだが
高度国防国家とかいう理念だけで現実見てないなと思う 戦前日本が自動車の国産化にこだわったのは、当時莫大な額に上っていた
対米貿易赤字の縮小目的もある。
軍の介入ばっかり言われるが、大蔵省や商工省もかなり強く国産化を推進している。
なので予算がいっぱい付いた。 >>554
フォードの指導受けたのは量産化であって、車作り自体は
ダイムラー・モトローレンや、ルノーの方が古い。 >>550
>>541でレースを例に上げてたから。
トップカテゴリーで結果出せるようになったのがそれぐらい。
F1とかプロトのことね。 日本に似た状況だった戦前イタリアでフィアット500トポリーノなんて傑作車が造られてる
超小型車でありながら最高の技術成果のやつ
小粒だけどきびきび走る様子がトポリーノ(ハツカネズミ)の渾名由来
実際、可愛らしいデザインだしねフランスでライセンス生産されてシムカ
タミヤから模型で出てる
同時期のダットサンと比べると洗練度が段違いだ… イタリア製品は、昔からデザインは秀逸だよな。
デザインは……。 >>559
いや、メカニズム的にも当時のブレイクスルーだったとか
現代でも大排気量の高性能車より小排気量の高性能のほうが、技術難易度がずっと
高い
ここんところの戦前クルマ話題だが、二玄社の「世界の自動車」シリーズがいいよ
初版が1970年とかで古本で数百円程度で買える
おれはフォード、オペル、ベンツ、フィアットとか持ってて、もっと揃えたい 戦前の日本の自動貨車生産台数は民間合わせてトータル40万台で
実はソ連に送られたレンドリースのトラックに数だけなら良い勝負というね
質という面では欧米に対し二流だが、ロクでもないほどでもないまでには改善されている
むしろ、例えば大陸打通戦では12000輌の自動貨車が動員されたりと、燃料の方はどうなんだというぐらいでなぁ
それでも最前線を突破する第11軍は、中国軍の籠る内陸部に進撃したが、車が入っていけない様な所だからとひたすら山道を越えて徒歩進軍…とね
トラックは植生や気候からして熱帯地方に限り
馬の方を大量に飼育した方がいい
タネはなんとか揃えられない事はない
戦前の日本に必要だったのはそういう大量飼育ノウハウを持つ業者と史実以上の化学肥料を賄える化学工業ではないかと思う
第一次大戦は日本の年産の砲弾を一ヶ月で浪費する様な、スマートな機甲戦というより砲兵火力の戦いであったが、馬の飼育において勝る各国はその補給において(自動車もあるが)主力は馬匹でなんとか成り立っている 一次大戦(西部戦線)は塹壕のすぐ後ろまで鉄道が来てたから補給はまだしやすかったけど、
二次大戦の東部戦線は、ドイツ軍ですら後方における輸送の主力が馬車だもんな。
バルバロッサ作戦に投入されたのは、将兵300万人に戦車装甲車等3500台、7000門の火砲に
1800機の航空機。60万台の自動車と、75万頭の軍馬だった。 コストパフォーマンスという面ではむしろ馬の餌代の方がバカにならない時代だったから、コスパの良い自動車化は日本もトレンドだった、それは方向性としては間違いない
しかし実態として工業力上の問題があるのもまた現実
金を取るか実を取るかどうかという話である
馬は草食動物といっても、激しい運動量をこなすので人間以上に穀物系(炭水化物)を食ってないとやっていけないからな
農業国が必ずしも工業国に侵略占領されず存続し続けたのはひとえに兵站の強さ、馬の力のなせた結果だし
馬の餌はある意味ガソリンにも相当する >>554
1920年ならその理屈は通じるが
30年になってもノックダウンのままで、ノックダウン工場接収してどうするんだよって話で
ライセンス生産を10年間蹴り続けてきたからね
しかも製造事業に関する各社各省庁の会合が始まるのは1933年で、自動車製造法の時間切れは38年
フォードは5年間何やってたんだ?
接収すれば良いというなら、それこそさっさと進出すれば良いのにしてないんだぜ
この間に書類しか無かったトヨタや日産は曲がりなりにも数千から万規模の完成車を送り出すまでになった
同じことはフォードだって出来たのに、彼等はしなかったのさ
1945年になっても27年式40馬力を作り続けてるのがソ連フォードの実態
そりゃインターナショナルのトラックを絶賛するよなあというw
夢みたいな話は夢の中にしか無いのである いや、明治維新以降人口が倍増し国内で米の自給量は辛うじてペイしてたが、貧民は国産米
喰えず安くてまずい南京米を主食にしてた国だぜ?
口減らしで遊郭に娘を身売りやら、満州やブラジルに次男以下移民させてたくらい
人間がまともに喰ってくのに大変なんだから馬の頭数と飼葉増産もたやすいことでないよ
いざ、支那事変勃発して必要とかられても、おいおい駒補充できるもんかい! >>565
米の自給はペイしてないし、身売りや移民は昭和恐慌以降の事。
トドメになったのが世界恐慌。 そこらへんは工業傾斜方針の違いだと思う
工業において日本は造船や鉄道、そして昭和以降のトレンドとして自動車や航空機などの重工業化路線を取った
化学工業において十年単位で出遅れた感は否めないのではないかと思う
もちろん戦前の化学肥料史はちゃんと存在する
完全有機栽培の作物は現代でこそステータスで拘りはあるが、俺が当時に生きていれば何であろうと口に入れただろう
これもまた化学工業化の遅れによるものであるからな
重工業・兵器産業への傾斜を見直して、もうちょっと適当なバランスはあったのかどうか、など興味深いと思う >>562
二次世界大戦もドイツの輸送メインは
基本鉄道だよ
石炭だけはよく取れるから燃料には困らん
鉄道で近場まで運んでからは
馬とかになるけど
あと、オペルブリッツとかのトラックは
日本より遥かに多くが生産され使用されている 生産量的にはペイしてた。貧民の口に入らなかっただけでね。輸出してたくらい。
ウクライナの飢餓輸出みたいなもんかな
それで安い大量の外米を輸入してた。
ペイしなくなるのは支那事変後だよ
農村の働き手がどんどん招集されて、化学肥料つくってる会社が軍需生産に転化されるように
肥料入手がむずかしくなったから あ、開国以来一貫して主力はあくまでも農業・軽工業なのは事実なんだけど、大正、そして昭和以降の「新規予算配分」の話ね
概して、大きな事を始める時に予算は動く
エネルギー問題然りだ
その方が予算を取りやすいからな…
日本が化学工業拡張路線を主に革新期を迎えた日露-WW1以後から本格的に取っていたら、日本にはいくつも化学工場が立ち並ぶ風景が見られたかもしれない
それこそ自動車工業化よりも個人的に面白いのではないかと思う >>565
基本唐人の馬は
トラクター代わりの農耕用だから
馬の餌とかはまた別の話だ
何処の国も農耕馬とかを国が記録していて
戦争が始まると、人間と一緒で赤紙が来る感じ >>564
えーと事実誤認が激しすぎて正直相手する価値があるかどうか疑わしいが
1930年代初めにフォードが部品から一貫製造の向上計画を立てる
これに危機感を抱いた日本が自動車製造法の制定を急ぐ
ノックダウン工場接収してどうするって、ノックダウン工場じゃない
新工場設立しようという段階でつぶしたの日本
1934年に横浜の土地を買収、日本政府に設立の許可を提出したが許可が下りなかった
5年間なにやってたかというと日本企業と提携してOEMという形で生産続行だが
豊田、フォード、GM日産の合弁会社設立までは来て陸軍省整備局は賛成し設立を許可したが
陸軍の他部門からの横やりがはいってこれもなしに
彼らはしなかったってなにに基づいて言ってるんだ? >>564
GAZ-AAは
正確には
1938年から50馬力にパワーアップした
GAZ-MMに切り替わってるでw >>568
でもな、東部戦線はソ連の線路が広軌で規格違うし、パルチザンが邪魔しよるから、
鉄道輸送はかどらんのよ。
ソ連はそんなに鉄道網が密でもないし。
>>569
日本国内の基準によるけど、朝鮮台湾を除いた内地ではペイしてないよ。
昭和一桁時代の米の生産量は、内地に限るとおよそ6000万石。
人口7000万人の消費量には全然足りない。
昭和10年実績で、朝鮮から900万石、台湾から360万石入れてるので、
それでやっとトントンか、ちょっと足りないくらい。
高級米を輸出して安い米を買うのは、嵩を増やすためだからな。 第一次大戦の英軍とかまさに「火力!火力!火力!」な感じだけど
工業国のイギリスでも馬頼りだったんだよね
「戦火の馬」を見ると、英独軍ともに馬は貴重、そして消耗品でもあったんだなと
ちなみに第二次大戦で戦没した日本の軍馬は100万頭にものぼるらしく、軍人の戦死者230万人の半分弱にもなるという…
関特演では13万頭の馬を動員で当時陸軍史上最大級というが、馬というのは種付けしてから一年弱で出産、3歳になるで4年かかるとしてとてもじゃないが戦時に応急で揃えられるものではないな
やはり現地から失敬したりしたのかね? 競走馬は二歳デビューだから、もうちょっと速いのでは? ほらやっぱり日本は、近代文明や科学技術を全く理解できなかった劣等国家だったんだな >>575
そういう例もなかったわけではないが、それで賄えるはずもなく日本にいた馬は根こそぎ動員された
そんなもんで昭和20年の機動師団の連隊長は、応召の老人の大佐が、老馬にまたがるという >>572
商工省標準車に着手した後に言い出したら、まあ大体にして排除ていうか厳しい対応にならざるを得ないっしょ
そしてグラハム・ペイジは工場とライセンスまるごと日産に売る形で事実上の日本進出と国産化を達成した
まあグラハム自体には何も得るものはないんだけど
言い方を変えると
フォードは日本の軍や商工省を説得しきれるだけの条件を提示できなくてグラハムペイジに日本進出競争で負けたんだ
日本はちゃんと米国現役自動車メーカーの設備と技術を導入することに成功してるんだよ
それが戦後には消えちゃったフォードに劣るものだったとしても、まあそれなりのもんをまるごとゲットしてて
この自動車製造法では日本側は別に損をしてない、うまいことやったなと言えるぐらいじゃないかな
>>573
MMで馬力上がったのね、サンクス >>579
いやまったくできてない。自動車工業のキモは膨大な部品産業のすそ野で、
日本はこれがまったくなっていなかった。
一例をあげれば、日本には戦前ショットピーニングの技法そのものが知られておらず
エンジンのスプリング、サスペンション等が劣っていた
自動車製造工場の設備だけ手に入れたからでは根本が手に入れてない
フォードの金で、それをやってくれるという大チャンスをぶん投げた大損だよ
こんなことやるなんてはっきり言えば破格の条件で、
商工省と軍がとにかく国産教にとりつかれていただけだ 五年後に国を挙げての総力戦すると知ってたならともかく、知らなかったなら
国産にこだわるのは大いに理解できる話ではある。
フォードやGMに工場作られたら、当時の日本メーカーなんて対抗できるわけないからね。
貿易赤字解消と言う意味でも。 いや〜むずかしいことはよくわかんないのですけど
昔、祖父に聞いたところでは、戦前のトラックの評判が悪かった
(スピードも出なかったのではないか?)のでは
との質問に早期にはそうだったかもしれないが、後期にはそう悪くもなかった
との答え。どのくらいとの質問に100キロくらいとの答えでしたよ。
運転免許については根本博軍司令官名で運転免許状を交付されていたし
記憶では昭和18年の応召ですから、100キロくらいというのは実体験と思います。
ここからわかるのは少なくとも→軍で運転免許取得制度をもっていたということ
→北支で100キロ近くを出す環境があったということ
→100キロ→舗装またはそれに準じた整備が
されていたということ 書き忘れました
→100キロを出せる信頼性を持っていたこと 性能、信頼性、扱いやすさ序列でいうと
フォード、シボレー>制式(九四式六輪など)>豊田、日産やら制式でないもの…になるんで
ないかと
もちろん、メーカー別というより車種によって出来がちがうだろうし、時代経るにしたがって
国産品質もボトムアップしてると思いたいが、却って省力化と材質低下で品質がかなり落ちてるんでないか?
ヘッドライトが一個とか情けないし
ドイツもそうだけど木製の角ばった省力キャブは恰好わるいぞ
フォードの定評は熱河作戦の実績で喧伝されたけど、シボレーはならび評されるけどそれほど有名では
ないよね… 戦前戦中のトラック蘊蓄はやはり五十嵐平達さんの記事が古典かねぇ
模型誌、車誌、ミリタリー誌で研究成果を発表されておられた
NHK番組「ドキュメント昭和」の書籍化「アメリカ車上陸を阻止せよ」とかもある
インターネット発達した現在だと、もっと精度の高い内容がままあるが
むかしの古本読むと内容の錯誤ふくめて、いとをかしなんだな 追記 高橋昇さんの「日本の戦車と軍用車両」も労作と思う
熱河作戦でのフォードトラック活躍エピソードがでてくる
>>539
国産車とフォード、シボレーの性能対応表がある
エンジン出力と積載能力の簡単なものだが >>564
ドイツ軍は大戦初期以外、ほとんど1938年式の剣道面タイプ(日本軍も多用)以降のフォード
使ってんだから露助馬鹿にするよな「こいつら10年前のモデル使ってやがるwww」って
「スタインベック「怒りの葡萄」仕様だッ!」と感銘うける映画好きドイツ兵も稀にいたかも
しれんが… >>580
しかし、フォードは本気で日本に工場作る気あったんかね?
世界恐慌のせいで、1930年に3000万ドル、31年に7000万ドルも
最終赤字叩き出してるのに。
昭和6年の1ドル2円換算だと、2億円相当。戦艦大和の建造費が1.3億円。 トヨタAA型
エンジンはシボレーのコピー
シャーシはフォードのコピー
ボディはクライスラーのコピー
こんなもん、準国産に拘るのはバカ
あと直6は当時GMがトップでシボレーを元にするのは確かに正解なんだが
(フォードはこの当時、直6をすっ飛ばしてV8をいきなり作る、所謂アーリー・フォードV8)
直6は長いシャフトの剛性が必要で、二流メーカーのは剛性不足でポキポキ折れて耐久性が無い
当時のヨタのようなデッドコピーエンジンはシャフト剛性不足で
エンジン寿命が短いし、高負荷をかけるのは非常に危険
独自開発するだけ無駄の塊 >>588
この当時のフォードは
古い直4からV8への転換期で
古い直4の生産設備を売りたがっていたのは確か
ソ連が買ったのも古い直4の生産設備
生産設備を売れば現金も入る
あと、軍艦と違って生産設備はその後利益を生むからね
今でもスズキとかが同じことをやっている
日本で生産が終わった古いアルトの生産設備をインドに持って行って
生産しとる、車業界ではよくやっている手
フォードのラインを買う場合一番デカいのは
生産技術と品質管理を体系だって学べる事で
これはWW2中日本だけが唯一持っていなかった部分 >>590
売るんじゃなくて自社工場を作る計画だったんだろ?
生産設備が利益を生むのはちゃんと動いたらの話で、不景気で車売れなくなって
ラインが止まったら利益どころか赤字出すぞ。だから赤字なんだし。
設備の維持費って存外金がかかる。 >>591
日本は世界恐慌からいち早く立ち直り、満州事変以降好景気にわいて
主に軍需だが、車両需要も増えてたので本格的に進出してそれに食い込めれば金になるという
判断はなにもおかしくない。 >>592
それなんだけどさ。
世界恐慌っていわば市場の喪失な訳で、二次大戦の遠因にもなったブロック経済圏って
いわば市場の囲い込みな訳じゃん。
だったらなおさら、日本としては他国の企業に需用を食われたくないと思うもんじゃないの?
わざわざ満州事変案で起こして円ブロック圏の確保に走ってるわけだし。 >>593
だからこその現地生産拡充なわけよ。税収は日本政府にはいるし
なにより膨大な人数の日本人の雇用が生まれる。
イギリス、ドイツ、ソ連とアメリカを締め出した国々も
現地生産拡充しますは税収と雇用を生むから歓迎したので、日本もそうだろうと考えるさ >>594
世界恐慌で失われたのは消費・重要な訳で、ブロック経済圏はそれの奪い合いでしょ?
外資入れるの歓迎したのなんて、ソ連だけじゃないか?
あそこは計画経済で世界恐慌の外側にいたので。 >>595
イギリスにはイギリス最大の自動車工場たる
フォードの工場があって、そこから生産される自動車が
イギリスの市場を占めてたし、ドイツにはオペルを子会社にしてGMが進出してる
どこの企業かではなく、どこで作ってどこに金落とすかを重視してるのよ >>596
えー、世界恐慌期には英国もロールスやらローバーやらモーリスやらレイランドやらフォーデン保護してるべ。
元々生産過剰で需要が不足してるのに、外資の生産推奨するはずがない。
需用の枠が限られたものであるなら、どこの会社が作ったって同じだけの雇用な訳で、ならばできるだけ
自国企業のほうが良いに決まっている。
オタワ会議の決定を遵守するなら、イギリスの企業が車用に輸入するゴムにかかる関税と、
フォードが輸入するゴムにかかる関税は大きく違ってくる。 >>597
その恐慌期の1932年、ダーナムで生産されたフォードのモデルYが発売され
英国内で£120という安価で販売され1933年には3万台以上を売る大ヒット作になり
最盛期はイギリスの市場の4割を占めた。 >>597
またフォードモデルCはライバルのルーツ自動車のヒルマンミンクスが£159
だったのに対し£135と安い。このように外資の生産推奨するはずがないなんてことはない >>598
えー、1932年の英国の乗用車生産台数は17万台なのに、年3万台売って四割?
ちなみにイギリスは世界最大のブロック経済圏を構築できた国なので、一番国内産業の保護に成功した国でもある。
大恐慌前の1929年と32年比の乗用車生産台数で、
アメリカ 460万→110万
イギリス 18万→17万
フランス 21万→14万
ドイツ 12万→4万
イタリア 5万→3万
日本は1000の桁で四捨五入すると0万→0万である意味一番無敵とも言える(言えない) >>600
1933年の数字だもの。初期だけ売れて終わりなんてわけじゃないしな >>601
「最盛期はイギリスの市場の4割を占めた」って言うけど、その最盛期っていつ?
そしてその四割は、その年の販売台数? それとも保有台数に占めるシェア? 1936年から自動車製造事業法でバリバリ国産優遇した日本でさえ、
1937年は国産1.8万台に対して、輸入車と輸入組立車が3.2万台。
38年になっても2.4万台対2.1万台だしなぁ。
四割はアメ車が占めている。 >>593
ブロック経済圏がわかってねぇな
当時は不換紙幣で
国同士で適当にお金を刷りまくっていて
コンピューターの無い時代でそんな事やったから
交換レートが弾き出せなくなっただけだよ
だから外国から大事な物を購入する場合
ゴールドとかしか無理になっただけだ
こういう時、生産設備はゴールドと同じ働きをするし
車も同じだ
車も生産設備も輸出入はゴールドで取引になる
車の輸入が減れば、国のゴールド輸出は防げるし
車を輸出できればゴールドが手に入る >>602
Ford UKのHPによると1937年
1937 – At it's peak the Model Y captured 41% of its market sector. >>597
イギリス・フォードはトラクターも作ってるから
食料生産にもかなり貢献してるんだよ
しかもこの後、戦争が始まったら360,000台の各種車両と
34,000基のロールス・ロイス マーリンエンジンを生産したから、とんでもない貢献をする事になる
マーリンエンジンは週400基生産と言われ、これは元のロールス・ロイスの月単位の生産に匹敵するとか
しかも品質は本家ロールス以上の仕上がりで
この辺の生産お化けは、やはり車メーカーならでは >>604
日英が金本位制やめたの1931年だし。
アメリカは1933年で、世界恐慌のせいでだろ。
フランスは1936年まで粘った。 >>605
どっちかわからないけど、出荷に占める割合と仮定して。
1937年のイギリスの乗用車生産は39万台。
これの41%と言うと、16万台だ。
イギリスにおけるフォードY型の生産数は、1932年〜37年でダーナム工場とコーク工場計で16万台。
これ累計を一年に盛ってるよね? やっぱ高校、大学で乗馬部を補助金で支援するとか
主要観光地の巡回路線を馬車にするとかして馬に接する機会を増やすのが
豊かな国のあり方じゃないかな
タイの象に乗るアトラクションとか人気あるし、馬に接するのは情操教育に良いと思う 日本の馬術界ってどんなもんやろ
秋山好古と西竹一のお二方しか知らんわ 航空関係はグライダー部とか作って普及を図ってたな。
馬は……一部田舎だと家にいた勢もそこそこいた時代ではあるけど……。 家で馬飼ってた人は優先的に砲兵とか輜重、歩兵でも歩兵砲隊に回されるとかあったのかね?
シャバで土方だった人は優先的に工兵に回されたそうだけど。そのせいで工兵は気が荒いといわれていた。 自動車運転技術、料理人、医療薬学関係者辺りは入営前の職業が考慮された話を聞くけど
馬の扱いはどうだろうなぁ
20歳徴兵じゃなくて戦時の召集は社会人経験ある人多いから、色々考慮されたり
考慮されなくて不満覚えた回想記があったりするな 川と海でヨット部、ボート部を支援
現代日本がイマイチ幸福感や一流国としての豊かさが感じられないのは
アンティークな工業品の趣味、乗馬、ヨット辺りが弱いからかな
米国のクラッシック機やスポーツフィッシング、ヨット、カヌー、エクストリームスポーツとかアウトドアの多彩な趣味が裏山 戦中、早稲田に野砲班なるものあったごとく、大学に砲術部でも助成金でつくればいいんだよ!
夏休みに陸自に体験入隊とかな(笑)
ストレス発散で155mmぶっぱなしたくて勤め人の有志も殺到しそうだ
下っ端は当然撃たせてなんかもらえない。ひたすら砲弾を人力搬送と砲弾磨き、煙突掃除人よろしく
砲腔清掃だ
精神と肉体を鍛えたのを万人に認められて修了証が与えられる
資格ゲットのセレモニーは発砲時、紅白に綯った拉縄をひいて、さめざめと感涙に咽ぶつー
寸法だ >>607
幾らなんでもブロック経済知らなさ過ぎ
1929年から、通貨切り下げ競争が起きて
結果として金本位を維持できなくなったんだよ
何で金本位できなくなったかちょっとは考えろ >>600
そもそもイギリス フォードは国内生産だし
あと、フォードYってのはイギリスの馬力規制税制に合わせた
小型車で
当時の主力A型やB型の直4の3.3 Lでは大きすぎたので
1Lの直4にまで下げたもので
日本で言えば、フォードが軽自動車作って売った的なモデル
一つ上の1.2LのモデルCすらイギリスでは今一売れなかった >>616
むしろ最後まで金本位引っ張ったフランス・オランダ・ベルギーの一群は
ゴールドブロックって言われていたけどな。 >>617
むしろ工場名まで出てるのになんで国内生産じゃないと思ったの?
そもそも当時イギリスで販売台数的に主力だったのは小型車だからな。
29万台を売ったオースチン7なんて0.75Lだぞ。 >>608
日本なんか戦前でマックス合計10万両くらいしか車両作れん勝った
戦争計画の失敗は鉄鋼生産増強ー自動車製造増やすとかの措置が
海軍建設より後回しにされた。これが敗因
馬鹿海軍が暴れて軍拡するからアメリカに警戒されて競争不利になる
開戦や衝突が不可避なのはりかいできるが、海軍のミスが不利な驚異論と警戒包囲網を大きく誘発しつつ
工業近代化を事実上遅滞させてしまった
これ多大なミスなんだよな。海軍は幼稚に派閥×軍産複合体主義に走って結果ミスリードになった
もっと自動車×弾丸×製鉄にリソースさいてほしかった。 日本の自動車生産が少ないのはエンジンの供給が少ないからで、それは航空機と
被るからでもあるからなぁ。
鉄の問題じゃない気がする。鉄なんて輸送船一隻作るのやめたら何千トン単位で浮くんだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています