【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る30
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1521181588/
■関連スレ
【6.5mm】日本軍歩兵火器総合 5挺目【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 分解した部品を木材で格子組んで神輿みたいにして担いで山越えは常套手段だったみたい
「わっせ、わっせ」で祭りの神輿担ぐ疑似体験味わえるだけあって、現代よりも
かなり郷土意識濃厚な当時の日本兵にはずっと高揚感あったはずだとは思う… 全国的には神輿文化圏より山車文化圏の方が広いんじゃなかったっけ? >>308
4トン切ってる九二式十加はともかく
砲身だけで約7トン・・全備で25トン近い九六式十五榴野戦重砲は無理じゃねーの・・・ いやw
野戦重砲兵 十加または十五榴
重砲兵 十五加以上
だろう
野戦付いてないと実質攻城砲か要塞砲、辛うじて八九式十五加が野戦用ぐらい >>310
山車は道路が石畳やら貝殻敷き詰めた都市限定だな
大規模な京都や大阪、江戸の城下町のみ
城下町でもちんけな地方だと道路整備なんててんでダメだから都心の狭い範囲で山車
ぐるぐる牽きまわしてる
ちびくろサンボの虎の呈だ そのうちバターになっちゃうような… 大雑把な分類差で山車は西日本、神輿は東日本と地形の険しい地域なんでは?と思うけれども ビルマの戦時記録でトラック本体まるごとワイヤ−、ウインチでむこうの山に渡す映像もあった まー簡単な道具で部品で1t越えると人力で牽いたり担ぐのは難しいとは思うね
なんとか橇で牽くか、コロ使うかだろう
二十八榴弾砲の部品輸送でコロ使ってるのが写真であった
ピラミッド建造してる石搬送してる古代エジプト労働者の多少は進化した姿かな?と思ったけど 最近の考古学成果判明で、スロープ牽くのに人力だけでなくウインチを補助で使ってたり、
高低さある工事箇所に原始的なエレベーターで石を楊重してたそうな >>313
地方城下町だけど、川越祭りは、山車だけどな。 >>313
地方城下町だけど、川越祭りは、山車だけどな。 小江戸ね
やっぱりちびくろサンボの虎みたいにぐるぐる周回してんの? >>320
ちびくろさんぼ。懐かしいな。幼稚園であったような。
保育園?。そんなもん必要ないでしょ。離婚しなきゃいいだけの事。
仮称:男女平等の結果だよ。
我が儘をなんで政府が面倒見なきゃならないのか。
ならぬならぬは、我慢が足りぬ。
昔の兵隊さんに顔向けできぬ。 黒人差別表現にあたるとかで現代は発禁とか、否、ひそかにいまだ刊行してるとか
よくわからんグダグダなようですね >>309
戦前に砲兵の訓練のときに近所の爺さんが弁当持参で見物に来てたなんて話もある。
年代からいって自分らが若い頃に日露とかでやった御輿かつぎを地元の若い衆がやってるのを見るという乗りだったんだろうね。 冒険ダン吉も復刻版を小学生のとき読んでたいそう面白かったんですが、
南洋土人表現が現在は御法度のようです >>307
そういえば長谷川一夫の戦友で、どうひいき目に見ても足りない困ったちゃんがいたとかいうね。 九二式重機の四人搬送体勢はまんま神輿スタイルだしね >>325
ニューギニア砲兵戦記でもアレな兵隊が中隊にまわされたとか、中隊長の記録にあるし 100kgの砲身を屈強な山砲兵が一人で担ぐ事が出来るので
木材を組んで四人で神輿のように抱えれば400kg
実際ベトコンでそういう運用をしている運用を見た事がある
野砲程度までならギリ分解担送出来る
ただし分解運用を本気にして設計してはいないのであくまで曲芸的なワザね ブーゲンビル島だかで250kg爆弾を夜間に台湾高砂族がそれ方式で運んで埋め即席地雷にしたそう
翌日に歩兵満載した豪軍M3中戦車が踏んで、木端微塵ミンチになった記録がある 神輿に補助輪みたいな追加装備があればよかったのにな
建設業の人間ならわかると思うけど、ALCとかロックウォールやら移動する台車二輪が
あるんだよ
魚雷形の満タンなら一本70kgぐらいの酸素瓶、アセチレン瓶を二本連ねて傾ければ
ひとりで楽に移動できる骨組みだけのリヤカーみたいのもある
これはソ連の120mm迫撃砲台車を彷彿とさせる形状だね 朝鮮のこれになるやん。
ttps://hinode.8718.jp/images/korea_road/korea_road_006.jpg >>330
「そういう発想がなかった」が一番でかいんだろうけど
担送する場合補助輪がデッドウェイトになるシチュの方が多かったのも一因
整地されてることの多い現場で車両や置き場と建物の間動かすのと
まともな人道かも怪しいようなところ延々と担いで運ぶのは違うから
97式(軽・中)迫撃砲の補助床板置いてったり、軍補給廠に置いてあった三一式速射山砲引っ張り出して交換したりしたのも軽くするためだし >>332
ナイスwwwww
あなたに精勤章を授けよう キャリーバッグ的な用法としても使える背負子が欲しかったな…
要はキャスター付いている背負子で、背負う必要がない時には引っ張って使う
アフリカの人の水運びで、ウォーターローラーなるものがあるが、あれを見た時にはなるほどと思った
ああいう牽引できるものと、背負える機能が一緒になれば便利だろうになぁ >>332
これは牽いてみたい…
悪ノリでがんがんスピードあげて曲がり角をドリフトクリアとか
乗ってたやつが放物線で民家障子突き破って夕餉のちゃぶ台粉砕したりな
晩酌のお父さんもビックリ! >>327
大畑さんの話かな? 何かの物理的ではないショックで頭がスッキリして直ったとか。 アレな兵隊がほかに負担かけてることを気にしてて、山芋採ってきたとかだったと思う 陸上自衛官やってた浅田次郎「歩兵の本領」にもその手の話があるな 5cm PAK38は脚に装着する補助輪がほぼ標準装備だった
人力での移動を容易にするため三輪車で牽くわけ 今でいうところの発達障害の兵士って、いざ敵戦車に出くわしたら砲兵中隊でも真っ先に鉄砲玉として突っ込ませられたんだろうか
砲兵の自衛戦闘も考えると発射速度高くて榴散弾も威力発揮出来る野砲って捨てたもんじゃないのかもね いやいや、たいがい陣地を暴露させて危険を増加させるだけだからそれはまずいんでないの
敵の裏斯く囮の欺瞞工作理解できるレベルならいいんだけども
彼らはもっぱら補助業務でしょうよ 装填手とか。戦車兵だと、いちばん経験の浅い兵が割り当てられる
これとてあまりに問題ある兵だと掌が閉鎖器にひきちがれるからなぁ… 労働基準法では労働事故を防ぐため
一人で60キロ以上持ち上げるような作業は禁止で
機械か増員が必要らしい
山砲の砲身は100キロ以内
2人で持つのが制限内なのか 砲兵ってエリート兵科だからよっぽど何かの間違いがないと変なやつは配属されないはずんだが
その間違いが起こるのも人の世ではあるが >>343
戦車の装填手は、全員の仕事が見られるから将来の車長候補が割りあてられると聞いた覚えがあるのだが。 二次大戦のドイツ戦車兵だと>>343の通り
米軍だと車高が高いため背がたかくて体力のあるのが装填手
人力で発射速度稼ごうと思うなら、妥当な考え
小柄で機械に強く、かつ体力のある兵というやや相反する条件をもとめた他国にくらべ
アメリカは自然というかノーマルな選択な気はする
おれが知ってるのはここまで
他国の戦車兵選考基準を知ってるひとがいたら教えて ソ連邦だときびしい車内スペース制限から戦車兵は身長163cm以下とかあった
T62とかの時代 >>345
平時ならまずありえない事態なんだが、大戦争突入根こそぎ動員、さらに負けが込んでドイツも日本も人材が枯渇して精神薄弱な兵
が砲兵隊に配属されるわけ。調べるといくらでも記録がでてくる
さすがに陸軍で最高のエリート兵科戦車科では稀だったけど
だいいちそんなのは戦車の機器を一か所だけでも到底正常に操作できまいよ 日本軍は積極的に知的障害者や今で言う発達障害児を徴兵した軍隊だよな
以下Twitterのミリタリークラスターより、なるほどなぁと思ったので引用
>清水寛『日本帝国陸軍と精神障害兵士』読んだ記憶だと、兵隊を送り出す杜撰なノルマ、当時の精神障害に関する知識の乏しさと障害者の社会的地位の低さが「一人前の兵隊」と見做す名誉回復意識として親にとっては救い、採用側にも「いい事してる」感 ただ、障害のある兵士を押し付けられる現場から見れば、たまったもんじゃないだろうなぁ
安易に鉄砲玉として突っ込ませようにも、それすら怪しいか
弾除けにすらならないなら、いよいよ前線での食糧問題を悪化させるだけだし
「程度」はどこまでアレな人が入ってきたんだろうかねぇ
この書き込みで気を悪くさせたら申し訳ないけどね。でも軍隊関連でこういうのはタブー視されてて今まであまり語られなかった気がする グランドパワーのモンゴル射撃ツアーで古瀬さんがT62でもギア・チェンジの際はジムのウエイトトレーニング
マシンで運動してるようだったとか書いてた
シフトの際、レバー引くのにとなりの無線手が手伝ったり、T34やKVの時代は変速のときは
レバーをセットハンマーで叩いたりしてたくらいの肉体労働だった >>352
最近は戦争神経症の話題で国府台のとかNHKででてくるよ
戦地で心を病んだ兵隊の記録や痴愚の範疇ももちろん含む
おれ、市川の医大の仕事してたこともあるから身近なんだけども >>354
なんて言うか、俺以外の方は言葉を濁されているけど、あの方々のほうですよ…
ほら、どこよ小学校にも特別学級とかあったでしょ?そっち系の人
サイコパスな兵士は、そりゃ各国軍隊に付きまとう話だけど、生まれながらの方の人よ 池沼、知的障害者連中か…
ソビエトは一体どんな連中を動員してたんだか おれの時代はB学級と呼称してましたが…
国府台はもちろんそちらのカテゴリーをも範疇に収める陸軍施設でありましたよ
大戦末期のドイツでは軍法会議に出廷する兵でそれ系の比率と数が急騰
戦局もさることながら、あまりの事態に法務将校が悲鳴をあげたとか >>352
てか基本的にそういうのは徴兵基準に達してないから徴兵しないから
贅沢言ってられなくなるとまあいろいろおかしなことになるが
陸軍の戦争末期の内務班に横行した暴力とかいろいろ語りぐさになってるけど、
あれって他にも理由はあるにしても根幹にあるのは、要するに口ばっかで出来ない不適合なもやしをなんとか使えるようにと悪戦苦闘だったり、
それでも煮ても焼いても使えなくて業を煮やした結果だから
帝国陸軍って新成人の1/5以下の知力体力に優れた若いのしか扱ったことなかったから、
それ以外をなんとか使い物にするノウハウを持ち合わせてなかったし妥協も出来なかったと
弾除けにも出来ないってかまず行軍について来れないから、外地に出しようがないはずなんだが…
バブル期の自衛隊伝説じゃあるまいになあ… 水木しげるも発達障害
やつのせいで分隊が敵に急襲され全滅したんだな
下手人みたいなやつだけのうのう原隊に戻った。遺族としてはたまったもんでないよなぁ
それが、本人は気にしなくとも家族が配慮して復員後境港にいつかせなかった理由らしい
その件で罪悪感まったくないのが彼らしい
呉智英が水木のことを「知能の高い山下清」と評してた
変人で問題行動多すぎで当然、軍隊では中隊一ブン愚られてた
そんな奇人異才が片腕失いつつも生還したからこそ、戦記マンガ傑作「総員玉砕せよ」
がいま、われわれが読めるわけではある 毀誉褒貶あれど、ダイエーの故中内元軍曹は兵隊として能力的には侮れない優秀な人だったはず
でないと30cm榴弾砲の担当、下士官で本部勤務騎兵、憲兵以外で軍刀下げてやしないよ 最近、田中角栄の軍隊時代の本もでてて、読んではいないが、階級は低くても当時から傑物だったみたいだね
上官が頭あがんなくて、田中への特例を頻繁に特例で許したとか
事務処理能力が抜きんでてたそう >>357
まず、まともな陳述すらできないだろうしな
検事も弁護士も迷子の迷子の子猫ちゃん状態に陥る…
それでグダグダしてる間に終戦、免責のオチ >>356
当時のソ連兵は知能はふつうでも文盲の比率がかなり多い
都市生活者の比率が高いのにくわえ、革命後のインテリ迫害で共産党幹部以外の
知識階級の数がかなりすくない国内人口と国土の広さからみて異常なほど
そんな連中がドイツ侵攻満州侵攻で強姦略奪の限りを尽くして汚点のこした
まぁ、当然の結果だよね
日本だとアタマが中学生以下で性欲猛りまくった20代で連中が勝者で銃もってるんだから 知的障碍者徴兵に関しては新書「皇軍兵士の日常生活」がくわしい
体力使う職業柄、従来は市井よりずっといいもの食べられたはずの兵営食事が戦局の悪化で
質がみるみる低下していったやら、飢餓のメレヨン島の例とか >>360
騎兵は下士官でも軍刀(騎兵刀)吊るべ。 騎兵は兵卒でも騎兵刀と四四騎兵銃と下士官用長靴か三つ留め革脚絆だね
誤解させる表現だったならすまぬ 連隊内の軍医が初年兵の知能検査を毎年やってて、昭和17年あたりから香ばしい数値
になってきたそうだ
完全にアウトな兵が終戦まで鰻登りの青天井とな… ということは、ギリ・ストライクなのも相当紛れ込んでるの自明ですわね >>339
完全な運痴がいたらしいね。
中国だったかの動画でもいたな、投げ方自体がおかしい上に、手を離すタイミングが異常なせいで目の前に落としたやつ。
何で模擬弾で徹底して練習させないのか分からんけど。 >>359
上手いこと迂回して襲撃されたなら分かりようがないわけだから、さすがに「やつのせいで」というのは言い過ぎだろうが、相当程度の困ったちゃんだったことは間違いないな。 >>373
というか小学校中学校の体育で見てれば分かるな。 >>374
水木が歩哨役目で望遠鏡で監視してたわけだが、鳥に見とれててほかの連中を起床させる
のが5分遅れた
定刻どおり起床させていれば、襲撃されても半数は生きていただろう よりによって朝五時まえの敵襲でいちばんヤバい時間帯に水木に歩哨やらせたのが分隊長
の大失態ともいえる
普段まったく使えないから、眠さMAXタイムに下っ端水木二等兵に押し付けたんだろうけど 寝てる間に簡易宿舎撃たれて起きることがなかった
飢餓や病気で苦しんだわけでないから、ある意味幸せではあるな 原作もさることながらドラマの鬼太郎が見た玉砕も良品だったね
被服の色褪せ具合で個々ちがうのやら、当時の日本兵の装具着用さまがリアルだった
なにより主人公、丸山役の香川がマル眼鏡にあうんだなぁ
昔の日本人顔だから かつて漫画界大御所で紫授褒章までうけた水木先生はいまの蛭子みたいなもんだろ?
テレビでは人のいいおじさんキャラで通ってるけど
通夜の席で「ククク…」と笑うとんでもないやつ
wiki参照のこと 小隊で当時としてはかなり大柄の背が170cmあって体格もよかった水木は一番だったそう…
ふつうは砲兵に配属されるんだけど、歩兵だった理由とか…
徴兵されるまえに役所が本人調査を詳細にしてたからね
明らかに不適な兵科では採らない 高度な技術兵である航空兵、戦車兵、砲兵
その点、歩兵は吹き溜まりだ 初年兵で優秀なのももちろんいるが 対米英戦発起して戦線が野放図なほど拡大、水木先生が昭和十七年招集だから、
徴兵選考基準がかなり怪しくなってきた時期だしね 村で鍛冶屋してたのが騎兵、砲兵、輜重の蹄鉄兵に配属されたりね
徴兵システムが機能的に作用してた時期は
「玉砕の軍隊生還の軍隊」では日本軍の動員システムは列強最高峰レベルだったとか
従来どおり正常に動くなら、それに不慣れだったアメリカをはるか凌ぐ水準
ドイツが大規模に実施するまえに、国全体がミリタリーキャンプみたいな環境が涵養土着
生活の肌に沁みついていたからね
戦前戦中の軍がらみ共同体の行事なんて一種の娯楽イベントだよ
当該地域の連隊軍旗祭とかな
いまのアイドル武道館公演に匹敵する 太陽の帝国でイギリスのクソガキをトラック荷台に放り投げる粗暴な日本兵演じた
ガッツ石松もハマり役だった
香港舞台にした話だよな?八九式戦車を大発に載せてるシーンとかあった
茶色長靴の日本軍将校先頭に分列行進するのとか BGMは抜刀隊だった?大学生のときみたから思いだせないわ… 本題にもどすよ
野砲の分解搬送記録ご存知のひとがいたらレスたのむ
ガ島の第二師団らしき部品で運んでる写真みたら車輪が大きいから山砲でなく三八式野砲っぽいんだが
砲架の形状からも
三八師団麾下独立山砲二十大隊のボ式山砲かもしれんが
どちらかというと前者の可能性が高い ボ式山砲備忘録
独立山砲兵二十大隊は当初から、大陸で鹵獲した本砲を閉鎖器、照準器が故意に欠損
されていた個体を国産製品で充当
麾下の三八師団の転戦にあわせ華南、香港、蘭印、ガ島を転戦
損耗分をオランダ軍接収の同砲で補充したのであろう
操作に習熟してるからね
本来は10個に分解できるはずが、ガ島の記録で三部品にしか分けられず搬送に難渋した
なんて記録が残ってるからには、武装解除の際にわざとオランダ軍分解特殊工具までは
引き渡さなかったのだろう
佐山本以前に80年代PANZER記事にすでに詳しい松井(ペンネーム木俣滋郎)さん記事がある
防衛大のボ式が本来のオランダ軍仕様機械牽引式でゴムタイヤなのか、志那軍木製スポーク
を後年挿げ替えたものなのかの真偽は気になる事象 機械化牽引なら常識的にサス機能が追加されてるはずだけど ボ式はボフォースM1930だよね?
スペック的に微妙な感じ…
我が方の九四式が傑出しているだけかもしれんが
取り敢えずこれに傾注していれば念願の48門体制かなったのでは 九四式制定後にわざわざボ式を模した試製砲造ってるからには、山砲オーソリティー
日本陸軍として着目すべき技術的長所があったはずなんだよね
おそらく開脚式よりボックス式単脚のほうが射角限られ重いけど、射撃精度だすには
強度上設計難度がかなり易しい
野戦重砲以上のクラスだと、ほとんど開脚式でないことがその所作だと思う まぁ、西欧では九四式よりシュコダM1938やらボフォースが好まれたと思う
シュコダはソ連がコピーしてるし、ボフォースはドイツ軍は自軍制式のより愛用した
日本人との感性の差だな >>393
前スレで話題になってた試製一○○式山砲のことですか?
高低射界−8〜+45度 方向射界右60ミル〜左50ミル 放列砲車重量600キログラム 初速400メートル/秒 最大射程8,5キロメートル
この通り、左右に振らなくなった代わりに50kgほど重くなった九四式ともいうべきスペックで、見るべきところはないかと。
九四式山砲を生んで以降の火砲開発陣は、あまり褒められた実績を残しておらず、試製九七式歩兵連隊砲とか微妙なものが目立ちますから、これもその類かと
一式47mm機動砲や九六式十五糎榴弾砲は「及第点」「平凡」ともいうべきもので、やはり九四式山砲の眼を見張る様な完成度にはついに及ばなかった感がありますな 訂正 skoda M1936のはず
ソ連のがM1938 >>395
試製一式山砲だった
ともあれこのスペックじゃ何の為に開発したのやらという感じ
単脚は軽量簡素にまとめられるという利点もあるそれを活かすべきで、もっと軽量にするか、威力あふいは射程に勝るものにするかしないとなぁ
これじゃただ射界が狭いだけの九四式山砲になってしまう >>395
おおむね同意ですよ
おれは九四式山砲以降は15cm高射砲以外、日本陸軍火砲で世界的な技術成果はないと
思ってる
九四式は世界に類みないくらい独創的なのにくらべ、15cm高射砲はあくまで既存技術の延長戦上
という違いがありますが… 最後の徒花、ドイツや日本海軍より砲身性能でスペックワンクラス上マシなもの造れたという点で
残念ながら照準器やレーダー、射撃統制装置は米英独がはるか上ですわ… おっと失礼、照準器は日本製が意外と優秀だった
ニコンとトプコンの国ですから
日本は米英独といった技術先進国にくらべ光学兵器に偏重過信しすぎたのがいけなかったって話です むかしの陸海空ピクトリアル、戦車マガジン、PANZERを古本で漁るとおもしろいよ
いまでみるとまるで間違った記述も多いけど
運がよければ200円以内で買える
先人の知恵を盗まぬ迂闊は犯すべからず
佐山さんデビューは戦車マガジン「知られざる日本の兵器」だし 光学もレンズ設計ではまあまあ太刀打ちできたけど、コーティング技術がだいぶ遅れてたみたい 日本海軍も夜戦には光学兵器と兵員練度で絶対の自信もってて、米軍のレーダー技術と普及が整ってなかった
時期はことごとく勝ててたんだがな…そのあとは、〜だよ 九五式野砲の実際の製造数は536門ほどらしい
当時の火砲造兵関係者らしき桑原さんのPANZER記事にある
終戦で資料を焼却した記憶からの想起なんだろうけど
佐山さんは記録で確実に確認できる数字のみ載せる研究者らしい姿勢でそれはそれで好感はもてる 大阪造兵廠だけでなく、九一式十榴程度は下請けや町工場で製造してたから
製造門数は公証数字よりもっとふえる可能性大
造兵廠みずから生産したのと、下請け会社の造ったのを完了品質検査してたのが、所轄の
造兵廠の役割だろうし
その資料が現存しないことにはどうもならん!って部分はある >>377
単に水木が戻ったときに襲撃が開始されて全滅するだけでしょ。
現地を熟知している原住民が手引きして、何人がどういう装備でどこの家で寝てるから、
どちらからどう忍び寄れば分かりようがなくて、どう配置すれば一網打尽とか、丸わかりだったはずでしょ。
というか、何時何分に歩哨が戻って起こしに戻るとかまで分かっていて、それが来ないからおかしいなとかいいながら予定時刻よりちょい遅れで襲撃開始したという筋書きだろう。
前日か何かから雰囲気がおかしかったとかいう話があったけど、それが本当なら、そのときに既に襲撃に備えた対策を講じてないなら無駄じゃない。 いやいや、水木サンが軍隊で箸にも棒にも掛からぬ存在だったのは自他ともに認める
事実ですよ
彼が当番だからこそ、敵が襲った可能性も大であるし
おれは水木先生の作品の大ファンだけど、同年兵として枕並べたり、おなじ釜の飯は
食いたくは金輪際ない
とばっちりでビンタ張られるだけでなく、己の命とられる可能性大だから(笑)
そもそも他人の運をかすめとって長生きしたマンガならぬ妖怪みたいな人だったしね
裏表ない楽天的性格で同年兵や現地人に愛されてたのは事実だが
だから平和な時代はマンガ読んで楽しめるわけ
最前線でそんな社会的片輪の水木が隣なのは御免だね さんざん人生で流転して40すぎてマンガ家で遅咲きデビューした事実とか
当時、マンガ家なんて社会的に最下層の職業だった
地位が認識され文化として成長するようになったのはそとの潮流
大器晩成成功したからいいものを、ふつうなら世捨て人といって差し支えない
兄貴の美大先輩の誼もあるし作品は好きだけど、人物的には問題ありすぎでしょ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています