【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る30
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1521181588/
■関連スレ
【6.5mm】日本軍歩兵火器総合 5挺目【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured たしか、サイパン佐々木大隊がもともとは山砲編成部隊で四年式が配備されてたんだったな >>442
やぶにらみというのか目元が左右不均衡に変形した兵隊が照準の平衡器?ていうのかアレ
水泡が中心にくれば水平保ててるのを確認するとかあったね
建設業の水平器は構造は一緒の道具
そいつが周囲が難癖つけるなか三八式野砲のそれをビシっと水平きめたりな
脚色あるマンガのほうで読んで小説は未見だから、内容は異なるかもしれない
被差別部落出身の兵もいて、やはり大西はマルクス主義者として告発したかったのだろうな
出身の北九州は新平民の比率が濃い地域ではあったし >>438
そういえば、徹甲弾ではない榴弾のほうがかえって効くことがあったとか? おれもレーザーポインターで埋め込みアンカー位置墨出しするとき、三脚調整であの水泡センター出し
をたまにやるけど >>468
装甲の薄い戦車だと、却って榴弾のほうが効果あるみたい
貫通しなくとも爆発威力と衝撃で精密兵器の戦車を機械としてガタガタにし、無力化にするわけだね
とくに小口径徹甲弾でスポスポ抜いても、乗員殺傷や重要機器損傷させないかぎり平気で動いてるとか
2ポンド砲の効果で北アフリカの報告があるし チハの57mm砲弾集中射してもM3軽戦車の装甲貫通できず複数の徹甲弾衝撃で装甲を割いた
とかあったね
最厚部51mmの前面なんてヒンジ可動の構造的にもろい面積が多いんだから、そこに
榴弾を集中したほうがはるかにいいとおれは思う
あんな装甲兼バイザー部なんて、すぐ吹き飛ぶよ 追記
2ポンドは実体弾だから、質量を口径上MAXにして貫徹性能上げようという考え
頑なにこれに固執し、やっとこさ改善したのは大戦後期だよ
ドイツは徹甲榴弾で互いにおなじ撃破数でも、戦車兵の死傷数がまるで違ってきたりする 遅発信管の榴弾使って山砲平射で上陸用舟艇やら水陸両用車ズボッとしたほうが、
徹甲弾撃つよりいいだろうね
炸薬で殺傷能力はるかにあるだろう >>442
「軍機とは切り干し大根の煮付けデあります」か 上陸用舟艇や水陸両用車は非装甲なんで
外れ弾でも海面で炸裂して破片の雨を作る瞬発榴弾で良いんじゃよ
もちろん直撃すれば遅延しなくたって撃沈もんじゃし 陸戦隊が上海で鹵獲したビッカース6t戦車の写真だと、砲塔バスル部が割れて脱落
しかけてる
どうやら山砲で徹甲弾や破甲榴弾でなく、通常榴弾用いたらしい
対米英戦がはじまるまで、昭和12年だと前二種はあまり支給されてないのではないか?
本車は日本に持ち帰り一般にむけ展示した 第8戦車連隊キュンメル大尉がW号単砲身2輌でマチルダの隊列に無鉄砲にも突っ込み、
7輌撃破したとか
ほとんど零距離でも、おそらく貫通はしてないんでないか?kwk37 7.5cm性能からみて
ガンガン展視孔や照準孔への弱点射撃連発して擱座させ戦闘力奪ったんでは?と思う
この戦闘のくわしい内容は未見だ 当時はヒトラーが成型炸薬弾を対戦車戦闘に用いるのを禁じ、突撃砲部隊にのみ
支給していたし 自分らの技量に絶対の自信もってるから、これだけ大胆な攻撃やるんだろうけどね マチルダ2でも車体排土口部分なら300m以内で貫通出来るらしい
まあ履帯や防楯とエンジンルーム付近を狙ったんだろうけど >>470-471
初期に装甲を破れたとかいう話があったんだよね。
貫通出来ないヘロヘロ弾でも爆発の分でマシになるとかかな。 >>480
兄貴所有、オスプレイのV号突撃砲短砲身本にKVやバレンタインの車輛部分別撃破距離の図が
あったよ 「やつら一列縦隊で呑気に行軍してやがる、ドイツ戦車兵魂を教育してやるか」
「トミーは側面を晒しているぞ 反面教師だな…」「初年兵ッ、しっかり弾をこめろ!」
なんて源文節でアクセルベタ踏み急旋回走行で英軍を攪乱させたのかしらん(脳内劇画) >>481
1918年になるとドイツ軍で対戦車戦闘が手痛い戦訓からつぎつぎ編み出されるんだよね
バカみたいに長大なマウザー対戦車銃、集束手榴弾、7.7cm野砲の平射迎撃やら
作り話らしいんだがフレエキテル?の砲手なる伝説もある
戦車襲来に一歩のひかず応戦、多数撃破したが武運尽きて戦死したドイツ砲兵将校話
のちのスペイン内乱でもフランコ、共和側双方とも野砲射撃で戦車攻撃意図を
たびたび粉砕してる
新兵器クルップ8.8cm高射砲もその用途にもちろん使用してるが
軽装甲の当時の戦車には野砲以上の口径なら徹甲弾つかうまでもなく、榴弾でじゅうぶん
以上の威力を示したんだね オスプレイで短砲身W号VSシャールB1bis本があるんだけども、はやく邦訳してほしい >>476
開口様子からバスル部は榴弾、砲塔前面は徹甲弾の命中痕っぽい 四年式十五糎榴弾砲の砲身長、日本軍の資料でも海外のサイトでも2190mmなのに、日本語ウィキペディアだけ1880mmと短いんだが
三八式とごっちゃになっているのか? >>464>>488
15榴装備師団として追加して以下のものが手元資料にあります。
近衛第一師団…四年式十五榴24
第二十三師団(比島派遣時)…四年式十五榴12、十榴12
※在満機械化師団の時は九六式十五榴12、機動九〇式野砲36
第百七師団…四年式十五榴9、九〇式野砲9、九四式山砲14
※四年式十五榴12、九〇式野砲12、九四式山砲9とする説あり。
第百十九師団…九六式十五榴12、機動九〇式野砲36 >>489
知らなかった…近衛第一師団の野砲兵連隊は実質的に野戦重砲兵連隊みたいな編成ですね いましがた通勤で「鉄の沈黙」を読んだ
八八式七糎高射砲をネタにした小説
浅田次郎「帰郷」に収められている。図書館で借りてよかった
現在読了は「不寝番」の途中まで
連休にためしに読むがよろし >>489
>>490
近衛のやつは砲弾威力は侮れないが、師団砲兵として、やたら小回り利かない感じだな
射程が九四式山砲とかわらん四年式だし…
本当にいいのか?これで?ってツッコミ入れたくなるよw 近衛師団なら外地に出ないだろうから旧式でも大口径のほうが見栄えが良い
って考えだろ >>489
ここによると、野砲大隊+十五糎大隊とありますが…
http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/armydate/konoe/KD_organization.htm
これなら、機動力と長射程で攻めていく野砲と、制圧火力の十五糎榴弾砲とでいい組み合わせだと思います
十五糎榴弾砲×24の方が、自分好みではあるんですけどね
サイパン島の黒木大隊だって、橋頭堡を破砕射撃したし、それが二つに増えると思えば痛快です >>490>>492>>493>>494
近衛野砲兵第一連隊は野戦重砲兵第二十五連隊(四年式十五榴24門/近衛砲兵団)を改編したものなので、
四年式十五榴24門装備のままと理解していましたが、>>494氏ご紹介のサイトによれば野砲大隊を持っているとのこと。
(確かに近衛野砲兵連隊補充隊も絡んでいるので火砲の交換などがあったのかも知れません。)
これが正しいとすれば私の理解は間違っているのかも知れませんね。
これに関して新たな情報があればご教示ください。 >>495 また見つかれば、ここに貼ります。見つかるかは分かりませんが…
ところで、近衛野砲兵の話題となれば、件の山本七平にも絡む話ですが
山本さんが近衛師団(後の近衛第二師団)の砲兵連隊だけ二個大隊編成なのは何故だろう、みたいなぼやきをしていたと思います。最初から兵倉も二個大隊分しかない、一個連隊とするのは形式主義が云々と。
近衛第一師団も、野砲大隊かどちらにせよ、二個大隊しかない
近衛師団の砲兵が二個大隊なのは決まっているんでしょうか?日本最初の叛乱が近衛野砲兵だからでしょうか(笑)?
これについて説明ある資料に出会った事がありません >>495自己レス
気になって色々調べなおしていたところ、戦史叢書「大本営陸軍部<9>」P187によれば、
S19年8月31日頃の時点で近衛野砲兵第一連隊は野砲3中隊、15榴3中隊よりなる2個大隊としていますね。
少なくともこの時点では>>494氏ご紹介の情報が正しいようです。
とするなら基幹となった野戦重砲兵第二十五連隊装備の十五榴のうち半分の12門程度は近衛野砲兵連隊補充隊の野砲と交換され、
後に東京師管区砲兵補充補充隊に移管された可能性がありますね。
東京師管区部隊は軍隊区分上は近衛第一師団の指揮下に置かれていた筈ですが、
建制の隷下部隊ではないので>>489の近衛第一師団の部分は訂正しなくてはなりません。
>>496
近衛第一師団の砲兵については四半世紀近く勘違いしたままでした。情報提供感謝します。
尚、マレー作戦時の近衛師団ま野砲兵連隊は3大隊で十榴8、機動九〇式野砲16、九四式山砲12
でしたから、近衛師団の砲兵が2個大隊と決まっていたわけでもないようです。
しかし支那事変時の近衛師団は3大隊で十榴3、改造三八式野砲9、九四式山砲9。
一応第一大隊は十榴、野砲各1中隊、第二大隊が山砲2中隊、第三大隊が野砲2中隊、
各中隊3〜4門とされますから、3個大隊編制とはいえ砲数は確かに2個大隊強相当に過ぎませんね。 >>494氏への御礼
尚、今回の砲兵装備の元ネタは近衛第一師団を除き、概ね「支那事変・大東亜戦争間の師団の編制」に拠ります。
>>496
「一下級将校の見た日本陸軍」「私の中の日本軍」かは忘れたけど、たぶん前者
章タイトルが 欠、欠、欠 だったか? 日本は牽引重量限界から4t以上の重砲を整備するのに制限あったんだけど、
射程と砲弾i威力的には加農は12cm級がよかったね
10cmカノンはアメリカの口径委員会で中途半端と却下、ドイツは大西洋城塞に二線級に格下げ
してる
ソ連の122mmと対戦したドイツ軍がそのよさを認識、鹵獲砲を積極的に使用したり、
対戦車砲兼用の128mmカノンを製造するんだから
ソ連製、フランス製の接収砲架に載せて ヤークトティーガーの主砲でもあるね
日本軍が8tハーフトラック級の高速で6t級平気で牽ける車輛開発、装備できてりゃなぁ
まー工業力と技術的に無理な話だ モータリゼーション後進国で
ドイツからライセンス権と製造図面買っても、トーションバーサスすら作れないんだから
これに成功してたのはスウェーデン、ドイツ、ソ連、アメリカといった冶金スキル
に優れた国だけ
ポテンシャル的には、その気があればフランス、イギリスでも出来たと思うが、
旧弊で保守的な設計思想が邪魔をした 図書館で借りた「消えた潜水艦イ???」にドイツの航空用やら、イタリア魚雷艇のエンジンを国産化
しようと日本に運んでる
長大なクランクシャフトの母材鍛造する数千tクラスのプレス機が日本では数すくない、
長いクランクに削り出すのに誤差なく削り出すなんて高度な工作機械なしで、まれな逸材職人芸炸裂に
頼ったら少数ロットでは何とかできても量産型化は到底無理…
その点、イタリアは工業生産能力はあれだけど、最高レベルの製造職人では日本より層が厚かったと思う
フェラーリの国だしね >>456
遅レス
「知られざる日本の兵器」でパックハウザーと九四式の比較のくだりがあるんですよ
開脚式は射界はとれるが、放列姿勢で面積とられるなんて非難もあろうが、九四式は
脚を閉じたままでも撃てるのだから、そんな心配は無用であろうな意の記述があります グランドパワー別冊で復刻されて読めますが、初出は戦車マガジン1983年の記事
まさに温故知新
ライターは内容の充実さと時期的に旧軍火砲造兵関係者と思われる
当時は戦車雑誌や航空、艦船分野で旧軍から引き継き防衛庁関連の仕事している人がアルバイト感覚でさして
めずらしくもなく寄稿してました 80年代のPANZERでアメリカの士官学校に鎮座してる砲身車だけでない完全放列状態の四年式十五榴
写真があったが、今でも現存してるのかな?残念ながら防盾はなかったけど
あれはガダルカナルで捕獲した個体だそう 戦時写真でたぶん同砲であろう遺棄したショット
あり 日本には一門もないのに状態のきわめていい九二式十加がアメリカ本土の基地に
おわしまする
あれはどこで捕獲したブツであるのやら… 浅田次郎は各種文献漁って高射砲小説書いたはず
佐山本はもちろんだけど、ひょっとしてこのスレも覗いてたりしてな
まえから小説、エッセイはたまに読んでたけど、砲兵小説書いたところで
おれの脳内で株が急騰した 日本のモータリゼーション遅延の件
舗装道路整備やらガソリンスタンドの設置が民間資本では都市部に限られ、
クルマ買って費用費やすわりにはそれほど利便性なかったからだよ
貧しい列強ゆえインフラ整備が軍備拡張が第一で後回しにされた
消費と流行の先端を担う資産家も保守的だったし
人力車に乗って町を睥睨すんのがお大尽みたいな風潮があったしね
列強の一次大戦後の機械化みて日本陸軍は当然焦りまくるんだけども、民生主導に任せ
てたらラチあかなすぎだから、民族資本の自動車産業育成に多大の資本金投入するわけ
よくフォードやシボレーの資本と生産設備利用すればもっとうまくやれたじゃん?
なんていう人もいてけして間違ってはいない
が、戦時になれば、それをまったく期待できない事態も多いわけだからね
第一次大戦の教訓からも
当時、目いっぱい無理して悪戦苦闘、国産化内製化に努力したからこそ、現在のトヨタ、日産、いすゞが存在
してることをわすれてはなるまい 高価だったガソリン、クソ高い購入費にくわえ車の維持費、お抱え運転手の人件費考えたら、
専属の下男みたいな人力車夫を常用で雇ったほうがコスト的にははるかに安くついただろうし 戦前から車やモーターサイクル乗り回す富裕層や資本家の子弟もいたわけだが、もっぱら
やっかみと嫉妬でドラ息子呼ばわりされていた
花形満みたいなもんか? メルセデスが戦前に時速300kmレース車で達成し、アメリカがパッカードやら華美で贅沢
な乗用車製造してたからな
香港やシンガポールで英米の高級乗用を鹵獲して内地に送って、軍の高官や官僚の専用車になった
質素倹約が公私とも徹底してたはず
現実に東條英機がスチュードベイカーかパッカードだかに乗ってたんだが、満悦してたかどうかは故人だから知りようがないけども よほどの変わり者でないかぎりは乗ってて楽しい誇らしいだろうな
当時の車なんて日本ではとくにステイタス・シンボルだったし
そのころ日産はダットサンみたいな世界の檜舞台にはとてもだせないやつを辛うじて
開発させてたけどね
まぁ車体デザインが可愛いのは認める 円タク発祥は昭和十年代からだな
それまでは人力車、戦後しばらくでもふつうに人力車夫がいた
運転業務は特殊技能でだからこそ当時のドライバーは高給取だった
時価換算でいまのタクシー乗務員の五倍くらいは稼いでいたんでない?
現在は儲からない職業の筆頭だけど あと戦前の円タクはほとんどアメ車だったことを忘れるな 都市部では乗合バスがよほどの地方でないかぎりいちおう普及してた
便数一日四回とか(笑)
しかし一般庶民が車買えるなんて夢また夢だよ
1960年代以降まで待たなくてはならない 金持ちの子弟は徴兵されるにせよ死傷率の低い後方に配属されようと、検査の前に
こぞって運転免許とったという話がある
それで戦車兵で徴兵されて危険度MAX事態も当然あったんだけど…
幹甲志願無理やり強要されて、それを呑めば当然下級将校で一般の兵隊より靖国行の
確率がはるかに高い 昭和十二年から戦時経済突入できびしい燃料統制になったからね
運送業でさえトラックの油がまかりならんくなった それで木炭車
個人ユーザーだと、よほどの軍のコネないと入手はまず無理だろう
もっぱら金持ちの車やバイクは蔵の肥やしに相成る >>501
イタリアはモータリゼーションでは日本よりずっと進んでたみたいだけど、そういう職人芸で支えられてたのかねえ? 先進の工作機械設備やら大規模製造能力ではとても…なんだが、各国発注少数のオーダーメイド
に応える柔軟性や職工の技術力に少なからぬ定評があったチェコ兵器産業の例はある イタリアは戦前の段階でフィアット500が10万単位であった国やぞ
国産車1000台の日本と比べるなという >>513
適当な大嘘つくな
昭和10年代だとほぼ高橋財政以降だが、金本位制離脱と積極財政で物価上昇して円タクなんかじゃ経営成り立たんよ
キチガイがまた湧いてきたか… リンゴット工場、Lingottoでググれや
最新設備を揃え、素材から完成車まで一貫生産できる、世界最大級の自動車工場だ。
そして1937年には更に巨大なミラフィオーリが建設される
戦前イタリアは強烈な勢いで自動車製造能力を向上させており
フランスまでフィアットから部品輸入のノックダウンをする状態だったんだな その割にはイタリアの戦車がイマイチぱっとしないのはなぜだろう? そういえば、第二次大戦中の日本のトラックの生産量が40万台で、実はソ連とあんまり変わらないって数字を見た事がある
いやこの場合ソ連がショボいって方なんだと思うけど(後方機材はレンドリースで賄っていた?) >525
戦闘機もそうだが、イタリアの場合兵器開発の間が悪かった。
装備が旧式になったが更新が間に合わない状態でww2が起きてしまったんだ。
日本海軍が戦争後期になっても零戦を使い続けざるを得なかったのと類似の状況。 >>526
列車のレールまでレンドリースで代替させてたからね。
後、あの国はそれを運んできてもらう船まで代替して
もらってたからロジスティック機材の生産にリソースを
割り当てる事をほぼほぼ免除されてたと言う、大日本帝国より
物凄いスポイルされた戦争を送ってたと言える(人材は除く 戦前に大量に耕運機を青年学校に貸与して
平時は農作業やリアカー繋いで農産物輸送に使って
演習の時に速射砲や山砲の牽引の訓練
戦時には耕運機を大量に徴発とか
できなかったかな
農業の機械化は余剰労働力を農村から都市へ振り向けて工業化や三次産業の拡大に寄与するはずなんだが 機械化するまでもなく農村に過剰人口が存在して、その解決策が
満蒙開拓団じゃからのう……。 砲戦力、輜重の機械化こそ急務なわけで
馬に頼るより石油機関の導入普及が優先する
で副産物で農業の機械化をやる 小松トラクターG25で昭和六年から十八年まで238台、G40で昭和十年から終戦まで421台だっけか。少なくともコレより生産して農作業需要に応えないといけない
稲作用耕耘機は戦後の開発だし、他の作物用として考えるとコスト高すぎな感じだし難しそうだ
そもそもトラクターは20馬力程度だし、実戦に耐えうるかというとちょっとねえ 初代ビートルって20馬力ぐらいだぞ
20馬力あれば軍用車両として十分でないか? 日本に必要だったのはチハやハ号ではなくて、
RSOやなと思う スレ違いの話になってしまうが。
こうして考えていくと、ネット仮想戦記で、転生者1人で日本の機械化促進というのが、
いかに火葬極まり無い代物か、考えてしまうな。
日本の機械化が進むためには、第一次世界大戦での日本軍の西部戦線派兵くらいがないとダメだった気が。
もっとも、ペリー来航以来、米国が日本を敵視していたことを考えると、そんなことをしたら、
米国は対日戦を大正時代に吹っ掛けてくるか。
日本はとことん詰んでいた国だったのだな というより、転生者と似た様な策は1937年な時点から取られていて、それまであってないようなものだったトラックの生産台数が急増して、1937年の時点で万に届きそうな勢い
1941年は46100両のうち9割が商用車(トラック・バス)だったから、更に四倍に増えてる
まあこれでも欧米から見たら塵みたいなモンだが、輜重の機械化促進してこの程度なのよね…()
トラックは優先的に輜重隊に振り分けられたので、実質的に自動車隊なところも多かった
ただしほぼ丸腰状態という運用の不味さは暫く変わらず、有名な第五師団輜重隊壊滅の事件(平型関の戦い)とかにも代表されるように、八路軍に部隊丸ごと壊滅させられる事件が起きる
ちなみに馬匹の生産頭数は43年時点で年約180000。やっぱり馬と人力の軍隊の域を出なかった様だね 二次大戦中に馬を排せた軍隊なんてアメリカだけじゃないかね?
英軍がきわどいかな?
日独ソは馬頼り。 >>529
ここの過去スレか他のスレか忘れたけどさ
同じ話があった
機械を整備・点検する拠点整備とそれを支える工業基盤が必要等々の問題もあるが
「まず耕運機を使える様に農地を整備する」のに時間とお金が必要なのが抜け落ちてる
今現在の農地は時間とお金を投入して出来ているもの
その姿が当たり前だと思っているから「機械があれば」なんて考えがでる
まあ・・満州の様に最初から大規模で整備した様なところでは機械化がそれなりに進んでいるんだけど 娘売らなきゃ生活できないとか、そんな日本の農村に耕運機買う銭がまずない。
地主の下に小作農がぶら下がってる江戸時代と変わらない構造。
小作料納めて、その上耕運機を割賦で買うとか無理、そもそも小作農が牛馬持ってるのが稀 50馬力のG40タイプは200台程度がコマツブルドーザーに改造されたみたいだな。G40自体は陸軍軍馬補充部の牧草地や満州で活躍したそうだが
G25の牽引能力は約2トンだから、陸軍最小の三屯牽引車より劣るな
軍用に使うならG40一択だ
>>538
その満州ですら、「国道作るの機械化したけど、苦力雇った方が安かったわ」という事例があったり… >>535
んな事したら英からも宣戦布告くらって米が死ぬわ 第一次世界大戦中、日本に欧州派兵を懇願する英国にそんな余裕があったとは思えないが。
米国が対日戦を宣言したら、英国は日本を見捨てるだろう。
そもそも1910年の第三次日英同盟締結時点で、英国は日本を対米戦の際に見捨てるが、
それでも良いなら、日英同盟を維持すると言っていて、日本はそれを受け入れている。 >>539
それは多分違うな。
地主が耕運機を買って、要らなくなった小作人を放逐する。
問題は耕運機と小作人とどっちがコスト安いかだ。 >>542
なるほど、そういう事なのか
けれどもそんな時代にルーズベルトの屑のような民族絶滅までやるアホはいないだろうし >>543
地主って人種は自分の手を汚さないのよ、庄屋とは違うんだよ。
生産性は日本国内の従来の田畑面積でやる限り上がらない、品種改良でなきゃもう増えないところまで日本は進んでいる。
そして耕運機では反当たりの収量は増えない、最高は牛馬で鋤で深く耕してた頃。
昭和50年末に新潟で結果が出ている。
何故かというと、重い機械を田に入れる時点でアウト、フカフカに耕すと今度は機械が入れない。
4つ足の耕運機が使えるなら別の結果が出たかもしれないけどね。 >>545
その生産性は収穫量だろ。
地主にとって大事なのは自分の実入り。
たとえ収量が一割減っても、半分が相場と言われていた小作人の取り分がなくなって、
その五割で機械代とランニングコスト、多少は要る人手分のコストをまかなえて
実際の実入りが増えるなら、十分検討に値する案件。
実際イギリスではそうだった。 なんだかWWUを、アメリカからふっかけられた戦争だと妄想してる人がいるみたいだが・・・ ここまでの話に参考になるのが新書「トラクターの社会史」だ。
大層おもしろかった。かなり初期の本スレでモータリゼーション関連話題になった
「怒りの葡萄」の話もでてくるよ。 >>546
残念だけどそういう現代のような考えの地主はいませんよ?
当時は気候変動に強い品種なんてまだまだありませんので、1割減るとか大事ですよ。
台風水害冷害、収量半分以下とか殆どないとかありえるんです、
それが今年か来年かなんてわからない、それを自分の責任でやるのはリスク高すぎ。
人に貸してしまえば収入は安定するんですよ。 >>549
むしろ、昔の方が機械導入に積極的になると思うよ。
台風水害冷害、収量半分以下の時を想定するなら、小作人より機械の方が断然いいだろ? >>546
そのランニングコストが馬鹿高なんですがそれは
そんな田舎にガソリンスタンドも車屋もあるわけないから運転手も燃料も修理工も自分で調達しなきゃならないし
機械化前提の体制組んでいざ農繁期、って時に機械故障で仕事出来ませんとなったら大損こくし >>551
うん、だからそのコストを天秤にかけて、利益が出るならって前提の話。
ガチの大地主なら故障リスクを低減できる機械複数台所有で、整備班常設まで
できそうな気もするけど、コスト的には国の補助が要るだろうね。 別件で、文化的で余裕のある社会って
インテリが乗馬の趣味や遊覧目的で馬車とか田園で乗るのかなあ
とか思う
旧制高校で乗馬部とか普及して、上流のたしなみとして馬を共同購入で飼育して
休日に乗るとか
小学校から馬に乗る体験とか、憧れるな
車社会はハイブリッド化してますます経済原理主導で悲しい
モータースポーツも日本では不振なわけで
その辺、文化資産が貧弱なのでは 宮沢賢治みたいに盛岡の駅前の唯一のレコード屋でいつも最新レコード盤を買うような層なら、地主になれば自分の農地だけでも
機械化できないかな
石灰工場のボンボンな訳で >>547
WW2は別な話だからそれ位はわかってるって >>550
機械は酷使して故障しても文句は言わないからな。
小作人は窮乏から温情尽くしてよくやってきた地主を逆恨みして闇討ちくらいやりかねん
怨念劣情ドロドロ、家族もろとも津山三十人殺しのやうに…(笑)
あの事件舞台である岡山が耕運機発達で重要な地と「トラクターの社会史」で知ったわ。 >>550
地租は現金で地主が納めなきゃいけません。
小作農は地主に作物で納められない時は借金して、娘を売ってでも地主に現金を代納します。
地主にはなんのリスクもないんです、農村は江戸時代と何も変わりません。
そして農地を機械が入れるように、まず農道の整備(農地を削って畦道広げるから大問題になる)から
田畑の改良と自分でやるリスクが大きすぎます。
機械化して農作業に使う時間を短縮して現金収入に時間を使いたいのは小作農の方なんです。
戦後農地改革、小作開放となって一気に耕運機が広まったのはちゃんと下地があるんです。 >>554
そんなハイカラなシテェボーイみたいな地主さんがどんだけいるやら なんか揶揄するわけでなく面白いですよ。議論として。
農本主義者で自ら農村出身の、かつてはさほど裕福でなかった出自ではあるが、刻苦勉励
のすえ陸軍将校になったひとたちが、真剣に郷土を憂い真剣な書き込みをしてる感じがします。 新聞で見た学徒動員世代の早大生、自動車部に入ると軍隊でも楽なポジションに行けると聞いて早速入部した、って話があったなあ。部費とか高かったろうに。今で言えば航空部みたいなポジションだろうか。
>>554
ゴーゴリに出てくるイギリスかぶれの地主みたいに計画だおれで大赤字になりそうな予感が >>557
農業には豊作貧乏って言葉があってな。
豊作になると作物の値段が下がってあんま儲からんのよ。
逆に不作になると値段が上がって、案外そう言う時の方が儲けが大きくなる。
でも不作で収穫が半分になった時に、じゃあいつもの割合でって小作人の取り分を
収穫の半分(平時の1/4)にしてしまうと、小作人だって物食わなきゃいけない訳で、
そりゃ娘売ったり出稼ぎ行ったりもするだろうけど、どうしても生活できなくなったら
一揆起こすか逃亡するし、飢え死にされたら翌年から困る。
地主にリスクはないなんて事はないんだよ、一揆は明治時代に入ってからも起きているし
強訴みたいなのは昭和期でもある。
なので実際には、不作の時は収穫の半分より多い割合を農民に渡す事になる。
せっかく高価格市場なのに。
その点機械なら、半分になったとはいえ収穫をほとんどそのまま商品にできる訳で、
地主にとっては利益がでかい。
戦後耕運機が広まったのは農協のおかげでしょ。 >>558
わたしは北海道の出ですが、まーむこうの大規模農家はハイカラでして北欧風の大邸宅
が多いんです。壁がイエローだったりイエローグリーンだったりしてきわめて映えるんです。
雪景色のなかでみたらメルヘンの世界まんまですわ。
そこの家長はドカジャン着て蟹股でゴム長履いてる下品で無教養なおっさんですけど。
歯は抜けまくり訛りはひどい食事マナーは犬猫以下というまごうかたなき野蛮人でありますねー コマツ装軌トラクターの話は「トラクターの社会史」にも出てくる
おれは声を大にして言いたい!
「だから住民、同胞のおまえらに読んでほしいっ!!!」って
著者からこずかい貰ってるわけでないけど、どうかよろしくお願いします 農業機械は耕運機等のビークル以外もあってだな
脱穀とかポンプとかで戦前から導入は始まってるのであるよ
ttps://www.kubota.co.jp/rd/evolution/engines/detail/detail.html
クボタの例でもわかるように、漁船向けエンジンの方が先に伸びたわけだが
水車動力類似のものと考えれば、その需要は地勢に関係なく一定のものがあったんよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています