【M4シャーマン】汎用戦車 12【T-34】
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大戦中大量生産された戦車
どちらの方が優れているのだろうか? 【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.6
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1612834100/
日本軍戦車については話が長引くならこちらへ
棲み分けを無視せずルールは守りましょう >>1
よくぞこのスレを立てくれた
褒美としてヴァリアント歩兵戦車に乗る権利をやろう T-34の砲塔は弱かったみたいだが
なんで微妙な強化しか無かったんだろう
戦後のソ連の亀の甲砲塔のように
正面だけなら厚くても重量増加はしれてるのに T34/85の売りは三人砲塔と火力
防御の増強は無視された
火砲の変更と比べれば装甲増強の重量負担は高く、費用対効果はよくない。 結局は生産性優先した鋳造だからいくら厚くしても抜ける弾はある 実際大戦中のマイナーチェンジ増強車両は大抵火力を優先にした
三号、四号、チハ、ファイアフライ、シャーマン76mmもそうだった
少数の例外はジャンボ まぁT34-76で50、60、70ミリとびみょーに強化されてるようですね >>11
T-34/76だけではなくKVシリーズを含めてソ連も一時期に装甲増強に走ったが
虎と豹が登場した以降に火力増強と全新プラットフォーム開発に移行した。 シャーマンの前部傾斜が80ミリだったらパンターなみの防御力になる >>13
つ パーシングの前身T20中戦車
https://i.imgur.com/al2mc6n.jpeg
スペックのバランスはいい戦車だが火力は76砲シャーマンと変わらないため量産されなかった >>7
カウンターウェイトを設けず正面だけ厚くすると
総重量の増加は抑えられても上手く回らないとか運用で難が出るからでは?
T-34(76)で45mm→52mm→70mmと約1.5倍まで強化されてるし、
T-34-85になれば3名搭乗のための砲塔の大型化と相まって
砲塔後部に弾薬置き場のあるデザインから90mmにまで強化されてるから
マイナーチェンジレベルの変更のシャーシに対して
85砲塔も含めれば初期に比べて2倍にまで強化できれば御の字かと。 >>7
T-34シリーズの砲塔強化が微妙というよりは、
バスル部とかカウンターウェイトの無いデザインで
長砲身化と砲塔前面の重装甲化を進めてる
戦後ソ連戦車のバランスの方が気になる。
https://thesovietarmourblog.blogspot.com/2017/12/
T-72
砲の細かい性質はともかく、
スペックだけならヤークトティーガー(128o/L55)級の砲(125o/L48〜L55)と
40pの複合装甲で超フロントヘビーな気がするが、
旋回機構を強化して物理的なバランス問題を誤魔化してるんだろうか? >>14
パーシングは開発が長引いた事、生産が遅れた事により
配属時には既に時代遅れ感があるな >>17
細かく改修されてパットシリーズになった後は現役だぜ
基本設計はそう悪くない パーシングがあの時に時代遅れと言うなら何が時代遅れじゃないのかな パーシングでつかってる技術レベルなんてイギリス以外はいつ追いつけたんだよw T-44で先進的なのは、シャーシだけで車体が構成され履帯の上に出るスポンソン部分が無くなった(KVとか昔からそうだったけど)のと
エンジンが横置きになって機関部を短くできたこと、その程度かな エンジン横置き箱型車体はM26もそうなのでエンジン横置きしかないですね
ミッションは言わずもがなアメリカの方が先進的で上ですし >>24
誤 エンジン横置き箱型車体
正 箱型車体 パーシングの砲塔は前面がデカい
しかしT25E3の段階で砲架が小型のものに変更されたので
ディメリットに成った 朝鮮戦争で鹵獲されたM46(現在も博物館にある)はソ連で調査されたが、IS-3などと比較して防御力に劣ると、評価は高くなかった シャーマンもそうだが
アメリカ戦車の利点はスペックじゃないことはイスラエル軍に証明されたじゃね? M46の評価、装填手のスペースが不足ってIS3スターリンも狭さではそうとうひどくね
IS2のほうがM46より広いならそうかも >>30
MBTとしての評価なんだろ
砲弾が薬莢式じゃないスターリン系はスペースがどうこういう次元じゃないし
まあでもパットン系は代々かなり大幅に砲塔形状いじってるから、運用者のアメリカも試行錯誤してたんだろ クロスドライブ式操行装置の初期のタイプで、トラブルが完全に解消されて無かったかも エンジン コンチネンタル AVDS-1790-3
4ストロークV型12気筒空冷ガソリン
これって非力で坂も登らない、油圧砲塔も旋回がのろのろ
と韓国軍でひょうばん悪いらしいが
よくわからんがAVDS-1790系はイスラエルが愛用して
センチュリオンやメルカバにつんでなかったか 90度4ストローク V12強制空冷1791.7立方インチ(29 361 ccm)ボア・ストローク146ミリ
ブイ12気筒の空冷で信頼性ばつぐんなんて、大失敗したポルシェは泣き出しそう M4は他国で整備性信頼性が評価されているが他国の戦車はこれらが後回しにされているのか >>33
イスラエルで使用してるのはディーゼル版だろ
しかも加給してる
形式同じだからブロックは同じか近似なんだろうけど、ほかはほぼ全部違うんだろうね
M26/M46はミッションがATだから、そっちの問題が不評の一因になってる気がする
当時の技術で40t以上ある抵抗の塊ATで走らそうとかチャレンジャーだったなあと感心するが
まあメルカバも重すぎでトロくさいことでは定評あるが
しかし空冷ディーゼルとかまるでチハたんのよう… 整備性の良さはM3系からの伝統だよね
エンジンの信頼性は今でも車から航空機までトップレベルだよ >>35
戦車そのものが無理の塊なんで故障前提で整備班つけてたんでないの? >>38
1mmも調べないで
適当なデマ書く奴は何でよく出るんだろ? >>39
m4の逸話としてソ連親衛戦車連隊に集中配備された理由は
連戦連戦でのここ一番できっちり動く信頼性能にあったとされる
機械的信頼性能を満たす部品を歩留まりなしにポイポイ作れたのがアメリカだったからで
他の国はソ連は当然としてドイツですら野整備が付いて回る配置になってる
日本?島田戦車隊の突進をささえたのは整備班のゴッドハンドであって戦車の機械的信頼性ではない 日本軍の戦車で一番信頼性高かったのって何?
装甲車とかも含めて >>41
ハ号
出力に対して車重が軽く
駆動系の負担も少ない ティーガー大隊だと、野戦整備で砲塔を吊るせる16tガントリークレーン等、それ専門の装備をもつ整備中隊がついていった
逆を言えば、そこまでしないと前線での運用ができない M60A1戦車の車体前面は超音波測定で109ミリで65度の傾斜で厚く砲塔より
手ごわい相手です
しかしパットンシリーズの鋳造装甲はブリネル硬さ200しかない
これはソ連の鋳造装甲の半分のかたさで
ドイツのタイガー戦車の装甲はドルムントヘアダ社製でブリネル309
パンターのE22装甲も309規格であり
また英国の戦時規格ヴィッカース装甲板は
表面がブリネル硬さ600内部が350である イスラエル戦車兵がパットンを小馬鹿にしてたのがわかる
センチュリオンやT55の装甲の半分の固さしかないのだから 米軍の場合、シャーマンの数値を見ればわかるが、厚い部位ほど柔らかめにしてある
硬いということは脆く割れやすいということでもあり、厚い装甲では粘り強さが優先される
日本戦車などはカチカチに硬くするよう指示されていたのが、三式以降は硬度を落とし粘りをもたせる方向へ >>47
と言われてるが実際の硬度は表面硬化装甲として標準的な硬さだったり>三式
というか50mmだったら普通は硬くしないとダメ。パンターの側面装甲は50mmだが別に柔らかく無くコレも表面硬化装甲だし だからカッチカチだったチハより柔めになったって話でしょ
ティーガーIIはティーガーIより更に柔め、しかしソ連軍の調査によると不純物も増え、装甲板の質が低下していたとか >>49
実は硬さあんまり変わらないんだぜ
三式の熱処理の仕方を変えて品質を向上させたのよ 硬度と粘性のバランスを考えた結果
戦後はrha一択
鋳造砲塔作れなかったドイツ戦車は
割れやすい T34-76の装甲は内部剥離しやすく75ミリの4号戦車で1キロ、88だと2キロの距離で屠れた
ニッケルを新規装甲に入れるより
古い兵器や屑鉄をスクラップにし溶かして戦車作るほうが早く余裕はないとのことだが
確かにシャーマンとか英米戦車は剥離しにくく好評 ソ連の戦車修理は炎上焼損した戦車でなければ治すという基準だが
意外にもT34よりもシャーマンのほうが再生率はずっと高かった
内部がひろいせいなのかレンドリースの修理部品が豊富だったのかは不明 >>54
英連邦を敵に回したドイツちゃん銅資源で脂肪したから耐熱材その他が大変な事に 味噌つけて焼入れしたヤスリや
スイスの馬糞つけ焼入れしたバローべなら
HRC67くらいいきそうだ
パットンは硬度20なので余裕で削れる >>58
チハたんはHRC63くらいとの事なので、実はヤスリで削れる ってこたー司馬の上官がヤスリでほーら削れないだろってやってた部位って
チハたんのどこなんだろ >>60
そもそも装甲を削った話は、書籍ごとに記述が変わってることから司馬先生の作り話或いは記憶違いっていう説がある ノモンハン事件ひとつとっても司馬さんはデタラメだらけだから
司馬史観などと持て囃されてもしょせんは面白おかしく書いて売れればいいだけの単なる物書き、学者でも技術者でも何でもない 司馬遼太郎(福田定一)が所属した戦車第一連隊には三式中戦車は配備されていなくて触れる機会は他の連隊に将校旅行に
行った時だけなのでまあ削れないだろうなと思うが。
司馬遼太郎って旧軍嫌いの戦車嫌いのイメージだけど自分の所属した戦車第一連隊第五中隊の戦友会の発起人をやってるんだよね。
戦車第一連隊発祥の地の久留米にある「戦車の碑」の碑文が司馬遼太郎の草稿(揮毫は戦車第3師団長山路秀男元中将)だったり戦友会には
欠かさず出席したりで戦車第一連隊第五中隊第三小隊長福田定一元少尉は別の側面もあったりする。 なんかの回想エッセイでこの戦友の面倒は俺が見てやらないとみたいに言ってたから
人並かそれ以上の戦友愛みたいなのだけはあったんじゃねえかな多分
でもその話は、他の戦友には同じことを思われてたってオチだったけど
やっぱでたらめっていうか回想でありがちな盛り盛りだったのかね 司馬は軍の上層部が気に食わないだけど、欧米戦車と比べれば絶妙にダメダメそうな雰囲気を漂わせる日本戦車大好きだろう。 多分あれだな、「上層部のせいでオイラ達がこんなダメな子で戦えるんだ〜兵士もチハたんも可哀そう」の感じで言っていた ノモンハンで日本戦車がBTに歯が立たなかったという、誤ったイメージを作ってしまった戦犯の一人 >ノモンハン
チハは初陣から連隊長を戦死させたので何とも言えないな
事実上の主力であるハ号は戦車戦には普通にダメだった
いずれにせよノモンハンでの強敵は「対戦車兵器」で、日本陸軍戦車の最後の戦いもノモンハンと大差なくソ連対戦車兵器にやられた。 BTの戦車砲も対戦車砲も同じ45mm砲だったが、日本戦車兵のほうが腕がよく、戦車相手なら先に命中弾を与えていた >>69
それは日本戦車兵が凄い話であり、ハ号が凄いの話じゃねぇだろ?
手軽い高速軽戦車として設計されたとはいえ同期のBT-5より優れるとは言いにくい
しかしハ号は大戦の最初から最後まで日本戦車の主力であった 司馬はどちらというと1930-40年代の昭和日本と特にその上層部嫌い
明治日本なら大好きだぞ
話を盛ったとはいえ司馬氏が言いたいのは多分そこだろう
「こんな弱そうな戦車しか作れないのに米英ソと戦争して何になる!」と、 つっても日清戦争は日本の侵略戦争だと断じて叩いてたからそうでもないと思う 中戦車パンサーと重戦車タイガー、マイバッハは両方のタンクにほぼ同じ21リッターV型12気筒650馬力エンジンを取り付けることを提案しました。
30トンのパンサーのエンジンはマイバッハHL210P30,タイガーの45トン仕様はHL210P45エンジン。これらはラバーマウントを介して車体に固定される
重量を節約するために、シリンダーブロックは鋳鉄ライナー付きのアルミニウム合金で鋳造されました。鋳鉄ライナーの周りには冷却水がながれておりウェットライナーで
鍛造ピストンは、耐摩耗のSi含有量が約20%の低膨張アルミニウム-シリコン合金でできていました
それぞれに2つのダウンドラフトSolexキャブレター、タイプ52 JFF 2-2U 2046が取り付けられています。これらのキャブレターは、ジェットが露出したツインチョークタイプです。
排気バルブはナトリウム冷却されていますが、バルブシートインサートはありません。
バルブを打つロッカーはスチールスタンピングで製造、偏心ブッシュに取り付けられており、その回転によりタペットのクリアランスを調整。バルブの遊びを容易に調整する
ブッシュは、ロッカーピラーの固定ネジとワッシャーに取り付けられたスロット付き象限によって、目的の位置にロックされます。
ドライサンプ式で、圧送式潤滑システムが使用されています。圧力ポンプは、シリンダーヘッドとタイミングギアに導きます。クランクシャフトは、圧力ギャラリーにパイプで送られる
圧力下でオイルを受け取ります。、エンジンの両端に設置されたスカベンジポンプは、そこからオイルキャニスターに戻されます。オイル容量は28リットルです。
オイルクーラーは水冷式、オイルは冷却水でひやされ一定温度になる、ラジエータから戻る水が油/水熱交換器にてエンジン冷却システムに入る
ウォーターポンプからの出力はシリンダーブロックのウォータージャケットに送られ、そこからシリンダーヘッドを循環します。シリンダーヘッドからサイドラジエーターの上部に入ります HL210P45エンジン量産は1942年8月に開始されパンサーのHL210P30の生産もほぼ同時に開始された可能性があります。残念ながら、、新しいタイガーがロシアに到着したとき
、10タンクごとに1つのスペアエンジンと1つのトランスミッションしかありませんでした。スペアパーツの重大な不足は、短期間で使用できなくなったことを意味しました
パンサーも(D)も同様に不運でした。春にロシアに到着したとき、故障(エンジンガスケットの漏れを含む)は非常にひどいため、バッチ全体をドイツに返送する必要がありました。
パンサーズを再建するための特別な工場がベルリンの近くに設立された
その間に、マイバッハはHL210を再設計し、アルミニウム製のシリンダーブロックを鋳鉄ブロックに交換し、23.88リットル(1457立方インチ)にボアアップ、排気量が増加しました。
これにより、モーターの重量が増加しましたが、剛性も増加しました。その結果、3000rpmで700bhpまでパワーが向上しました
すべての変更にもかかわらず、HL230 P30を搭載したAは、過熱、エンジンコンパートメントでの火災、ヘッドガスケットの吹き飛ばしに悩まされていました
ヘッドガスケットの問題は、1943年8月に銅のリングを溝に押し込んでヘッドをシールすることで解決されました。HL230 P45には新しい設計のピストンが取り付けられ、圧縮比がわずかに低下
1943年11月、ガバナーがHL230 P45に設置され、最大回転数が2,500 rpmに制限され、全負荷時の最大速度が38 km / に制限されました。
新規エンジンでもベアリングの故障が原因で頻繁に故障が発生し1944年1月から改良されたベアリングが新しいHL230P45に取り付けられました。調査によればベアリング破損はオイルの泡が問題で
これを解消するには高品質のオイルが必要ありドイツでは不可能だった(空軍でも同じ鑑定結果が出てる)
このエンジンはクランクシャフト末端のベアリング焼き付きが多かった。ヘッドに送られるオイルは、シリンダブロックの穴が大きくオイルが落ちる量が多いと
ヘッドのカムが摩耗、ぎゃくに通路が絞られると腰下のクランクが焼くつく。豊田中研によれば、低回転を多用すると油圧が低くカムが摩耗する。高回転を多用するとオイルが上がり腰下が痛む、
マイバッハエンジンは高回転を多用する傾向にあったことがトラブルの要因であったと推察される マイバッハエンジンは狭い場所で押し込まれても700馬力で提供し技術の驚異と言えたが、しかし複雑高価で、きわめて製造が手がかかるのが難点であった
ヒトラーは可能性が薄いことを承知しながらMB507エンジンを使えないかとしつこく聞いた。マイバッハ博士は小児的な問題はすぐ解決すると断言、シュペーアは博士に信頼をおいていた
43年後半までに、ヘルマン・ゲーリン(大量強制労働を伴う戦争生産の4カ年計画の責任者は、メイバッハの生産を保護領ズデーテンラント帝国ライトメリッツの町のすぐ西
にあるラドビル山の下の地下工場に分散させることを計画。ここに既存の採石場がありましたが数キロメートルの長さの生産と組み立てのための計画されたスペースに対応するために、
施設を拡張する必要がありました。
重要生産ラインであるシリンダーヘッドとクランクケースが、合計180台の機械で地下工場に移されマイバッハHL230エンジンがライトメリッツで製造されました。最初のものは11月14日に完成しました
生産ラインには、ElsabeAGとして知られている分遣隊の熟練した囚人が配置されていた。
司令部は死亡率を減らすためにの囚人の状態を改善するための努力をした。囚人は洗面所のある倉庫に別々に収容され、食料の配給量を増やしました
キャンプ自体は、かつてのチェコスロバキア軍の基地にありました。SSの警備員と管理者、および民間労働者は元の兵士の宿舎に住んでいましたが、囚人は、
二重の有刺鉄線の柵と7つの監視塔に囲まれた、7つの兵舎が建設され、収容人数は4,300人の男性と、別の女性キャンプにいる1,000人の女性でした。 マイバッハは、戦争中、ますます強力な4ストローク水冷ガソリンエンジンを開発し続けました。HL230の発展型であるHL234でした
燃料噴射メカニズム(ボッシュによる)および過給エンジンを開発
エンジンは約23.4リットル給されていないバージョンは、900 PS @ 3,000 rpm、過給バージョンは、約1200PSを提供
メインのスーパーチャージャーは、HL234のVに取り付けられた70 PSの独自のツインシリンダースーパーチャージャー付き1リッターエンジン(キャブレターは通常の吸気エンジンに配置さ
れていました)によって駆動されるはずで43年4月までに、HL230のクランクシャフトベアリングとコネクティンロッドも強化され、直接燃料噴射システムが装着された
HL230に対するその他の改良点には、水冷式スパークプラグが含まれていました。より良い気流のための改良されたインテークマニホールド。エキゾーストマニホールドも改良されました。
コイルタイプのバルブスプリングの代わりに、HL234ははるかに強力な皿ばねを使用しバルブの開放時間を短縮しました。さらに、ロールスロイスマーリンエンジンで使用されて
いる設計を採用することにより、ゴム製シールと銅製ガスケットの問題が解決されました。 >>70
あのBT-5と対決して先に当てた方が勝ちまで行ったのはスゴイけど、後継が全く作れなかったのがなぁ
主力中戦車すら数が無いから、戦略的には負けだし BTと撃ち合って勝ったのはイ号(八九式)だけどね
低初速で貫通力も低い57mmで、小隊単位で1両を狙って集中射撃、BTの機関部付近に当てるとガソリンが炎上した
そもそもBT-5は前面装甲でも13mmしかないので、機銃弾に耐えるのがやっとの防御力だし 司馬せんせはイ号で全くBT倒せずに指揮官が発狂したとか書いてましたね レマーゲン鉄橋は崩落したあと再建されませんが何故でしょうか
住民は河渡れずたいへん不便です
ちかくに橋もなく地元民はフェリーで渡るようで まず「レマゲン鉄橋」は通称で、本当の名はルーデンドルフ橋
そもそも地元民が対岸への往来に使う目的ではなく、第一次大戦当時に軍事目的の鉄道橋(エーリッヒ・ルーデンドルフ将軍から名をとった)
として建てられたもので、1960年代にドイツ連邦鉄道が再建を考えたが、コストが見合わないとして再建案を廃棄、現在は歩行者・自転車専用
吊橋を作る計画がある >>78
朝鮮戦争で故障戦車の数が異常に多い事を鑑みると
太平洋戦線では重量級の戦車は使い物にならないから
開発しなかったのでは? >>83
一応20t以上の四式戦車を開発したが、すでに運べる能力はなかった
ホニ車をフィリピンに輸送する時にさえ輸送船が撃沈されて半分水没になった >>83
朝鮮戦争時はろくな工作機械もない日本で改造や整備してたのも影響あったと思うな
航空機も戦車も
いずれにせよ赤羽スペシャルとか出番なかっただろうけど 故障放棄に至るのは、中国人民志願軍の反撃で後退したときでは? >>46
センチュリオンは被弾貫通しても被弾箇所の乗員が死傷するだけでパットンみたいに全員死傷とか発生しなかったのでイスラエルのお気に入り
即応弾の配置とかメルカバ設計の参考にされてる パンター戦車の機関室には大きい冷却ファンが2つ並んでいて、これはクラッチでフライホイールから動力を取り出し
傘歯車とドライブシャフトで大型ファンは回されエンジンの高温を排出
T34などのV2ディーゼルにはシロッコファンがついていたが、風力が弱かった
またシロッコファン自体は音が静かという利点があるもののV2エンジンが騒音がひどく3キロ四方に轟いたので意味がない
ソ連の技師はパンターの冷却ファンの強力さに注目、IS4スターリンではその機構をコピーした T-54の冷却システムは、横置きエンジンのうしろにミッションがあり、そのうえにラジエーターがある
巨大な遠心ファンが車体の後尾についており、ラジエーターから空気を吸い込む
これの欠点は、ラジエーターの熱をすべて、
機関室にすいこんでしまうことで、エンジンやミッションはより多くの熱を溜め込む傾向になる
ソ連では問題にならない、もしくは温かいが砂漠地帯で過熱を引き起こした この温かいラジエーター構成はT62やT72シリーズのソ連戦車でも受け継がれており完全動作であると認められてますが
報告によると、このシステムは極端な暑さでは機能は落ち込んでしまう
冷却システムは、最大25℃の周囲温度で最大の冷却効率が得られる。ヨーロッパの夏には十分であるが
温度が高くなるとシステムの負荷が増加するため、冷却ファンが必要とするエンジン出力の割合が大きくなります。
高温ではパフォーマンスがわずかに低下し始め45℃の以上の温度では、エンジンの出力が急激に低下します(最大33%の損失)。
過熱は、最大50℃の周囲温度で大きな問題になりますがこれは砂漠で記録されることがあります。
このような過酷な温度では、エンジンを冷却するために、走行停止する必要があります >>89
地域色でるよね
船なんかでもロシアは砕氷基準が昔から厳しいんで日本の船よりサイズの割りに重くなったりするし
どこでも現地改修なしにホイホイ使えるオールマイティな作りの戦車とかってあるのかしら フェンダー上に非装甲の燃料/オイルタンクが露出してるのも、砂漠で直射日光を浴びてると軽油ですら引火点に達してしまいエラいことに ティーガー1の機関室は3部屋にわかれ、左右隔壁が、前に三角形のガソリンタンク、ラジエーターが中央で後部に4つの排気ファンをおく
そうすると左右に振った燃料タンクの位置を狙われるとまずいのではないかと思えるが、パンターはこれを懸念してか
中央のエンジンルームに5つのタンクを割り振って、ようするに燃料でエンジンを取り囲む
パンターの戦闘室以降の後部の配置を設計したのはマイバッハ博士で(MAN社に押し付けられたとも言う)
側面装甲がうすいので奥にひきこんだのかもしれないがガソリンは高温で気化しやすく
更に複雑な5つのタンクと多くの配管がゆるむと、パンターが火災炎上しやすい原因となる
「どっきり!ガソリンタンクだらけの欠陥エンジン大遊泳大会」には、自動消火装置が付けられた。が、これは上手く動作しなかった
けっきょくティーガー1の配置がすぐれていた。タンクを撃ち抜かれたばあいラジエータも傷つくので冷却水が消火になるのである
ロイヤルタイガーは、パンターの機関室上面に似て、大きな左右のファンがおかれる
これは総統がパンターUおよびティーガーUの互換性を指示したものでティーガー設計者アーダース博士は信念を曲げられ激怒した
王虎の燃料タンクは、戦闘室下の左右に170リッターのタンク、また左右の傾斜装甲にそって140リッターの三角形タンクが置かれる
これは、もし貫通されたばあい、左右のタンクは、もえることになる。アレクサンダーオスキンがこのケースであった >>83
2km先を見通せる戦場も少ないだろうし
接近戦が基本だから マイバッハ博士もかなりの頑固者というか変人よ
パンター機関配置まで手だして火災
他国のように航空エンジン流用ですむのに
なんでヒゲダルマが新しい戦車エンジン開発すんのよ >>94
日本や特に南方で戦う場合シャーマン相手なら3式戦車で十分な攻撃力あるのよな。
500で殺せるし。 交戦距離短いからな
位置取りうまくやれればチハ改でもなんとか…
機動戦やりにくくて待ち伏せ優位
まあでもあんまりシャーマンの損害が重なればパーシングが引っ張り出されるな
史実でも準備されていたし タイガー戦車を装甲うすくして五十ミリにしてあとは共通でパンサー中戦車でよかったのね
パーシングも装甲五十ミリで中戦車化 マイバッハと航空エンジンのサイズを比較すれば、どれだけ車体の軽量化に寄与してるか理解出来るだろう
他を犠牲にしてまでどれだけコンパクトに出来るか(特に全長)に腐心して設計されたのがマイバッハエンジン >>98
傾斜してない50mmじゃIV号戦車になってしまう
それでは米軍戦車の75mm砲やソ連戦車の76mm砲相手でも防御力不足
パーシングの中戦車型はT25E1が既にある、車体前面傾斜した76mm(初期のセンチュリオンと同じ値) >>101
傾斜装甲の場合、トランスミッションの交換をどうするかですよね。 M18やM24、61式のように車体前面装甲の一部をボルト留めにするか、ティーガーみたいに手間をかけ砲塔を外して行うか 外付けリーフサスの4号系列なら底面にデカデカと
交換用開口部を設けるのも不可能じゃ無いかもな
まあそこまで壊れた戦車は捨てて来いてのが戦場の常だろうけど 野戦整備でのエンジン交換とか、大戦中であっても普通にやって、損傷戦車を復活させていたが そりゃ回収車を動員してある程度後方へ下げる事が可能な場合だろ
やられた・壊れたで、すぐさまその場でそんな大がかりな補修が出来る訳ねーじゃん その回収して再生し戦力化できることが重要なわけで
特に北アフリカでのドイツ軍、東部戦線での独ソ両軍、戦後のイスラエル軍がその重要性を示しており、戦後各国は戦車ベースの本格的な回収車を装備する事となる ここ10レスくらいの議論だけ見ても、カタログデータの戦闘力は勿論、回収とかの面まで含めて、
ドイツ側は量産・運用・回収が比較的容易な四号が
T-34やM4より少し下位ってのが最後まで尾を引いてるのが分かる。
四号のワンランク上が一気に運用・回収に負担がかかる重戦車級のパンター、
更に問題外のティーガー系列まで作ったり、
現実の戦況は回収とか移送すら難しくなってきてるのに、
優勢期でも運用に難がありそうな戦車頼みなのは迷走だろう。 >>97 対日戦だと十榴積んで防盾厚くしたT26E2(M45)の方が榴弾威力があって主砲が引っかからんで使い勝手良いな。
五式以外は普通の榴弾でおkだろうし、五式が出てきてもHEATでなんとかなる。 パンターは後にドイツの国力(資源調達・生産力・ほか)には見合わない
高級過ぎる主力戦車だったといろいろな書籍や資料で言われている
いわゆるT34ショックが開発の発端だから
同程度の物を作りましょうと言う計画では総統閣下は納得しなかったのだろう
パンターの量産が動き出した以降も生産力の集中をせず
4号がJ型に至るまで生産されて
派生型も多くが運用されていた事には賛否があるようだな 五式でも避弾経始のない前面75mmでしかないからなあ
105mm榴弾は距離500mで厚さ1フィート5インチ(427mm)のコンクリートを貫通、HEAT弾は最低でも102mmの装甲を貫通 イギリス軍でのキングタイガーの呼び方、昔、ニチモが1/35スケールのポルシェ砲塔型のプラモをその商品名で出していた ホロ車みたいのが日本の身の丈にあってシャーマン確実に殺せるし一番よかったかもな。 ドイツ軍がT-34に対して早々にマルダーシリーズを戦力化したように、一式や三式といった砲戦車をすぐに増産すべきでは
車体も砲もあり物だからすぐ作れそうだけど、牽引型の九〇式野砲+機動野砲ですら計800門しかないし… >>110
>パンターは後にドイツの国力(資源調達・生産力・ほか)には見合わない高級過ぎる主力戦車
パンターが当時の重戦車級だからね。
ドイツに限らず、ソ連やアメリカでもIS-2やM26を主力にしてたら、史実でのT-34やM4程の量産は不可能かと。
ただ、ドイツはそれを抜きにしても更に重い余計なのを色々作りすぎてたたから、
パンター1本に絞ればどれだけ改善したかは気になるところ。 >>111
それ多分対コンクリート弾のデータだから榴弾のデータじゃ無いぞ
ソ連では榴弾だと15cm加農砲でも50mmぬけるかどうかというデータが出てた筈 シュペーアは戦車設計が御趣味の総統閣下といっていたが末期には総統にかなり染まってキングタイガーがお気に入りで
最重要の兵器だと挙げてる
重戦車など数百しか作れないからねぇ いや、普通のHE弾M1の、垂直に命中した場合の数値としてWikipediaに出てる スターリンはシュツルモビーク襲撃機がパンのようにお気に入りでこれはクルスクの戦いでT34が手こずっても
空中から小爆弾ばらまいて23ミリで掃射した
これはどんな新型重戦車にも効果的だ 日本はタ弾を装備して襲撃機に戦車を襲わせるべきだった
あれ朝鮮戦争では中国人はやってないね VYa-23機関砲の徹甲弾は、スペック上では距離400mで25mmの装甲を貫通するはずなのだが、
実際の低空攻撃では浅い角度での命中となり弾かれてしまうため、40度以上の命中角で当てなければならず、
しかしIl-2がそんな深い降下角度で攻撃をかけることは無いため、現実的ではなかった 東部戦線の泥だらけの地形でのさまざまな自動車の有用性を評価するレポート。
第24装甲師団 (ドイツ国防軍)マクシミリアン・フォン・エーデルスハイム装甲兵大将
1944年5月19日
オートバイは一般的に泥の期間には不適切です
主な問題:フェンダーとフロントフォークとホイールの間のスペースが小さすぎる、重量に比べてエンジン出力が低い、足でのギアシフトは泥の中でまったく役に立たない、
距離のために最低地上高が低すぎるホイールベースが大きすぎる、トラックが広いサイドカー付きの二輪車は邪魔です。
中型二輪車とサイドカー付き二輪車は、泥での使用を拒否されます。泥だらけの時期にその重量のために使用できる唯一のオートバイは、DKW軽量オートバイでした。
ライダーとその乗客がモーターサイクルを持ち上げることができるように軽量、高エンジン出力、手動ギアシフト、フェンダーの簡単な取り付け、泥がホイールを避けないように
フロントフォークとホイールの間に十分なスペース、最低地上高は可能な限り広く、重心は可能な限り低くします。
(2ストのモトクロッサーが欲しいらしい
フォルクスワーゲン
泥の時期にもうまくいきました。四輪駆動ですが、シュビムワーゲンではベアリングの故障が日常的に発生し、強化されたベアリングを使用しています。
浅い泥の中のオペルオリンピアとカデットは適切に機能しました。
メルセデス170V、オペルカピテーン、同じクラスとパワーの車両などの他のモデルは、泥の中で使用することはできません。 独・フォードV-3000軍用トラック
ミディアムトラックはあまりうまく機能していません。エンジンは非常に高い回転数を必要とし、90馬力にもかかわらず、
パワーを持っていません。ラジエーターは泥で簡単に詰まる可能性があるため、ラジエーターの設計を変更する必要があります。
クラッチとギアシフトのコンポーネントは、ハウジングとスプロケットが頻繁に故障する
フォード-マウルティアの オフロード中型トラックは、過負荷が必要なときに適切に機能していませんでした。過熱によるエンジンの頻繁な故障とクラッチの故障です。
オペル-マウルティア中型トラックと、BBエンジンを搭載したフォード-マウルティア部隊は正しく機能しています。
メルセデス3000 は良く機能しましたが、ここでもクラッチのデザインとギアシフトは東部の泥の期間には弱すぎます。
2つの3.6リッターオペルモデルAとSは、泥だらけの時期にうまく機能しました。主な故障は2速リバースギアで発生しました。
重Maultierは比較的よく動きます。それでも、クラッチとギアシフトの市販部品が弱すぎる
エンジン出力は良好です。クラッチとギアの設計が変更されると、重いマウルティアはさまざまな目的に使用できるため、軍隊にとって優れた車両と見なすことができます。 1930年代までDKWは世界最大のオートバイメーカーだった。1939年に第二次世界大戦の勃発で市販車両の生産を停止するまでは
そうなんだ。なぜかタミヤでDKW売ってないから・・・ アップマフラーもなかなか
ttp://i.imgur.com/Tc1S5e7.jpg 「1944年12月15日から31日までの西部訪問に関する報告」ベルリン、アルベルト・シュペーア
1945年1月15日に武器弾薬大臣アルベルト・シュペーアが作成した文書、彼はワハト・アム・ライン作戦中にB軍集団を訪れたときに経験したことを語っています。
旅行中に、以下の観察が行われました:
武器に対する軍隊の信頼はかなり増加しました。ドイツの兵器産業の業績に対して大きな熱意と賞賛をもってどこでも受け入れられました
パンサーは特に賞賛されています。この車両は、すべての敵戦車よりも著しく優れていると考えられています。
今日、パンサーは深刻な欠陥に悩まされていないことがすべての場所で見られます。
38tこの車両がパンサーよりも優れているとさえ主張しています。シャーマンとの戦闘においても、近距離で、この車両は大砲の貫通力と正面装甲で優れていることが証明されています。
大型部品セクターの戦車用スペアパーツの状況は改善されており、エンジンおよびギアボックスセクターでは十分であり、トランスミッションでは不十分です。
特に不足しているのは、現在の材料の配送に含まれておらず、トン単位で数えられる小さなコンポーネントです(たとえば、シーリングスリーブ、ボルト、ネジなど)。
後方地域(例えば、アーデナウ)では、特に最初の数日間、敵の戦闘爆撃機とドイツの戦闘機との間の頻繁な戦闘が観察されました。戦闘中に、
双発ライトニングがドイツの戦闘機より劣っているようです、単発戦闘機間の戦闘では、戦闘機は実質的に同一です。
一方、前線エリアでは、ドイツ戦闘機の存在は観察されていません。敵は戦闘爆撃機で非常に強力な作戦を実行します。燃料が必要です。
敵の空軍の作戦は、森林内の最小の二次道路にまで拡大し、これまで私たちの軍隊は安全であると感じることができました。敵は非常に集中的に森を次々と追跡します。
航空機の機関銃は爆弾よりもはるかに多くのダメージを与えます。
対空防御によって防御されたエリアが認識されると、敵機はこのエリアを回避します。これらのエリアを回避することは、敵にとって常に可能です。なぜなら、ほとんどの場合、軽量の対空砲に
よって防御されたエリアは、幅2kmのセクターでせいぜい2の平方根を占めるからです。 夜間、敵は時折機関銃で攻撃します。この脅威にもかかわらず、トラフィックは中断することなく流れ続けますが、完全に暗闇の中で、ライトは使えない、当然のことながら、
夜間の交通量の制限と日中の交通量がないため、道路上の私たちの輸送は、敵の動きの半分から3分の1にしかならない
私たちの動き、特に供給に対するもう1つの大きな障害は、アイフェルとアルデンヌの道路の特徴です。問題は路面の悪さではなくすべての主要道路がアイフェルとアルデンヌの火山地帯を
途切れることなく上り坂または下り坂を通過することです。ほとんどの道路は急な斜面と多くのカーブがあり、アルプスの道路と同じようにこの難しさは特にトラック輸送に影響します。
トラックは、これらの旅のほとんどを1速と2速で移動する必要があります。古いトラックは、故障のためにすぐに脱落する。これらの損失により、輸送量が減少します。
これらすべての理由から、作戦と攻撃の枠組みの中で、供給問題の分析と解決は、私たちにとって大変重要になものになるでしょう。
西側の敵は、海軍の国として、私たちよりも供給の問題をはるかに重視していることを心に留めておく必要があります。彼らは海からのこれらの問題を知っており、
供給問題を解決することは、作戦がすでに成功したのと同じことです!補給が十分に考慮されておらず、正しく計算されていない場合、この理由だけで、作戦は失敗する運命にあります。 通常、高度に機械化された部隊ユニット内で時間の経過とともに自動的に価値が失われます。
深刻な供給問題が発生しなければならないこの種の特殊作戦には、これらの種類の問題の評価と解決を担当する経験豊富なコマンドが必要であり、何が実行可能で何が実行可能でないか。
絶対的な精度で確立できます。
個人部門では、少なくともこれらの役員が専門職としてのキャリアを伸ばす能力を備えていることを確認する必要があります。
軍集団に従属するほとんどの補給官は一般的に少佐以下のランクを保持していることが関係しています。これらのポジションでは昇進の可能性がないため1年後に人事異動する必要があります。
これが、安定した必要な専門家グループを作ることができないもう一つの理由です。
ロシアの師団の成功の間に、兵站問題を管理し解決する方法を知っていた将校はどこに行ったのですか?それらは供給の管理に使用することができなかったほど高いランクに達しました。
それでも、オペレーションの問題を解決、成功させることになれば、ランクが高すぎることはありません 交通が遮断されると、軍隊と将校の無気力は驚くべきものです。誰も問題を解決しようとすることを気にしません。
何千人もの兵士が活動しておらず、道路上の戦闘爆撃機による攻撃にさらされているにもかかわらず、交通渋滞の簡単な解決策を見つける方法を考えようとする人は誰もいません。
多くの場合、問題は車両が横滑りしている高速道路の凍った舗装に砂を塗ったり、カーブで事故ったトラックを外したりするだけで十分でした。
この意味で、機械化ユニットの、道路から障害物を取り除くことの重要性は、敵と戦う能力の重要性と同じであることを認識させる必要があります。
道路や迂回路の標識はしばしば不十分です。これらの兆候は、継続的な空襲によって破壊されたり、損傷を受けて認識や読み取りが困難になることがよくあります。
これらのタイプの作戦における交通を規制するためにOKHによって雇用された憲兵隊がよりよく訓練され、彼らの職員がこれらの特別な機能を実行するために注意深く選ばれることが絶対に
不可欠であり続けます。平時でも、中央高速道路の交差点での交通を規制するために、最高で最も賢い警官だけが選ばれました。
これらの機能は高速道路のジャンクションで簡単であると結論付けられるべきではありません。供給が機能するかどうかは、主に警官の能力と知性に依存します。
各供給ルートに「高速道路司令官」として精力的な役員を任命する必要がある。高速道路の司令官は、高速道路にいるすべての軍隊に命令を出すことができなければなりません。
交通の流れを確保するため憲兵隊に加えて、地域を知り、支援できる役人が必要あります。暗闇の中で、1:100,000の縮尺の地図があっても、空襲によって
破壊されたため、小さな町を見つけることができないことがよくありますます 特に難しい問題は、鉄道輸送の問題です。最大の難しさは、輸送機関が目標に到達する時期と、中断がある場合は輸送機関が常にどこにあるかを予測できることです。
ライヒスバーンの通信システムはほぼ完全に破壊されました。このため、輸送機関を降ろすプロセスは長い遅れを被り、列車は頻繁な空襲の1つで破壊されるまで駅に群がります。
戦闘が遅くなったとしても、補給部隊のパイプラインのレイアウトを、正面に近づき続けることは有益です(その輸送は大幅に削減されます。
署名:Speer 随分前にも何処かに似たような事を書いた気もするが
ドイツと枢軸側各国の総力を結集したとて
米・英・ソの産出・調達可能な資源量と工業生産力との差は歴然としたもの
敵はそこそこ使える戦車をマスプロ大量生産して数で押して来る
ならば1台で5台10台を相手にして戦えるスーパー戦車を作って対抗しよう
この考え方そのものは間違って無い
但しそれが自国の乏しい国力を正しく認識した上での事なのか如何かは
甚だ疑問
T-34凄い!もっと凄いのすぐに作れ!的な安易な発想で
パンターのような「高級車」が大量生産出来ると思っていたのなら
ドイツはまさに身の程知らずとしか言いようが無い つうかほんとにパンサーばっかつくっときゃ良かったのに
見た目が一番好きだからという個人的な理由によるが
ソ連軍からみたWW2さいつよ戦車はパンサーなんでしょ確か ベルリン、1943年3月11日
1943年3月6日の総統との会談で議論された論点
「総統閣下、ある報告によると、シャーマン戦車はあまりうまく機能していません」
総統「アメリカの軍隊の責任者がシャーマンについての否定的な報告を受け取る可能性がある、という事実であるが」
「シャーマンの能力が低いことを(あまり目立たないようにしなさい)。出版物「Die Wehrmacht」にこれらの報告と、車両に関する他の肯定的な評価をさせるのだ」
ヒトラー、グデーリアン、トーマレ、ホフマンはアメリカ当局に問題を知らせないための措置として
シャーマン戦車の品質の肯定的な評価を公式に採用することに合意しました。
総統「ドイツ軍がかるがるしくシャーマンを批判した場合、アメリカの新聞だけでなく将校もこの評価をとりあげ分析するだろうと確信している」
「このレポートは、中立的な報道機関(スイスまたはスウェーデン)によっても発行される必要があります。ホフマン、シュワルツフォンバークに連絡してください。」
AGFレスリー・J・マクネア将軍
「M4戦車、特にM4A3は、今日の戦場で最高の戦車として広く評価されています。この見方では、敵が同意している兆候があります。!!!
どうやら、M4は機動性、信頼性、速度、保護、火力の理想的な組み合わせです。」 ソ連はあまりオートバイなかったみたい
アルデンヌ、ベルギー輸送路が峠道をつたって中型トラックでヒルクライム
夜だけ無灯で峠攻める、頭文字Dじゃないんだから
電車か飛行機でぱっと運べばいいのに 大戦前のソ連製オートバイ/サイドカーは時代遅れだったので、ドイツのBMW-R71(R75の前身)をコピー、改良して「ウラル」として生産 BMのサイドカーはそもそも
バイク的運用ではなく、ジープ的な運用
特性的にほぼ別もの バルバロッサ作戦開始時のBMW-R12は普通のサイドカーだけど、新型のR75ではシャフトを通じサイドカーの車輪に動力を伝達
同じBMWでも時代によって違う モントゴメリーがマーケットガーデン作戦でうった賭けは失敗
南部にヤークトパンター45両からなる第559対戦車猟兵大隊が侵攻
補給は断ち切られ一個空挺師団が潰滅した
珍しくヤークトパンターと対戦猟兵部隊というマイナーさんが大活躍してるんですが?
プラモ作るとなるとG1型でツーピース砲身のツィンメリット車体で再現できるようです >>101
ここまでやるならパンターにしようぜってなるわな
既存の設計流用すればある程度早く安く上げられるが、でも古さ故の問題や限界からも逃れられない
>>110
兵器生産は運用だけじゃなく生産側の都合もあるからねえ
ぶっちゃけ、完成品を納入するような企業としては他社が設計開発した製品なんて作りたくない
下請けで製造協力なんてもってのほか
国家社会主義な体制下なら強制することも可能ではあったろうが、最後まで動力系の信頼性を確立できなかったこと鑑みれば、生産移行のタイミングを見極められなかったと思うよ
移行中はライン止まってしまうしね
>>122
制空権がないのに無理や
東部戦線だと戦線と前線航空基地が近接してるから、制空権が不確実な状況でもそれこそ通り魔的に襲撃可能だが 第559(重)戦車駆逐大隊が45両ってのは定数で、最後までそんなまとまった数の補給を受け戦った事は無かった思うが? オートバイとかガソスタを襲撃できて石畳やら舗装された道路が点在するヨーロッパ専用じゃなかろうか
ロシアとか泥や戦車の轍、背丈ほどある野生コーリャンで使い物にならなさそう マーケットガーデンの補給線つぶしたのは
ケーニッヒティーガー45両という説もあるが 補給回廊が狭すぎたからでしょ
英第一空挺師団が壊滅したのはSS機甲軍団の存在より弾薬が尽きたから いや、ケーニッヒティーガー45両もいなからw
誰が言いだしたとんでもかいな。 ティーガーIIが大隊フル編成で戦った事なんて一度もねえよ
アルンヘム(アーンエム)に降下した英第1空挺師団を迎え撃ったのは、第9及び第10SS装甲師団と、第506重戦車大隊のティーガーIの一部、第280突撃砲旅団のIII号突撃砲 連合軍はルールダム目指して進撃
ヴァルターモーデルはジークフリート線の対戦車障害物やトーチカ頼りにビュルトンゲンの森で反撃
森林はシャーマン戦車の進撃に適さず
狭い回廊はドイツ砲兵も逃さず21cm重砲や重ロケット迫撃砲で制圧
アメリカ軍はモーデルの罠に大損害うけ膠着に陥る
アイゼンハワーの指揮もうんこすぎる ヤークトパンターG2のプラモデルしかもってないんだが。。
後期ヤークトが活躍した記録がない
ショボッ
ダサい戦車買ってしまったぜい 第503SS重戦車大隊も投入戦線は一緒だが
2つのグループに分かれてたから
一方は東プロイセンに押しやられ、もう一方はベルリン戦で戦ったわけだ。 BMWモトラッドいいよね
でもツエンダップのほうが高品質と判定されちゃって >>155
大戦ど末期、ヤークトパンターの生産工場に直接受領にやってきた第5SS装甲師団ヴィーキングの一部が、僅かな戦力で米軍の後方を撹乱するエピソードが「ラスト・オブ・カンプフグルッペVI」に収録されている >>160
古いタミヤのプラモデルとかのせいで日本語表記が「ツェンダップ」にされる事が多いが、実際の発音は「ツュンダップ」
最近の東欧製や中国製プラモデルでは、ちゃんと商品名がツュンダップになってる >>160
キノの旅でバイクの事をモトラドっていうからなんだと思ったら語源はそこか >>162
「ツュ」が発音できません。「ちゅ」でも「てゅ」でも無いんだよね・・・ ドイツ語は高知ドイツ語低地ドイツ語さらに芝居の言葉
さいきんは英語風に言う人もいるし
ティーゲルなんかは古風な言い回しらしい
東ドイツ人がジョンとかいう西側くさい名前で戸惑う
アチラではヨーンか、ハンスだな >>165
高知ドイツ語…w
なんか語尾にぜよ、とかつけるんだろうか?w ちょっとお尋ねするが「ツュンダップ」はチュンダップとかツンダップと発音すればよろしいでしょうか? マジレスすると外国語の発音を正確にカタカナ表記することは不可能 ツェンダップの750エンジンは170°らしいが、となると水平ではないのでは?V型では 第12SS戦車連隊長マックス・ヴュンシェ(元第1SS師団所属、ヴィットマンの元上司)もまた発音しにくい名前だな
ウムラウト付きのUが、日本語の小さいュになる >>159
歩兵砲兵工兵混成で連隊編成になってたわけだが、重戦車大隊の定数は満たしてたわけだろ? それコルスン・ポケットの開放作戦のときに臨時編成された、ベーケ戦闘団に含まれたときだけじゃね? あ、それは国防軍の503の方だった
第103改め503SS重戦車大隊はマーケット・ガーデン作戦には関わってないはず 第506重戦車大隊は9/12オールドルフにてB型45両受領
9/20アーエムで英軍と戦ったのは第3中隊の15両、内1両がPIATで撃破される
第1中隊は南方の米軍と戦って将校全員が負傷して戦列を離れる
アーエムでは他にフンメル中隊の虎IE14両、第9SS戦車連隊とゲーリング補充連隊のパンター6両などSS装甲偵察大隊も含めて計70両のAFVを投入して29両が撃破されている Zündappを発音するときはツンダップでいいしくぐもった感じでツェンダップと言ってもいいよ
ツュンダップなんて日本人の使う発音体形には存在しないから表記としても間違ってる エルストは映画で
ロバート・レッドフォードが
「何で前進しない!茶なんか飲みやがって」
と言ってた先にある町で、進撃に失敗したイギリス軍はエルストを迂回して西から
北上してライン川に達する。
補給線切るも何もそんなもの存在せんわ。 翻訳サイトの音声だと「ツンタップ」に聞こえる
まあ、明らかに「ツェ」とは聞こえないわな、たぶんュをェと見間違えて広まったんだろう ニェートリノ
ニェルンベルク
アイザック・ニェートン
アインシェタイン
案外違和感ないな 車両メーカーのBusching-NAGの「u」もウムラウト付きで、日本語表記は「ビュッシング」「ビューシング」
やっぱ翻訳サイト音声だと「ブッシン」に聞こえるけど、口はブで同時に舌を丸めて言うのだろう ビュはあってもブュは無い
日本人にはそういう発音は基本的にはありえないからな つーかツュがあるつーなら初出を提示してくれ
さぞや古いんやろ? 近年出たKS750のプラモ、アスカモデルの1/24とかライオンロアやIGBの1/35など、日本語での商品名が
「ツュンダップ」表記だったのに、通販サイトの方が間違って「ツェンダップ」になってることも多い あとバルカンスケールモデルス1/35のK500やK800も「ツュンダップ」表記ね マウザーが、日本では実際の発音とまるで違う「モーゼル」で定着してしまってるようなもんだな >>178
> たぶんュをェと見間違えて広まったんだろう
ドイツ語の表記では活字やタイプライターに用意が無くウムラウト記号が使えない場合はZundappとは書かずに
Zuendappと表記する事なっており、当時も当たり前だが同様だったと思われる(表記はueだが当然、ウエとは発音しない) >>181
B(ベー)+ウムラウト付きuで「ビュ」、W(ヴェー)+ウムラウト付きuで「ヴュ」、Z(ツェット)+ウムラウト付きuで「ツュ」
少なくとも「ェ」に聞こえる発音は無いよね 表記できるようにしたがっているがそもそも表記できない つっかマウザーも間違いだよ
マオザーがより正解に近いし古い時代ではマオゼルだっただろう >>193
そうするとモーゼルもマオゼルから来てるの? Sd.Kfz251と組み合わせた重ロケットランチャー(ヴルフラーメン40)のチーム運用。
第4装甲軍(ドイツ国防軍)コマンドの指揮による東部戦線中のレポート。
装甲技術者の大隊内で行われた経験によれば)これまでのところ、この重ロケットランチャー装置が戦闘手段として完全に適していることがわかります。
その大きな心理的影響は特に注目されるべきです-
彼らの戦車の乗組員にも。最高の破壊的および心理的効果は、高爆発性ロケットによって達成されます。
焼夷弾ロケットは、これまでのところ、生きているターゲットと都市部に対してのみ成功裏に使用されてきました。
●敵への影響:
装甲作戦準備中の部隊に対して高爆発性ロケットで25発(Wk Spr。)、焼夷ロケットで3発(Wk Fl。)をうちこんだ:結果
13両のT34戦車が乗組員によって損傷または放棄され、8両の戦車が逃げようとし高射砲によって破壊された
●防御ラインに対する高爆発性ロケットによる6発をうちこんだ:結果
30から40人のロシア人が即座に降伏しました。
●3両のKV重戦車に対する高爆発性ロケットによる4発のショット:結果
1両の戦車が燃やされ、他の2両は逃亡しました。
私たちの軍隊への影響:
戦闘部隊は、ロケットランチャーを敵の抵抗巣に対する攻撃を支援するためのほぼ不可欠な戦闘手段と見なしています。
ロケットランチャーの存在は軍隊を励まし強化します。
味方の士気のため、現在の弾薬不足により、あまり必要とは思えない場所での使用が求められる場合が多い。
最終結論
エンジニアとハーフトラック車両での機器の輸送により、次のことが可能になります。
装甲師団の攻撃ポイント内で、非常に短時間で敵の抵抗拠点を素早く壊すことができる戦闘手段を得る
すべての師団は重ロケットランチャーを装備しておけば、このチームが戦うのに適したターゲットをすばやく攻撃します。 実験大隊59
機器の操作と効果:
6/22から.ロシアでのオペレーション中。1941年7月18日まで、機器はほぼ毎日13回使用されていました。
合計約250発のロケットが発射されました。
師団のすべての戦闘部隊は、この装備を攻撃を支援し、敵の抵抗を打破するための不可欠な手段と見なしています。
その使用は軍隊の精神主義を強化します。
囚人の証言に基づいて確認されているように、敵への影響は並外れています。異常な心理的影響を検証する。
ロケット攻撃の後、すべての敵の歩兵または戦車は即座に射撃停止。重ロケット投下の破壊的影響は非常に深刻である
十分に訓練された運用要員と指示に従って照準を合わせるための正しいシステムを使用することで、
町や森に配置された敵の陣営に対してだけでなく、塹壕システム内の保護された歩兵に対しても非常に良い結果を達成する
焼夷効果は、生きている兵士、都会の中心部に対してのみうまく使用されています。
ロケットはうまく機能しています。それでも補給供給面では、十分な数のロケットが利用可能であることが賢明です
海軍または装甲グループのもつ倉庫を通じて、時には100 kmを超える距離にわたって輸送し、直接弾薬を供給しなければなりませんでした。
最新のWk.M.Fl.50ロケットは、最初の納入品よりも優れた焼夷効果を持つ可燃性オイルで充填され満たされています。
将来それらをよりよく区別するために、ロケットは次のようにマークされます:
28 cm Wk.Spr .:幅約5cmの4本の青い垂直線。
32 cm Wk.Fl 。:幅約5cmの黄色の縦線4本。
輸送中は毛布や防水シートで弾薬を覆う。追加の起爆装置はロケットと一緒にまもなく配達される、
パンツァー偵察部門
宛:すべての軍集団コマンド
すべてアーマードグループコマンドすべての装甲師団 >>193
翻訳サイトでの発音例だと、ドイツ語・英語共にマウザーとしか聞こえないが Sd.Kfz251の経験に関する技術戦術レポート。
現在装甲偵察作業で使用されるSd.Kfz.251の数が増えることが示されています
機械化部隊の稼働率を増やすために緊急に修正する必要があります。このため、東部での1年間の操業中に苦しんだ主な技術的問題レポート
まず第一に、Sd.Kfz251)は完全な成功を収めており、そのパフォーマンスは予想よりもはるかに優れています。
1942年4月に納入された37台の車両のうち、これまで15,000 kmの距離を移動しました。装甲車両としては並外れた成果です!
エンジンは非常に良いことが判明しました。エンジンの平均走行距離は1万kmにも関わらず、これまでのところ深刻な問題はありません。
6回、オイルクーラーがエンジンブロックのフランジから漏れました。漏れや動作不能のため、燃料ポンプを頻繁に交換する必要がありました。
前回の一般点検ではエンジンを分解する必要はありませんでした。現在の状態では、エンジンは翌年の運転に耐えることができると結論付けることができます。
クラッチ。
特別な苦情はありません。クラッチの滑りはありませんでした
ギアボックス。
「Variorex」ギアボックスは、ギアの数が多くエンジンのパワーを最大限に活用でき、そのおかげで、優れたオフロード速度を備えています。
ギアチェンジの難しさから、6,000 kmの走行後、11ギアボックスを交換する必要があり、2ケースではギアがジャンプしました。
これらの故障は、ドライバーの経験不足とドライバーの頻繁な交代によって引き起こされています。
フロントアクスル。
特に左側によく見られるステアリングボールジョイントは、最初から不具合が多数発生しています。ステアリングアームとタイヤも弱すぎます。これらの破損は最初から発生
しているため、根本的な故障であり、材料の疲労ではありません。
時間の経過とともに、ステアリングボールジョイント、ステアリングアーム、タイヤの破損や曲がりは耐え難い次元に達しました。 フロントスプリングは急速に弱まります。これまでのところ破損はありませんが、スプリングの故障により、車両の前部が沈み、トラクションホイールも沈みます。
トラクションホイールは、最初の走行ホイールと同じ高さになります。
その結果、オフロード走行中、駆動輪は危険なジャークにさらされ、車両の総重量を支えなければなりません。駆動輪にはクッションがなく、その結果故障が発生するため、これは特に重要です。
これらの問題は、多くの技術的障害の原因であり、その原因は車両の重心のみにあります。
理想的には、重心はランニングホイールではなく、ほとんどがフロントアクスルにあります。これがシャフトが過負荷になる理由です。オフロード走行中および衝突後、
フロントアクスルは地面に強くぶつかります。これが、上記の破損や損傷の理由です。
装甲をトラクターのシャーシに取り付ける必要があります。重心の有利な位置のおかげで、太りすぎにもかかわらず、エンジンは過負荷になりません。
ローリングシステム。
特に地形の悪さで苦しんでいるベアリングシステムは、大きな摩耗の兆候を示しています。問題はNUL40ベアリングにあります。外部からのシール
を維持することを目的としていますが、十分ではありません。分解時に、潤滑液がほこりや砂で汚染されていることを何度も確認しました。
スペアパーツセクターの危機的な状況により、必要な数のベアリングを交換することはできません
樹脂ハウジング(プレストオフ)多くの車両の走行輪とテンションホイールの振動アームは、約6000 km後に交換する必要がありました
テンションシステム。安全ピンが壊れた場合戦闘中は迅速に行動する必要があります。
それでも、クロスカントリーやリバースドライブ中には、次のことが起こる可能性があります。テンションシステムが露出しすぎた装甲浴槽に取り付けられているため、
調整ネックが曲がっていることがよくあります。このような場合、組み立ては修理サービスによってのみ実行できます。)。テンションシステムの設計を変更する必要があります。 燃料タンクは、一般的な亜鉛メッキされた板金ではなく、塗料の層で覆われた鉄板で作られています。
時間が経つにつれて、燃料は塗料を溶解し始め、燃料が塗料粒子で汚染されるという影響があります。
この事実は、ガソリンポンプ、の許容できない数の故障の結果として
深刻な問題を引き起こしました。現在、燃料タンクは最後の40リットルまで空になっています。これを行わないと、車両が安全にかかわり
タンクの洗浄は一時的にしか機能していません。
この点は、一見重要ではないように思われるかもしれませんが、軍隊にとって大きな問題となっているため、考慮する必要があります。
タコメーター。5000 kmの後、故障のために多数のタコメーターが動作を停止しました。ドライバーの頻繁な交代を考えると、車両の正しい取り扱いを可能にする重要なツールが欠落しているため、この事実は非常に否定的です。
シールド。
この車両は実際には明らかに戦闘車両になっています。1年で、歩兵だけが攻撃を行ったのは1回だけでしたが、他のすべての場合、
歩兵は機械化された攻撃を行いました。通常、装甲部隊との共同攻撃です。
車両は、敵の領土への侵入を実行した後、または歩兵と一緒に市街戦で地面の位置をクリアするために使用されています。
したがって、この車両は、他の戦闘車両と同じように敵の砲火による嫌がらせを受けます。
これまで見てきたように、最も不快なのは対戦車ライフルによる攻撃です。これらの武器は私たちに最も多くの犠牲者を出したものです。重量上の理由から、
その厚さを増やすことによって鎧を改善することは不可能のようです。ちなみに、死傷者のほとんどは右からの発射物が原因です。
鎧を突き刺した左からの発射体は、その場所に保管されている衣類などの袋に絡まることがよくあります。右の鎧の内側には、武器のサポートがあります。
この場合、発射体の前には弾性抵抗がありません。
中間ゾーンがプレスウールまたは他の弾性繊維材料で満たされた間隔のある鎧で試験開始されました
装甲板を大きく傾けることができるため、発射体が低角度で装甲板に当たる可能性が高くなり、その貫通能力が低下します
この車両は6人の兵士を輸送するように設計されていますが車の死傷者数が多すぎます。 兵器。
MG.42は、将来的に搭載機関銃として使用される必要があります。実用的な効果ははるかに優れています。また、車内のチューブ交換が容易で
車両には十分な弾薬を搭載できる
対空機関銃用の回転アームを装備し、要求するならば、戦闘で2番目の機関銃を使うことができるようにする
これは、特に偵察作戦において、敵の位置に侵入する際に利点があります。
3.7 cm対戦車砲は、もはや適切な対戦車兵器ではありません。歩兵戦闘用の重火器とこの目的のためには、発射速度が低すぎます。
2cmのKw.K.大砲を同じタワーに組み込む必要があります。
非装甲中隊での重火器の編成は不十分であることが証明されています。重機関銃は、意図された方法で車両から使用されたことはありません。実際には
これまでの経験に基づいて、重機関銃を搭載した車両は不要であると結論付ける必要があります。
各車両には双眼潜望鏡が装備されています。実際には、この潜望鏡は完全に不要であり、決して使用されないことが示されている
衛生車両。
経験から、健康のために特別な車両が必要であることが確認されています。死傷者が発生すると、車両は負傷者を戦場から運び去ります。これらの車両のほとんどは、
通常は次の野戦病院まで長距離を移動し、この間、車両は戦場から行方不明になります。最大8台の車両を同時に使用する必要がありました。
衛生車両を導入する必要があります。重傷者を輸送するための担架を備えたこの車両には、衛生士官(St. Uffz。)がいます。
無線電信機器。
タイプ「a」の無線電信機器は安全ではなく、繊細です。戦闘中に戦車と通信する可能性がないことも問題で
より優れた、より安全な無線電信装置が求められています。
大隊はこれらの車両にFu5(10ワットの超短波機器)を搭載しています。このチームを組み込む必要があります。
車両間、特に指揮官と小隊長の間の安全な接続がなければ、さらに悪いことに、戦闘中は不可能です。
署名:Deichen大尉と大隊長 スダコフツ251は戦後もチェコで1500も生産されていたな OT-810は兵員室に天井が付いたり、エンジンがより大きなディーゼルになったり、履帯がゴムパッド無しのシンプルな物になったりと、あちこち変更されてる まあぱっと見よく似てるので、戦争映画でSd.kfz251役として常連になってるわけだが >>193
auに親でもころされたか?
ttp://daimyoshibo.la.coocan.jp/hnrpn/au.html チェコのような小国が1500両もの大型兵員輸送車をなにに使うんだろ
イスラエルのダヤン国防大臣はヘッツァーを買うくらい中古車の買い付けで
定評あるから上手く行けばスコダフツ買ったかも 当時はワルシャワ条約機構の一翼だから、西側に突入するための機甲戦力は充実させていたぞ ガルパンで隊長がデマーグ250グライフ乗ってればそれらしいのにね 戦車連隊くらいまでの編成だと、装甲ハーフトラックじゃなくて指揮戦車に隊長が乗るもんだよ
突撃砲中隊は当初、指揮観測車であるSd.kfz253に指揮官が乗ったが、すぐやられてしまうので突撃砲に乗るようになった 8cmのカチューシャロケットでもドイツ軍はパニックになったが
30センチの重ロケットでスターリン戦車やシャーマンが直撃破砕される
ヒュルトンゲンの森では重ロケットのほか
ドイツ砲兵が空中爆発の信管を多用
薙ぎ倒される木が破片となり米兵の負傷が膨大となった
ロケット弾は優秀なのになぜか数が無いという
戦車オタク総統のせいか そもそもそんなでかいロケット弾は効率が悪い
連合国側みたいに小さめのをたくさん用意して面制圧力に特化というロケット弾の特性を活かした方向で使うべきところを、
数が用意できないから苦肉の策ででかいのに逃げたがでかい分取り回しが大変 ティーガー車体にミサイルポッドをつけたデストロイドファランクスみたいの量産してほしかった ティーガー2がマーケットガーデン作戦に15両参加してるの?
それ以前に西部戦線に王虎参加してたかな グッドウッド作戦にポルシェティーガーが12両参戦してモントゴメリーを撃退してるね
英軍に厳しすぎない? グッドウッド作戦時のティーガーIIは事前の爆撃で何両かやられ、一両はシャーマンの体当たりを受けて共に行動不能となっている グッドウッド作戦ではモントゴメリーは強大な空軍力持ちながら大失態
山の尾根に隠してあるドイツ砲兵を見逃し
1056機のハリファックス、ランカスターで900mの低高度から5000トンも爆弾ばらまく狂気の爆撃もむだとなった
タイガーに400台もの戦車を撃破され激怒しながら大損害で退却
アイゼンハワーはモントゴメリーの作戦は口出ししないですけどー
助けないみたいな態度なん? タイガーとパンサーが合計で4万両あっても負けてたよな グッドウッド作戦で防衛戦闘を行ったティーガーは第503大隊の一部にすぎず、ドイツ軍戦車の大半は
第21戦車師団や第1SS、第12SS師団のIV号とパンター タイガーは直接的な戦闘能力はともかく、運用面で駄目すぎでしょ。
パンサーは重量面ではまだマシだけど、それでも転輪とか無駄なところを凝って
整備とかに余計な負担かけたりしてる。
ドイツ戦車ファンは怒るかもしれないけど、
非戦闘面まで含めて同格戦車を比べると四号戦車はT-34やM4に劣るし、
パンターもIS-2やM26に劣るんだよな。
スレチになってくるけど兵器単位の話だけでなく、
広げ過ぎた戦線や占領行政の不味さとか大戦略まで言い出すと
「何で負けた」じゃなくて最早「どうやって勝とうと思ってたんだ?」ってレベルだし、
杜撰な戦略の上で「良くぞ此処まで頑張った」と思う。 モントゴメリ様がつらいSS装甲軍を引き受けたから米兵はラクにコブラ作戦は成功したが
アイゼンハワーは愚かで理解しない
とかブリテンは申すけどホントウなんですか 東部戦線でのT-34に対しては、長砲身IV号、パンター、ティーガーのどれもが、敵の有効射程に入る前に命中弾を与え撃破可能
(このためソ連軍は新型戦車に求める性能はまず攻撃力を第一とし、それ以前の防御優先の試作車をすべてボツにした)
一方、ボガージュなどの視界を遮るものが多いフランスでは、その優位性を活かせずシャーマンと接近戦になる事が多かった
戦後、センチュリオンを入手したイスラエル軍は遠距離で命中率の低下する20ポンド砲に不満をもつが、これは西欧での交戦距離
として1200mを想定し作られたものだったから
一方、ソ連軍は本国や東欧でアウトレンジされることが多かったのに、基本的に突撃し接近して撃つというドクトリンを変えず、
T-62の115mm砲が1500mを超えると命中率が低下するのもこのため 突撃砲兵によって破壊された敵の戦車の数が戦車科と比較して多い理由を明らかにしています。レポート
OKH、1943年12月11日
突撃砲兵が破壊された戦車の数が戦車部隊と比較して多い理由が、戦術ではなく射撃技術の練度にある
。、射撃の方法がそれほど異なっており、突撃砲の最高の光学系です。
●突撃砲ガンナー、使用光学機器、10倍ファインダー。突撃砲車長、使用光学機器、10倍砲双眼鏡
●戦車ガンナー、、使用光学機器、2・5倍ファインダー。戦車長 使用光学機器、6倍ズーム双眼鏡
これは、単純なカービン銃と10倍スコープ備えた狙撃銃ライフルと同様の関係
破壊数が戦車と比較して多い理由が、戦射撃技術にある、突撃砲の高級かつ最高の光学系です
2・5倍ズームでは800m先の隠れた戦車は、シャーマンのような腰高でもよくみえないんだわ。
キングタイガー付けられた2・5倍/5倍切り替えズームなら1800m先でよくみえる 突撃砲のはペリスコープ型(砲兵鏡)で倍率が高いが、戦車の直接照準器はより移動目標に適応した△の並んだレティクルになっている スコープ無しの小銃と有りだと無しが一方的にやられるからな。 そして教練のとおりに三発目で命中させるようにしているソ連戦車兵では、初弾命中を目指すカリウスには敵わない >>228
この時代ズーム光学系ってあったっけ?切り替え式ではないのかな? それでもドイツ戦車って厳冬のモスクワから熱帯のアフリカまで.......
仕様を変えずによく頑張ったと思う。 北アフリカ向けのIII号/IV号戦車のエンジングリルの点検ハッチに、冷却のための通気口が増設されている 双眼鏡は8倍から手ブレがひどく六倍ドマリなのは
使いやすい支給品の見切りだと思う
光学手ブレ補正だといけるけど当時はなく10倍はけっこうスゴイ
カニ目の砲隊鏡かな >>231
>教練のとおりに三発目で命中させるようにしているソ連戦車兵
搭載弾数28発のJS-2で別目標を狙うと実質9〜10の標的しか狙えないわけか。
「行って、戦って、弾が無くなったら帰って補給」みたいになるだろうから、
可能な限り粘る様な防御的な戦いは難しそう。 支援射撃の多いスターリン戦車こそ10倍ファインダーを装備すべき
1xの光学サイトでも恐ろしいほど当たるんだよな アメリカのM4「シャーマン将軍」戦車の戦闘経験について報告します。
1943年7月2日に作成されたレポート。第21機甲師団は、1943年までドイツアフリカ軍団(DAK)を構成する2つの装甲師団の1つであった
件名:アメリカのM4戦車に対する経験
フェイドの西側では、大隊はM4「シャーマン」からなるアメリカの重装甲大隊と接触。11両の戦車と自走砲(モデル不明)が破壊
自身の損失:3両の Pz IV / 7.5 cm-KwK 40 L / 43タンクが損傷しました。
炎上したシャーマンタンクの検査結果:上部にミシン目(貫通孔)は見られませんでした
8.8cm高射砲の砲弾と、4号の7.5cmの徹甲弾が砲塔を貫通。8.8 cmが船体の丸みを帯びた上部から跳ね返り、砲塔を突き刺した
M4の最も弱い領域はそのシャーシです。前面領域に完全な(明らかに非常に脆い鋼)が見つかり、1400メートルの距離で破壊されました。
側面装甲の多数の貫通孔は、その弱い装甲のおかげで、側面に非常にもろい
アメリカ戦車兵の戦闘法:約4000メートルまでゆっくりと進み3000メートルからの発砲ですが戦車には影響しません。
アメリカ人は4000メートルから6000メートルの範囲で砲を発射することで、無意味な攻撃を開始するのが大好きです。
どうやらアメリカ人は彼らの鎧の厚さを盲目的に信頼していたようで最初の敵の戦車が燃え始めたとき、すべてが止まりました。
M4の指揮官の側面に対する視界条件は悪いです。私たちの戦車の側面への迂回攻撃は認識されなかった
M4と戦うための主な武器は、IV 戦車/ 7.5 cm-KwK 40 です。1800メートルを超える距離で命中衝撃は影響を及ぼし、武器を無効にしたり、
特にその側面に対しては、車両が燃える原因となっています。ほとんどのM4は、1,200から1,600メートルの範囲で破壊されました。
結論:敵を接近させて戦わせるように試みなければなりません。攻撃では有効戦闘距離を800ないし1600メートルにする必要があります。
M4の横方向の視界が悪く。正面攻撃では、2本の履帯の間のバスタブ船体の領域に対してのみ、標準ポイントする
署名:グルーエン大隊長 >教練のとおりに三発目で命中させるようにしているソ連戦車兵
独ソ戦初期だけだよ。 >>228
これ突撃砲の10倍照準器って何を指してるかよくわかんないんだよね
一応ヤークトパンター後期型が10倍を装備してたけど(前期は3倍)、三突や四駆、エレファントとかは5倍を装備してたんだよな 五倍でも戦車の二倍の光学だから有利だが砲兵科の特注品かね
30cm重ロケットって127kgもあるらしいが装填はクレーン?とても最前線では使えませんね
15cmロケランなら36kgで兵隊で装填できそうだけど実際に
バルジやベルリン防衛で集中投入されたようだ ドイツの突撃砲/駆逐戦車の照準装置は、天井から突き出したSfl.Zf1a潜望鏡型照準器(倍率五倍)
https://imgur.com/sQ3IXmQ 潜望鏡照準器は第一次世界大戦で塹壕に身をかくして砲兵が使うもので
1914年から多用された 5倍の光学機器は2キロを砲撃する砲兵装備だ
1000m先の戦車が補整により200mに見える
つまり2キロなら400mにみえる
最初にセットでおおまかなキャリブレーションがされゼロ調整は1000mに合致
そこから3ショット >>241
30cm同様に運搬用兼発射用フレームに収まった28cmロケット弾が82jg、複数人の力でランチャーに据えている写真がある
30cmは同じランチャーで撃てるようになっており、4人がかりくらいで持ち上げたと思われ
なお、フレーム前方に折りたたみ式の脚が一組あり、それを起こしてランチャー無しでの発射は可能
ベルリンでのソ連軍は、鹵獲したこれら大型ロケット弾を建物の窓やドアに設置、隣の建物に撃ち込み壁に穴を開け侵入した ヴルフラーメン40で使われるのは
おもに28cm榴弾82kgだから再装填は
数人がかりでいけるかも知れませんね
ドイツのロケットは多数の噴出孔からスピンを得るので横風の影響うける安定翼タイプより命中率は良かったようです >>244
そういや突撃砲だと倍率5倍で視野角8度だから見かけ視野角40度、戦車は倍率2.5倍で視野角25度だから見かけ視野角が60度あるんだな
(ぶっちゃけよくわからんが、50度の視野角だと40度に対して70%視野が広いらしい)
60度あると現代のISO規格だと広角レンズ扱いになるそうだし、突っ込んでキョロキョロする戦車は広角の方が良いのかね? 中東戦争で砲の威力に劣る西側戦車がFCSの優越でT62を一方的に殺しまくったの思い出すな。
ドイツの機甲科も砲兵の真似すればよかったのに。 いやゴラン高原ではT-55/54とT-62が1220両に対し、177両と圧倒的に数で劣るセンチュリオンも相当な数が撃破され、
例えばイスラエル第7機甲師団の105両は3日後には稼働7両となり、実際ギリギリだったが
1500m以内であれば命中率の低下もなく、当時最強の貫通力をもつT-62の115mm砲はイスラエルも認めており、
鹵獲T-54/55でやったような105mm戦車砲への換装はやってない センチュリオンが標準銃で曳光弾を3発撃って修正し発射という簡単ながら敵に察知されやすい方式で
M60パットンがステレオ、さらにあとで大反攻に出た予備隊のスーパーシャーマンが旧式のスタジアメトリックと3種ともばらばらで戦車兵は苦労しただろう
T-62の115mm砲は硬質スチール弾しか中東に供与してないらしいが性能は高かった、コレで十分では・・ ドイツの光学はツァイスで生産の大半はライツの工場で技術者もライツだという
視野が他国の倍も広く見やすかった
潜望鏡照準器はオフセットを維持した状態で照準するのでアッベエラーは出ないという ツァイスとライツでは会社の規模が全然違うんでは?
ツァイスは光学総合コングロマリットで工場もドイツ各地にあるけど、ライツは基本はライカを作る会社で工場もウェッツラーの本社工場だけでしょ? T-64がでてくるまでソビエト戦車は距離800以上で測距困難になる単眼式直接照準器だったから味方の砲兵弾幕と一緒に敵陣に殺到するスタイルだった
技術と通信が発達したので上記の平押しでガンガンいく部隊とそれらの部隊が開けた穴から浸透して敵後方地帯でやりたい放題する部隊の二本立てになった
後者はOMGと呼ばれた ドイツ技師が連行されソ連のライカコピーが高品質になってきたの60年ごろでT55の頃は 「ドイツでは、1970年代初頭にヒューンフェルト地域で実施された研究の過程で、M60A1戦車の平均交戦範囲はわずか1,130メートルであることがわかりました。
悪名高いフルダ峡谷では、予想される最大戦闘距離はわずか800メートルでした。」
西ドイツ国境で、戦車同士が激突すると予想されたフルダ峡谷では接近戦闘になると判明、20ポンド戦車砲やソ連戦車の想定交戦距離が短い理由でもある 戦前日本ではライカ信者とコンタックスで対立しておりレンズ中央はライカも良好
絞れば素晴らしいが四隅の劣化が僅かにあり
写りはツァイスイコンが素晴らしい
とはいえコンタックスでは高価だから地主の息子しか買えずオプションも高い
佐貫赤男氏は元来安物ライカなどあいてにせぬ態度であったが
老いともにライカに乗り換えたそうだ
プロイセン貴族のドイツ将校はツァイスのダイキャストメタルボディをこのんだが
世界中でライカコピーができるほど人気で戦争でアメリカ軍がライカ買えないと
慌てた程だから工場の規模も大きかったと思われる 現在のios とAndroidに似た関係
ライカは安価モデル〜当然性能も低い
も取り揃えておりそれゆえに多く売れた iPhoneはむしろバカチョンだからその例えには合わない 第二世代戦車のコンセプト出足の良さで障害物に逃げ込み敵弾を避ける事で防御って今考えると屁理屈だよな。
戦車が隠れる位の障害ってすごく少ないだろ。 >>260
大戦後半からシャーマンもT-34も四号も被弾≒即死の状況で戦ったので必ず間違いとはいえないぞ
逆に大戦前半に活躍した重戦車は機動力ないから敵の火力が増強されて装甲が貫通される大戦後半ではほぼ産廃化
システムとスペックは史実から離れるとはいえ
いくつの戦車シュミレーターゲームにもこの機動力ある中戦車が長らく活躍する状況が見られる
局地戦で重戦車は格下に強いが、格上には手も足も出ない状況がよく見られる、機動力ないから広域戦況の変化にも対応しにくい >>260
要は火力全振りで紙装甲な対戦車自走砲の戦い方、頻繁に移動して敵弾が集中しないようにする
ソ連軍ではなく、その突撃を阻止する側のNATO戦後第二世代戦車のコンセプトだし >>260
ドイツとフランスの選択やね
米英ソの戦勝組第2世代戦車は敵主力戦車の攻撃対抗で米英は85〜100ミリ砲防御、ソ連は90ミリ砲防御の重装甲を持っていた
この流れでイギリスのチーフテンこそが西側最高の戦車と結論したソ連は秘密兵器T-64(80年代まで極秘扱いでパレードにもでてこなかった)をNATO最強のライン軍団、いわゆる北方軍集団正面に配備して対抗馬としていたりする この時代の戦車など命中率は1万発に二発ぐらいで数千撃ってようやく撃破
動き続ける戦車はそうあたるものではないし止まったら撃たれる
戦車大国の英国もソ連も高価な戦車は作戦中止まらないよう
スターリンは全速力で走りながら発砲するよう厳命してる 勿論走りながらでは当たらないがそこは
至近弾でも76がそこらに落ちれば怖い
またシャーマンT34の中型戦車の側面はいずれも薄く
パンターも簡単に破壊されるが動き回ることで被害を抑えてる https://youtu.be/AWjKtgsi-p0
アジア最強の99式戦車だ
その貫通力850ミリの最先進砲は10式戦車も一撃で粉砕する!
もう、おしまいだ… 脆い超長弾芯のカタログスペック誇ってるようじゃ全然ダメダメ >>264
米ソをもってしても機動力を確保すると砲塔と車体の正面装甲を強化するのが限界で側面は普通に貫通される
かつてのパンターのようにな、これは現代戦車の限界だ
胸甲騎兵の時代のように重量上の問題で全周防御はすでに捨てられた
イギリスとイスラエルの重戦車路線はどちらというと歩兵支援に輝くコンセプトのイメージ イギリス重戦車は対戦車自走砲みたいなもん
センチュリオンで対抗出来ないソ連重戦車が出てきたら先生お願いしますのパターン
歩兵支援とは無縁 パンター砲塔側面は45mmだがこれを仮にセンチュリオンなみに倍の厚さにすると1t強の重量増加で済み
車長も安心となる >>270
四単位制の中隊に一個重戦車小隊があって
各小隊に分派して火力支援にあてる運用だっけ? >>271
>砲塔1t増加
ただでさえ旋回速度がシャーマンより遅いと知られるパンターの砲塔旋回装置が死ぬじゃね? パンターのD型は砲塔の旋回機構がとても脆弱で
坂道で砲塔を真横に向けようとすると
クソ長い主砲の重力に負けて後ろを向いてしまったなんて
マンガみたいな話も聞くが
どうだろうな
砲塔側面の重量増ならいいカウンターウェイトにもなったりしてw パンターってG型だと旋回速度を上げたんじゃなかったっけ? パンターFとかどうなんだろう?
同じ頃にデビューのセンチュリオンとかJS−3に対抗出来ただろうか? 正面対決は明らかに不利、シャーマンがやるように機動力で回り込んで戦うことになりそう >>276
センチュリオンはMk.1/2は主砲はファイアフライと同じ17ポンド砲、
装甲は砲塔前面で152mm(JS-2の防盾と同じくらい)、シャーシは76mmで大して厚くない。
JS-3の方は主砲はJS-2から変化なし、
装甲は砲塔面で厚さ大幅アップ、シャーシは先進デザインだけど、
初期では装甲の剥離とかのトラブルや砲弾の配置とか
カタログデータに出ない部分では寧ろJS-2より悪化してる面もある。
それぞれ優れた戦車だとは思うけど、仮に終戦が延びてパンターFと戦うであろう初期型では
戦中の英軍・ソ連軍の虎の子だったファイアフライやJS-2と
そこまで変わらないと思うから十分対抗できるのでは?
(暫くするとセンチュリオンは20ポンド砲に強化されたり、
JS-3は不具合無くなって90mm砲を弾き返せるくらいになるから厳しいだろうけど) センチュリオンの車体前面76mmは傾斜装甲なので、パンターの傾斜80mm同様に、硬芯徹甲弾でないと弾かれる可能性大 センチュリオンは案外車体がデカいんだよな
車体長はティーガーUよりも若干長い
まあ中が広い方が使い勝手はいいかも知れんが パンター8.8cm型が45年末にダイムラーベンツマリーエンフェルテ工場で
生産することになっておりヒトラーは後部傾斜の強い鋳造砲塔にしてほしいと要望
JS3のようなプリン型の砲塔だと思われる
パンター2正面は150mm装甲要望となってるがじっさいの試作F型は125しかなく
ドイツは鉄鋼不足で無視される可能性大 センチュリオンは76ミリ傾斜55度で垂直140ミリ装甲に相当と
防盾の鋳造150ミリと互角になりこれはティーガーの88にぎりぎり耐える実験結果
虎と互角の厚みの装甲がほしいと王立戦車軍の要望によるもので
車体上面は12mmと薄く50tでまとめられる
ティーガー上面は40mm装甲 装甲厚152ミリってチャーチルの時点で実現してるんだよな。 >>282
そう言われると74式てセンチュリオンより1ランク上の重装甲なのか
74式はよくレオ1やAMX30と同じように軽装甲高機動戦車みたいに言われるけど74式はもっと重装甲なので74式の時点で90式10式同様に高機動重装甲確立してたのね 正面はともかく、車体側面は35mmで後面は25mmと薄いよ 1942年5月6日から7日に開催された総統御前会議からの抜粋。
総統は、3.7 cm砲のチェコスロバキアの戦車は、もはや装甲車両の要件を満たしていない、偵察車両としては遅すぎるという意見を繰り返しています。
これらの理由から、総統は生産全体を自走式にできるだけ早く変換することを命令、ロシアの7.62 cm砲が十分にない場合は、調査するよう命じ
現在車両の不足により、Pak 40を完全に機動化することは困難であるため特に重要です。
ヒトラーはパンツァー38tシャーシにソビエト7.62cm大砲を装備した駆逐戦車の生産開始を命じ、PaK40の組み込みを検討しました。
両方の車両は、対応して「7.62 cm PaK 36(r) Panzer 38(t)」および「7.5cm Pak 40 Panzer 38(t)」と指定され
総統命令により 02.01.1944から、両方の車両の名前は正式にMarderIIIになります
1942年5月13日に本部で総統と会談
総統は、現在、平均して月平均約50台のII号戦車が生産されていると述べています。
私の意見では、これらのII号戦車にまだ価値がある場合は、軍隊に相談する必要があり
この点に関する研究は現在も行われていますが、おそらく7.5 cm Pak40をPanzerIIのシャーシに取り付けることができるとフューラーに通知しました。
総統は、軍隊から、II号戦車をどの程度省くことができるか、そして代わりに7.5 cm Pak40砲を搭載した自走砲を製造すべきかどうかを知りたいと考えています。
同様に、Panzer 38(t)の月間生産台数は約50台であり、そのうち20台は、最初は7.62 cmPakで武装した自走砲として納入されます。
総統は38(t)の全生産を自走砲に改造できるかどうかを検証することに興味をお持ちです・・ 1942年10月20日「陸軍最高司令部、9課」によって作成された文書。東部戦線でPak 40自走対戦車砲を使用して、Panzer II、Panzer 38t、およびロレーヌのシャーシで
実行された経験の一部をまとめたものです。
自走式Pak 40の 経験
1942年9月の初めから、自走式対戦車砲が割り当てられ、その部門に分配されました。 。
以下が報告されます:
設備は完全に不十分であり、実験の運営を大きく損なう。
指揮官と偵察員のためのオフロード車がありません。これらのマルダーI車両には乗組員のためのスペースしかないため、指揮官が自走砲で直接撃つことはできません。
作戦中のリーダーは隊から独立している必要があります。さらにマルダーI自走砲のオフロード能力は非常に低いため、偵察は特に重要です。
各マルダーI自走砲には弾薬トレーラーが用意されています。戦闘中の供給は非常に困難であるため、これらの場合、一定量の予備弾薬を輸送する必要があります。
トレーラーは、自走砲の貧弱なオフロードの機動性を妨げます。弾薬輸送のために改造されたタンクの割り当てが望ましいです
現在のトラックの不足により、軍隊への供給はますます複雑になっています。
マルダーI自走砲の戦闘能力は、将校、下士官どもがこの新しい兵器の特性を知っていることを必要とします。射撃練習を行う必要がある
不十分な訓練を改善することは可能でしたが、訓練を受けた要員の不足が操作を困難にし続けています。
マルダーI「ロレーヌ」自走砲はロシアの戦争シーンには適していません。自走砲の機動性が低いため、フィールドを横切って移動することは難しく、道路上でも移動することは困難です。
結果:射撃位置の選択は、綿密な調査が先行しなければなりません。実際には、自発的に操作することはできません。
シルエットが高いため、カモフラージュが難しくなります。バレルの下方への仰角が制限されているため、車両を障害物の前に配置することが困難です。
砲が操作しているときに弱い装甲は、多くの損失につながります。
現在の形では、マルダーI自走対戦車砲は、準備ができて静止位置から使える武器です。 それでも多くのことを達成することができ、平らな地形では動くことができますが、
私たちの機動力では敵の戦車を追い詰めることはできません。 設計変更によって修正する必要がある欠陥
筺体「ロレーヌ」
70HPの6気筒直列エンジンDelahayeドライエ103 TTオーバーヘッドバルブ4ベアリングエンジンは弱すぎます。
その低い馬力は、そのクロスカントリーモビリティを妨げます。モーターが過負荷になっています。それに、「ロレーヌ」シャーシの最低地上高が低すぎます。
履帯が狭すぎ地面にめり込む
バレルチューブアンカーの位置を変更する必要があります。ドライバーの上部出口ハッチにあるアンカーは、バレルの位置によっては、ドライバーの出口を困難にします。
運転席のカバーがきちんと閉まらず、ラッチが弱すぎて、発砲による高気圧に耐えられない。雨が多いと運転席が水浸しになります。
湾曲したステアリングが求められています:
ブレーキライニングは、より硬い材料で作成する必要があります。ブレーキパッドは、オイル内で膨張、脱線維、溶解します。
工場の不十分な組み立てまたは、フランスのカエルの妨害によって引き起こされた欠陥、
ディファレンシャルにある緩いボルトとナット(プラットフォーム番号784)
質の悪い溶接ライン(プラットフォーム番号769、772、773、774)
バレルクロージングウェッジでの遊びが多すぎます。左右のショックアブソーバー(バレルNo.1654)の漏れ
バレルピボットプレッシャープレートがひん曲がっています(1655、1968ガン)
最終コメント
自走式対戦車砲、特に「ロレーヌ」シャーシ対戦車砲は、緊急解決策であります。それでも貴重なPak 40を使用した作戦では、嫌嫌ながらこの兵器を装備する必要があります
署名。参謀長 で結局、マルダーIはフランスに戻され、西部戦線で戦うことになる 猟兵大隊によって06.02.1943に書かれた興味深いレポート、1942年後半から1943年初頭にかけての東部戦線の状況
このレポートはPak 40牽引対戦車砲とPak 40 7.5cm「貂」自走砲について非常に批判的です。1943年を通してひろく支持されていた意見。
大隊指揮所、1943年2月6日
次のレポートは、ドンドネス地域での第6パンツァー師団の攻撃と防御の戦いに基づいています。第6装甲師団 (ドイツ国防軍)は
東部戦線のドン軍集団に移されることになった。12月には、スターリングラードの包囲救出作戦、冬の嵐作戦で先鋒を務めるが突破はできず
1943年2月のハリコフ攻防戦では反撃に出てこれを成功させた
一般:作戦の枠組みでは、敵の戦車のほとんどは大隊の対戦車兵器よりも優れていました。
ロシアの戦車(T-34とKV)の利点は次のとおりです。
強力な鎧、大きな作戦行動半径
徹甲弾と破砕弾による狡猾な砲撃スタイルの移動戦闘法のため、一般的に対戦砲では戦えない
Pak 40牽引対戦車砲の欠点
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c0/Bundesarchiv_Bild_183-H26408%2C_R%C3%BCckzug_deutscher_Truppen_auf_Breslau.jpg
重い、固定砲、装甲の欠如
前進中の戦車に対してのみ成功する可能性があるが」-最も一般的な攻撃戦術を使用する戦車に対しては成功しない
7.5 cm PaK 40 'Marder II'「貂」自走砲の欠陥
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Bundesarchiv_Bild_101I-686-0084-31%2C_Russland-Mitte%2C_Panzerj%C3%A4ger_%22Marder_II%22.jpg
背が高く非常に長距離で敵からバレる
弱い装甲、かつオフロードの機動性が不十分 Pak 40は対戦車兵器として、遠くにあるすべての既知のロシアの戦車を破壊することができます。最初の東部戦線で起こったこととは異なり、3.7cmと5cmの対戦車砲を装備していた
兵士たちは今や彼らの武器の効果に自信を持っています。この有望な可能性とは対照的に、その戦術的な使いやすさに関して深刻な欠点があります。
大砲の主な欠点は次のとおりです。
重量が大きい。実際には、乗組員(7人の男性、常に全員いるわけではありません)が動かすことはできない
したがって、ポジションを取ることは一般的に不可能です。攻撃中、銃は攻撃部隊全体の中で最大の非装甲標的です。
ほとんど動かない位置に達したら。敵の監視下では、目撃せずに位置を変えることはできません。新しい戦車が側面に現れたときに位角度を変えるだけでも
最初のショットの後、地面の奥深くに沈むため、非常に困難です。
ショットの後には、指揮官が発射体の軌跡を観察するために10から15歩離れ移動しなければならない
砲手の補正は完璧ではありませんそのため高い発射速度が低下します。
歩兵の攻撃から保護する必要がある、ロシアの戦車の現在の戦闘方法により、大きな人員損害の下でのみカバーすることができます。
大砲は最初のショットを発射する前にノックアウトされます。
'Marder II'の使用経験。
戦術的には、ロシアの戦車と戦うために必要な要件を満たすことができません。
不完全であるが許容できる暫定的な解決策と見なされなければなりません。間違いなく、その機動性と装甲により、Pak 40よりも優れています。
Marder IIの主な欠点は次のとおりです。
高さが高すぎる装甲が弱い、オフロードの機動性が不十分、破壊される危険を冒さず、敵の戦車に近づくことができない >>280
JS−3は無駄を全部そぎ落として軽量、小型化に徹してるんだよな
日本やソ連の兵器は総じてそんな感じ
対して英米独の兵器は余裕をもった設計をしている
だから改良や増力の余地が有り、M4のように多様なバージョンもできる T-34とマーダーの間の決闘では、マーダーは装甲が少ないため、いずれにせよT-34より劣っています。
自走砲は私たちの歩兵を保護することができません。
かつての東部戦線の開始時および当時のロシアの装甲グループの攻撃方法:
ロシア人は前進させ、突破を試みました-対戦車兵器でそれらを迎撃することは成功しました。
状況が変わりました。ロシア人はもはや私たちに対して頑固に前進していません。
彼はドイツの兵器の優れた貫通力を認識しており、ほとんどの戦車を手の届かないところに置きます。
敵に近づく必要があります-防衛ラインから追い出し破壊します。
このため、次のような武器が必要です。
十分に装甲されており、敵を「狩る」ことができる駆逐戦車。
マーダー自走砲はこれができません。このため、この兵器は「駆逐戦車兵器」とはとても、言えません。
対戦車兵器の枠組みでは、特に攻撃において、突撃砲や7.5cmのIV号戦車と比較すると、自走砲は二次的な役割しか果たしていません。
Pak 40の位置の変更は困難です(特に町の郊外では、)防衛において、特に防御戦闘が実行される戦線に沿ってマーダー自走砲はPak 40よりも優れています。 戦車駆逐大隊に割り当てられた人的損害と不足を、参謀どのは疑問に思う必要があります
駆逐戦車大隊と突撃砲大隊の比較(3週間)
駆逐戦車大隊 保有戦車18、損失10、戦闘要員140人、人的損失86名、敵戦車撃破45両
突撃砲大隊 保有戦車21、損失1、戦闘要員100人、人的損失19名、敵戦車撃破114両
この分析では、
強力な装甲を備えた突撃砲は、この点で最善の解決策です。現在、アサルトガンは最小限の人員と設備で最大の成功を収めるため、理想的なソリューションと見なすことができます。
現在、駆逐戦車大隊は二次的な役割しか果たしておらず、パンツァーイエーガーの名前はまったく現実に則さない。本物の「パンツァーイエーガー」は突撃砲大隊です
戦車将校として: 「突撃砲送って!!!!!!」
が結論か
ほんま突撃砲好きやなドイツ そのわりにはしこしことマーダーMとか作っていたよ
自衛隊の戦車もマーダーみたいなもんだが >>284
70年代には距離2kmでRHA換算310mm(3BM17)乃至380mm(3BM22)を貫徹できる125mmAPFSDSが実用化されてるから耐えられないよ
3BM22なら傾斜込みで約390mmに達するチーフテンでも距離を詰められると抜かれてしまう でも戦車猟兵は寡黙な戦車刈りのプロという日本人のイメージとはちがい
装甲付き突撃砲に不平不満たらたらのおやじドモなのだ 歩兵を敵戦車から守る対戦車砲を自力で走れるようにした、結局自衛のための兵器だもの
せめて視界の開けた東部戦線におけるデッカーマックス、シュトゥーラーエミール、ナースホルンのように、敵の射程外から一方的に攻撃できる物ならまだしも 欠陥戦車が御趣味の総統の玩具のなかでもマーダーシリーズが酷い
スターリン閣下もT60軽戦車やsu-76を作って下品な雌犬とか言われてるんで似たり寄ったり 米駆逐戦車は見た目と攻撃力から戦車と同じような事させられて損害だしてたけど
マルダーなんかも似たような感じだったのかね >>284
日本本土防衛だと回り込まれて薄いところ狙われるという状況が少なくて正面が分厚くなってるね。
西側第二世代だとチーフテン以外どれよりも厚い 背が高いからダメというけど敵も条件おなじだから
敵戦車と同じ高さなら先に発見されることもなく
同条件になる
その意味だとマーダーやSUはなんで低くできなかったんだかね
マーダーm型とかエンジン位置までいじるなら容易だと思う 74式は傾斜つきとはいえ車体上部40ミリの紙装甲
APFSDSみたいな車体部を狙い撃てる弾道が強烈に伸びる弾が開発時になかったからしかたがないのであるが >>301
ヘッツァーが攻撃火力支援に出るとすぐやられた
初陣で早速、レジスタンスの火炎瓶で炎上してる事でお察し >>304
61式も車体がえらい装甲が薄いがダックインした状況で戦うの前提だからなのか 側面は戦後戦車は程度の差こそあれ紙装甲でしょ
74式は車体でも正面なら80mmで上部傾斜65度下部57度(189mm、146mm相当)
APFSDSは複合装甲でないと防ぎようがないし
それでも砲塔正面200mm装甲の端部傾斜73度部分だと684mm相当だからAPFSDSも防げてしまうw 戦後戦車はブリテンもソ連も砲塔正面だけ亀の甲
一点重装甲だから正しいトレンド
イスラエルが装甲強化なしでスーパーシャーマンを使うのは謎だが 装甲は50ミリあれば直撃いがいは流れ玉だいたい防げるので >>303
マルダー系の軽対戦車自走砲と、ソ連のSU(=自走砲)は兵器としての系統が別物
マルダー系は対戦車砲を自走できるようにしたものだから、歩兵師団の戦車猟兵中隊に配備されるのが基本
対するSU-76/85/100/122/152は全て「自走砲」、対戦車専用ではなく支援砲撃も行い、独立編成で運用される
またソ連の大砲には全て直接照準器があって、大口径の重砲でも(無理矢理にでも)戦車と撃ち合うことができる 具体的にいえば、ソ連のSU-76Mは状況に応じて、ドイツでいえばマルダーIIになったりヴェスペになったりするわけ >>302
74式はダックインで姿勢低くして砲塔だけ出して待伏せが基本なんじゃね? マルダー装甲が五十ミリなら、てホニ車になるが考えてみるにガルパンの西住隊長の乗車設定が
ホニでも同じ活躍はできんのよね 一式砲戦車も砲塔正面は50mmだったな。日本戦車にしては重装甲。
しかし,さすがに4号H型相当とホニでは戦車としての完成度が違うだろう。
主砲がまず違うし。 >>286
ヒトラーは戦車に関しては,細かい指示を出し過ぎだという印象。
部下に任せていればいいのに,何でこんなことにこだわっていのか?
他にやることはいくらでもあっただろうに。 ホニVならオープンでなく全装甲されてるしタングステン特弾で貫徹力もたかい >>314
一式砲戦車ホニ1ではなく一式中戦車チヘの話だろ?
チヘのスペックは三号戦車J型に近い、
とはいえ三号Jは三年前の機体だ >>318
すまん、勘違いだ
50mmと聞いてチヘの装甲と思い込んだ ヒトラーは戦車のリモコンを兵器展示会で走らせ眺めるときの目が美女をみるようにうっとり
まわりの将軍やらSS高官は苦い顔でお付合い
シュペーア軍需相も
ジェット機やVミサイル、超兵器よりキングタイガー重戦車が確実な兵器ですと演説するまで総統に毒されてるし 日本の場合はレンズの研磨レベル低すぎて戦車砲も持ち味生かせないんじゃないかな
なんせドイツから回航された潜水艦の潜望鏡で夜間観測したら日本製潜望鏡で昼間の目標観測した時より遥かに見やすくて精度良好だったんで失禁脱糞
即座に技術教えてクレクレクレクレ土下座作戦開始してる
ミッドウェイでボロ負けした次の週にグラフツェペリンの購入話を持ちだしたりご先祖様は節操が無い 戦車第三連隊員の回想
「貧乏国なのはわかってるから装甲とか機動力は贅沢いわんので敵を壊せる砲をくれよ」
「それが一番無理なんだよわかれよ」 >>321
戦前からあったニッコール(ニコン)のカメラレンズが、朝鮮戦争勃発前にライフ誌のカメラマンだった
デビッド・ダグラス・ダンカンに高く評価されたくらいだし、レンズの磨きが足りないとかは違うと思うが 職人が手作業で丁寧に作って、みたいな工芸レベルでならいいのを作れても、
大量に必要となる工業レベルの話になるとそうはいかないという話では >>320
当時のV2はタイガー戦車一両分の予算と資源を費やし、ジェット機は(入手し難い希少な金属が使えないため)当初二分しかエンジンが持たなかったよ。 >>324
民間向けカメラのレンズと、軍用の照準機用レンズじゃ、前者のほうが大量生産されると思うんだけど
ちなみに日露戦争当時の日本では全然レンズの生産力がなく、ドイツから大量に双眼鏡を輸入している >>322
戦時に一応生産された最も貫通力ある五式戦車砲は海外モンのクローンだからな >>326
今ならともかく、当時の日本のカメラレンズにそこまで大量生産するほど需要あるかね つうか、ニッコールは航空写真偵察用カメラにも使われてるし ツアイス設計部長エルンスト・アッベがイエナ大学の後輩のルドルフをつれてきて入社させ
1902年、パウル・ルドルフがテッサーを開発、このレンズの登場によって多くの人々が「普通によく写るレンズ」を手に入れた
カメラレンズの設計はすでにWW1まえ確立していたが
戦後のドイツのインフレーションで多くの人は財産を失ってしまい困窮した。これにめをつけて日本は高給で釣って
レンズ設計 マックス・ランゲ、ハインリッヒ・アハトらをまねき、日本光学にレンズ設計を指導させた。
1932年、吉田五郎はライカを購入、コピーを製作したがレンズはつくれず秋葉原の「ガラス玉磨き」から入手した。それなりに写ったが
いい加減国産カメラ完成しないことに不満を感じた内田三郎は吉田を八王子の寺に呼びつけ、住職と説教して解雇
観音カメラ(現キヤノン)からライカコピーのレンズを依頼され「民生レンズとは面白い」と砂山設計部長は乗り気になった
意外にライカのレンズは難しく試作レンズを叩き割る毎日であった。この苦い経験が戦後の民生レンズの財産になる ドイツの潜望鏡では真空蒸着によって反射防止(ARコーティング)されていた
膜付けによって99%反射を抑えられる。ガラスとの差は4パーセントだが、多数のレンズ群で構成されるので
何割もの明るさの差ができ、馬鹿にならない。ドイツの光学機器が他国より明るく見やすかったのは
ツァイス・イコンの設計もあるが、こと砲兵の多用する潜望鏡タイプでは反射防止膜の実力だ
日本海軍もこの真空蒸着技術を導入したが、終戦によって民生レンズの真空蒸着の会社ができ
格安で仕事を受けたため日本のカメラレンズは明るいと
日本にきてカメラを買わないのはバカと進駐軍が噂したほどで朝鮮戦争の慰安訪問したマリリンモンローも
カメラを買ったと言われる。これらの宣伝で日本製カメラは輸出を伸ばした 光学ガラスはるつぼで材料を溶かし均一性得るため撹拌するが
重油燃焼で白煙が黒煙にかわっただけでるつぼの硝子が駄目になる
という職人芸で
戦艦大和のステレオ式レンジファインダーの光学ガラスは大変な苦労だったという ニコンの双眼鏡が沈船から引き揚げられて再使用出来た等のニコン伝説やらは実際どうだったのかな? ツアイスの光学系は覗くとすごく明るいとは言われてたな ミノルタはドイツ語でメカニッシェ・インドゥストリエ・オプティッシェ・ラボ・タジマの略語だと言われているが、創業者の田島社長によると「あれは”実る田”の当て字だよw」だとか T34-76のうしろに歩兵が乗ってたりするがあのやり方だと非装甲の対戦車砲や
自走砲は兵に襲われ嫌な思いしたらしいので効果的だけど
全装甲の戦車には役にたたないのでは? タンクライダーは数ある歩戦共同作戦の一形態
憲兵のいる統制点や前哨位置で下車して戦闘に加入する
ソビエトではドゥクラ高地の突破戦で乗車したまま使って大惨事になった 対戦後半のタンクデサントの目的は、敵対戦車兵器から戦車を守る歩兵を随伴させること
このため乗ったまま敵陣に突入というのは基本無く、撃ち合いが始まったら飛び降りる タンクデサントも敵を攻撃する前には下りるんだけどな。
乗ったまま突っ込んでバタバタ撃たれるってのは創作よ。
それか思いもよらないところに敵がいてやられるとか。 T34に12人も載るなんて、見た感じ小山のような斜めな面でとても怖い
T55は円筒タンクが背もたれになり兵員落ちる心配なく走れそう
イスラエルはパットンのうしろが広くサスもふわふわで乗り心地よく
快適そうでよく兵が同乗したが
被弾すると燃え上がるのでフライドポテト揚げ器とかあだ名されて悲惨なことに >>342
降りるタイミング外したり機関銃にアウトレンジされたりな
まあ思ってるほど無茶な戦術ではないがそれでもやはりやりたいことではない >>343
>サスもふわふわで乗り心地よく
言われてみれば当たり前だけどタンクデサントしてる方にもサスの違いで乗り心地の差があったのかw パットン系では油圧式砲塔旋回装置のオイルが被弾時に引火しやすく、それが燃えながら車内に吹き出してくる そういやT-34やIS-2ではタンクデサント用に砲塔や車体にいくつも手すりを溶接しているが、機関部上面が広く乗りやすいシャーマンでは全くみられない オープントップのハーフトラックも曳火射撃の阻止弾幕には弱いけどな >>348
日本、てか自衛隊でも戦車跨乗をする
駐屯地解放の人気アトラクションと違って乗車席なんかないので用心縄を準備したりする
乗り心地も悪いが夏場は灼熱と排ガスで人気がない
逆に冬の矢臼別なんかでは濡れた防寒服が乾くので万歳である
般命の乗車計画で車外2とか表記される可哀想な人達 >>343 M113はM113で自走野戦火葬場とか言われてるがなイスラエル。まぁ戦車改造重APCに落ち着く訳だが。 >>348
側面は垂直な上に張り出したフェンダーも無いし、
機関部は微妙に傾斜付いてるし、地味に乗りにくいのでは?
現場がタンクデサントを選択するかはともかく、T-34やISに付いてるんだから、手すりくらいは溶接してやれと思うけど。 アメリカはハーフトラックやらなんやらが大量にあるからのう でも中国人を3500万人虐殺したのは日本軍だけだし >>350
一応74式までは跨乗を想定されていて車長キューポラ直近に小銃班長が座るような話を以前に。
90式からは想定しなくなり、着座位置の指定もなくなったと。 九四式TKかなんかに日本軍兵士が2人くらい乗ったら前が浮きそうになってるエロ写真ください >>306
61式は開発中に装甲無用論が出始めたから紙装甲なのだ。
あの装甲配置も戦車砲ではなく、40〜30mm機関砲を防ぐため 61式の場合は仮想敵がT-34-85、車体前面の厚みは45mm/水平方向で90mmと、T-34と同じ ソ連戦車に載せる小隊は軽機関銃手が第一で、47発レコード弾倉のDP軽機関銃だがMG42に比べて火力はだいぶ不利
マキシム重機関銃は65kgもあり戦車で引いた可能性もあるが上に持ち上げるのは難しい
43年より水冷マキシムをゴリューノフ空冷重機関銃に代え重さは13kgに低減した
これなら持って乗れる シャーマンの前期型では車長ハッチのリング部に付けられ、ハッチの中から射撃可能だった12.7mm機銃、
しかし後期型では砲塔後部中央に移動、車外に出てエンジングリルの上に立って撃たなくてはならなくなった
実戦では、戦車に便乗してきた歩兵が飛び降りた後も一人だけ残って、この機銃で援護射撃する事が多かったという
(出典はVictory 1945 WESTERN ALLIED TROOPS IN NORTHWEST EUROPE、だそうです) 47発で弾が切れるデグチャレフ軽機関銃とMG34のベルト給弾でよく戦えたな
設計者サボタージュ罪で逮捕してMG42コピーすればよかったのに
デグさんスターリンのお気に入りだったのか 車載のMG34や42で使うのは、50発弾帯を中に収めたドラム弾倉だよ 内戦時代まんまの車輪付マキシムガラガラ引いてたのに比べたら大進歩なンだわデグチャリョーフでも ソ連も不利とみて戦後ベルト式RP46を採用
ただDP機関銃の軽量という利点がうしなわれMG42より重くあまりいみがなく
カラシニコフが数キロ軽量のPK軽機関銃を61年採用させてる 車内から撃つ機銃で、弾倉ではなく弾帯を使ってたのって米軍戦車だけかな?
他の国と違って照準眼鏡が付いておらず、ペリスコープから着弾位置や曳光弾を見ながら修正する、無駄弾の多そうな射撃法だし ドイツのハーフトラックSd.kfz.251/21
ドライリンクと読むかドリリングと読むかで意見の分かれるアレ
アレの3連装がベルトリンク給弾だわ 米国はFG42のガスオペレーション機構を参考コピーしたM60マシンガンでベトナム戦争に突入
軽量だがFG42と同じく重心バランスがわるくさらに熱帯雨林でケースが貼り付き
爪が薬莢リムを引きちぎり
戦闘中に清掃ロッドをバレルに突っ込み叩き出す必要があった
またイスラエルでは砂漠の風に拭かれると即座に停止すると評判になった
かなりレベル高いクズ兵器だね >>369
それ戦車の車載機銃じゃなくてハーフトラック搭載の対空機関砲で、元は航空機用だし
あと連装はツヴィリング、三連装はドリリングが正解、ヘンケルスの双子マークの読みが「ツヴィリング」だし ドライリングとツヴァイリングのほうがカッコいいので >>368
コストのため?ファイアフライで外したのはあまり意味がないからかな その前のM3リーでも車体固定機銃だったり、銃塔の機銃でも照準器なかったり、
弾幕張って制圧射撃ができればいいやって感じ
ファイアフライではそこの乗員を減らして弾薬庫にしたから、車体前方機銃が無くなった ファイアフライは、中隊でまとめられて1個小隊にされても
小隊に1,2両配備されても
パンターやティーガーにぶつかったら後方から呼び出されるわけだから
車体前方機銃は必要性は低いわな。 PKM機関銃って重量7kgしかないのか
日本人向きだと思うが自衛隊もロシアから買っちゃえばいのに 車体機関銃は無くてもいいだろう
一人乗員を減らせるのはデカい ソ連戦車では1人減らす代わりに、暫く操縦手が撃つ前方固定機銃を装備していたレンドリースされたM3リー中戦車の影響か?
M3スチュアート軽戦車の初期のタイプも両側スポンソン内に固定機銃を搭載しており、米英軍は取り外してしまったが、ソ連軍はそのまま使っていた 戦車の砲手は直視型の光学機器を覗くがこの穴にたまたま敵弾が直撃したら戦死する
パーシング戦車の初期タイプもそれで砲手が亡くなってる
潜望鏡のほうが高価だが安全なのでは >>379
昔の戦車は無線手や機関整備員を兼ねていたんじゃよ パンター指揮戦車は同軸銃はずして砲塔に無線機置いたらしいね
砲塔に電気ポットおいて
ラ王などカップめんやコーヒーをいれて
砲手、車長、装填手の3人で愉しむほうが
戦闘力は高まる 寝そべりシートの現用戦車操縦士席はなんかカプセルホテルみたいだ 「機関銃の操作を優先」して、ほぼ純粋な機関銃手として乗員を増やした例もあるにはあるが、基本的には幾つかの役割を兼任させるパターンだな
なにぶん前線で戦車を運用するには、単位時間当たり相当なマンアワーが必要なので
現代でも、装填手の排除になかなか踏み出し難い原因の一つであるように、戦車と共に移動する乗員一名の価値はとても大きい
戦後初期に至るまで、射角の狭い半固定機銃を載せた戦車が多くあるが、基本的にそうした乗員が「御手隙の時に撃つ機関銃」の域は出ない
とは言えあんなものでも、制圧用として機関銃の車内容積分の効果くらいは見込めた
歩兵の対戦車能力が限定的であった時代までは
>>380
乗員より多い数を装備しようとしたくらいには車載機関銃好きなソ連
結局は「主砲同軸以外には、砲塔上部に射角の広い重機関銃を一丁載せればいいや…」となったが ところがBMDやBMP-3などでは、固定機銃が復活してしまうのだ 戦車の系譜にない車両を指して復活と言うのもどうかと思うが
砲塔内容積に余裕が無く、車長が迅速に上部機銃を操作するのが困難で、なおかつ車体は広く乗員とは別に一個分隊も人手があれば、それは付ける
どうせ銃眼からPKを撃つのなら、初めからPKTを用意してしまえばよい カリウスが操縦手のときの車長はえらくて、(親友ではあったが)給油や重整備や弾薬の積み込みでも指一本動かさず腕組みして眺めていたそうだ。
隊長が軽くみられてはまずいので普段から部下とは一線引く。古風ながらこれが普通で
キングタイガーでも車長は部下の交換作業をながめてる写真がある
カリウスはそういうタイプではなく、部下と一緒に積み込み作業をしたほうが気楽だったそうで
もっとも中隊長だから車長なんぞより上の人だからできたのかもしれない
戦後居酒屋でよいつぶれた部下のケルヒャーはカリウスをみるなり直立不動で「ハイル!」敬礼したと言うから威厳はあったようだ >>386
JS-2までの重戦車は同軸機銃以外に砲塔後部とかシャーシに載せてたね。
「どっからでも来やがれ」みたいな多砲塔戦車の流れなんだろうか。
取外しも出来るだろうから、戦争初期のKVみたいに戦車が頓挫したりしたら乗員3名が護身用に使えるのでは? カリウスは自動装填で乗員が減る事を懸念し戦車を守るには最低五人チームが不可欠だという
部下が減らされるから面白くないところで誰かが倒れても交代できる ソ連の補充戦車兵は時々周り居る跨乗歩兵からリクルートすると聞いた
つまり戦車に歩兵を乗せるのは欠員対策にもなるw
その一方、ドイツ戦車兵のエリート意識は高く、歩兵部隊との連携は基本的に良くなかった T34-76の車内はうるさくて意思疎通ができずドイツ兵は咽喉マイクとかしていたが
あれもどこまで役に立つのか不明だが、ロシア人は車内無線はヤクタタズで肩をたたいたり蹴ったりしたと
捕虜は言ったようだ
ガルパン4号でもそんな描写はあるな。T34-85や7.キングタイガーの車内で運転手に届くのかは不明だが・・ まずPz.IVの戦闘室ではどうあがいても届かないのだが…ゴム人間かな? IV号だと車長が砲塔後部にいる、砲手の位置からでないと無理 >>392 固定陣地防禦の歩兵と、戦車隊の爪牙というか猫の手として、戦車では手が届かないところを戦車と同様の判断で制圧する装甲擲弾兵とは、基本訓練からして全く別物だってのがあちらさんの主張ではあるな。 砲手や装填手の位置でもよほど足が伸びないと届かんし、予備弾薬を抜いておらんと足を延ばすことも出来んぞ 日本戦車では狭いし車内通話装置が無いので、普通に肩や背中を蹴るのがデフォ 棒と紐は拙いな
砲塔旋回等の動作で折れるか巻き込む可能性が有る
脚のように自由に動いて引っ込めたり曲げたりできなければ…やはりゴム人間でないと、Pz.IVのように広い車内に分散された乗員間でボディタッチによる意思疎通は難しい まず右に行くばあい車長が砲手の右肩をぽんと叩く
砲手がT34操縦手の肩をける
三段構えなのでは >>394
手元に模型があれば分かり易いけど、T-34は車体の乗員区画は四号戦車より狭いから
叩いたり蹴ったりで意思疎通はやり易いと思う。
T-34-85になると砲塔が大きくなって模型で見た限り
多分車長から操縦手に手足は届かないから
車長の前に居る砲手が気を利かせてたのかと。 負傷で戦車兵がたりない場合、敵の捕虜から増員するのも有りではないか
装填手なら仕事さぼれば全員死ぬ
手を抜けない
三回たたかったら志願兵として編入
という感じで兵隊不足解消 「ハッピータイガー」でゾーレッツ曹長が捕虜のバートル(本当は日本人だが)を装填手、後に砲手に任命したみたいな ああいうのは本国民に忠誠心が低い民族だろうと判断されないと厳しいんじゃないかな 東部戦線でのパンツァーマイヤーの従卒がコサックだったし、SSの方が融通が効くのかも 武装SSは海外のドイツ系やら反共主義者、イスラム系など全くの外人部隊も含めて
だんだん当初の選りすぐりなエリート思考からはかけ離れて行ったからな
東部戦線に張り付いて赤軍を悩ませたヴィーキングなんかはほとんど外人 アフリカの星の従卒が黒人だったな。
カクテルとか作れる優れものだったが。 ナチスにかぶれた日本人だけで武装SSを作ったら世界最強だっただろう( ロシア帝国は夷をもって夷を制すでナポレオンにはモンゴル系貴族をあて
日露戦争ではポーランド兵差し向けて多数捕虜になり親日家がふえた 朝鮮慰問するマリリンモンローのカラー写真観ると前線の兵隊に金髪はおらず
黒髪の白人ばっかりだw
アメリカ各地の徴兵センターにドイツ人の大佐がいて
イタリア人など好もしくない民族を前線おくり
北欧系はトランプのように兵役逃れさせあるいは後方部隊にまわし徴兵制は不評となった モンゴル系貴族といってもあの時代はもう「家系図によると我が家の御先祖はモンゴル系だったらしいな」ってレベルだろ。バグラチオン公爵なんかははっきりグルジア人だけどさ 元々アメリカの白人でドイツ系は多く、他人種との混血を含めると5000万人もいたが、近年ようやくヒスパニックの方が多くなった
アメリカ独立戦争のときは植民地側・大英帝国側の両方にいて戦い、軍人としてのドイツ系は昔から多かった >>404
戦車だと「俺が死んでも他の3〜4名を道連れにしてやる」みたいに考えるかもしれないし、
それ以前に言葉の問題とかあるから普通に自軍の歩兵から補充するだろ。 実際のところ、無線機を担がされたり戦車の修理工場で働いたりする元ソ連軍兵士はかなりいた
https://www.imgmsplus.com/item/13000/13754_2.jpg (1のフィギュアが元ソ連兵)
ロシア人やウクライナ人、グルジア人、コサックなどは、それぞれ人種別に部隊編成されソ連軍と戦った
しかしクルスク戦の後、作戦失敗は元ソ連兵にスパイが居たせいではないかとの噂が流れ、
彼らは西部戦線に移動するが、そこでノルマンディー上陸作戦が開始される
「ロシア人に対しドイツのためにフランスで、アメリカ人やイギリス人と戦えというのは無理」、実際無理だった スターリンの親友のクリーク元帥はドイツ侵攻する西部戦線で軍務放棄して
兵隊に自分の大規模農場をつくらせ
さらに部下の将校に氏名を忘れるように命令
農民服に着替えて武器書類を破棄させた
農民のカートでドイツ戦車の横をノンビリ移動してドイツの将軍に農民として会おうとした
部下は逃げようと河をわたろうとしたが
元帥は農民は河は泳がないと粘り
筏を組むまでぼんやりしていた
奥さんがドイツ人のせいもあるだろうが
独ソ戦初期はこんなやつばかり >>417
降格されてもすぐにコロコロされなかったのは、スターリンのお友達だったから?
それでもスターリン存命中に処刑されてるってのは、よっぽどだったんだなぁ。。
スターリン批判後名誉回復されたってのも、本人の功罪にはあまり関係ないのかな。 ノモンハンでは日本軍から砲兵をひきさげて撤退させよと命令して追い払われてる
「おどろくべきドイツ軍への裏切り」と報告されながら、クリーク元帥の後任にスターリンは
「クリークのほうが砲兵はうまくやっていたぞ」と怒鳴ることもあった
クリークは現在のロシアではいじめっ子とされ、独善的にむちゃな命令を下し、部下が反論すると
「死刑だ、しぬか?」とおどした。その態度がスターリンに好ましく写ったのかも イギリスは北アフリカ締め終えたら、シシリー上陸、イタリアをせめこみたいと決めたが
戦力集中の原則に反しており
アメリカは反対したが無用にイタリア国民を苦しめる結果となった
イタリア半島は山岳で戦場に不向きでありイタリアに閉じ込められたかたちの連合軍はドイツ捕虜優勝所だと自嘲 イタリア攻めるのはめんどいけど地中海の安全確保のためにも可能な限り削っておきたいだろ
消極的で打って出てこないとはいえ戦艦3隻が引きこもったままなのはティルピッツ以上に動向気になるぞ
すぐにでもフランス上陸できますという状況での二択ならともかく、
まだそこまでは準備整ってなかったから経験値稼ぎも兼ねて小骨を取り除いておきたい あれはブリカスが、ドイツ打倒という大目的よりも戦後の南東欧への影響力確保を優先して、それにアメリカを巻き込もうとしてることが見透かされてたんじゃねーの?ほっといたらバルカン半島上陸作戦とかはじめる勢いだったんだし。 半島の根元のジェノヴァ港に上陸してガリアキサルピーナで戦車戦を展開しミラノをに進撃したほうがよくない?
東側のラヴェンナとか低湿地そうで戦車は展開しづらい 英国にバルカン上陸作戦はあったのでしょうか
朝鮮の山道にはシャーマンはややむいていたようですね。背の低いT34−85やパーシングよりは パーシングさんはシャーマンより10トン以上も重いのにシャーマンと同じエンジンを積んだから坂道で置いてかれたのよ >>イタリア侵攻
東ドイツとバルガン半島は実際赤化されたのでチャーチルの政治判断は間違いとはいえない
とはいえ軍事的に実行困難のも事実
大戦末期にイギリス軍がギリシャ内戦に介入したため、ギリシャが辛うじて赤化を免じた ウスタシャのクロアチア人に国家保障あたえれば楽勝で足場造れそう すると今度はチェトニクが黙って無いだろな
もっと泥沼化しそう
戦中のユーゴの色分けは単純じゃ無い 第一次大戦で中立でしのごうとしたイタリアは結果的にまきこまれて戦勝国になることはなったが、そもそもイタリアはまだ統一して歴史も浅くふるい社会構造や矛盾を多く抱えており打撃となった
イタリアは一八〇〇年代に急激に人口が増加、1800万人が3400万になった。このため農村は飢餓に苦しみ、さらに念願のイタリア統一もながいあいだスペイン支配で抑圧された南イタリアにとっては
北部の強力な工業製品が流れ込み多くの手加工工業者が仕事を失い、さらに外国から安価な小麦と、農村も生産物の価格低迷でダブルショックとあいなった
また地方ごとの文化もかなりちがったので地方差別も激しく、南部はトマト臭いとか北部はニョッキ臭いとかいわれ、よしんば優秀な技師が居ても故郷以外でで職を得る機会も薄く
戦後は失業者あふれ左翼のいきおいもまし、危機感を持ったブルジョワジーや貴族の豊富な資金をえて右翼を支援ファシスト党が独裁した
このような流れはファシストがドイツ、スペインなどにもおよんだ。例えばドイツのナチス工業化はアメリカ石油企業などから豊富な援助を受けておりヘンリー・フォードも支援者だった
これも一概にわるいわけではなく例えばイタリア戦闘機のエンジンと言えばツインワスプ・ジュニアのコピーが多くこのため八〇〇馬力程度にとどまったイタリアは格闘戦を求めたからである
ダイムラー国産ハ四〇はローラーベアリングに苦しんだが、このローラーベアリング構造はイタリアのレースエンジンにまけたドイツが
ヒトラー総統の厳命で開発資金を得たものだった。戦後すぐイタリアンスーパーカーが花開いたのは、高い工業水準にもち、イタリアの貴族が買い支えたからだ 南イタリア人は固陋な社会構造、古い身分の壁で母国を捨てアメリカに移民するものが500万
イタリアの農村は重税で小麦もめったに口に入るものではないので、豆料理、ライ麦の雑穀パン、地方によっては魚や栗の料理ばかりとかアメリカに移民してもおかしいものをたべていたが
(なにせイタリーでもパスタは12世紀では珍しい食い物ではなかったが価格がパンの3倍もしたため基本的の農民の食うものではない)ようやく生活レベルが上がり
農民では祭日しか食えないとされたパスタやお肉がくえるようになっていたのだ・・のだが
ここまで大量のイタリア移民が来るとアメリカも警戒し「イタリア人はパスタとかピザとか食ってる」と新聞に罵られマケロニやろうと差別された。人種的にも劣等民族であると。
この差別偏見からアメリカはなかなかイタリー料理はきらわれ、せいぜいステーキのつけあわせにケチャップであえたスパゲティを食べる程度でした
母国イタリアでも第一次大戦の兵隊を通じて、「がんこな農村の若者」もパスタやら肉やらの味もおぼえ、またファシストも国民の生活向上に力を注いだために国産品愛用運動など
肉入りパスタぐらいは国民も食えるようになっていた。たとえば大指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニは貧困のためわかいころ魚料理ばかりで、成功して肉が食えるように
なると一切魚は口にしなかった。ファシストも国民の生活向上のため生活圏とか生存権とかいいだしコーヒー豆欲しさにエチオピア戦争などアフリカ南進政策を続ける シャーマンやT-34どころか、戦車すら一切関係ないのは如何なものか? ボクが持ってる本に出てる事!ボクが調べた事!
思いついたら関係有ろうが無かろうが一通り書かないと気が済まない
子供みたいなのが前から居付いてるんだわ、ここ 大陸式の朝食はいたってかるいものでジャムを塗ったパン、ビスケット、ゆで卵、コーヒー、といったところだ。イタリアの朝食といえばコーヒーとケーキであるが、
だいたい朝に砂糖を使った甘いの、というのはロシアも同様で甘いお粥、カーシャは定番だ。これは日本人には苦手とするが、お米も糖質なので結局は大量にとっており
それならもろに甘いものを食べたほうがエネルギーもわくし胃腸の負担も軽い
砂糖は中世ではサトウキビでつくられたのでカリブ海などに奴隷により大量の砂糖がつくられるようになるとヨーロッパにも入ってくるようになる
ちなみに欧米で最も砂糖を使わないのはイタリアである。王侯はパスタに砂糖をかけてお菓子のようにたべていた、これは南イタリアはながくスペイン副王領であったり、民は貧しく
せいぜい山羊から取れるペコリーノチーズをパスタにかけるのがせいぜいであった。厳然たる身分差で固定されてしまった。
朝からあまいののをたべる欧米の食事は日本人はどうもあまいものは・・というので日本人の貧乏な舌はイタリア料理があう
もちろんまずしいだけでなく工夫もされた。トマトは悪魔のような鑑賞物だったがこれを食べるこころみをしたのはイタリアの貧民とされ
唐辛子も南方植物で各家庭で栽培されて唐辛子にトマトソースが開発された
やがてエカチェリーナ二世の不義の子であるボーブリンスキー公爵家がロシアにも砂糖工場を作りおかげでロシアはテンサイなどカブで砂糖を取れるようになり、
まったく砂糖を輸入することもなく国産でまかなえるようになった。おかげでロシア人のお粥は甘い スターリンは若いころグルジア民族主義者であったが、転身し「グルジアのブルジョワジー、貴族階級は外国の工業製品に自国かなわないとみるや
愛国を叫んだ」と論文を書きレーニンに「スターリンくんは党において民族主義を対策できる人材だ」と称賛
戦後に混乱でムッソリーニはイタリアで右翼でブルジョワジーの支援で権力にぎり、スターリンはまったく別の道にすすんだが
けっきょくたどるところは同じで
五か年計画で強力な経済成長をおしすすめ、百貨店をつくり、モスクワ名物のアイスクリームなど食生活の向上につとめた
1935年第二次エチオピア戦争でイタリアは豆戦車150両、強力な航空機150機を装備。都市戦略爆撃でとどめをさす、という発想であり征服はうまくいった
しかし経済制裁もあり37年は国際連盟から脱退するなどエチオピア統治は思わしくなくイタリア経済は低迷する
1936年から1939年までのスペイン内戦でソ連はファシストにあいまみえたがT-26がフランコ派の火炎瓶や対戦車砲撃で大きな打撃を被った。
とくに鋲部分が脆弱でのちにT34が溶接や鋳造を多用するきっかけになる。クリーク元帥もクーパー将軍と変名して参加した。
T-34は39年の採用であるが、34という名前はスターリンの友人オルジョニキーゼが戦車生産を率いることとなる1934年の年号にちなんでつけられた
V2ディーゼルエンジンは噴射ポンプなど多くは外国製品でありようやく国産化めどがついたのが独ソ戦すぐ手前だった
イタリアはドイツのポーランド侵略で第二次大戦がはじめると「準備が全然できてない」という理由でバルボもバドリオも開戦に反対した
なにぶんタイミング悪かった。戦車は豆タンクが8割であった。植民地のアフリカ兵に制圧するには適当であったがあいかわずリベット打ち構造であった 日本では話題にならないがもし戦前の日本帝国とイタリアが一対一で戦争するとしたら?
というのがアチラの興味を引くようで、海外の歴史ネタではよく話題になる
皆さんはどちらが勝つと >>436
日本海軍が地中海に遠征したら途中で居住性の悪さとガス欠で自滅するじゃね?
逆も同じ、イタリア海軍は地中海に特化する志向で太平洋では戦えない
戦車の話をすると日本戦車は歩兵支援用とはいえ軽装甲で、イタリア半島のような地形に投入すると戦損率はうなぎ登りに増えるだろう
とはいえイタリア戦車もわりとアレで沖縄戦のようなクソ戦況には物資と負傷者運べるLVTより頼らないかもしれない
単純なスペック比較をすると、主力戦車の装甲はどちらもほぼ小銃弾を堪えればよしレベルで、あるい意味戦車より旋回砲塔自走砲に近い
実際Warthunderなどシュミレートゲームでは五十歩百歩で、状況設定次第に戦えなくもないが二軍同士になりがち >伊日戦車比較
要するにアレだな、野球日本一シリーズ期間中に
パとセのBクラスチームのどちらが強いを議論しても仕方ない
いい勝負になるかもしれないが、そもそも戦う機会はない 1940年夏の時点で旋回砲塔に37o以上の砲を持った戦車がルノーFTクローン以外に0 >>433
全く戦車と関係ないので申し訳ないけど、ボブリンスキー家は伯爵
僅かな例外を除いてロシア皇帝は公爵位を与えることはしなかった。公爵位は古代ルーシやポーランドで統治者だった一族(リューリク家、ゲディミナス家、モンゴルのハーンの子孫など)の専有物という観念が強かったので。 >>439
両リーグの最下位同士で最下位決定戦をやれば盛り上がるかも >>436
技術はイタリアの方が上だが多分日本が勝つ、というより恐慌と欧州大戦でボロボロのイタリアに戦争やる余力がない
欧州大戦前だったらイタリアかなあ イタリアの装甲車両についてのドイツの視察レポート
戦車
M13 / 40、M14 / 41、M15 / 42戦車:生産終了。
M13 / 40、M14 / 43ディーゼルエンジンM15 / 42ガソリンエンジン
同じシャーシでコマンドビークル(コマンドカー)が生産されています。16ユニットが捕獲されました。89台の追加コマンド車両と28台のM15 / 42用の砲塔を製造するための材料が利用可能です。
車体はチェコスロバキア38(t)と同様の戦闘値。車両在庫は115台に達します。1.10現在。
P40:まだ軍隊に導入されていません。最大の問題は空冷330馬力ディーゼルエンジンにあります。これまでに5台のテスト車両が製造されました。5.10で注文された75P40に加えて。
エンジンを除いて、他の75台の車両の製造に必要なほとんどすべての材料が利用可能です。
正面装甲が50mmのIV号戦車と同様の戦闘価値
、35トンの重量、80 mmの正面装甲、60 mmの側面装甲を備えた戦車43の建設を計画しています。 。兵装:90/42大砲。まだエンジンも車両の木製モデルもありません。
突撃砲75/18(。123ユニットまで)
M15 / 42をベースにした突撃砲75/34(1.10。36ユニットまで)さらに、5575/ 18および8075/34追加の製造に使用できる材料があります。M42に基づいて294発の突撃砲の合計に到達することができました。
ドイツIII号突撃砲に匹敵する
M43をベースにした突撃砲75/34: 80台の車両の製造に利用できる車両材料があります
M43をベースにした105/25突撃砲:1.10現在。26ユニット。5.10。60台の追加ユニットが注文されました。
10.5バレルのドイツ突撃砲に匹敵する
M14 / 41に基づく突撃砲90/53:30ユニットがシチリア島に輸送されました。これ以上の車両は利用できません。
90 / L42を備えたテスト突撃砲と防空用の機関銃。
自走砲149L40:1台の車両。クンマースドルフに移動します。 装甲偵察車両AB 40:0現在。37台の車両がカウントされます。20は製造段階にあります。
フランスのパナールに匹敵する戦闘力。
AB 43:wK 47 L32を搭載した車両。310台が注文されました。
リンクス:軽装甲偵察車は、パルチザンの脅威にさらされている地域で条例官が使用するのに適しています。300台注文しました。
装甲列車(Panzer-Draisine)9台がイタリアの鉄道に配達されました。9台の追加ユニットが注文されました。
総合評価
イタリアで登録されている捕獲車両が増えるはずです。口径に関しては、イタリアの戦車は時代遅れです。
突撃砲は、高さが約180 cmと低く、重量が13?16トンと軽いのが印象的です。視界が不十分であること、内部の寸法が小さいこと、正面装甲が弱いことのいずれも説得力がありません。
AB 43装甲偵察車は、装甲が弱いことを除けば、好印象を与えます。 >>イタリア戦車総合評価
大戦を見返すと非力なエンジンしかない場合に
装甲に拘らず機動と火力を増強するのが戦車設計の最適解だった
機動性は最低でも偵察に使える、
敵車を貫通できる火砲さえあれば戦術で勝負できる
後者に関して戦後のスーパーシャーマンは成功例
戦後の軽戦車と装輪戦車なども偵察に長らく活躍している
戦訓でしか得られない血の教訓で、イタリアはそれを知る由もないのだが II。メーカー
アンサルドカンパニー-ジェノヴァ、フォッサティ-セストリ
フィアットカンパニー-スパ、トリノ
ランチアカンパニーブレダカンパニー、ミラノ
III。兵器、弾薬、スペアパーツ
捕獲されたほとんどすべての装甲車両では、主な武器は良好な状態です。すべての口径の銃については、少量の弾薬しか収集されていません。
スペアパーツの状況:セントラザロにある、すべてのタイプの車両、および戦車用の州のスペアパーツデポ。ドイツのサプライセンターに匹敵します。また、制作会社のスペアパーツの在庫もあります。
これらの理由により、スペアパーツの供給が保証されます。
ワークショップ:唯一の大規模なドイツ国防軍のワークショップは、ボローニャのOARE施設にあります。Ansaldo-Fosseti社は、その能力により、イタリアとドイツの戦車の修理と保守を行うことを申し出ました。
Ansaldo-FossetiとFiatの企業は、イタリアの材料を備えたユニットからの要員のトレーニングを実施するために、専門の要員を自由に使えるようにすることを申し出ました。
新素材生産状況
OKH / Waffenamt / Italの特使。十分な資料が利用可能であれば、イタリアの委員会の大部分を引き継いでいます。ほとんどの場合、車両の組み立てのみであるため、企業には十分な生産能力がありま まあイタリア軍の戦車の大砲は1式47ミリ砲が登場するまでの日本軍のよりは対戦車向きだな。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Army_parade_of_Italy_2011_46.jpg
P40重戦車は60ミリの防盾
車体前面 50mmだが傾斜装甲でT-34より装甲は堅いT-34ー76と火力も同等と言える
液冷V型12気筒330馬力のディーゼルエンジン
現実的な板バネで良好な信頼性を持っていたなどパンサーより良かったかも。少なくとも千両があれば
P43は90ミリ砲をそなえ80ミリ傾斜装甲で、軽いとパンダーよりええ感じ >>450
セモベンテの90ミリ砲はえらい強力だからな。 >>450
P40とドイツ戦車を比較するなら精々4号F2(G)程度のスペックだろ
パンター(パンダーと書いたりパンサーと書いたりw)より良かったかも とか
長々と見苦しい丸写しな長文を何レスも並べた後にたったの二行自説を付け加えただけで
ニワカがまるわかり >>444
技術力があっても、WW2イタリアは工業力が全く無いからなぁ
WW2開戦時だと、豆戦車たくさんとM11がやっとこ100両だろ?日本でも普通に勝てるな
ww1くらいだとイタリアは動員数500万人くらいで息切れに対して、日本は10年前の日露にて100万人くらい動員で息切れしてるからまあ日本に勝ち目は無いな
日露時ロシア軍ですら200万人だし(余裕無かったのかは分からんが) 新型戦車開発は2〜3年掛かるし仮にイタリアが降伏しなかったとしてもP43の量産型が登場するのは1945年になりそう DBエンジン供給前のイタリア軍機ってなんか日本軍機っぽい イタリアは43年あたりに出てくる新型が43年以後登場してくる日本軍兵器を圧倒してる。
5シリーズを超える日本軍機を日本はとうとう登場させれなかった。 仮に降伏が2年くらい延びても、また300機くらい量産するのがやっとなんだろ DBライセンス生産と一口に言ってもドイツから直接技術指導受けられるイタリアと遠く離れた日本ではそりゃイタリアが有利でしょ
ライセンスではないイタリア独自開発したエンジン載せた機体ってどうだっけ?
ピアッジオP.119でも出してくる? イタリアンDBはアルファロメオ製もフィアット製も、やっぱ故障が多かったとか…イタ車メーカーだしね フランス戦車も案外脆いみたいなので日本軍のチハで撃破できたかもし >>352
'70年代までは英語読みのパンサー、古い感じのドイツ語読みでパンテルってのは多かったが、パンダーってのは一度も見たことがない イタリア語でパンテーラ戦車
昭和日本人はサーキットの狼ブームであがめていたイタリアンスーパーカー P44パンテーラ戦車
90mm、74口径砲、傾斜装甲80ミリ、44トン >>462
それは日本軍戦車並みに装甲薄いのもいるし時代的に25ミリ程度がオーソドックスな時代なのは貫通できるやろ。
S35とかになると到底無理だが。 フランスのソミュア戦車に関するレポート
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c5/Bundesarchiv_N_1576_Bild-007%2C_Paris%2C_Parade_deutscher_Panzer.jpg
シールド:50mm鋳鋼
船体は、側面から見て砲塔の後ろで結合された2つの部分で構成されています。後者とヘルメットの2つの部品は、それぞれ溶接やリベットのない単一の成形品で形成されています。
3.7cm対戦車砲での射撃:
350メートルで7発:7発、ミシン目なし(発射体は装甲に約10cm貫通)
200メートルで7ショット:7ヒット、1ミシン目(ドライバーのハッチの隣の垂直壁)
戦車の前には幅200メートルの沼沢地があったため、近距離からの射撃はできませんでした。
発射体の1つが砲塔の基部に当たりました。その後、砲塔は回転できなくなりました。
砲身の管を保護する防盾に発射体が到達しました。その後、大砲は移動できませんでした。
砲塔の後ろの上部チェーンの下の側には燃料タンクがあります。おおよその長さ2メートル。その保護は12mmの厚さの鋼だけでできています。 Kdo将軍によって書かれたレポート。装甲 12-45 mmのルノー R 35軽戦車を、現時点でドイツの歩兵が使用する最も一般的な対戦車兵器と戦う可能性について報告されています。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1d/R35s.jpg
05.12.1939
被験者:フランスR 35タンクに対してショットを目指し(一般的な戦うレベルまで)。。。19. Pz.Div、20本部(MOT)、1 Pz.Div、I./
捕獲されたフランスのR35戦車に対する射撃テストでは、40mmの強力な装甲にもかかわらず、対戦車兵器で簡単に貫通できることが確認されています。
この結果は主に、上部と砲塔が成形鋼で装甲されており、浴槽の側面のみが積層鋼で装甲されているためです。
距離600メートルで衝撃角60°のR35の前面には、3.7 cm(3.7 cm Pz.Gr.)の榴弾が貫通しています。350メートルの砲塔。その側面は100メートルです。
有利な衝突角度で、車両は38対戦車ライフル(Panzerbuchse 38)によって長距離(700メートル)で貫通され、その正面は2 cm(2 cm Pz.Gr.)。
武器を砲塔のドアに完全に向けて撃つことは特に効果的です。衝撃によって、武器が取り付けられているネジが破壊され、引き裂かれます。
フロントとシャーシの床は非常に弱い装甲(10?13 mm)であるため、地雷の影響に特に敏感です。
含まれているデータ、および軍隊に配布されたマニュアル「フランス軍」に含まれているデータは、60°の衝突角度に基づいていることに注意してください。
sS、SmK、SmK(H)弾薬を使用した戦車に対するショットは、付録を参照してください。 いつもながらミシン目とか平気で貼ってるのがイライラする パンツァービュクセって微妙なマイナーなくせにソ連がコピーしたり漫画に出てきたり対戦車ライフルとしては イタリアは口だけではない
技術も工業もあった無いのは資源だけ
戦後の資源も確保できず米英蘭の石油ビックシスターズに油田譲れと喚き続ける
当然虫されています 技術はともかく工業があったとは口が裂けても言えないでしょ 終戦の翌年から再開されたグランプリでアルファロメオは数年間、連戦連勝
戦争中、グランプリ用と航空機用、双方のエンジンを技術者が掛け持ちだった為、再開したグランプリに新型エンジンが用意出来ず
仕方なく保管してあった戦前のマシンで出たのに簡単に勝てて、とても不思議だったそうだ 技術はあったが粗鋼生産量では日本より下だったり
北イタリアの一部の地域だけが工業化していたということなのかな。スイスとかベルギーみたいな発展した地域が国土の一部に存在したと イタリアは軽合金の砂型鋳造がとくいでドイツも頼っていたとか
ガラス生産もベネチアの独占だった時期もあるらしいが 西欧はオランダからライン川にそって北イタリアまで中央ヨーロッパ区域が先進地帯で
フランク帝国構造で成立したらしいので日本だと関西みたいなトコ https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Macchi_MC.200_Russia.png
マッキMC200「稲妻」は、コックピットが開いているにもかかわらず、冬でもロシアで非常に好調でした
MC200は胴体に12.7 mm機関銃が2丁、近接戦闘に優れた能力を備えていた
頑丈な金属構造と空冷式スターエンジンにより、地上攻撃に最適な航空機
2 557の攻撃飛行、100または160kg爆弾?2発による地上支援511回、1310回の機銃掃射、
15機の損失に対してロシア戦闘機を88撃墜
戦闘機としてもよく使用され第362飛行隊のフェルラ大尉 は飛行中の30機を撃墜した
イタリア空軍はまぁ東部戦線で圧勝したようだけどいかんせん装甲部隊がね。
最前線に防備担当させたドイツが悪い 武装が弱いとは言われてるが命中率がいい機首装備でそれほどではないと思われ。
これは隼と評価は似てると思う。なおイタリアのよりもホ103はずっと優秀。 何見て受け売り書いてんだか知らないが
ちょっと博識気分になれると思ったら
スレタイに関係有ろうが無かろうが何でも書きに湧くのな 豆タンクcv33が牽引した47mm対戦車砲は距離500mで43ミリ
100mで56ミリ装甲板を抜ける 凄く寒いのにソ連パイロットは視界確保のためにキャノピー開けるのが好きで密閉式のでも開けて飛ぶくらいなのでそれは評価と関係ないんだよ アンツィオ高校。。とかでcv33も凄い高機動とかおもったけど
北アフリカで英国の輸送隊にひと泡吹かせる場面もあったがソ連のテストでは雪が深いと走れず
T-34や3号戦車のほうがへたすると速く
イタリア人も缶詰めとか棺と呼んでいた >>482
ガルパンは八九式中戦車が高速走行する戦車ファンタジーアニメだからな
本物戦車の動きは大抵地味。 wwAくらいだと、加速も旋回もカックンカックンしてる感じで乗り物酔いしそう T-34はエジプトなど中東戦争で大量供与されたがあまり朝鮮のような
武勇伝がないがT-54のほうがおおくニ線級装備品で埋もれちゃったのかねぇ フィアットG50は寒いからという理由で横のガラスの面積増やしてたはず アニメじゃBT-42も高機動だけど
実物は役立たず。
あのアニメで戦車を語るな。 >>485
朝鮮で圧倒的だったのは、相手がM24チャーフィーやM8グレイハウンドだけだった初期の話
中東では最初からM1スーパーシャーマン(=M4A1(76))が相手なので、圧倒できる程の性能差ではなかった エジプト砂漠迷彩が白骨みたい
乾燥した空気感でカッコいい
JS3スターリンは中東でシャーマンにボコられたがロシア人は
質の低いエジプト兵がほぼぜんぶ無キズで放棄したと非難してるね イタリアの戦争って基本はアルプス戦線だろ?
やっぱりそれを想定した装備にはなるよな
戦車は小型・軽量
艦船も地中海を主戦場に想定しているから
速力重視で細い船体に薄い装甲 スペイン内戦まではT-26と充分たたかえたのでイタリア戦車兵の費用効果はびみょうになると
ソ連の評価
スターリンがT-34やKVは時代遅れ、モスクワ防衛で軽戦車1万作れ、といううらには
北アフリカの活躍は影響してるかも
なにせJS3のような高価な重戦車も土人に気軽に放棄されちゃどうしようもない スペイン内戦に投入されたイタリア戦車は、CV33のような豆戦車だけだが? うんスペイン内戦ではイタリア豆タンクは47ミリ砲や65ミリ砲を牽引し
待ち伏せ配置して自らは囮となりT-26を誘き出す役目
この戦法は、独ソ戦初期にチェコ戦車でT-34を吸引して88ミリ高射砲におびき出すやつと同じ スペインの山岳地帯では豆戦車の活躍の場も多かったと思う
道路インフラ整備も未発達で、橋も重戦車の渡れる橋は少なかったようだ 高価な重戦車百台買うお金で安物戦車は1万揃えられる
JS3スターリンは105ミリ戦車砲でも貫通できないが乗員が逃げれば置き物
ベルリンの王虎のように最後まで熟練兵がねばってくれる前提で優秀
しかしそこまでの精鋭がないのならボコボコ量産してボコボコ使い捨てるほうが >>495
豆戦車は軽くて小さい反面、エンジンパワーが小さく、最低地上高も低く凸部で腹がつっかえたりするので、意外にオフロード性能は高くない ヴィシーフランス大使アベッツは親仏的な人物でシャルルマーニュSS師団の構想などおこなったが
ソミュアS40戦車を800両生産するという提案をした。
S40は75ミリ砲と広げられたシャーシを備え、装甲もさらに強化されたS41や駆逐戦車も予定
T34戦車とソミュア戦車が東部戦線で決戦ということもありえたわけだ。
シャーマン75がフランス75野砲ベースなのでちょうど火力性能は、シャーマンとトントンか S-40はS-35の改良型で主砲は47mm砲のまま、車体に75mm砲を積むソミュアSAu40と混同してないか? ソミュアは側面燃料タンクが装甲12ミリしかなくチハにも撃破されかねないのね 車長と砲手が兼任の戦車なんかドイツ軍は主力戦車として運用しないよ
いくら主砲と装甲が優れていても二線級 火炎放射戦車って米英が好んで使用していてソ連やドイツは使えない印象ですが
ガソリン代が惜しかったのかな? ドイツは歩兵携行用の火炎放射器も
火炎放射器搭載型に改造した戦車もサV号ほか数種
実戦に投入してるけどね
沖縄戦のアメ公みたいに景気よくバラ撒いてはいないようだ
ソ連のは言われれば見た事無いな どちらもあるけど?ソ連軍のT-26改造「化学戦車」はノモンハンで日本軍歩兵にとって脅威だったし、
ドイツ軍はII号戦車やIII号戦車、ヘッツァーや鹵獲B1bis、装甲ハーフトラック改造の火炎放射戦車を使ってる ドイツは2号戦車フラミンゴ、3号フラムパンツァー、ソ連はOT34など。ソ連はまとまった連隊で使用したようだ? もっとも基本的に陣地に対する攻撃用車輌なので、守勢に回ると出番がなくなる OT34は機銃座流用でガソリン容量が10リットル?3と少なくKV戦車を利用し主砲のかわりに火炎放射できる本格的なものもつくられた
ドイツはV号戦車を改造したフラムパンツァー3を開発、360度旋回可能で1000リットルのタンクをそなえカッセルのヴェックマン社で100台が製造
クルスク戦で投入された。敵の戦車に大量のガソリンぶっかけたらやっぱ燃えちゃうのかな そりゃ燃えるが、戦車砲に比べ射程が短すぎるので、困難 >>496
JS3が105ミリ砲で抜けないというのは典拠はありますか?
20ポンド砲だとJS3に対抗できないということで作られたのが105ミリ砲なので,
さすがに抜けないということはないと思います。 そういえば総統閣下ったら、ティーガーを火炎放射戦車に改造しる!!って言い出したことがあったんだっけか。 https://twitter.com/imo3406/status/1411261958607675397/photo/1
第三次中東戦争で鹵獲したIS-3Mを、イスラエル軍が105mmで撃ってみたもの、えぐられてるが貫通しないで済んだ部位がある
もっとも射撃距離は不明だし、後に登場するAPFSDSであれば、105mm APDSを弾いたT-72の砲塔前面も貫通できる
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>511
そもそも、IS-3の正面装甲圧、そして傾斜と実質装甲圧を考えたことがあるだろうか?
砲塔正面はお椀型の鋳造装甲であり、砲身付け根の防盾の250mmから左右に離れるほど実質的な厚みは増し300mmを優に超える
車体正面はこれより劣るが、110mmの装甲が60°以上に傾斜しその実質装甲厚は220〜250mmほどになる
対するロイヤル・オードナンスL7は、T-54Aを仮想敵として開発がスタートしている
重戦車の装甲の貫徹が困難である事実以上に、中戦車すら対応不可能である事実を察知したことが事の始まりなのだ
D-10Tと同等の射程距離を有し、T-54正面装甲を貫徹するに不足は無いが、配備初期は重戦車に対抗するのは困難な性能しか有していない
具体的には、L28 APDSを使用した場合の貫徹力は、1ydで60°傾斜120mmの均質圧延装甲とされている
垂直であれば300mmを超える装甲を貫徹し得るが、1000m前後の距離でIS-3との交戦を想定した場合、主砲同軸機銃や照準器周りの垂直防盾部を狙わない限りは貫徹困難と考えて良い
例え中戦車が相手であっても、より曲面を多用し装甲圧の微増したT-62の砲塔正面は貫徹困難であると評価されている >>506
1人乗り砲塔なんていうアホな事してるフランス戦車は火炎放射戦車にしたほうがいいだろううな。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/23/Batey_HaOsef_IMG_0947.JPG
ニコライ・ドゥホフの設計チームによりオブイェークト703はドイツの7.5cm KwK 42、一般的な75mm Pak40対戦車砲に対して完全な保護を提供
革新にもかかわらず、特に「前身の戦車」IS-2と比較してIS-3には多くの欠点があり
すでに1946年の初めに、このタンクの欠陥を分析するための委員会が作成され問題が明らかになりました。1946年半ばに、IS-3は廃止されました。
パレードで西側にIS-3スターリンショックをあたえ、対抗するコンカラーやM103重戦車などすくなからぬ影響を及ぼした リンクを見れば分かると思うが>516のあれは単にWikipediaの物を転載しただけだぞ
昨今のカメラ性能向上で海外軍オタたちが撮影した写真は大抵高解析度
重くと感じたら回線問題だな 遡れば似たようなWikipediaコピペが幾つもあるな >>518
リンクをよく見れば分かると思うがウィキペディアとウィキメディア・コモンズは違うぞ
そして通常は使用用途に応じて複数のサイズの画像が用意される
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/23/Batey_HaOsef_IMG_0947.JPG/1024px-Batey_HaOsef_IMG_0947.JPG まえ誰かのレスをコピペしたらこんな風に怒鳴られたな。
回線によっては見れなかったりするのかな
54 名無し三等兵 sage 2021/07/10(土) 10:18:56.12 ID:Z/B9c9yK
早速意思疎通できない奴>>50が現れた、しかも貼ってる画像がでかすぎて全体像まったく見えないオチつき
なんでわざわざポンチ絵を4Kであげるんだ?理解できん 携帯だからデータ取得が遅いとかデータ無料プランを契約する金がないとか言い訳をする奴がよく居るが、そもそもPCのある家や会社まで我慢出来ずに、携帯でまで2ちゃんねるをする方がおかしいんだがw
言っとくが2ちゃんねる中毒はニコチン中毒やパチンコ中毒より質が悪いから気を付けなさい 今どきスマホでなく携帯の回線でネットとか、いるのか?
なおソフトバンクAirは既に5G対応済み ガラプーはたまにいるな
ガラスマだとオッペケとかアウアウとかになるよね? M3中戦車およびM4シャーマン試作車では側面ドアがあり
なんで廃止されたんだろう
明らかに側面から出入りするデザインでソ連でもM3の側面ドアは便利と評価されたのに >>497
共和派の軍隊は寄せ集めだからな
ソ連装備の正規軍はかわして
武装民兵レベルのアナーキストには
豆で十分 T-34初期型は砲塔に大型ハッチあるタイプだが内部の機器を
クレーンで砲塔外さずに交換できたそうで
シャーマンもあの側面ドアあると整備がラクになったろうね ソ連は北朝鮮にJS3スターリンを2個連隊供与
中国もスターリン戦車連隊もっていた
中国兵が焼きそば食べながらスターリンでパットンを撃破しすすむ
ジオラマは楽しそうだな >>529
ピロシキ砲塔の場合、主砲の交換は砲塔後部のボルト留め部分を外し、そこから抜かなくてはならない
ナット砲塔やシャーマンは前から防楯ごと取り外せる
ピロシキ砲塔のハッチは、車体後部側面の燃料タンクを交換できるように大型になってる T-34-85のプラモ
砲塔ターレット径を拡大したのはしっていたが、車体上面の形状とかも違うの?
昔のプラモはそのまんま砲塔だけ替えておkだったような 一応投げやりにツッコミ入れるけど 一把炒麺一把雪 の麺は麦焦がしでしょどー見ても。中国語の麺なんだから。 はったい粉(?粉、?粉、はったいこ)は、オオムギを炒って挽いた粉。別名は麦焦がし(むぎこがし)、
保存性がありながら、いつでも食べられる携行食として重宝されている。チベットではツァンパと呼び、主食とする
こっちのほう? Air使ってるけど4kだろうが普通に読み込むし画像サイズは火狐が枠内に縮小してくれる
PCなり端末のスペックがカスなんだろうな iPhone6sで4G回線だけど快適に見れるぞ
これ以下の端末と回線ってどういうのだよ… ソフトバンクAirはアップロードがADSL並にクッソ遅いけど、ダウンロード速度はそうでも無い、とはいえ光よりは遅いが
あとコロナ禍が始まって(在宅ワークが増えて?)以降、たまに激重になることがあり、その場合は電源入れ直すとすぐ直る 東欧の人は男同士でぶちゅーと熱い接吻するがあれは外国人には免除だろうか
東ドイツのエルベ川あたりまでひろまっていそうな風習だが
よくコロナにならないな 「チークキス」は実際には頬に唇をつけず、近づけてちゅっ(*´з`*)と音だけ出すエアキスの場合が多い >>538
血液感染するタイプじゃないから大丈夫なのでは?
まあ必然的にお互い近付くからやらないに越したことは無いだろうけど。 舌や唾液線からの感染もあると、先月の記事で読んだぞ モンゴルでは親しい人見ると突進して頬ずりキスするんだって
オエーあれは遊牧民のなごりなのか
ガルパンでカチューシャが自慢した紅茶ジャム文化もモスクワとか一部地域の風習で
ウクライナとかレニングラードなど田舎のロシア人はしらんとか >>542
ウクライナなんかまんま騎馬民族の国だしな。 銅製のサモワールをT-34砲塔に備え付けて数リットルの紅茶を沸かし
3人で飲み放題
これが理想のロシア文化 >>544
おめえはイギリスのスパイだな
砲弾倉に人数二倍分のウォッカを積めるこそ正解なんだ
飲んでよし売ってよし 第502重戦車大隊で砲塔内に弾薬のかわりにシュナップス火酒をズラリと並べた逸話
カリウスのインタビューではロシア人が強い興味示してた
作戦前の打ち合わせで将軍と徹夜で呑み明かして遅れるとか
不良中隊長じゃないかー >>545
政治委員どの!ざんねんながら我がT34戦車では反革命分子の妨害で
床下の弾薬庫からウォッカを取り出すしか無いのであります >>532
先に試作で終わったT-43で砲塔リングが142cmから160cmに拡大され、その砲塔を元に85mm砲塔が作られ、T-34-85の形ができた
工場による形状の違いで、車体上部側面から砲塔が僅かにはみ出ている物もあり、その場合砲塔左右下の車体側面上端に
(おそらくは車体側面への命中弾が跳ねてリングに食い込まないように)跳弾板が付いている
車体上面は(古いタミヤのプラモでは再現してない)砲塔用の穴の径が大型化してる程度で、殆ど変わらない 砲塔がはみ出して跳弾する、そりゃ設計が正しいなら欠陥品の納入
サボタージュの罪に問われる 車体側面に当たる、斜め上に跳ねる、僅かにはみ出た砲塔リングのエッジに当たる、というプロセスで被害の出ないよう跳弾板が追加されてる
無いのもあるが、ウラル工場製のには跳弾板が確認できる
https://tamiyashop.jp/img/goods/4/32599_4.jpg 僅かに傾斜角度を変えて砲塔が載る面積を少し増やせば良いのに、
やっつけ的な跳弾板の溶接で済ますのが何とも。 それやると、45mm厚以下の装甲板はプレスで抜いてるから、新しく型を作らなくてはならない、
組み立て治具を変更しなくてはならないので、戦時中には無理な話だ パンターGのあごつき防盾もやっつけ対策だよね
防盾が美しいと思うのでがっかりだ。意外に生産量は少ないらしいので最終だとあごなし防盾だったり >>474
300年以上戦乱続きで小邦乱立状態だったからね
頻繁に大国に介入されたし
それと山がちな地形が加わって交通網が未発達で市場が分断されて未発達だったのよ
だから資本も集積せずに大規模な工業は起こりにくい
北部はそれでも独仏と接触してそれなりに発展するが、南はそれからも疎外されて基本ビンボ
今のイタリアの国家形態は19世紀の再統一運動で無理やりまとめ上げたもの
だから国としての一体感が薄く分離主義が結構根強い
北の連中は南を観光地の売春婦とポン引きか、北の富に寄生するナマポ集団みたいに思っているとも言う
イタリアとアイルランドは19世紀のアメリカ移民供給口の双璧だからなあ >>553
G型はMAN、ダイムラー・ベンツ、MNHの3社で製造され、メーカー毎に部品形状やコーティング、塗装の差がある
メーカーによってはアゴなし防楯の在庫が最後まであったので使ってたり、一見して最後期ぽいスチールリム転輪のがアゴなしだったり >>555
タミヤとかドラゴンの模型や「Panther G steel wheel」とかで調べて出てくる写真って
スチール転輪使用ってアゴ無し防盾が多いけど、
「アゴ有防盾・スチール転輪」の組み合わせってあったのかな?
あとヤークトパンターのスチールホイール仕様とか。 T-34初期型は鋼板プレスのディッシュ転輪、のちに蜂の巣状の鋳造転輪も現れた
プレスのディッシュ転輪は大きく変形した写真があるが鋳造転輪はない
炭素量の多い鋳造は硬いので割れるのでつごうがよかったのかもしれない
中期ではゴムなしの転輪も中央にはさむことがおおかったが大戦末期には
むしろ全部ゴム付きになっていたりして、不評だった
大戦末期にT34-85はゴム付きのディッシュ転輪に戻っていたりして何がしたかったのかよくわからない
ドイツはスチールプレスの転輪が多かったようだ スチール転輪ってラバーリムの代わりに鋼製のリムとディスクの間にゴムのブッシュを入れて衝撃を吸収してるから
大抵は製造が面倒でゴムの節約以外のメリットは余り無い(シャーマンやPz. IVだと高負荷によるラバーリムの損傷防止) T34/85がゴム付転輪に戻ったのは重量が増えたせいとたしかプラモの説明で読んだ。
前のスレでゴムの成分を抽出できる植物を探して…という書き込みもあった。
どうやってゴムを調達したのか長いこと不思議だった。 同じ奴だと思うがそんなのは覚えててこっちは覚えてないのかよ
197 名無し三等兵 sage 2020/06/12(金) 22:08:50.74 ID:nVgWs53P
>>191
自分はT-34 76の'43年型ではスチール転輪なのに、T-34 85ではゴムを巻いた転輪が復活してるのを不思議に思ってた。
216 名無し三等兵 sage 2020/06/17(水) 00:37:48.09 ID:itYRfQtd
>>197
ドイツの爆撃で戦略物資であるゴムの合成プラントやタイヤ類の製造工場が破壊されゴム製品の供給が滞った為の措置
1943年6月9日から10日に掛けての攻撃ではソビエトのタイヤ類の8割を生産していたヤロスラヴリタイヤプラントが完全に稼働停止の状態となった
しかし数カ月後には他工場への移管、疎開工場の稼働開始、破壊されたプラントの再建でゴム製品の製造能力が戻りスチール転輪も短期間で廃止となった スチールプレスの転輪のほうがかるいのかもしれないね
シャーマンは初期は5本スポークの転輪(鋳造と推定)
クライスラー配下のデトロイト戦車工廠ではプレス打ち抜きのシャーマンの転輪を製造し後期型に多く使われた
質が悪く割れたのも展示車両に見受けられる
1センチ弱の厚い鉄でプレスしてるから弱いわけではない、という言い訳もあったが、やや直径の増えたHVVSの
転輪は小細工なしにディッシュタイプになってる。これは鋳造かプレスなのかよくわかん ヒトラー総統が言うのは第一次世界大戦でイギリスに天然ゴム封鎖されたのでドイツ帝国は苦しんだが
第一次世界大戦中にはドイツにゴム合成工場ができ、しかし戦後はイギリスは一転して天然ゴムを安くして合成ゴムは採算が取れずに潰れる
利益に関係なく合成ゴム工業は維持せねばならぬ、うろおぼえだが調べたらだいたい史実と一致した
総統の記憶量はすげえな
現在の合成ゴム、スチレン・ブタジエンゴムは、1929年にドイツの化学者ウォルター・ボックで天然ゴムの主成分であるイソプレンゴムの構造を参考に開発され
1934年にアメリカで生産が始まったと、ヒトラーの政権奪取は1933年だからその一年後か
SBRは天然ゴムの代替品で日本の占領下では利用できなかった東南アジアの天然ゴムの供給に取って代わるものとして連合国には大きな助けになった
確かレンドリースのソ連向け車両はゴムの節約とかしてたなアメリカン ドイツの戦略爆撃が効果あげた例なんてあったんだ・・・ 初期: Welded spoke
中期: Pressed spoke
後期: Smooth concave(=ディスク)
って呼ばれてるのによく"鋳造と推定"とか書いたな
思い付いたらそのまま調べもせず書き込んでるのか
大きな画像みたらWeldedとPressedは溶接のビードが分かるだろうに スポーク型のは鋳造、ディッシュ型は明らかに鋼板をプレス加工した物だろ 鋳造は重い、そして現用戦車の転輪は殆どプレス加工のディッシュ型 > スポーク型のは鋳造
どんな文献にも載ってない新発見をいきなりぶっ込んで来たなw ホイール業界では鋳造と低圧鋳造と低圧鍛造の境界線は曖昧 M3や前期型シャーマンのスポーク型転輪が鋳造でなくて何だと思ってたんだ?写真でもわかるし資料にも書いてあるだろ
IV号戦車のスポーク型誘導輪は、パイプ状部品の溶接組のと、H型やJ型の一部で見られる鋳造製と両方あるが ttp://i.imgur.com/KrzM71L.jpg KV1みたいな重い戦車を39年から使って苦労してるからその経験が生かせてるのかスターリン2をうまく使えたソ連軍。 >>580
タイガー1で散々苦労してるのに、更に重いキングタイガーを開発した時点で、ドイツは経験を生かす気も無いとしか。 大重量の戦車でも自在に無段階変速できる、ガス・エレクトリック式を通したフェルディナント・ポルシェ博士は立派ですね! T-34のクリスティーサスは長いスプリングでよく動くとか解説されてるが経験者によると鉄棒みたいな固いサスで
乗り心地は最悪だったという。確かにラオスから返還されたT-34-85も足はカチカチっぽいし動揺もほとんどない
ところが戦後のT55などソ連戦車はごく普通の戦車で、一転して戦車らしいフワフワなサスでよく動く
設計思想がかわったのかよくわからない。ちなみにスターリンJS2はフワフワでよく動くが
JS3ではがっちがちになってる。これもよくわからない T-34-85とT-54は乗ったことあるけど、乗り心地の差はそんなに感じなかったな シャーマンは水平バネのHVVSはストロークがふえたわりに動きはかたく動揺は少ない
VVVSのシャーマンは柔らかく工場の違いかもしれないが初期M4A1は非常に柔らかい
乗ってる人の頭がふらふらしてる
VVVSはショックアブソーバーがない構造で摩擦で余計な動きをとめるので
もしかしてヘタってキテるのかもな 四号戦車のボギーサスはまったく動きそうになく
しかし地面の凹凸にちゃんと蛇のように追従してるので優秀かもしれない
シリア軍の四号戦車も射撃中の動揺は少ない >>585
コロナの前は海外で乗る機会もまれによくあったのよ >>585
軍事雑誌によくツアーで特集組んでたよ。ミグ29も乗れた。フィンランドだとBT7とT26を操縦できるツアーもあった。
中国の奥地ではプレミア価格がつくようなレア銃が撃てたしRPG7も撃てた。主に旧軍の38式99式あと重機や軽機。
デグチャレフ1916まで出てたのはぶっ飛んだ。88式歩槍ってたしか弾が尖ってない前々世紀の弾を使ってたよな。 間違えたフェドロフ1916だ。あとマキシムも撃てた。 100年以上前の、しかも割とレアな銃が撃てるのか
6.5mm弾はどこ製のやつなんだろ ワクチン打てば旅行も行けるようになるよ
1938年制式だから38式か 明治38年に仮制式制定(採用)だろ、三八式歩兵銃は ソ連崩壊後のロシア初期は非公式ツアーでロシア兵が小遣い稼ぎで試乗や試射をやらせていたな
金払えば今よりもかなりフリーダムだった >ソ連崩壊後のロシア初期は非公式
そこでロード・オブ・ウォーにならなかったところが
ニコラス刑事ほど甲斐性がなかったところだな。 >>583
T-34-85とJS-2やT-55の差はサスペンションの差だろうけど、JS-3は何だろう。
>>584
カタログ数値だけ見ると寧ろT-34の方が速いからオフロードで差が出るのでは? Arisaka(30年式や38式歩兵銃等の総称)は日露戦争終結後に余剰品や新品が世界中の紛争地域に大量に売られたから
今もコレクションとして所有する者が多く、高品質な実包の入手に困らない銃のひとつだぞ
それと共産中国は日本軍が引上げ時に放棄した銃器を軍の主力に加え弾薬も国産していたし、国産兵器が行き渡った後も長期間、
それらを予備役で使っていたので、古さに目を瞑れば今も弾薬が残っていて不思議ではない 国策かスウェーデンなど北欧は射撃人口がきわめて多い国で
ノルマ社から38式の実包は販売される
アメリカの雑誌によると優秀銃なんです スウェーデン自体は日本製の小銃とは全く縁が無いので、戦後、会社を輸出メイン、アメリカのハンティング需要狙いに変えて以降にラインナップに加えたんだろう 隣のフィンランドにも、まとまった数の三八式が入ってるしね タイプ38はモーゼルボルトデザインに基づいていますが、実際にはいくつかの点で優れています。
分解はモーゼルボルトよりもさらに簡単で、安全設計も優れています
ボルトとアクションのデザインは、軍事アクションライフルで使用された最も安全で最強のデザインである可能性が非常に高いことでも知られています。
設計は非常に強力であるため、はるかに強力な狩猟用カートリッジを使用しても安全なだけでなく、破裂などの問題が発生した場合に、
ガスをシューターから安全に排出することを目的とした機能を備えています
第一次世界大戦中にイギリスに販売された日本のライフルの総数は少なくとも15万丁でした。イギリス軍はこれらを海軍、飛行隊に配備
日本からロシアに販売されたライフルは約60万丁。ほとんどが1914年から1915年頃に売られる
1918年のフィンランド内戦では、ロシアのボルシェビキは、戦争のためにこれらのライフルをフィンランド赤衛軍に大量に供給しました。
その結果、白衛軍は戦争が終わったとき、約24,000丁の日本のライフルを持っていて
1919年エストニアに販売。戦争を生き延びたものは、その後すぐに民間市場に売られ、通常は狩猟用ライフルとして改造されました
中国軍にはSKSカービンを装備されていたので、大量にあったタイプ38は7.62x39口径に改造され 1960年代に紅衛兵民兵に使用される 当然、Normaにはあるが輸入品なので安価ではないし切れると入荷までに時間が掛かる
その隙間を狙って小規模なトコが手を出すんだろうが品切れ、廃盤ばかりで安定供給には程遠い
ttp://www.norma-ammunition.com/en-gb/products/dedicated-hunting/centerfire-rifle/norma-alaska/norma-alaska-65-japanese-arisaka-156gr---20166202 2種類のタンポポは、以前はゴム植物として栽培されていました。タンポポの種の中には、根にゴムが含まれているものがあります。
中央アジアの天山山脈東部のにはえるロシアタンポポの根には 、最大20%の高品質のゴムが含まれています。
現在は使われませんが、まだ新しい計画はあります
ソ連の合成ゴム工場はヤロスラブリのSK1工場で1932年に開始され、この合成ゴムの強度は天然ゴムの半分以下でした
ドイツの爆撃でまひしたってこれか。ソ連戦車の転輪のゴムは低品質だったようだ そしてレンドリースで送られてきた資材の中に、天然ゴムと合成ゴムも含まれていた KVとかISとか重戦車系は何でゴム無転輪なんだろ?
摩耗が激しくて交換のデメリットが大きいのか? あれはティーガーI後期型やティーガーII等のスチールリム転輪と同じ(というかドイツがパクった)で、
転輪本体と縁の間にゴムが内蔵されていて、戦後のT-64もこのタイプの転輪 カザフスタンタンポポ、またはロシアタンポポは、国内のゴムの供給源を見つけるためにソビエト連邦に科学者によって、1932年に天山山脈で発見されました。
ソビエト連邦は1950年まで、特に第二次世界大戦中に、パラゴムノキからゴムを供給する際の緊急のゴム供給源として、大規模に栽培
東南アジアで脅かされていた米国、英国、ドイツ、スウェーデンとスペイン同じ理由で植物を栽培しました。
アウシュビッツのライスコサブキャンプは、タンポポのゴム生産工場でした。
米国が達成した最高の収量は1ヘクタールあたり110 kgのゴムに達し、ソ連は1ヘクタールあたり200kgのゴムの収量を達成
大戦の終結と手頃な価格のパラゴムノキ(収量十倍)の復活により終了しました。しかしながら合成物は天然ゴムを置き換えることができません
2019年、ドイツのタイヤメーカーであるコンチネンタルAGは、自社の敷地内で成長させることを目的としたタンポポの
「持続可能なゴムで作られた最初のタイヤ」の生産を開始しようとしていると発表しました。
ラテックス?植え付けから栽培までの長いリードタイム(ゴムの木の場合は7年で、タンポポの場合はわずか6か月)と、
ゴムを栽培できる輸送距離が長いのでlコストが削減される
会社の工場でゴムつくるためアウシュビッツのライスコサブキャンプ復活ね・・ゴムの悪臭で卒倒しそう 計画はされた、しかし治具の交換のために生産ラインを止めなくてはならないので開発中止
通常のIV号からの流用ではないシャーシ前面が傾斜装甲のIV号駆逐戦車では、全く新たに生産ラインを設けた そんなアホみたいに厚くしたら、前方に重心が寄るノーズヘビーになって変速機が保たない
IV号駆逐戦車風の傾斜装甲車体をIII/IV号車台に載せ、更に大型転輪化した案や、
G型からH型に移行する前にクルップ社から提案された、パンター風の傾斜装甲の物があった もしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい! NGWordであぼ〜んされたから、しばらく見なかっただつおだろ だつおって無職に―とか定年退職した老害ミリヲタだろ。 バグラチオン作戦で420台のW号戦車を失ってしまった国防軍
無傷で放棄されたのか、戦闘して撃破されたのかきになる そりゃ当然、両方あるだろ
軽い損傷や故障で修理待ちだったのが、敵の進出が早くて自爆放棄とかもあるし 連合国がノルマンディー(1944年6月)に上陸して以来全体的に物資が不足した結果で燃料、弾薬が不足しました。
中央軍集団は1944年の初夏の「崩壊前のカードの家」でした。ドイツ兵は多くの場合慢性的に栄養失調でした。
一方、アルコールやメタンフェタミンなどの覚醒剤は豊富に入手可能でした
執拗な規律の維持、憲兵(「チェーンドッグ」)の恐ろしい評判、ますます厳しくなる軍法会議で維持されていたが
ドイツ兵は、連合国がノルマンディーに上陸した直後に戦争が終わることをつよく望んでいました
ソビエト連邦がわの「自由ドイツ国民委員会」の主要な任務は前線における説得で、これにおうじて
第四軍のミュラー中将が自主的に投降、さらに中央軍集団に所属する17人の将軍が委員会への協力を申し出た
ドイツと協力していた民間人は、リンチを恐れてドイツ兵と一緒に逃げました。このため自動車とガソリンが不足
さらに、列はイリューシンIl-2攻撃機でおそわれた。ソ連空軍の大規模な使用はドイツ軍にとって新しい経験であり、
それまで赤軍による攻撃に対する最後の防御手段であった砲兵の破壊につながった
重火器の欠如は、ドイツ兵の状況をさらに絶望的にしました
「私たちは燃料を持っていません。弾薬が不足。[…]「そしてそれは永遠に続いた」
「ロシア人は病院を占領し病床に移動し機関銃をベットの負傷者に向けて弾倉を空にした。」 ハンガリーの虎1部隊は戦闘による損害は0だが撤退戦で
故障車両を回収できずあっという間に溶けたのだ。 アリューシャン列島に進出した水上機など、係留中に荒波に叩かれて失われていった ガ島を巡る戦いだけで2000機の航空機が失われている
ゼロ戦300機、隼40機で太平洋戦争に突入したことが
嘘のように 戦前の日本の工業力はよくボロカス言われるが
技術者、労働者は最善を尽くしたんだなと思う イスラエルはゴラン高原で花崗岩の塊を高速で踏むと履帯が外れてしまうので足回りの固いセンチュリオンが
パットンよりこのまれたが、戦地で脱輪すると致命的
戦闘を経るにつれてシャーマン後期型HVVSの足回りが固くなっていったり、タイガー1よりキングタイガーが、
スターリンJS2よりJS3のほうが足が固くなっていったのはつまり実戦むけなのかな
もっとも平時には足回りがソフトな戦車のほうが兵士には好評 ソ連14ミリ対戦車ライフルは貫通力高いですが、14mmでは徹甲榴弾のように中に炸薬しこめるわけでし、ドイツの
パンツァービクセのように思い切って14ミリのカートリッジを7・9ミリにネックダウン加工して、弾体は長く重くすれば
さらに貫通力は高まったのではないでしょうか?改良計画はなかったのですか https://togetter.com/li/554248
23mmの薬莢で14.5mm弾頭というのは実験していて、ティーガーの側面80mmに何発か撃って一発貫通したという シャーマン相手にはかなり有効だろうが、発射するとモノスゴイ銃口焔と噴流が発生して位置を暴露することになって、一発でも撃ったら随伴歩兵から懇ろにおもてなしされそう
それにその程度の砲弾に仕込める炸薬なんてしれてるから、貫通しても中の人がちょうどうまくいるかよっぽど致命的な部分に当てないとただ穴をあけるだけになるな 純粋なAPなんでないの?
火薬と信管つけたら軽くなってダメそう >>631
まあそれでも97式自動砲とかあんなのよりましだし肉薄攻撃するよりは。
というか97式自動砲なんか作らないで安価な単発式のを大量に配備すればいいのに。 それは同感。手動式の単発で良いから、大量に配備してれば、少しは戦況が変わっただろうにね。
逆に97式は機銃として使うべきだった。
いや、できればホ103とか大量に生産・配備すべきだったが、こればかりはな。 九七式自動砲の機銃版=屠龍で使ってる試製二十粍固定機関砲/ホ3
弾丸が高射機関砲と同じで高初速で威力があるが、発射速度が低いのとドラム弾倉なのが問題 航空用機関砲としては貫通力も高いから、ドイツ機みたいに機関砲による対戦車攻撃ができないか?
と思ったが、ドイツ機でも緩効果で戦車の上面に当てるのは難しいので超低空から車体後面や側面を
狙ったんだそうで、そうなると20mm砲では威力不足か? 23mmで8万2千ジュール、九七式自動砲は5万J、14.5mm対戦車ライフルは3万J でもホ3の初速846は99式2号さえ優越してる。MG151でさえホ3には劣る初速。発射速度400だけがネックだが。2号は480発でそれほど大きな差はない。重量も似たようなもの。 対戦車ライフルや対空機関砲では、貫通力や射程を伸ばすために、薬莢の長い=装薬量の多い弾薬を使う
ドイツ軍用機が使う20mmは、初期の20×72mmRBか、薄殻弾頭も使える20×80mmRB、後半の主力である20×82mmだが、
地上部隊が対空砲や対戦車ライフル、戦車用機関砲で使っている20×138mmBは航空機用には使っていない
ちなみにII号戦車の20mmで使ってるのもこれだが、ソ連のT-60軽戦車で使ってるのは航空機機関砲用である20×99mmR、発射速度以外劣る わずか4ショットで爆撃機をこなごなにできるとアメリカに恐れられた(RDX -充填弾330グラム)ドイツの30ミリラインメタル-ボルジクMK108機関砲で5万ジュール
99式2号(海軍20ミリの長砲身)が4万Jで、VYa-23機関砲はその2倍以上の8万J
VYa-23機関砲はとんでもなく強力
それでも真上から中型戦車を撃破するには難しかったが14.5mm-23ネックダウンしたワイルドキャットカートリッジならタイガー戦車貫通できる MG151/20やMK108の威力は、薄殻弾頭の炸薬量にあるからね イリューシンIL-2 地上攻撃機VYa-23機関砲は8万ジュールで威力が大きすぎて設計者が機関砲で処刑されたやつ
戦後にミグ15などに使われた23×115mmは14.5×114mm対戦車カートリッジを逆にネックアップして弾頭重量は175gにましてる
低速で重いタマをばらまく発想で23×152mmカートリッジは過剰と判断された。ただしZSU-23-4 シルカにはこのタイプつかわれてる
23×115mmは5万ジュールに威力を抑えてるが175gの炸裂弾頭の威力は大きく朝鮮戦争ではこの23ミリがB29をばたばたとおとし、
激怒したルメイ空軍大将はジェット戦闘機隊ににのりこみ「なぜ爆撃機を護衛しないのか。臆病者めが」と罵った
F15などに装備してる20ミリバルカン砲は、5万Jだが(この実包はデカイんだよね)23×115mmは弾頭重量は2倍近い アメリカ軍がいちばんいやがったという
88ミリ高射砲を沖縄に千門おけばすむ話 問題は日本軍がその8.8cm FlaK18かFlaK36/37を装備してないってことだな >>645
>朝鮮戦争ではこの23ミリがB29をばたばたとおとし、
朝鮮戦争で中共ミグがB-29をバタバタ撃墜? そんな妄言は北朝鮮だって信じてないぞ?
専門家らは北朝鮮の「トラウマ」、すなわち韓国戦争(朝鮮戦争)の際の米軍の空襲に対し北朝鮮が感じる
「悪夢」のためだと説明した。ある予備役将軍は「韓国戦争当時、洛東江(ナクトンガン)戦線で
最後の攻勢を準備中だった北朝鮮軍に向け98機の米軍B−29爆撃機が26分間に960トンの爆弾を
浴びせるじゅうたん爆撃を加えた、制空権を掌握した連合軍が平壌(ピョンヤン)など北朝鮮の主要都市
に対しても持続的な空襲を行ない、戦争が終わった後にまともな建物が残らなかったほどなので
米軍の空襲は北朝鮮には悪夢だろう」と話した。
http://s.japanese.joins.com/article/810/233810.html JS3も122ミリでなくもっと小さいけど貫通力がそん色ない大砲積めばよかったのにな。
防御力は60年代でも硬すぎる位充分ある。40トン台であの性能はすごいしかも46年の戦車だぞ。 100mm砲がそれなんだが、IS-2の段階で載せられたのにやってない
砲だけでなく弾薬も新型で数が揃って無かったのと、後にSU-100やT-54といった中戦車クラスの車台に載せる事になったのと、
独立編成の重戦車旅団は陣地突破が主任務で、強力な榴弾を撃てる必要があり、その後のIS-8改めT-10まで122mm砲を採用
(試作止まりならIS-7の130mm砲ってのもあったが) あとIS-3は満州侵攻に参加してる(ただし戦闘はしてない)ので1945年の戦車だね 重戦車と言う言葉に対戦車戦闘のイメージが、さらに言うとISシリーズに猛獣狩りのイメージが強いが、本来の用途を考えると高初速徹甲弾の類はあまり要らない
大量の炸薬を詰め込んだ砲弾で火点を粉砕し、重機関銃で湧きだす歩兵を制圧する事が出来れば良かった
この思想が先鋭化したのが不採用に終わったIS-7だろう
艦載砲流用のS-26/C-70を主砲とし、KPVT重機関銃2丁に加え、RP-46/SGMT機関銃6丁を同軸、砲塔後部(側面)、車体に装備する
単純に筐体規模が増大する上に、対戦車火器の長射程高火力化が進んで7.62mm級の機関銃を下手に増やしても意味は無くなったが…
また、122mm砲各種に搭載するHEAT等の開発は低調とは言え早い時期から行われていたので、対戦車戦闘能力が向上する見込みが無いわけではなかった
戦中のISシリーズには搭載されなかったが、後のT-10にはこれらが搭載されている
3BM-7は100mm砲用の貫徹体と共有だが、巨大な筒のおかげで高初速化し、2000mmで垂直270mm
さらに近代化を終えT-10Mとなって後、M-62戦車砲から発射される3BM-11の貫徹力は、距離2000mで垂直320mm、60度傾斜110mmに達する
この数値はT-62に搭載された初期のAPFSDSを上回り、むろん西側の火力と装甲に対してすらもほぼ圧倒出来た
高初速化による高い命中精度、砲安定装置と装填補助装置を併せて、当時世界最高水準の対戦車火力を獲得していると言って良いだろう
まあ、あまり必要に迫られなかったからやらなかったのだ
WW2で戦車が撃破されれば、それはほぼ確実に隠蔽と掩蔽がされた牽引式火砲の仕業だったのだから >648
う〜ん確かに米空軍の絨毯爆撃は効果があったんだろうけど、ソースが中央日報で専門家と言われる方も南の人だし、金日成がこう言ってたみたいだ〜的な伝聞ネタだしどうなんだろう?
MiGに恐れをなしてB29は夜間爆撃しかしなくなったとかどっかのスレで聞いたことあるけど。 >>648
実際、緒戦では損害が大きく護衛戦闘機の数を増やしている
露払いの部隊を先に出したり、囮を使ったり
レーダー・通信施設を徹底的に叩いたり
密集編隊をより密にし、離脱空間を減らしたり
戦術面の工夫で対処出来てるね
遠隔銃座の射撃管制も太平洋戦争のころとは違いレベルアップしてるし
後半はB−29のやり放題だったらしいが 正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html 被弾に大しての脆弱性も作戦距離が短いから
問題なかったのも大きいな 23mmや37mmで大穴があいても、なんとか日本の基地に滑り込んで、廃機にはなるだろうが撃墜は免れる 戦後生産させたB−29はマグネシウム合金を使わなくなったので
燃えにくく、生還率も高かったようだ 確か旧ソ連の戦車は榴弾を重視しており、大戦中は戦況によっては搭載弾の半数以上が榴弾だったりするんだよな。もっともドイツだって半分は榴弾なんだけど。 >>658
マグネシウム合金を使ってたのは、エンジンの一部とか排気タービンとか、軽さと引き換えな耐久性の無さは交換前提 あれは榴弾軽視というか、対戦車戦闘能力優先、口径40mm程度だと炸薬量低いし
(実はドイツ軍も、開戦してから暫くは37mm戦車砲用の榴弾が用意されていなかった)
なので小隊に一両、76mm榴弾砲を載せたCS型を混ぜていたが、どりらかというと
煙幕弾を撃ってることの方が多かったとか クロムエルは真四角で騎士の鉄兜みたいでかっこいい
と思ったがキングジョージブイの砲塔も真四角で避弾経始かんがえてなくてだめだった
もっとも戦艦の装甲は直射浴びる垂直面だけあつくするので直角にすることで
設計の重量を節約したのかな 戦艦の主砲の弾道は低伸せず山なりだから、むしろ傾斜装甲にすると垂直に近い命中弾になりそうだが アメリカに恐れられた(RDX -充填弾330グラム)ラインメタル-ボルジクMK108機関砲で5万ジュールでも
総統は不満で「30ミリよりもっと強力な機関砲をと」ねがったしかしMK 108はかなり重くこれが上限よ
(じっさい戦後のソ連の23ミリも米20ミリバルカンも5万Jにとどまる)
それなら、
大口径でも機関砲本体が要らない全体重量を軽減するロケットを斉射してやっつけるように指示
JG7の6機のMe262は、爆撃機の編隊に144基のR4Mを発射し、連合軍は25の爆撃機を失い
この任務中に1人のパイロットが戦死したのみだった
R4M「オルカン」は間違いなく戦争の最後の数ヶ月でドイツの最も効果的な武器でした。
「ドイツで選択された無誘導ミサイルのボレー発射による爆撃機のグループの攻撃の概念の正しさは、
大戦後の数年間の米空軍にF-86Dセイバー、F-94スターファイア、F-89スコーピオン、F-102デルタダガーで実装。
それらを使用し合計約2,500発のミサイルが発射されほとんどの場合、良好な結果が得られています。 米空軍が主力としたM2ブローニング重機の12.7×99は2万ジュールで貧弱、日本のブローニング系列には20ミリのホ5
が3万Jで軽量な割に威力が大きく、(20ミリの実包はイスパノ・スイザ404の短縮といわれてる)
日本海軍が雷電などに試験して烈風改に搭載する30ミリ機関砲は10万ジュールで、
米軍が朝鮮戦争では30ミリ機関砲の再生産を願ったが生産設備は残ってなかったともいう でもⅯ2は当時の航空機機銃では弾道直進性が良く多銃装備であることが多い米軍機で
空中戦の射撃時間が1〜2秒程度であることが多いことを考慮すると
1丁辺りの威力だけでは判断できないよな >>666
松本零士大先生の漫画『低伸弾道12.7』による解説
https://i.imgur.com/TJWpktu.jpg
https://i.imgur.com/uvryKU6.jpg
なお武装を機首に集中するP-38は最も多く日本軍を落とした陸軍戦闘機
1km外から当ていける証言は存在する
日本機の装甲は薄いので12.7mmでも効果的だった 松本零士は二号銃の初速が一号銃と同じだと思っていたらしい
加えて一般的に口径が大きい方が空気の抵抗を受けにくく、AN/M2は旋回中に撃つとジャムを起こし易い点を見逃している
(弾頭が抵抗を受ける面積は口径の2乗で増えるが重量は3乗で増える為)
軍事的な知識はアシのヤッタラン頼りで本人はド素人だったから仕方ないが ホ103(ホ一〇三)は1万ジュールで、米軍のブローニングの半分の威力しか無かった
ブレダ SAFAT12.7mm機関銃で用いられる12.7x81mmSR弾(ヴィッカース系.50ブリティッシュ弾)
しかしこれが隼や飛燕の主力武装で米軍のブローニングは2倍の威力で非常に強力な印象をあたえた
日本は12.7炸裂弾を開発して使ったがマ弾
これも命中時には「20ミリ撃ってくる」とと報告されて米軍にはないものだった。イタリアも炸裂弾を使用した
米軍が炸裂弾を使用しなかったのは「12.7小口径にそのような予算は無駄である」と切られたためだと
イタリア人は書いてる 米軍の12.7mmには炸裂弾が無いが、大戦後半には使用弾薬の半分くらいをM8鉄鋼焼夷弾にして、穴を空けて漏れた燃料に火をつける効率上げている なお米軍だって戦前から20mm以上の機関砲を採用したかったのだが、第二次大戦終結後しばらくたってもまだ性能の良い20mmを得ていない
数値をヤード・ポンド法に変更しライセンス生産したイスパノは、どこをどう間違ったのか英軍のものと比べてもトラブルが多く、
MG151/20のコピーにも失敗、朝鮮戦争ではMiG-15相手に12.7mmでは撃墜にかかることが問題となり、リボリバーカノンM39の試作型が試験的に
投入、後に採用されるが、その後はM61バルカンが登場たのでマイナーな存在だった 零式艦上戦闘機の胴体内に固定装備された九七式七粍七固定機銃.303ブリティッシュ弾は
弾道はよいが威力で3500ジュールくらいだから
スピットファイアなどと同じ位の威力の機銃だが英国はこれを八丁から十二丁装備した
7.5×54mmフランスは仏軍戦闘機の主力火器だが3000ジュールしかなくさらに貧弱だった 何で戦車のスレに航空機関砲の話が延々と連なってるんだろう。 ドイツ軍だと、MK101や103の30mmタングステン芯徹甲弾でやれることだな
日本軍の実用化した機関砲と弾頭で、それに匹敵する貫通力のある物は無い 雷電などに試験して烈風改に搭載する30ミリ機関砲は10万ジュール >>659
そもそもAPみたいな特殊過ぎる高価な弾が補給されたのかしらってのがあるよね
ソビエトの戦車砲とか既存野砲流用でHEには事欠かないし Hs 129 B-1対戦車攻撃機のMK103の30mmタングステン徹甲弾で15万J、これでKV戦車の70ミリ側面装甲をつらぬいた
シャーマン戦車の上面なら30ミリ機関砲10万Jで田楽刺しに出来た
MK 108の機関砲は砲身が短くなったため、発射体の初速は他の航空機の大砲よりも著しく遅く、初速が遅いことが弾道を悪化させるため、
飛行の最初の1000mでアーチ状に45m沈下です)
重航空機に対して短距離からの射撃が必要でした。これは、高速で攻撃するときにターゲットと衝突する危険性のある高速戦闘機では困難でした。
MK 108機関砲はBf 109、Bf 110、Fw 190、Ta 152など多くの飛行機に搭載されたが戦車を攻撃したときどの程度脅威だったのかよくわからない https://www.youtube.com/watch?v=UAWHLMIxfUw
Hs129Bで超低空から車輌に対し銃撃できる時間は3秒くらいだね
Hs129BやJu87Gは低速だからまだいいが、戦闘爆撃機は速すぎてもっと短時間しか射撃できないだろう >>681
MK108は炸薬量の多い対爆撃機用装備なので、例えばFw190Fのような対地攻撃型には搭載されてない M2の集中射撃で機関部が容易に炎上するチハは不憫だったな ハ号なら貫通するだろうが、チハでそんなヨタ話は無いよ
そもそもディーゼルエンジンなのに炸薬のない12.7mmでどうやって火をつける? >>685
対空用のM2を水平発射したら可能だろ
焼夷弾も曳光弾も混じっているんだから
近距離から連装のM2を撃ちこまれたら
軽油の着火点は低いからあり得るね
爆発炎上は稀だけど スツーカの3.7cmスゴイはよく聞くけどハリケーンの40mmはどうなんだ チハとはいえ上部装甲は薄いので戦闘機の50口径機銃掃射で損壊する可能性はあると思う
装甲はないが一応金属製の海軍艦艇と機関車もそれなりにやれれた
まあ、前線に戦闘爆撃機の対地攻撃に遭うほどの数のチハが存在していたかとかは分からない
一応大戦後半に連合軍が対地ロケット弾を実用化させたので、欧州方面にロケット弾にやれれた戦車は一定数いたのようだ。 >>685
>>687が言った通り、米軍の12.7mm機銃に徹甲焼夷弾と曳光弾があり、>>670の動画で日本機が炎上したのはそのためだ
12.7mmの徹甲焼夷弾
https://youtu.be/zkRyJCOuHc0?t=80 軽油の引火点(気化が始まる)は50-60度、例えば中東の炎天下の戦車でそのくらい温まってるところに火種を近づける、
例えば至近で爆発があると燃え上がるが、常温だと榴弾の直撃の高温とかでないと、簡単には引火せんぞ 引火点と着火温度を勘違いしてるね
単装のM2で弾丸の消費を考えながら射撃するなら燃えることはないかも知れないが
複数の対空用連装のM2が1台の戦車の機関部に集中射撃すれば炎上はあり得る なんか先日の電車内刃物振り回し+サラダ油撒いて放火しようとしたやつみたいな そりゃ戦争は人殺しの究極を極めようとする人災だ
軍隊に入ったらそれどころではない人殺しの技と知識一つや二つが教えられる
放火くらいは基本の中の基本、新兵訓練に火炎瓶の作り方などを教えるのは普通だ いや引火点の話なんですが
Twitterで「サラダ油に火を着けた程度では燃えない事も知らないバカな犯人で良かった」というのに対して
「ヤバい自分も知らなかった、しかも理系なのに」という反応が結構多かった >>696
あ、アレの話か
まあ、ティッシュペーパーで油ランプを作れるのヤツなら危険だな 話を戻すと、戦車が引火する要因は航空機と違て燃料じゃなく砲弾の火薬
ケルン大聖堂の戦車戦がそれをはっきりと記録した
https://youtu.be/NBI9d0-IfEM
撃破されたシャーマンは湿式弾薬庫のおかげで引火したが火勢はそんなに大きくない
撃破されたパンターの引火は致命的だった
なお徹甲弾貫通の話に関して、燃料が引火しなくても貫通されたらそれなりの被害を受ける
戦車砲の徹甲弾もそうだ
とはいえ最も貫通されたら最も致命的砲弾は徹甲榴弾 英軍がイスパノ・スイザ404をハリケーンに装備して地上攻撃にかなりの威力をしめし「そらとぶ缶切り」といわれて
北アフリカのドイツ車両をたたいたようだが、3号戦車の側面装甲や後部機関室はぬけたのだろうか なおイスパノ機関砲の20ミリは当時としてはかなりの大威力で5万J
ドイツのモーターカノンで使われマウザー機関砲として日本でもてはやされた20 mm MG 151/20機関砲は20×82mm
いがいと貧弱で2万9千Jしかなく、のちに飛燕が装備したホ5、イスパノ実包の短縮版3万Jよりややおとってた
かなり優秀砲だったといわれるが 話題としては面白いが、スレ違いがクド過ぎやしないか? つうか「空飛ぶ缶切り」はイスパノ20mmじゃなくてヴィッカース・クラスS 40mm砲だけどな >>701
そいつ「文林堂 世界の傑作機」のコレクターだろ
あちこちでスレ違いレスしてる嫌われ者だよー
「文林堂 世界の傑作機」を持ってることが自慢らしい >>666
>米軍が朝鮮戦争では30ミリ機関砲の再生産を願ったが生産設備は残ってなかったともいう
ソ
|
ス
は
日
特
w >>700
弾殻が薄いから軽くなる
当たると穴を開けて火がついたらイイナ の他の機銃と違って機体構造そのものを破壊する火薬過多の弾薬を使う機銃
日本も末期にマ弾なるキテレツな着火マン弾薬を実用化したけど戦果不明 >>699
上部装甲は簡単に抜けたらしい
特に機関部はP−40の12.7mmで抜けた
イスパノ4門装備ハリケーンは運動性能が悪いので
制空権下の行動が主なので、109が駆けつける前に
仕事を終わらせないといけないので活躍できのは
北アフリカ戦線の終盤だね >>707
通称ファンタ爺はJu87の話が大好きなのでこちらで引き取っていただけると助かる >>708
当時にあの虎殺し蛍の功績は案外漠然と記録されただけだったという
12分間の戦いで虎三両を仕留めたのにな >>704
向こうであんたに世傑世傑言われてるのは自分だけど、ここ最近書き込んだ時のIDはXIgcggpwとC43ORRC2だし
つうか自分が「世傑程度も持ってない」と言われて、なんで相手は世傑信者とか意味不明な解釈ができるんだ?
あとファンタ爺とか呼んでるのも実際別の人だし、何でも特定の誰か一人に違いないと思い込むのはヤバいぞ ダラダラと無駄に長いことをコピペなのか知らんが書き込む鬱陶しいことしてる奴とか別人だろうが、
邪魔、鬱陶しいだけなのには違いないので
問題は世傑バカなことじゃない そもそも世傑を持ち上げるような書き込みとか一切無い、丸・潮書房の資料と違いアップデートされてるとしか書き込んでないのに、どこをどう解釈したらこっちが世傑信者になるのかね?
クレーマーはそもそも話を聞いてない、説明書を読んでない、言われてもいないこと・書かれてもいないことに噛み付くってのは本当なんだな だから世傑馬鹿なこと自体が問題じゃない、って書いてる矢先にコレとか、
本当にオツムに欠陥があるタイプのやつだな… だーかーらー、今までのどこをどう解釈したら信者だの、沢山持っていて自慢だの、事実無根な決めつけができるんですかあ?
自分の想像だけで決めつけた挙句間違ってる、モンスタークレーマーそのものだな 引火点と着火点の違いがわからない馬鹿も多いスレだし 軽油の着火点(火種が無くても勝手に燃え出す温度)は250度 >>712
あなたまだ小学校の教科書とかちゃんと持ってる?
義務教育終えてる大人に対して「小学校の教科書さえ持ってない」と言う意図は何なのか、
色々な事件の犯人みたいに自分の狂ってる具合をアピールしたいだけにしか思えないよ んじゃ「まるで内容が更新されない潮書房の資料しかもってない」とでも言おうか?
丸メカとか好きだけど、しかし今の時点においては古く誤りも見られる内容であることに変わりはないわけで シャーマンの上面装甲は1インチ
M2HBブローニングの50口径の徹甲カートリッジで200メートルでの1インチ(25 mm)の圧延均質装甲、0.9インチ(23 mm)の面硬化装甲を貫通できる
カタログ上ではシャーマンの上面装甲は、200メートル範囲内の12・7でうちぬけるので
それ以上の20ミリマウザーやホ5でも、エネルギーが1・5倍なので弾次第ではじゅうぶんに中型戦車しまつできる
また米軍の駆逐戦車はオープントップで上面の保護がなくハーフトラックもがら空きだったが、これは米軍がドイツ軍の空襲をおそれてなかった
ドイツ空軍の襲撃が不活発であったことをしめしてるのでは >>721
実際には航空機の位置エネルギーと速度が加算させるから
200m以上の距離からの射撃で抜ける
ただ、角度の問題はあるから10発命中しても
何割かは弾かれるだろうな
ボーファイターのイスパノ20mmはUボートの船体を
撃ち抜くんだから、航空機から放たれる
機関銃、機関砲は馬鹿にならない レシプロ航空機の位置エネルギーってどんだけあるんだ? そりゃ駆逐艦や潜水艦に装甲なんてないもの
戦車の上面に対してはどうしても浅い角度になるし距離は遠いし、12.7mmで貫通した事例は見たことがない >>720
あんた憶測が好きだねえ…
おくそく
【臆測・憶測】
《名・ス他》いいかげんな推測をすること。あて推量。 位置エネルギーってレシプロだったりターボプロップだったりジェットだったりで変わるものだっけ? 対地銃撃だと300km/hとか遅く飛ばないと地面に突っ込んでしまったり一瞬しか撃てなかったり
これに対し12.7mm弾は初速が速いもので928m/s、時速にすると3340.5m/h、
飛行機の速度による上乗せ分ってたいして多くなくね? 300kmって現代の旅客機の着陸速度に近いけど
あんなにのんびり飛んで地上を機銃掃射するって
いつの時代の話なんだ まあ代表的な襲撃機であるIl-2なんか、海面速度で390km/hとかですが イリューシンのロケット彈攻撃時の速度は時速280キロとかですが 人間の目視だけで照準するので、あんまり速いと狙えないし射撃時間は短いしちょっとミスったら地面に突っ込むし、
超低空を(元々遅い複葉機とかでなければ)その飛行機の最大速度で飛ぶなんて事はないわけで 米軍機が日本空襲で低空銃撃&ロケット攻撃してる動画見たら、かなーり遅いのはわかるんでわ そういえば、欧州にはともかく、アジア戦域で戦車が明確に空襲にやられる事案はあるのか?
機関車や軽車両などへの掃射は少なくないが、戦車の例を思い出せない >>733
中支南支あたりならいくつかの回想で酷い目にあったとか撃破されたとか思い当たるけど
中華以外? 南方だと、そもそも日本戦車の配備数が少なすぎる
逆にアメリカ戦車は多くても、日本軍は制空権が無くてそれを爆撃できない >>733
インパール以降のビルマ戦線では
米英軍は対地攻撃に機数を割く余裕ができたので
P−51やP−40、ボーファイターやハリケーンで
日本軍車両を急襲している
逆に日本軍は対地攻撃は厳禁になっていた ビルマでは4式戦が対地攻撃してなかったっけ?
飛行50戦隊だっけ ベトナム戦争で北ベトナムはT34-85を装備していた。中国製T-54のイメージが強いが
ラオス軍は最近までもっていた。あのへんにあったことは間違いないようだ
と、いうことは南ベトナムのF5EタイガーUとかと戦っていたわけね
機首に2門のポンティアック M39 20mmリボルバーカノンを搭載。戦車は問題なくうちぬけそう 南(というか米)が制空権を持ってりゃA-37のロケット弾で充分じゃね? m4は日本軍の47ミリ対戦車砲でも
正面装甲を撃破できるのではないのでしょうか?
m4の下部に丸みを帯びた部分があります
丸みが垂直になる部分があります
そこを狙い撃ちにすれば結構撃破可能なのではないでしょうっか 鋳造性のデファレンシャルカバーは確かにその上の傾斜装甲板より耐弾性は低いが、
海兵隊のM4A2やA3の後期型のはシャープノーズと呼ばれる傾斜の大きい一体鋳造型
垂直に近い面が無いので、四十七粍砲での貫通は難しいだろう https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Azules-colorados.jpg
1963年アルゼンチン海軍の叛乱で、鎮圧に向かった第8装甲師団のシャーマン連隊を
F9Fパンサーやグロスターミ−ティアが地上攻撃、12台を破壊した
武装はAN-M3 20mm機関砲×4 (弾数計800発)とHVAR×6 だねぇ
なんかおもしろいシャーマン使ってる、砲身が長いような アルゼンチンはベルギーから450両近くのの中古シャーマンを購入したが、うち250両以上がファイアフライだった
画像左側はシャーマン・ファイアフライだと思うが、右側のシャーマンはエンジンをフランス製ディーゼルと交換、
AMX-13/105と同じ主砲に換装した改修型だろう >>743
その写真、防空部隊のボフォース40mmによる撃破って情報もあるね。 60mm武装のシャーマンは、60mm機関銃にちなんで「M-60」と名付けました。「M-50 / 60mm」または「M-50(HVMS)」とも呼ばれます。
この武器は60 mm高速ミディアムサポート(HVMS)ガンとして知られています。これは、1970年代後半にイスラエル軍需産業(IMI)とイタリアのOTO-Melara
の間で開始された共同開発でした。60 mm(2.3インチ)砲は歩兵支援用に、軽車両に搭載できる軽砲を与え対戦車火力を強化するアイデア
銃の銃身の長さは70口径(4.2メートル)で、手動と自動の両方で装填されるという特徴があります。自動小銃は、ボフォースの自動小銃と同様の方法
装填された3ラウンドの容量を持つ垂直マガジンで構成されています。チリは、毎分12発の新しい発射速度で、手動で装填されるように銃を変更
APFSDSの発射体は、毎秒1,600メートルの初速度で飛行し、2,000 mで2つのT-62の側面(厚さ15?79 mm)を並べて貫通することができました。
最大で、ダーツは2,000 mの距離で、60度の角度で120mmの装甲を貫通することができました。
1976年に米国はチリに武器禁輸を課し、1989年まで武器の販売と輸入を禁止した。さらに、フランス政府は1981年にチリへの
より多くの武器の販売を拒否した。新しい戦車の市場は制限され、チリ陸軍がイスラエルのシャーマンを購入することを決定した
変な60mm機関銃つけたシャーマンもってますよチリー >>744
105ミリでなくフランスが戦後パンターの75ミリを改良してパクった仏製長砲身75ミリ砲じゃね? >>740
日米双方の記録を比較すると、一式47mm砲の貫通力は500mで約70mm、200mで約79mm説は概ね信用できる
そしてこれはM4の正面装甲、傾斜含め実装甲は約80-90mm、溶接車体の防御性能は大差ない
https://wotguru.com/wp-content/uploads/2014/07/M4_Frontal-1024x576.jpg
そのため実戦距離に日47mmはシャーマンの正面装甲に歯が立たず
側面装甲を狙えばようやく貫通できる
シャーマンはアジア戦域で大変恐れられていたと伝われる アルゼンチンはチリが仮想敵なんだってさ、だから両方ともイタリア60ミリ改造だのフランス105ミリだの変な改造シャーマンに凝っていただんだな https://tanks-encyclopedia.com/coldwar-argentina-sherman-repotenciado/
こっちだとシャーマン360両のうち206両がファイアフライで154両が75mm砲型となっている
うち120両がM51スーパーシャーマンみたいに105mm砲に改修されるが1978年からのことで、
すると海軍の叛乱時にはまだ無かったことになるな m4の正面装甲に垂直部位があるといっています
なぜか、誰も認識していない
日本軍もアメリカ軍も
現代人も 操縦手・副操縦手ハッチ周り前面が切り立ってるのは前期型車体のみなので、やはり後期型車体である海兵隊M4A2やA3では関係ない話 >>751
正面にある変速機カバーの凸起点の位置は低くて被弾率は非常に低い
それにシャーマンの装甲が最も厚い部分でもある
他に正面機銃マウントなど弱点なくはないが、遠距離から狙えて当たるほどの大きさではない >>751
旧軍はデファレンシャルカバーを真正面かつ曲面に対して正撃すればまあ一応貫通可能だとは言ってるぞ
不可能だからやめとけとも言ってる アルゼンチンからチリへ陸路国境超えしたときは、アルゼンチンの国境警備隊に時代物の山砲とかおいてあったなあ 当時の日米では冶金の差が大きいから装甲の厚みはだけでは測れないが
フィリピンの戦いでは47mm砲で100m前後の至近距離で
シャーマンの側面を撃破しているが、この距離では最初の一撃で米軍の戦車隊を
全滅させるだけの47mmを至近距離配備しないといけないので現実的ではない
シャーマンの弱点は上部しかなく、制空権が無い日本軍機には無理だったし
実際、太平洋戦争戦域ではほとんど行われていない
そこで、九八式臼砲という外装式迫撃砲でシャーマンの上部を狙うなどを行っている、命中率は低いが当たれば完全に撃破でき、47mmを至近距離に多数配備するよりリスクは低い、あと戦場に高台があれば、25mm対空機関砲をシャーマンの上部を狙い撃ち撃破の成功している
ただ、位置がすぐばれて砲撃か空襲ですぐ潰されるが シャーマンの側面は傾斜してない38mm厚なので、もっと離れていても抜けるよ シャーマンの側面装甲は47mmに抜かれるので
大戦後半の沖縄戦などで待ち伏せにかなりやられた
勿論、側面を狙える状態までに持ち堪えるのは日本軍にとって大変だった 対戦車ライフルやバズーカのような機敏に移動できる火点ならともかく、対戦車砲で「側面なら貫ける」と言われてもあまり有り難みが・・・ >>759
>47mm対戦車砲
日本軍に使用された他の対戦車兵器と比べればかなりマシであった
https://i.imgur.com/pL0ZgE9.jpg いや、M3軽戦車のスポーク転輪に鉄棒指しまくる胆力のある日本兵には
それを言う資格がある! >>759
さすがに戦車スレなんだから、対戦車砲の使い方くらいは勉強しとかないとダメっしょ… >>746
いい加減翻訳サイトに突っ込んだだけみたいな糞文章垂れ流すの止めろよ 複数の対戦車砲を敵の予想進路上に、どれかは側面を狙えるように偽装して配置する
僚車をやられたシャーマンがそちらの対戦車砲に正面を向けると、別の砲に側面を晒すことになる >>765
でも結局発射すれば位置は特定され
砲撃か航空支援で潰される 37mm〜47mmクラスの対戦車砲は予め陣地を複数用意して、敵に見つかったところで
人力で砲を転がして次の陣地に移動して、また撃ち始めるんだよ
しかし75mm級になるともう人力移動は無理で、対戦車砲は破壊されるまでそこに居座ることとなる ガルパンの八十九式なみの高機動力のタンケッテがあればシャーマンの間でタコ踊りして囮役として対戦車砲まで惹きつける
という対T-34戦術もどきがつかえた >>763
対戦車砲なんて発見される前に長距離で敵戦車の正面貫いて、陣地に侵入される前に余裕持って陣地転換できてなんぼの兵器だろ。日本軍みたいな敵戦車部隊と心中上等みたいな使い方が異常。 そりゃ88mmmみたいな隠れようのない大型砲のケースで、普通の対戦車砲は偽装して身を隠し、
できるだけひきつけたところで射撃を開始するもんだ その「普通の対戦車砲」なんて大戦後半には完全に淘汰されてるだろ、太平洋戦線を除いて 日本軍が周回遅れの無力な兵器しか配備できなかったからやむを得ず採用した苦し紛れの戦術を、対戦車砲の王道みたいに言うのはどうかと思うよ ソ連のパックフロントとか、76mm野砲で「普通の対戦車砲」な使い方ですが >>767
日露戦争時代の発想だな
旧日本軍の上層部そのものだ
実際には資材があれば砲の移動用にレールを
引いて、射撃地点を変える戦術はとっているが
でもそういうのって事前の航空偵察で分かってしまい
結局制空権がないとすぐ潰される 日露戦争の時代に対戦車砲なんて存在しねえから発送もありえねえよw
開戦前から配備されていた37mm対戦車砲は戦闘中の人力移動前提
それが大口径かつ重くなって不可能になったので、自力で陣地転換可能な自走砲が生まれたわけで そう言えば旧日本軍の75mmって連続発射が5発程度しか
できなかった記憶がある、冷却しないと砲身が曲がるんだよな
そう考えると、旧軍の対戦車戦闘は移動が容易な迫撃砲類や
対空機関砲で船車の機関部を狙うしかないよな >>777
それじゃ機動九〇式野砲とそれを搭載するホニIが、フィリピンで連日数百発も撃ちまくっていた話は何だったのか? 支那での師団&連隊だと戦車来たら連隊砲で直接照準でブチ当てろやって指導してたみたいだけど >>779旧軍の75ミリが5発で砲身が曲がるって始めてきいた珍説だな。 榴弾の連続発射が前提で毎分2〜3発の砲だからな
対戦車用の徹甲弾を撃てば火薬量が多く内部圧力は上がるから
更に連続発射の条件は悪くなるけど
限界まで連続発射したら砲身冷却に何時間もかかるから
前線の部隊は5発ぐらいをめどにしてたようだ
ただし、ゲームなら1000連発しても大丈夫だ 九〇式破甲榴弾の装薬量は、榴弾と比べ強装薬でもなかったようだが? 徹甲弾も榴弾も同じ火薬量で打ち出すのであれば
ただ堅いだけの弾頭を米軍の強化装甲に撃ち込むのか
なんか運を天に任せたような運用だな
銃身の耐久性を考えてそうしているなら、あり得るかな 例えばシャーマンの76mm砲だとAPC弾は普通だが、タングステン芯徹甲弾のHVAP弾は強装薬で、後に砲口にマズルブレーキが追加された >>782
多分勘違いしてるけど、それ持続射撃の速度だぞ
何時間も延々と撃ち続けるなら毎分2〜3発という事
この速度自体は海外製と比べてもごくごく普通で面白みも何もない数値だよ 日本軍は野戦砲が決定的に不足していたから、速射砲(=対戦車砲:当時の呼び名)の増産なんて、贅沢な配備は出来なかったんだよ。
何しろドイツがセヴァストポリ攻略に集めた大砲の数が、そのまま帝国陸軍全ての門数と同じぐらいになるんだから。その代わり野砲にも徹甲弾がある。
(半徹甲弾かも知れないが) >>772
>日本軍が周回遅れの無力な兵器しか配備できなかったから
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」 >>786
対戦車砲の話の流れで、フィリピンで何百発も
撃ちまくったと言うレスに対しての書き込みなので
榴弾の持続射撃ではなく
対戦車戦闘で徹甲弾を撃つ前提で書いている
強装弾か弱装弾かの議論はあるかも知れないけど
たぶん、映画や記録映像で連射しているように見えることも
多々あるが、あれは火力制圧としての撃ち方だから
榴弾を短中距離射撃する場合の映像
それにしても何百発も撃ちまくることは無いだろう 壊れたのは高射砲じゃない?
ムリに軽量化したから水平射撃してると壊れるってのは見たことある まあ戦時中の日本帝国の大砲の年間生産数は一桁最悪の場合二桁少ないな。 「冷却しないと砲身が曲がる」ってのも、海軍の二十五粍が、銃身が真っ赤になって曲がって見えたって話が混じってるみたいだし、野砲では聞いたことが無い >>789
話の流れ的には
旧軍75mm砲は5発しか連続射撃出来ない!対戦車戦闘は無理!←「連続射撃」がなんなのか不明
フィリピンではホニが数百発撃った!←数百発は対戦車戦闘じゃなくて榴弾による物
榴弾の連続射撃は毎分2〜3分だから、徹甲弾はさらに遅くなる!←持続射撃のデータなので、対戦車戦闘における連続射撃の速度では無い
とまあ双方、持続射撃がなんなのかわからず話してるようだ
徹甲弾を撃つ対戦車戦闘の話なのに、榴弾で陣地を叩く撃ち方の話で考えてるから話が噛み合わない
まあ一応短時間に九四式速射砲を60発くらいぶっ放した戦記ならあるね
60発連続射撃で脚が地面にめり込んで移動出来なくなりそのまま撃破された(しかもめり込んで動けなくなるという知見は無かったそうで、この戦闘でようやくわかったそうな)
数百発を自走砲じゃなくて速射砲で撃とうと思ったら、30発くらいで陣地転換を繰り返さないとめり込んで動けなくなりそう 現代の火砲だって水冷とかじゃなければ、持続射撃は毎分数発だよね 緊急時に一分に10発くらい撃ててそれで砲身が何かなるってことは全くないけどな。
昔の大砲だって同じで緊急時射撃するとむしろ砲身よりも閉鎖器が焼き付いたりする。 >>796
そうなんだよね、たぶんみんな現代の速射砲や
映画の火力制圧射撃のシーンが焼き付いているんだろ
実際、連続発射で暴発事故とか起きているけど
戦争終盤の戦闘では一門辺りの砲弾の数が少ないから
そこまで撃ち尽くすことは稀だと思うが いや素人の想像なんてクソどうでもいいので、ソースを出してくれればいいんですよ、でなきゃ勘違いでしたすいません、で 旧軍スレの土人かしらんがすごく偉そうな噛みつき爺さんがいるが、そんな下劣なカミツキ亀は要らないんで・・・
紫電改スレでその高い知識は披露されると喜ばれるよ
コロナ流行で家で足バタバタさせて苛ついてるらしいが、ワクチンを2回うって落ち着かれるといい ホント、ボクがそう思ったから、でしかないことを長々と演説されましても迷惑なだけで
この本にこう書いてあった、ここの記事にこうある、でいいんだよ このコミュニケーション取れなさは障害か痴呆入ってそう 砲身が曲がるってドンだけすごい熱なんだよwそれを数発で実現できる砲弾のJ教えてくれw
具体的になんていう大砲が砲身が曲がったのか教えてくれればそこらがわかるわけなんだが。 うろ覚えで75mm野砲ではない他の砲の事を書いてしまった挙げ句、引っ込みがつかないでウダウダ言ってるのを察してやれ 英国ネジと米国ネジは規格が違うんだっけ。インチねじの互換がないと英軍がシャーマンもらっても困るんじゃないの? ヤード・ポンド法は元々イギリス由来、メートル法はフランスからで、イギリスは1960年代半ば頃からメートルに移行 世界初の英工業規格ネジは55度のウィットねじで、その後にセラーが60度のねじ山の論文発行して頭が平らで加工しやすく
ロコモーティーブなど米国の蒸気機関車はこの規格を採用してしまったので互換はない 第2次世界大戦中に生まれた、米・英・加の三ヶ国の武器用互換ねじ規格がユニファイねじ アフガニスタンみると進撃してる地上軍にアメリカの空爆なんて無力なのがあきらかになったな
空軍で形勢をどうにかしようとしても無理、やはりヒトラーとスターリンの空軍軽視は正しかった 空軍だけで勝てた戦争はないが
空軍が負けた戦争で勝てた戦争はない
みたいな格言がなかった? ノルマンディーの時みたいに雨天時以外の昼間は常時ヤーボが飛び回っているなら、街道上を部隊が進撃するのは困難
国共内戦の頃は、共産党軍が空襲を避け夜間に移動していたが、現代では赤外線で把握して正確な爆撃ができる
そして今のアフガニスタンでは、先月バグラム空軍基地からアメリカ空軍が完全撤退してしまっている イスラム法だと妻の相続権を認めるがアフガン山岳民は兄弟相続で長くあらそってきた、
田畑の財産にかかわるのでタリバンの女性蔑視はアフガンの族長たちが熱く支持してる
ソ連法ではブルジョワジーの継承もないので問題外 朝鮮戦争で中国義勇兵が満州からなだれこんだとき日本海のアメリカ空母は雪と雨で飛行甲板が凍結
アメリカ海軍は飛行機をとばすどころか数日大混乱で何も出来なかった
天候計画おりこんでねらって作戦したとすると毛沢東もなかなかの名将だな 真冬だし偶然じゃね
まあ当時の航空機の性能だと航空優勢のないほうが作戦を発起するには悪天候を衝くのは定石ではあるが ベトナム、キューバ、イラン、アフガンほか
時勢的に見て無理筋な側に肩入れしては問題をデカくして
経費と犠牲の増大→国内の反対・政権が持たない→じゃやーめた・撤退
これがアメリカの得意技
タリバンが6割〜7割を抑えたのなら、もうそれがアフガンなのだと思うしかない
空軍や空母が如何とか、戦術的な問題じゃ無い
戦車スレに関係無いけどな >>816
イランじゃなくてイラクだろう
イラン革命以降何時アメリカがイランを占領したんだ? ニカラグア、パナマ辺りの小国だと米国が介入しても
なんとか理不尽でも収まる
キューバ島サイズだともうダメぽ >>797
88式高射砲の水平撃ちだと支塔が横方向に歪むの?
それとも制退器が発射反動で後退したあとに前進で勢いよく前にぶち当たって壊れるの?
上向きに撃つなら大丈夫で、水平だと壊れるイメージがよく分からない 八八式7.5cm野戦高射砲は
水平射撃だとすぐに壊れると聞いたような 高仰角で撃つ時は反動が一部地面に吸収されるが、水平射撃だと駐退機で全部受け止めるからだろう
それで5、6発撃つと故障すると言われてるわけで、野砲でそんな程度で撃てなくなる訳もなく、同じ口径75mmの高射砲と混同してトンチキな事書き込んだんだろう >>823
どうしてそんな池沼な事を言ったんだ…・ 38式7.5センチ改造野砲は音叉状の砲脚に交換して無理やり仰角を上げたんだけど
高仰角射撃をしてみると
駐退器のバネがヘタレていて
薬莢を出した後に元の位置に砲が戻らなくて
手でへいや!と射撃位置に引き上げないと次の装填、発射が出来ない
最初に想定した低仰角用の駐退バネは弱いんだね ああそもそも数発撃ったら砲身が曲がったとか言いだしたんだ。 常識的に考えて、武器として役に立たん物を、いかに日本軍と言えども導入する訳ないだろ。 38式野砲の薬莢は11年式野戦高射砲、41式騎砲、95式野砲の使用弾薬で、そんなに腔圧が高くなくて手頃だったんだろうね
95式野砲なんて命数が1万発とか、むちゃくちゃ長持ちする
90式野砲なんか2000発でダレてくるし
日本陸軍みたいな貧乏人には耐えられないわなw 九○式は性能的には後のソ連のZiS-3に匹敵する、射程も長く優秀な砲なのだが、日本陸軍が移動が容易なより軽い野戦砲を求めるものだから、生産数はZiS-3より二桁小さいレベルに終わった ヒトラーによればドイツ陸軍も大砲チマチマ注文していたが総統は止めさせ
一気に大砲の無制限生産されコストを劇的に引き下げ税金節約した >>818
イラン革命以前にアメリカがパーレビ王家を全面支援してたのを知らんのか
そもそも何で話をイラン革命以降に絞るの?
さらにイラクに介入したのはアメリカ軍じゃ無くて国連軍だろ
占領に成功した話もしてない
一体何を言ってる?
お勉強が出来ない子なの?
思い付きで茶々入れるのがちょっとかっちょ良いとか思っちゃった?
こんなスレに出入りしてモノを言うなら最低限の知識と教養や読解力は持とうよ イラクは湾岸戦争じゃなくて2003-2011年のイラク戦争の方じゃね?
有志連合と言いつつほぼ米軍だし、アラビア語版Wikipediaでは「アメリカのイラク侵攻」になってるそうだし
現地兵がやる気なくて武器を放棄して逃げる、敵が鹵獲して強化されるパターンも今のアフガニスタンと一緒 冶金技術が低かった当時の日本の砲は
榴弾を撃つときの弱装弾の時は長持ちしても
高射砲や対戦車砲のように強装弾を撃つと
連射だと5発程度が限界 アフガンが崩壊したのは中抜がひどく軍隊にお給料が払われなかったせいだと
ナチスドイツは一般労働者は年収1500マルクの時代に少佐で7千マルク だいたい3千万円くらい?
将軍はその3倍くらい、貴族の子弟だと考えるとこんなものか、更にヒトラーは前線で戦ってる将軍には勲章の他ほか手ずから
数億円のボーナスをさずけていた。ドイツ軍はむちゃくちゃ強く、将軍の3分の1くらいは前線で勇戦して戦死してる
日本軍は薄給で、少佐で年収450万円、命をかけるほどの報酬がなく満州でT34がくるとくるりとにげだした >>833
1945年(昭和20年)2月21日北ビルマのイラワジ河畔シングーの戦場で
歩兵第119連隊・機動砲小隊に配備された一式機動四十七粍砲が
たった一門で砲弾が尽きるまで数十発を連射し
5両のM3戦車を撃破または擱坐させる戦果を挙げたって報告があるけどね それ本来の装備である一式四十七粍砲を爆撃により損失、代わりに九四式三十七粍砲で戦ったやつ
一列でジャングルを進むリー/グラントの側面を狙い、しかし貫通できなかったが集中射撃で車内を破損・放棄させた
このエピソードは戦記本や劇画にもなってる 俺の見たもんとは話が違うな
どっちかが間違ってるんだなw >>834
衣食住はある程度保証されるとはいえ、昭和初期に上等兵の月給は今の約12800円相当、
某炭焼きの長男のように若くて一家の黒柱になった人にとって
「徴兵されたら家族のために借金しなければならない」事情はそう珍しくない
その上に戦死したらもう妹を売るしかないだろう
徴兵されて戦争に行くより〇殺隊に就職する方がマシという 「1945年(昭和20年)2月21日北ビルマのイラワジ河畔シングーの戦場で歩兵第119連隊」がM3と戦ったのなら、
戦記「最悪の戦場 独立小隊奮戦す(光人社NF文庫)」と、その劇画版「(収録MGコミック『神々の糧』、初出・アーマーモデリング)」
の三十七粍砲での戦いだと思うが、そっちの四十七粍砲での戦いってのは、具体的に何の本に書いてあったものなんだ? >>839
別にいいよ、俺はお前と話してるんじゃ無くて
>833の言うのがおかしいだろって趣旨なんで
合ってるんじゃないの?そのマンガの方が またろくに資料も確認せず、間違った内容の書き込みの繰り返しかよ
それと原作は君の大好きな潮書房光人社の戦記本ですよ 誰彼構わず横から湧いちゃ喧嘩売ってスレ腐らせるいつものガイジがまーた来てらw 間違いを素直に間違いと認められないのってカッコ悪いよな 37mmと言う小口径砲で比較されてもね
日本軍の37mmって弱装弾だよね、米軍の37mmとの比較で
威力の違いは判っていると思うけど
日本の火砲って原料がアメリカからの屑鉄だから強度は落ちるよね
戦争初期のものや試作品レベルのものは品質が保たれていたけど
戦争終盤の火砲、特に中大口径の火砲は耐久性がかなり落ちている
量産された火砲は特に酷かったらしいね また資料も見ず脳内ドリームで適当な事言ってんな
ガダルカナルで隠れたジャングルから短時間にガンガン撃ち込んでは隠れるのを繰り返した
通称「ピストルピート」なんか、九六式十五糎榴弾砲や九二式十糎加農砲だしな >>831
>イラン革命以前にアメリカがパーレビ王家を全面支援してたのを知らんのか
ますます俺が主張したイラン革命以降にアメリカ軍がイランへの支援やイランを占領した事実が無いだろうが
>お勉強が出来ない子なの?
そのお勉強が出来る筈のお前は平日もろくに働かずにレスしている訳だなw
そんなお前は一体何の為のお勉強をしたんだよw
>思い付きで茶々入れるのがちょっとかっちょ良いとか思っちゃった?
革命以降のイランにアメリカ軍が何時占領や駐留したんだと聞いただけで此処まで言うとか
お前こそ思いつきでレスしてだろうが
>こんなスレに出入りしてモノを言うなら最低限の知識と教養や読解力は持とうよ
お前こそろくに日本語が読めていない様だな
イラン革命以降のイランと言う文字が理解できていない時点で最低限の知識以前の問題である
お前こそ他人の日本語を正確に読解できる能力を持ちましょう >>848 >>816が挙げてるのはどれも体制転換前の旧体制だが・・・? 具体的に言えば、旧南ベトナム、キューバ・バチスタ独裁政権、イラン帝国、今回のアフガン 革命前のイランはアメリカから援助ではなく、サウジアラビアみたいに普通に金払って武器買ってただけだしな
革命で旧体制派は投獄されたりしたが、アメリカへの協力者が多数外国に亡命したわけでもなし まぁバカはバカなままピーチクパーチクと間違った認識を唱えてればいい
こんな名無しの掲示板、誰かもわからないし
俺も何も損しないw イランの場合、米軍が進駐したわけでも傀儡政権を作ったわけでもない、その昔CIAが
アメリカの利益に反する首相を排除するクーデターに関与した程度だしなあ
ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン紛争では、何れも米軍が指導し援助した地元の軍が
やる気がなかったり腐敗してたりで、米軍の撤退時には一緒に逃れたい親米派で大騒ぎに 日本人の5割は5行以上の文章が読めず、或いは読むのを拒否してしまう。
その上で何故かディベートやレスバトルをしたがる者も居るが、まともに文意を理解せず、単語に反応してるだけだからすぐに分かる。
反論したところで、こちらの書き込みは読んでないし、理解も出来ないから、無駄なことはやめた方が良い。
そいつは、出来の悪いロボットみたいなもんだ。 >>831の理屈だと朝鮮戦争時に北朝鮮軍のT34/85と交戦したのは国連軍のM4A3E8であって、
アメリカ軍のM4A3E8ではない事になるので、
何で今や北朝鮮はアメリカ軍の軍事演習に抗議したり、
反米の集会や放送をしたりするんだ?
それって北朝鮮は国連軍=アメリカ軍だと認識しているよな?
それに北朝鮮による朝鮮半島統一を妨害した国連軍を組織した国連に北朝鮮は加盟しているんだ?
それこそまさに支離滅裂になっているぞ
よってどう見ても北朝鮮は未だに国連軍の主体はアメリカ軍だと認識しているとしか思えない >>834
少佐に3000万って・・・、たかが少佐にそんな高給払う軍隊はない。総動員体制で少佐にそんな高給払ったら国は10回破産してもたらんわ。
職業制軍隊である今の米軍の少佐が5万ドル〜8万ドル+諸手当。最高の大将でも20〜25万ドル程度。
「一般労働者は1500マルク」を600万くらいと解してその計算になったんだろうけど、「一般労働者」って今で言うサラリーマンみたいな存在じゃないぞ。 >>861米軍の先任軍曹の月給が96万だからその年収はない。 日本だけ取り残されちゃってる&中華あたりが目立つからアレだけど、
アメリカでも1998年比で一般労働者の給与は2.1倍に上がってるからね 1942年の1円は4千円のお価値
互換は1ドル4円だったが、敗戦直後の1945年9月、軍用交換相場は1ドル=15円、そのご360円に
1ライヒスマルクは2ドルだったが、末期は1ドル=1Rマルクまで下落
戦時中の少佐は年収2300円
ドイツの少佐は7700マルク
やっぱりドイツのほうが圧倒的に高いの 計算すると日本の少佐は900万、ドイツの少佐は6000万円となる
そのはんぶんとすると450万円、3000万円となる
ヒトラーがポルシェに「1,000マルク以下で販売できる自動車を作ること」と要求
とうじのオペルの小型車でもっとも安いのが1500マルク
ドイツの少佐は少なくとも、自動車を年に7台買えるおかねをもらっており
これをかりに安い車だと想定しても年1500万円は超える M4シャーマンが5万ドル
四号戦車が11万マルク、パンターが14万マルク、タイガーが25万マルク >>862
長く勤続した下士官より少佐が俸給低い例なんていくらもあるだろ。基本給だけで比べても、20年以上軍歴のある曹長や上級曹長の俸給なら初任の大佐を上回ることもある。流石に准将を上回ることはないみたいだけど。 ナチ党初期のハイドリヒ親衛少将の月給はSD長官の180マルクだった
もっとも武装SSの少佐の給料は国防軍と互角だった後に待遇改めてるようだ まあ、戦後の日本政府さえ沈められた徴用船などの賠償金を事実上100%踏み倒したので
そのブラックさは有名。 P51ムスタングが5万ドルでBf109戦闘機が4万ライヒマルク、ドイツの4号戦車って
シャーマンより軽い割にすっげー高い? >>868
具体例で言え池沼。
お前の妄想はどうでもいい。 >>871
シャーマンは大量生産が得意の国が作った大量生産向け設計だから
戦いは数だよ! >>872
横からでスマンが経験からいうと
先任になるような曹長クラス(50代)だと50〜60万くらいもらってるが
CGS終わってキャリア積みにくる三佐一年生(30代)は40万くらいだよ
どちらも手当てコミコミだけど
勤務年数による号俸管理されるから仕方がない >>872
https://www.militaryfactory.com/military_pay_scale.php
これでいいか?
大佐級のGrade O-6の、勤続2年未満の標準月俸は$7139.10、
上級曹長級のGrade E-9の、勤続24年以降の標準月俸が$7143.30 >>871
四号はパンターと比べても割高感がある。 III号やIV号はまずフレームを組んでそこに装甲板を溶接する古い手間のかかる作り方だし、パンターと比べ面の分割が多く溶接箇所も多いからでは無いか
III突も複雑な面構成だが、コストのかかる砲塔リングがない分安い 見るからに生産性よくなさそうだからなあW号
余裕があるならさっさと生産打ち切ってパンター一本で行きたかったろうけど、新しい生産ラインが動き出すまで供給が滞るのを許容できる状況ではなかった Tank Mechanic Simulatorやって知ったこと:ドイツ戦車の構造は複雑で整備性はクソ
IV号さえドイツ戦車の中ではマシな部類
https://youtu.be/IwlqddCTT3I
ソ連戦車の構造はシンプルで整備兵にやさしい
シャーマンの数少ない面倒なところは前方変速機、しかしこれはM26で変更された。 M3もM4もボルト留めのデフカバー外せば簡単に変速機交換できるじゃん ガダルカナルの15cm榴弾砲は米軍に位置を発見されないように
一発撃っては移動したり、分解したりで
短時間にガンガン撃ってはいない
そんなことしたら、すぐ米軍に潰される
弱装弾の曲射砲だから連射も利くが、対戦車戦闘ににはまず使えない
一式徹甲弾も撃てたそうだが、走行中の戦車にあたることは奇跡に近い 撹乱射撃やってるのに一発だけ撃って移動なわけないだろ 、いったいどんな資料にそんなトンチキな事書いてあったんだよ >>880
後に主流になったパワーパック方式と比較すればの話
ソ連戦車は一早くリアエンジンリア変速機を導入したので整備性はより簡単だ
勿論前方変速機の上にデフカバーのないドイツ戦車はクソだ
しかも変速機は壊れやすいと伝われる 陸揚げできた砲の数が少なく、ヘンダーソン飛行場に向けて短時間にボンボン撃っては移動、その繰り返し
ちなみに陸軍第2師団の砲兵中隊長の回想によると、弾薬の不足はなかったとか >>884
錯乱射撃ってナニ?
SとKのキーは離れてるからタイプミスでは無さそうだし (そもそもガ島の砲撃は撹乱でも錯乱でもなくて、擾乱射撃なんじゃねぇの…?) >>881
ピストルピートは10加だべ
ローアングルの低伸弾道だから標定されなかったんだべ 野戦重砲兵第7連隊の九二式十糎加農と、野戦重砲兵第4連隊の九六式十五糎榴弾砲、どっちもだよ ヘンダーソン飛行場へ1日1発はこちこんでいたんだろ
米軍からしたら嫌がらせ砲撃だよな ガダルカナルの帝国軍はOPとか推進してたんかな?
アメリカの大陸派遣軍だとスチュワートやグレイハウンドにFO乗っけてウォーキートーキーより遥かに強力な車載無線機で弾着観測情報を送ってたみたいだし
太平洋では陸海軍共に50m滑走路で運用できたりカタパルトでとばすグラスホッパー観測機とばしてた >ガダルカナル
そもそも食糧さえろくに揚陸できなかった それは後半、兵力を増強したのに補給が滞ったことによるもので、少なくとも当初は十分な砲弾が揚陸できていたんだな つまり当時戦った人の証言通り、十分な量の砲弾で攪乱射撃できた、というのが事実
最初から食料も弾薬もなくジリ貧だったわけではない どこの架空戦記だよwww
多少の重砲は揚陸できたけど
ジャングルには重砲なんか持ち込めず
山砲・歩兵砲で弾も無いから
打ち負けまくって終わりだよ
揚陸地点でほとんどの重装備は燃やされて終わり 日本の野砲が何発も連続で撃てず、熱で砲身が曲がる珍説の人、話をグダグダ伸ばされてもウンザリなので、早く出典資料が何なのか教えて下さい >>897
へ〜、じゃあピストルピートは米軍の与太話で、日本側の証言もデタラメなんだ 揚陸できた砲の数が少ない=一門あたりの割当砲弾数が多い、ってことなんだろうな
この隠れた陣地から短時間砲撃、移動して間をあけてまた短時間砲撃のパターンは、フィリピン戦でもやってる このさい鋳造装甲がいいのか圧延溶接装甲がいいのかはっきりさせたい そりゃ型に流した鋼より、ローラーで伸ばした鋼の方が密度が高いんだから なおシャーマンの前期型溶接車体前面は、圧延と鋳造のパッチワークというわけわからん状態になっている 品質は鍛造>圧延>鋳造だろうけど、鋳造は(ノウハウがあれば)大量生産時のコストが安いんだろうな
厚みの変化にも対応しやすいし >>872
ところで、「池沼」「妄想」とか言われたので、特に罵倒とかつけずに普通にソース出してみたんだけど、詫びも礼もなしのつぶてってちょっと腹たてても良い?
最初のレスに「てめえみたいな人類史上最悪のチンカスを生み出した臭え淫売マンコにとっとと帰りやがれ」ってつけた方が良かった? M4前期型車体初期型
http://the.shadock.free.fr/sherman_minutia/hoods_hatches/M4_Baldwin_2.JPG
左右端・上部中央・下部左・左右ハッチ前増加装甲が圧延、左右ハッチ周り・機銃周辺から下部中央・アンテナベースが鋳造
正面から見て(増加装甲とアンテナベースを除き)七分割という、それで本当に生産性が良いのか?な構造 >>907
だから改善されたじゃないか
他に鋳造車体ならあの複雑な溶接をする必要はない なおこの後にも、時期や工場によって異なる分割パターン・部品構成が8つはある
その後M4は(M4A2やM4A3と違い)前面だけ一体鋳造な後期型(コンポジット)車体へ >>897
15cm榴弾砲を撃ちまくれる戦局なら
日本軍はもう少し頑張れたかもな
唯一15cm榴弾砲が一門だけ比較的奥地に運べたが
一門しかないから砲弾は使い放題だったとか
妄想もここまでくるとある意味立派 第2師団が揚陸できた三門の九二式十糎加農砲の方は、ヘンダーソン飛行場から
10km以上離れたジャングルからの攪乱射撃を実行
間もなく弾薬節約のため五分以上に一発とか制限したので、ガダルカナル戦のかなり終盤まで生き残っていたという なお海兵隊の第2強襲大隊(レイダース)がピストル・ピートの捜索を命じられたのが11月中旬なので、
少なくともガダルカナル戦開始から4ヶ月以上は砲撃を続けていたということになる 小銃の携行弾も一人数発だったガ島戦後半
重砲の砲弾を奥地に運べるとは思えない
砲兵陣地も一度砲撃したら
必ず米軍が迫撃砲と機関銃を撃ちながら潰しにくる うん、「ボクはそう思う」話はクッソどうでもいいので、この資料にこうあるということを謡的に示してください 砂漠迷彩になぜスカイブルーが使われるのだろう。砂漠の逃げ水みたいに蜃気楼に溶け込むとか >>913
>>894
>それは後半、兵力を増強したのに補給が滞ったことによるもので、少なくとも当初は十分な砲弾が揚陸できていたんだな
と矛盾してる、11月中旬なんて終わりかけだろ
なんでもっと前から捜索してないの? 輸送船から砲は少ししか揚げられなかったけど、砲弾はできたんだろ、何かおかしいか?
海兵隊第2強襲大隊の前にいガダルカナルに居て、交代で島を去った第1大隊がピストルピート捜索をやったかどうかは知らないが、少なくとも発見はされなかったから撃ち続けていたわけで
なお11月半ばの第2大隊の捜索(ヴァンデクリフト少将が直接命令)時には、半月後に放棄された七十五粍野砲と三十七粍対戦車砲の陣地を発見、
分解して部品を投げ捨てたが、結局本命の十糎加農砲は発見されなかったとの事 話が脱線したついでに頭に入ってる事をついサラッと応えてしまう程度なら可愛いけど
わざわざ必死で調べてまで長文ダラダラ書いてる奴
それただのバカアピールだぞ?T34やM4と何の関係あんだよ
スレ違いって事を考えなよ 名無しのネットでイキがって物知りぶりっ子してないで
実社会でワシの話を聞いてくれる茶飲みフレンド探せよジイサン 資料に基づかない、ツッコミどころだらけの珍説曰われるよりはマシでしょ 何も理解出来て無いね
スレチだバカ、余所でやれとバッサリ切り捨てれば済む話を
ここはワシが駄目出ししてやらねば!みたいなズレた使命感と
世間で相手にされない身の存在証明みたく
わざわざ本や資料の受け売りを持って来て
タラッタラと話を引っ張ってる老害が一番ウゼェんだよ
合ってる/合って無い・定説/珍説
スレチな時点で同等に無価値で関係ねーんだわ
ひたすら邪魔な役立たずなんだよ、お前と一緒でw 事実ではなく自分のイメージを演説した挙句、突っ込まれてキレてる奴よりはマシだけどね 粗探しに余命を懸けてるかの如く突っ込みに必死なジジイの生き方の
何処が誰と比べてどうマシなワケ?(w そちらの言うことを要約すると「俺の考えを演説させろ、反論は許さん、俺を気持ちよくさせろ」ですか、気持ち悪いね スレチだろうが何だろうがワシが駄目出しで話を広げてやるからみんな読め
文句は許さん、それがワシの生き甲斐なんじゃ、ワシこそ正義じゃ
こう言う事だな
深く心を病んでるな たとえそれが間違っていても、自分の書いた事を否定されることがよっぽどイヤなんだな 基本的にオタクは間違った情報が間違ったままであることが許せんのだ
そして軍板にオタク以外が書き込むものだろうか? この板だけで700スレ近く、何の為に話題が別れてると思ってる
博識ぶりたきゃ見合うスレに行けって単純な常識よ
ところが自己顕示欲と承認欲求ばかりが強い老害は灯りに虫が引かれるように
人が集まったところに現れてダダ長い主張をかますんだ
その事の浅ましさを言ってるんだわw つうか、ろくに調べもせず間違った持論を軍板に書き込む人って、何のためにわざわざここに来てるんだろうね?
本人が満足する以外の何の役にもたってないのに それもこれも含めてスレチは消えろと言ってるだけの単純な正論なのに
何であれ駄目出しするのが大正義みたいな感覚でモノを言ってるから
頭おかしいんだわ
放って置けっつの
何か間違ってるか?俺?w その昔、2ちゃんねるの頃の軍板の初質とかで、元自衛隊の人とか、まだ和訳されてない洋書からの情報とか、勉強になる事を教えてくれる人たちが居たもんだが
今ではそういう人達はTwitterに行ってしまい、ここには何の参考にもならない珍説を聞いて欲しい、変なのが居着いてしまったなあ 虚しい古参アピールしてないでおまえもTwitter行けや オマエラいったんブラウザ閉じてから「5chは便所の落書き、マジになるやつは馬鹿じゃねえのか?」って50回唱えろよ
あとな、アナルにビールの500ml缶を挿入しろ、それができたらまた書き込んでくれ ホントに何のためにここに来てるんだろうな、珍説さんは
承認欲求ってのはむしろ御本人こそが求めてるようにしか見えないんだが なんだっけ?最近じゃ日本軍の野砲が5発撃ったら熱で砲身が曲がるとか
他にも時々ギャグを書きに来る奴の意図は俺もわからんけど
駄目出し生き甲斐のジジイが自演こいてる風にさえ見えるわ
いちいちバカに構うなっつーのよw 実際貫通力では76mmを凌ぐ
モスクワ前面で戦った限定生産された物は全滅したが、後にナット砲塔で再生産、でもT-34-85ができていらない子に 日本の場合、装甲車両や戦車とかよりも
SB艇や2等輸送艦に装軌牽引車両やRSOみたいのを沢山積んで
砂浜に揚陸したら
直ちにジャングルや隠蔽された輸送路に送り込むシステムが必要だったんでないか? >>912
20kmを超える長距離で強装薬にして故障、廃棄されてなかったか? ソ連の76ミリってフランスの75野砲と同じ性能なんだろうか 10センチ砲弾を20キロ飛ばすなんてどんな強装薬なんだよw ドイツの10cm sK 18/40なら最大射程21kmだが日本の九二式は18kmだね
ところで20km以上って何の話? 96式15サンチカノン砲ならいけたと思うが15センチ。 >>945
ソ連のF-22やZiS-3、日本の九〇式野砲は最大射程が14km前後
それらより前の世代であるフランスのM1897は11kmで、日本の三八式野砲やドイツの7.7cm FK16くらい シャーマンのM3 75mm戦車砲が40口径で初速619m/sに対し、T-34のF-34 76mm戦車砲が42.5口径で初速680m/s
もっとも徹甲弾の貫通力のスペックでは、M3 75mmの方が少し良かったりする アメリカは二重の被帽がついたAPCBCとか採用していたリッチマン 長距離砲って言うのも日本軍の苦手な分野なんだよな
幸い、主戦場が南洋の島嶼部を奪い合い戦いだったから
目立たなかったけど
日本陸軍の火砲って基本 弱装弾で榴弾を撃った時の耐久性が
目安になるから、高射砲、対戦車砲、長距離砲のように
強装弾での砲撃は連射が利かないので、数でカーバーするしかないけど
品質を維持した量産ができない、量産できても輸送ができないでは
最前線の将兵は大変だっただろうな 独ソ戦の前に、ドイツから買ったIII号戦車G型に対する45mm対戦車砲の射撃試験で、
距離500mで30mm装甲を貫通できず徹甲弾が砕けてしまった
徹甲弾を多数量産したその前の二年間、弾頭の金属の熱処理がいいかげんで、
規定の強度が出ていなかったからだという まあなんといっても、原材料がアメリカからの屑鉄だからな
熱処理以前の問題かも知れない 屑鉄って言葉のイメージは悪いけど、製鋼には不可欠だろ。高級特殊鋼の生産にだって使うぞ。
日本の特殊鋼製品の品質が低かったとしても、屑鉄が問題なんじゃないよ。 昔も今も日本には鉄鉱石は沢山あるが、不純物が多いので輸入した方が安くつき、現在ではオーストラリア産、次いでブラジル産が多い もちろん、屑鉄だけが問題ではなく当時の日本の冶金技術が低かったことが
一番だと断定してもいいが
戦争指導者によるリソースの分散も大きいと思う
キルナの鉄鉱石をふんだんに使えた独が羨ましい おまえだろ、旧皇軍の砲は数発で砲身がパぁになるとかって
ヨタ話を真顔で書き込んで荒らした元凶は
何がしたいんだよキモいw つうか、日本じゃなくて一時期のソ連の徹甲弾の話の訳だが
当時のソ連は鋳造製砲塔の強度も低く、初期のT-34のピロシキ型砲塔では溶接組と鋳造製両方あったが、
鋳造製はドイツから鹵獲した3.7cm PzGr40弾を使った試験で、距離150mから側面を抜かれたり、
貫通されなくてもホプキンソン効果で内壁が剥離して飛び散り、乗員を負傷させることがあった 鋳造製は素材の密度が低いから
37mmクラスの徹甲弾に抜かれるのは珍しくないと思う
弾頭を弾きやすい傾斜をつけやすいメリットはあるけど 鋳造のほうが断然かっこいいし、またタマを弾きやすい理想的なのは敵方ドイツでも理解されていて
カリウスはタイガー戦車を見てあいかわらずドイツは遅れてる、とこぼしてる
パンターダイムラー案がT34そっくりだが、総統も芸術的な戦車で我軍の士気が高まるとしてる 鋳造もピンキリで、ソ連のは戦時の粗製乱造で鋳巣(空洞)が入っているものがあり、
ガンガン砲弾を弾き返すやつもいればあっさりやられるのもいるのはそのせいだろう
KVの鋳造砲塔型で側面まで無駄に分厚いのがあるのは、それをカバーするのためか 76ミリ弾にもどると、ロシア帝国はWW1の協商国でインチを採用したがソ連は互換性を重視したため76ミリ口径をのこした
しかし米国はフランス流の75をシャーマンに採用した、
戦前はフランスが世界一とされており、航空エンジン生産でもドイツ帝国の倍と工業力でもドイツを圧倒した
AGFとしては大陸進行にあたってまずフランスに上陸、フランス工業やら75ミリの在庫も利用するもくろみがあったのかも >>960
俺にはお前の方が池沼に見える
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45mm砲と書いてあるのに、何を勘違いしたのか全然関係ない日本の冶金技術の話を始めるわ、
ドイツが十分に入手できたのは1939年〜40年だけのことであるスウェーデン鋼が出てくるわ、間違いだらけだわな >>937
アヌスとアナルの区別が着かない奴は高卒 シャーマンの星型エンジンは航空用で当然アルミでしょうが、キューベルワーゲンの空冷エンジンがオール鋳鉄ときいて
放熱は大丈夫かと思ったんだけどもしかして、この当時のBMW空冷バイクもオール鋳鉄なのかな
たしかに転倒したときや敵に撃たれるときは鋳鉄のほうが頑丈そうですね
日本の統制エンジンも全鋳鉄? 同じエンジンのフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)では、軽合金を多用しているはずだが パンジシール軍の映像から確認できた戦力
T-34/85中戦車(出所不明の骨董品。少なくとも2両)
M1117装甲警備車(元アフガン政府軍。多数)
M113装甲車(元アフガン政府軍。TOW発射機は台座のみ。数両)
パンジシールの獅子マスード将軍はT-34で戦っていたとは・・・ >>974
2001年時点では「T-72は複雑すぎて整備できない。T-54、T-55をくれ」とか言ってたみたい
T-62も見た気がする、新北部同盟 まあマスード一世はMBTみたいなでかくて隠しにくくて可搬性の低い兵器はあまり当てにしてなかったんじゃないかな?
橋一つ落とされたらそれで移動不能では、山岳ゲリラの戦術とは不似合いすぎる 水平射撃で恐ろしい威力を発揮したZSU-57-2はどうなったんだろうか?
旧ソ連軍が置いていった物をどこだったかのムジャヒディン組織が使っていたはずだが ペラペラ装甲だから撃破されたんじゃないかなーとっくに 旧ソ連軍は中東地域でZSU-57-2を運用していないどころか、アフガン政府への支援を開始した頃には装備品から姿を消している タリバンつか旧ソ連がアフガニスタンで使ってたのはZSU-23-4シルカ? 旧ソ連によるアフガンでの戦闘において活躍したのはZSU-23-4だな
中東で使用されたZSU-57-2は、66年〜70年代初頭にかけて旧ソ連軍で予備保管状態にあった車両をイランなどへ供与したもの いや、実際ZSU-57-2もあり、Panzer誌か何かの記事で、ソ連軍撤退後にそれを運用している組織の兵に話を聞いた(『こいつの水平射撃なら〇〇派の連中もイチコロだ』って感じ)のを読んだ記憶が マスード将軍はさいしょ千人の部下でボルトアクション銃しかなかったらしいがソ連軍にめをつけられて
渓谷を無差別爆撃されて、ソ連軍はその後も精鋭部隊で強襲するも9割は占領して引き上げる
空爆で村落に大被害がでて、親族殺された復讐とやらでおさまらない民間人がマスード軍に参加して1万数千になり、
ソ連はびびって引き上げた。げんざいのパンジバール軍は8千とのこと
調べてみるとT-34/85中戦車はアフガン陸軍の正規装備らしく(どの時点で買ったかは不明、ザーヒル王政時代が適当な時期?)
ロシア側の認識だとまだ装備国になってる。北部同盟はT-62やT55戦車など捕獲戦車ももっていたが、
近年は地方軍閥の武装解除すすめたので没収されて、スクラップ同然で各地のこってるのがT-34ということなのかね >>981
'66年〜70年代初頭にかけてであれば、パーレビ王朝下のイランは無いだろ、エジプトとシリアだ >>985
イスラム共和政以前からソ連製装備の導入が行われていることを知らんのかな…?
SPAAGに限っても、イランは66年にZSU-57-2の中古品を受け取る契約を結んだほか、73年にはZSU-23-4の大量発注も行っている
むしろ革命の混乱でこの種の大口契約が中断・白紙化された可能性まで有るとSIPRIは分析している
シリアはイラクとほぼ同時期に導入
外れすぎているので除いたが、エジプトは60年のことだな タリバンもAK-12を採用すればいいのに
M16カービンなんぞ使いおって
C2の自衛隊員はMP5は必要だな
できれば軽装甲車も >>987
イランの親ソ政権はCIAの工作によるクーデターで1953年に倒れて王政復古が行われているが、その後のアメリカの支援と白色革命下でもソ連との取引が続いてたの? M4カービンみたいなヤツは、米軍のアフガン正規軍へ供与したヤツをタリバンが鹵獲したんじゃないか?
もしくは部隊単位でタリバンに寝返ったりもしてるから、M16系統を携行している兵士は元政府軍の将兵とかいうオチかも。 パラグアイは2018年に最後のシャーマンを引退させた
T-34/85中戦車は22世紀までつかわれそお・・ >>990
鹵獲や横流しでM-16系の方が銃も弾も安く入手できるようになり、今やAK系よりも主装備になってしまった 民生用のM4カービンと軍用正規品では互換性がなくパイプストックが
絞り出しとタダの鉄パイプという タリバンがamazonで買ったパイプストックがつかねーちくしぉうとなる >>991
武力衝突の強い弱いって結局は相対的なもんだよな
相手が小銃・機銃程度の装備な山賊上がりだったら
T-34/85が出て来たら、それなりに脅威だろうな
RPGの射程なんざ知れたもんだし
弱い者苛めをやってる分には立派に使えそうだ パンジシール軍の戦車は埋められていたな
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