大山康晴が中原誠にだけボコられたのはなぜ?3
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「血相変えて立ちあがる内藤、無言で背をむけていた大山―。この瞬間が”勝負”であった。」
全然、違いましたとさ
勝手に脳内でお話を作っちゃうんだろうねえ
漫画じゃねえんだからw
「筆者と芹沢が嫌がる内藤を強引に飲みに連れ出した この瞬間が勝負であった」
本当はこうだったのが、笑えるww
飲まずに嬉しくて席を立った内藤w
おそらくそれに気づいたけど大して何とも思っていない大山w なんだって、見る人によって変わるんだよ
盤外の言動を盤外戦術言い出したら、何もかもが盤外戦術になる
どのエピソードも「で、それが勝負にどれだけ影響すんの?1%もなくね?」って話ばかりな印象
大山ネタにしろ、羽生の上座事件ネタにしろ、そう思った 大山がダブルスコアでボロ負けしたのは、中原より弱いからだな >>473
あれに騙されている人は多いよね。罪深いよ。 先崎学九段の証言
晩年に河口さん(1936-2015)を囲む会をやったときに「将棋史上、一番強いのは大山康晴だ」といわれました。 大山は羽生よりも強かったから50代でも米長や加藤なら勝てた
でも1番手の中原には分が悪かった
羽生は大山以下だから藤井はもちろん天彦菅井永瀬にもすでに負け越してるんだよ
中原に負けたからって米長加藤にも負けなきゃおかしいと思う方がおかしい
米長加藤は中原以下なんだから 大山は中原にダブルスコアでボロ負けね時点で、羽生はおろか谷川などにも及ばないよ >>463
しかし、中原さんが大山さんからタイトルを奪い出したときに、周囲の棋士からは大山さんに気迫が感じられないと言われていたんだよね。
加藤さんや山田さんに対したときの敵愾心のような気迫が対中原さんには出てないと。
大山さんは中原さんを自分の後継者として認めてしまってるから、そうなってるんだろってね。 >>479
それ、大山さん自身が言ってたよね。「中原さんには闘志が湧かない」って。あと、63歳で中原名人に敗れたとき、木村十四世名人と同じ言葉…「良き後継者を得た」と言いたくなったと自著『昭和将棋史』にも書いている。 年齢別の勝率推移データから40代後半に全盛期の力がないのは歴然としている
50代ではピーク時のよくて8割、60代ではせいぜい7割の棋力だろう
有吉だけが勝率が上がっているがA級から陥落していたのと大山との対局が5年間に1局しかなかったのが幸いしている
丸山、森内、郷田の40代後半はA級順位戦の対局やシード棋戦が減っているのに勝率が落ちている
https://i.imgur.com/vhT6I91.png 奨励会レベルの昭和時代と、レベルの高い現代と比較する馬鹿がいるんだな >>481
羽生も40代前半が一番勝率が良いんだね
30代前半だと思ったが
升田が40後半で6割台なのはさすが >>481
全盛期の力がないのに、この錚々たるメンバーの中で突出しているのは凄過ぎる。 >>485
根拠もないのにいい加減なこと書かないほうが良いよ >>486
根拠もなにも中原にダブルスコアでボロ負けの強さだからそんなもの 大山は盤外戦術で作りあげた鴨が沢山いたので活躍できた。
しかし中原を鴨にすることに失敗したのでボコボコにされた。
しかし残りの鴨を使い長持ちさせた。 大山みたいな受け将棋は格上の相手に弱い傾向はあると思う
逆に二上とかひふみんみたいな格下には滅法強いけどね。 受け将棋の森内18世名人
攻め将棋の羽生19世名人 大山の格はどれくらいか知らんが、大山より強い棋士羽生沢山いる >>491 中原
米長は大山に及ばんかったと思うよ 中原が大山より格上なら、50代の大山に30代の中原がタイトルを奪われることはあり得ない >>496
対戦成績が大山のダブルスコアでボロ負けだから、格は知らないが弱いのは確かだな 羽生や森内も「大山先生と対局したとき威圧感に圧倒された」と言ってる
森内に至っては「凄すぎてまともに考えることすらできなくなる威圧感だった」と述べてる
ちなみにこの2人は中原については威圧感どうこう言ったことはない 中原が大山に相性が良かったのは年齢差と中原が対振り飛車を得意としていただけで、年齢が逆なら大山が大勝していただろう。実績を見ても大山の方が明らかに格上。 大山は中原より弱いんだから、現代の棋士の半分より弱いよ >>498
羽生は大山に青森県の山の中に連れて行かれたw
威圧感ではなく威圧された。 >>498
羽生は大山に青森県の山の中に連れて行かれたw
威圧感ではなく威圧された。 1988年の第38期王将戦予選、大山康晴十五世名人対羽生善治五段
大山は、この対戦を突如、2日制にしようと提案したのだ。
この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。
5月21日将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日22日に青森に遠征し、そこのイベントで公開対局
羽生は5月24日に富岡英作六段との竜王戦4組決勝予定だった。
羽生は大山の申し入れを承諾し大山に負けた 大山の都合で王将戦予選を2日制にして2日目を青森で指す
こんなことが現代に許されるだろうか?
連盟会長の立場を悪用した犯罪と言えるだろう。 >>504
大山があごあし付きで羽生を青森県の山の中にご招待した、と思っているの??? 大山は羽生を将来の将棋界を背負って立つ人間と思って普及の大切さを伝えようとしたんだろうな
羽生もゲーム脳から脱して貢献すべきだわ 対局以外は高校に通学しなければならない高校生棋士に対して、1日ですむ対局を、移動日を含めたら2日余計に費やさせて学業を妨害した。
羽生は出席日数不足で高校を卒業できずに中退している。
自分の人気取りのために、酒も飲めない17歳の高校を青森まで連れ回し宴会出席を強要した、職権乱用の屑爺が大山康治 青森県おいらせ町と将棋の関わりは、故・大山康晴十五世名人と親交が深かった町内の将棋愛好家による、約40年前の旧百石町時代における将棋の普及・発展を目指した活動にさかのぼります。大山名人の協力の下、全国規模の将棋大会の開催をはじめ、「全国将棋祭り」の開催、将棋道場・合宿所・資料展示コーナーを備えた私設の将棋資料館の開館など、約15年間にわたり将棋の普及奨励活動を強力に展開してきました。
その後も、大山名人ゆかりの地として岡山県倉敷市との友好関係により、特別枠として「全国小学生倉敷王将戦」への出場や、「倉敷藤花戦百石対局(現在はおいらせ対局)」を開催させていただいております。また、全国規模の「大山名人杯争奪将棋大会」をはじめ、東北規模から町内大会までさまざまな将棋大会を継続して開催しています。
平成17年8月には、町内の将棋愛好家より大山名人の貴重な資料をはじめ、将棋に関する資料2千点以上を寄贈いただき、大山将棋記念館を公設で開館しました。 おいらせ町の将棋の歴史年表
https://momo-oirase.jp/oyama-shogi/history/
昭和53年4月15・16日 大山名人 初来町
平成元年5月 大山名人をおいらせ町(旧百石町)の第3号名誉町民に推戴。(百石町特別功労賞)
平成元年12月 中戸氏が「大山将棋記念館」を民営施設として開館。
平成4年11月15日「第18回将棋の日」のイベントを旧百石町立体育館で開催。
平成5年8月 いちょう公園内に大山康晴15世名人の座像を建立。
平成17年8月「大山将棋記念館(王将館)」が開館。 >>1
1、大山が衰えてきたところに中原の勢いがぶつかった
2、棋風的な相性の悪さがあった
3、人間的な相性の悪さもあった
などと言われているね。 おいらせ町との縁を大切にして大山死後も毎年顔出すくらいして欲しいよな
毎年大歓迎されていただろうに 本当に偉大な人物なんだな大山名人って
近年のプロボードゲーマーはこういうのが苦手な人が増えた 強さの定義によるわな
はじめから決め付けている大山アンチには理解するつもりが無いだろうけど ただ単に中原より棋力が劣っているから、ボコられただけ >>505
これは凄い!
まさに威圧!!
ここまですれば大山勝てるwww 生誕百年も間近になってきたね
将棋の普及とファンサービスに力を入れた大山がいたからこそ今があるんだよな
現代の藤井聡太らの対局につながる“ライブ感”がスゴい…大山康晴と中原誠が土俵でタイトルを争った46年前「将棋の日」ウラ話
https://number.bunshun.jp/articles/-/850663?page=2
第2部の超目玉企画は、中原十段に大山棋聖が挑戦した十段戦(竜王戦の前身棋戦)のタイトル戦の対局を、土俵上で指し継ぐことだった。
当日は十段戦第2局の1日目。東京・広尾「羽沢ガーデン」での対局を午後3時すぎに中断し、国技館に対局場を移した。土俵上に毛氈を敷き、盤駒、脇息、座布団などは、実際の対局場から運んだ。
写真は、土俵上での対局光景。右から、大山、中原、立会人の萩原淳九段、金易二郎名誉九段、記録係。
土俵上で将棋ファン注視の中で指すという以外は、通常のタイトル戦と変わらない設定だった。 >>505
大山オタでもこれ擁護するやつは全くいないのがウケるなw
まさに黒歴史だよ 確か森下卓さんにもボコられている。
森下卓さんの師匠に対する大山名人の言葉
『花ちゃんは所詮アマチュアだもんねえ』
の敵を討った。 中原にダブルスコアでボロ負けだから、現代ならかなり弱い位置にいる >>525
もうさんざんそういう意図ではないと言われてきたことだからな >>529
無知なうえに想像力も無いのか
イベントで後進のお披露目だろ
単に羽生が勝てば良かっただけ >>530
今同じことを羽生が藤井にやったらめちゃくちゃ叩かれそう 職権乱用の犯罪だろ
青森県百石町に恩を売って大山信者を増やし大山記念館をつくった ど田舎の見知らぬ敵の本拠地で晒し者になって、羽生を応援する者は皆無。
酷い盤外だ 羽生じゃそんなことできる権力も人脈も心意気も行動力も無い
加えて藤井に勝てる棋力も無い
叩かれる以前の話 中原にダブルスコアでボロ負けになって、化けの皮が剥がれたな 将棋会館を移転するみたいですね。実行委員長は羽生が務めています。 中原永世十段もご機嫌で面白い会話が続く。
「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ(昭和46年以前)。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」 ただ単に大山が中原より弱かったからダブルスコアでボコられた 大山がただ単に奨励会レベルの棋力だからボコられただけ >>538
いまは振り飛車でも様々な変化があるし、美濃囲いに囲うだけの時代とは隔世の感があるね。
大山が勝ちまくってた時代は、棋界全体がその程度のレベルだったということ。 羽生と大山の全盛期の棋譜をPCで解析して悪手率から算出したレートだと、羽生が3300、大山が3000前後という結果が出ている。全盛期の2人が10番指すと羽生が8勝2敗で勝ち越すことになる。 >>545
61歳の高橋九段がC級1組の勝ち組なんだから今の若手棋士のレベルなどたかが知れてるよ
「私は研究に全くAIを用いてなくて、自分が修行時代から培ってきた将棋観を頼りに指していこうと決めました。最後まで自分で戦って負けたのなら仕方ない。時代遅れかもしれませんけど」
(高橋道雄) 「大山名人が名人位を連続で獲得されていた、1960年頃、つまり、40 歳くらいの大山名人であれば、藤井さんには負けないと私は思いますね」
(森雞二九段)
その根拠は、大山名人の棋風にあるという。
「この頃から勝つために、棋風を受けに変えたんです。これは、なかなかできることではありませんし、この頃の大山名人の受けは、守りを固めるだけでなく、のらりくらりと受け流す技も一級品。今のトップ棋士は攻めを重視する方が多いですから、藤井さんでも苦戦すると思いますよ」(前同)
藤井聡太五冠vs“伝説の棋士”大山康晴永世名人「最強の矛と最強の盾」対決!「全盛期に戦わば!」徹底分析
https://taishu.jp/articles/-/100900?page=1 大山なんて今なら女流にもボコボコにされるぞ
藤井と比較するのなんて失礼にも程があるわ
ほんとクソみたいな記事だ 週刊大衆を読んでいるような
棋力も低いであろう階層向けの記事だからな
そんな物を真顔で持ち出すような奴は
きっと頭が悪くて将棋なんて殆ど理解できない
底辺のクズみたいな人間だろうよ >>547
今季高橋と順位戦で対戦した棋士ってロートル多いよね >>549-551
大山の強さは君ら素人より森九段のほうがよく知っているよ >>546未だにそんな指標を信じている人がいるのに驚いた。 28歳~36歳の森けい二に12勝6敗(0.667)だった大山はトンでもなく強い
51歳~59歳でこれだけ強いわけだからましてや40歳の大山は史上最強の棋士だった
羽生世代の対森戦の勝敗と比較するだけで納得できる
羽生世代の41歳〜46歳の森けい二との勝敗
康光 3勝1敗
羽生 3勝2敗
森内 2勝2敗
丸山 0勝1敗
合計 8勝6敗(0.571)
40代の森けい二にこの程度では羽生世代は束になってかかっても藤井五冠に勝てないが、40歳の大山なら藤井五冠に負けない
と森九段が言うんだからそうなんだろう 大山も羽生には割と善戦してるけど、谷川浩司や森下卓、南芳一らにはボロ負け。せいぜい強かったのは米長くらいまでの世代で、その後には歯が立たなかったようだ。 大山と対戦していた頃の羽生は、強くなる前の羽生だからな
おが藤井との対戦なんか、藤井の角落ちで丁度いい位だな >>556
谷川とは58歳から60歳まで○●○○●●○●で互角
南とは63歳が初手合いで○●●○
森下とは初手合いが64歳
64歳以降はレーティング25位1630ぐらいの棋士だから勝てなくなって当たり前だよ
60歳までは、中原以外には負け越すことがなかった
こんな棋士は空前絶後だね 馬鹿が好む珍理論でいいなら
羽生>森下>>大山
で簡単にFAだ 純粋な将棋の強さで言うと、タイトル戦に限った棋譜のAI解析では以下のような結果が出ている。藤井聡太がデビュー仕立ての時期に検討されてるので、タイトル戦未登場ゆえ出てきていない。時代と共に将棋も進歩していくので妥当な結果に思える。少し意外だったのは、大山が加藤一二三と互角かちょっと下だったこと。
3347 羽生善治 永世七冠王資格者
3214 渡辺明 永世竜王資格者
3151 森内俊之 十八世名人資格者
3139 谷川浩司 十七世名人資格者
3046 中原誠 永世五冠王
2998 加藤一二三
2979 大山康晴 永世五冠王 >>560
70歳近い大山に5勝4敗の成績でしかないのに「全盛期同士で10回対局すれば羽生が8勝2敗で勝ち越す」というのはいくらなんでもレーティングがまちがっているよ 二日制だと羽生3275>渡辺3008
https://i.imgur.com/QAKz8xV.jpg
「羽生と大山では300近い差があるから勝率にすると10回対局すれば羽生が8回勝つ」という論法が成り立つなら
「二日制のタイトル戦では羽生と渡辺では300近い差があるから勝率にすると10回対局すれば羽生が8回勝つ」も成り立たなければならない
実際は棋譜解析した時点(羽生44歳)での両者のタイトル戦の対局は羽生の勝率43.6%(17勝22敗)だった
*二日制対局は勝率40%(8勝12敗)
羽生と渡辺のレートが実際と逆であるわけだから羽生と大山のレートも実際とは逆である可能性があることになる
それ以前にこのレーティングは信用度ゼロというべきだろう >>561
あくまで純粋な、棋譜のAI解析結果な。
羽生対大山は5-3らしいけど、初対戦で高校生の羽生に色々やったみたいじゃない笑 羽生だって人間だから、子供のうちは大山に遠慮したということも十分に考えられる。
ちなみに大山は、中原相手でもタイトル戦に限ると戦績は17-3でボロ負け。パワハラの通用しない中原には全く歯が立たないところも大山らしいと思った。 大山とか格安スマホの将棋アプリより弱いのだから、いくら虚飾しても無駄
レベルが低い時期にレベルが低い連中相手に勝って喜んでただけのキモハゲ爺 信用度ゼロなのは簡単な類推でもわかる
山下レーティングが正しいなら羽生七冠≒14歳藤井<16歳藤井となる
そして、16歳藤井より全盛期40歳大山のレートは小さく見積っても300低いことになる
16歳藤井よりレートが300低い棋士は今泉健司四段(45歳)C級1組、竜王戦6組だ
つまり、山下レーティングが正しいのであれば、40歳大山名人の棋力は45歳今泉四段相当というわけだ
それどころではない
40歳大山名人より弱かった当時のA級棋士は全員が今泉四段よりはるかに弱い棋士だったという結論になってしまう
実をいうと、こうした類推をするまでもなく、女流棋士の清水市代が2709で天野宗歩が2758という時点で山下レーティングは胡散臭いものだった >>565
そうなんじゃないの?
当時のA級棋士は現代の棋士に比べ弱い。 山下レーティングがゴミ指標なのは羽生7冠より21歳羽生のほうが強いことになっていることにも現れている
それも21歳羽生のほうが400も強いというのだから精度も何もあったもんじゃない
「10数局の棋譜を解析すれば棋力が判定できる」と豪語しているわけだから言い訳無用だ
実際の棋力と真逆の判定になるゴミ指標では精度以前のところに問題があるのは明らかだろう
https://i.imgur.com/rKL0b9n.jpg >>564
その言い方はどうかと思うが笑笑、
レベルの低いと言うか、AI解析上の最善手から程遠い棋譜が生産されていた時代に、パワハラまがいの手管で勝ち残った棋士であることは論を待たない。 >>567
20代前半の羽生は、当時の将棋界で最強であったことは間違いない。
羽生だって人間なんだから、六〜七冠時は対局過多でタイトル戦の棋譜のクオリティも神の目線で見れば落ちてたかもしれないとか、考えが及ばないのかな?対戦棋士との実力差も大きく、単純な戦績では棋譜のクオリティなど判別できんだろうに。
羽生も大山も、タイトル戦に頻繁に出てた時期は30年弱だが、その棋譜のアベレージの評点が大差なんだから間違いないよ。 大山は、現代なら100番目以降の強さなのは間違いないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています