大山康晴の盤外戦術酷すぎワロタ
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2ch名人への転載希望
大山康晴が行った盤外戦術が酷すぎ
そら無双しますわ
https://shogi-oute.com/bangaisenjutu/ 将棋の盤外戦術と言って、真っ先に思いつくのはきっと”大山康晴十五世名人”でしょう。
「わざといたぶって、相手を徹底的に侮辱する」
「大山は盤上でも盤外でも、ライバルを徹底的に叩いて、その才能の芽をつぶしてきた」
このような意見も色んな棋士から出ている通り大山康晴の盤外戦術は有名です。
対局相手が考えている時にスタッフや観戦記者と談笑したり、扇子をクルクル回して相手に集中させないのは序の口。
他にはタイトル戦の挑戦者決定戦で勝った大山は負けた対局相手がいるその場で関係者と打ち合わせを始めたなどがあります。
以下は大山康晴の盤外戦術エピソードです 二上達也への盤外戦術
大山康晴が将棋連盟の会長だった頃、二上達也は理事を務めていました。
その時、大山は二上を徹底的に軽んじる態度をとって、精神的に追い込むこともあったそうです。
いわゆる”パワハラ”ですね。
二上達也自身も「いろいろやられて、コンプレックスを感じさせられましたね」と語っています。
大山名人の二上達也への盤外戦術は対局の時もありました。
大山名人がよく用いる盤外戦術として、優勢の将棋から徹底的にいたぶる指し方をして相手を精神的に追い込むものがあります。
大山名人得意の”全駒モード”です。
後手が4二飛とした局面
先手が大山康晴、後手が二上達也の局面(持ち駒は省略)です。
先手の大山勝勢で進んだこの局面は”5一飛成”とすれば王手飛車取りが決まります。
”5一飛成”という決め手で普通なら投了という局面なんですが、大山名人はそうは指しません。
実践は”5三桂成”と指しました。
王手飛車取りを、あえてせずにじわじわと痛めつける。これが大山将棋の裏の顔です。
加藤一二三への盤外戦術
”ひふみん”こと加藤一二三九段も大山名人の盤外戦術の被害者です。
加藤一二三と言えば18歳でA級八段。20歳で名人挑戦という天才棋士。
その20歳で名人に挑戦した時の名人が大山康晴でした。
この名人戦で加藤一二三は第2局に敗勢になり、形作りをし、首を差し出します。
しかし、そこは大山名人。
決めにいかないんです。
ジワジワと相手を痛めつける手を指し、加藤一二三を精神的に追い詰めます。
その盤外戦術が効いたのか、そのまま連敗し加藤は敗れ、それ以降、神武以来の天才は大山名人に勝てなくなったと言われています。
首を差し出した相手の首を取らずにジワジワ痛めつける盤外戦術は将棋に対して真摯な人間ほどよく効くそうです。
このジワジワ痛めつける手というのは降参を許さない、屈辱的な手であり、創作物としての棋譜を汚す行為だからです。
加藤九段と同世代の棋士達は「若い頃の加藤さんは普通だったが、大山名人に負かされすぎて、あんな風に変わってしまった」と話しています。
ちなみに加藤九段本人は大山名人の盤外戦術を「かわいがってもらった」とプラスに話しています。 高野山の決戦での盤外戦術
将棋の歴史に名を残す対局として”高野山の決戦”があります。詳しくはこちら
これは升田幸三と大山康晴の名人挑戦者決定戦です。
この時、升田幸三はA級順位戦を1位で終え、名人への挑戦権を手にするはずでした。
しかし、その時の異例のルールで急遽「A級上位3人とB級の一位の合計4人でプレーオフを行う」ことになりました。
その時のB級の1位だったのは大山康晴です。
そして、勝ち上がった升田と大山が挑戦者決定戦三番勝負を戦うことになります。
その当時、十二指腸の具合が良くなかった升田はせめて暖かいところでの対局を希望していました。
すると、升田のもとに対局通知が届いたのは対局の前日。
さらに2月の雪が舞う寒い高地”高野山”での対局となりました。
高野山は和歌山県にあり、升田幸三は急いで大阪から高野山に向かったと言います。
結果は大山勝ちに終わっています。以下は升田への盤外戦術。
予想外のプレーオフ
寒いところでの対局
対局通知は前日
これは当時の主催者である毎日新聞との共謀だったと言われています。
内藤國雄への嫌がらせ
「大山さんは、ふつうにやっても十分強いのに、なぜわざわざ、あんな嫌われるようなことをするのだろう」
そう語るのは内藤國雄九段です。
内藤國雄九段も大山名人の盤外戦術の被害者の一人です。
”最強者決定戦”が”棋王戦”という新たなタイトル戦に昇格した当時、優勝したのは内藤國雄九段でした。
タイトル戦に昇格した棋戦のため、優勝賞金も20倍にあがり、さらにタイトルとして名乗れるようになったため内藤國雄は喜んでいました。
しかし、ここで大山名人の嫌がらせとも言えるすごい盤外戦術が繰り出されます。
そのすごい盤外戦術とは「棋王戦というタイトルになるのは来年から」というもの。
実際に内藤國雄九段は大山康晴が会長を務める将棋連盟から通知が来たそうです。(以下が内容)
タイトル戦への昇格は来期から
今期は第一回棋王で来期の優勝者を第一期棋王とする
今期の優勝賞金はそのまま
盤外戦術というかもうただの嫌がらせですよね。
ちなみに”棋王”の永世称号資格の条件は”棋王連続5期”のみというハードルが高いものです。
これは永世称号をほしがっていた米長邦雄永世棋聖に対する盤外戦術…嫌がらせです。 谷川浩司への盤外戦術
A級順位戦最終局で勝てばプレーオフ進出がかかっていた大山康晴は谷川浩司と対局します。
その時の大山名人は肝臓の手術をして数ヶ月という病み上がり状態でした。
この対局で、大山名人が肝臓のあたりを手でおさえながら対局していた光景は胸が熱くなるものがありました。
しかし、この肝臓のあたりを手でおさえる行為が実は盤外戦術で、谷川は少なからずとも動揺したものと思われます。
後年、大山は肝臓の手術のことを「腹切っても痛くなかった。なんともなかった。切腹なんて楽なもんだなと思った」と述べています。
そして、この対局は大山勝ちに終わりました 羽生善治にも盤外戦術
1988年、まだ羽生善治が18歳の頃の話です。
王将戦の予選で大山対羽生という対戦カードがありました。
しかし、この対局を大山名人は2日制の将棋にしてしまいました。
現代の感覚からすると、意味がわからないと思いますが、実際にあった話です。
1日目を将棋会館で指し、2日目を青森で公開対局するというもの。
その時の羽生のスケジュールは以下の通りです。
5月21日に将棋会館で大山と王将戦の予選1日目を指し、青森にすぐ移動。
5月22日に青森で大山名人と公開対局
5日23日が青森から東京への移動日
5月24日が竜王戦4組の決勝
という高校生にも関わらず超多忙なスケジュールです。
これが原因かはわかりませんが、羽生は出席日数が足りずに全日制の高校を辞めています。 高校生の羽生にも盤外戦術
誰が相手でも自身の権力を利用してパワハラ&盤外戦術の荒らし
これが名人18期の大山の実態です
拡散よろしくお願いします >>3
大東亜決戦の歌
♪起つや忽ち撃滅の勝鬨挙がる太平洋 2ch名人もネタが無くて大変だな
何が転載希望だよ 昨日の順位戦で菅井が勝った翌朝にこのスレ立て…
あっ…(察し) >>1
内藤への番外戦術もよろ
あと米長自身の番外戦術も(笑) 二上戦の53飛成りは目を疑ったな。あれはちょっと有り得ない。 >>16
羽生さんみたいに真剣勝負で勝てよって感じだわ これは時代もある
元SMAPの中居とかも「寮に帰ってからも先輩に踊りを強要された」とか言ってたし、一般人でも体育会武道系とか後輩シゴキで死人を出してた
そんなつまんねー事はもう自分たちの世代で止めようと思ったのが羽生や中居の今50前後の世代 >>21
これは酷いw
公式戦でこんな指し手を残すのか >>11
他の八百長とはなんですか?詳しく説明してください
確たる証拠もなしに妄言の流布をしてるとすれば立派な犯罪です
その覚悟があって書き込みをしてるのでしょうか? パワハラはあかんが、勝ち確定からおちょくるのは、弱い奴が悪いだろ。 名人一桁棋士オタがたてたの?
大山や藤井聡太下げたって19世は19世なのに >>20
すぐ羽生オタは何でも手柄にするけど、将棋界が品行方正になったのは谷川からだろ >>19
>>21
大山の名誉のために言っておくと、それは二上の指し手が間違えて記録されているという説もある
というのも大山流攻める三間飛車では二上の指し手は71玉では無く61玉になっていて、大山名人自身も「61玉で71玉は42金 同飛車 51飛車成 プロは負けるにしても一手一手大事に指すもの」と書いているらしい >>23
棋譜が間違えて記録されているという説もあるからどちらかの話を鵜呑みにするのは止めておいた方がいい 俺も実際に確認したわけではないけどhttps://youtu.be/FBrXAtU4W1Aのコメント欄でそう言ってる人がいる
大山流攻める三間飛車を持ってる人がいたら是非確認してみてほしい 真綿系の話は遊ばれるのが嫌だったらさっさと投了すればいいだけじゃないの
別にこの基準になるまで投了してはいけないなんてルールは無いでしょ >>23
ただしこの対局は1983年、つまり大山にとっても二上にとっても晩年
今更盤外戦術を用いるまでもないと思う時期
つまり盤外戦術の打撃はとっくにきいてて二上にとっては苦手が染み付いてるはず >>29
例で出しただけだ頭悪いな
とりあえず羽生でも谷川でもいいんだがあの世代あたりから社会全体が前世代の基地外じみたパワハラがなくなっていったということ 羽生が51で老いぼれてるのに大山が69までA級維持できたのは大山が卑怯な盤外してたからだ!
って言いたいわけね、ほんと羽生オタってシンプルにバカだな >>6
新棋戦は『棋王戦』と名付けられた。
中原誠名人、大山康晴十段をはじめ現役の全棋士が参加する大型棋戦で、
来年からは名人戦、王将戦、十段戦、王位戦、棋聖戦に次ぐ6番目の公式タイトル戦に昇格することが約束されている。
(将棋世界昭和49年4月号より抜粋)
http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/kiou/kiousen/00/kiou00.htm
第1回棋王戦 内藤VS関根 昭和49年12月10日〜昭和50年1月9日
昭和49年4月号の将棋世界に「来年からタイトル昇格」って書いてありますから最初から有り得ない話
対局場も将棋会館で三番勝負
翌年タイトル戦になってからは五番勝負でハワイやオークラでやってる
それに大山が会長に就任したのは1976年12月からで第一回棋王戦が行われた1974年12月〜75年1月は塚田会長 >>33
それな。盤上の指し手に関するものまで盤外戦術とか意味不明 谷川は盤外戦術しなかったんじゃなくて負けたことを盤外戦術のせいにしなかったんだよ 2日制タイトル戦で1日目の午後を省略するのは
効果あっただろうな
禁止されてからは2日制タイトルほとんど
勝てなくなったし 1988年の第38期王将戦予選、大山康晴十五世名人(65)対羽生善治五段(17)
大山は、この対戦を突如、2日制にしようと提案したのだ。
この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。
5月21日将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日22日に青森県百石町(現、おいらせ町)に遠征し、そこのイベントで公開対局
対局後の宴会に羽生の出席を要請
羽生は5月24日に富岡英作六段との竜王戦4組決勝予定だった。
羽生は大山の申し入れを承諾し大山に負けた 青森県百石町には当時大山康治後援会があり、現在大山康治将棋記念館が立てられている。 地方イベントやるなら非公式戦でやればいい。
公式戦対局を勝手にルール変更して個人的地方イベントにするとか職権濫用
酷いものだ 藤井が最初に活躍した朝日杯も、羽生ヲタが藤井優遇の盤外戦術だったと歴史修正しそう 中原以降の第1人者は番外戦術は止めたね。
中原の功績。
弟弟子の田中寅彦が番外戦術したが、タイトル1期の弱さで影響力無しw
中原ー谷川ー羽生ー渡辺ー藤井
誰も大山路線は踏まない。 >>7
谷川本人はこう言って完敗だと認めてるのに勝手に「少なからずとも動揺したものと思われます」って
〈最後は形も作れないほどの完敗だったが、不思議と悔しさはなかった。
これだけ完璧に負かされたのでは仕方がない。素直に、大山先生に御礼が言いたい気持ちだったのである。
公式戦の対局数は二十。年齢が三十九歳も離れていることもあり、大山先生にとっては、本気になって負かそうとする相手ではなかったと思う。
事実、苦しい将棋を大山先生の楽観から逆転勝ちするケースも多かったのだが、本局は違った。
大山将棋の神髄を、最後の最後に見せて頂いた〉 >>46
羽生は盤外戦してたじゃん。谷川や中原相手に。 >>44
大山自身がタイトル戦の最中に場所を移して公開対局やって普及に努めてた人だからね 上座に座った羽生に、私の座る場所がない、とクレームをつけたのは谷川だったか
羽生にらみは盤外戦術に入るかもしれない 大山は対局中にタバコを吸って、タバコが苦手な相手に煙を吹きかけていたらしい。
将棋盤の覆い被さるように長考する相手には、暗くしなさんな、とクレームをつけ、眩しいんだよ禿、と逆切れされたらしい。 米長の盤外戦術は中原突撃事件
元女流弟子を刺客として放ち、中原を太陽から泥沼に引きずり落とした。
中原は会長を1期2年だけ務めたあと、米長に会長を奪われ消えた >>52
それ、木村か升田のエピソードじゃね
大山はある時期から禁煙してるし 大山の盤外戦術と言う奴って、羽生は盤外してないと思っているのが笑けるよな
>>7 が盤外になるなら、尿漏れを見て木村は「動揺したものと思われる」し、髄膜炎をマスコミに発表したせいで、豊島は病み上がりの羽生を痛めつけてはいけないような気分にさせられただろう >>53
それもあるがタナトラへの盤外戦術も忘れてはいかん んな根拠もない謀略論みたいな話は止めろよ‥と言いたいところだが米長だったら、さもありなんと思わせるとこがwww 1966年の王将戦では、山田が3勝1敗とリードしました。その第3局の終盤戦でハプニングが起きました。読みに没頭した山田の上体が前傾して盤上に影を落とすことが続くと、大山が思わず「暗くしなさんな!」と声を荒げた。精密機械といわれた読みに狂いが生じて、勝ち将棋をトン死で逆転負けしました。
王将戦は、大山が4勝3敗で逆転防衛しました
(「どきなさい!盤が見えない」と山田に怒鳴りつけた説もある) 将棋界の今があるのは大山が新聞社と懇意にして将棋棋士の食い扶持を作ったから
将棋界において大山の存在は絶対的で大山に逆らえるものなどいない
中原くらい歳が離れてればそんなの知るかってなるかもしれないが歳が近い棋士なんてはっきりいって将棋以前に負けてる
対等な戦いじゃないんだから大山の記録なんて参考記録みたいなもんだよ 大山さん、鬼畜過ぎワロタwwwwww
まあこの時代はマナーも糞もないからな
20年前はNHK杯でみんな空打ち、あぐら指しだった >>66
因果関係が逆。勝負にならないくらい強かったから盤外でも絶対的な存在になったんだよ >>52
安沢 ある方から聞いたことなんですが、大山先生に「タバコをやめる法」を聞いたら、「それは簡単ですよ。いま直ぐやめなさい」と言われたそうです。たしかに今すぐにやめればやめられますね。
大山 思ったときにね。
安沢 先生は前には喫ってられたのですか。
大山 私は昭和34年にやめました。それまでは100本ぐらい喫ってました。
安沢 やめたのはやはり健康を気づかって、ですか。
大山 私の場合はそうでないですね。持ち時間が少なくなり夜中になり、そういうときマッチで擦ったりしてますと何秒かロスが出るんですね。最後の秒読みのとき、59秒しかないものを仮に7秒くらいのロスが出たら大きいですよ。それならやめたほうがいいじゃないか。
安沢 仕事にプラスにならないから。
大山 そうですね。疲れてきて思考力がにぶって、なおかつタバコに火をつけたりしたら、損ですよ。(笑)
安沢 タバコを吸わないと、こんどは人のタバコが気になりますでしょ。
大山 対局はいつも扇子を持ってますよ。あれはリズムをとるためではなくって、相手がタバコを吸ったときには暑い暑いと扇子で風を向こうへやるんですね。煙をはらうためなんですね。(笑)
※安沢英雄さんは、オリジン東秀株式会社の設立者。
この頃は「中華東秀」を展開しており、後に「オリジン弁当」も立ち上げている。 対局中にヒロポンを愛用して勝ちを増やしていた木村義雄は、戦後にヒロポンが禁止となり衰え消えた 2007年名人戦 森内俊之名人―郷田真隆九段
第1局1日目。考慮中の森内が相手の郷田に向かって、「自分の手番のときに扇子の音を立てるのは控えてほしい」とじかに掛け合った。森内は郷田が立てる扇子の音を、対局開始時から気になっていたようだ。森内の要望に対して、郷田はいったん了承した。しかし郷田は、扇子の音は許容範囲ではないかと思い直した。その10分後、立会人を含めて話し合いをしたいと申し出た。
そして協議の結果、森内の手番のとき、郷田は扇子の音に配慮する、ということで決着した。対局は30分後に再開された。森内は興奮して鼻血が出たのか、鼻にティッシュペーパーを詰めていた。翌日の2日目、郷田の手元には扇子がなかった。
森内は郷田に勝ち、永世名人資格をとった 扇子の音にクレームをつけ、鼻血を出して相手を動揺させる森内の盤外戦術が成功
郷田は将棋に集中できずに負けた >>72
なんか、どちらもスケールの小さい話だな… >>65
山田の方も「眩しいので(大山のハゲ頭)頭巾を被ってくれ」と応戦したんだっけ? 福田家事件
第16期棋聖戦 内藤棋聖(30)−大山名人(47)
大山の2勝1敗後、第4局が四ツ谷福田家で予定されていた。
対局日前夜昭和45年7月16日
内藤は到着が少し遅れると事前に連絡してあった。午後6時半過ぎ、二階の部屋に案内された内藤は荷物を置くと、すぐに一階の会食場へと軽い足どりで階段を降りていった。
会食場では大山康晴四冠王をかこんでマージャンが始まっていた。わたしは棋聖の内藤の到着を待ってのマージャンと思って「どうも遅くなりまして…」と挨拶して、内藤とともに食事の席についた。ところがマージャンは続行で、なんと女中さんがお膳を新しくしようとしてかたづけ始めたではないか。すでに食事は終わっていたのだ。内藤の顔色がさっと変わった。無言で立ち上がると足音も荒く階段を駆け昇っていった。大山はその足音を背で聞きながら牌を切っていた。
自室に入って、内藤の憤懣はますます嵩じた。
内藤が関西を立つときは、主催誌の担当者がつきそっていて、やむを得ない事情があって、少し遅れるのは伝えてある。
少しくらい待っていてくれそうなものではないか。
タイトル保持者の面目は丸つぶれだ。
こらえられなくなり、銀座に出て、その夜はしたたかに飲んだ。それに付き合ったのは、芹澤博文だった。
翌日の対局は、もう書くまでもない。内藤は惨敗し、そのシリーズは、1勝3敗で内藤はタイトルを失った。 >>76
まーた老師が書いたデマを広めてるアホがいる とりあえず事実として分かっていることは、
内藤九段がタイトル戦の前夜祭に遅刻したこと
前夜に銀座にくりだして痛飲したこと
対局はボロ負けしたこと
盤外云々を取っ払えばただこれだけのことに過ぎない
そもそも遅刻自体ありえないが、遅刻したあと勝手に不貞腐れて関係者をおいて部屋に入るのもまるで子供
挙げ句の果てに対局前日に飲みまくるのは阿呆としか言いようがない
大山の意図がどうあれ、こんなのでは負けて当たり前 そうだなあ…
タイトル保持者が遅刻してはいかんね
なにをさておいてもこちら優先じゃないと 大山康治50−18 内藤国雄(順位戦大山13-0内藤)
大山康治94−69升田幸三
大山康治116−45二上達也
大山康治78−47加藤一二三
大山康治58−45米長邦雄
大山康治43−9 花村元司
大山康治19−10山田道美
大山康治16−11木村義雄
大山康治24−2原田泰夫
大山康治55−107中原誠
大山康治6−15谷川浩司
大山康治3−5羽生善治
大山康治0−6森下卓
大山康治1−1佐藤康光
大山康治1−1森内俊之 福田屋事件は挑戦者が四冠保持の名人大山であっても、あくまでも主役は棋聖保持者の内藤
藤井棋聖に渡辺名人が挑戦した今年度で例えるなら渡辺が藤井を待たずに先に食事して、藤井をほうっておいて麻雀なんかしてたら大炎上するだろ >>80
大山が将棋世界編集者に命令して都合の悪い記事を削ったのか、酷い奴だ 内藤本人は福田家事件を気にしていなくても、周囲が福田家事件につられて内藤に酒を飲ませて弱らせたのだから同じこと
大山盤外戦術成功 酒をあまり飲まないようにするために6時の宴会に遅れていった
内藤はこの作戦?がうまくいったと思ったのに、自分の気持ちを誤解した芹沢らが内藤を飲みに連れ出した
自分の行動が色々な人に影響を与え、かつ対局にも負けたことに長年つかえるものがあった
25年たち(この間に大山もこの世を去った)、自分の心境を吐露したい気持ちになった
人並みの読解力があればこれぐらい読み取れるだろ?
盤外とか言う馬鹿は内藤の気持ちも踏みにじっていることになる 25年ぶりに明らかになった真実
https://shogipenclublog.com/blog/2015/04/29/
なんと女中さんがお膳を新しくしようとしてかたづけ始めたではないか。
すでに食事は終わっていたのだ。内藤の顔色がさっと変わった。
無言で立ち上がると足音も荒く階段を駆け昇っていった。
私は食膳を片づけているのをみて「有り難い」と思った。
食事は自分の部屋で一人ゆっくりテレビを見ながらとることができる。酒も飲まなくてすむ、助かった。
そう思って、嬉しくてさっと席をたった
実像:計算どおり飲まずにすんでありがたいと嬉しくてさっさと席に立った内藤
虚像:顔色がさっと変わり無言で立ち上がると足音も荒く階段を駆けていく内藤
内藤は布団に入っていた。白い顔だった。
芹沢さんが「とにかくここを出よう」と言っても内藤は目を閉じたまま。
掛け布団をつかんでいる両手がこきざみにふるえていた。
「今日は一人で食事をする。もういいから」と断っても、私が怒りに狂っていると信じこんでいる二人はどうしても引かない。
相手に悪意があるのならこちらも好きなことを言えるのだが、
悲しいことに私を慰めてやろうという善意の固まりである。それには勝てなかった。
実像:飲みにいくのが嫌で布団をかぶり外に出ないアピールをしながら飲みを断り続ける内藤
虚像:白い顔で布団をかぶり両手がこきざみに震えていて今にも精神がズタズタになりそうな内藤
総括:「思い込みが真実を見えなくする。」 「血相変えて立ちあがる内藤、無言で背をむけていた大山―。この瞬間が”勝負”であった。」
全然、違いましたとさ
勝手に脳内でお話を作っちゃうんだろうねえ
漫画じゃねえんだからw
「筆者と芹沢が嫌がる内藤を強引に飲みに連れ出した この瞬間が勝負であった」
本当はこうだったのが、笑えるww
飲まずに嬉しくて席を立った内藤w
おそらくそれに気づいたけど大して何とも思っていない大山w
なんだって、見る人によって変わるんだよ
盤外の言動を盤外戦術言い出したら、何もかもが盤外戦術になる
どのエピソードも「で、それが勝負にどれだけ影響すんの?1%もなくね?」って話ばかりな印象
大山ネタにしろ、羽生の上座事件ネタにしろ、そう思った というか相撲とかほかのスポーツと比べればなんてことはない単なる嫌がらせか被害妄想ばかり
むしろ大山が一部棋士記者連中に嫌われて叩かれてたんじゃないかと思う 羽生の上座事件は谷川本人が心を落ち着けるのに時間がかかったと言ってるんだから影響はあっただろうな 羽生睨みって盤外戦術認定されてもおかしくない行為
割とひどい
大山がやってたら大山睨みは卑怯な盤外戦術とか今頃言われてる
悪いけど上にあるとおりほぼ全て盤上の力で決まるよ
中原が鈍感だから、とか何も関係ないから笑
中原は大山以外にも勝ちまくってる、単に強いだけ
内藤は中原や大山より弱いから名人挑戦もない 簡単なことをこねくり回すな >>91
二日制対局の1日目に早く麻雀がやりたいから双方の持ち時間から1時間ずつ引いて2時間早く1日目終了なんて現代で提案しだけでも大問題、自分の都合なんだから自分の持ち時間から全て引くならまだわかるけど 内藤の大山批判の話は結局
全てが内藤の弱さに起因している
棋力が大山以下なことは、内藤の将棋の弱さ
タイトル戦前夜に飲んでしまうのも、大山や記者のせいにしているが
結局は自分が飲みたくて飲んでいるだけ
飲みたくない人間は飲みに行かないし
飲みたくても我慢する人間は我慢する
6の棋王戦話は論外
タイトル戦だったものを変更とか有り得ない
対局者本人がまず会場で気づくし
マジ話なら一門総出で抗議して大山を追い落とせるレベルのネタ
まあ、内藤が言ったというソースすらない怪しいネタだがね
一ファンが発信しているにすぎない 羽生の山崎説教話はネタ扱いされてるけど
あれ、十分に盤外レベルだから
公開説教とかパワハラだよあれは >>94
羽生だとパワハラ、大山だと相手が悪いとは随分都合がいいな 山崎の何が悪いかおまえが述べればいい
内藤の話は明確にウソなんだから仕方ない
棋王戦第一回がタイトル戦じゃないことは将棋世界に事前に書かれて将棋ファンですら知っていた
内藤が記者と酒飲みに行くのは大山のせいじゃない、自分の意思でしょ
大山の麻雀による時間切り上げが問題にならないのは当然
大山の相手も早く対局つまり仕事が終わり遊びに突入できるのを楽しんでいたからに他ならない >>96
中原は大山さんは1日目は飛車振って、囲って終わりだからいいけど、こっちは考えることがたくさんあるのに困ったってのちに語ってる
中原がタイトルを取ったあとは断れるようになったけど
そもそも中原の棋界の太陽っていう愛称も閉塞感のあった大山絶対王政を打破した開放感から定着したものだし じゃ中原はほとんど断ってんじゃないの
中原は山田から初タイトル取ったんだし
具体的にどれだけ麻雀タイトル戦があったか知りたいねえ 7もよくわかんない
肝臓のあたりをおさえる行為が実は盤外戦術で
って、実はって誰視点で言ってるの?誰視点で確認してるの?
大山に取材して聞いたならともかくそれ以外で実はもクソもないよ
もうちょっと精度高いネタ持ってきて
盤外戦術言ったもん勝ちなら山崎説教も盤外戦だからね >>98
厳密に言うと中原が名人になった後の大山中原のタイトル戦の時に立会人(確か原田)が大山さんの提案がいやだったら断ってもいいって中原に言ってから断れるようになったらしい(大山中原全局集の中原インタビュー)
当時の名人の言うことは絶対っていうのを示すエピソードでもあるけどね ふむ
じゃ大山50代の中原大山タイトル戦は麻雀切り上げなしかな
1の加藤二上への全駒なぶり殺しは盤外戦じゃなく盤上勝負でしかないね
将棋強いからできるだけで
将棋の強さを盤上で見せつけられて盤外戦も何もない
これはただの実力勝負ですね
藤井に終盤力見せつけられるのと大差ない というふうに検証していくと
大山の盤外戦とやらは結局どれとどれで、それがどの程度大山勝利に貢献したの?
そこが常によく分からないんだけど
周りが羽生の永世竜王やタイトル100期願ってるのが丸わかりの状態で
羽生とのタイトル戦やらされた渡辺や広瀬よりキツそうな大山の対局相手が見当たらないんだけどねえ >>101
挑戦者米長邦雄棋王が3勝1敗と大山康晴王将をカド番に追い込んで迎えた第32期王将戦七番勝負第5局は、3月3日、4日、横浜市磯子区の横浜プリンスホテルで行われた。米長、絶対優勢だが、大山は前期、中原誠名人(当時)の挑戦を受けて、やはり第5局を1勝3敗のカド番で迎えて快勝、その後千日手局もはさんで4勝3敗の大逆転防衛劇を演じた実績がある。勝負の流れは、この一局でどう変わるかはわからない。ともに負けられぬ心境で臨んだことだろう。 しかし、2日夕刻、ほぼ同時刻に横浜プリンスホテル入りした二人は、いつもと同じリラックスムード。地元横浜在住の作家、斎藤栄さんのアイデアで、前夜祭に神奈川県の日本酒「王将」(小田原市)が卓上を飾った。大山は「全国歩いたけど、王将というお酒は初めて。小田原にあったとはねェ」とご機嫌だし、米長も「どれどれちょっと味見を」と杯を出しながら「アレ?私はまだ王将じゃなかった。今度は是非”棋王”という酒を造ってもらわなくちゃ……」と軽口を叩いていた。
これなんかは逆に大山が盤外戦をやられた例だけど、今だとこれも結構炎上するかもな >>102
常に対局をリアルタイム配信するようになった現代は対局前後は双方ともにいやな思いはしないでしょ
例えば升田名人の時は常に大山はぞんざいに扱われる被害者側だったし、将棋の強い人は何をしてもゆるされた時代でもある
今の基準ならアウト、当時だと違和感はあっても声を大にして異を唱えるのは憚られたってだけ 盤上の棋力で決まるんだよね
米長が軽口叩けて王将戦棋王戦と連勝できたのも
大山が60歳間近になりさらにまた一段衰えたからに他ならないし
50代はほぼ毎年タイトル戦出ていた大山も
60代は2回だけかな 2回だけというのはおかしいか、60代でだからね笑 >>52
それは木村だよ。大山は医者に煙草が健康に良くないと言われてきっぱりやめた人。 盤外戦術が認定されるのはこれしかないんだよね
勝った棋士が 盤外戦術やりました それで勝てました
と言った場合だけ
それ以外は、負け犬の遠吠えだし
何より証拠がないわけだから
一方的な主観で何とでも言えるやね 上座事件にしろ、それやられたほうが勝った場合は
上座に座られて、私の闘志に火がついた
絶対この勝負勝ってやると奮起したのだった
これで終わるからね 勝てば
よその分野なんてあからさまな挑発いくらでもあるからね
ボクシングとか
挑発されて動揺されて負けたかのような言い分が
そもそもどうなのって感じ >>107
大山にダブルスコアで勝ち越してる中原が大山の盤外戦について語っているんだから大山は盤外戦をやっていた事自体は事実でしょ
その感想が大山が死ぬまで叩かれ続けた二上や内藤なら恨み節だし、勝ち越した中原なら大変だったけど懐かしい思い出って笑い飛ばせるだけ 中原は盤外戦受けなかったと言ってるよ
中原は鈍感なのではなく
中原は大山に勝っているから
大山のすることが別に気になっていないだけ
加藤一二三の奇行が盤外扱いにならないのも
みんな加藤にはまあまあ勝てたから
加藤の盤外戦のせいで負けたなんて、騒がない
大山は中原以外の棋士には強すぎたから
中原が盤外戦あったと言っても、中原の一方的主張にすぎない
証拠がないとね
そして自白以外に証拠は出ないね スポーツや音楽は素人でも感覚的に凄さが分かりやすい
プロの将棋はプロ並みに強くないと凄さが分からないから
一般人でも分かる盤外のエピソードで客寄せせざるを得ない
盤外戦術されたと主張するプロの頭には(多くの場合)それが頭にある。
あるいは記者がそれを求めている
そしてこっちはそれに乗せられているわけだ
タイトル戦の昼食とかもそれと同じ 自白じゃないといけない理由は簡単
周りには大山の麻雀が盤外戦に見えたとしても
大山は本当に麻雀やりたくてやっていただけかもしれないからね
その場合は盤外戦認定はできないのよ
現に多忙な大山が大勢とゆっくり好きな麻雀できるのは
タイトル戦最中しかなかったんだという説もあるからねえ
実際本人は盤上の棋力だけで勝てると思ってただろうね
それがないと話にならないわけで
盤上で自信なくて盤外戦に頼ってたなんてチンケな存在じゃないんだよそもそも
羽生オタの印象操作でそうなってるだけで今の藤井並みに他と棋力差あったから >>110
大内は理事会で加藤の奇行を糾弾した経験がある
大山加藤の対局で当時の千日手は同一手順4回でアウトだったけど、加藤が成と不成で同一手順にしないで永遠と同じ手を繰り返して大山が辟易したなんてこともあった
盤外戦に限らず人同士のトラブルは第三者が見てどう判断するかで自白しなければセーフだったら何でもありになってしまうよ 封じ手時刻を早めることがあったのは
河口の本などに書かれていたが
誰がいつやっていたかは書かれてなかった
渡辺森内のタイトル戦のときに
中原が過去にこういうことがあったと
話して記事になった
そのとき中原以外の対局者のコメントもあったが
断ったといったのは加藤一二三だけだったと思う トラブルはそれでいいけど
大山のはトラブルになってないからね
盤外戦か否かは別にトラブルではないので
羽生の上座事件は割とトラブルになって羽生が自白、釈明させられるハメになったけども 関西将棋会館への貢献
ファンを増やすため日本中の道場行脚等の功績が語られないのは
まったくもってフェアじゃない 内藤が遅刻して酒飲みに行って自滅しただけなんで
トラブルになったら負けるのは内藤のほうなのよね
棋王戦ネタも調べれば大山がタイトル戦だったものを内藤優勝後に一般棋戦扱いしたとか
有り得ないとバレちゃうわけで こう理解している
大山は並外れて闘争心競争心が強かった
一番盤上で勝ちたいと考えるのは当然だが
盤上で勝ちたい上に更に盤外でも勝ちたいと思うのも自然なことだろう
外歩いてて人に追い抜かれたら抜き返さないと気が済まなかったらしいから
スポーツとかでもこういうタイプたまにいるよね >>115
大山の時間折半は定着しなくて、羽生の順位戦でもタイトル保持者が上座に座るのは定着した時点で答えは出てるでしょ
羽生の価値観は万人に認められて将棋界のルールになった 大山先生は、弱者にものすごく優しかった。
会場で掃除をしている人、現地の世話役、一番下の人とかに、とにかく優しくしてくれたのです。
将棋大会では、みんなで盤を運ばなければならないのですが、そういう時も、『ただ立っていてもしょうがないから』と言って自ら運ぶ。
駒をしまう時は、ちゃんと数えながら箱にしまっていました
ネットの世界や若い棋士の中には、大山先生は盤外戦術(話しかけるなどして、相手の集中力をそぐこと)で勝ったと思っている人もいるようですが、そうではありません。
対局中、大山先生は結構つぶやきます。しかも、じっとしていることができないので、
盤のそばに観戦記者がいれば、『最近どう?』などと話しかける。こうしたことが、盤外戦術ととられたのかもしれません。
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180820-OYT8T50015/2/ 盤外で勝ちたいのが自然てのはよく分かる
でも大山盤外戦ネタって言うほど盤外でも勝ちたいネタは無いよね
内藤の自爆ネタ、事実誤認による結果捏造話になってるのはあるけど笑 関西将棋会館作るためにヒマがあれば
寄付金せしめるために企業に出向いて頭下げていたわけだろ
こんだけの貢献者おらんだろ 中原が大山によく勝てたのは次代の大名人だからでしかない
大山は盤外していたのに
中原は鈍感だから勝てたかのような設定が
大山にも中原にも失礼で嫌い
中原が大山にダブルスコアできたのは実力
大山は老いていたのはあるけど
永瀬が羽生にトリプルスコア目前なのと同じ
羽生が老いてきているのはあるけど ―現在、東京と大阪にある将棋会館は大山先生の尽力でできたそうですね。
有吉 ええ、そうです。先生は東京の将棋会館を造られたあと、すぐ大阪の将棋会館の建設に回られたんです。連盟はお金がないですからファンや財界の基金でできたんですが、大山先生がその機関車役でした。東京の将棋会館を建てる時は、たまたま高輪に日本棋院の空き家があって、そこを臨時に借りて私たちも対局してたんですが、大山先生は朝9時に来られて職員と二人で資金集めに出かけられました。夕方6時に帰ってきて反省会をやり、明日はどこどこへ行こうと決められて。そういうお姿によくお目にかかりました。先生は手空きのときは一生懸命、外を回っておられたんですよ。それで東京の会館ができてから1年もしないうちに、「今度は大阪をやろう」と言われたんです。みんなビックリして「これは大山先生、少し指し過ぎじゃないか」と。というのは東京が済んで大阪といっても、将棋ファンというのは東京も大阪も同じでしょう。東京のときは日本で一つの会館ということで賛同を得やすいけど、大阪は二つ目ですからね。 福崎も米長にタイトル戦前に
嫌いな食べ物聞かれて答えたら
当日に出されたって言ってたな 当時、私は周囲から「大山先生に”もう少したってからのほうがいいんじゃないか”と言ってほしい」と言われたことがあります。それで先生に「いまはあまり景気も良くないかし、東京の会館が建ったばかりだから、どうなんですか」と聞いたことがあります。そしたら先生は「大変なのはよくわかっている。時期が悪いって言ったら、いつだっていい時はないんだ。やろうと思った時が一番いい時期なんだよ。自分が元気な間でないと、大阪に会館はできないよ」と言われました。私は「先生がそこまでおっしゃるなら」と言うしかなかった。それでおやりになったんです。でも、やるといってもお金がないわけでしょう。土地もない。しかし会館がどこに建つか曖昧模糊としてたんじゃ仕方がないというので、まず土地を確保しようとなった。それと並行して土地を買う資金を何とかしなけりゃいかんと。つまり二つの難題があったんです。
https://shogipenclublog.com/blog/2020/04/22/ooyamaariyoshi/ 一番盤外戦術しているのは
羽生を何が何でも一番にしたくて
あれこれしょうもない設定している羽生オタなわけで
羽生が2日制になるとライバルによく負けていたときは
長時間将棋になるほど王者とライバルたちの差が縮まるとかぬかしていたわけであって
藤井王者は逆に長時間だとライバルと差を拡げてるけどね
根拠が乏しいのよ、羽生オタの主張は
羽生を一番にしたいという気持ちだけはやたら伝わってくるけど
羽生を一番にするにはフォローする点が多すぎて言い訳がましくなってるよ
大山と藤井両方下げるのも厳しくなってきてるようだし 関西将棋会館を建設するのは不可能に近いという声が強かった。
不可能と言われて「はい、そうですか」と引き下がることは
将棋で言えば難局に遭遇して決戦を放棄するのと同じことではないか。
難局と言われて持ち前の負けん気が首をもたげ、その難局に挑戦してみよう
と私は意気込んだ。もし「不可能」というささやきを耳にしなかったなら
あれほど情熱を傾けて関西将棋会館に取り組んだであろうか。
〜大山康晴〜
会館建設で原動力となったのはやはり大山の負けず嫌いだった 大山の現代では批判の対象になる価値観や行動をなかったことにしたがるのはなんで?
今ではダメだけど当時はそういう時代だったから仕方がないの一言で済む話なのに 羽生の上座事件もそういう扱いで語るならいいんじゃないかい
大山のことだけ声高に叫ぶ馬鹿がいるからね 本当の盤外戦術は渡辺明がやった挑戦者交代くらいだよ。
他は盤上では公平なんだから、叩きのめして周囲を味方にすれば良いだけ。 「A級から落ちたら引退」もある意味盤外戦術とは思ってるが、そんな事を言えたのは大山だけ。周りにもプレッシャーをかけられるが、自分にはそれ以上のプレッシャーが跳ね返るからな。弱い奴が言ったら自分自身が追い込まれておしまい。 >>130
上座問題はその後羽生のやり方が定着した
イチャモンをつけるほうがおかしい 将棋会館作ったからといって大山の悪質行為が正当化される訳ではない。
大山が独裁していた連盟には資金的に不明瞭なとこも多かったらしいが。闇に葬られ終了 大山がやると何でも盤外戦にされてしまうが
第一には公言することによる自分自身へのプレッシャーがけであり
大名人大山が大名人中原に大名人だけのA級降級即引退の心構えを伝達したと考えれば
めちゃくちゃ美談だし大山本人は割と本気でそのつもりだったろ
別に中原を降級させたかったわけじゃあるまいし他の格下たちには関係ない次元の話だから
多分ほんとにめちゃくちゃ美談だぞ
羽生が言えば羽生オタはとっくに美談にしているレベルで >>133
羽生の現代では批判の対象になる価値観や行動をなかったことにしたがるのはなんで?
今ではダメだけど当時はそういう時代だったから仕方がないの一言で済む話なのに >>136
羽生の場合は逆
当初は違和感を感じる棋士が少なからずいたけど、羽生世代やその下の世代は羽生の価値観のほうを受け入れて現代ではそれが当たり前になった >>138
上座下座問題はあくまでも慣習で明文化されたものじゃなかった
ルール違反ではないよ、なぜなら対局規定にはのってないんだから 慣習法てのがあるからね
ルール破ったから謝罪したんだよ
わざわざ明文化しないと理解できない世代がきたと半ば失笑される中でね 中原も谷川も
謝罪文なんて出さなくても
とは止めなかったね
羽生の奴は知っていてわざとやりやがったな
そう見ていた人たちもいるので >>140
では羽生のやり方が定着したのはなぜ?
当時は年長者が異を唱えたら20そこそこの青年は強固に自分の主張は貫けない
逆に今なら異を唱えたベテラン棋士のほうがパワハラで批判されたかもしれない 受験で将棋を休会扱中に芸能活動はけしからんと、女流棋士をマスゴミを使って叩いていた連盟理事や師匠がいた。酷い盤外戦術だった。
さらに、弟子が芸能活動をして心配をかけているせいで師匠が不調になったとストーカーする信者もいたらしい。
女流棋士は大学入学後廃業して消えた 論点のすり替えだけど答えると
羽生が名人になったからかな
ルール違反したから謝罪したことに変わりはないよ >>141
羽生アンチのお前はそう見たんだろ
現代の棋士はすべて受け入れてる話で羽生本人も年下のタイトルホルダーの下座に座っているんだから、当時騒いだ棋士がおかしかっただけ 羽生オタのおまえはそう見たにすぎない
当時の羽生がおかしかっただけ
だから謝罪した
捻じ曲げるなよ >>144
大竹まことは「77歳のじいさんが、14歳のガキに『どうもすいません』って。それはあり得ないだろ。77歳のじいさんだよ。ルールを変えなきゃダメ。勝っても、『戦わせていただきまして、ありがとうございました』って若いヤツが」
これがしっくりくるようなら考え方が古いよ ちなみに
現代棋士が受け入れたとか定着したとかは何も関係ないんで
今は廃止された前竜王を名乗っていた1990年代の羽生や会長はおかしいとか、そういうのないから >>146
だから何で現代は羽生のやり方が定着したんだ?
羽生が間違っていれば定着はしないはずだろ
それとも年長者は無条件で上座に座るべきって考えなのか >>134
むしろあげてた方
1960年代の頃は、現代と比べて棋戦契約金が全体に低かった。連盟の運営は厳しく、棋士はあまり豊かではなかった。そんな状況で当時の理事会は、タイトルを独占していた大山康晴名人の理解を得て賞金を減額し、棋士全体にお金が行き渡る方式にした。それが後述する「基本手当」である。
https://number.bunshun.jp/articles/-/850879 年長者とかじゃなく順位下位が順位上位で前名人中原の上座は有り得ないという話からスタートした問題
年齢上は即上座じゃなくて順位とかで揉めた話だよ >>148
そもそも当時でも賛否のあった話題の否だけを針小棒大に騒いでいるのがおかしい
羽生アンチも大概にしてほしいわ >>142
二上が会長だったから羽生のやり方にするように丸く収めてくれたんじゃね? >>153
むしろ二上だから謝罪文を出すはめになった
会長の二上が弟子の羽生に肩入れするわけには行かなかったし、二上はそういうことをしない人だった むしろ過去のことを適当な噂で判断するのが昭和だろ
>>134
こいつみたいに根拠のない批判ばかり >>150
制度上の連盟資金の話ではない。
連盟の金を個人的に流用していたかもしれないということ。
名球会を長年独裁していた金田が私的に資金横領していたのと同じ構図
大山の会長を辞任を条件に、当時の理事が闇に葬ってしまったらしいが 田丸九段が言うには
大山は不祥事を追及されて
会長を辞職に追い込まれたらしいからな かもしれない
らしい
では厳しいかな、証拠がないといけない次元の話
でないと誹謗中傷になる >>158
だが、大山は事態を冷静に判断していた。1989年将棋連盟会長を退く直接のきっかけになったのは、体の変調だった。肝臓がんと言われたが、精密検査の結果、何でもないということになった。だが、あの時、実は―と大山は考える。もし、がんの徴候が出ていたのなら転移の可能性がある。
https://shogipenclublog.com/blog/2020/04/21/ooyama-48/ 落ち度があるから四冠が謝罪した
落ち度なければ謝罪はイラナイ
シンプル 大山は連盟会長をやめようとしなかった。
大山が連盟会長をやめたのは病気のためだというのは後付けの嘘だろう https://shogipenclublog.com/blog/2014/04/15/
将棋連盟には、対局の席次を明文化した規定はない。それに準ずる序列がある。
「前名人・前竜王の位置付けについて」という理事会決定事項(1993年6月10日)は、つぎのように規定している。
<名人あるいは竜王保持者が失冠し「前」の肩書となった場合の位置付けは、現タイトル保持者の次とする。
ただし、永世(名人・十段・王将・棋聖)の有資格者は、名人・竜王の次とする>
この規定に従えば、永世(名人・棋聖・十段)の資格を持つ中原は
羽生四冠王より序列は上になる(米長名人は永世棋聖)。
1993年6月当時の序列は
名人・竜王>永世有資格者>名人・竜王以外のタイトルホルダー>前名人・前竜王
だったとのこと
この理事会決定事項で思いがけず分かったことは
「ただし、永世(名人・十段・王将・棋聖)の有資格者は、名人・竜王の次とする」
この一文の中にあって
1993年当時にはおそらく
「永世棋王は存在していなかった」ということだ(名人・十段・王将・棋聖しか記載がない)
永世棋王は公式発表どおり1995年にできたのだろう、つまり
「棋王4連覇5期となった米長への嫌がらせで大山会長が永世棋王資格を5連覇のみにした」という説は
どうやら嘘だろうということだ
なぜって、米長が棋王5連覇に失敗したのは1980年代のことなので…
棋王4連覇5期となった米長に「棋王5連覇じゃないと永世棋王あげない」と大山が言ったというのは
後年の米長の作り話ということになる
公式発表どおり、永世棋王の制定は羽生5連覇にあわせた「1995年」でいいと思う そもそも永世資格の制定は、連盟会長の一存で行える話ではない
佐藤康光会長の一存で永世叡王が制定できるか?否だ
基本はスポンサーが決めること
だからこそ条件がバラバラになってしまっている
連盟会長が決めてバラバラなのはむしろおかしい
大山会長が棋王4連覇5期を達成した米長に
永世棋王は5連覇オンリーと突きつけた話は架空のものだったようだ しかし、長期政権になると何かと弊害が生じるものだ。 大山の場合も、大山の親族が経営する取引業者との関係、大山の秘書役も兼ねていた連盟関係者へ の不信感、不自然な人事異動による連盟事務局機能の硬直化、などの理由から退陣を求める声が内部 から次第に出てきた。 平成元年の春。
中原誠棋聖と米長邦雄九段が将棋会館で頻繁に会う光景がよく見かけられ、時には理事会に出て談判 することもあったという。 そうした有力棋士たちの水面下での動きもあって、大山は 同年5月下旬に開かれた連盟定時総会で、大山は会長退任を表明した。 大山に近い立場の理事たちも同じく辞めた。
連盟会長は新理事の中から互選で決められる。 前理事会で専務理事の要職にいた二上達也九段が、新会長に就任した。 世間的には連盟トップは大山から二上に禅譲される形になった。 二上は会長就任の弁で「大山さんにバックアップしてもらいたい」と語った。 しかし大山の心中は決して穏やかではなかったようだ。
新理事会で出版部門を担当した私が、連盟発行の出版物の発行人(連盟会長)の名義変更手続きの件で大山 に会ったとき、「そんなことは必要ない…」と、人前なのに怒気を帯びた口調で言われたのには驚いたものだ。 その大山が会長退任後にこだわったのは、対局や所用で会館に来ると、理事室で会長がいつも座る椅子に 腰をかけたことで、そんなときは二上が席を譲った。
田丸昇 千駄ヶ谷40年ノートより 大山の心中は決して穏やかではなかったようだ
こういう表現て便利だよね
大山が心中語ったわけでもなさそうだし
筆者の田丸が大山を観察して得た心証でもない
じゃ誰が大山の心中穏やかじゃないと判断しているのか
そこをぼやかせる便利な表現
姿の見えない第三者を使うと何とでも書けちゃう
河口もよく使う手
伝聞口調と断定口調を混ぜて書き真実かのように見せる
しかし実態はその大部分が筆者の脳内ストーリー 島朗が語る羽生世代も、あれは島朗の脳内で出来上がった羽生世代
ちゃんと読むと分かるけど
このとき羽生はこのように感じたのではないだろうか
みたいに勝手に決め付けて話を進めちゃってる
誤魔化し方が河口より下手
河口は巧妙 自分の妄想を事実のように書くのが巧み >>166
大山康晴の晩節なんかは大山に関する本の中では代表的な本だけどこれも認めない感じ?
自分の意にそわない内容だから貶すのはどうかと思うがね
少なくとも俺はネット掲示板のどこの誰が書いたかわからない雑文よりも河口や田丸といった関係者が自分の名前を出して書いたものを信じるけどな 筆者の妄想が入っている本は駄目だね
当たり前だけど
本人に取材してねえんだから話にならない
妄想で書くと面白い出来にはなるからおまえレベルには向いてんじゃないの 田丸の文の最後の一文もシンプルにすると
大山が会長退任後にこだわったのは椅子に腰をかけたこと
これ、田丸の妄想だからね
読み解けるようにならないとダメだよ
他人の拘りなんて勝手に決め付けちゃダメだよ
大山が自分で言ったならいいけどね
会長退任後のわたしの拘りは二上会長の椅子に腰かけることです
大山がそう言ったならいいよ、書いても
じゃなきゃ妄想だね >>169
気に入らない記述は筆者の妄想って決めつけるのは浅はかだわ
河口も田丸も大山と同業者で俺たちネット民よりよっぽど大山に近くて、直接会話したり一挙手一投足を見られる立場にあったんだから
そもそもお前さんは大山に会ったことあるのか?会話したことあるのか?
自分の考えに沿った文章だけを読んで、他の意見は感情的に否定するだけでは人として情けないぞ 『晩節』は生涯一等兵どまりの雑兵が大元帥の晩節を描いたという意味で異色のエッセイ本だね
河口の著作は取材や調査の痕跡がなく数字的にもアバウトな記述が目立つが彼はジャーナリストではなくエッセイストなのでそれでよいのである
あくまで専門棋士の余芸でしかない
河口の著述の真偽は読み手の知性に委ねられるのだ むしろ盤上ほとんど大山と対する機会がなかった三流棋士だからこそ、正確な描写かは別としていろいろ書けたのかもしれないね
『晩節』でも結局のところは大山は鬼のごとく強かった、勝ち逃げのまま世を去ったと賛辞で結ばれているから決して大山を貶めるために書いたものではない
河口の著述家としての稚拙さゆえのアンバランス感は全体にどうしてもあるよ >>176
マジだよ
って俺がここで書いたら君は信じるのかい >>58
対局中に観戦記者に事務所の〇〇さんのお〇〇こ見たことある? >>58
対局中に観戦記者に事務所の〇〇さんのお〇〇こ見たことある? >>168
自分の意がどうのではなく、不確かなことをさも事実のように書いているところに違和感を覚える。 河口の話
大山康晴対羽生善治の対局で、大山が優勢な局面で羽生があっさり投了した。投了のタイミングの早さに対局解説の島朗も驚くほどだった。長手数でじっくりいたぶる盤外戦術をかわされたことで、大山は不機嫌になり米長邦雄が勧めても感想戦を行わなかった。
羽生の話
終局後、感想戦が始まったのですが隣で対局をしていた米長先生は私が早く投げたのに釈然としなかったのか私の方の指し手を色々と指摘して下さいました。こうなると大山―米長戦の感想戦という感じで私は駒操作係に徹したのですが、感想戦でもガチンコ勝負という感じでかなり怖かったです。 >>181
雑談の様々なエピソードは河口俊彦(八段)先生の「対局日誌」で紹介をされていますが、かなり話題を選りすぐって書かれていたことに後になってから気が付きました。
盤外で様々な出来事があったのは平成の始めぐらいまでだったと記憶しています。 昨今の対局室はいつも静かで私語も憚られる雰囲気ですし、感想戦も落ち着いてあっさりと終わるようになりました。文字通り、平らに成った時代だったと思っています。 自分は河口さんの著作の愛読者と言っていいだろうが、氏の書いている内容を全て事実だなどと思って読んだ事は一度もないな。
河口氏はこう感じた。こう解釈したという事。人間関係の細やかな綾、ましてや過去の出来事なんて、十人いたら十通りの真実がある。 大山康晴は河口さんのライフワークだったと思う。あんなに書きがいのある対象はめったにないからなあ。 >>184
先崎学九段が明かす「羽生善治が将来を語り、米長邦雄が涙した日々」から
河口さんは将棋の評論に情熱をかけられた先輩(1978年から2006年まで「対局日誌」「新・対局日誌」を連載し、2015年に逝去するまで観戦記を書き続けた)。様々な棋士を魅力的に書いたけど、大山(康晴十五世名人)先生のことはあまりよくは書かれていなかったような気がします。実際にあまり好きではなかった。大山先生は日本将棋連盟会長としての顔のときは、下の棋士に非常に厳しいひとでしたから。でも、河口さんは大山先生のことを本当はリスペクトしていて、晩年に河口さんを囲む会をやったときに「将棋史上、一番強いのは大山康晴だ」といわれました。 >>185
> 大山康晴は河口さんのライフワークだったと思う。
それは違うと思う
たとえば『晩節』は彼のライフワークと呼べるほどまでに丹念かつ緻密に書かれた印象を受けない
団鬼六が遺した小池重明本にはその印象がある
もちろんやっつけ仕事とは言わないが かつて毎週土曜日の午後8時過ぎに、テレビに影武者を登場させて知名度を上げていたらしい 「私とコドは47年歳違い。しかし私が感じたのは不動の山脈のような存在感と威圧感。
ただ座ってるだけで目に見えないような力で圧迫されてるような、そんな不思議な感覚にとらわれたのです。
それ以前も以後も、あのような経験をしたことはありません。
初手合いでは終盤に防戦一方となり、反撃の糸口すらつかむことができず敗れてしまいました。
コドが発する威圧感とは史上最強の棋士だけが持ちうるオーラのようなものだったのかもしれません。
59歳まで王将を保持し、63歳でA級順位戦を勝ち抜いて名人に挑戦、66歳で棋王に挑戦されました。
二度目のがん手術をされたあと、68歳でA級順位戦を勝ち進み、名人挑戦者を決めるプレーオフに駒を進めました。
コドは25歳でA級に昇格されてから連続44期在籍されました。
これは気の遠くなるような偉業です。誰にも真似ができません。」 >>7
>後年、大山は肝臓の手術のことを「腹切っても痛くなかった。なんともなかった。切腹なんて楽なもんだなと思った」と述べています。
プレーオフに進出したのは大山の死の年だが、後年っていつだ?
大山の死後イタコに聞いたんか? 確かに3〜8への反証がいっぱいでてきているのに、再反論どころか反応すらしない1は日本人ではないかもしれないな 頭を使う競技で頭以外を活用するのはただの邪道でいくら勝っても尊敬に値しない ただのクズ でも渡辺明の三浦弘行に対して行ったことより下だよな。
結局三浦は竜王戦挑戦出来なかったんだから。 脇息にもたれて扇子をクルクル回したり、手術した跡を手で押さえてたりしただけで盤外戦術だなどと言われるんだから大山もたまらんなぁ
こんなの相手が大山じゃなければただのイジメだろ 大山があまりにも盤上で強すぎたので盤外のそういうところにケチをつけて憂さ晴らしするしかなかったのかもしれないね
もちろん大山も、おそらく盤外の神経戦の駆け引きは意識していたよ
二上の歌とかね(笑)あれは絶対わざとだ
でもそんなことでピリピリくる二上がダメなんだよ
大山の歌にあわせて自分も鼻歌であわせるくらいの余裕がないとね 火のない所に煙は立たない
何個かはガセネタもあるんだろうが頻繁にパワハラ紛いの盤外戦術をやっていたのは事実なんだろ >>201
ところがどっこい
大山の純粋な棋力は加藤一二三以下だと判明してるんだな >>196
羽生さんが盤外戦術とか使わない正々堂々とした人で良かった 無意識で扇子をクルクルするのは仕方ないかもしれないけど、大山の場合はおそらく意図的にやってるからな
あえて、相手の視界に入るように扇子をクルクルしてたみたいだし 負け犬羽生オタがいかにもいいそう
扇子のせいで負けた 高野山の決戦なんて今やったら大変なことになってるわな おれが負けたのは扇子のせいだ、ってw
負け犬羽生オタにお似合いのセリフだわな 昔の新聞だったらボロクソ書かれるだろうな
上座強奪なんかしたら 最初から大山の威圧感に呑まれているから大山の一挙一動が気になって自滅するんだよ
大山は強い、何をやっても勝てないという苦手意識、先入観、以前は負け下に入るとか言ったかね
大山だって何から何まで神経戦を仕掛けているのではない
大山が咳払いをしただけで盤外戦術だなんて言いかねないな つうか、谷川の件なんて切った腹が痛く無いなんて痩せ我慢だろ。痛く無いと言い張った大山を誉めるべき。藤井なら、痛そうだから早く終わらせましょうってノータイムでボコるぞ。 >>208
森内が相手なら鼻血出してクレームつけまくるレベル 大山康晴全集に載っている各界の著名人との対談を読むと、とにかく大山は自己主張が強いひとだと分かる
例えば呉清源(囲碁の棋士)や大宅壮一(評論家)、徳川無声(弁士)らは大山から見て10〜30歳歳上の人生の先輩の筈だが、臆することなく、時には相手の意見を否定するような内容も含め発言している
俺は大山派だから、将棋界は囲碁や文学界などと比べ劣っていない芸能分野だと主張しているのだな、と思うけど、謙虚さを是とする現代(例えば、藤井が大山風に「佐々木勇気さんはもう少し時間の使い方を考えた方が良いと思いますね」などと言ったらめちゃくちゃ叩かれるだろう)では眉をひそめる人もいるのだろうな、と思う ただこの手のスレが立つのは、大山の実績(傑出度)や将棋界への貢献といった客観的な指標に文句の付けようがないから、主観的なところで難癖をつけているのだろうな、と思っている
将棋界の偉人は誰であれ、難癖をつけられない人はいないからね
大橋宗英は詰将棋の傑作を作る才能がなかったとか、木村義雄は全盛期の棋力を維持する能力に乏しかった、という類いのね >>208
扇子を回すのは相手の手番のときも読みに集中している現れで盤外戦術とかありえない
相手の気を散らすことに余計なエネルギーを使ってたら勝てる将棋も勝てなくなる
藤井四冠も読みに集中しているときは無意識に扇子を高速回転させているし もし大山と藤井四冠が同じ時代に生きていて対戦していたとしたらならば
どういう盤外戦術されていたんだろうな? 大山の残留が決まった瞬間、大盤解説場から大きな拍手が起こったという。若い人に活躍が目覚ましい昨今だが、大山は衰えない人気を持っている。
「いまは対局料や賞金がよくなったせいもあって、勝てばいいという風潮がある。私が若い人に言いたいのは、どの社会でもそうだが、その世界の歴史、流れを勉強し、諸先輩がどの時代にどのようなことをしたか、どういう苦労をしたかを考えながら行動することが大切だということです。自分が勝つことより将棋界のことを考えなければいけない。いま、社会的なニュースとして将棋を取り上げてもらうことが少なくなっている。話題を提供するような内容の将棋と、棋士の人間的なあり方がしっかりしていないと、将棋界は維持できないし、社会から取り残され、衰退してしまう」
大先輩として大山は言う。会長時代も降りた今も、全国を飛び回って、将棋を人々の中にとけこませようと努力している。大山ならではの言葉である。
https://shogipenclublog.com/blog/2019/11/14/ooyama-39/ 大山は次代のスターに普及の大切さを教えようとしたのに、無しの礫だったな
逆恨みするオタもついてるし >>223
これを読むと羽生がいかにクズか分かる。 誰よりも勝ってきた大山だからこそこの言葉に価値があるね
大山じゃなけりゃ言えないことでもある 大山と藤井は100年後でも話題になってるだろうな
歴代の最強棋士の一人に君臨している 大山は盤外戦術で勝星を盗んだカスとして1000年後まで語り継がれているだろう 大名人大山のことが気になって気になって夜も眠れない小名人オタ 「あ、負ける思うと萎縮する。あ、それならフリクラへ逃亡して、負けても目立たないほうが気楽にやれると、結論を出した」
たしかに、このように考えることができれば、気が楽になりそうだ。ただ3割しか勝てない底辺雑魚なのに自分は横綱なんだ言い聞かせて自慰できるかは特別。
森内俊之だから、できたことなのだと思う。 そんな情けない男に永世名人レースで絶対的安全圏リードを持ちながら負けて恥をかいたのが羽生なわけだよ
森内を貶めることはそれ以上に羽生を貶めることに他ならない >>223
テレ東の早指し戦最終回の挨拶で米長会長が同じようなことを言ってたな
テレ東への感謝もそこそこに、若手棋士への憂いや批難わ長々と アイスクリームを溶けるまで食べなくて相手の注意力を反らすのは盤外戦術?w 中原は勝ってはいたけど、大山の番外戦術に内心イラッとしてたって話はあったな。 NHK杯の羽生戦を大山が解説してる動画では、手もよく見えてさすがに強い棋士なんだなとは思った
会館に肖像画飾ったり勝手に永世名人名乗ったり人間性はクズだけどな >>239
永世名人は勝手に名乗った訳ではないよ。会館建設等で企業を訪問する際、肩書きが十五世名人の方が協力を得やすいだろうという理由からだよ。 >>240
「九段に戻らせては気の毒という配慮」からかと本人が書いている
https://i.imgur.com/FH4h4pY.png
会館建設云々という話は田丸がそう推測したと河口が書いただけなので当てにならない >>242
大山が中原に黙って盤の位置をちょっと変えたことがあった
中原はそれに反応してそれはないんじゃないか元に戻しましょうと主張し中原の意が通った
大山がなぜ盤の位置をずらしたのかは分からない >>243
それは加藤とのエピソードでは?
中原誠(十六世名人)が対局室に入ると、2面の盤の位置に不自然さを感じた。
加藤側の盤が中央にかなり寄り、中原側が隅に追いやられている感じだった。
中原は対局前に「少しずらしてくれませんか」と言うと、加藤は「もう決まっていますから」と応じなかった。
中原はいったん引き下がったが、30分後に「加藤さん、やっぱりおかしいよ。
50センチでいいから動かして」と頼んだ。それでも加藤が無言なので、中原が「加藤さん、喧嘩を売るの?」と気色ばむと、
加藤は「いやいや、別に他意はありません」と応じて盤を動かし、その場は治まったという。
http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-2877.html ほかに王位戦での「昼休み無断で盤移動」もあるが
https://i.imgur.com/UoPTTbT.png
https://i.imgur.com/5HejTDc.png
こちらの理由は「ファンが観戦に来るので下座に座る姿を見せたくなかった」ということで
ほぼ判明している >>245
記憶が加藤とごっちゃになってたか
これは失礼 谷川以前の強豪棋士で盤外のエピソードがない人は桐山、有吉、二上ぐらいか
中原も品行方正で欠点のない人物のイメージだったけど、林葉事件で全部チャラにしちゃったからねぇ… 往年の名棋士の火花散るような意地の張り合いは面白い
数年前の某事件のような陰湿なのはダメだ 升田幸三、内藤国雄、花村元司、加藤一二三、山田道美、芹沢博文、丸田祐三、昔は癖だらけの個性派揃いだったな… 将棋界だけではないけど個性派が生きにくい世の中になりましたね 将棋は盤上で全てが決まるゲームで、人生観や盤外の力は何も関係ないという真理を知らしめて、共通認識にしたのは羽生や羽生世代
むしろ藤井君が今のように純粋に将棋に打ち込めることを一番喜んでるのは羽生じゃないかな
羽生が上の世代から受けた嫌がらせは酷いものだった ほんと、大山って吐き気がするほど人間のクズだな
衣塑子みたい 木村義雄から名人を最初に奪ったのが塚田正夫名誉十段である。1947年の第6期名人戦で、塚田32歳の時だ。その2年後に木村に奪回を許してからは再び名人に就くことはなかったが、長年にわたりA級の地位を維持した。
塚田がA級から陥落したのは1972年、57歳の時。名人経験者の順位戦降級はこの時の塚田が初の例となる。周囲から引退も勧められたようだが「私は人のために将棋を指しているわけではない。まだ実戦で指してみたい戦法もあるから」と現役を続行。はたしてわずか1期でB級1組から復帰した。それからは還暦A級を実現した後、63歳で現役B級1組のままガンで亡くなった。 以前は羽生オタにもそれなりの数の論客がいて無知の上にあぐらをかいて羽生最強論をぶっていたものだが、今ではすっかり影を潜めた
大山の実績にはかなわないことを悟ったから―――。
それで、大山の実績に唾をつけることに躍起になっている
八百長していたとか、盤外戦術が酷かったとか
そんなことで羽生の評価が上がるわけでもないのに 羽生も発熱したって言って竜王戦の前日に急に日程変えさせたことあったけど豊島には勝てなかったじゃん
結局将棋は実力が上のものが勝つんだよ そんなんで実力が下のものが勝てるほど甘いもんじゃない
まぁまず大山が番外戦術をしたということ自体確証はないと思ってるけどね わざと嫌われるような嫌がらせみたいなことをやってのは確かな気がする 当時の棋士はプライドが高すぎたんじゃね?
俺が負けたのは実力じゃない!って言い張る棋士が一定数いたのかもしらん 新聞がとかメディアが好き放題書いてただけで
二上なんかは結構否定している
ネットの双方向性の今ですら朝日毎日なんかひどいだろ
新聞が主要メディアの当時なんてやりたい放題なのは自明 >>240
協力を得やすい?
は、笑うw
恫喝しやすいの間違いだろアホw
結局テメーの肩書きが欲しかったんだよ
恫喝しやすい肩書きをね
あーやだやだ女にモテたこともない不細工ハゲの考えることは下賤すぎてな 皆さんすみません、大山信者の娘です
父は有名高校から大学受験に失敗し、高卒でコネで有名企業に入れたのですが。窓際族で定年近くなり周囲に八つ当たりをするようになりました
そんな親子とも地獄のような日々を過ごすなかで、父が将棋に熱中している事が分かりました
私たち家族はそれを良い事と受け止めて温かく見守るつもりでいました・・・
ですが・・・、このスレッドを見てお分かりのように、
父は自尊心を取り戻す為に闇雲に他人と競い自慢するようになったのです
はい、もちろん、将棋で大山が強かったからといって何の自慢にもなりません
大山に自分を重ね合わせて、大山を自慢することで自分が強者だと思いたいのです。
歪んだ自己満足です
本当にうちの父がご迷惑をおかけして、申し訳ありません 昔の将棋指しはそのくらい普通だったんだよ
将棋連盟は誤魔化したいだろうけどw 盤外戦術がなかったら、大山のタイトルや勝数は3割くらいは減っていただろう 1988年の第38期王将戦予選、大山康晴十五世名人(65)対羽生善治五段(17)
大山は、この対戦を突如、2日制にしようと提案したのだ。
この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。
5月21日将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日22日に青森県百石町(現、おいらせ町)に遠征し、そこのイベントで公開対局
対局後の宴会に羽生の出席を要請
羽生は5月24日に富岡英作六段との竜王戦4組決勝予定だった。
羽生は大山の申し入れを承諾し大山に負けた
青森県百石町には当時大山康治後援会があり、現在大山康治将棋記念館が立てられている。
大山康晴(63)「私はA級落ちたら現役やめよう思ってます」
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1644238362/ 羽生九段による山崎公開説教
あれは十分に盤外戦術
名前を入れ替えてごらん
「大山が二上に公開説教」
ほら、羽生オタが好きな盤外戦術だ >>273
こんな年上のおじいちゃんに負けちゃうんだからなw
そりゃ笑うわw 中原永世十段もご機嫌で面白い会話が続く。
「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ(昭和46年以前)。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」 >>275
大山の盤外戦術を「ご機嫌」で話す余裕の中原。
昭和46年以前だと
棋聖戦 3-0
十段戦 2-0
王将戦 0-1
王位戦 0-1
合計 5-2
2日制 2-2
1日制 3-0
名人戦挑戦奪取より前は、2日制互角か、、、
1日制棋聖戦は 3-0 でボコボコなのに。 盤上の棋力で上なら盤外戦術なんて何も関係ないからね
羽生オタはよく大山に負けた言い訳にしているけど中原は言い訳の必要がないと >>277
いや、大山の王将戦と王位戦で盤外戦にヤラれた様子 > 中原
十段戦で勝って2-2にはしたが。
当時は唯一の1日制タイトル戦=棋聖戦が 3-0 だから、
随分と相性が悪いwww 大山は2日制の帝王だからしゃーない
2日制タイトル獲得
中原41(名人15 十段11 王将07 王位08)
羽生46(名人09 竜王07 王将12 王位18)
大山64(名人18 九十14 王将20 王位12) >>279
王位は37歳から12期だからな
羽生は37歳からの王位はたったの6期
すべてにおいて桁違い >>280
王将も28歳から20期、羽生は28歳から9期だからダブルスコア以上の差だよな 羽生の話題とかスレ違い
醜い大山信者だな
大山同様、根性が腐ってる >>282
17 名無し名人 2022/01/12(水) 07:48:14.58 ID:fEi1p2v6
>>16
羽生さんみたいに真剣勝負で勝てよって感じだわ https://taishu.jp/articles/-/100900?page=2
1977年に棋聖戦をかけて争った森九段は衝撃を受けたという。
大山は“盤外戦術”の使い手だったと。
「私との棋聖戦が出雲での対局だったので、一緒に郷土料理の出雲そばを食べに行ったんです。小盛りなので、私は13杯くらい食べたんですね。すると、大山名人は目の前で20杯をたいらげたんです」(同)
これが、大山流の“圧のかけ方”だったのだ。
「“若い者には負けん!”という気迫を前面に出されたんでしょう。仮に藤井さんと対局することになっても、大山名人はきっと、そうした盤外の技も使ってくるはずですよ(笑)」(同) 毎回思うけど盤上の勝負には何も関係ない話ばかりだね 忘れ去られた盤外戦術も沢山あっただろう
一時は連盟会長でもあり、やりたい放題だったし 老師の本だと人の気持ちによく気が付き、的確に嫌がることをするという人だからな 対局中に連盟の仕事してるふりしたり、人と会うとか、今なら処罰もの
1年中対局してる訳じゃあるまいし、対局がない時にできるだろが >>290
スケジュールが埋まっていない日がなかったらしい
康光会長も連盟に残っている大山会長の業務日誌を見てビックリして大いに発奮した結果が今の仕事ぶりになっているとのこと 無理な予定なら、他の理事に回すか断ればよい。
対局中に内職するとか、相手に失礼だし、スポンサーに対する裏切りでしかない 対局中、緊急理事会出席のため離席することは大山だけでなく、当時の理事は皆同じ
対局数が多い大山の場合はとくに重なることが多かった
昼休みの商談が長引いて持ち時間が削られることも珍しくなかった 中原の話からも理事の仕事は皆大変で代わってもらうことなど無理だったし、会長でないとダメなことも多かったんじゃないかな
「僕はそのとき、26歳で理事をやらされた。早すぎましたね。陰謀じゃないかと思ったくらい(笑)。はっきり勝率が1割落ちましたから。あの頃、2日制の対局で1日目に居眠りすることを覚えた。本当に忙しくて身体が持たないんだ」 大山のキモ禿頭が目の前にあるだけで盤外戦術成立
暗くしなさんな、とか大山に言い出されたら禿頭を叩きたくなるだろw 中原永世十段
「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ(昭和46年以前)。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」
大山は対局中に、離席して内職をしてたり、人と会っていたらしい
誰も大山に注意しない
酷いものだ 何か問題あるのかな
相手に仕事押し付けて人と会わせるなら問題だけど自分の持ち時間が減るんだよね 大山
「中原相手に2日制タイトル戦とかつまんないね。もう4時か、どうせ1日目なんだから早くやめて麻雀にしようや。おい、記録係、時間は適当に計算して加えおけ」 https://www.wikiwand.com/ja/盤外戦
盤外戦
公式戦を管轄する日本将棋連盟には、盤外戦について明文化された罰則などはない。そもそもこれが盤外戦であると明確化されなければ、罰則が設定できない。
第一人者となった後の大山康晴は、自身がトップに立ち続けるために、相手に屈辱感やコンプレックスを徹底的に植え付ける、非情なまでの勝負至上主義であった。
・中原誠に名人位を奪われても、「十五世名人」の称号ではなく「大山名人」と呼ぶように相手に強いた。
・相手が長考に入ると、相手の視線を狙って脇に挟んだ扇子を回して集中力を妨げるなどのテクニックもあったほか、他の者と雑談をし始めるということも多かった。
・中原との王位戦で、対局の見学者のためとして、盤の向きを変えようと主張したことがある。
・米長邦雄対内藤國雄のタイトル戦を「あんなのは二軍戦だよ」と大山康晴は言い捨てたことを、大山没後の対談集で語っている。
・大山康晴は、花村元司を破った対局後に「花ちゃん、あんたは所詮素人だもんね」と、真剣師からプロ棋士に転向した花村に痛烈な言葉を浴びせた。
・対局中に記録係が詰将棋の本を手にしていると、大山は「詰将棋なんかは何の役にも立たないよ」と罵って、対局相手の二上の神経を逆撫でた 。さらに、全盛期の大山に二上がタイトル挑戦してきたことで二上に目をつけて、日本将棋連盟会長であった大山は、徹底的にパワーハラスメントで当時理事を務めた二上をいたぶった そんな言いがかりで罰則て
羽生の上座事件くらいだろ
盤外戦で紙面で謝罪させられたのは https://blog.goo.ne.jp/sharon106/e/08d606039e34d734873b5f65897bd52e
1990年の第15期棋王戦。
挑戦者決定戦に進んだのは、大山康晴十五世名人と田丸昇八段だった。
勝てば人生が変わるという一局を、たった12手で失ってしまった田丸の心境はいかばかりだったか。
大差になっても投げられず、田丸はひたすらに指し続けるが、大山は得意の「全駒」態勢で、相手になにもさせずに圧倒。
まさに、血も涙もない惨殺劇だった。
話題になったのは、この後だった。
田丸が無念の投了を告げた後、なんと大山はその場ですぐ、主催者やスタッフと、5番勝負の打ち合わせをはじめたのだ。
ふつうなら敗者におもんばかって、そういうのは別のところでやるものだろうが、これが大山流である。
田丸からすれば、最愛の恋人を奪われたうえに、その憎き恋敵が目の前で、彼女との結婚式と新婚旅行の、セッティングをはじめるようなもの。
甲子園行きをかけた試合に敗れ、泣きながら最後のミーティングをする監督や球児がいる部屋に、勝ったチームがわざわざ入ってくる。
しかも、その目の前で、これ見よがしに入場行進や、校歌斉唱の練習をはじめたら、ぶんなぐられても文句は言えまい。
当時の記事でも、
「はっきり言って嫌味だったが」
そう書かれていたが、こうやって相手に徹底的な敗北感を味あわせ、「負け下」に追いこんでいくのが、大山流の勝負術だった。 現代では盤外戦術なんてやろうものなら袋叩きにあうだろうしやる人は居ないよな 全部大山に負けた側が勝手にストーリー作ってるよね、それっぽく
60代の大山が田丸とのその後の対局なんて気にしてないと思うが… 全エピソードから分かることは大山15世がせっかちな人間だということ
仕事を早く片付けたい気持ちが伝わってくる
とっとと麻雀をしたがる
歩くのも食べるのも早い
打ち合わせも関係者が集まっている機を逃がさない(上記棋王戦の例)
とにかく時間を無駄にしていない優秀な人なのが伝わってくる >>304
奮起して勝てばいいだけなんだよ
嫌がらせされたと感じたらブチ切れて力に変えればいいだけなんだから
羽生オタ同様負け犬ばかりだわ 渡辺並かそれ以上に頭が大きいからな
脳みそがパンパンに詰まっている超有能な人だったんだろうな 嫌な奴というのをそこまで弁護できるのは凄いな
その一点は揺るがないと思うが 大山先生優しいみたいな証言も数多く残っているからねえ
羽生最強ありきのアホ思考で大山の評価を下げたがってる羽生オタはそういうとこ見ようとしないだけで
負けた連中がくだらない負け惜しみ言っているのを放置してたんだから大山は寛大な人だよ 大体いくら負けたって、加藤一二三とか米長は
盤外のせいで負けたみたいなこと言わないんだからさ
言うほうがおかしいよ
山崎が羽生先生に公開説教という嫌がらせされたから負けたんだとしつこくアピールするようなもん 誰かを罰するという話になれば、証拠もなくデタラメ書いてた河口がまず消されることになる
大山二上王将戦の長老話とかあれは両者に対する名誉棄損
違うというなら証拠を出すしかない 長老が誰なのか、その場面を誰が見て誰から聞いたのか
それらを裏付ける録音音声はあるか 河口は継続的に本を出版して堂々と世間に情報発信しながら
別に消されることも干されることもなく大往生を遂げたわけだからな
そこに書き手としての責任感と一定の信ぴょう性を感じるのが普通の感覚だろう
ところが5ちゃんの馬鹿はそれらを全く無視して
匿名で何の根拠もなくただただ「デタラメ」とホザくばかり
まったくどちらが名誉棄損だか考えもの
朝鮮人のような民度だ 河口 は既に地獄へ旅立ってるじゃないか、これじゃ裁判起こせないな
仲間の東公平は、まだ存命のようだが 大山死去 1992/7/26
大山康晴の晩節 2003年発売
二上達也「棋士」 2004/5/29発売
大山の晩節のP48について
>いうまでもないことだが、そんなことはなかった
>「この話が事実だったとしても、大山が長老に頼んだ、ということはなかったろう」と河口七段はことわっているが、
>大山さんの名誉にかかわることなので、当事者として断言しておきたい。
二上達也『棋士』111ページより ついでに二上達也『棋士』の一節
最近の序盤はいつも同じような戦型になり、局地戦で勝負が決まるのでおもしろくない。
そういう将棋が多くなった
ここ十年、コンピュータによる棋譜分析で序盤が大幅に進歩したといわれているが、私は逆の見方をしている。かえって決まりきった手順を追うだけの序盤が増えただけである。
升田さん、大山さんには大きな構想力と自由な発想があった。序盤の作戦にも独創があった こんなのも
「師匠と弟子は死ぬまで師匠と弟子である。師匠に受けた恩は自分の弟子に返す。そうやって伝統が受け継がれてゆくのである」
(二上達也『棋士』43ページ) どっかの場末ゴーストライターが書いたんだろう
そんな本は信用できない >>318
二上の『棋書』は2000年に日経新聞に連載した『私の履歴書』を2004年に単行本にして出版したものだよ
単行本化に際して新たに加えられたのが「河口の八百長話は事実無根」という一節だよ まあバカな羽生オタは、まず一次ソース二次ソースという言葉から勉強しなさい 必死なのは羽生オタのてめーだろ
大山コンプで河口までかついでりゃ世話ないな負け犬
名人9期どまりの雑魚なんて持ち上げやがって笑 馬鹿「書き手としての責任感と一定の信ぴょう性を感じるのが普通の感覚だろう(キリッ)」
馬鹿「だがしかし河口の本は信じるが二上の本は信じない!」
しねよ 当事者に断言されたら普通はそちらを信じるけど
大山をなんとか陥れたい羽生オタはそうではないみたい
外野のC級棋士の「噂話だが〜」の記述を全面的に信じたいんだってさ
動機?大山をおしのけてたかが名人9期竜王7期の十九世ちゃん羽生を史上最強にしたいんだとさ 盤外戦術しかけて将棋世界に謝罪文書かされたのは上座事件で中原谷川にケンカ売った羽生だけ 王将戦で負けそうになった大山が棋界の長老に頼んで
長老から二上にわざと負けてくれるよう頼むという盤外戦術をしかけた
こういう(河口の脳内)設定の話だけど
百歩譲って事実だとしてこれがなぜ外部に漏れるのかという根本的な問題がある
二上は否定しているし当事者なので漏らさない
大山も漏らさない
棋界の長老が漏らした?なんのために?そもそも誰?
何より これらの話が事実だという証拠は
ちなみに河口の作品には都合よく「長老」がしばしば登場します 笑 史上最強の名人大山と
その大山がいなければ永世名人にもなれたと言われる二上の番勝負を汚すような行い
頭の悪い羽生オタくらいしか信用しないとはいえ、とても罪が重いと思う
現代のたかがC級棋士が藤井と渡辺の番勝負に「あれ八百長ですよそういう噂があります」と書くようなものだから 正確に記憶しているわけではないが、二上の『棋書』によると
龍を引いて自陣の「と金」を払っておけば勝てた将棋を逃してしまったので憶測が生じたとしながらも、龍を引かずに▲95歩と端攻めに出たのは勝算があってのことで自陣に龍を引くのは自分の棋風ではない、とキッパリ否定していた >>329
>自分の棋風でない
「攻めて勝つ」自分の棋風に反するということ タイトル戦に縁のない弱小棋士に真剣勝負のことは分からんのだろう
自分の書物を面白くすることしか考えてないのよん 対局中によく軍歌を歌ってたというのがあるけど
たまたま二上相手の時に「たつやたちまち撃滅の〜」と歌って咎められただけなの? 「昔の将棋界は人間力勝負」
「盤上の戦いで優位を築いた大山が将棋でも勝った」
河口の雰囲気だけ本の影響か、上記みたいな謎のノリが好まれるけど
どー考えても盤上の棋力で勝ってるよね
「二上や内藤には盤外戦術効いたけど中原には効かなかった」みたいなのもさ
まるで盤外戦術なければ大山は内藤二上に勝てず
盤外戦術が効けば大山は中原に勝てたかのような感じを漂わせてるけど
いやいやないだろ
棋力が大山>>内藤二上 若き中原>50代の大山
なぜかここをごまかして「盤外ガー」という方向に走りたがる馬鹿がいる
そいつらは総じて棋力低そうだけどな 強いとか弱いとかの問題ではない。
不正に近いことや、現代では不正扱いされることを平気でやる根性が腐ってる
現代で言えば、隠れてソフト指ししているようなもの
そんなキモ禿が勝っても何も価値はない >>335
俺は政界の関係者から、羽生に国民栄誉賞を贈って政権浮揚を図りたいので、どうしても永世七冠を取らせてやってくれ、と連盟に圧力をかけたと聞いたよ
こう書いたらお前はすぐ信じちゃうクチ? 「勿論嘘だけど」をつけないと気がついたら将棋板発の話として広まるぞ 大山
「(中原相手に2日制タイトル戦とかやってられんな)もう4時か、どうせ1日目なんだから早くやめて麻雀にしようや。おい、記録係、時間は適当に計算して加えおけ」
中原
「・・・」 >>326
将棋世界ではなくて将棋マガジン
「書かされた」かどうかは不明
>>327
正確には「真偽は明らかでない噂」が「棋界内部に伝わっている」と書いた
なので噂が存在するのが事実ならば「脳内設定」とはならない 昔から羽生ヲタって何故か老師好きだよね
棋界の稲川淳二だと何回書けばわかるのか 噂といっておけばなんでも書けることになる
なぜなら噂は本人が流して「噂がある」ということもできるから 話しは盛ると面白くなる
河口の創作文章は盛っているからこそ面白い
ただ盛られていることに気づかず真に受ける者もいる (昭和53年の名人戦第1局・仙台にて)
大山「剃っちゃったの?」
森「ええ」
花村「私に断りなしに剃っちゃいけない」
大山「坊主頭が3人になっちゃった」
一同「・・・・・・・・・」
大山「髪の毛がある人は、いろいろな髪型に出来ていいんですよ」
一同「・・・・・・・・・」
大山「我々には、それが出来ない!」 >>1
渡辺明のマスコミを利用して竜王戦対局者にカンニング疑惑をかけて社会的に抹殺した事件は大山超えてるよね。対局者を準備してない丸山に換えて4-2でなんとか勝てた渡辺
事件の方も冤罪確定で賠償金払って謝罪 拝啓、大山康晴 あなたがこの世から去りずいぶん経ちますが
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1650280956/
1 【中国電 - %】 ◆fveg1grntk [] 2022/04/18(月) 20:22:36.62 ID:cd/Ot+4n
まだまだ棋界は謀略にあふれ 平和ではありません
大山康晴
今並べる気がしないとか言ってた三、四年前
飛車を振らないことで 何か新しい将棋を探そうとした
そして今ナツメロのように並べるあなたの棋譜は とても優しい
盤上の向こう居るようなあなたの棋譜はとても優しい かなり前に誰かが書いたんだと思うけど、中原が大山から名人奪取した翌年、中原、大山と将棋記者何人かで温泉行った話しは好きだな。
旅館に着いたらすぐに大山は麻雀やりたいと言って皆を困らせていたのを中原が温泉に入らない選択肢ははないみたいなこと言って皆温泉に行ったと言う話し。やはり大山は何となく嫌われていたのかな。 大山は皆を困らせて従わせてそのプレッシャーを武器にしていた部分は間違いなくあるからな
そこを吹き飛ばせるのは実際中原しかいなかったし、それを後押しする人達もいた 「大山康晴対二上達也のタイトル戦で、大山が麻雀をやるために封じ手を2時間繰り上げることを提案し、二上がこれを受け入れたことがある」と田丸昇が証言している 1988/05/02 〇羽生善治五段-山口英夫七段● 第38回NHK杯本戦
1988/05/10 〇羽生善治五段-日浦市郎四段● 第53期棋聖戦一次予選
1988/05/19 〇羽生善治五段-石田和雄八段● 第14期棋王戦挑戦者決定トーナメント
1988/05/21、22 ●羽生善治五段-大山康晴九段〇 第38期王将戦二次予選 ←←
1988/05/24 〇羽生善治五段-富岡英作六段● 第01期竜王戦4組ランキング戦
1988/05/28〇羽生善治五段-中田宏樹四段● 第07回早指新鋭戦トーナメント戦
1988/06/03●羽生善治五段-泉正樹五段〇 第53期棋聖戦一次予選
1988/05/13●大山康晴九段-福崎文吾七段〇 第36期王座戦挑戦者決定トーナメント
1988/05/21、22〇大山康晴九段-羽生善治五段● 第38期王将戦二次予選 ←←
1988/06/29 〇大山康晴九段-青野照市八段● 第47期名人戦A級順位戦
1988/07/01●大山康晴九段-関根茂九段〇 第53期棋聖戦二次予選
羽生善治がまだ駆け出し(C1級で高校に通学中)の頃に、大山康晴との対戦(1988年5月第38期王将戦二次予選)の前後に過密スケジュールを大山に組ませられた。
しかも大山は途中で対局を一時中断すると羽生を青森県百石町まで連れ出し、そこで対局の再開を強いた上に後援会の宴席まで出席を強要した >>356
連盟から出ている出版物は全て84手目△7一玉のようだ
将棋世界1992年10月号
https://shogipenclublog.com/blog/2014/07/16/ooyama-4/
将棋世界2001年6月号
https://shogipenclublog.com/blog/2017/04/01/manabe-17/
大山全集
https://i.imgur.com/fAGBIsl.jpg
なので可能性としては
・大山の本が間違っている
アマチュア向けに王手飛車の筋を解説した際に
本譜の順と変化が入れ替わった等の単純ミスが考えられる
・連盟の記録が間違っている
連盟の棋譜は記録係が書いた記録用紙そのもののはず
なおかつA級順位戦ともなれば多くの棋士がそれを目にしたはずで
将棋世界の記事はその棋士たちによって検証されていると言える
よってこちらの可能性は低いと思われる >>357
記録係が誤記した棋譜がそのまま残ってしまったと見るのが自然だね
今と違ってリアルタイムで観戦してないし、棋譜が見られるわけでもない
もし、棋譜が並べられていたらその時点で話題になっていたはず
*話題になるとしても俺が棋譜を見たら大山の▲53桂成よりそれより前の二上の△71玉に笑ってしまうところだが
*合法手でないなら誤記に気付くが合法手でかつ勝ちは勝ちとなると誰も誤記とは思わずおかしな解釈をしてしまっただけだろう
一方で、大山の本は公式記録の棋譜が話題になる6年前の1986年に書かれている
大山が解説した通りの棋譜と投了図が正しいか(これなら合理的な手順で矛盾もまったくない)、大山自身は二上の指し手を△61玉と理解していたことになる
どっちだとしても、大山に二上をなぶり殺しにする意図などなかったことになる
そもそも、大山58歳、二上50歳までに大山が二上をなぶり殺しにした棋譜の実例がほかにないとしたらおかしい話だろう >>357
記録係が指し手を書き間違えたという話はただの一度も聞いたことがない
一方で、棋書はゴーストライターが書くケースが一番多いらしい
https://i.imgur.com/8uhDB4o.png
しかも多忙な大山ならば、ほぼ間違いなくライターが書いていただろう
これが関与し得る中で最もミスを犯しそうな気がする
ということで、大山の本が間違っているに一票だな >>360
昔の棋書は山田や加藤が自分で書いているので有名だったな >>360
手書き時代は棋譜の誤記は多かった
ヒューマンエラーはダブルチェックでも見落しやすいのにノーチェックの時代だったからね
合法手でないとか投了に納得が行かないとかの誤記なら後人が棋譜を並べれば気づけるが、そうでなければ気付かないことになる
https://i.imgur.com/QORP8mc.jpg
https://i.imgur.com/20cWtck.jpg >>32
一手決断「大山流攻める三間飛車」というのは見た通りの(ライト層向けっぽい)商品
https://i.imgur.com/0cyOt5F.png
https://i.imgur.com/CpDQGSI.png
https://i.imgur.com/GPw53ik.png
ここに載っているのこそが正しい棋譜で、将世などの記事・論考の方が間違いだと思うのだとしたら
それはもうマトモな将棋ファンからすれば、もはや信じられないレベルのお話だ >>363
ゴーストライターの手で書かれているのは当たり前で今問題にしているのはその内容
ゴーストライターが勝手に棋譜を選択することはありえないし、大山に手の解説をしてもらわずに書くこともありえないんだよ >>361
加藤先生の「そこで私は銀を打った」「大山名人は同銀と応じた」みたいなのは口述筆記では? 50代になっていまさらなぶり殺しにする理由がないように思う
それまで散々勝っているので
それでもなぶり殺ししたというのでも、それはそれで何も問題もない
あくまで盤上でのことなので
個人的には不自然な指し手なので何か記録に間違いがあったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています