大山康晴の盤外戦術酷すぎワロタ
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大山康晴が行った盤外戦術が酷すぎ
そら無双しますわ
https://shogi-oute.com/bangaisenjutu/ >>208
森内が相手なら鼻血出してクレームつけまくるレベル 大山康晴全集に載っている各界の著名人との対談を読むと、とにかく大山は自己主張が強いひとだと分かる
例えば呉清源(囲碁の棋士)や大宅壮一(評論家)、徳川無声(弁士)らは大山から見て10〜30歳歳上の人生の先輩の筈だが、臆することなく、時には相手の意見を否定するような内容も含め発言している
俺は大山派だから、将棋界は囲碁や文学界などと比べ劣っていない芸能分野だと主張しているのだな、と思うけど、謙虚さを是とする現代(例えば、藤井が大山風に「佐々木勇気さんはもう少し時間の使い方を考えた方が良いと思いますね」などと言ったらめちゃくちゃ叩かれるだろう)では眉をひそめる人もいるのだろうな、と思う ただこの手のスレが立つのは、大山の実績(傑出度)や将棋界への貢献といった客観的な指標に文句の付けようがないから、主観的なところで難癖をつけているのだろうな、と思っている
将棋界の偉人は誰であれ、難癖をつけられない人はいないからね
大橋宗英は詰将棋の傑作を作る才能がなかったとか、木村義雄は全盛期の棋力を維持する能力に乏しかった、という類いのね >>208
扇子を回すのは相手の手番のときも読みに集中している現れで盤外戦術とかありえない
相手の気を散らすことに余計なエネルギーを使ってたら勝てる将棋も勝てなくなる
藤井四冠も読みに集中しているときは無意識に扇子を高速回転させているし もし大山と藤井四冠が同じ時代に生きていて対戦していたとしたらならば
どういう盤外戦術されていたんだろうな? 大山の残留が決まった瞬間、大盤解説場から大きな拍手が起こったという。若い人に活躍が目覚ましい昨今だが、大山は衰えない人気を持っている。
「いまは対局料や賞金がよくなったせいもあって、勝てばいいという風潮がある。私が若い人に言いたいのは、どの社会でもそうだが、その世界の歴史、流れを勉強し、諸先輩がどの時代にどのようなことをしたか、どういう苦労をしたかを考えながら行動することが大切だということです。自分が勝つことより将棋界のことを考えなければいけない。いま、社会的なニュースとして将棋を取り上げてもらうことが少なくなっている。話題を提供するような内容の将棋と、棋士の人間的なあり方がしっかりしていないと、将棋界は維持できないし、社会から取り残され、衰退してしまう」
大先輩として大山は言う。会長時代も降りた今も、全国を飛び回って、将棋を人々の中にとけこませようと努力している。大山ならではの言葉である。
https://shogipenclublog.com/blog/2019/11/14/ooyama-39/ 大山は次代のスターに普及の大切さを教えようとしたのに、無しの礫だったな
逆恨みするオタもついてるし >>223
これを読むと羽生がいかにクズか分かる。 誰よりも勝ってきた大山だからこそこの言葉に価値があるね
大山じゃなけりゃ言えないことでもある 大山と藤井は100年後でも話題になってるだろうな
歴代の最強棋士の一人に君臨している 大山は盤外戦術で勝星を盗んだカスとして1000年後まで語り継がれているだろう 大名人大山のことが気になって気になって夜も眠れない小名人オタ 「あ、負ける思うと萎縮する。あ、それならフリクラへ逃亡して、負けても目立たないほうが気楽にやれると、結論を出した」
たしかに、このように考えることができれば、気が楽になりそうだ。ただ3割しか勝てない底辺雑魚なのに自分は横綱なんだ言い聞かせて自慰できるかは特別。
森内俊之だから、できたことなのだと思う。 そんな情けない男に永世名人レースで絶対的安全圏リードを持ちながら負けて恥をかいたのが羽生なわけだよ
森内を貶めることはそれ以上に羽生を貶めることに他ならない >>223
テレ東の早指し戦最終回の挨拶で米長会長が同じようなことを言ってたな
テレ東への感謝もそこそこに、若手棋士への憂いや批難わ長々と アイスクリームを溶けるまで食べなくて相手の注意力を反らすのは盤外戦術?w 中原は勝ってはいたけど、大山の番外戦術に内心イラッとしてたって話はあったな。 NHK杯の羽生戦を大山が解説してる動画では、手もよく見えてさすがに強い棋士なんだなとは思った
会館に肖像画飾ったり勝手に永世名人名乗ったり人間性はクズだけどな >>239
永世名人は勝手に名乗った訳ではないよ。会館建設等で企業を訪問する際、肩書きが十五世名人の方が協力を得やすいだろうという理由からだよ。 >>240
「九段に戻らせては気の毒という配慮」からかと本人が書いている
https://i.imgur.com/FH4h4pY.png
会館建設云々という話は田丸がそう推測したと河口が書いただけなので当てにならない >>242
大山が中原に黙って盤の位置をちょっと変えたことがあった
中原はそれに反応してそれはないんじゃないか元に戻しましょうと主張し中原の意が通った
大山がなぜ盤の位置をずらしたのかは分からない >>243
それは加藤とのエピソードでは?
中原誠(十六世名人)が対局室に入ると、2面の盤の位置に不自然さを感じた。
加藤側の盤が中央にかなり寄り、中原側が隅に追いやられている感じだった。
中原は対局前に「少しずらしてくれませんか」と言うと、加藤は「もう決まっていますから」と応じなかった。
中原はいったん引き下がったが、30分後に「加藤さん、やっぱりおかしいよ。
50センチでいいから動かして」と頼んだ。それでも加藤が無言なので、中原が「加藤さん、喧嘩を売るの?」と気色ばむと、
加藤は「いやいや、別に他意はありません」と応じて盤を動かし、その場は治まったという。
http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-2877.html ほかに王位戦での「昼休み無断で盤移動」もあるが
https://i.imgur.com/UoPTTbT.png
https://i.imgur.com/5HejTDc.png
こちらの理由は「ファンが観戦に来るので下座に座る姿を見せたくなかった」ということで
ほぼ判明している >>245
記憶が加藤とごっちゃになってたか
これは失礼 谷川以前の強豪棋士で盤外のエピソードがない人は桐山、有吉、二上ぐらいか
中原も品行方正で欠点のない人物のイメージだったけど、林葉事件で全部チャラにしちゃったからねぇ… 往年の名棋士の火花散るような意地の張り合いは面白い
数年前の某事件のような陰湿なのはダメだ 升田幸三、内藤国雄、花村元司、加藤一二三、山田道美、芹沢博文、丸田祐三、昔は癖だらけの個性派揃いだったな… 将棋界だけではないけど個性派が生きにくい世の中になりましたね 将棋は盤上で全てが決まるゲームで、人生観や盤外の力は何も関係ないという真理を知らしめて、共通認識にしたのは羽生や羽生世代
むしろ藤井君が今のように純粋に将棋に打ち込めることを一番喜んでるのは羽生じゃないかな
羽生が上の世代から受けた嫌がらせは酷いものだった ほんと、大山って吐き気がするほど人間のクズだな
衣塑子みたい 木村義雄から名人を最初に奪ったのが塚田正夫名誉十段である。1947年の第6期名人戦で、塚田32歳の時だ。その2年後に木村に奪回を許してからは再び名人に就くことはなかったが、長年にわたりA級の地位を維持した。
塚田がA級から陥落したのは1972年、57歳の時。名人経験者の順位戦降級はこの時の塚田が初の例となる。周囲から引退も勧められたようだが「私は人のために将棋を指しているわけではない。まだ実戦で指してみたい戦法もあるから」と現役を続行。はたしてわずか1期でB級1組から復帰した。それからは還暦A級を実現した後、63歳で現役B級1組のままガンで亡くなった。 以前は羽生オタにもそれなりの数の論客がいて無知の上にあぐらをかいて羽生最強論をぶっていたものだが、今ではすっかり影を潜めた
大山の実績にはかなわないことを悟ったから―――。
それで、大山の実績に唾をつけることに躍起になっている
八百長していたとか、盤外戦術が酷かったとか
そんなことで羽生の評価が上がるわけでもないのに 羽生も発熱したって言って竜王戦の前日に急に日程変えさせたことあったけど豊島には勝てなかったじゃん
結局将棋は実力が上のものが勝つんだよ そんなんで実力が下のものが勝てるほど甘いもんじゃない
まぁまず大山が番外戦術をしたということ自体確証はないと思ってるけどね わざと嫌われるような嫌がらせみたいなことをやってのは確かな気がする 当時の棋士はプライドが高すぎたんじゃね?
俺が負けたのは実力じゃない!って言い張る棋士が一定数いたのかもしらん 新聞がとかメディアが好き放題書いてただけで
二上なんかは結構否定している
ネットの双方向性の今ですら朝日毎日なんかひどいだろ
新聞が主要メディアの当時なんてやりたい放題なのは自明 >>240
協力を得やすい?
は、笑うw
恫喝しやすいの間違いだろアホw
結局テメーの肩書きが欲しかったんだよ
恫喝しやすい肩書きをね
あーやだやだ女にモテたこともない不細工ハゲの考えることは下賤すぎてな 皆さんすみません、大山信者の娘です
父は有名高校から大学受験に失敗し、高卒でコネで有名企業に入れたのですが。窓際族で定年近くなり周囲に八つ当たりをするようになりました
そんな親子とも地獄のような日々を過ごすなかで、父が将棋に熱中している事が分かりました
私たち家族はそれを良い事と受け止めて温かく見守るつもりでいました・・・
ですが・・・、このスレッドを見てお分かりのように、
父は自尊心を取り戻す為に闇雲に他人と競い自慢するようになったのです
はい、もちろん、将棋で大山が強かったからといって何の自慢にもなりません
大山に自分を重ね合わせて、大山を自慢することで自分が強者だと思いたいのです。
歪んだ自己満足です
本当にうちの父がご迷惑をおかけして、申し訳ありません 昔の将棋指しはそのくらい普通だったんだよ
将棋連盟は誤魔化したいだろうけどw 盤外戦術がなかったら、大山のタイトルや勝数は3割くらいは減っていただろう 1988年の第38期王将戦予選、大山康晴十五世名人(65)対羽生善治五段(17)
大山は、この対戦を突如、2日制にしようと提案したのだ。
この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。
5月21日将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日22日に青森県百石町(現、おいらせ町)に遠征し、そこのイベントで公開対局
対局後の宴会に羽生の出席を要請
羽生は5月24日に富岡英作六段との竜王戦4組決勝予定だった。
羽生は大山の申し入れを承諾し大山に負けた
青森県百石町には当時大山康治後援会があり、現在大山康治将棋記念館が立てられている。
大山康晴(63)「私はA級落ちたら現役やめよう思ってます」
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1644238362/ 羽生九段による山崎公開説教
あれは十分に盤外戦術
名前を入れ替えてごらん
「大山が二上に公開説教」
ほら、羽生オタが好きな盤外戦術だ >>273
こんな年上のおじいちゃんに負けちゃうんだからなw
そりゃ笑うわw 中原永世十段もご機嫌で面白い会話が続く。
「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ(昭和46年以前)。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」 >>275
大山の盤外戦術を「ご機嫌」で話す余裕の中原。
昭和46年以前だと
棋聖戦 3-0
十段戦 2-0
王将戦 0-1
王位戦 0-1
合計 5-2
2日制 2-2
1日制 3-0
名人戦挑戦奪取より前は、2日制互角か、、、
1日制棋聖戦は 3-0 でボコボコなのに。 盤上の棋力で上なら盤外戦術なんて何も関係ないからね
羽生オタはよく大山に負けた言い訳にしているけど中原は言い訳の必要がないと >>277
いや、大山の王将戦と王位戦で盤外戦にヤラれた様子 > 中原
十段戦で勝って2-2にはしたが。
当時は唯一の1日制タイトル戦=棋聖戦が 3-0 だから、
随分と相性が悪いwww 大山は2日制の帝王だからしゃーない
2日制タイトル獲得
中原41(名人15 十段11 王将07 王位08)
羽生46(名人09 竜王07 王将12 王位18)
大山64(名人18 九十14 王将20 王位12) >>279
王位は37歳から12期だからな
羽生は37歳からの王位はたったの6期
すべてにおいて桁違い >>280
王将も28歳から20期、羽生は28歳から9期だからダブルスコア以上の差だよな 羽生の話題とかスレ違い
醜い大山信者だな
大山同様、根性が腐ってる >>282
17 名無し名人 2022/01/12(水) 07:48:14.58 ID:fEi1p2v6
>>16
羽生さんみたいに真剣勝負で勝てよって感じだわ https://taishu.jp/articles/-/100900?page=2
1977年に棋聖戦をかけて争った森九段は衝撃を受けたという。
大山は“盤外戦術”の使い手だったと。
「私との棋聖戦が出雲での対局だったので、一緒に郷土料理の出雲そばを食べに行ったんです。小盛りなので、私は13杯くらい食べたんですね。すると、大山名人は目の前で20杯をたいらげたんです」(同)
これが、大山流の“圧のかけ方”だったのだ。
「“若い者には負けん!”という気迫を前面に出されたんでしょう。仮に藤井さんと対局することになっても、大山名人はきっと、そうした盤外の技も使ってくるはずですよ(笑)」(同) 毎回思うけど盤上の勝負には何も関係ない話ばかりだね 忘れ去られた盤外戦術も沢山あっただろう
一時は連盟会長でもあり、やりたい放題だったし 老師の本だと人の気持ちによく気が付き、的確に嫌がることをするという人だからな 対局中に連盟の仕事してるふりしたり、人と会うとか、今なら処罰もの
1年中対局してる訳じゃあるまいし、対局がない時にできるだろが >>290
スケジュールが埋まっていない日がなかったらしい
康光会長も連盟に残っている大山会長の業務日誌を見てビックリして大いに発奮した結果が今の仕事ぶりになっているとのこと 無理な予定なら、他の理事に回すか断ればよい。
対局中に内職するとか、相手に失礼だし、スポンサーに対する裏切りでしかない 対局中、緊急理事会出席のため離席することは大山だけでなく、当時の理事は皆同じ
対局数が多い大山の場合はとくに重なることが多かった
昼休みの商談が長引いて持ち時間が削られることも珍しくなかった 中原の話からも理事の仕事は皆大変で代わってもらうことなど無理だったし、会長でないとダメなことも多かったんじゃないかな
「僕はそのとき、26歳で理事をやらされた。早すぎましたね。陰謀じゃないかと思ったくらい(笑)。はっきり勝率が1割落ちましたから。あの頃、2日制の対局で1日目に居眠りすることを覚えた。本当に忙しくて身体が持たないんだ」 大山のキモ禿頭が目の前にあるだけで盤外戦術成立
暗くしなさんな、とか大山に言い出されたら禿頭を叩きたくなるだろw 中原永世十段
「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ(昭和46年以前)。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」
大山は対局中に、離席して内職をしてたり、人と会っていたらしい
誰も大山に注意しない
酷いものだ 何か問題あるのかな
相手に仕事押し付けて人と会わせるなら問題だけど自分の持ち時間が減るんだよね 大山
「中原相手に2日制タイトル戦とかつまんないね。もう4時か、どうせ1日目なんだから早くやめて麻雀にしようや。おい、記録係、時間は適当に計算して加えおけ」 https://www.wikiwand.com/ja/盤外戦
盤外戦
公式戦を管轄する日本将棋連盟には、盤外戦について明文化された罰則などはない。そもそもこれが盤外戦であると明確化されなければ、罰則が設定できない。
第一人者となった後の大山康晴は、自身がトップに立ち続けるために、相手に屈辱感やコンプレックスを徹底的に植え付ける、非情なまでの勝負至上主義であった。
・中原誠に名人位を奪われても、「十五世名人」の称号ではなく「大山名人」と呼ぶように相手に強いた。
・相手が長考に入ると、相手の視線を狙って脇に挟んだ扇子を回して集中力を妨げるなどのテクニックもあったほか、他の者と雑談をし始めるということも多かった。
・中原との王位戦で、対局の見学者のためとして、盤の向きを変えようと主張したことがある。
・米長邦雄対内藤國雄のタイトル戦を「あんなのは二軍戦だよ」と大山康晴は言い捨てたことを、大山没後の対談集で語っている。
・大山康晴は、花村元司を破った対局後に「花ちゃん、あんたは所詮素人だもんね」と、真剣師からプロ棋士に転向した花村に痛烈な言葉を浴びせた。
・対局中に記録係が詰将棋の本を手にしていると、大山は「詰将棋なんかは何の役にも立たないよ」と罵って、対局相手の二上の神経を逆撫でた 。さらに、全盛期の大山に二上がタイトル挑戦してきたことで二上に目をつけて、日本将棋連盟会長であった大山は、徹底的にパワーハラスメントで当時理事を務めた二上をいたぶった そんな言いがかりで罰則て
羽生の上座事件くらいだろ
盤外戦で紙面で謝罪させられたのは https://blog.goo.ne.jp/sharon106/e/08d606039e34d734873b5f65897bd52e
1990年の第15期棋王戦。
挑戦者決定戦に進んだのは、大山康晴十五世名人と田丸昇八段だった。
勝てば人生が変わるという一局を、たった12手で失ってしまった田丸の心境はいかばかりだったか。
大差になっても投げられず、田丸はひたすらに指し続けるが、大山は得意の「全駒」態勢で、相手になにもさせずに圧倒。
まさに、血も涙もない惨殺劇だった。
話題になったのは、この後だった。
田丸が無念の投了を告げた後、なんと大山はその場ですぐ、主催者やスタッフと、5番勝負の打ち合わせをはじめたのだ。
ふつうなら敗者におもんばかって、そういうのは別のところでやるものだろうが、これが大山流である。
田丸からすれば、最愛の恋人を奪われたうえに、その憎き恋敵が目の前で、彼女との結婚式と新婚旅行の、セッティングをはじめるようなもの。
甲子園行きをかけた試合に敗れ、泣きながら最後のミーティングをする監督や球児がいる部屋に、勝ったチームがわざわざ入ってくる。
しかも、その目の前で、これ見よがしに入場行進や、校歌斉唱の練習をはじめたら、ぶんなぐられても文句は言えまい。
当時の記事でも、
「はっきり言って嫌味だったが」
そう書かれていたが、こうやって相手に徹底的な敗北感を味あわせ、「負け下」に追いこんでいくのが、大山流の勝負術だった。 現代では盤外戦術なんてやろうものなら袋叩きにあうだろうしやる人は居ないよな 全部大山に負けた側が勝手にストーリー作ってるよね、それっぽく
60代の大山が田丸とのその後の対局なんて気にしてないと思うが… 全エピソードから分かることは大山15世がせっかちな人間だということ
仕事を早く片付けたい気持ちが伝わってくる
とっとと麻雀をしたがる
歩くのも食べるのも早い
打ち合わせも関係者が集まっている機を逃がさない(上記棋王戦の例)
とにかく時間を無駄にしていない優秀な人なのが伝わってくる >>304
奮起して勝てばいいだけなんだよ
嫌がらせされたと感じたらブチ切れて力に変えればいいだけなんだから
羽生オタ同様負け犬ばかりだわ 渡辺並かそれ以上に頭が大きいからな
脳みそがパンパンに詰まっている超有能な人だったんだろうな 嫌な奴というのをそこまで弁護できるのは凄いな
その一点は揺るがないと思うが 大山先生優しいみたいな証言も数多く残っているからねえ
羽生最強ありきのアホ思考で大山の評価を下げたがってる羽生オタはそういうとこ見ようとしないだけで
負けた連中がくだらない負け惜しみ言っているのを放置してたんだから大山は寛大な人だよ 大体いくら負けたって、加藤一二三とか米長は
盤外のせいで負けたみたいなこと言わないんだからさ
言うほうがおかしいよ
山崎が羽生先生に公開説教という嫌がらせされたから負けたんだとしつこくアピールするようなもん 誰かを罰するという話になれば、証拠もなくデタラメ書いてた河口がまず消されることになる
大山二上王将戦の長老話とかあれは両者に対する名誉棄損
違うというなら証拠を出すしかない 長老が誰なのか、その場面を誰が見て誰から聞いたのか
それらを裏付ける録音音声はあるか 河口は継続的に本を出版して堂々と世間に情報発信しながら
別に消されることも干されることもなく大往生を遂げたわけだからな
そこに書き手としての責任感と一定の信ぴょう性を感じるのが普通の感覚だろう
ところが5ちゃんの馬鹿はそれらを全く無視して
匿名で何の根拠もなくただただ「デタラメ」とホザくばかり
まったくどちらが名誉棄損だか考えもの
朝鮮人のような民度だ 河口 は既に地獄へ旅立ってるじゃないか、これじゃ裁判起こせないな
仲間の東公平は、まだ存命のようだが 大山死去 1992/7/26
大山康晴の晩節 2003年発売
二上達也「棋士」 2004/5/29発売
大山の晩節のP48について
>いうまでもないことだが、そんなことはなかった
>「この話が事実だったとしても、大山が長老に頼んだ、ということはなかったろう」と河口七段はことわっているが、
>大山さんの名誉にかかわることなので、当事者として断言しておきたい。
二上達也『棋士』111ページより ついでに二上達也『棋士』の一節
最近の序盤はいつも同じような戦型になり、局地戦で勝負が決まるのでおもしろくない。
そういう将棋が多くなった
ここ十年、コンピュータによる棋譜分析で序盤が大幅に進歩したといわれているが、私は逆の見方をしている。かえって決まりきった手順を追うだけの序盤が増えただけである。
升田さん、大山さんには大きな構想力と自由な発想があった。序盤の作戦にも独創があった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています