ドストエフスキーPart47 [無断転載禁止]
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0173吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 00:53:15.35ID:uShAU6uy
>>172
> >また来ないとしても同じことである。
> こういう結果より経過を見るのを見逃さずにむしろ重視するドストエフスキーの考え方は好き

おれもここに着目してました。ここで結果より経過を重視するのは、まさにこれは信仰だからだと思います。「まさに必ずそうあるべし」と。

ただ、ここ「(H)人は同胞の審判者たり得るか? 」のところは、うまく説明できないが、強い違和感を感じるのも事実です。
0174吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 01:16:15.46ID:wfaj9gNC
>>173
>ただ、ここ「(H)人は同胞の審判者たり得るか? 」のところは、うまく説明できないが、強い違和感を感じるのも事実です。
素直に言葉を読むと自分はこうなった
ここで言う審判者になり得るは、審判者になるには被告と同じだけ(それ以上)に罪があると自覚する事が必要と言っている
言葉の通りに読むなら、犯罪者しか犯罪者を裁けない、みたいな感覚で言ってるように読める
しかしそもそも裁くのは司法(非犯罪者)が世の法則であると続き、その審判者は犯罪者(自分)であると話を最初に戻しているように感じる
要するに人は人を裁けない事を知ろう、ということかな
裁くものはいないから、罪は認める必要があるけど、裁かないで許しちゃえ!そーすれば自分(見た誰か他の人)でいずれ後悔して回心するだろう
みたいな事を言いたかったのかかもしれない、と読めるんじゃなかろうか
0175吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 20:57:18.44ID:R53stVy5
>>171
>これらは なんという思想だろうか?

いわゆる「悪人正機」に近いものでしょうね
無明の世界にいる罪人が弥陀の「不可思議光」によって覚醒する
ここで注意すべきことは闇に光が訪れて照らされるのではなく
他力によって闇が光り輝き始めて罪業が浄化されて回心がなされる
これは反省や自己批判といったものではない
それゆえ「不可思議」と形容されるしかない

トルストイもそうだけどドストエフスキーの議論には
東方の異教的な発想に近いものがある
まあこの場合はイスラムではなく東洋思想に近いわけですが
0176吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 21:13:02.30ID:uShAU6uy
>>174
> 素直に言葉を読むと自分はこうなった

> 被告と同じだけ(それ以上)に罪があると自覚

原文。

>『自分も目の前に立っている人間と同じような犯人である。否、むしろこの人間の
犯罪に対して、自分こそ最も重い責任があるのだ』

>自分が正直であったなら、いま自分の前に立っている犯人は生じなかった

一側面として「一切のことは大海のようなものであって、ことごとく相合流し相接触して
いるが故に、一端に触れれば他の一端に、世界の果てまでも反響するからである。」

という思想・信仰を内包している。すべては関連してる、すべてはつながり合っている、偶然はない、という。
0177吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 21:17:18.17ID:uShAU6uy
>>174
> 素直に言葉を読むと自分はこうなった

素直に読むことこそ いちばんむずかしいと感じます。ですから、解説書のたぐいは初読のときは
読むべきではない。解説者の境界が入り込むからです。

> 被告と同じだけ(それ以上)に罪があると自覚

原文。
>『自分も目の前に立っている人間と同じような犯人である。否、むしろこの人間の
犯罪に対して、自分こそ最も重い責任があるのだ』

>自分が正直であったなら、いま自分の前に立っている犯人は生じなかった

一側面として「一切のことは大海のようなものであって、ことごとく相合流し相接触して
いるが故に、一端に触れれば他の一端に、世界の果てまでも反響するからである。」

という思想・信仰を内包している。すべては関連してる、すべてはつながり合っている、偶然はない、という。
0179吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 21:30:11.17ID:uShAU6uy
>>175
ぼくの受けた印象は「西洋的な伝統のもとにひじょうに深い思索」であると。

ただ、ひとつ問題が。人間の本能を無視していないか?と。

ここでは司法に限定されてるかのようだが、別の箇所で「復讐心」についても語られている。

悪を憎み、被害を恐れ、被害を受ければ復讐したいのは、とうぜんの生命の法則性である。

つまりここの教えは、一種「本能に逆らった」教えです。なんというか「当事者意識」が希薄でないか。
とにかく(H)人は同胞の審判者たり得るか?の内容を、2ちゃんニュー速などで展開しても
理解するやつは少数でしょう。

論理的な文は書けなかった。諸兄の思索の展開を待つ。
0180吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 21:30:26.29ID:uShAU6uy
>>175
ぼくの受けた印象は「西洋的な伝統のもとにひじょうに深い思索」であると。

ただ、ひとつ問題が。人間の本能を無視していないか?と。

ここでは司法に限定されてるかのようだが、別の箇所で「復讐心」についても語られている。

悪を憎み、被害を恐れ、被害を受ければ復讐したいのは、とうぜんの生命の法則性である。

つまりここの教えは、一種「本能に逆らった」教えです。なんというか「当事者意識」が希薄でないか。
とにかく(H)人は同胞の審判者たり得るか?の内容を、2ちゃんニュー速などで展開しても
理解するやつは少数でしょう。

論理的な文は書けなかった。諸兄の思索の展開を待つ。
0181吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 21:35:57.26ID:uShAU6uy
>>175
ぼくの受けた印象は「西洋的な伝統のもとにひじょうに深い思索」であると。
ただ、ひとつ問題が。人間の本能を無視していないか?と。
ここでは司法に限定されてるかのようだが、別の箇所で「復讐心」についても語られている。

悪を憎み、被害を恐れ、被害を受ければ復讐したいのは、とうぜんの生命の法則性である。

つまりここの教えは、一種「本能に逆らった」教えです。なんというか「当事者意識」が希薄でないか。何か一段高みから
すべてをみおろしてないか?
とにかく(H)人は同胞の審判者たり得るか?の内容を、2ちゃんニュー速などで展開しても
理解するやつは少数でしょう。
キリスト教が偽善的であると解釈されがちなのは、こういうところに由来してないか。誤解を避けるために書きたいが、
「犯人をバンバン死刑にしろ」的な感覚は、大嫌いです。個人的に。

論理的な文は書けなかった。諸兄の思索の展開を待つ。
0182吾輩は名無しである
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2018/10/04(木) 23:39:01.07ID:vSWOT7fR
>>181
>つまりここの教えは、一種「本能に逆らった」教えです。なんというか「当事者意識」が希薄でないか。何か一段高みから
>すべてをみおろしてないか?

見方として、見下ろすと悲観的な結論につなげなくてもいいのかもしれないよ
むしろ当事者という意識を無くしたかったのかもしれない
ドストエフスキーは我やエゴの部分を、自分と他人を分ける部分をどう無くしていくのかにこだわった作家でもあるし、それが不可能と分かっていながら自分が一番認められないイワンの側面を持っていた
法則は本能的であるけど、法則を超える事に生きる意味を探している作家でもある
キリスト教的に言えば隣人愛の到達であるし、東洋思想で言えば無我とか真我なんていうのかな
一切は大海、そういう事なんだろう
0183吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 00:17:14.85ID:Z/kBYshd
>>181
>悪を憎み、被害を恐れ、被害を受ければ復讐したいのは、
>とうぜんの生命の法則性である。


それは科学主義に基づく自然の法則と
ジュネーブ思想と名付けられた市民社会の名誉意識が複合したもので
ゾシマの思想はそういうものではない
仏教思想の時事無碍法界相のようにすべてが連続的であり
それ故に「愛」に基づく融和が生じるといった発想で
「神」というのはこの連続性の最終審級くらいの意味ですね

たとえば検事イポリートによるミーチャの論告求刑は前者の見方で
精神分析や論理学で法としての罪を構築していくが
これは冤罪に過ぎない、しかしこの社会的制裁、つまり「罰」を
あえて汚名とともに引き受けることによって贖罪と自他の救済が生じる
作品の冒頭に記された聖書からのエピグラムである
一粒の麦〜というのはそういう事でしょう

ドストエフスキーはいちおうキリスト教世界にとどまるのだけど
ローマカソリックやプロテスタントと違った独自の境地にいる
0184吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 00:19:13.93ID:Z/kBYshd
法廷闘争部分である最終章は退屈極まりないけど
やはりこの作品の完成度は高い、と言わざるを得ない
0185吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 02:24:14.96ID:YyrNjRMx
>>183
>ドストエフスキーはいちおうキリスト教世界にとどまるのだけど
>ローマカソリックやプロテスタントと違った独自の境地にいる

そうだね、カトリックプロテスタント批判をよく耳にするね
彼は正教会だけどその中でも煙たがられていたくらいだから、もっと異端扱いされてたのかもしれない
だってハッキリと書いている
キリストに近付こうとする事を教理にする教会からすればたまったもんじゃないだろうから
「キリスト教の教えに従い、己のごとく隣人を愛する事は不可能だ。この地上ではみんなが個我の法則に縛られているからだ。我が障害となるのである。ただキリストのみがそれを成し得た。………」
結局、イエスの教えができたのはイエスだけだった、と言ってしまえば批判は免れないと予想でこるのに
0186吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 17:15:04.55ID:yLF64KfG
>>182
>法則は本能的であるけど、法則を超え

なければならないのだ。それはそのとおりだ。
0187吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 17:42:57.93ID:yLF64KfG
>>183
> >悪を憎み、被害を恐れ、被害を受ければ復讐したいのは、
> >とうぜんの生命の法則性である。
>
> それは科学主義に基づく自然の法則と
> ジュネーブ思想と名付けられた市民社会の名誉意識が複合したもので

「市民社会の名誉意識」とは思わない。より本源的な素朴に生命的なものと考える。
右の頬を打たれたら相手の左の頬を殴り返したくなるのが人間生命であり、クリスチャンであってもとうぜん同じ。たとえばw煽られれば煽り返すのが2ちゃんの流儀であり、精神衛生上もよい。
(しかし、精神衛生上は良くても、因果の法則性的には、まったくよくない)
言葉であれ、暴力であれ、この場合なら、相手の修羅界の生命という縁に触れて、自分の修羅界が出生する。しかしその負の力にどうすれば打ち勝てるのか? その方規が問題なのだ。

> ゾシマの思想はそういうものではない

それはまちがいない。「ゾシマの思想はそういうものではない」

> たとえば検事イポリートによるミーチャの論告求刑は前者の見方で
> 精神分析や論理学で法としての罪を構築していくが
> これは冤罪に過ぎない、しかしこの社会的制裁、つまり「罰」を
> あえて汚名とともに引き受けることによって贖罪と自他の救済が生じる

これはゾシマの腐臭に通じている。ゾシマの死臭により、その生涯は汚点をもって解釈されるのか?

>法廷闘争部分である最終章は退屈極まりないけど

ぼくはそう思わなかった。「カラマーゾフの兄弟」に退屈な箇所というものはなかった。ここのところは「自分自身がミーチャ」であるとして体験していく箇所だと感じた。
0188吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 20:18:31.75ID:EVgv+dND
>>187
>「市民社会の名誉意識」とは思わない。より本源的な素朴に生命的なものと考える。

いや、前作の未成年でヴェルシーロフの口を借りて
ギリシア思想における公共性の延長として
市民社会における名誉や相互承認があるのだ、と指摘されているし
カラマーゾフではカソリックやその反動にすぎない
プロテスタント(理神論)によってロシア正教的キリスト教思想の衰弱がもたらされこれが啓蒙主義的科学主義の温床になっているのだ、という考え方です
0189吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/05(金) 20:22:47.22ID:EVgv+dND
>>187
>ここのところは「自分自身がミーチャ」であるとして体験していく箇所だと感じた。

その追体験はあくまでイポリートによって批評的に再構成されたものであり
実際は前章までの生の物語を論理的に再構成した市民的価値判断に過ぎない
この論証性によって有罪が確定されるのだが
ミーチャがこの罪をあえて引き受けるというところに意義がある
0191吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 21:49:58.72ID:yLF64KfG
>>189
> >ここのところは「自分自身がミーチャ」であるとして体験していく箇所だと感じた。
>
> その追体験はあくまでイポリートによって批評的に再構成されたものであり
> 実際は前章までの生の物語を論理的に再構成した市民的価値判断に過ぎない
> この論証性によって有罪が確定されるのだが
> ミーチャがこの罪をあえて引き受けるというところに意義がある

誤解だ。俺が言ってるのは、「前章までの生の物語」から連続するところの「論理的に再構成した市民的価値判断」を押し付けられ、やがて「この罪をあえて引き受けるという」という精神の流れを

そのまま体験せよ、と言ってるのだ。もっと言えばわれわれは皆ミーチャだ。

同じく、
> この地上においては、多くのものが人間から隠されているが、そのかわりわれわれは他の世
> 界、――より高い世界と生ける連結関係を有しているという、神秘な貴い感覚を与えられて
> いる。それにわれわれの思想感情の根元はこの地になくして、他の世界に存するのである。
> 哲学者が事物の本質をこの世で理解することは不可能だというのは、これがためである。神は
> 種子を他界より取ってこの地上に撒き、己れの園を作り上げられたのである。こうして成長す
> べきものは成長し、成長したものは現に生活している。
>
> しかし、それは神秘なる他界との接触感のみによって生活しているのである。もし人間の内部
> にあるこの感情が衰えるか、それとも全然滅びるかしたならば、その人の内部に成長したもの
> も死滅する。その時は人生に対して冷淡な心持ちになり、果ては人生を憎むようにさえなる。
> 私はこのように考えている。

第7篇でアレクセイが、星空と秋の草花の下で、この「神秘なる他界との接触感」を体験した。

師匠の教え通りの追体験をしたのだ。アレクセイとミーチャを信奉するわれわれは、もし老年であろうとも そのまま青年である。アレクセイである。
0192吾輩は名無しである
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2018/10/05(金) 23:36:42.15ID:YyrNjRMx
>>187
>これはゾシマの腐臭に通じている。ゾシマの死臭により、その生涯は汚点をもって解釈されるのか?

この物語は匂いがあるから意味があったのです
罪をあえて引き受ける、というのは本当に難しい
匂い(ゾシマの腐臭もソーニャのまっすぐな目も)とは存在である
多くの人は精神的に何が正しくて何が正しくないのかを頭では理解しているし、人類を愛してさえいる
でもダメなんだ
自分の正しさを「今は」表に出さずにはいられない
匂う相手が現在の目の前に現れると法則も同時に姿を見せて、その姿に圧倒される
人類(匂わない)を愛する事は出来るが姿(匂う)を見せないこと、とイワンは言ったけどね
ドストエフスキーの言う法則を超えられない、というのは個我を消すのがどれほど不可能な事のか、という命題でもあると思う
この匂いに圧倒されて感情をその場で発散させる、が、後で良心に思い合わせて言った事を後悔する
この人間的な矛盾に神秘がある、とドストエフスキーは肯定的にも否定的にもなれないイワンに似ている作家と思うのです
0193吾輩は名無しである
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2018/10/06(土) 00:23:11.98ID:d11CaNTc
>>192
> 自分の正しさを「今は」表に出さずにはいられない

すごい文であり思索だが、上の一行の意味がよく取れなかった。ゆっくりでいいから、もう少し解説してくれ。
0194吾輩は名無しである
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2018/10/06(土) 01:25:26.20ID:kTgePQAd
>>193
単純に、言い返したりするのってその瞬間ムカついたとかっていう理由じゃない
後で言い過ぎたなあー、って思うんだけどさ、「今のその瞬間」は言っちゃうんだよね
なんでかって言うと、相手を目の前にしているから
つまり存在を目の前にすると自尊心ってやつが芽生えるから言っちゃうんだよね
まさにあの地下室の主人公だよ(地下室では人類を愛しているが、扉を開ければ人類は敵になる)
頭(精神)で悪いことって理解しているけど、その瞬間はダメなんだ

つづき>>192
>多くの人は精神的に何が正しくて何が正しくないのかを頭では理解しているし、人類を愛してさえいる
でもダメなんだ

そして以下のあの文に繋がる
他界とは精神的な事=天の種
成長する草は肉体的な事=成長した(例えば草)

精神の世界では人類は姿がない(天の法則):匂わない
肉体の世界では人類は姿がある(地の法則):匂う

一読者の解釈にすぎないけど自分はこう読んだ、という事なので正しいのかは分からないよ
こう言うのは形而上の話なので形而下で正解を決めるのは難しいからね

「(全文:哲学では不可能である):神は種子を他界より取ってこの地上に撒き、己れの園を作り上げられたのである。こうして成長すべきものは成長し、成長したものは現に生活している。」

だからそもそも、精神の種で生まれ地で成長する、という矛盾してつくられているからこの世界で調和させるのは(哲学的な=地上の考え)では不可能、とドストエフスキーは考えたのではなかろうか
で、キリスト(天の考え)を(地の法則)に加えるとどーかな?調和出来ないかな?という読み方です
この辺は正教的な神化とかっていう考えもあるんじゃなかろうか、と思うのでした
0195吾輩は名無しである
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2018/10/06(土) 01:30:52.34ID:d11CaNTc
>>192
この文は詩的に昇華してる。たしかに言われてみれば、あの断章は、匂いや五感に総合的に訴える
インスピレーションが多い。
0200吾輩は名無しである
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2018/10/08(月) 03:10:00.15ID:B3VNvenC
ドストエフスキーが影響を受けたとされるバルザックを読んでいるが、これは傑作だったよ
と、言ってもゴリオ爺さんだけだけどね
個人的にはとてもよくにていると感じた
スヴィドリガイロフっぽいのもいるし、良心と自尊心に悩まされて翻弄する主人公なんて、似ているように感じ、感じるかこそ面白かった
他に影響を与えたのではなく、受けたの作家って誰なんだろう
なんて思っている
0201吾輩は名無しである
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2018/10/08(月) 04:53:18.76ID:mHSUlXjl
>>200
ゴーゴリ、国外ではGoetheかな〜

では〜♪ (-^ ^-)
0202吾輩は名無しである
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2018/10/08(月) 12:33:39.94ID:gripF7YU
影響を受けたのは、ゲーテよりシラー
「カラマーゾフ」なんて全編がシラーだ
ベートーベンが最後にシラーの詩を使って第九を作ったように
もっとも、小林秀雄はこう書いているが
「彼ほど往年のシルレルの夢から徹底的に覚めた作家はゐなかった。当時の流行思想が、コントやミルの衣裳を纏ったシルレルに過ぎない事を彼程明らかに看破したリアリストはゐなかった。」
0203吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/08(月) 21:45:23.74ID:hcPRLY5A
>人間はなんぴとの審判者となることもできない。これは特に記憶すべきことである。
なぜならば、審判者が、『自分も目の前に立っている人間と同じような犯人である。否、
むしろこの人間の犯罪に対して、自分こそ最も重い責任があるのだ』と認めない限り、
この地上に犯人の審判者というものは存在し得ないのである。

たとえば宅間守がここにいたとする。わたしは彼の審判者として指定された。そのとき

『自分は目の前に立っている この宅間守と同じような殺人犯である。否、むしろこの宅間守の

小学生みなごろしの犯罪に対して、自分こそ最も重い責任があるのだ』と認めるのだ。

------------------------------------------------
>これは一見したところ、いかにも気ちがいじみた言葉ではあるが、動かすべからざる真理
なのである。実際、自分が正直であったなら、いま自分の前に立っている犯人は生じなかっ
たかもしれない。

じっさい自分が正直であったなら、いま自分の前に立っている宅間守は生じなかった!

それはなぜか?「いっさいは大海だからである。いっさいはつながり合っているからである」

------------------------------------------------
もし宅間守が自分の前に立って、自分の心のままに審判される宅間守の罪を、自ら負うこと
ができるならば、猶予なくそれを実行して、自ら犯人のために身代わりで死刑になり、宅間
守はなんらの譴責(けんせき)もなく赦してやるがよい。

これは古代部族社会ならできたのではあるまいか?ひとりの超権力者に願い出れば、こんな
ことも可能だったのではあるまいか?
0204吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/08(月) 21:51:18.37ID:hcPRLY5A
さてこの「きちがいじみた言葉」には続きがある。

>なお事情の許す限り、この精神をもって行動するがよい。
0205吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/08(月) 23:50:27.85ID:hcPRLY5A
「いっさいは大海だからである。いっさいはつながり合っているからである」

そのためだけではなかろう。この精神は重要なかんがえ
0207吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/08(月) 23:59:15.15ID:DBwSR6Uu
死刑廃止国家では宅間は「罪人」ではない
何故なら彼はそう生まれついたのだから
0208吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/09(火) 11:32:26.07ID:TUzb6m/n
ドストエフスキーが出した結論が古典ロシアキリスト教への回帰ってのがなんかなあ
今の時代に生きていたら結論変わっていたのだろうか
0209吾輩は名無しである
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2018/10/09(火) 20:04:29.36ID:aSYchKsa
>>207
> 死刑廃止国家では宅間は「罪人」ではない

宅間のみが罪人なのではない。すべての人間が罪人です。ぼくのなかで、ぼくの信仰にもとずき「罪」という言葉をキリスト教概念で考えていないが。

> 何故なら彼はそう生まれついたのだから

これについては、深い意味があるかもしれないですね。
0210吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/09(火) 20:11:41.88ID:aSYchKsa
>>208
> ドストエフスキーが出した結論が古典ロシアキリスト教への回帰ってのがなんかなあ
> 今の時代に生きていたら結論変わっていたのだろうか

宗教的価値というものは、時代によって移ろうものではないとおもう。それが、真実の普遍性をもつものならば。
たとえばゾシマの説教集におさめられた言葉を明確に批判して「ではどうすべきか?」対案を出せる
賢者というものはいるのか?
そこにキリスト教信仰が書かれていても、ぼくは仏教と究極的には完全に合致すると思う。

神とか仏とか世界解釈の観念が異なっていて、思想がちがうから、生き方も変わってくるかもしれない。しかしそれでも「究極的価値は一致する」と感じる。
0211吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/10(水) 19:51:58.33ID:JtgaVTPx
カラマーゾフの隣人愛ってさ、結局はスメルジャイコフも愛せるのか?って事だよね
すべての人が罪人であってすべての人を愛さないと許さないといけないならば、犬にグギのついたエサやりを楽しめるスメルジャイコフの人間性も愛せるし許せるってことになる
同じ人だから、と
それはそれでどーなんですか、とも思うのです
0212吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/10(水) 21:49:59.34ID:mC4QuKCs
ついさっき、衝撃の事実を知った
お気に入りだった援交ものの動画で、「中学2年生、14歳」と自己紹介していた子が、
実は、高1だったらしい
マジで吐き気がする・・・、JKみたいなババアで今まで抜いてたんだぜ・・・
おぞましい・・・、気持ち悪すぎ・・・
0213吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/10(水) 21:57:48.60ID:kPBKj4o9
>>211
> カラマーゾフの隣人愛ってさ、結局はスメルジャイコフも愛せるのか?って事だよね
> すべての人が罪人であってすべての人を愛さないと許さないといけないならば、犬にグギのついたエサやりを楽しめるスメルジャイコフの人間性も愛せるし許せるってことになる

> それはそれでどーなんですか、とも思うのです

隣人愛、愛という言葉のとらえ方が違うんじゃないですかね?

> 同じ人だから、と

じっさいあなたもわたしも、そういういのちを持っているんじゃないですか?
0214吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/10(水) 22:13:32.70ID:4qsYHm38
テスト
0215吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/10(水) 22:32:24.44ID:4qsYHm38
テスト
0217吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/10(水) 23:40:21.14ID:d9yG/5U7
>>213
隣人愛を否定しているわけではないですよ
ただなんと言うか、現実的にスメルジャイコフを愛するって言うのは難しい
でもそこまですることを宗教は求めている
アリョーシャですら一時は彼を嫌悪したのです
0218吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/11(木) 00:13:29.79ID:vP9eoZPE
>>217
スメルジャコフにも いいところはあるんだぜ?

小さいころに彼は、猫を絞め殺して、あとで葬式のまねをするのが大好きであった。
そのために敷布をひっかけて法衣の代わりにして、何か香炉《こうろ》の代わりに
なるものを猫の死骸の上で振り回しながら、讃美歌をうたったものである。これは
厳重な秘密裡《ひみつり》にこっそりと取り行なわれた。ある時、そういうお勤め
をしているところを、グリゴリイに見つけられて、鞭《むち》でこっぴどく折檻
《せっかん》されたことがある。するとこの子供は片隅へ引っこんでしまって、
一週間ばかりというもの、そこから白い眼を光らせていた。『このできそこないはわ
しやおまえを好いていねだよ』とグリゴリイは妻のマルファ・イグナーチエヴナに言い
言いした。『いや、誰ひとり好いていねんだよ。それでもてめえは人間なのかい?』と、
彼はだしぬけに当のスメルジャコフに向かって、こんな風に言うことがあった。
『うんにゃ、てめえは人間じゃねえ。湯殿の湿気からわいて出たやつだ、それがてめえ
なんだぞ......』それはあとでわかった話だが、スメルジャコフはいつまでもこのことば
を恨みに思っていた。

------------------------------------------------
このエピソードを読んで、これは「じっとこらえて今に見ろ!」の精神だと思った。

自分にとってはイヴァンなんかよりよっぽど彼と仲良くなると予測する。

こういう悔しさと人生の辛酸をなめなければ、けっして人生の本当の意義などわからない。
0219吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/11(木) 01:28:06.82ID:t7K8T7VR
>>218見て思った
亀山訳はクソ
0220吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 01:29:58.85ID:puLYUqpY
今キリスト教は同性愛を受け入れようとしている
それは同性愛者がそう生まれついたのは神が彼らをそのように作った、とするためである
それはつまりクレプトマニアのような異常性癖からスメルジャコフのような類まで
「すべて受け入れる」ということになる
受け入れるとは「行為を容認」することだろうか?
すべて許してそのままにしておくことだろうか
0221吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 01:57:29.91ID:1xKF9Hdh
人に迷惑をかけないのなら問題なしでしょ
異性愛者だって他人に迷惑をかければ処罰され規制される
0222吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 02:43:19.31ID:puLYUqpY
カトリックの同性愛者司祭は同じ同性愛者とことに及んで処罰うけたで
0224吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 02:46:44.86ID:3Ihz8cgu
>>220
容認でしょうね
容認するとは相手を理解することで人格を認めているわけですし、自分の良心との呵責もあります
肯定的にも否定的でも、そこまで分かった上で相手を尊重するならば、それはもはや寛容じゃないでしょうか
いいわけもでいますしね
あくまで寛容に接したんだよ!みたいに
自分の規範は崩さずとも寛容になることはできるんじゃないでしょうか
と、ヴォルテールの言葉をいくつか借りましたが
0225吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 02:49:14.08ID:puLYUqpY
キリスト教の一番の過ちは「自分でないものになろうとする」ではないのか
ゲイでない人間がゲイになり、それがソドムになった
真実の同性愛者である限りは神は「私はあなたをそのように作った」というだろうが
そうでない人間にはそれを偽ることがすべての悪徳
それを促すことも悪徳で、その考えを利用することも悪徳
0227吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 02:53:03.78ID:puLYUqpY
「私は盗人のような人間ではありましたが、心の弱い人間だったので促されるままに盗人になりました
それは神が私を弱い人間にお作りになられたためです」

これが許されるはずがない
0228吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 02:53:43.02ID:puLYUqpY
間違えた

「私は本来盗人のような人間ではありませんでしたが、心の弱い人間だったので促されるままに盗人になりました
それは神が私を弱い人間にお作りになられたためです」
0229吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 02:54:48.55ID:HrWVcRnz
一方でキリストのいう許しは、自己を許すように相手も許しなさいという事だから、これは理想ではあるけれど難易度が一気に上がりますね
>>220の言う通りにこれはキリスト教での話だから、理想はそうなんだけど、キリスト教の話ならばそもそも同性愛は神の禁止なわけであるから、許す許さないとは次元がちと変わってくるようにもおもわれますね
こういう善悪にすり替わってしまうような問題は、つくづく難しいと思わされます
0230吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 03:01:25.57ID:3Ihz8cgu
>>226
正しくはないですね
同性愛は寛容になれるかもしれませんが、あの猫は寛容になれる自信はないでしょう
0231吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 03:10:36.85ID:3Ihz8cgu
>>225
>キリスト教の一番の過ちは「自分でないものになろうとする」ではないのか
そうですね、自分自身が自己であろうとすること、そして神との関係に自己の関係を置く事、が理想なのかもしれません
そうですね
それに神がそうつくった(ように見えるから)、だからなんでもしていいというのは暴論です
母親に駄々をこねてる子供のようですね
ドストエフスキーが再三いった自由意志がないですからね
0232吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 04:09:34.63ID:t7K8T7VR
カラマーゾフの兄弟読んで思うんですが
アリョーシャはイワンの大審問官に反論できてませんよね。
2部でするつもりだったのでしょうか
0233吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 09:44:54.70ID:puLYUqpY
>>230
でも猫の屠殺が広く受け入れられてて野良を殺すのは何の罪にも問われない国だったら?
日本でもイノシシでやるならOKだろう
その善悪の規範は何を元に考えられる?
0234吾輩は名無しである
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2018/10/11(木) 10:48:34.23ID:3Ihz8cgu
>>233
この場合の善悪の規範は文明性ではないでしょうか
誰もが獣性をもっていますが、それに蓋をする事が文明国ではモラルになっています
猫を殺して葬式をあげるのは残虐に見えるだから文明はそれを排除する、ということです
しかしそれは時代や背景で変わる規範にすぎないので、あなたの言うような普遍的なモラルはそこにはないと思います
0236学術
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2018/10/11(木) 17:41:10.15ID:quFi0ziG
文学の手本の様に人生の本質的な問題が語られる、どの文字フレーズにもね
このスレッドは秀逸。
0237オニオン
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2018/10/11(木) 23:42:33.08ID:0bdluwRa
文学的評価としては白痴>カラマゾフ>罪と罰なんだろうけど、私は悪霊が好きですね
0238吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 02:29:29.93ID:mpswOClh
>>232
イワンが話し終えるとキスしてそれ終わりですね
否定がるが理解し得るため、そもそもイワンの叙事詩はキリスト賛美でしかないことを理解し、沈黙しか残ってはいなかったんじゃないでしょうか
間接的には、その後にあるゾシマの講談でどれを為し得ているように、思えます
ここでも、プロとコントラスですね
0239吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 05:42:41.17ID:vJMktrQf
614 もしもし、わたし名無しよ (ワッチョイ 67be-gyKE)[sage] 2018/10/11(木) 19:31:01.43 ID:SGMbgWVM0
自分はアンティークドールに累計で4億円程使ってます
皆さんはどのくらい使ってるんですかね

やっぱ累計だと10億以上ですかね
自分は4億円程なので恥ずかしい限りですよ
0240吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 18:57:54.76ID:vN7FCT8e
「未成年」の節約生活ノウハウは過小評価されている。
0241吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 19:25:42.65ID:VJrcb/VJ
キリスト教にすがるんじゃなくてもっと具体的に救える結論を出してほしかった。
古典キリスト教への回帰でネリーやイリューシカ、ボルゾイに殺された少年が救われるとは思えない
結局ドストエフスキーの出した答えは絶対的な何かにすがりつくことを推奨する弱者の理論でしかない、
0242吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/12(金) 19:26:17.74ID:VJrcb/VJ
ドストエフスキーにサピエンス全史を読ませてあげたくなった
0243吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 21:27:30.09ID:xSa6BW30
>>241
自分にとって思考しやすくするために「キリスト教」を「宗教・信仰」一般と置換して考えてみる。

> キリスト教にすがるんじゃなくてもっと具体的に救える結論を出してほしかった。

「宗教・信仰にすがる」という表現はあなたの偏見が入り込んでいると思う。「すがる」という側面もあるが、じっさいには「宗教・信仰」とは自己との闘争である。

> 古典キリスト教への回帰でネリーやイリューシカ、ボルゾイに殺された少年が救われるとは思えない
イリューシカとは、カラマーゾフのイリューシャのことと思うが、イリューシャは死んでいるのである。死者を救済するのに信仰以外のなにがあるというのか?

死者も生者もともに救われるという信仰以外に?

>絶対的な何かに「すがりつく」ことを「推奨」する「弱者」の理論でしかない、

この文はすべての語句を意図的に 、信仰を卑小なものへと おとしめんとする通俗的意見の踏襲にすぎず、まったく説得力がない。

たとえば「推奨」の語であるが、いかなる信仰でも推奨などしない。「この信仰以外には救いの道なし」と説くのがふつう。
無信仰者には「地獄あるのみ」と。
0244吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 21:33:45.40ID:xSa6BW30
いちばん弱い人間とは「信仰を持たない人間です」

最強なのは、強固な信仰をもつひとです。

自己の知恵・自己の体力・パワー。財力。そんなものは、本物の信仰者の前には風前のともしび。

天才的知能もスキルも信仰がなければ「いざという時には無益」となる。
0245吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/12(金) 21:35:47.07ID:xSa6BW30
>>242
> ドストエフスキーにサピエンス全史を読ませてあげたくなった

貴方自身よく分かってると思いますが、ドストはそんなものとは次元が1000段階違うのです。
0246吾輩は名無しである
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2018/10/12(金) 23:31:46.86ID:VJrcb/VJ
貧困や病気に対してキリスト教がなんの効果を持つのか?
ドストエフスキーが地下室の手記で批判した物質主義によって皮肉にも医療が発達し、貧困に対するセーフティーネットもしかれるようになった
現代の先進国で、ネリーやイリューシャのように虐げられた人々の死という悲劇はほぼなくなったではないか。
0247吾輩は名無しである
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2018/10/13(土) 00:31:34.89ID:5+0cdg8q
注意深く書くから、注意して聞いてくれ。

あなたの物の見方は、単純化に走ってる。ぼくも意図的にそれをやるが。

つまり科学・物質主義と信仰を対峙させることです。ぼくの能力では書けないから、ゾシマから引用しよう。こんど。
一例を挙げるが、>虐げられた人々の死という悲劇は「ほぼ」なくなったではないか。

とあなたは書いた。ところが現実は、リアルは、どうですか? 「ほぼ」なくなったんですか?

医療が発達して、病気は撲滅されたんですか?人間は不死となったんですか?否。病気だらけです。

病気を治す根源の力は、本人の生命力です。それを強靭化させるための宗教であり信仰です。

そしてそのとき選択できる最善の医療と薬を使う。最高の合理性こそ信仰です。

>貧困や病気に対してキリスト教がなんの効果を持つのか?

この命題自体はよくわかります。多くのひとが宗教不信なのも。そこにはそれなりの根拠がある。

邪宗教も多いかもしれない。信仰をしていても「え?」という人間性も多いかもしれない。

こうした無信仰者の疑惑や見当ちがいな誤認識にたいし、説得力ある筆致で信仰の絶対的必要性を

描けたからこそ、ドストエフスキーは不滅の作家・人類の教師とも呼ばれる存在となった。
0248吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/13(土) 01:16:27.80ID:++stcdQG
>>246
神の不在という中で、科学が貧困という悪徳を排除したのは人類の進歩でもありますね
ドストエフスキーは貧しさを嫌悪しています
そういう一面もあったと思われます
ドストエフスキー自身も科学の発展や物質主義が欠かせない事を認めつつ、しかし一方で物質主義が生むニヒリズムとの葛藤があったのでしょう
引用してみます、一読の価値はあると思いますよ
0249吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/13(土) 01:18:02.40ID:++stcdQG
つづき

「今こそ人間は生活を保障された。
今こそはじめて人間は本領を発揮することだろう! もはや物質的窮乏はないし、すべての悪徳の原因だった、人間を蝕む《環境》ももはやない。
今こそ人間は美しい、正しいものになるだろう! もうこれからは、どうにかこうにか暮らしてゆくための絶え間ない労苦はなくなり、今やだれでも高尚で深遠な思想や普遍的な現象に関心をもつようになる。
今、今こそやっと最高の生活がやってきたのだ! 
だが、おそらくこうした歓喜は人間の一世代ともつまい! 人びとは突然、自分たちの生命がもはやほろび、精神の自由も、意志も個性もなく、だれかが何もかも自分たちから一遍に盗んでしまったのだということに気づくだろう。
人間らしい顔つきは失せ、畜生のような奴隷の姿、形、畜生の姿が、やってきたのだ。」
作家の日記より
0250オニオン
垢版 |
2018/10/13(土) 09:17:53.64ID:d7ShAYUU
ロシアが宗教なんかぶん投げて共産主義に走ったのは正解だった
0251吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/13(土) 13:56:23.36ID:kugnVjQE
精神の衰退は三島由紀夫や荒木貞夫も言ってましたね
精神が豊かな状態ってなんでしょうか
物質的に貧しくても信仰に厚かった中世ヨーロッパの人々たちの日常的状態でしょうか?

「隣人愛」を説いておきながら、「精神的に豊穣な人々」は十字軍に代表とされるように異教徒として虐殺しましたよね。

ワルコフスキー、子供を殺した人、スヴィドリガイロフよりよっぽどたちの悪い人だと私は思いますけどね。
0252吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/13(土) 16:33:21.99ID:5+0cdg8q
>>248
> 神の不在という中で、科学が貧困という悪徳を排除したのは人類の進歩でもありますね
> ドストエフスキーは貧しさを嫌悪しています

-----------------
「じゃ一体、貧乏で暮らす方がよくって?」
「もちろんです。」

ドストエフスキーが貧しさを嫌悪してるのではなく、人間は貧しさを嫌悪する。同様に、病と老いと

死を嫌悪する。ところがアリョーシャは「貧乏で暮らす方がよい」と断言する。

それはなぜか?
0254吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/13(土) 18:12:53.42ID:5+0cdg8q
人類に対する奉仕とか、人間の同胞的団結とかいう思想が、だんだん世の中に 湮滅
(いんめつ)していって、今ではほとんど冷笑をもって迎えられるようにさえなった。
実際、みずから案出した無数の欲望を満足させることにのみ馴れた囚われたる人間が、
どうして自分の習慣から離れることができよう、そうして、どこへ行くことができよう?
孤独の中に閉じこもった人間にとって、一体としての人類などということになんの用が
あり得るだろうか。

(これはあなた方ねらーのことを言っています。そして大半の日本人も、もちろんこのままの姿です)

かくしてついに物質を蓄えると同時に喜悦を失う、という結果に到達したのである。
僧侶の歩む道は、これとまったく異っている。人々は服従や 精進や、進んでは祈
祷さえ冷笑するが、しかしこれらのものの中にのみ、真の自由に到る道が蔵されて
いるのである。

我らは、無用の欲望を切りはなし、自尊心の強い倨傲な意志を服従によって 鞭うち柔らげ、
神の助けを借りて精神の自由と、それにつれて内心の愉悦を獲得するのである!
0255吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/13(土) 18:30:40.41ID:5+0cdg8q
1. 我らは、無用の欲望を切りはなし、

2. 自尊心の強い倨傲な意志を服従によって 鞭うち柔らげ、

3. 神の助けを借りて精神の自由と、それにつれて内心の愉悦を獲得するのである!

------------------------------
これはロシヤのキリスト教の、僧侶にのみ通用する教えではない。まさに古今東西をつらぬく普遍的
実践的教えだ。

服従・ 精進・祈祷 、この3つしかない。この3つは仏の教えでもある。
0257吾輩は名無しである
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2018/10/14(日) 01:19:17.12ID:cv0wO/qW
>>250
ぶん投げるならまだいい方みたいですね
維持しつつする共産主義者は恐ろしいみたいです

「我々はすべて無政府主義者だの、無神論者だの、革命家だのというような社会主義者めいた連中は、あまりたいして恐ろしくないです。
我々はこの連中に注目していますから、やり口もわかりきっていますよ。
ところが、その中にごく少数でありますが、若干毛色の変わったやつがいます。
これは神を信ずるキリスト教徒で、それと同時に社会主義者なのです。
こういう連中を我々は何よりも恐れます。
じっさい、これは恐ろしい連中なんですよ!社会主義のキリスト教徒は、社会主義の無神論者よりも恐ろしいのです。」
0258吾輩は名無しである
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2018/10/14(日) 01:24:33.83ID:dDjYoU8v
やっぱドストエフスキーの出した結論は間違ってるわ
思想面は本質的な部分で三島由紀夫と大して変わらん
0259オニオン
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2018/10/14(日) 04:07:40.96ID:UaLF4UPa
ドストエフスキーは断言するだけでいつもwhyが無い
勢いだけで捲し立てるのはまさしく宗教やペテン師のやり口で
自分の意志が無い人は言われるままにホイホイと受け入れてしまう

しかしドナルドトランプは福音派の神父から説教を受けた際、
話の途中に「え、なんで?」と繰り返し相槌を打って困らせた
0260オニオン
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2018/10/14(日) 05:43:51.59ID:UaLF4UPa
信仰とは思考停止して自己か何かへの肯定感に満ちている愚か者だということだ
利害関係を除いた家族や友人、そして恋愛感情もまた一種の名も無き宗教だろう
人間には賢さと共に愚かさが必要であり、それはひとつの合理的なシステムなのだ

もちろん客観的事実、科学的真理に接近するには懐疑主義や不可知論としての無神論の方が有効だ
物事を常に批判的に、懐疑して見るマイナス思考で利害関係しか見ないニヒリストは賢く、時代や状況に対応して変化し続け、そして正しいーーが、そんな自分自身も批判して潰してしまう

従って複雑で変化し続ける不安定な現実を正しく直視して悩み考え吟味し続けて疲れるよりも、子供じみた嘘を信じる方が個人や社会を単純化させてむしろ合理的になることもある
機関車はレールの上にしか走れない代わりに力強く走るが、人間の精神にとって信仰による思考停止とはレールのようなものだ
物理学者のマッハも人間が無意識のうちに自分に都合の良いことしか見えなくなるのは、常に全ての情報を精査していたら脳が疲れてしまうからだといい、情報のエコノミー(節約)と呼んでいたという

マルクスとか宗教は人間が無意識に作った道具に過ぎないという無神論・唯物論者から見た宗教の意義はだいたいこんな感じ
0261学術
垢版 |
2018/10/14(日) 09:58:11.85ID:7GUl1Qu5
ドストエフスキーがフランスに本格的に受容されると、
世界の文学は進むでしょうね。
0262吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 12:08:23.62ID:cv0wO/qW
>>259
それはドストエフスキーでなく私の失敗です
結論部分だけを載せました
理由部分は長かったので
0263吾輩は名無しである
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2018/10/14(日) 15:21:16.84ID:ye+Snnqr
>>260
> 信仰とは思考停止して自己か何かへの肯定感に満ちている愚か者だということだ

その思考停止が簡単にはできないではないか。思考とは煩悩であり懐疑でもある。「みずから案出した無数の欲望」にふりまわされているではないか? イヴァンのごとき思考や思想など、人間の善の価値となんの関係があるのか。きみの価値判断が狂っているというのだ。

> 利害関係を除いた家族や友人、そして恋愛感情もまた一種の名も無き宗教だろう

そのとおりだ。

> 人間には賢さと共に愚かさが必要であり、それはひとつの合理的なシステムなのだ

最高の賢さとは「愚直さ」だ。つまりその意味において きみの言うとおりだ。
その愚直さの根底に信心があるのだ。信心があるから、従うことができる。信心があるから、正しい
師匠を選びとることができる。指導の絶対順守によって、自己を不幸にしている悪癖と戦うことができる。

> 機関車はレールの上にしか走れない代わりに力強く走るが、人間の精神にとって信仰による思考停止とはレールのようなものだ

そうして注意すべきは人類の大半には、その軌道がないということだ。もちろん君自身も無い。文を読めばわかる。そうであるから、無軌道な生活を送るのだ。無軌道であるがゆえに、そのときどの
感情・欲望で動く。
もうそんな人生には飽き飽きしないかい? 大多数の俗物の仲間でいたいか? 自己を制御し
絶対的幸福をその手につかみとりたくはないのか?

> マルクスとか宗教は人間が無意識に作った道具に過ぎないという無神論・唯物論者から見た宗教の意義はだいたいこんな感じ

永遠の生命への確信はあるか?「一切衆生、自他ともに究極の幸福となさん」という理想を、きみは考えたことがあるか? 
0264吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 17:02:11.76ID:ye+Snnqr
>>259
> ドストエフスキーは断言するだけでいつもwhyが無い
> 勢いだけで捲し立てるのはまさしく宗教やペテン師のやり口で
> 自分の意志が無い人は言われるままにホイホイと受け入れてしまう
------------------
断言するだけで、いつもwhyが無い、ってドストエフスキーのどこが?wwww

あまりにも納得いかない意見だなあ。読んでいるんだろ?愛読者なんだろ?それでそういう感慨をもつか?

>>260 以下で
オニオン が書いた論理は、カラマーゾフ作品中の俗物の登場人物たちが、みんな縷々のべているのと
同じじゃないか?

> 信仰とは思考停止して自己か何かへの肯定感に満ちている愚か者だということだ

その点についてはどう思う?
0265吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 17:06:52.36ID:ye+Snnqr
どうして君たちが、信仰について、宗教について。そのように考えるか手に握るようにわかる。

「実践してないから」「組織のなかで戦ってないから」

カラマーゾフの兄弟」中の、俗物の登場人物たちも、まったく同じ。
0266吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 17:32:25.08ID:ye+Snnqr
おれだってな!大金持ちになりたいんだ!!

でもいちばん大事なのはなんだ?

「ぬちどぅ宝」これは沖縄語で「いのちこそ宝」という意味だそうだ。

この生命こそ、この生命あればこそ、苦悩もわずかな喜びも体験できるんだ

もっと高い喜び、強い生きてる実感を持ちたくはないか!俺は持ちたい。

だから、祈るんだ。だから、学会活動すんだ。そして「自分のわがままに打ち勝って」指導を受け
切るんだ。無理矢理実践するんだ。

本を読んで、ネットで調べて、自分の知恵で考えて、体得できる世界じゃないんだ。

カラマーゾフの兄弟で、ゾシマやアリョーシャといった肯定的人物たちも、その点はまったく同じなんだ。
0267吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 18:57:53.44ID:dDjYoU8v
何も罪のない子供達が大人のエゴの犠牲にされてる

社会主義で社会改革せなあかん・・逮捕死刑宣告される

ニコライ二世【恩赦してやるわ】

西欧旅行するんゴ・・・なんやこれはワイの思ったのと違う

人間はパトスに耐えられず、非理性的な行動をとってしまう。

キリスト教バンザーイ!


ドストエフスキーがなぜこの結論に行きついたのか
やっぱり時代が時代だからかなあ
0268学術
垢版 |
2018/10/14(日) 19:06:59.73ID:7GUl1Qu5
宗教は敬虔で特異な恋愛体験になると思う。
0269オニオン
垢版 |
2018/10/14(日) 20:21:20.30ID:UaLF4UPa
>>267
死刑判決で気が滅入ったのと公安警察に見張られて怖かったから
左翼テロリストから改心しましたよとポーズ取り続けたんだと思うよ
ツルゲーネフなんか国外までオフラーナにねちっこく嫌がらせされてるし
0270吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 21:02:54.43ID:ye+Snnqr
>人類に対する奉仕とか、人間の同胞的団結とかいう思想が、だんだん世の中に 湮滅
(いんめつ)していって、今ではほとんど冷笑をもって迎えられるようにさえなった。

>孤独の中に閉じこもった人間にとって、一体としての人類などということになんの用が
あり得るだろうか。

-----------------------------
ヘイトスピーチしかしない2ちゃんねらーよ。
この言葉を どう読むのか? なにも感じないのか?
人類に対する奉仕と人間の同胞的団結。韓国も中国もアメリカもアフリカもないのだ。人類だ。全世界的に
同胞的団結だ。

なぜ理解できないか。
信仰無きがゆえに、孤独の中に閉じこもったおまえたちは「一体としての人類などということになんの用
もない」からである。
0271吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 21:25:35.54ID:ye+Snnqr
物理学者のマッハも人間が無意識のうちに自分に都合の良いことしか見えなくなるのは、常に全ての情報を精査していたら脳が疲れてしまうからだといい、情報のエコノミー(節約)と呼んでいたという

マルクスとか宗教は人間が無意識に作った道具に過ぎないという無神論・唯物論者から見た宗教の意義はだいたいこんな感じ
-----------------------

だれがこの世界を、そして日本を作り上げてきたか? 物理学者のマッハか?マルクスか?
「客観的事実、科学的真理に接近する」インテリか? 断じて違う。

貧しさに耐え
病に苦しみ
蔑まれ
諍いに疲れ
生きる気力さえ失っているのはだれだ?

それは民衆である。われわれであり、あなただ。
その民衆に生きる希望を送り、立ち上がらせるているのもまた、信仰篤き民衆である。

だからドストは「ロシヤの救いは民衆にある」(記憶)といった。
0272吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/14(日) 21:26:09.70ID:vdfQZGNA
>>267
ドストエフスキーがなぜ最後に宗教だったのか、はなんとなく分かる気がするけどね
死と直面すると世界がどんなに発展しようと、社会主義だろうが資本主義だろうが、人類が幸せになろうと不幸になろうと、まったく自分とは関係なくなる
死ぬ人間にとって、自分と一緒に世界がなくなろうと続こうとどうでもいいじゃないかな
人間は絶対死ぬという事に直面すれば、その死の不安を消すのは自殺か神かしか選択肢がないと思うけど
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