★★★大江健三郎スレ2★★★
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大江健三郎
1935年1月31日生まれ
1994年 ノーベル文学賞受賞
2018年 大江健三郎全小説刊行開始
前スレ
★★★大江健三郎スレ★★★
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1484634141/ >>775
中上健次は、大江健三郎のほぼすべての作品を罵倒しながら絶賛している
「洪水はわが魂に及び」の中上の書評はすさまじい
この小説を読んで、俺は浅間山荘に立て籠っている連中の「敵」だったのだ、と気づかされた、という中上は自分には決して書けない「出来の悪い」小説に感動したことを書いている
「それ以前の小説に比べて完成度が劣るように思えて、しかし異様に新しいものがある」という評価
「万延元年」に中上が影響を受けている、それはいい
ただ、「万延元年」だけに影響をうけたみたいないい方はやめてほしい
それは後期が前期より「比べるまでもなくいい」とかいう馬鹿と似通ってしまう
大岡昇平が、「洪水」の受賞に「同じくノミネートされた自分の作品よりもふさわしい」と発言したのと同じく、溢れんばかりの嫉妬と敵意を大江健三郎に向けていた中上の書評はすごく良い
三島の「豊饒の海」を意識していることを無視すると大江は「真に楽しめない」とかいうやつと同じ、大江の凄さを一点に限定するクッソつまらなさは「軽蔑」をせざるを得ない 大岡昇平は、自分もノミネートされた文学賞が年若い大江(通常より二十年早く文学賞をとり続けた)の蛇足のように、「新しい要素は祈りだ」と「洪水」について言っている
カラマゾフの英訳を議論するなかで、なぜかpray(祈る)という一節に自由不良少年たちと主人公の大木イサナは拘泥する
本来、神に、なにかを祈る、という文脈を主語と目的語を失って、祈るという動詞だけが残る
ただひたすらに、祈る、希求するという行為に陶酔する
主語と目的語を失った動詞は「体験」であり、大江健三郎は「個人的な体験」という小説に対して「体験は個人的だろう」という批評に「体験は共同的であり、無個性でありうる、と発言している」
主語と目的語が失われた「祈る」という行為、「信仰なき者の祈り」という公演でも大江は主語(固有名詞)と目的語(目的)の消失した「陶酔による」脱目的論的陶酔を強調する
それは、「新作を書くために劇団の朗読を始めながら、朗読を聞くことが目的化した」水死でも貫かれている
しかし、「スベテヨシ」と「洪水」は締めくくり、動詞だけとなった「祈り」を裏切るラストを見せる
何に抵抗するのか?国家権力に抵抗していたはずの「抵抗」は自律し抵抗するといことが「祈る」ということと同じく自律化する
この熱狂が「スベテヨシ」と突然否定される、その美しさ、大岡の見出した「祈り」は初期にない異常な大江の個性として出現する 蛮勇を払っていうなれば、1967年の「万延元年のフットボール」には、1973年に発表された「洪水はわが魂に及び」の「祈り」の異常性は存在しない
片鱗はあるが、やはり、異常に新しいものが出現している、と中上や大岡昇平は読み取った、それは正しいと思う
牽強付会かもしれないけれども、この「祈り」という主語と目的語を失わせながら、「信仰のないものの」「祈り」という大前提から出発する後期は初期の大江健三郎からは決して出現しない、大江健三郎が「体験」を経て到達した領域だと思う
沖縄・広島・息子という、「体験」は初期作品には存在しない、と言えると思う
なにかが変わっている、その変わりをつまらないというのは個人の嗜好でいい
ただ、中上や大岡は異常なショックを、明らかに受けている
このショックを与えた変貌を、はたして無視していいのか?
後期大江健三郎の、思考を偏愛するものの、ザレゴト 前期の大江の作品のほとんどにはいい大人が特に検討するに値するテーマ性は無いよ
「われらの時代」なんかは特に
ちなみに万延元年前には以前と言っておらず万延元年は含めてないからね
「大江健三郎と村上春樹はどちらが優れているか?」という命題に答えられるなら
「優劣の根拠は」というのは完全なる愚問ということがわかるだろう いま全集が刊行されているわけで一巻から三巻までを通読してみるといいよ
秀作もあるが多くは目眩がするほど酷い >>778
中上健次が万延元年だけに影響を受けたなんて言ってねえじゃん >>786
次回は松井秀喜らしいけど平成の文学界隈の事も取り上げて欲しいな 30: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です >(アタマイタイー 7faf-S1Ul) [sage] 2019/02/02(土) 16:24:46.42 ID:WP9hp09N00202
大江健三郎の長男は知的障害があって
成人しても寝るときはおむつをしてるんだけど
二十歳くらい前後の時の数年はおしめ変えるとき勃起しまくってたけど
それが終わった際に大江の妻が
彼の青春時代は短かったねえとボソッとつぶやいたって話
なんかすごい印象に残ってるんだよな
あと人前で彼の同級生が自慰行為を始めたとき
家でならなんぼでもやらせてあげるんだけどと言って
その子の親じゃない保護者が止めさせる話とか
何だかんだで女親の方が子供の性に対しても本気で向き合ってる感じがあった 大江さん、阿川弘之と仲が悪かったと聞いたけど
何かあったんだろうか >>790
思想的な感情の対立だろ?
左翼の大江と右翼の阿川。 >>792
対談じゃないよ
小説の中に一時期色々書いてた
後で母親に
光さんだったら何でも書いていいと思ってるんじゃないのか
と言われ、書かなくなった うろ覚えで悪いが石原慎太郎のことを皮肉ったエッセーがあったな
知っている人いない? >>793
すまn、どの古義人?
「チェンジリング」の古義人はクソ中の未満だったが >>793
ついでに母親ってどっち?
産んであげますの方?
放置プレイのほう? >>795
エッセーだけじゃなく小説中でも
ハッキリと名前は出さなくても分かるような批判は多いね
一番大きかったのは本多勝一で花田という名前だったかなあ
登場人物として名前までつけられてたね
ほかに伊丹十三 石原はもちろん江藤淳も何度も
大島渚 意外なところでは北野武などなど >>797
放置プレイって誰?
愛媛の生んであげますの方だよ
>>796
もっと前だねえ
ハッキリとはわからん
『静かな生活』の少し前あたりかなあ? >>799
ありがとう
新婦を放っておいて金日成のテレヴィ放送に見入ってた、みたいな話無かったっけ メタ小説の作中に実在人物が登場するいう話から急転
>新婦を放っておいて金日成のテレヴィ放送に見入ってた、みたいな話無かったっけ
いつものコピペ荒らしの種まきがはじまって受けるわ 中村光夫『日本の現代小説』(岩波新書)
「大江健三郎はそのやさしさが若者たちの共感をよんだ」 >>801
中上は気づかなかった
どんな内容だろう? >>798
題名とか教えてください
それらの人々が登場する小説の ツイッターやって発信したらファンは増えるんじゃないかな
それもできないか 芸能ニュースノリで楽しめるのはチェンジリング
伊丹、ビートたけし、おすぎ、浅田彰、坂本龍一あたりはわかるかたちで登場
純粋に文学としても傑作なので未読なら読むべし 大江作品にイニシャルトークで登場するのは
文化人類学者のYさんに何々を教えられたとかそういうブッキッシュ蘊蓄系がおおいんだけど
チェンジリングの場合もっと負の感情に直にささるような事柄に絡むから面白さがある チェンジリングに取り憑かれてたから伊丹は死にましたみたいな
クズな結論。
この一点においてもこいつは早く死ぬべきだと思うよ。
生きている意味がないよ。生きているだけでガン。
何が名作なんだ?こいつの罪とともに恥知らずに読者は同調するのか。
ゴキブリそのもの。 >>810
悪意ありありで読んでるから仕方ないのかもしれないけれど
そうとしか読み取れないなら君には難し過ぎるんで
(一般的には取り替え子は多くの人には比較的平易だろうが)
おとなしくクイーンを聴いてなさい 大江の本の装丁を伊丹十三に任せてみればよかったのに
いいものが出来たと思うんだけどなぁ >>810
>何が名作なんだ?
もう名作扱いなんだ
月日の経つのは早いなあ >>816
平易どころか一般の読者には何が書かれているのか
全くわからないだろ。この作者自分には苦手だと
何の感想を言うこともなく
古本回収に出されてなんの記憶もなく
二度と手に取られないのが関の山。
人の死を呪われていたから死に行く
運命になったのだと評したこいつの結論は
もしかして大江のお花畑と悪意の見本市と
言って良いのかもしれない。 ああ、こりゃ
「隣の住人が毎日、毒を撒いている」
とか警察に何度も電話するタイプだな >>821
隣の隣人が、毎日、日々毒を撒いてる、だろ? 現在、随時刊行中の『大江健三郎全小説』(講談社)ですが、
著者による加筆修正のようなものはされているのですか?
たとえば、文藝春秋から数年前に出た『自選短編集』は加筆修正されていますが、
今回の全集はどうなっているのでしょうか?
新潮文庫版とは一部内容に違いがあったりするのでしょうか? >>824
されてる
・各作品の底本はそれぞれ書誌一覧中の最新版としました 。
・書誌一覧は森昭夫氏編 『大江健三郎書誌稿 ( 2 0 1 6年増補版 )第二部初出目録 』を参考にしました 。
・本全集では 、底本をもとに著者と相談し加筆 ・削除を行った上 、漢字 ・カタカナの表記を適宜修正し 、さらにルビの移動 ・加筆 ・削除を行いました 。 >>825
時代に合わせて、自分の現在に合わせて、作品に手を入れるのが大江のポリシーだからね。 実際に書き換えられた部分についてわかる人はいますか? 既に何度も書き換えたものが底本なんで校異みたいのつけてもあまり役に立たないだろうと思う 変更多いと将来研究されるだろ
そういうこと
アリスマンローとかな 一般の全集の校異は底本を初出としてそれの誤字脱字を見直して全集に載せその差を校異にしている
大江のこの全集の場合底本と全集版の異同にはあまり意味はない
将来研究用途なら書誌がついてるから十分だろう
変更の全履歴を追っかけて差分を載せてないから編集が丁寧でないって
大江のケースに限っては編集に過剰に期待または負担かけ過ぎだと思う 大江の場合、岩波の文庫にはいった短編だと
雑誌→単行本→文庫→文庫改版→岩波→全集
このプロセスごとに通常の作家の誤字見直し程度ですまない「書き換え」が混入している
厄介だよ
それはそうと過去の書き換えで評判のわるかった
飼育の黒人、セヴンティーンのソープランドはそれぞれ
黒んぼ、トルコ風呂に戻されてる
これはいい判断だと思った 作者や編集者による差別用語などの書き換えが評判悪いね。
でも、使われなくなった言葉だと注釈が必要になる。
古典の注釈と同じだ。
差別用語も、差別であることさえわからない「死語」になっているものも多い。 >>834
トルコ風呂を知らない世代にとっては、ソープの方がいいだろ?
やってることは同じなんだから。 黒んぼ!?どうかしてるな。英訳ではNワードになってるから、そちらに合わせたという事なのかな? 作品が書かれた時代、その舞台となる時代に使われてない言葉を使うのはちょっとね
時代小説で横文字をバンバン使う町田康じゃねえんだからさ
https://i.imgur.com/lqGiu4I.jpg >>837
程度の問題だよね。
その時代のこととして読むわけだが、本当にその時代の言葉づかいで表現されたら、すごく読みにくい。
とはいえ、時代物に横文字だと違和感がある。
それは近代のもでも、現代のもでも同じだ。 参考まで
批評家大杉重男がブログで「「黒んぼ」と「黒人」」というタイトルで
飼育の書き換え問題を論じているが、読む価値あると思う
(リンクしないのでぐぐってね) >>838
だからトルコ風呂よりソープランドの方がいいってこと?
それは同意できんなあ >>839
君にとっては参考になるのかもしれないけど、他の人にとってはどうかな?
君が参考になったのなら、概要を記すのがマナーだと思うけどね。 >>841
別に同意は求めないけど、黒んぼから黒人もそうだけど、自分には違和感はないな。 たとえば、「くろんぼ」という言葉の発祥もわからない。
そう呼んでたところもあるんだろうが、全国的なのか四国の田舎だけなのかも知らない。
「あかんぼ」とか「あまえんぼ」とか言う言い回しの変形だろう。
出自不明の言葉を標準的な言葉に変えることに問題があるとも思えない。
差別云々という意味では、「黒人」だって差別用語だろう。
日本人を「黄人」というのも変だし、「白人」だってまともじゃない。
ただ肌の色が違うと認識されることは確かなようだから、それを一括して言い表そうとする庶民の感覚をどう表現するのが適切か、という問題なんだろうな。 大杉も指摘しているが地の文は「黒人」で子供の会話文が「黒んぼ」なわけで
表現として子供の持つ無自覚で残酷な差別性が表現されていたものが消えてしまうんで
文学の表現として、かつて表現されていたものが消えてしまう
全然良い改変ではない
ソープランドにいたっては語られた内容の時代には存在しない言葉なんで完全に論外
原理的には時代物に横文字が登場するのと完全に同一 >>845>>846
>子供の持つ無自覚で残酷な差別性
言葉というのは、慣用的に使われるもの。
子供の言葉に差別意識があるとすれば、それはその社会にある差別を表現しているだけ。
「くろんぼ」と言おうが「こくじん」と言おうが変わらない。
>語られた内容の時代には存在しない言葉
その種の言葉というのは、古い時代を扱った作品であればどこにでも見られることで、文学の価値には何の関係もない。 あらら文学の価値ときましたか
彼の擁護はP君にお願いしよう 実際に大江本人が迷い、ぶれながら最終解答として黒んぼ、トルコ風呂にしているのに
表現が違っても内容が変わらないとか、価値が変わらないとか
いったい何について何を言いたいのか?全くわからない 彼は読書家なんだけど、ええカッコしいなところ
があってバランス感覚に乏しい
すぐに芸術の価値みたいな観念で空振りする
「家族に対する愛以外は偽の愛である」
もそうで、ちょっとついていけない >>849
一度は、黒人とかソープに直してるんだろ?
あなたの基準では、最終形が最高の価値? >>837
「その時代に使われてない言葉」というのは凄く参考になった。ほんとそうだよね。おかしい。「黒んぼ」という言葉が大江の小説で使われてた事を糾弾する気はないけど、編集者のセンスを疑いますね。 >>851
「表現が違っても内容も価値も変わらない」というのが君の主張なんじゃないの?
その通りなら機械的に穏健な用語、ソープランド、黒人に置き換えればいいわけで
実際作者も一度そちらに傾いた
しかし結局最終的には戻した
作者自身表現が変われば内容は変わる。内容が変われば価値も変わりうる
と考えてるんじゃないの?
これは別に大江が一人独自の考え方をしている、ということではなく
常識的にもそうであるはずなのに
君がおかしなことを言い張ってるだけなんじゃないの?
どっちの表現が良いか?ということについて「大江が最終的にそうしているから良い」など主張した覚えは全く無い
自分の考えとして、何故黒んぼ、トルコを支持するかの理由は述べている >>853
いまの話題は、黒んぼ黒人、トルコ風呂とソープの言いかえだ。
内容が変わって価値が変わったという、具体的な分析を提出して見せてよ。
君が言ってたのは、当時の言い回しだから、ということだけで、内容や価値には触れていない。
ちなみに、僕は当時を知らない人にとっては、大した問題じゃないと言ってる。 文学の価値とは何の関係もない
↓
当時を知らない人にとっては大した問題じゃない
随分と構えが後退したね☺ >>854
>内容が変わって価値が変わったという、具体的な分析を提出して見せてよ。
>君が言ってたのは、当時の言い回しだから、ということだけで、内容や価値には触れていない。
ここから分かるように
こっちに言っていることが理解できないアホか
あるいは
理解しながらも、ひたすら自説にしがみついて言い張る人間か
どちらかだろうが、おそらく後者だが、どちらでもまともに応答すべき相手と認めがたい >>858
ほらね
案の定、こういう煽りがきた
掲示板で勝利宣言したいだけのタイプ
まあ一応相手するとして
「飼育」というタイトルが何を主題としていて
その主題を追求するうえでどういう表現がより資するか?
馬鹿じゃなきゃ最初から話は終わってるんだけどな
ほんとうにあほらしい >>859
具体的に書いてごらんよ。
それではまず、「飼育」の主題はなんだと思う? 知的弱者の思考力が低下しているこういう時に
P君は助けてあげなさいよ😉 >>859
「具体的には?」「それがわからない」「じゃあ、それを証明してみて」
おそらくこうやって食い下がるだけだから、相手にするだけ無駄無駄
こんな奴を相手にすることはない、どうせ勝利宣言をしてくるだろうが、無視して構わない >>861
あれ?
文句だけつけて、あとは他人任せ?w >>862
ほんの少し議論を深めようとすると、もうついてこられないの?
3行以上は長文だから読めないとかいう、バカッター世代の人? 大江を敵の攻撃から守る僕という謎の使命感が
賢明なファンの指摘すら受け付けないという
独善を生み出す
貧すれば鈍す >>865
君は4行書けるんだね?
内容は2行だけどw 例のリスト入りもできない低次元なやらかしw
半世紀以上何をどう読んでたん? >>867
専門用語ばかりで、なに書いてるのか理解できないな・・・・
5ch用語の解説から始めてくれ。 あめのむらくも が作家の名前売り物より大事じゃないか? みうらじゅんの ダンジョン美学的見地の方が上回ると思うが。東大に芸術無し。 普通に考えればこれじゃないかな
>黒んぼ!?どうかしてるな。英訳ではNワードになってるから、そちらに合わせたという事なのかな? 少し横道にそれるが、ニガー(nigger)と黒んぼは違う。
翻訳すると、その二つの言葉が交換されてしまうのだろうが、意味はかなり離れているように思う。
ニガーは強い侮蔑や憎しみの言葉に感じるが、黒んぼは愛称的でもあり、軽く侮る感じでもある。 >>874
イエローとか吊り目とか言われてどう思うんだ?
黒人が黒んぼとか黒ちゃんとか呼ばれるのはそういうことなんだが
愛称だとか軽い感じで済むか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています