ドストエフスキーPart48 [無断転載禁止]
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しかしそれにしても読書ってタイミングがあるようだ
最近はまったく読書欲がない
こういう時は短編を読んで落ち着くべきか、ペラペラと斜め読みで再読でもするべきか悩む
それともいっそ2日くらいの旅にでも出ようかな
ドストエフスキーは書けない時はギャンブルしていたというが、パチンコも惰性になってしまったし
んーカジノでもあったらイイのにねw サンスクリット語:Angulimālya
パーリ語:Angulimāla अंगुलिमाल
他の音写:鴦掘摩羅、鴦仇摩羅ほか
音写(略):鴦掘摩、鴦掘など
訳(意訳含む)・意味:一切世間現、指鬘など
釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの人命を奪い、人々から恐れられていたアングリ
マーラを巡る説話
――ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追い
かけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返っ
てきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答
えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマ
ーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感
じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったので
ある、と。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決
意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い
出た。以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込
めた仏道修行にひたすら励んだ。 ――アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一
人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、
釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるよう
に促した。
「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。
このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんこ
とを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。
そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねて
いることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように
呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物
の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、
胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。す
ると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することが
できたのだった――
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めた
ことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリ
マーラが自らの誓いをもって“命を救う存在”になっていく方向へと、心を向けさせ
た この原始仏典の逸話をおとぎ話として読んでしまえば
なんにも残りません。
第一に「かんぜんな事実」しかも自分のために書かれたものとしてとらえることです。
第二に、第一をふまえて「釈尊はなぜ?なにを考えていたのか?」
アングリマーラにたいして「なにをしてあげようとしたのか?」「どういう方向へ成長させようとしたのか?」
『指の首飾り』として1000人殺す修行をしていたアングリマーラ。彼は「どういう瞬間に」
変わったのでしょう?
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ドストエフスキーも同じことです。カラマーゾフも罪と罰も、です。教養主義的に読めばしょせん教養が
深まるにすぎない。
自分自身がアレクセイである、ラスコーリニコフであると「とらえて」読まねばならぬ。
これが戸田先生池田先生が指向された読書であり、青年を訓練する手法ともなった、創価学会伝統の
読書です!!
またより根源的には「書とはこのように読むのだ!」という日蓮大聖人の教えであります。 例えば神罰や天罰を受けないと同じ過ちを繰り返すし、罪についても償えないわけです。 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
というのがインド系宗教の基本的発想
だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
「その努力は無駄だよ」
と言ったのが仏陀であり
修業よりも瞑想の方をすすめた
まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する ブッダはニヒリスト
ソロモン王も「善に生きるも悪に生きるも無駄なことだ」と言った(コヘレトの書 >>130
人が人に与える罰は罰ではないのですか? >>131
煽りと思わないでくださいね
> 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
縁であり、因ですね。悪業因縁。「来世の果徳が決まる」と書いたほうが的確。
> というのがインド系宗教の基本的発想
> だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
> この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
>
> 「その努力は無駄だよ」
>
> と言ったのが仏陀であり
> 修業よりも瞑想の方をすすめた
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ここまでは一般仏教的知識として良いとする。しかし、ここで考えてほしいのは
以下の部分。これをあなたは信じていますか?
> まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
> 輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する
「瞑想」とは何でしょうか? 「自我」とは何でしょうか? 「解体」するとは?
歴史上そんなことができた人がいたのですか? あなたは「いた」と確信しますか?
この日本にも世界にも、仏教系のたくさんの宗派あります。オウムもひとつの仏教系です。
西欧人は「仏陀」や「瞑想」に深いあこがれを持つ人が多くいます。
いかなる宗派の過去現在のひとで、「瞑想で自我を解体」したひとがいたのか?
そして
「転生の主体は消失し」「 輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消」させた
そんな怪物のような人間がいたと思いますか? つまり、「瞑想でわたしは自我を解体させた!」と叫ぶ人がいても、ほとんどの人は
信じない。ということを言いたい。
それがダライ・ラマだろうが、真言宗の貫首だろうが、関係ない。いっぱんのそこら辺の道路を歩いてる
人は、そんな権威を認めていない。もちろんオウムだろうとその他の伝統的なになに宗だろうと同じ。
「心の底」では「クソ坊主!」と思っている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「体験してほんとうにこの信心はすごいんだ!」と感じるから、わたしたち学会員は不動の確信を持つ。 >>136
> つまり創価学会と先生だけが正しい
正しいか正しくないかはひとまず置く。
創価学会に入って素直に信心に励めば、確実に生命力が強くなり、元気になり、
今まで思ってみたようなこともない世界と感覚を体験し、生きることへの強い意欲がわく。
これはぜったいに確実です。これは否定しようもない、どーしよーもない事実です。 それはあたかもカラマーゾフの兄弟などの作品が
「ドストエフスキーなんかクズ!賭博してるから」とか「リアリティがない!」とか
「文章がおかしい」とか そんな小人の誹謗中傷などいくら受けても微動だにしない
超絶的な価値をもっているのと同じことです
小説作品というジャンルにおいて、人類がなした頂点といっぱんに認められているのが「カラマーゾフ」であるならば
宗教界の頂点はまぎれもなく「創価学会」です。全世界的な勢いで広宣流布中です!! >>132
ソロモンの「外国人の妻」の中にはインド出身者もいただろうか?
コヘレトの言葉は仏教に思える >>139
> ソロモンの「外国人の妻」の中にはインド出身者もいただろうか?
> コヘレトの言葉は仏教に思える
それは聖書ですか? 素晴らしく読み込んでいるんですね! >>139
コヘレトのスタンスはキルケゴールに近いようにも感じる
全てが、従って神を信じることもまた無意味である無の果てに敢えて神を畏れよと説く
しかし実際にはソロモンもキルケゴールも最後まで神を信じることができなかった
釈迦やヨガにおいては修行によって精神を鍛え上げ、自然と一体化し、
虚無の真理にも平然とした強い人間を作りだすことを目的としている
従って私の仏教感だと、仏教とは一握りの人間にのみ開かれたスーパーサイヤ人への道である >>141
> 全てが、従って神を信じることもまた無意味である無の果てに敢えて神を畏れよと説く
> しかし実際にはソロモンもキルケゴールも最後まで神を信じることができなかった
ある人がいてそのひとは「神を信じてなかった」とか「信仰が弱かった」とか
果たして言えるものだろうか?
同様にして、たとえばぼくが創価学会で、ぼく自身が「おれは強い信仰をもっている!」と
口先で言ったからといって
それが たとえばオニオンよりも「信仰的」である、と言えるのか?
またたとえば「カラマーゾフの兄弟」中の登場人物において、アレクセイとイヴァンでは前者のほうが
信仰心が強いと断じて、それで終わりなのか?
信心とはそういうものだろうか? ひとりの人間生命のなかに、
不信も信仰も同時に存在してるのではないか?
> 釈迦やヨガにおいては修行によって精神を鍛え上げ、自然と一体化し、
> 虚無の真理にも平然とした強い人間を作りだすことを目的としている
> 従って私の仏教感だと、仏教とは一握りの人間にのみ開かれたスーパーサイヤ人への道である
言わんとすることはわかる。しかしもし、「一握りの人間にのみ開かれた」ものであるならば、
そんなものに どんな価値があるというのか?
一切衆生ことごとく、それこそネコもねずみも、一個の石ころさえも、いっさい平等に仏となるのでなければ
ただ「信ずる」という一法のみによって。
そうであるからこそ、国籍やそのほかの差別観なども超克しうるのではないか? まずは論理上だけでも。 まず仏は信じるべきものではない、学ぶべきものだ
大阪ナオミを信じてもテニスは上手くならないだろう?
仏はスポーツの達人のようなものであり、
仏の真似をして学ぶのが上達への近道と見なされているだけ
己を救うのはあくまで自分自身で考え、努力することなのだ
信者ではなく弟子になりなさい >>131
細かな宗派的な用語のちがいはあっても、仏教の大筋が書かれてる
> 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
> というのがインド系宗教の基本的発想
> だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
> この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
>
> 「その努力は無駄だよ」
>
> と言ったのが仏陀であり
> 修業よりも瞑想の方をすすめた
> まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
> 輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する
ただぼくはこう感じたんだ「この人は信じていない」って。 >>143
ざっくり書いて非仏教圏で「神」。それに対比されて日本などで「仏」
神を信じるか否か?とカラマーゾフ作品中において問われる。
「仏」の部分を「神」に変えてみたw 仏・神・信ずる、ということについて考える参考に
> まず神は信じるべきものではない、学ぶべきものだ
> 大阪ナオミを信じてもテニスは上手くならないだろう?
>神はスポーツの達人のようなものであり、
>神の真似をして学ぶのが上達への近道と見なされているだけ
>己を救うのはあくまで自分自身で考え、努力することなのだ
>
> 信者ではなく神の弟子になりなさい >>139
聖書コピペはスレチになるけど好きな言葉
キリーロフの、すべていい、にとても近い何かを感じる
コヘレト 3:1-11
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
10 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。 ただぼくはこう感じたんだ「この人は信じていない」って。
池田大作先生を信じていないから地獄に落ちるって感じたんだ。
ぼくのいうことは絶対だよ? >>146
仏典にもまったくおなじ表現があります。いか疑問点を。
日蓮は「時」がいちばん大事であることを論証しました。
> 3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
>殺すに時があり
とはなんのことでしょう?
> 5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
>石を投げるに時があり
とは?
>抱く
とは?
> 6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
心に響いたので。
> 9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
意味が取れなかったのて解説をお願い
> 10 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 >>148
載せといてなんだけど、指摘している箇所がどういう意味なのか同じように疑問を持ってるw
つまりぼくには解説できない、という事ですw
コヘレトとヨブ記は読むのだけれど、どう理解していいのか分からない事がよくあるんだ
聖書は難しい >>147
> ただぼくはこう感じたんだ「この人は信じていない」って。
> 池田大作先生を信じていないから地獄に落ちるって感じたんだ。
>
> ぼくのいうことは絶対だよ?
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シリーズの中でいちばん面白かったですW しゃべりかたがクッサくて吹きましたWW オウム真理教に入って地下鉄にサリンを撒けば、確実に人類は救済され、元気になり、
今まで思ってみたようなこともない世界と感覚を体験し、空中浮遊する。
これはぜったいに確実です。これは否定しようもない、どーしよーもない事実です。
ポアしかない! >>152
> 宗教こわい
だとして、無宗教はこわくないのか? >>151
> オウム真理教に入って地下鉄にサリンを撒けば、確実に人類は救済され、元気になり、
>
> 今まで思ってみたようなこともない世界と感覚を体験し、空中浮遊する。
>
> これはぜったいに確実です。これは否定しようもない、どーしよーもない事実です。
>
> ポアしかない!
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これは
>殺すに時があり
という聖書の言葉のじっせんです
殺すことが、オウムだけの専売特許だとかんちがいしてるがそれは違う。
チンパンジー・ライオンからアメリカ大統領まで、他者を踏みつけにして自己の幸福を築こうとするのは
あなたがた不信心者の本能です。これを制御しようとするのが、仏法者です。 ではぼくも満を期してみますw
コヘレトのソロモンの考えについて
その時がある
まずあるというの事は、あったのではなくて、そしてあろう事でもない
あるという瞬間が存在し続けるという事で、休息がなく運動のみが存在する、という事です
でもソロモンは、とても有限的で唯物的に時をとらえていたと思うのは自分だけでしょうか
なぜならば、この言葉の使用方法は、ただあるではなく「その時がある」と限定しているのだからです
ただあるならば、あるという事は分割されない一様になり得えます
なぜならば、それは一つのものとして、そして連続して全体になってあるもの、と考えられるからです
つまり、今あるという事は、少し前のあるという事に密着して存在する、その連続を続けていく、そういう方法しか連続という運動の状態を保てないからです
そうならば、時というのは制限のなかで動くことない
そして何より始めも終わりももたない、はずです
なぜならば、あるというのは生まれることもなく滅びることもない有だから、と考えます
久しぶりの長文はつかれるw >>156
抽象的すぎますw
>コヘレトのソロモンの考えについて
背景も調べずレスを書いてごめんだけど、コヘレトってわからないけど、ソロモンは有名だね
各命題について、たとえば
>3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
個別具体に論評してほしい
ぼくはいっつも君の書く文に感銘を受けている。そこにはみずみずしい感性があるからだ。今回はよくない。 >>157
殺すとか壊すとか、たてるとかいやす、という単語にこだわる必要がないのかもしれないよ
あくまで聖書の読み方として、そのまま理解する部分も必要だけれど、もっと文脈として読むこともできる
形而上的に捉える事も出来る
例えばこの場合は、何にでも反対時がくることは避けられない
だからその瞬間瞬間を大事に賛美していこう、みたいな
地上においてはすべてに時がある
花が咲く時があれば枯れる時も絶対にある、みたいな
だからすべては必然だ、だから時は美しい、みたいな
すべては一様であって繋がっている
だから悲観する必要もないし、もちろん楽観する必要もない、みたいな事と思います
ちなみに答えが書かれているけどソロモンの事ですね 第 1 章
1 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
こうはじまるから、ダビデの子とはソロモンのこと
神が夢で何でも与えると言われソロモンは、知恵の心と判断する力を願ったといわれている(だったかな?)
そういう至上の知恵者がいうすべてが空しいという結論は、とても大きな答えになる
キリスト教云々じゃなくて、コヘレト読んでみるいいと思う
もちろん最後はだから神の裁きを怖れよという聖句なんだろうけどね が、ソロモン自身はまったく神を信じていないんだよなあ
したがって(世俗の普通の人々は)神を怖れよということになる コヘレトは一神教信仰者だよ
伝承では異教の宗教にハマったソロモン王が晩年に一神教に目覚めたとか
その異教の宗教がもしかしたらぞろあすたー以前のインドの輪廻宗教だったのかも
コヘレトは「すべての命は同じ」と言ってる
本来の一神教ではありえない教義だ 造物主たる唯一神からの派生なら「すべての命は同じ」となる
しかしその場合は何故、この様に悪しき者が存在するのか?
という疑問が発生する
中世神学だと空間にゆがみが生じて神の御業がゆがめられた結果だ
という説明がなされる
つまり悪所が悪の発生原因であるということで
カラマーゾフの兄弟でも悪魔と空間の相関性がわずかではあるが指摘される >>163
> 中世神学だと空間にゆがみが生じて神の御業がゆがめられた結果だ
> という説明がなされる
すごい説明ですね!
> つまり悪所が悪の発生原因であるということで
> カラマーゾフの兄弟でも悪魔と空間の相関性がわずかではあるが指摘される いま、世間の耳目は「れいわ」に集まっている。
出典は万葉集であるか、中国古典であるか。いずれにせよ、
日本国ならびに日本国民というものは、キリスト教的あるいは西欧的伝統の連続性の上にはないのである。 いま、世間の耳目は「れいわ」に集まっている。
出典は万葉集であるか、中国古典であるか。いずれにせよ、
日本国ならびに日本国民というものは、キリスト教的あるいは
西欧的伝統の連続性の上にはないのである。 文化伝統的に土着的に
キリスト教信仰と無縁であることが即座にソロモンやカラマーゾフについて議論することが
無益を意味するものではありません。
むしろそういう現実を踏まえて信仰とはなにか?考えていくことが実り多いのではと つまりなにが言いたいかというと
キリスト教信仰のみなさんも公明党に入れてくださいっ
そして大阪のみんなはぜったいに「維新を叩き潰してくださいっ」
なぜか?
公明党=信仰
維新=不信仰
だからですっ。信と不信の戦いだからです。 鈴木大拙の「日本的霊性」を読みなさい
鈴木大拙とドストエフスキーは、仏教とキリスト教の違いはあるが、大きな共通性がある
鈴木は、万葉集や平安文化には否定的評価である
その時代の仏教も、大地から遊離した宮廷人の軽いものだ
日本人、日本民族が本来持っている「霊性」は、鎌倉時代になって目覚めたと言っている
それは、農民に初めて仏教が浸透し、仏教と大地とが結びついたからである 仏教が伝来するまえから神道はある
外来の仏教がきたときに神道と仏教は揉めた後に共存することにした
日本民族本来のものがあるとすればそれは神道だけである >>170
> 鈴木大拙の「日本的霊性」を読みなさい
青空になかった。準備中だった >>171
> 仏教が伝来するまえから神道はある
> 外来の仏教がきたときに神道と仏教は揉めた後に共存することにした
> 日本民族本来のものがあるとすればそれは神道だけである
かのドイツの地では6000年前にはなにが信ぜられていたのか?
外来の思想信仰だったとしても広範な民衆生活に受容された時点で民族の信仰となるのでないか
その日本民族本来が仏教をとおして顕現してる。
原始仏教は尊く、大乗仏教は劣るなどというのは、あさはか。なぜなら、古代中世のインド中国日本の祖師や僧侶たちが
それこそ我々が夢想することもできない祈りと修行によって「原始仏教」など思考し尽くし
大乗仏典による信仰を作り上げてきたのである ... ... とぼくらは信ずる
信ずることがたいせつなんです。ある立脚点に立つことが。
政局であれば「どんな場合も公明党が正しい」という立脚点です
アレクセイであれば「神とキリストが正しい」と感じ、どんな場合も「ゾシマ長老であればどうするか?」と
考える。そして「長老の教えのとおりに振る舞おうと努力する」そのシンプルさが、清潔で透明感があり
頼れる青年や壮年を生み出す基盤です。 つまり「池田大作先生はゾシマ長老の生まれ変わりである」ということです。
公明党に投票しない者は地獄に落ちて苦しみます。
特に理由はないけど、ぼくは何となくそう信じてる。
創価学会に非ずは人に非ず。 池田先生が死ぬことなどあり得ません。
先生はキリストとなり、「永遠の命」を得て生き続けるのです。
それは公明党に投票した者だけが分かります。 >>177
本心ではどうなんだい?
たまにはドストエフスキー以外のレスにものってみるかな
それに、そういうのなら聞いてみたいと思う
指導者である人物を自らの中心にして、自らの指針とする事は多くの人がする自己実現の方法論の一つだよね
だからなんら変わった事ではないのだけれど、指導者の条件とは、会話でき、つまり思想に触れられる、それは言葉の交換のできるという事で、つまり生きて意識を持つ者である必要がある
だけどおそらくは、世間の憶測通りに高齢で表に出ていない、亡くなっていなくとも以前と同じ意識は持っていないと予想される
そういう客観的事実をど処理するのかな
受け入れる?それとも見て見ないふをみんなしている?
もし受け入れているのなら、何を根拠に受け入れているんですか
あ、煽ってるとかではなです
興味の範囲なので個人的な何かがあるならスルーして >>178
ぼくは誠実なひとにしか答えません。つまりあなたは誠実だから答えるんです。
177の彼などはフザケてるだけです。ですから放置してる。
> 指導者である人物を自らの中心にして、自らの指針とする事は多くの人がする自己実現の方法論の一つだよね
> だからなんら変わった事ではないのだけれど、
いっけん簡単で自明ですが、じつは一番難しい。大半のひとにはできない。それはカラマーゾフの長老についてや
服従について書かれてあることを思い出してください。
>指導者の条件とは、会話でき、つまり思想に触れられる、それは言葉の交換のできるという事で、つまり生きて意識を持つ者である必要がある
そのとおりです。
> だけどおそらくは、世間の憶測通りに高齢で表に出ていない、亡くなっていなくとも以前と同じ意識は持っていないと予想される
> そういう客観的事実をど処理するのかな
逆に、こう質問したい。カラマーゾフにおいて「ゾシマなきあとはアレクセイはダメ人間になっちゃうんですか?」
>会話でき、思想に触れられ、言葉の交換のでき
たって
意味ないおしゃべりなんかして、そこに革命はあるんですかっ? 三世の生命を体得できるんですかっ?
絶対的幸福に到達しますか?
深夜になってしまい明日書きますねww 信ずることがたいせつなんです。ある立脚点に立つことが。
政局であれば「どんな場合も公明党が正しい」という立脚点です。
アレフであれば「地下鉄にサリンを撒いた麻原総帥が正しい」という認識になります。
池田大作先生がおっしゃる何かではなく、池田先生そのものを信ずることに意義があるのです。
どんなに人として間違った犯罪や荒唐無稽な虚言であっても信じる。
絶対的幸福とは、そういうことなのではないでしょうか?
僕は池田先生に「殺せ」と一言命じられれば、誰であろうと迷わずに殺るwww かつて僕の友人に、「哲学は自由恋愛にして、宗教とは縁談である」と恋愛で例えた人がいます。
付き合って相手を品定めし、納得したら結婚。最初は上手くいっても、相手か自分の気持ちが変わったら別れるのが自由恋愛です。
したがって哲学の付き合いは「常に条件付き」であり、小さな意見の相違によって「簡単に袂を分かつ脆さ」があります。
一方で宗教とは、親が決めた得体の知れない相手といきなり結婚し、その人が良い人だと信じて好きになろうと努力する過程そのものです。
たとえ家庭内暴力を振るう酒飲み夫であってもひたすらに根拠もなく信じ続ける――それが信仰の本質にして意義であると僕は聞きました。
だから僕は池田大作先生を信じ、麻原彰晃総帥を信じる。
一度も人を殺した経験もない人に、ポアの何が分かるというのでしょうか?
麻原の風呂の残り湯から作った聖水を買ってない人に真実が分かるというのでしょうか?
ポアは人類を救済する。それはいっぺんやってみた人間にしかわからないことです。
だから公明党に一票いれなさい!! >>182
個人的にはカミュのシシュポスの中にあるキリーロフ の章が好き
数ページだけだけどね 歴史上、もっと偉大な作家っていうとドストエフスキーってイメージある 「もっとも偉大」な天才と言うと
"ゲーテ"か"ドストエフスキー"ですね……。 シェイクスピア、セルバンテスだろ
この二大巨頭が西洋文学のすべての基礎
ドストやニーチェをヨイショするのは教養のない中二病だけ シェイクスピアは兎も角、
セルバンテス『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』位しか読み込んでいない。
どの辺りが「もっとも偉大」に値するのか教えてほしいな>>188さん。 いちばん偉大なのはおれだろ。これまじで
その上であえて言うなら だれが偉大とかねえ!! >>183
> だから公明党に一票いれなさい!!
おまえ自身は入れてきたのかっ? 早くいけ >>189
例えば良くあるフーコーの評論でもいいけど、
小説として個人的に感動したとかじゃなくて
特に近代小説の先駆けとしての文学史的な意義があるのよ >>193
維新はぜったいに許さん。地獄へ落とす。 評価される時も貶される時も、結局1番か2番を争うのだから、名前があがるという意味で偉大な作家という定義の一つになるよね
評価されすぎ?のロシア5大作家:たまには思い切りけなしてみようか
https://www.google.com/amp/s/jp.rbth.com/document/5c1253ab15e9f940bd7de632/amp 話のネタになれば何でもいいかな
偉大な誰それの本を読んだからといって俺自身が偉大になるわけでもないし 維新が勝った
創価が人々に支持されてない邪教だとはっきりしたな! >>188
>ドストやニーチェをヨイショするのは教養のない中二病だけ
ドストエフスキーの小説はシェークスピア悲劇やドン・キホーテの
再解釈のようなところがあるし
ニーチェはドストエフスキー経由して同じようなことをやっている
まあオリジナリティー云々はともかく解釈軸が問題であってね
ドストエフスキーには進歩に伴う懐疑と信仰の問題が
ニーチェには大衆化と世俗化にともなう生の凡俗化といった危機意識がある
このあたりの問題意識の方がシェークスピアやセルバンテスよりも
現代人のそれに近いわけであってね ニュー速+で500連投達成!!
> 責任はとらんだろうけど
> 2Fからは人が離れていくよ。
> いま中国べったりの親分についていくのは
> 泥船に乗るのと同じ。
> 官房長官になりたがってるらしいが
> 自分が落ちた穴に気づいてないw
評論家きどりのバカがWWWWWWWW
ねらーのおめえのゆーことなんか 誰が信じんだよ!!
710 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:47:48.13 ID:Zqscy7pG0 (24)
おまえらよーく おぼえとけWWWWWWWW
維新なんか 日本ぜんごくで だ〜れも知らん
それでおれたち公明党さまに勝てるだと??WWWW
維新は全国で国会議員なん議席あんだア〜〜〜〜〜〜〜〜〜? 711 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:51:36.68 ID:Zqscy7pG0 (24)
おれたちは どこまでも南無妙法蓮華経の選挙だ!!
維新はてめえの「権力とカネと名誉だ」
支持者の愚民であるてめえらも ケツのあなの小せえ ガリガリ君だあ
うほっは
おれらは全世界広宣流布だけしかねえ
朝鮮とも中国とも、アメリカとも、国籍関係なく、仲良くしてゆく!!
おれらは いっさいしゅじょうが 幸福になれと、毎時まいばん 祈りまくってる
てめえらは「他人の不幸だけを願ってる」!!
そんなてめらが おれらに 勝てるわけねえだろがっ!!!!!!!!!wwww
712 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:52:40.28 ID:Zqscy7pG0 (24)
もう一回再確認しとくぞ?
維新に入れたバカ。これから入れるクズは
「地獄へ落とす」やくそくだWWWWWWWWWW
713 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:55:33.71 ID:Zqscy7pG0 (24)
ちっ、また完全勝利かよ?
また明日なW
717 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 02:02:23.02 ID:Zqscy7pG0 (24)
バカヤローW
29億6千万円の予算 を使ってるじゃねーか
橋下がカネ出したんか?っ
そんなもんカネの配分の問題だろが?
赤バス廃止したやろがっ ドストエフスキーの有名な「プーシキン演説」からシェイクスピアやセルバンテスについて述べた部分を書き出してみると
第三期には、主として全世界的な理念が輝き始め、他の諸国民の詩的比喩的表現が反映し、他国民の示した天才が具現化されている系列の作品が帰属する。
わが詩人は、彼以前には、どこでも、どの作家においても見たことも聞いたこともないような、ほとんど何か奇跡的な存在となっている。
事実、ヨーロッパの文学には、シェイクスピア、セルバンテス、シラーのような巨大な、堂堂たる芸術的天才がいた。
しかし、わがプーシキンのように、全世界的に共鳴し得るこのような能力を有している人が、これらの偉大な天才の中に一人でもいただろうか。
ヨーロッパの最も偉大な詩人たちでも、天才とその精神を、その精神の中に秘められているあらゆる深みを、その使命についての憂いを自分の中に体現した例は一つとしてないのである。
ヨーロッパの詩人の多くの場合、他国民を自分の国民性に合うように変身させ、自己流の解釈をほどこした。
シュイクスピアについても、たとえば、彼の作品のイタリア人はほとんどすべてイギリス人である。
ただプーシキン一人が、完全に他の国民性の中に化身し得る特質を有している。
『ドン・ジュアン』『石の客』を読み返してみるがいい。もしプーシキンの署名がなかったら、作者がスペイン人ではないということなど、知りようがなかったであろう。
『プーシキンについての演説』に関する説明のための数言(『作家の日記』1880年8月第1章 )
プーシキンの意義について私が特筆しておきたい思った第三の点は、全世界的に共鳴する才能、他国の天才に完全に同化する才能、それもほとんど申し分ないほどに新しいものになりきる能力である。
私は演説の中でも、ヨーロッパにはシェイクスピア、セルバンテス、シラーのようなこの上なく偉大な世界的天才がいるが、そのうち誰にもこの才能を見出すことはできない、ただプーシキンにのみこの才能を見ることができる、と述べた。
私は、他国の天才に同化し得るというこの上なく天才的なプーシキンの才能を指摘するにあたって、シャイクスピアやシラーの世界的意義を侵害するつもりはなかったのだ。 『スペードの女王』の人ね
日本では全然読まれてない気もするけど 西欧文学でドストエフスキーを超えて日本人に影響を与えた作家はぜったいにいない
ですから米川正夫は偉大です!彼の翻訳こそスタンダードだったんですからっ
三島由紀夫ほか純文学に引用されてるのもすべて米川正夫訳
この厳然たる事実はどうにもできん
であるからして、さいきんの なんたら訳などで読むのは愚の骨頂です!
もちろんこのことの反対意見があるのは承知です。ぼく自身も「白痴」をそれしかなかったという理由で
木村訳でよみ、その文体の磁器のような硬質の美しさに感嘆したものです。
それでもなおかつ米川の業績を超えることは不可能です。 米川が最初に全訳し、後の翻訳者はぜんいん「それらを下敷きにして」やったのです。
また米川の文体には「なんだかわからんが音律がある」 >>205
ヨーロッパの偉大な作家はそれぞれの民族性に限定されるが
我が国の偉大な詩人プーシキンは民族の軛を離れた普遍性を確保しており
これはプーシキンのみならず我がロシア人に共通の性格である
つまり我々ロシア人が自民族について思索するとき
それは民族性を離れた普遍性に到達するのであり
これはわが民族が世界にとって指導的役割を担っていることを意味する
というトンデモ理論だよ
単に民族的統一性を確立する前に
西欧先進国からの文化移植を実施したので寄せ集め状態になっており
それ故にナショナルアイデンティティについた考えなければならない
というだけの話に過ぎない
で、ロシア民衆は貴族階級ほど汚染が進んではいないので
そこに希望があるのだが同時に「学」もないので
民族的純粋化よりも土俗的信仰の世界に向かう
しかしその信仰は土俗的であるが故に蒙昧さと背中合わせである
そこで「罪と罰」の世界にループしてしまう
ドストエフスキーの問題設定に出口は無いんだよ ドストもナチスや大日本帝国紛いの当時よくある民族主義者だったのか
関東軍も日本民族は中国を支配して指導的役割を果たさなければならないとか吠えてたらしいな 日本が指導してたら共産主義に汚染されることもなかったよ
当時をしれ >>211
> つまり我々ロシア人が自民族について思索するとき
> それは民族性を離れた普遍性に到達するのであり
> これはわが民族が世界にとって指導的役割を担っていることを意味する
> というトンデモ理論だよ
------------------------------------
う〜ん... いつもあなたの文を読んで思うんだけども、前提の理解には完全同意なのに
結論がなぜそう感じるのか?ぼくにはわからん。
なぜこれが >トンデモ理論 なのか?
自国が、世界的な使命を持ち、「わが民族は世界にとって指導的役割を担っている」と考え信じるのは
健康な精神と「ナショナルアイデンティティ」のために、とうぜんの帰結と思うがどうでしょう? >>212
> ドストもナチスや大日本帝国紛いの当時よくある民族主義者だったのか
> 関東軍も日本民族は中国を支配して指導的役割を果たさなければならないとか吠えてたらしいな
その理解がせんぱくですよ。最高の民族主義者であるからこそ他国ともなかよくできる。
ぼくは日蓮大聖人の教えどおり、この日本国こそ全世界へ仏法を広めいく使命をもった国であり
全世界が憧れる国だと思っている。 ぼくはあなたに個人的怨みがあってつっかかるんじゃない
あなたの文は教養があるが、「信仰という地盤がないゆえに」
ほんと「根無し草」になってる。だからカラマーゾフやドストエフスキーについて論評しても
肝心なところで、最後の結論部分で「ドストエフスキーの真意に到達しない」
これは難しい理屈をこねくり回してるのではない。
あなたはカラマーゾフの登場人物で言えば、まさにイヴァンのごとくなってる。 さらに40連投達成!!
ギロリ... !
維新愚民はおらんがあああ〜〜〜?
殺してまうどっ
700 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:05:32.62 ID:hdt38pJt0 (9)
おめらは白痴なんかっ?
701 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:05:50.73 ID:hdt38pJt0 (9)
なんでイシンなんか入れんだ?
馬鹿やろ?
703 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:06:28.40 ID:hdt38pJt0 (9)
わかった。おまえの嫁は糞ブスだから それで復讐で維新かっ? 704 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:07:51.88 ID:hdt38pJt0 (9)
>>702
だいじょうぶだあWWW
あと、3週間の命だしWW 維新なんて
吹けば飛ぶような泡沫政党だしWWWWWWWWWW
705 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:09:00.87 ID:hdt38pJt0 (9)
なんの信念もねえ
思想もねえ
実績もねえ
愚民だけが支持してるWWWW
706 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:10:41.16 ID:hdt38pJt0 (9)
公明党に入れないやつは
たいへんなことに なりますよっ
教えといたからね?
でも、ちみらってなんで入れないの??こうめいに
707 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:12:48.09 ID:hdt38pJt0 (9)
あ、わかった!
根無し草で
ひとりぽっちで
仏法の大切さもわかんないんでしょう?
大予言するよ。「7年後に維新はこの世に存在してません。」
「はしもとも この世にいません」ぜんいんコジキになってます!
維新応援したおまえらも!!!!!WWWWWWWWW
708 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:15:14.52 ID:hdt38pJt0 (9)
北は北海道から南は沖縄まで!
ひとりも、ただの一人も! 維新なんか応援してませんWWWWWWW
ムードで 騙されて、おまえら愚民が、応援してるだけ。
だから「今だけ」これを忘れないように。 おやすみ。ドストスレ
俺はおまえをたいせつにしてる >>214
>なぜこれが >トンデモ理論 なのか?
>自国が、世界的な使命を持ち、
>「わが民族は世界にとって指導的役割を担っている」と考え信じるのは
>健康な精神と「ナショナルアイデンティティ」のために、
>とうぜんの帰結と思うがどうでしょう?
そういう事じゃなくて
民族的統一性や純粋性が確立されていない(特に知識人層)のに
その非統一性を多様性と置き換えて一気に世界性に持って行くのは詐術に近いのね
また、知識人層と違って土俗的信仰の世界に生きる民衆を評価するのはいいとして
この土俗性も突き詰めていくと無知蒙昧や
アジア的異教性や汎神論的世界につながりかねない
このあたりに見られる苦闘は作品の中にも見られるが
明確な回答は最後まで出されていない
そのくせ飛躍した理論で正体の定まらない自民族こそ
世界をリードするのだ!と世間受けの良いスローガンを掲げるのはどうかな?
劣等感を優越感に逆転させるような詭弁は感心できないよ
これは健全なナショナリズムではない
「悪霊」におけるキリーロフの神と民族に関する議論の方がまだマシであって
ドストエフスキーの演説はこれよりも後退しているんだよ
民族と神の問題はシェリングやフィヒテといったドイツ観念学派の考え方に近く
スラブ主義の源流でもあるのだけど
ドストエフスキーはこれには距離を置いている
しかし問題設定としては避けて通ることはできない 石原慎太郎の言を借りるのなら
「真にナショナルなものしかインターナショナルになれない」
というのはそれなりに正しい
もっというとナショナリティーの確立によって
インターナショナルに向かうことが出来る
だからまずは神の定義や信仰の強度も含めて
ナショナリティーの確立に力を注ぐべきなのに
その前段階で大見得を切っている
それも理論操作でね >>214
言葉をもし文脈というような区切りができるならば、前提と結果で分ける事も出来うる
その時の前提とは普遍性であり、その時の結果とは個別性になる
そうならば、前提に同意できてもそのあとの結論は引き出す個々の意見というものに近くなることになる
なので前提は肯定できても、結論は反対に思う事は結構あるんじゃないかな
人間は死ぬ
だから精一杯生きよう
だから生きる事は無意味だ、つまり自殺だ
これは同時にあり得ること、そして同時にあり得る事が言葉の闇でもあり崇高な特性でもある
アリョーシャが、イワンに殺したのはあなたじゃないと言ったのに、イワンは「おまえが殺した」みたいな解釈を勝手に想像して拗ねてしまうね
という余談です
今話にあがっているドストエフスキー土壌主義がどこまで国家主義と重なっていたか、どういう意味で国家主義を捉えていたかの明確な判断は難しい、とぼくは思います
勉強不足で明確に書いてある箇所がわからないのですw
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